2018年4月28日土曜日

マンガと数学

 <原泰久 『キングダム50』(集英社、2018年)>:趙/李牧との戦いがまだ続く。

 <日本お笑い数学協会 『笑う数学』(KADOKAWA、2018年)>:128√e980の上半分を消すとI Love youになる。1/{√(7+2√12)}+1/{√(5+2√6)}+1/{√(3+2√2)}が1となる気持ちよい計算過程。y=1/x、x^2+y^2=9、y=|2x|、x=-3|sin(y)| この4つの式はLOVEを示す。イギリス風因数分解(解りやすい)。四平方の定理、等々の面白い(あるいは笑える、駄じゃれ的な)数学のテーマが100個あって楽しめる。
最も好きだったのは静岡大学の試験問題(13題目)で以下;
関数f(x)、g(x)を次のように定義する。
f(x)=x^4-x^2+6(|x|≦1)、f(x)=12/(|x|+1)(|x|>1)
g(x)=1/2*{cos(2πx)+7/2 (|x|≦2)
このとき、2曲線y=f(x)、y=g(x)のグラフの概形を同じ座標面に上にかけ。
静岡大学ということと組み合わせると実にウィットに富んだ楽しい問題である。

2018年4月25日水曜日

44年前の勤務中写真

 最初に勤めた会社での勤務中の写真が2枚。ともに44年前1974年に職場の同僚がたまたま撮ってくれたもの。1枚目は自席を立ったときで、左手にファイルを掴み、背後には資料を置いた机とドラフターが見える。2枚目にある機械は最初に加わった設計チームのなかで手がけた大型工作機械であり、練習機の主翼を削る機械。専門用語風に言えば、ガントリータイプ5軸フライス盤。一段高いところに立っている背の高い方が25歳のオレ。その右の背中を見せている人は多分上司のHo部長で、大径ウォームホイール(扇状)の説明をしているところかと思う。後ろにあるネジ(ボールネジ)は外形80mm、単品コスト80万円ほどで図面を描くのにびびった。そのボールネジが取り付けられているコラムは断面1600mm×1600mmの長さ6300mmだったか。これはさらに緊張した。名古屋の企業に製造委託したもので数百万円のコストだった記憶がある。納品されて実物を見たときに、図面を描いているとはいえその大きさに驚いたものである。ボールネジ軸受部の設計が未着手なのにコラムを先行発注せねばならず、軸受ハウジング取り付け部は見込みで広くとってある。コラムが乗っかる左右両側の大きな部品やその駆動機構も設計した。米国O社のジャパナイズ化および専用機化変更設計といえども、大学卒業したての若造によくもこういう設計をさせたもんだと今でも感じ入っている。この機械の設置で某メーカーへ出張した折、休日には結婚数ヶ月前だった連れ合いと東京でデートしたことも懐かしく思いだされる。熱い夏のことだった。
 写真の工作機械以外にも種々の専用工作機械を設計したが、その会社での僅か6年半の工作機械設計経験がその後の仕事の太い基幹となった。転職してからも製品設計という仕事は変わらなかったけれど、仕事の質、組織体制、開発プロセス、周囲の設計者の質などは良くも悪くも大きく変わった。すべて過ぎ去ったことである。



2018年4月23日月曜日

小関智弘さんの本

 <小関智弘 『どっこい大田の工匠たち 町工場の最前線』(現代書館、2013年)>:35年前に新宿/紀伊國屋書店の機械専門のコーナーで、機械設計に関する本を眺めていたときに『粋な旋盤工』を見つけ、この小説が場違いなコーナーに並べられていることに気づき、小説のコーナーに行ってもなかったことから書店のミスを少し嗤った。そして次が銀座かどこかの百貨店内の書店で『羽田裏地図』を見つけて嬉しくなったことを覚えている。何故なら、当時よく行っていた書店に小関さんの著作を見つけることはなかったからである。
 権威ある文学賞の候補になった『春は鉄までが匂った』の選考で、重鎮である作家が「鉄が匂うわけがないだろう」と受賞に反対したと知り、その作家を蔑んだ。鉄を削っているときの熱した匂い、切削油の焼ける匂いなどは工場で生きている人たちの息吹である。サラリーマン時代は現場に行くことが好きだったこともあり、その匂いを感じると落ち着く気持ちになったものである。
 小関さんの本が出る度に買い求めては引き込まれて読んだ(今回は4~5年もほったらかしだったが)。ものを作る喜びを知っている人たちが好きであるし、机上で屁理屈を並べ、もの作りの現場や人たちを下に見る人は嫌い。手に触れて素材や加工品の冷たさや暖かみを感じることが大切だと思う。そして、この本で描かれる職人さんたちの類い希な技術や仕事への誇りは、彼らの、人生の謙虚さに繋がっている。
 直接ものを加工することはなく、その手前の設計図面を描くことから始まったサラリーマン人生の中で、仕事として初めて描いた図面が部品になったときの感激は-単純なブラケットであったが-今でも忘れることがない。その後図面一枚でもとんでもない高価な部品図を書いたときや、複雑な形状の部品図を書いたときは緊張感や不安感を何度も強いられはしたが、やはり熔接のビードが綺麗な板金や、大きな鋳物、重さと輝きを感じる機械加工部品にはいいようのない愛着を感じたものである。小関さんの著作はいつもそのような、今はもう為すこともない過ぎた空間と時間を思い出させてくれる。そして、この国から物作りの喜びを知る人が少なくなることを悲観的に眺めている今がある。

マンガ3冊

 <オカヤイヅミ 『ものするひと 1』(KADOKAWA、2018年)>:「たほいや」なる辞書ゲームを初めて知った。遊ぶには参加者の平均化されたあるレベル以上の知識が必要であるが、これって面白そう。「郊外の夜に光る 謎の言葉みたいな 文章が書きたい」という言葉に惹かれる。「大抵の場合 映画の登場人物には 「本当には」 BGMは聞こえていないから 聞いているのは観客だけ」という文章も素敵。このマンガのテーマは、「雑誌の新人賞を受賞後、アルバイトをしながら小説を書いている杉浦紺(30)。出版は不況でも、言葉で遊び、文学を愛する若き純文作家の日常をのぞいてみませんか?」(裏表紙)。

 <都留泰作 『ムシヌユン 6』(小学館、2018年)>:人に比べて小さな虫が巨大化し、宇宙から見ると小さな地球が引き延ばされて変形し、異星人が現れたヨナセ島だけが無傷になっている。なんだかよく解らないが読み続けたマンガもこれで完となった。6巻まとめて古本屋行き。

 <武田一義 『ペリリュー 4』(白泉社、2018年)>:思う、飢餓のなかで米軍に追いつめられた兵士たちは何と闘っていたのだろう。玉砕、英霊などと飾り立てられた言葉で包まれた、死んでいった兵士たちは何に対峙していたのだろうか。「英霊たちのおかげで今の日本がある」という言葉で括られるはずはない。

2018年4月22日日曜日

ミステリー3冊

 読書について、ここ数週間ほど書きためていたものを何回か続けて吐き出してゆく。

 <蒼井碧 『オーパーツ 死を招く至宝』(宝島社、2018年)>:2018年『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。オーパーツにはそこそこ関心があるのでそれをミステリーに取上げるとどうなるのかと興味を抱き手に取った。が、趣味に合わない。本格密室トリックなのだが、面白さは感じられなかった。単に好みが違うということなのだろう。

 <原尞 『それまでの明日』(早川書房、2018年)>:14年ぶりの最新作とあるが、自分にとっては12年ぶり。原さんの全小説-渡辺探偵社/沢崎シリーズ-はすべて読んでいて、ストーリーは記憶にないが、沢崎が醸し出す空気を楽しんでいたことは思い出す。その沢崎は50歳を超え、謎の人物からの依頼があったことから物語は始まり、金融業者での強盗に出くわし、そこで知り合った若者と出会う。刑事二人、暴力団、料亭の女将などが絡んで、入り組んだ織物を解きほぐすかのように縺れをほどいていく。400頁を超える長編を楽しめた。特に会話が楽しめた。・・・7文字のタイトルは維持されている。

 <連城三紀彦 『夜よ鼠たちのために』(宝島社文庫、2014年)>:連城三紀彦といえばまずは名作「戻り川心中」、雑誌『幻影城』でのデビュー作「変調二人羽織」、続いて「宵待草夜情」がある。最初に読んだ刊行本は35年前4月初旬の『夜よ鼠たちのために』であったが記憶に残っていなかった。2013年に亡くなった翌年に今回の文庫本が発刊され、4年間手に取ることはなかった。いま改めて読んだが、ストーリーにセピア色の古さを覚えた。それは勿論いまは本格ミステリーをさほどに好まなくなったことも反映されているのだろう。収められている短編にも同じ空気を感じた。
 35年前は読んだ本のタイトルと著者名しかメモしておらず、当時の読後感は判らない。でも、その後20冊近く読んでいるのだから、暫くはこの作者に入れ込んだことは間違いない。

2018年4月21日土曜日

マックス・リヒター、ルドヴィコ・エイナウディ

 ベッドに横になって本を読むとき、最近はポータブル・プレイヤーと枕元に置いた小さなスピーカーをBluetoothで接続してBGM風に音楽を流していることが多い。眠りにつくときもそのまま流し続けていることも多い。選ぶのはマックス・リヒターかルドヴィコ・エイナウディの曲がやたらに多くなっている。静謐というか、繊細で透明というのか、上手く表現できないがともかくも心地よい。で、違う演奏でも聴きたくなりCDを2ヶ月ぶりに発注した。1枚はマックス・リヒターで、今回はVivaldiのかの有名な「四季」をrecomposeしたもの。もう1枚はエイナウディのヴァイオリン演奏で、カナダのデュボー/ラ・ピエタのもの。カナダではベストセラーとなったものらしい。いま聴きながらこれを書いているが、美しい響きと優しく繊細な旋律。少し酔っている状態には特にフィットする

「維れ新たなり」のテキスト

 <苅部直 『「維新革命」への道 「文明」を求めた十九世紀日本』(新潮選書、2017年)>:この本の目的は19世紀の日本における思想の歴史。江戸末期の思想家の著作が紹介され、そこからは尊王攘夷活動など幕末政治活動の基底に流れていた思想を捉えることが出来る。己の知識のなさ、理解不足を最も突かれたのは山片蟠桃に関すること。『夢の代』で無鬼論を主張し、地動説を指示し、記紀を批判し、五行説否定等々の山片蟠桃に斬新さを覚えた。
 身分差をおかず、会読重視の私塾の存在など、民間の知的欲求は高かった。一方、明治期からの日本に基層として存在する會澤正志斎や藤田東湖の思想、「國體」、「王土王民」にはやはり抵抗を覚える。民衆不在で「維れ新たなり」と進められた明治維新は、西洋化=近代化を図りながら精神的には「復古」するという矛盾の下、西洋文明の移植に民衆は新政府の権威を感じ取り、忠孝精神に漬っていった。今の日本は、もしかしたら第2明治革命を待っていた知識人たちの期待がまだあって明治初期の維新状態が続いているとも思える。
 ハンチントンによれば、世界には7から8の文明があるという。それは、西洋・儒学・日本・イスラーム・ヒンドゥー・スラブ・ラテン・アメリカ、プラスしてアフリカだという。注目すべきは、文明で括られた区域とは違って日本だけが一国家として捉えられていること。ハンチントンの主張は、日本(国)をユニークな、他の地域文明と混じり合わない独立した(あるいは孤立した)文明と捉えたうえでの主張と思える。それは、例えば、広がりを見せない日本の#MeToo、個人の自律性が喪失されている忖度、日本の美徳と言われることのある融通無碍、非論理性の国会答弁、謝罪を知らないハレンチ言動などなどに見られるのではないか。
 人びとがこの独立性(孤立性)に誇り(優位性)を持つのか、偏狭さ(違和感)を感じ取るのかは、その人の思想的志向性の標識でもある。
 いろいろな思想家の著作を説明しており己の知識のなさを知らしめてくれるのであるが、一方ではそれが長すぎて読むのに努力するところもあった。何にしても日本の思想を語るときは天皇抜きで成されることはない。

2018年4月20日金曜日

タイトルに「エロ」の書籍、有害指定

 「タイトルに「エロ」の書籍、相次ぎ有害指定 研究書も」の記事があって、研究書まで指定するのはやり過ぎとの声もあるらしい。記事の一部は下記(4月17日朝日新聞)

 3月30日に北海道が有害指定したのは「エロマンガ表現史」(太田出版)。同月23日には滋賀県が「全国版あの日のエロ本自販機探訪記」(双葉社)を有害指定した。いずれも青少年健全育成条例に基づき有識者による審議を経て「青少年の健全な育成を阻害するおそれがある」と判断した。18歳未満への販売が禁止され、書店などでの陳列も一般書籍と区別される。
 二つの書籍は、タイトルで「エロ」とうたい、女性の裸体や性的行為が描かれた本の表紙やマンガのコマを引用している。だが「表現史」の主題はマンガにおける乳房や性器の描き方の変遷の研究。「探訪記」はネットの普及により消えゆくエロ本自販機の現在を探るルポルタージュだ。日本雑誌協会は「新たな分野の研究書であり、フィールドワークの労作だ」と、有害指定に疑問符をつける。

 『エロマンガ表現史』(太田出版、2017年)は生活史、社会科学史、出版史、風俗史といっていいものだし、後世の歴史研究にも貴重な書籍だと思う。記事には書かれていないが、米沢嘉博の労作『戦後エロマンガ史』(青林工藝社、2010年)も貴重な資料になると思っている。ちなみにわたしは両方とも所有している。

 国立国会図書館デジタルコレクションでは版権が切れた書物などがフリーにダウンロードでき、酒井潔『エロエロ草紙(談奇群書 第2輯)』(竹酔書房、1930年)は非常に多くのダウンロード数(DL数トップだったかな?)があるとの記事を読んだことがある。この本、昭和5年の世相をうかがうことができて面白い。

 いま、財務省事務次官のセクハラ問題がテレビで繰り返し流されている。次官が発したとされる言葉はイヤラシイ下卑た言葉そのものだが、北海道と滋賀県は有害指定しないのかしら。青少年への、のみならず社会一般への悪影響の度合いは、有害指定された書籍よりも広い意味ではるかに大きいと思うのだが。もちろん揶揄したうえでのこと。

31年の時を経て


 左は31年前の、娘が小学校3年の時に遊びで作ってくれたもの。右はその娘の娘が小学校3年になったばかりの数日後、わたしの今年の誕生日にプレゼントしてくれたもの。大事な大事な宝物。

ワイヤレスイヤホン

 外出時、ポータブル音楽プレイヤーから引き出すイヤホンのコードがうっとうしくなるときがある。コードがなければいいことで、Bluetoothワイヤレスイヤホンを購入した。左右が独立している物は紛失が心配なので左右が繋がっているものを捜し、結局落ち着いたのはSonyのレシーバーMUC-M2BT1で、これに前から保有しているイヤホンを接続。購入した決め手は、一にmmcx対応であること、つぎにLDAC対応コーディックであることの二つ。この二つを満足するものはこれしかなかった。NW-WM1Aを愛用していればLDACは必須だし、mmcx対応イヤホンもShureやRHA、Campfire Audio(CA NOVA CK)など既に幾つか持っているのでmmcx対応は外せない。何よりも一体型はイヤホンを変えて遊べないので面白くない。
 そんなところへAudio-TechnicaのATH-BT12が980円で入手できた。4年前に発売された当時は14,000円ほどだったが、今の実勢価格は最安値で5,000円からで、それが使い道のないポイントを使用することで1,000円を切った。外観はスマートじゃないし、耳へのフィット感も少し不満だし、バッテリーの持ちも短い。でもポイントを捨てるよりはと思い購入。音質は価格相応と言ったところ。
 イヤホンを聞き比べていると、やはりというかバランス接続のCAはずば抜けていい音がする。CA以外のイヤホン単体より高価なケーブルでバランス接続とあれば数段上の音質と音の広がりで、さらにNOVA CKより上のCAを聞きたくなるが、それはもうどんどん高価になるので欲求にブレーキをかけないといけない。

2018年4月18日水曜日

女の性(さが)??

 日曜日、娘の娘〇〇ちゃんが我が家で遊んでいてついつい揶揄いすぎて泣かしてしまった。こっちが全く悪いのであって、床に座って彼女を膝に乗せ、〇〇ちゃんゴメンゴメンと謝り、宥めた。その後、彼女は連れ合いと暫くカードゲームで遊んでいて、わたしはソファの上で彼女の背後に横になり転た寝をしていた。気持ちを切り替えることができる彼女は、自宅に帰るときは普段と何も変わることはなく、送っていくわたしと普通に会話を楽しんだ。

 その後の連れ合いとの会話。
 「〇〇ちゃん、可愛いんだよな。この前の大阪でも朝起きたときにベッドにおいでと言うとニコニコして入ってきたし。まぁ、△△(娘)が言うにはいろいろ買って貰ったお礼よというけれどね。それにさっき泣かしてしまったけれどその後は普通に甘えてくるときもあるし」
 「甘えて、泣いてまた甘えるのは次にまた何か買ってもらえる期待が入ってんじゃないの? 小3でもそれは女の性ってやつよ」
 ・・・・「女の性」が「ニョーボーの性」に変質するのはいつ頃からなのだろう。記憶にないほどに長い年月が経ったヵ。

2018年4月11日水曜日

花見?

 4月7日、高校同学年同窓による恒例の花見が上野公園のいつもの場所で催される予定だった。しかし、先月下旬の異常な暑さで桜はとうに咲いてしまい、葉桜の下での宴会となることは早々に判っていた。どうせ飲むだけだから花はどうでもいいんでしょうという連れ合いの言葉にはそのままに肯定いていたが、今回はそこに雨が重なってしまった。前日も翌日も好転であり、7日だけがピンポイントで雨天予報で、この日は単なる宴会となってしまった。雨のために宴会のみになったのは、随分と前の同窓会結成初期ころに一度あっただけと思う。

 前日に永世花見幹事から連絡が入り、買出しは中止し、上野駅すぐ近くの飲み屋さんににて12時に集合。当初の参加予定人数からは減り、同窓7人+ゲスト女性1名の計8名の飲み会となった。ビール、ハイボール、獺祭一升と酒精流し込みは続き、隣にいた団体から、自分の娘より若い30代女性二人に声をかけて引き込み、楽しかった。トイレを出たときに接触しそうになり声をかけたのが切っ掛けで、38歳の女性に同席して貰い、さらにその友人を追加でこちらに座って貰った。彼女たちの父親よりも10歳以上も年上の我が身を振り返れば、やるせない気持ちになるのは致し方ないこと。こっちには数日前に69歳になったKoがいるし、オレは翌日に69歳となった、なってしまった。

 宴会がお開きなって上野公園を歩き、青々と茂る桜の葉を眺め、カラオケに行き、さらにもう1軒いったような気がする-記憶が定かではない。チェックイン前に珈琲を飲みたくなり、ホテル近くのルノアールに入り、他人のテーブルにあるピザトーストが食べたくなり、あとはいつもよりは早めにチェックインし爆睡。

 翌日は誕生日。この年齢になれば目出度くもなく、若い時代にやり残した、あるいはやっておけば良かったと思うこともあるけれど、それを頭に浮かべれば妄想の世界に入ってしまうので、頭を振って雑念を追い払い、要は現実をそのままに受け止めるしかない。
 朝風呂に入り、Koといつものようにルノアールに入り珈琲。いつもはモーニングセットを頼むのだけれど前日の、よせばよかったピザトーストのせいか食欲はない。
 特に行きたいところもなく、秋葉原/ヨドバシカメラでカメラのアクセサリーを購入後、行けば何かやっているだろうと上野公園に行き、パンダ見物なのか結構な人の群を進み、国立博物館で「アラビアの道」を見物し、昼食を済ませてそこで互いに帰路についた。上野駅で連れ合いからLineが入り、息子一家が15時に来ることを知り、その後は自宅で息子とその嫁さんが買ってきてくれたケーキで誕生会的時間となった。娘の娘が来て、息子の娘と遊んであげてる賑やかな中、こっちは転た寝。長い2日間だったような気がする。

2018年4月10日火曜日

大阪で遊ぶ

 娘の子どもたちが春休みの時は、娘と私の連れ合いが一泊二日程度で小旅行をすることが多かった。今回は以前よりUSJに行きたいと娘の長男が強く希望を出しており、行くこととなった。日程調整などすべてはいつものように娘に任せっきり。USJには行ったことはないので、珍しく私も同行したいと言い出し、娘の連れ合いも行きたいと言う。新幹線での移動を孫たちは主張し、さらにそれを強く押したのは私と連れ合い。娘の連れ合いが同行することになったので土日にかかることとなり、混雑を思うと僅かに不満でもあったがそれはしようがない。

 31日に東京駅でのぞみに乗り、車内で駅弁の昼食を摂り、大阪に着いてからは娘の連れ合いに従って移動。大阪は不案内なので方向も地名も殆ど分からない。
 USJは一日半のチケットを購入してあり、時間があるのでまずは通天閣に寄った。そして再度移動してUSJに向かい、規定の15時に入場。人がたくさん。そこからは娘の長男がほぼ主導権を握り、こっちはそれについて歩き、欲しいというものを無条件に購入し、アトラクションの列に並ぶ。長男はスマホ片手に混み具合をチェックして先導するが、こっちはどこをどう歩いているのかをチェックもしない。
 娘一家がいなければ絶対に来ることはなく、まして入場に並ぶこともしないだろう。楽しみにしていたが二度と乗らないと決めたのはジェットコースター。娘とその長男は隣で手を上げたりしているが、私はそれができない。以前は好きだったが、30年以上ぶりとなったいまは恐怖心が先に立つし、降りると足が地に着かない。私の連れ合いと今春小3にある、娘の娘は私の連れ合いと別行動で可愛いアトラクションに向かっていた。二日目はそこに私も加わることになり、娘とその長男(今春中3)は再びジェットコースターやらスピード感のあるところへ行っていた。

 宿泊先は舞洲のトレーラーハウスが散在する施設で、綺麗。ハウスは独立しているので躁いでも隣室などを気にすることがなく、快適だった。ただ、2台に分乗したタクシーの一人が場所を分かっていない。昨年オープンしたところなのでタクシーのドライバーさんがよく分かっていないし、Googleで表示される地図も不正確。しかし、ここで大阪の運転手さんの親切はとても嬉しかった。逸れてしまい1-2km離れて下車した3人を、もう1台のタクシーは無料で探しに行ってくれるし、宿泊先の人も迎えに行ってくれ、助かった。迎えに行ってくれた運転手さんは一見強面風であったが、運転している中で大阪の観光案内めいたことをしてくれるし、宿泊先の近くになって少し地理的に迷ったときはメーターも倒してしまうし、降りるときには印象が大きく変わった。

 二日目はバスでUSJまで移動し、あとはフルタイムで遊んだ。娘婿は二日目の夕刻に帰宅-翌日は仕事の関係で大阪に出張とは妙なものである。息子の子どもは今夏2歳になる幼さなのでUSJなどで遊ぶにはまだまだ年数が経つのを待つしかない。家族全員で出かけるのはなかなか難しくなっている。

 最初の日、通天閣展望台に上がるには混んでいて時間がかかるのでやめ、最終日三日目に行こうとしたが、以外にも安いではないかと急遽あべのハルカスに向かうこととなった-娘は料金を支払うこっちのことを気にかけていた模様。3月7日にオープンになったばかりの高さ300mのエッジ・ザ・ハルカスを体験しようというもの。60F展望台に上り、娘の娘は身長制限(145cm以上)に引っかかっているので連れ合いととともに展望台フロアで遊んでいることとした。手続きから60分ほど待ってからつなぎの服を着てハーネスを付け、眼鏡は落ちないようにバンドを二重に付け、娘はすべてのアクセサリーを外し、階段を上がった。爽快。いい思い出になった。このハルカスのことはニュースでは知っていたが、USJのことばかり頭にあったので豪華付録のような楽しさであった。

 新幹線発車まではまだまだ時間があるので、大阪ならばお好み焼きということで道頓堀に向かった。スマホで見つけた有名店は長蛇の列。ぶらぶら歩いてそこそこ知られている店に入り、チェーン店道頓堀ではない道頓堀のたこ焼きがこの日の昼食。そこそこ美味しかった。時間潰しでさらにこの場所を歩き、グリコの看板近くに行ったり、たこ焼きを食べたり、子どもたちはメロンパンアイスをデザートにしたりと相当歩いた。中国系か韓国系らしき団体客が多い。多すぎると言った感もある。
 電車に乗っているときも、街中を歩いているときも、通天閣も道頓堀も、やはりというのか東京とは空気が違う。いい悪い、好き嫌いではなく空気感が違う。そして万博を誘致しようとしていることを思い出した。

 娘の子どもたちと遊んで楽しかった3日間。溺愛する〇〇ちゃん(娘の娘)とのツーショットをたくさん撮り(電車の中でも)、泊まった先ではおいでというとニコニコしながらベッドの中にも潜り込んできた。娘は、いろいろ買って貰ったお返しのつもりでいるんじゃないかと言うが、理由は何でもいいのだ。