2022年4月23日土曜日

友人からの葉書、『日米戦争と戦後日本』

 郡山市にいる友人から葉書が届き、開業以来31年経過した内科医院を医業継承し、開業医生活から退くことにしたと綴られていた。併せて、「ようやくヒマになりましたが、何をしたら良いのかな」とも書き添えられていた。
 会津若松から列車で1時間15分ほどの町に住んでいた長身の彼のことは中学生のときから知っており、親しくなったのは高校3年のときに同じクラスになってからで55年間のつきあいとなる。高校卒業後は東京と仙台、大学卒業後は富山と岩手であり会うことはなかったが年賀状のやりとりは続けていたし、仙台で行われた彼の結婚式にも出席した。
 医院をたたむ予定であることは今年の年賀状で知ってはいたが、あらためて開業医生活を終えたとの連絡で自分たちの重ねた年齢を思わずにはいられなかった。
 電話をした。前に会ったのは2015年桜が満開の4月、東山温泉で開催された高校同窓会であったから7年ぶりに彼の純な会津弁を聞き、つい数年前にも会って酒を飲み交わしたような気持ちになった。春日部から郡山へは2時間たらずで行けるので、コロナ禍が落ち着いたら郡山に出向き一緒に飲みたいと思う。

 <五百旗頭真 『日米戦争と戦後日本』(講談社学術文庫、2005年)>:米国に視座をおいて、日本の敗戦経緯や占領期の両国の動きが著者の明確な意見をともなって描かれている。あの時期に何が起きていたのかという知識を前もって掴んでおかないと、単にアメリカ側に沿った内容ではないかと曲げて読まれかねないと感じる。歴史的出来事を単に羅列し解説したものではない面白さと奥深さがある。

2022年4月18日月曜日

雑記、敗戦後の本2冊

 ほぼ毎朝乗っている体重計のスイッチ一つが機能しない。通常は機能しなくとも他のスイッチでカバーできるのであるが、齢が一つ重なったために登録年齢を変更しようにもそれができない。
 タクトスイッチをプッシュするヒンジ部の不具合あるいは導電性ゴムの接触不良かと見当をつけてばらしてみたら案の定ヒンジのアーム部不具合。プラスティックの弾性を利用したアームの支点部分がへたれてしまい破損していた。しかも3個あるアームでこの不具合があった箇所だけが他の部分と形状が微妙に異なっている。何故なのかは分からないが、端的に言って設計ミス・品質確認ミス。別の箇所のタクトスイッチ部は上手い構造となっていただけに設計のアンバランスを感じた。
 ピンセットを使ってスイッチを押せるように穴をあけ、通常は見えないように体裁を整え、新品に買い換えることなく継続使用することとした。

 娘の長女がコロナに罹った。家族の中でもっとも外出をしない子なので娘も意外だったようだ。罹患が判明した翌日には解熱剤も服用しなくなり、その孫が言うにはインフルエンザより楽だとのこと。しかし、10日間は外出禁止の生活となり、中学生になったばかりで残念な日が続く。本人はいたって元気のようであるが。

 <伊東祐吏 『戦後論 日本人に戦争をした「当事者意識」はあるのか』(平凡社、2010年)>:帯びに「『敗戦後論』を超えて」とある。16年前に加藤典洋『敗戦後論』、それに反論した'高橋哲哉『'戦後責任論』、両者の主張を読みふけった。本書はその『敗戦後論』を中心において日本人の「当事者意識」を問う。が、あくまで一般大衆も含めた「日本人」のそれではなく、知識人・文化人の「当事者意識」である。肯きながら、あるいは疑問も感じ、それらを頁の余白部分にたくさん書き入れながら読んだ。

 <浜日出夫編 『戦後日本における市民意識の形成 戦争体験の世代間継承』(慶応義塾大学出版会、2008年)>:「叢書 21COE-CCC 多文化世界における市民意識の動態」シリーズの31冊目。何の参考にもならなかった。表層をなぞって少しだけ皮を剥いでみただけという感が強い。タイトルに惹かれてそこそこの費用を出して後悔するという悪しきパターンだった。

2022年4月8日金曜日

福島県の日本酒飲み比べ、その2

 2ヶ月ぶりの日本酒-福島県の酒-品評会(?)を実施。前回と同じくテーブルの上に4合瓶4本を並べたお昼時。前回は、ロ万-南会津郡南会津町、宮泉-会津若松市東栄町、会津娘-会津若松市門田町、廣戸川-岩瀬郡天栄村、だった。今回の銘柄は口に含んだ順番で次の4種。
  ① 楽器政宗 中取り-西白河郡矢吹町
  ② 七重郎 生詰特別純米-耶麻郡猪苗代町
  ③ 会津中将 特別純米うすにごり-会津若松市七日町
  ④ 天明 中取り肆号-河沼郡坂下町
 この日も大振りのぐい飲みではなく、品良く(?)好きな透明性のある硝子製のお猪口に注ぐ。飲むにつれ酔もまわるし、文章表現力もないのでいい加減なメモの取り方となる。
  (1) 楽器政宗:軽やかな甘み、透き通るような甘みを感じる、ふわっとする中に個性あ
   る甘みが漂う。草原の中という感じか。楽器でいうとソプラノサックス。
  (2) 七重郎:適度な辛味、酸度をやや強く感じる。すっきりとしていて、夏に汗をかい
   たところで飲むと爽やかさが増すだろう。
  (3) 会津中将:高校2年時の下宿裏すぐ近くにあった鶴乃江酒造。その時代につながる
   甘く酸っぱい刺激があって-これは味ではなく感情-、喉越しに過去を思い出す。
   苦い青春ではなかったがちょっと刺してくる思い出に浸らせる。つまり、この17歳
   の季を思い出させる美味い酒である。
  (4) 天明:尖らず、主張せず、心地よく飲ませる。万人に愛された(坂下町塔寺出身
   の)春日八郎の歌という感じ。癖のない、いい男というか素直な味で、その扱いや
   すさで女性は好むであろう。
  4種の試飲を終えるまではまだ正常(?)であって、その後、銘柄を区分せずにランダムに飲み始めたら単純に酔と日本酒を楽しんでいる自分がいた。4合瓶4本を一人で一度に空けるほど器は大きくなく、まだすべて等しく残っている。日を改めてまた楽しもう。
 上の4種以外にまたもや仕上げとして飛露喜(特別純米)を飲む。・・・しかし、贅沢で幸せな日である。酒は健康のバロメータ、幸福度のバロメータである。(酒を飲めない人は幸福度が低いのか、否それはない。酒飲みの宿酔の苦しみや記憶を失う不幸を知り得ないという幸福を認知せずに味わっている。)

2022年4月6日水曜日

『カチンの森』、『フィリピンBC級戦犯裁判』、漫画『チ。』

 土曜日(2日)、息子とその嫁さんであるNちゃんと飲む。最後まで飲んでいたのはオレとNちゃん。二人とも結構酔っ払う。翌日は風邪気味と二日酔い気味が入り交じり夕方になってやっと普段の体調に戻ってきた。

 <ヴィクトル・ザスラフスキー 『カチンの森 ポーランド指導階級の抹殺』(みすず書房、2010年)>:政府権力者の捏造・隠蔽・沈黙、それらを取り巻く国の虚偽と権謀術策。過去・現在における権力者のあり方は普遍的に腐敗する、ということ。
 ポーランドがロシアを嫌悪し、会津が薩長を嫌う事由は相似する。カチンの森事件における初期の真相究明活動における報告をチャーチルやルーズベルトは表に出さなかった。どの国もあるいは人もその時に立つ位置で計算しながら左右を見たり中央に視線を向けたりする。 本書で示される写真を見てはやるせない気持ちになる。

 <永井均 『フィリピンBC級戦犯裁判』(講談社選書メチエ、2013年)>:一般的にキリノ大統領は自らが受けた悲劇と相俟って日本人戦犯への恩赦が美談として描かれることが多い。実際のところはどうだったのか、本書はフィリピンで行われたBC級戦犯裁判を詳細に論じる。フィリピン側の視座に基づく記述も多い。
 論述されるのは、フィリピン一般市民への日本軍人の暴虐と殺戮、そこに表出するフィリピン民衆の怒り。独立国家としてその存在を顕示しようとするフィリピン共和国と戦犯裁判。モンテンルパに代表される収容所における日本人戦犯者の状況、等々。そして、妻と3人の子を日本軍に殺されたキリノ大統領の思い、死刑の執行、恩赦まで大統領を取り巻く影響と恩赦までの経緯。そして戦犯者の帰国。
 最初の死刑-死刑には絞首刑と銃殺刑の二つがあり最初の死刑は絞首刑-は3人で、その中の一人の元陸軍大尉は無実であったといえる。次は一晩で14人の処刑。そして恩赦。 アメリカの日本重視によるフィリピンへの圧力、収容経費負担、等々による影響も大きく、”美談として語られる恩赦”が強調されることには抗いたい。政治絡みは複雑な要素が入り交じり、個人的国民的感情で断じられるはずもない。日本軍が残虐行為をしたことは,間違いないのだが、本書ではその残虐行為への-国・軍・兵士のいずれにおいても-責任の取り方に論を拡げていない。外交的にフィリピンへの謝罪は表明しているのだが、どうしてもそれは形だけの、フィリピンに収容されている日本人の帰国を要望するための儀礼的なものとしてしか感じられない。

 <魚豊 『チ。―地球の運動について― 第7集』(小学館、2022年)>:内容の濃い会話と物語。次回で最終集とか。
 お金を出して購入した初めての電子書籍となった。