2025年3月13日木曜日

雑読

 <石井千湖 『積ん読の本』(主婦と生活社、2024年)>:本書に登場する「積ん読」人たちの書斎あるいは家中に積まれた本の写真に圧倒される。購入した本は基本的に読むべきであるとする自分は、まだ読んでいない本が目に入る度にある種の罪悪感に苛まれる。積ん読の程度に雲泥の差があるけれど、その積ん読人たちの言葉に少しホットする。
 以下、そのホットする言葉を幾つか引用しておく。
 「好書家は如何に速読家でも或る程度に於てのツンドク先生たらざるを得ないだろう。だが、ツンドクの趣味を理解しないものは愛書家で無いのは勿論真の読書家でも亦無いのを信じて、私は常にツンドク先生に敬意を表しておる。(内田魯庵「多忙なる読書と批評の困難」)」。「作家の奥泉光さんが、背表紙を読んだだけで本は読んでいることになる、そして読み終わることはないと言っていました」。「本は知識のインデックス積まなくてどうする」。「本は<冊>という単位で考えるべきではない。本は物質的に完結したような顔をしているけれども、あらゆるページと、瞬時のうちに連結してはまた離れるということを繰り返しています。一冊の本を読んでいるつもりでも、読んでいるときの頭のなかには、いろんな本のページやパラグラフが読み込まれている。本は常に進行中・生成中のヴァージョンだから、表紙から裏表紙まで読んでも読み終わることはない。何が書いてあったかを忘れてしまうのもあたりまえです」。そして次の言葉は読書することの本質をついていると思う。すなわち「過去と現在と未来、三人の自分と協力プレイして一冊の本を読んでいるんですね」と。
 本書に登場する人たちと、少ない読書量の自分を横に並べることは不遜でしかないことは自覚している。

 <青山透子 『日航123便 墜落の波紋 そして法廷へ』(河出文庫、2025年/初刊2019年)>:著者は「日航123便墜落事件」に関して8冊を著しており、その中で最初に読んだのは『日航123便墜落 遺物は真相を語る』。今回はそれに続いての2冊目。最近読んだ森永卓郎さんの『書いてはいけない 日本経済墜落の真相』も含めるとこの事件の本は3冊目となる。所謂権力側の見解や調査報告は読んでいないけれど、出典や論拠を明らかにするこれら3冊の本は全面的に信頼している。そして、今後とも事件の真相調査はなされることはなく、隠され続け、関係者は沈黙し、ただただ忘却されることになるであろう。

 <八木澤高明 『忘れられた日本史の現場を歩く』(辰巳出版、2024年)>:飢饉で故郷を離れる、開墾する、国策で満州に渡るが敗戦によって土地を失い引き揚げて「新しい地に入植、原発事故、地震、津波、洪水・・・・消されてしまう人々の生活。すべてが歴史の中に埋もれている。
 著者が「好んで歩いてきたのは・・・(中略)・・・どちらかというと、由緒正しきものではなく、悲劇や血に彩られた悲しい歴史で」あり、本書に描かれたは下記の19過所。
 独自の呪術信仰”いざなぎ流”-拝み屋が暮らす集落/ハンデミックの悲劇-面谷村/インドから帰ってきた女性-からゆきさんがいた村/蝦夷に流れ着いだ和人たちの城-志海苔館/かつて栄えた風待ちの港-大崎下島/『遠野物語』に記された”アンデラ野”-姥捨山/海外への出稼ぎ者が多かった土地-北米大陸と繋がっていた村/本州にあったアイヌの集落-夏泊半島/朝廷に屈しなかった蝦夷の英雄-人首丸の墓/国家に背を向けた人々の”聖域”-無戸籍者たちの谷/飢饉に襲われた弘前の地-菅江真澄が通った村/800年前から続く伝説-平家の落人集落と殺人事件/潜伏キリシタンが建てた教会-中通島/飢饉で全滅した三つの村-秋山郷/難破船と”波切騒動”-大王崎/本土決戦における重要拠点-館山湾/古より遊女が集まる場所-青墓宿/江戸時代の大阪にあった墓地群-大阪七墓/自由に立ち入れない場所-津島村。
 大崎下島、夏泊半島、秋山郷には観光で行ったことがある。大崎下島だけは本書にある写真を思い出してかの地の歴史を感じたが、他は全く無縁で単に行ったことがあるとするだけである。
 全体的には著者の感想を中心とした、重みを感じることのない一冊である。風景の中に著者の心象を反映しているだけで、「忘れられたこと」の深層にあまり向き合っていない。

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