2023年12月30日土曜日

ラグビー続き

 オンデマンドで高校ラグビーを見ていた。川越東が敗戦して自分に関係した県の高校は全て負けてしまったと連れ合いに言ったら、神奈川県はどうなったと聞かれた。ハットした。何故か神奈川は気にかける対象から外れていた。秋田県(秋田市と仙北郡)に生れて8年間を経て、福島県(会津)に10年間、東京(新宿)に2年間、埼玉県(越ケ谷など)に2年間、富山県(富山市)に6.5年、そして神奈川県(綾瀬市)に6.5年、以降埼玉県(春日部市)に居住。
 なぜ神奈川だけは意識の外にあったのだろうか。一つに神奈川の桐蔭学園は優勝候補筆頭であるから、他の高校と違って勝つのが当り前になっていて勝敗を気にするような存在でないこと、一つに神奈川県綾瀬市に住んでいた頃は唯々仕事に忙しく、その忙しさの中で子どもたちと方々に出かけてはいたが、自分の誕生や学校入学・卒業、就職や結婚といった大きなイベントはなかった、ということではないだろうか。

 はなし変わって、高校代表候補の所属校の偏りが目立つ。特に桐蔭学園と東福岡に多い。順調にいけばこの2校が決勝で当たるであろうと予想するのは容易いことである。

ラグビー

 大学選手権で早稲田はいいところなく完敗して年越しがならず、大学ラグビーへの関心は小さく凋み、比重は高校ラグビーに移った。
 例年と同じく付録目的に『ラグビーマガジン2月号』を買い、大阪に集まる全国の高校ラグビーの試合を楽しむ。早稲田実業に年越しの期待をし、次の高校の勝利を願う。すなわち、生地の秋田県-秋田工業、小学校から高校までの時代を過ごした福島県-松韻福島、就職して6年半住んでいた富山県-富山第一、居を構えてここで人生を終えることになろう埼玉県-川越東。
 しかし、1回戦を突破したのは川越東のみであった。早稲田実業は天理相手に勝利寸前まで進めるも、相手インゴールでのグラウンディングがならない攻撃が2回、攻めても止められる。もう一歩というところでトライを阻まれていた。
 試合開始前にラグビーマガジンの別紙ガイドで全校の紹介記事を眺めていたら、高松北の部員が15人しかいない。これでは怪我人を一人も出せないし、きつい戦いになると思っていた。花園での初めての勝利をものにしたのに、高松北は15人を満たせずに棄権することとなった。回戦を戦わせたかった。

 2024年度の大学推薦合格者が決まっているはずなのだが、情報を得ることができない。早稲田は数年前から発表することがなくなったし、誰が入学するのかは来年の3-4月にならないと分からないのであろう。いい人材が入学して欲しい。高校日本代表候補には早稲田実業からは誰も選ばれていないのが寂しい。

2023年12月25日月曜日

生命保険特約の保障金、早稲田は京産大に完敗(大敗)、文庫本3冊

 大腸ポリープ切除で生命保険特約の保障金5万円が振り込まれた。手術を受けた本人ではなく受取人である連れ合いの貯金通帳に振り込まれたことに、何かしら割り切れない気持ちもなきにあらず。もっとも生命保険は解約しない限り、死んでも本人が受け取るわけでもないから仕様がない。直接的に本人の利益になるわけではない。

 大学選手権、早稲田は年越しが出来なかった。対抗戦時の明治戦での負け方を思うと、また、昨年の1点差での勝利や決勝での大敗を思うと、今回の京産大戦では点差はどうでもいいから兎に角勝利をものにして欲しい、明治戦をもう一度見たいと希った。
 結果はスクラムではペナルティを取られ続け、接点でも押されっぱなし。さらに京産陣内でチャンスを迎えているラックでSH島本が視線を外に向け、その隙にボールを取られたシーンでは僅かにあった期待も消滅した。相手のN.o.8を止められないし、スクラムを組めば回されてペナルティを取られるし、まっすぐに組んでいても押されてしまい球出しができない。No.8松沼が早く出そうとしても出せない。相手陳内でのL/Oでもノットストレートはあるし、要はFWDで完全に負けている。身体の大きいFWDに対しては互角に戦えない。明治戦しかり、帝京戦しかり、京産大戦しかりである。清宮監督時代の強いFWDを思い出した。
 リザーブを含めた23人の中で4年生は9人なので、来季への繋がりはある。特に佐藤健次は変わらずにいパフォーマンスを出しているし、矢崎は素晴らしい。SH宮尾も来季で4年生。野中や松沼、栗田への期待も大きい。来季の主将は佐藤健次ヵ。

 <くわがきあゆ 『レモンと殺人鬼』(宝島社文庫、2023年)>:『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。狂気に満ちた人間たちが織りなす二転三転のストーリーという評価もあろうが、登場人物たちの設定を後出しで展開を図る物語構成には狡さを感じて好きになれない。道入部で期待させ、頁を進めるごとの後出しドタバタに小説としての破綻を感じ、もういいやっとなる。「このミス2024年版」ではベストの20ランク外、週刊文春では20位。この評価は理解できる。

 <杉井光 『世界でいちばん透きとおった物語』(新潮文庫、2023年)>:「このミス2024年版」の第8位(文春では第9位)。巻末の「A先生に捧げる」のA先生とは想像するに幻影城でデビューし、昔の一時よく読んだ泡坂妻夫ではなかろうか。
 亡くなったミステリー作家は鼻持ちならない父であって、彼が残した謎の「世界でいちばん透きとおった物語」なる遺稿を、主人公が女性編集者とともに探し求める。今までに読んだことがない構想のミステリー。

 <永井紗耶子 『絡繰り心中』(小学館時代小説文庫、2023年/初刊2010年)>:家を出て町に暮らした若き日の遠山金四郎。wikipediaで史実を調べて小説の物語に戻ることを何度か繰り返した。2010年のデビュー作であり出世作である本作品は、直木賞受賞を機に新装版として発刊されたもの。
 太田南畝の押付けで、金四郎は歌川国貞とともに花魁殺しの謎と犯人を探る。金四郎の複雑な家族状況も相俟って楽しめる江戸時代ミステリー。

2023年12月23日土曜日

運転免許認知機能検査

 22日、75歳眼前の認知機能検査を受けた。問題なく合格基準に達した。「時間の見当識」は何も覚える必要がないので、「手がかり再生」の検査について記しておこう。

 「手がかり再生」検査は、12個の絵を記憶し、「介入問題」(採点はなし)を経てから記憶した絵の名称を書き出すというもので、全部で4パターンがありその中から一つのパターンが出される。
 1パターンには4個の絵のブロックが4つ、合計16個の絵を記憶する必要がある。すなわち4パターンを合計すると64の絵が問題として存在する。
 結論からいうとこの64個の絵はすべて事前に覚えておいた。検査当日の2日前に検査内容を確認し、1パターンずつすべての絵を記憶することにし、何回か練習し記憶を固めた。

 絵を覚える方法をメモしておく。誰かがこのブログを見ることがあれば参考になるかもしれない。
 記憶する方法は各パターンで物語を作りそれを頭の中で情景として覚えること。日頃の妄想(想像)が役立っているような気がする。
 記憶する前提としては、各パターンに共通する規則があることを理解しておくと楽である。キーとしたのは各パターンの3番目にある身体の一部(耳・目・親指・足)で、これを核として物語(情景)を作った。以下、絵の名称はカギ括弧で括り、番号はその絵に付された番号である。実際には番号は絵の配置をイメージすることで覚えた。

 <パターンA>:キーは「耳③」-耳で聞く音をキーワードにした。
 ブロック1(①~④):「大砲①」が鳴り響く戦場で、「ラジオ④」から「オルガン②」の音が「耳③」に入って来た。映画“戦場のピアニスト”をイメージした。
 ブロック2(⑤~⑧):頭についた「てんとう虫)」がうっとうしい「ライオン⑥」が吠えた。その声を聞いて急いで「タケノコ⑦」を「フライパン⑧」で料理した。
 ブロック3(⑨~⑫):「スカート⑫」をはいた女性が、パンツが見えるのも構わずに「オートバイ⑩」に跨がって「ぶどう⑪」畑に行き、「ものさし⑨」で大きさを測っていた。
 ブロック4(⑬~⑯):「にわとり⑬」がコケコッコーと鳴いて、「ペンチ⑮」で棘を切り落とした「バラ⑭」を「ベッド⑯」に敷き詰めた。

 <パターンB>:キーは「目(③)」で、色をキーワードにした。
 ブロック1(①~④):黒いグルリの「ステレオ④」から聞こえてくる茶色の「太鼓②」の音が黒い「戦車①」の地響きのようで、思わず窓の外に「目③」を向けた。
 ブロック2(⑤~⑧):「やかん⑧」に水を入れて赤い「トマト⑦」の畑に行った。青空に「トンボ⑤」、草むらでは白「ウサギ⑥」が走り回っていた。
 ブロック3(⑨~⑫):黒い「万年筆⑨」と黄色い「レモン⑪」を「コート⑫」のポケットに入れて白い「飛行機⑩」に乗った。
 ブロック4(⑬~⑯):「カナヅチ⑮」で「机⑯」に釘を打ち、白黒の「ペンギン⑬」の置物と白い「ユリ⑭」の花を飾った。

 <パターンC>:キーは「親指(③)」で、指を使う道具や楽器を核とした。
 ブロック1(①~④):「親指③」で奏でる「琴②」の音が「電子レンジ④」のチンのような音を繰り返し、まるで指でトリガーを引く「機関銃①」の音のようだった。
 ブロック2(⑤~⑧):「セミ⑤」が鳴く夏の昼下がり、指で「なべ⑧」を持って台所に行き、「牛⑥」の肉と夏の「トウモロコシ⑦」を煮た。
 ブロック3(⑨~⑫):「はさみ⑨」を親指で動かして「ドレス⑫」を作っていたら、恋人からの「メロン⑪」が「トラック⑩」で届いた。
 ブロック4(⑬~⑯):「ドライバー⑮」を親指で回し、ぐらつく「椅子⑯」のネジを締めて座り、庭の「チューリップ⑭」と羽を広げた「クジャク⑬」を眺めた。

 <パターンD>:キーは「足(③)」。
 ブロック1(①~④):「アコーディオン②」のBGMが流れる4本足の「テレビ④」には、サムライが「刀①」を持ってなま「足③」で走っていた。打入りに遅れて走る堀部安兵衛ヵ。
 ブロック2(⑤~⑧):4本足の「馬⑥」の牧場にある木には6本足の「カブトムシ⑤」がとまり、家では愛する奥さんが「カボチャ⑦」を「包丁⑧」で切っていた。
 ブロック3(⑨~⑫):「パイナップル⑪」畑で「ヘリコプター⑩」を眺めて写生をしていたら、足にはいていた「ズボン⑫」を「筆⑨」で汚してしまった。
 ブロック4(⑬~⑯):「ソファー⑯」の足を「ノコギリ⑮」で切って高さ調整をしていると、外では「スズメ⑬」が細い2本足で「ひまわり⑭」に止まった。

 4パターンをまとめるとわかりやすい。

 当日の検査経過;
 検査費用を支払い、氏名と住所を紙に書き、テーブルに着き、タブレットと繋がった安っぽいヘッド本を装着。氏名と生年月日を記入し、注意事項などを聞いて検査開始。この日はパターンBが問題として出され、覚えた物語と情景を頭に入れる。数字を消す介入問題の後、記憶の中から絵をイメージし、名称を書き始めた。タブレットでの文字記入はやりにくいので漢字は書かないですべて平仮名と片仮名にした。書き始めて暫くすると合格ラインに達したので終了する旨の表示がなされ、タブレットから表示が消えた。余りにも早いので手を上げて確認したら合格なので終了ですと言われ、外に出て書類を渡されて終わってしまった。満点をとるつもりでいたのに、と言ったら係員の人が言うには、以前は点数をつけていたが、今は合格ラインに達すると即時終了となっているとのことだった。
 検査を実施していた実時間は10分にも満たなかったと思う。64個の絵は今でも明示できるので余りにも早い終了で何かしら物足りなさも感じた。これは己惚れヵ。

2023年12月19日火曜日

迷子となる、大腸ポリープ切除の続き、スマホ機種変更でのトラブル

 9日、高校同窓11人が集まり上野で飲む。“みはし”で餡蜜を買ってからの記憶が斑状。乗り越しもせずにちゃんと帰ってきたが、帰宅後に娘と息子に餡蜜を配って歩いていたら、息子の家に向かう途中で道に迷い、長時間さ迷う。徒歩で10数分ほどの距離だが曲がる道を一本間違ったようである。息子が娘の連絡を受けて救助に来てくれた。自分に何回も言い聞かすことになるが、酒量を抑えねばならない。

 大腸ポリープ切除の生体検査結果を聞きに病院に行った。5箇所切除したなかで、S状結腸にあった8mmのポリープに癌があるようなないような、顕微鏡で見るのだが小さくて判断がつかないとの検査結果がきていると言われた。来年の春から夏にかけてまた検査することになった。
 そういえば9日に友人の一人が近々3cmの大腸ポリープを切除する予定と言っていた。大きさに驚いた。何事もなければいいのだが。

 28日の間隔をあけての定例の通院。問診と聴診器診察そして薬の処方箋をもらうだけ。心音に軽い雑音-S状中核-がある、肺はきれいな音というのもいつものこと。定期的に頸動脈エコーと心臓エコーの検査をやりましょうと言われるのもいつものこと。次回は血液採取か。

 スマホの機種変更。8年間も使用したスマホを買い換えた。前回と同じく連れ合いとは同じ機種の色違い。今後はもう買い換えることもなかろうということでハイグレードのGoogle Pixel 8 Proをオンラインショップで購入。
 しかし、連れ合いの購入手続きで支払いが出来ないトラブルが発生。支払いが出来ないときのau側のweb上でのメッセージは「カードが3Dセキュアに登録されていない」との文言。そのカードはネット支払いに使用したことがないので良く理解できないままにカード会社に連絡すると、登録はしてあるとの簡潔明瞭な返答で支払いが出来ないことはあり得ないと言う。再度auに電話を入れるとカードのことは何も知ることは出来ないと言う。これは当然のことで再度カード会社に連絡すると今度はまともな(?)担当者が調べてくれてロックがかかっていることが分かった。色々とこちらの素性確認を繰り返し、やっとロック解除をしてくれ、数時間を要して支払い手続きが出来た。一方、自分の支払いはスムーズに終えることが出来た。この差異はどこから生じるのであろうか。
 数ヶ月前に娘の長男の大学入学祝いでスマホを購入したときは自分のカードにロックがかかった。でもこのときはApple側のメールの文言が適切であったし、カード会社の対応も簡単に終えることができた。今回はauのweb上の文言が「3Dセキュアに登録されていない」という的外れの不適切なものであり、せめて「カード会社からの支払いが拒否されている」という文言であるならばもっと早く対処できたと思う。また、カード会社の不具合対応も最初は不具合を理解できていない人だったようである。これらが重なって、そして自分の知識不足もあって、解決までに長時間を要した。まったくもう~と言いたくなる。

2023年12月7日木曜日

1週間ぶりに酔う。志水辰夫と高橋揆一郎の小説

 息子一家と長女の娘が来て久しぶりの賑やかさ。 AKAI EWI SOLOを演奏しPCに保存してある曲を息子の嫁さんに強制的に聴かせる。気遣いと忖度もあるのだろう、オレの演奏を賞めてくれるのは彼女だけ。連れ合いにいたってはお金をくれるならば聞いてあげるという姿勢だし、息子と娘の長女はほーっと言うだけだし、息子の娘は他の曲がいいと言い張る。そりゃそうだろう、60年近く前の曲はあるし、一番新しいものでも20年以上も前という古さであるし、中には全くヒットしていない曲もあるのだから。
 1週間ぶりに身体の中にアルコールを流し込んだ。息子持参の酒精もあり、ビール、日本酒、ウィスキー、泡盛と飲む種類はバラエティーに富むがどれも過度には飲まずにいた。が睡魔が襲ってきていつもりずっと早い時刻の22時ちょっと過ぎには着替えもせずにベッドに転がった。ために4時頃には目が覚めてしまった。しばしぼんやりと妄想に漬り、その後は外はまだ暗い中で本を読み続けた。

 <志水辰夫 『負けくらべ』(小学館、2023年)>:「19年振りの現代長編」と謳われており、オレにとっては18年振りとなる現代長編であり、4年振りの長編小説で、39冊目となる。シミタツ健在という感あり。このような物語構成を良くも考えるものではある。86歳でもかように柔軟な思考力・想像力・感性を持ちたいと強く思う。

 <高橋揆一郎 『伸予』(文藝春秋、1978年)>:45年前に発刊された額面780円の芥川賞受賞の小説をメルカリにて1200円で購入。もうすぐに50歳になろうかともいう元中学校教師の未亡人が、女学校を出て教師に成り立ての頃、新制中学3年の善吉に特別の想いを抱いていた。親の言うままに実直な男と結婚をし、3人の子をなし、長男と長女は他地で家庭を持ち子供もいる。孫もいる初老-50歳になっていない人を初老と呼ぶには現在の感覚では残酷な気もする-の伸予は24歳の次男と同居している。
 30年以上の空白を経て伸予はかつての5歳下の教え子である善吉と再会し、彼との再会を喜び、逢瀬に心弾ませる。一度だけ、下半身だけを露して身体を重ねる。善吉が行方知らずとなってから己の身体に老醜を見る。少年の顔を形作っている彫金に火と鏨を向けて形を抉り、「少年の目をつぶしながら伸予は声に出して「おとうさぁん」といった。「かんにんしてよぉ、もうしないから」 ぽたぽた涙を落としながら。少年の鼻を削り、口をそいでいった」。この最後の文章が秀逸。45年前の現代小説はその小説作法に古臭さを感じさせる。また、伸予が教え子に想いを抱く心境、夫や3人の子に向き合う視線が描き切れておらず、伸予という女性に共感は得られず、この小説に物足りなさを覚えた。
 一緒に収められている「ぽぷらと軍神」「清吉の暦」は読まずに済ませた。

2023年12月6日水曜日

漫画三昧

 漫画(マンガ?)を続けて読む。まずは「レコード」という言葉に惹かれて毛塚了一郎の『音盤レコード』シリーズを購入し、まだ読まないうちに作者の先の作品『音街レコード』シリーズを2冊手に入れて先にこちらの方を読んだ。絵も好きだが音楽に満ちあふれたストーリーも好きである。ただ出てくる音楽が全てロックであり、ケルト音楽やクラシック、ジャズなどの広がりに欠けているのが不満でもある。が、やはりこの「レコード」シリーズは楽しめる。
 海賊放送の、北海でロックやポップスを放送していたRadio Carolineを思い出した。Radio CarolineをタイトルにつけたCDセットを持っていることから、これをモデルにしたであろうストーリーが最も印象深い。
 『竜女戦記』は6巻目。登場人物といままでの流れを忘れかけており、物語の展開を理解するのに時間がかかる。

 読んだのは以下。 <毛塚了一郎 『音街レコードA面』(KADOKAWA、2023年)><毛塚了一郎 『音街レコードB面』(KADOKAWA、2023年)<毛塚了一郎 『音盤レコード①』(KADOKAWA、2022年)><毛塚了一郎 『音盤レコード②』(KADOKAWA、2023年) <都留泰作 『竜女戦記 6』(平凡社、2023年)>

2023年12月1日金曜日

大腸ポリープ切除、ミステリー1冊

 30年前の1993年、人間ドックで血便が検出され、池袋の病院にて大腸内視鏡検査をし、ポリープがあるとのことで一日入院して、多分5箇所だったと思うが切除した。多数あるので1年後にまた切除しましょうとのことで翌1994年にまたも4~5箇所ほど切除した。
 それから暫くは何もなかったが、人間ドックの結果を受けて2016年に内視鏡検査を行った。3mmほどのポリープはあるが切除するほどではないので数年後にでも再検査しましょうと言われた。2018年の再検査では進行していないので切除するほどでもないと判断された。その際小さなポリープ状が確認できるがこれは体質なのでしょうねとも言われていた。
 その後コロナ禍になったこともあって人間ドックに行かなくなり、すなわち血便等の検査も何もすることなく、内視鏡検査をする気持ちにもならず、今になってやっとすぐ近くの消化器内科の病院に検査を予約した。そして5回目の内視鏡検査の今回は5箇所のポリープを切除することとなってしまった。多数のポリープがあったので念のために1年後にも検査をしましょうとのこと。明年の年末には6回目の検査となる。今回の切除ポリープの生体検査の結果を聞くのは2週間後になる。

 大腸内視鏡検査の過程のなかで大幅に体重を減じることができている。検査前日の食事は病院から購入したものであり一日中空腹となる。検査当日は夕方まで絶食となり、その後はやはり病院から提供されたもので3ステップの食事が用意された。しかしあまりの空腹で就寝前までに全て食べてしまった。そういえば最初にポリープ切除した30年前のときは23時頃に病院を抜け出して近くのコンビニでサンドイッチを買っていた。
 検査翌日も消化の良いものを食べているし、禁酒していて余計なものは食べないし、体重は下がったままである。月曜日に検査をして金曜日となった今日は検査2日前の体重より2.3kg低い数値となっている。7日移動平均でも約1kgの減少となっている。大腸内視鏡検査とポリープ切除は効果的なダイエットであることは間違いない。これから徐々に元に戻っていくのだろうけれど、その過程を楽しむこととする。

 <荒木あかね 『ちぎれた鎖と光の切れ端』(講談社、2023年)>:「ちぎれた鎖」が第一部にあたる。世間からの通信手段もない熊本の無人の孤島で友人たちを殺そうと樋藤は計画していた。が、自分以外の人間が次々と殺されていく。最初に殺された一人は舌を切り取られ、次からは死体の第一発見者が殺され続ける。8人のうち6人が殺される。世間と遮断された、いわば大きな密室とも言うべき孤島の設定、殺人を計画する動機、殺人の手段等々、都合の良い設定に無理があるとは思ったが、それはこのミステリーの謎ときを展開するための方法であると捉えれば良しと感じた。連続する異常なミステリー構成に日常的な常識論を対比させても意味がないのだから。
 「光の切れ端」は第二部にあたる。第一部からの連続性の中に希望と前向きな状況を設定している。相変わらず殺人の動機に、日常的常識をもちこんでも意味がないのであって、そんなことは横に放って読み続け、楽しめた。キャラクターの設定も安易であると思えども、そもそもそれはこの非日常的な、絶対にあり得ない連続殺人を構成するためであると割り切れる。殺人と謎ときと人物の配置、そして登場人物たちの行動動機の創造性というか技巧性に感心した。

2023年11月21日火曜日

EWIでの録音

 ポップスの、ヴォーカルをカットした曲に合わせてメインメロディーをEWIで演奏し、PCに録音する。ほぼ毎日そのための練習を繰り返している。海外のポップスから国内の曲まで、楽譜を作り、ヴォーカルをカットしてバッキングを作り、EWIの音とバッキングをミックスして録音する。録音にいたるまでのステップ概要は以下。EWIはAKAI EWI SOLO。

 ① 曲を選ぶ。車の中で流す音楽が気に入ったり、歌本の中から選んだり、一番多いのは記憶のj中にある曲。大体は古い曲。
 ② 楽譜を作る。原曲は歌本から拾ったり、YouTubeからコピーしたり、ネットで購入したり、レアでスコアが見つからない場合は耳コピをする。楽譜はMuseScoreで作る。 楽譜を作る目的は主に二つ。一つはMuseScoreで移調を容易にするため-G調にすることが多い。もう一つは、運指がスムーズに行かない場合に、作った楽譜を画像に落とし込んでフィンガリングの図を貼り付けるため。
 ③ 原曲からヴォーカルをカットしたバッキング(カラオケ)の曲を作る。前はNeiroを利用していたが、今はCyberLinkのAudioDirectorを使用。曲によっては完全にヴォーカルを取り切れないこともあり、場合によっては諦めることもある。
 ④ EWIのプログラム(音色)を選ぶ。EWIのエフェクターは使用しない。
 ⑤ 外部エフェクター(ZOOM A1X FOUR)のプログラムを選ぶ。今は未使用のエフェクターも将来的にはシリアルに繋ぐかもしれない(Harmonizerや古いBOSS ME-20/20B)。
 ⑥ AG06にインプットするPCからのバッキング入力レベルを決める。同時にEWIの入力レベルも決める。場合によってはAG069のエフェクターを利用する。
 ⑦ PCからのバッキングとEWIをミックスさせてPCにて録音する。アプリはAudacity。
 ⑧ 録音したものの確認とノーマライズ。Mp3でPCに保存。

 口で歌うのとは違ってバッキングに合わせて楽器を演奏するのは難しい。何度も何度も練習を繰り返すこととなる。嫌になるほど繰り返す。でも味も素っ気もないレッスン曲で練習するよりは効果があるだろう。本音を言えば、素敵な若い女性の先生にレッスンを受けたいのだが(例えば荒川マナさんのような)。
 左手小指が言うことを聞かなくなって殆ど触ることもなくなってしまったが、ギター(エレキとアコースティック)、エレキベース、バンジョー、ハーモニカ等も演奏してEWIと重ね録音できればサイコーなのだがそれは実現しない夢。実現しない努力はムダと呼ぶからこれらの楽器は練習もしない。
 
 現在まで10曲を作った。曲名に続くアンダーバー以降の名前は彼等/彼女等らの曲からヴォーカルを取り除いてバッキングを作っていることを示す。
  Sing Our Song Together_Mari Nakamoto、コーラが少し_高木麻早、
  涙そうそう-夏川りみ、PRIDE_今井美樹、青い世界_ノイズ・ハミング、
  サボテンの花_財津和夫、甜密密_Aliz (erhu)、甜密密_Aliz (mono-edge)、
  月亮代表我的心_鄧麗君
 いずれ演奏技術が上達したら-しないかもしれないが-録音をやり直すことも念頭に置いている。

2023年11月14日火曜日

雑記

 180mlのとらふくひれ酒を24本も注文し、届いたその日に早速飲んでみたら嵌まってしまった。続けて2本を飲み、翌日はまたもや続けて2本飲んだ。昔(今もヵ)ワンカップ大関なる酒があって、その雰囲気に浸るがごとくに昼酒をやり、1本では物足りず2本を飲めば少しはほろ酔い気分になり気持ちよくなる。この酒が残り少なくなったら今度は岩魚の骨酒を楽しみたい。

 録画したテレビドラマ「下剋上球児」を見ていたら、懐かしい「あいすまんじゅう」が映っていた。急に食べたくなり、翌日にスーパー2店に行くも売っていない。諦めかけていたら数日後に別のスーパーにおいてあった。思わず5本入りを2箱買った。何年かぶりに味わう「あいすまんじゅう」は美味かった。ネットで確認したらいくつもの,メーカーがあるらしい。主力はどれなのか分からないがまずは現状で満足。

 急に寒くなってきた。ベッドのつくりを冬用にし、自室のデスク下にも小さなストーブを置き、さらにはリビングにもストーブを出した。もうすぐに12月となり季節の移ろいの早さを感じ入る。
 
 連れ合いの友人二人が春日部まで来てくれた。二人とも中学時代からの付き合いで写真では何度も見ているので初めて会う感じはせず、駅前で会ったときも昔からの知り合いという心地だった。が、何年も前の写真でしか知らなかったので二人とも老いたというか70才過ぎの女性という印象が強かった。彼女たちと連れ合いは4年ぶりくらいに会い、約一月後の旅行まで決めていた。
 それから暫くしたら今度は別の友人と会うこととなり、彼女も春日部に来てくれた。その友人とは自分が連れ合いと出会ったときに知り合いとなっており、痩せたせいもあったのかやはり老いたという印象があった。連れ合いも、彼女の友人たちも自分と同学年であり、傍目から見れば、我が身も、哀しいことに、老人の空気を醸し出しているのであろう。

 野菜カッターでキャベツの千切りを作っていたら親指をスライスしかけた。かなり切ってしまい血がたくさん流れ出た。先日は連れ合いも同じように親指を切ってしまい、このカッターのセットは廃棄することとした。カッターを手に持って切るタイプではなく、固定した歯の上で野菜を動かすものなので危ない。もう使わないこととした。同じ時期に同じ道具でもって二人で親指を切るなんて二人とも集中力が欠けてきた証しなのであろう。安全と思える道具を発注した。

2023年11月10日金曜日

ラグビー、駅伝、詐欺まがい、幾冊かの本

 早稲田vs帝京のラグビー、予想通りの負けだが、21(3T3G)-36(5T4G1PG)は予想よりも善戦だった。残り時間10分での2Tで突き放された。特に最後の帝京のトライは帝京陳内での早稲田のミスに対応した帝京の大外へのキックで一気に決められ、上手いと感じた。
 SH宮尾は怪我なのか春の帝京戦(6月)以降ずっと出ていなく、島本が固定している。
 スタンディングメンバーの大幅入れ替えに驚いた。SOは久富で野中はSOからCTBにまわり、伊藤がFB、それまでFBで出続けていた矢崎は左WTBで、HOの控えだった安恒の左FLは意外であった。安恒はこの日のMIP(Most Impressive Player)。粟田が途中出場で復帰した。

 全日本駅伝、シード権争いになると思われたが1区は僅差で2位になり上位の期待が高まり、3区までは3位であった。そしてここからは徐々に落ちていくだろうと悪い予想が頭に浮かび、結果その通りとなり7区ではシード権最後尾の8位、しかも3校が固まっているのでシード権は難しいと感じ、結局はシード権を失う10位。来季は予選会からの戦いとなる。それにしても駒澤大学は強い。

 インフルエンザの予防接種、その後7回目のコロナ・ワクチンの予防接種。今後も毎年この接種が続くのであろうか。

 夜、工事をやっている若い人からのチャイムがあり、近所で異臭のクレームがありその確認とお詫びにうかがいましたとのこと。玄関に出てそのような異臭はないと伝え、状況を聞いていたらもう一人の人が来て話を聞いた。が、徐々に怪しげな感じがしてきてこちらのことを聞かれても曖昧な返事をしていた。どうも屋根の辺りに気がかりがあるので明日梯子を持ってきて確認しましょうと言いたいようであった。丁重に断りを入れ退散してもらったが、家の人間を玄関先まで引っ張り出し、夜間の暗い中で確認できないことをいいことに不安を醸しだし、詐欺まがいの工事確認をする行為だったと思う。
 翌朝あらためて近くを見たが工事などどこもやっておらず、すべて嘘だったようである。こうやって夜間に住宅街をまわり、詐欺まがいに引っ掛かることを狙っているのだろう。まずは玄関先に家の人間を引っ張り出すことに主眼を置き、その次には柔らかいトークで相手の不安を少しばかりあおり、費用を出されるという脚本に基づいた演技であろう。いろいろ考えるものではある。

 運転免許センターより認知機能検査の通知はがきが来た。自分の年齢を改めて知ることになったが、少しイヤナ気分というか、微かな動揺も感じた。

 <適菜収 『安倍晋三の正体』(詳伝社新書、2023年)>:中途半端に弁が立ち、思い込みが強く、自分が正しいとの自己陶酔に入っていて、漢字の読み間違いはあるけれど恥を感じおることはない、そのような人間が上に立つと碌なことはない。一言で言えば安倍は(も)嫌いだが、問題の根本は安倍ではなく、そのような人間をトップにいただく選挙システム、取り巻く人々の浅い思考力と馴れ合い。広義の意味でも狭義の意味でも組織のありようである。勤めていた頃にも類似したことは多く見聞きした。そして今でも、色々な場面で見聞きする。

 <永井義雄・はしもとみつお 『不便ですてきな江戸の町 ①』(リイド社、2023年)>:現在と文政8(1825年)頃をタイムスリップで行き来する。永井さんの著作を漫画にしたもので楽しめる。

 <永井義雄 『ご隠居同心 女湯の喧嘩』(角川文庫、2023年)>:シリーズ第2弾。永井さんの『秘剣の名医』や他の小説からの印象を比べると、どうしても本書はやっつけ仕事っぽい感じがしてならない。編集者のせいなのであろうか。

 <永井義雄 『秘剣の名医〈15〉蘭方検死医 沢村伊織』(コスミック・時代文庫、2023年)>:奇妙な殺しの謎を詭計で解き明かす。今回は仕込み杖を使う場面はなく、長屋の人や岡っ引き、事件の当事者などとの交流が描かれる。伊織の連れ合いであるお繁の場面をもうちょっと増やしてもらいたいと思う。
 永井義雄さんの本の読書数が75冊となり、トップの数値となった。

2023年10月27日金曜日

インターネット接続とトイレの不具合、カード支払い拒否、何冊かの本

 インターネットが急に不具合を起こした。家の内だけのローカルLANはOKなのだが外部とは一切繋がらない。モデムやルータの電源オン・オフで通常は復旧するのだがそれもダメ。はたと気づいたのがルータのモデム接続がアクティブになっていないこと。ブロバイダーに原因があるかとも思ったがCATVは正常だし、やはり家の中の装置かと思い、ルータのリセットをしたら復旧した。何故なのか根本的原因は不明で追求しようもない。ネットが繋がらないという状況が人間生活を支配しているようで何かしら厭な気持ちにもなる。

 その数日後、今度は1Fトイレの便座の暖房が効かなくなった。他の機能は正常なので、断線などの類いの故障だと修復できると思い分解して調査。結局は断線も配線接続も異常なく、着座スイッチも正常。こうなると手に負えない。この便座は8年ほど前に自分で交換設置したもので、今回は何かしら暖房に関る制御基板などがダメになってしまった様である。故障修理は最低でも21,000円、もしかしたら30,00円前後、あるいはそれ以上の費用がかかるかもしれない。使用年数が長くなっていることもあり新規購入で交換することとした。現設備では使用していない機能もあるし、2Fのトイレは機能を絞っていることもあり、リテール向け商品を対象に機能を選択し、ネットの最安値の店に発注。4万円少し超は予想よりも安くついた。

 その翌日、ある大手のオンラインショップへの支払いがカード会社に拒否されているとのメールが入った。日常的に使用しているカードでこんなことは初めて。長女の子供へのプレゼントを購入したもので、webにて一旦支払いの更新をしたが翌日には同じく支払い拒否のメールが来た。カード会社に連絡を入れたら自動的にセキュリティが働き該当ショップへの支払いがロックされているとのこと。間違いなく購入していること、その金額も知らせ、当然の如くこちらの詳細確認もされ、結局はロック解除をし小てもらい、午後には間違いなく支払われたことをショップのwebで確認できた。

 悪いことは重なって生じる。これもマーフィーの法則に則っているのだろうか。

 <永井紗耶子 『とわの文様』(角川文庫、2023年)>:金泥の紋のある黒漆の拵えの懐刀が花喰鳥の描かれた袋に入っていて、それが入れられた背負子には幾重にも布や面が敷き詰められ、金糸で刺繍が施された錦の掛け着に包まれた、絹織物をまとった赤子が鳴いていて、そこには「常葉屋のお届け申し度し候」との一文があった。赤子の産着は艶やかな絹で七宝の地紋であった。それは永久を祈る文様である。母となる店の主・吉右衛門は赤子に十和-とわ-と名付け、妻の律と実子利一とともに家族として育てている。そして16歳ほどに成長し、料理等の家事は不得手だが体術に卓れている。
 律は理由も分からずに舟から落ちて(それも定かではないが)行方知らずとなる。
 利一の幼なじみで同心の田辺勇三郎、隠密なのかもしれない佐助らの助けも借りて、とわと利一は困りごとの渦中にある女たちを応援し助ける。「麻の葉の文様」「蜘蛛の文様」「更紗の文様」の3話が小気味よく、情け深く、ほんわりと語られる。シリーズものになるであろう、でなければ失踪した律の展開が進まない。
 『木挽町のあだ討ち』で永井沙弥子さんが好きになり、この文庫書き下ろしが2作目。永井義雄さんとともに二人の永井さんは好きな作家。

 <青柳碧人 『浜村渚の計算ノート 10冊目』(講談社文庫、2023年)>:サブタイトルに「ラ・ラ・ラ・ラマヌジャン」。マヌジャンはインド出身の数学者で、渡英して体調を崩しインドに帰国後に夭逝した。名前は知っていたがこの人をモチーフにした小説とは知らずに購入して失敗。数学を題材にした若者向けの小説と思い、よく確認もせず、10冊目のシリーズとも知らずに買ってしまったが、読み始めて後悔。肌に合わない。この内容ならば数学史の本や公式集などを読んだ方が面白い。流し読みしてお終い。

 <三上幸四郎 『蒼天の鳥』(講談社、2023年)>:69th江戸川乱歩賞受賞、貫井徳郎以外の4名の選者が高評価。
 時は大正13(1924)年、所は鳥取県浜村(現鳥取市)、作者は鳥取県出身の脚本家(「名探偵コナン」「特命係長 只野仁」「特捜9」など)で、本書からは「名探偵コナン」風の空気が充満する。
 実在した人物が登場する。田中古代子・千鳥の母子(古代子の母親も)、古代子の内縁の夫の涌島義博、尾崎翠。
 活動写真「凶賊ジゴマ」は大正時代を彷彿とさせ、自分の両親はこの頃に生まれていたのかと、感じるはずもないノスタルジーっぽい気持ちが滲み出た。

2023年10月14日土曜日

雑記

 藤井さんが8冠、全タイトル獲得となった。1分将棋での大逆転。その大逆転の内容を知りたくてYouTubeで何度も解説を見た。
 小学校入学前から将棋のルールは知っていたし、一時は詰め将棋や定跡のテキストを買ってみたことはあるが、せいぜい7手か9手詰めの詰め将棋しか打てない我が身とすれば、プロの棋譜は異次元の世界でしかない。

 49回目の結婚記念日、人生の2/3を連れ合いと暮らしている。

 箱根駅伝予選会、今回は100回記念で例年より3校増えて123校が予選通過となり、また、関東のみならず全国の大学参加となった。が、結局は関東の大学のみが通過となった。
 予選通過ボーダーライン前後の戦いが面白い。今回は3秒差で東京国際大学が予選通過とならなかった。トップグループを走っていた留学生の転倒がなければ確実に予選通過となったであろう。

 最近になって5000歩強のウォーキングを再開した。独りで歩くと折り返し点付近にある書店に寄ってしまい、ついつい本を買ってしまう。そうでなくともネットで買う本も増えつつあり、積ん読状態が悪化している。他にもやりたいこと、やるべきことがあるので自律しなければいかないがなかなかコントロールできないでいる。そう思いながらの毎日が続いている。

 <新井すみこ 『気になっている人が男じゃなかった 1』(KADOKAWA、2023年)>:女性のマンガは絵が好きじゃない、ストーリーが10代の女性向けのような気がした。でも評判が良さそうだし、最近のマンガはどんなんだろう、なんて思って衝動的に買ってしまった。で、買わなければ良かった、読むだけオレには無駄な時間だったと感じた一冊。

 <大野芳 『天皇は暗殺されたのか』(二見文庫、2019年/初刊2011年増補改訂)>:サブタイトルは「150年後に明かされる明治維新の真相と南朝の闇」。書名と内容がちょいと離れていて、明治維新のいろいろな出来事を表層的に羅列している。途中で倦きてきて斜め読みとなった。

2023年10月9日月曜日

北千住、バレーボール、ラグビー

 6月30日以来の北千住。TaHiとSuJuとで痛飲。この6日は金曜日、昼から多くの老人たちが飲んでいる。独りで飲んでいる人もいて、誰とも喋ることなくグラスを口に運ぶ姿が枯れ木も山の賑わいといった風情で好きになる。夕方になると店内に若い人たちが多くなりうるさい。

 バレーボール男子パリ五輪予選の最終戦はプール内無敗のアメリカとの戦い。五輪出場を決めた後なのであろう日本は控えの選手が先発に登場した。フルセットの楽しめた試合で、日本バレーの層の厚さが感じられた。

 同日のラグビーW杯はアルゼンチンとの戦い。勝った方がベスト8となり決勝Tに進む。キックオフ後2分も経たないうちにアルゼンチンが鮮やかなトライ。その後日本が追いかけ、一時は1点差、2点差まで追いつくが逆転することはなかった。前半途中で日本もトライを奪うが、アルゼンチンの絵に描いたようなトライとは異なりラッキーな流れの中でようやく取れているとの感が強い。但しSH斎藤のトライは素晴らしかった。SO松田のプレースキックにも魅せられた。
 前半途中までの試合運びで日本が勝利するとは予想できなかった。なぜなら接点でアルゼンチンは日本を圧倒しているし、フィジカルの強さが目立ち、日本が懸命に対応するも外に振られるともう対処できなくなっていた。日本の粘り強さでアルゼンチンは後半に疲れてくるのかと思ったが逆だった。フィジカルの強さだけではなく接点への絡みも日本は遅れている。日本に何が足りないのかよく分からないが、コリジョンでの強化だけでなく、接点に絡んでいくスピードを併せ持たないと日本ラグビーはより上の領域には入れないと感じた。SH斎藤は代表からは外せないし、SO松田のプレースキックも素晴らしかった。

 大学ラグビー、以前より気持ちが入り込まない。関東対抗では帝京>明治>早稲田>筑波>慶応の順となるヵ。関西では同志社が相変わらずパッとせず3試合を終えてまだ勝利がない。昔の大学選手権に出ていたときの頃が懐かしい。

2023年9月29日金曜日

エアコンクリーニング、EWI、文庫本

 リビングのエアコンの掃除を結構丁寧に行ったが、2日後になってまだ黒っぽい汚れが吹き出されることが気になり、二度目の清掃を行った。
 送風ファンのフィンの汚れが原因と思い、今回は前回よりも分解箇所を多くした。本来はファンも取り外したいのだが、少し無理な作業が必要となり、誤作業回避のためにそれは諦めて外装カバーを取り外すに止め、ファンを極力露出させて強力なスティームクリーナーでしつこく清掃した。ファンを取り外せれば簡単に清掃できるのだが、取付けたままではなかなか面倒で時間を要した。約3時間強の作業。これで汚れが外に出るのならもうその状態に付き合っていくしかないと覚悟した。結果、汚れが吹き出されることはなくなった。ファンへの10数年間の汚れは半端じゃなかったが、分解-清掃が好きなので、汚れをクリーニングする過程は楽しめる。作業終了後のシャワーとビールが心地よかったのはいうまでもない。

 AKAI EWIではじめて宅録をした。録音をするという行為に緊張感があるのか、たかが3分程度の演奏でも途中で運指を間違ったりして何度も録音することとなった。テークを重ねまあ良かろうと思う演奏の録音を聞くと自分のレベルの低さを思い知ることとなる。
 カラオケや楽譜は相当数準備してあるので、今後演奏曲を増やすことにし録音ファイルをPCに保存するのが当面の目的である。
 EWIでのサウンド選択、マルチエフェクターでのプリセット選択/セッティングなどまたもやのめり込むこととなろう。

 <宮嶋勲 『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(日経ビジネス人文庫、2018年/初刊2015年)>:ここに描かれているイタリア人の生活様式には到底馴染めないし、もし加わったとしたら強いストレスを感じることになるであろう。順番に物事を準備して行動すること、一度に複数のことを処理する、時間を守る、等々ができない(しない)彼等の環境にはとてもじゃないが身を浸したくはない。
 イタリアへのパック旅行を通して思い出すのは、楽しいことも沢山あったが、最初に浮かぶのはカプリ島でケーブルカーを待つ間の若者たちの賑やかなことうるさいこと、レストランでのスタッフの雑な接客等々。

2023年9月23日土曜日

雑記、文庫本2冊

 BM(Big Motor)が連日ニュースサイトに出ている。BM、思い出すのはベンチマーク、某企業に勤めていた頃はBMと称していた。基準点・水準点としての反語的な意味合いでBig MotorはベンチマークのBMとして活用できるかも。

 ジャニーズ。BBCが問題にして世界に発信してから日本国内でニュースになる。いろんな意味での日本の文化を思い知る。端的な言い方をすると、日本という組織の集団浅慮というものなのであろう。
 相似的な事象は幾らでも見つけることが出来る。

 Bloggerでブログを作っているが、突如ヘッダー画像が表示されなくなった。二つのブログの一つだけに不具合が出て、現象はPCには無関係に出る。正常なものと不具合がでるものを比較し、不具合のある箇所は解明した。が、それが何故なのかは分からない。正常な方のヘッダー画像URLを貼り付けると画像は表示されるが、表示画像をPCからアップロードすると不具合が繰り返され、結局は画像変更ができない。ということで二つのブログのヘッダー画像を同じものとするしか今は方法がない。どうも不具合はBloggerとGoogleそのものにあるようなのだが解決手段が分からない。

 <森達也 『虐殺のスイッチ』(ちくま文庫、2023年/初刊2018年加筆修正)>:主題は「なぜ人は優しいままで人を大量に殺せるのか」、そして、「凶悪で残虐な人たちが善良な人たちを殺せるのではない。普通の人が普通の人を殺すのだ」、そう思う。残虐性は誰もが内在させて普通は表に出ないだけである。
 「記憶する力が絶望的なほどに弱」く、「むしろ忌避して」いて、「過去に自分たちがアジアに対して加害した歴史を躍起になって否定しようと」し、関東大震災の時の朝鮮人虐殺(間違えられた日本人も含む)に対して虐殺した記録がないと虚言を口にする政治家。匿名でねじ曲がった正義を主張し、「私」ではなく「我々」を主語にする人たち。そういった中で自分はどうあるべきかと考えるしかない現実はやはり絶望的な状況である。勤めていたときにも何度か感じた、組織化=集団化すると、人は思考停止=集団浅慮に陥り、個を喪失してしまう。愚か。

 <奥野克巳 『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(新潮文庫、2023/初刊2018年)>:ボルネオに居住する狩猟採集民プナン。当所原始社会の中でいわゆる文明の利器もない暮らしをする民と予想していたが、そんなことはない学校がある(行かない)、車もある(免許はない)、スマホもある(エロ動画を見る)。しかし、反省や謝罪、負債の概念がない。自然のなかで存在をそのままに受容し生きている。こういう世界があることに驚く。何が幸福か、幸福とは何か、なんて思いを巡らすこと自体がないのであろう。翻って現代社会に目を向けるとなにもかもも意味をなさない、価値のない、人間の愚かな行動だとも思える。

2023年9月17日日曜日

エアコンの故障、隣家の親切、待つことの状況

 2F自室のエアコンが故障した。機能稼働を示すLED表示が異常になり、電源プラグの取り外し取り付けを行っても変化なく、冷房もできず送風機になってしまう。18年前に購入設置したものだからよくぞここまで使い続けたものだと思うのが正常な感覚であろう。

 故障(10日)の翌日量販店2店をまわり新規エアコンを検討し、購入を決めた。工事は2日後。
 ところが工事担当者が来て室外機の場所を確認したら、梯子が適正な角度で立てることができないので作業が出来ないという。安全上梯子の設置角度が決められているらしい。隣家の庭にあるものを移動してもらい、立ち入りの許可を取るように求められた。その隣家とは家の前で顔を合わせれば挨拶をする程度で付き合いはない。ましてお願いすることは庭にあるものをこちらの都合で移動してもらうこと、隣家にとってはただただ迷惑なことでしかない。ましてそのモノというのが、自転車・物入れ・自動車タイヤであり、単にちょっとしたモノを脇にどければいいという事ではない。
 販売店ではエアコンの室外機・室内機の設置状況を写真で確認しているのに、かなり落胆した。隣家が対応してくれない場合の手段も検討した。

 18時半頃に隣家駐車場に車があることを確認してチャイムを鳴らした。奥さん-30歳代半ばヵ-に事情を話すとこちらの気持ちを汲んでくれた。重いので私には無理なので旦那さんにやってもらうが、今日は帰宅が遅くなるけど早いほうがいいですよね、と親切だった。電話番号を書いたメモを手渡し、勝手なことをお願いして申し訳ないと繰り返した。
 21時にスマホが鳴り、隣家の奥さんが対処したのでこれでいいのか確認してくださいとおっしゃる。早いほうがいいと思って帰宅した旦那さんにすぐにやってもらったとのこと。こんなにも早く、きちんと対応してくださり恐縮するばかりだった。ただただ感謝、感謝。夫婦関係が良くなければこうも円滑にことは進まないであろうと思い尚更に有り難さを感じた。

 翌日、購入した量販店に電話するも、購入時に担当した店長は休暇で、代わりの担当者は電話に出ず、折り返しの電話も来ず、しようがないので前日の工事担当者に連絡を入れ相談した。こちらの事情を理解してくれ、店の方にも連絡を入れてくださるとのこと。時間が経ってから販売店から連絡が入ったが、工事は16日になってしまうとのこと。ここで久しぶりに怒りを覚えた。そもそも購入時には販売担当者にエアコン設置場所の室内・室外写真を見せている、なのに工事当日に工事できないとは何事か云云とかなりきつい言葉を言った。電話を聞いていた連れ合いが、久々にストレス発散ができたでしょうというほどに激しかったと思う。そして勤めていた頃の理不尽(出鱈目)な関係部署担当者に怒りまくった頃のことを思い出した。
 上司に代わったのであろう、その人から連絡が来て翌日の対応をするとのことで了承した-最初からちゃんと対応しろよと言いたくもなる-。
 
 工事やり直しの当日、前回と同じ担当者が来て話しを聞くと、彼は販売部門(売り子と呼んでいた)に、こちら(私)の事情を考慮して多少無理でも対応してあげるべきだと伝え、結果自分に回ってきたとおっしゃっていた。
 隣家と工事担当者に感謝、感謝で14日に工事完了。とても丁寧でテキパキした仕事をする人だった。工事が終了したその夕方に隣家の玄関に立った。最初はお礼の品を受け取ってもらえず後ずさりされたが、その分こっちが前に進んで受け取ってもらった。隣家の奥さん(と旦那さん)、および工事をしてくださった担当者の方の親切に深く感謝し、いい人に巡り会えたことの幸福感も味わえた。

 10日から13日まで、エアコンが働かない自室では眠ることができないため、別室のエアコンがきく部屋に車中泊用のマットを敷き、いつもとは異なる枕で眠りに就くが、腰は痛くなるし、満足に眠ることができない。酔えばいいかとアルコールを入れる時もあったが効なく、4日間は不快な夜が続いた。エアコンが新規になり、いつものベッドで眠れるようになった時は安堵感を覚えた。

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 ここから「待つ」ことにフォーカシングしてみる。
 工事担当者からの工事開始時間の連絡を待つ。隣家へのお願いをするために隣家の帰宅を待つ。隣家の対応(ものの移動)の結果を待つ。販売店に電話を入れるも担当者が電話に出るまで長いこと待つ。折り返しの電話をさらに長時間待つ。工事日程再確認の連絡を待つ。工事再開の開始時間の連絡を待つ。工事が終了するまで3時間半ほど待つ。隣家にお礼をするために帰宅を待つ。・・2日間、「待つ」という状況が重なった。
 せっかちな自分を知っているつもりだったが、せっかちであることは苛立つこに繋がることを、自戒をこめて強く感じた。特に自分ではどうすることも出来ず、ただただ結果を待つことは苦しいし苛立つ。自分の性格を改めて見直すことにもなった。自分ではどうすることもできないこと、つまり過ぎたことも他人も、変えることは出来ない、時間の経過も止められない。できることは自分を見つめて自分を変えることしかできない。改めて自分の嫌な性格を思い知った。

2023年9月12日火曜日

ラグビーなど

 大学ラグビーのシーズン到来とともにフランスでのワールドカップも開幕となり、暫くは観戦を楽しむこととなる。いつものようにJSportsのオンデマンドも再開した。
 早稲田と立教戦。早稲田はすっきりしない戦い方。SH宮尾が夏合宿の練習試合も含めてずっと登場していない。故障でもしたのか。
 日本とチリ戦。快勝。次戦以降の戦い方で真価が分かるであろう。

 読んだ本がたまってきたのでいつもの業者に買い取ってもらった。予想よりも高く引き取ってもらった。

 <渡辺京二 『幻のえにし 渡辺京二発言集』(弦書房、2020年)>:他著でかつて読んだ内容が重なる。

 <渡辺京二 『肩書きのない人生 渡辺京二発言集 2』(弦書房、2021年)>:石牟礼道子、三島由紀夫に対する著者の捉え方、思いなどに関しては初めて知ることがあった。三島由紀夫の自死について、解釈することではなく受容することだとする態度に新鮮な思いがした。何事も受容し、そして自分自身の中で考え、何事も起こりうるこの世界を自分の中で捉える、ということ、そう思う。もちろん考えることの基礎を強固にする学びは常に行わなければならない。

 <ブラッドベリ 『『華氏451度』を漫画で読む』(いそっぷ社、2023年)>:多くの事象、社会を暗喩している。中国における香港を透かしてみることも出来るし、関東大震災の朝鮮人殺害に対する政府の対応を見ることも、正義を振りかざす人間も、失敗をなきものとする企業における会社人も、辺野古に反対する沖縄と唯一の解決策と主張する政府関係者も、人間社会のいろいろなことをこの本は描いている。 日本語の「漫画」という言葉からイメージではなく、アメリカの「コミック」である。圧縮され、要約された吹き出しの中の文章を読むよりはやはり文字だけの本で読むべきである。描かれた絵が吹き出しの言葉を補完しているとは思わない。

2023年9月11日月曜日

FIBAバスケットボール、勝目梓

 FIBAバスケットボールワールドカップの2戦(vsベネズエラ・カーボベルデ)テレビ観戦した。フィンランド戦は録画のミスによりハイライトしか観られなかった。バスケットボールの観戦は初めてのことであり、これほどに楽しめるものとは思いもしなかった。
 バスケットボールは高校の体育の時間以外には行ったことはない。何しろスタミナがなくて動くことが苦手で、ソフトボール(野球)はファーストの守備につき(肩が強かったので時々はピッチャーか外野)、サッカーはゴールキーパーが定位置。トラックを走れば、お前のランニングフォームはとてもいいがスタミナがなさ過ぎると教師に言われる始末で、動き回るバスケットボールは嫌いだった。高校一年になりたての体育の時間に友人のKoYoが上手だと思ったことが今も記憶している。60歳を過ぎてからハーフやフルのマラソンにはまったとき、そのKoYoが、お前が走るなんてとても信じられないと言っていたほどに、スタミナが求められるスポーツは好きではなかった。とは言っても中学時代はバレーボールのアタッカーだったし、30年ほど前にはテニスにはまっていた。
 FIBAに戻ると、スピード感、連続するゲーム運び、シュートの上手さ、ただただ楽しめた。各選手のパフォーマンスに感動し、勝利に感激した。

 <勝目梓 『秘事』(光文社、2013年)>:以前に勝目梓の官能バイオレンスと謳われた小説を文庫本で随分と読んだ。久しぶりに読んでみようかなと思い、古本を2冊購入した。
 読書の記録を振り返ると、1982年から40年以上に渡る読書記録を振り返ると、1982年~2016年の間に37冊も(!)読んでいた。最初に読んだものは『わが胸に冥き海あり』だった。当然であろうが内容は全く覚えていない。
 本書は3人の日記に書かれた性的日常を描いて物語を展開する構造をとる。登場人物は、バイセクシャルの女性(A)、レズビアンの女性(B)、家具職人の男(C)の3人。AとBは愛し合い、AとCは結婚をし、男子出産の後でAは亡くなってしまう。その後BとCは結婚をする。年齢を重ねたせいなのか官能描写に(若い頃とは違って)気持ち(欲望)が昂ることはなかった。ただ、不遜な言い方だが、作者は文章表現がうまいとは思った。

 <勝目梓 『異端者』(文藝春秋、2016年)>:寡婦となった母親から思春期の性欲を処理してもらい、そのことが主人公の罪悪感となっている。初めての性の交わりは男性。70歳を越すまでデザイナーの女との互いの自由奔放な情交を受容する。その女はいわゆる両刀使い。主人公とても他人の前でも交わる。・・・とまあ何でもありの性交描写に文学の香りをまぶし、倦きてしまう著者晩年の官能小説。300冊を超える作品の、枯れ木も山の賑わい、といったところか。

2023年9月3日日曜日

心臓エコー

 5年ぶりに心臓のエコー診察を受けた。特にどこか具合が良くないと言うことではなく、前回の検査から5年経過したので受けてみた。血液が流れ出すところ(S状の部位ヵ)が少し狭くなっており血圧に注意しておきましょうとの医師の言葉。前回はS状中核と診断されたからおそらく同じ箇所であろう。特にどうするとかはなく、高血圧に注意を払い、今後も定期的に検査をしていけばいいだろう。
 2週間ほど前に採血した血液検査の結果も出た。中性脂肪は標準値範囲の中にあり、総コレステロールが少しだけ基準値からはみ出している。あとはすべて基準の範囲内。酒好きで若いときもよく飲んでいたが、肝機能に異常値がでたことは過去一度もない。自分自身の身体だけれどこれだけは妙に感心してしまう。

 <永井義男 『隠密裏同心 篠田虎之助 最強の虎 ニ』(コスミック・時代文庫、2023年)>:北町奉行所隠密廻り同心大沢靱負(ゆきえ)、主人公の関宿藩士篠田虎之助、その友人で同じ道場に通う原牧之進。大沢と篠田が変装をする田中屋は猪之吉とお谷が営んでいる。新しい登場人物はお蘭16歳、薙刀と鎖鎌を使う。彼等が事件の謎を解く。お蘭のキャラがまだ描き出されていないのは次巻以降への含みであろう。

 <永井義男 『ご隠居同心』(角川文庫、2023年)>:コスミック文庫のシリーズを引っ張り出して「大ヒット「秘剣の名医」の著者、新シリーズ」と帯に謳い、角川文庫としては初めての永井義男の本。つまり、他社でのヒットシリーズにあやかって企画出版されたものである。元同心(といっても内勤)で、長屋で隠居生活を送る重行が、身近におきた謎を解き、あるいは身請けされた花魁の脱出を手助けし、現役の頃には味わえなかった外廻り役人と市井の生活をエンジョイする。小さな出来事をつなぎ合わせた一冊という感覚がある。

 <井戸川射子 『この世の喜びよ』(文藝春秋3月号、2023年)>:前回の第168回芥川賞受賞作の一つ。文藝春秋が書店に並んですぐに買ったのだけれど、どうもこの小節の二人称語りというのに馴染めなく、放っておいた。「純文学の王道ともいうべき身辺雑記を独自の光学で描いたもの」(島田雅彦)と評されるが、「出来事らしい出来事も起こらない。常同的な人物、常同的場所、常同的な日々」(松浦寿輝)を自己肯定的に描く二人称語りがこの世のものではないような感じもして、何が何故に喜ばしいのか理解力(読書力)が及ばなかった。ある種の、自分自身の振り返り、客観視、自意識過剰ともいえこの小説に壁を感じた。

2023年8月21日月曜日

高校野球甲子園、『ハンチバック』

 甲子園での高校野球、準々決勝8チーム中3チームの選手たちは丸刈りではない(花巻東・土浦日大・慶応)。高校生だったときだと思う、ある著名人(誰なのかは忘れた)が「甲子園から丸坊主がなくなったときが戦後の終わり」というようなことを言っていた。その弁を受け入れるならば、戦後の終わりまで随分と年数を要したものだ。一方、戦後が終わって新たな戦前が始ってきているような気もする。なぜなら、今になっても非丸刈りを高校生「らしくない」と批判する人たちがいるのだから。彼等批判者の「らしさ」って何だろう。この「らしさ」とは、動詞に結びつかない、地名や校名を冠にする「××魂」に繋がっている。

 <市川沙央 『ハンチバック』(文藝春秋9月号、2023年)>:第169回芥川賞受賞作。いつものように単行本ではなく雑誌『文藝春秋』で選評とあわせて読む。
 ここ数年、芥川賞受賞作に感じ入ったということはなかった。でも今回の受賞作は傑作というか、今までにない世界を味わい、それに作者の文章のうまさ、比喩の巧みさ、鋭い切っ先を感じ、彼女は広範囲に深く沢山の書物を読んでいると感じ、さらに物事への感性の豊かさや深さを覚えた。
 以下、選評の言葉を引用して自分の感想に置き換える。
 「これまで遭遇したことも想像したこともなかった人生の姿がなまなましい文章で活写されており」、わたしの「情動を激しく攪拌」され、「衝動的」だった。「結末部分に異質な物語断片が唐突に置かれていることに」に対しては「こうしたフィクションを生きることじたいが、主人公の人生の現実そのものにある切実な深さと広がりの次元を与えている」と感じた。(以上は松浦寿輝の選評を引用。)
 「釈華が妊娠と中絶を希むのは」「自分より貧乏で不幸で頭の悪い子たちのレベルに追いつき、彼女らを見下したいのだ。ヘルパーの田中に対しては、お金の力で優位に立とうとする」、と小川洋子は評するけれど、この指摘は全く的外れで、評者の狭隘な感性、読書力を感じる。が、「田中の精液を飲み込んで死にかける姿には、常に生死の境に立たされている彼女に堆積した、底知れない疲労が透けて見える」(小川洋子)。
 「言葉の動きになにより力があったといえるであろう」(奥泉光)とは、やはり作者の読書量、感性と騒擾力の豊かさがあるからであろう。
 「健常者優位主義の社会が「政治的に正しい」と信じる多様性に無事に包摂されることを願う、という態度とは根本的に異なり、障害者の立場から社会の欺瞞を批評し、解体して、再構成を促すような挑発に満ちている」。「セックスと金銭を巡る倫理をパロディ的に先鋭化」して、「本書が突きつける問いの気魄は、読者に安易な返答を許さない」(平野啓一郎)。「健常者優位主義の・・・多様性に無事に包摂されることを願う」という現在社会の態度には共感するし、鋭い表現と感服する。
 「弱者である作者が弱者の物語を書いているはずだが、そこには微塵の弱さもない。というか、その弱さこそが強さなのだと見事に反転させてみせる」。「僕たち(私たち)は多様性をどこまで受け入れられるだろうか? などという昨今の生ぬるい上から目線の問題提起を「ハッチバック」は小気味よく一蹴してくれる」(吉田修一)。
 「コトバも骨も屈折しているが、心は不屈だ。自発的服従者ばかりのこの国の不服従を貫く「私」の矜恃に敬意を払う」(島田雅彦)。自発的服従さ、これは流されて生きるってことなのだろう。逆に自発的抵抗とは何か、と考えるがよく分からない。
 「長いこと読み続け、そして書き続けて来た人だけが到達出来た傑作だろ思う。文章(特に比喩)がソリッドで最高。このチャーミングな悪態をもっとずっと読んでいたかった」(山田詠美)。次作が出版されたら読んでみたい。
 「この小説を実感できる人間はほとんどいないはず、なのに、ここにある「知らなかったこと」は、とても身近だった」、「客観性ある描きよう、幾重にもおりたたまれているけれど確実に存在するユーモア、たくみな娯楽性。小説、というものの勘どころを、知悉している作者だと思いました」(川上弘美)。
 唐突に表れる聖書の引用、結末の紗花の紡ぐ物語は二度読みして、その唐突の重みが凄く、良い。「ゴグ」とはこの社会を代表する象徴であり。「我が国」は社会全体であり、ここには釈華の意思表示が暗喩されている。紗花の物語は釈華の可能であるかもしれない全ての事への転写(転移)なのかもしれない。そう、「結末は全体を相対化する重要な装置であると同時に、書かれた人物の思考から外へはみ出した意思の光だと受け取りたい」(堀江敏幸)。

2023年8月17日木曜日

ペリリュー外伝

 ハワイ・マウイ島が大火で、テレビに映るラハイナは歩いたことがあり、あの通りや街並みが消失し、複雑な気持ちとなる。一方、西海岸では観光客が泳ぎなどに興じているらしい。
 悲しみと喜び、いつも裏表。 左踵の痛みがまた出てきた。

 <武田一義 『ペリリュー -外伝ー 1』(白泉社、2022年)><武田一義 『ペリリュー -外伝ー 2』(白泉社、2023年)>:本編の『ペリリュー -楽園のゲルニカー』は最終巻まで読まずに6巻で止めてしまった。何故かというと戦場の情景描写が続く中で個人の悲惨な戦争、軍としての狂気、リーダーたちの日本精神優越感や精神論ばかり続いて嫌になったからである。前にも記したが「玉砕」と書き、「全滅」と書く視点がないからである。
 敗戦78年後の今も個々人の生活に爪痕を遺す戦争の悲惨さはドラマやドキュメンタリーで流されるけれど、表層的な事実は描かれても、なぜあの戦争は起こされ、何故狂気に走ったか、政治や外交はどうあるべきか、思考するシーンが少ない。また、加害者としての視点は薄い。本書は外伝とあるので違った視点での描写があるかと期待したがそうではなかった。70年以上も生きていると繰り返し描写される戦争シーンや個人的生活や感情にはほとんど気持ちが動かなくなってきている。慣れというのではなく、報道も同じ事を繰り返しており、そこに人間社会の限界というか、性といったものを感じてしまう。結局は、私的にあの戦争にどう向き合うのか、理解するのかと向き合い、ただただ死者を弔い、平和を願うしかないのであろう。これってひたすら祷ることしか出来ない、せざるを得ないあの御方と同じではないかと思ってしまう。
 このマンガは本編と同じで続刊はもう読まない。

2023年8月14日月曜日

雑記

 日大におけるアメフト部のまたもやの不祥事(犯罪)、ふと思う、危機管理学部の学内における位置づけはどうなんだろうと。

  “20190126:現代学生百人一首より”との表題をつけた自分のブログに以下を書いた。
    何にでも「平成最後」とタグ付けてそれでも変わらず流れる日常
 直木賞選考委員の林真理子センセは「平成最後の直木賞にふさわしい作品」と今年度上期(201998の受賞作を評したが、「平成最後にふさわしい」の意味がまったく理解不能。まぁ、彼女は横山秀夫『半落ち』で、「この作品は落ちに欠陥があることが他の委員の指摘でわかった」と他者の見解を引いてそのまま評価に結びつけた人だからしようがないか。

 日大のスポーツに関する問題点を認識していなかったような会見発言をした彼女は、結局は自らの感性と想像力に欠けた人だったと改めて感じた。また、50何年か前の記憶の隅にあるに日大における古田問題を思い出した。
 林理事長の出身学部は芸術学部で、通常は日大と自称せずに日芸というところにも心理的距離感があるのかもしれない、という穿った感じもするのだが、、、、。

2023年8月13日日曜日

メロディ譜二つ、Sing Our Song Together、Do I Dare

 ポップス系の好きな曲があり、気の向くままにMuseScoreでスコアを作成している。時間をかけてメロディ譜を作るのは、カラオケに合わせてEWIを演奏するとき-演奏という立派なものでなく単に音を鳴らしているだけという状況に等しいが-移調が容易く出来るということに過ぎない。
 古い歌本やネットでスコアを見つければそれを転記するだけで済むが、全く見つからないものもある。余りにも古い曲であること、and/or ポピュラーではないことなどが主な理由だが、そのような時は耳コピで音を拾うしかない。日本語の場合は比較的とっつきやすいが、英語の場合はかなり面倒になる。その英語の曲で楽譜が見つからない曲を二つ耳コピした。出来映えに自信はない。が、当たらずとも遠からずという程度の自負はある。
 その曲をここにアップしておこう。もしかしたら正確なメロディー譜を教えてくれる人がいるかもしれないという淡い期待、あるいは、もしかしたらこの曲を知っている人の役に立つかもしれないという薄い自惚である。

 曲の一つは、Sing Our Song Together。42年前に購入した中本マリのアルバムLady In Loveに入っている。車のCMソングでもありシングル盤も出てヒットした。何度も聞いた曲で歌詞を見るだけで歌える。
 もう一つはアメリカの女優Jessy Schramが歌うDo I Dare。YouTubeのPV数も少ないので知っている人は少ないであろう。もう一つOn This Christmas Dayという曲も好きなのだが、これの耳コピは後回し。




2023年8月12日土曜日

傲慢と善良

 <辻村深月 『傲慢と善良』(朝日文庫、2022年)>:話題になっていた小説だし、書名が思索的であるし、著者の本は読んだことがないし、ということで手に取り、帯の「人生で一番刺さった小説 との声、続出」という惹句は安易で、また表紙に描かれた女性の顔が好きじゃなかったが、810円をだして読んだ。
 100点だった彼女はいたが、結婚という行為に踏ん切りがつかずにいて、その彼女は他の男と結婚をし、ビール輸入代理店社長39歳の架は未だに独身。架は婚活を続けて真実と知り合い、結婚することに70%は肯定するようになり、二人は結婚式場の予約も済ませている。
 架の女ともだちから、架にとって自分は70点の女と聞かされた真美はストーカーにつきまとわれ恐怖から架けるに連絡をとり、翌日に姿を消してしまう。
 第1部では架が彼女を捜し求める。自分の好ましい状況下に置こうとする真美の母親、その母親に抗い母から離れた姉、前橋での結婚相談所の女性、真美が見合いをした二人の男性、中学の同級生で県庁では同じ派遣社員だった彼女の友人たちと会い、架はストーカーが誰だったのかを探す。しかし、ストーカーは特定できない。徐々に明らかになるのは真美の「善良」な性格や行動パターン。そして結婚というものを人々はどう捉えているのかということを改めて知る。一方、結婚に踏ん切りがつかなかった架の{傲慢」であることへの自覚。
 単純にいうと「傲慢」とは思い上がりであろうし、「善良」とは素直でいい性質のことを指すのであろうが、言い換えれば、傲慢とは自らの感情や価値観を高所におき他の人のそれらを受容しないことをいうのであろうし-受容するときは寛容という傲慢な姿勢をとる-、善良とは皮肉っぽく言えば己の価値観を他の人のそれに溶け込ませて感情もまた相手のそれに馴染ませてしまうことでもあろう。
 第2部は失踪してからの真美の思いや迷いを真美の視点で語る。作者の意図とは異なるかもしれないが、ここでは真美も傲慢になっていると感じた。架の傲慢は彼自身の価値観や感情の上にある傲慢さであるし、善良さとは自省と表裏一体の鈍感さとも感じる。一方、真美の傲慢さとは彼女の迷いや感情を架によって支えられようとする依存性とも思え、彼女の善良さとは自意識欠如による鈍感さと思える。彼女のそれは、二人だけの結婚式の神前で次のように思うことにある。すなわち、「本当は、これでよかったのだろうか、と望みがかなった今も、考え」、「この人のこの、気負わない鈍感さに、夫であるけれど違う人間であることに、これから何度救われるのだろう」と思うことにある。
 読んでいて苛立ちを覚える人物が何人かいた。真美の母親、真美の2回目の見合い相手、架の女ともだち。それぞれ異なるキャラクターであるけれど、近づきたくない人たちであり、これは俺の傲慢さであろうヵ。
 ・・・昔から言われている。結婚とは判断力の欠如であり、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如。結婚する奴はバカだ、結婚しない奴はもっとバカだ。これらの箴言は正鵠を射ている。 最後に、この文庫本の表紙の女性の絵はやはり編集者の選択ミス。

2023年8月10日木曜日

カティンの森

 <小林文乃 『カティンの森のヤニナ 独ソ戦の闇に消えた女性飛行士』(河出書房新社、2023年)>:「カティンの森」で殺された唯一の女性は飛行士で、32歳で殺害された日は誕生日だったといわれる。彼女の11歳の年下の妹はレジスタンス組織に入り「バルミサの虐殺」で殺された、20歳。二人の父親は「ワルシャワ大蜂起」の指揮官。
 ポーランド中央部からウクライナ・ベラルーシ・バルト諸国・ロシア西部の地域にてドイツとソ連によって推計1400万人の人たちが死に追いやられ、ポーランドはWWⅡで国民約3000万人のうち600万人が殺害されたといわれている。
 ポーランド人に大人気のカップ焼きそば「OYAKATA 」(味の素のポーランド限定生産)。ポーランドは全体的に反ロシアで親日。親日の主な理由は三つあると思っている。①日露戦(1904-05年)で憎きロシアに勝利した。②1919年に独立したポーランドを逸早く承認した。③1920-22年にシベリアで孤児となった子どもたちを救出して日本経由でポーランドに送った。
 本書を読むときの視点が幾つかある。一つは勿論「カティンの森」で殺されたヤニナがどのような人生を歩んできたのか、そして殺害されなければならなかったのかというもの。二つ目にそのヤニナをポーランドの人たちはどう受け止めて来たのかということ。戦後の歴史の中で沈黙を強いた社会主義という政治体制もうかがうことができる。さらには著者の取材活動を通じて彼女自身の視線を受け止め、読み手としての視線を重ねることになる。
 「カティンの森」に限らず人間のやることはなんと愚かで残虐であり、嘘をつき、ねじ曲げた正義を振りかざし、利己的であり、欺瞞の中で自己正当化するものであろうか。「カティンの森」の残虐性だけでなく、その後のソ連の長期間にわたる虚偽・欺瞞の経緯にも憤るというか、今のプーチンのロシアにも繋がるものを感じる。ある識者はウクライナとロシアの戦争を「価値観の戦争」と指摘するが、価値観と{称することに違和感を覚える。「カティンの森」も価値観という切り口で見ていいのかというとそれは違うと思う。では何と言えばいいのだろうか、「欲望の上に重ねられる、価値観を喪失した単純化された行動」とでもいえばいいのだろうか。
 ふと自分の国に眼をむければ、先の戦争で、日本はどれほどに被害者を悲惨な状況におとしめたのか、一方ではどれほどに加害者意識があるのか、と思いを巡らす。
 ・・・以前読んだ『カティンの森』(みすず書房、2010年)と『ケンブリッジ版世界各国史 ポーランドの歴史 』(創土社、2007年)を何度か開きながら読み続けた。

2023年8月8日火曜日

贈与の歴史

 いつまで続くこの暑さ。

 <桜井英治 『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』(中公新書、2011年)>:日本の贈与は西欧諸国に比べて義務感に基づいてなされる傾向が強く、日本の民法が贈与の撤回を認めていないのもそのためであるらしい。
 贈与の3つの義務はマルセル・モース『贈与論』によれば、①提供の義務、②受容の義務、③返礼の義務であり、さらに別の研究者が第4の義務④神に対する贈与、を加えた。
 神仏に捧げる気前の良い信仰は日本には存在しない。三途の川がわずか6文で渡れるのが日本の信仰。なる程、神仏を幅広く受け入れ、安価なアクセサリー的存在で気持ちの安寧を得ようとするのが日本の信仰心ヵ。神に哲学することなく、現世での利益を得ようと仏に掌を擦りあわせるってことかも。そして供物(贈り物)を捧げる。
 「租」の項にて分析されている贈与と税の関係に興味を持った。神に対する贈与が義務に転じ、あるいは人に対する贈与が義務に転じたとの分析-贈与と義務の分析がなるほどと感じる。「調」の項において、「初穂」とはまさしく”寸志”そのものだった」にも得心する。
 時代劇などに見る「贈与」のシーンではこれからは少し見る眼が違ってくるだろう。もちろん現代における贈与や儀礼に対しても人間社会のシステムとしての性格をより深くうかがうことになる。
 トブラヒ=相互扶助的な贈与、タテマツリモノ=一種の客人歓待儀礼。両者とも贈与儀礼から税に転じ、オオヤケゴト=共同対の公式行事がその徴収を正当化する論理となった(網野)。
 有徳思想をささえていたのは、①富の平準化を求める意識、②喜捨や徳行を要求する意識。徳政一揆はその延長線上にあると解釈すれば(何となく)納得して理解できる。
 先例・近例・新儀、先例の拘束力、先例と新儀の連鎖。今でも先例は大きな拘束力を持つ。不祥事(犯罪)を{繰り返す組織も先例があるからか-これは冗談。日大を思い出した。
 公式の手数料が存在しない中世、そこに「役得」が生じたとする。なるほどである。オレは一生懸命に寝る間も惜しんで町のため会社のため人のため組織のために身を粉にした、少しくらい役得があってもおかしくないだろう、とは現在もままみるシーンである。恒例化する贈与は賄賂ではなくなり、役得も当然の報酬と化す。現在よくある安手のドラマのシーンを彷彿させる。
 あとがきにて「本書で扱った自由奔放な贈与のふるまいとは、さしずめ「資本主義」に相当する最上層の出来事であ」ると述べている。でも、贈与をする富の有無、贈与をする目的の有無を考えれば、もちろん中世から-古代からあったとする論もある-現代社会までにつながる、言い換えれば、人間の本質的な性行と捉えることもできる。いま騒がれているビッグモーターの件も、経営陣と使用者、上司と部下の関係を「贈与」という切り口で見ると面白い。不正を働いて会社に利益を贈与し、会社は働く人間に給与と地位という贈与(返礼)を施し、時が経てばそれが当たり前のシステムと化してしまう、という単純化である。

2023年7月31日月曜日

暑い、『まいまいつぶろ』

 暑い、異常に暑い、酷く暑い。運動不足のために行っていた50分ほどのウォーキングもかなりのあいだ中止状態となり、スーパーなどへの買い物も車で出かけ、家にいる時間が以前にも増して長くなっている。罪深きことは何もしていないのにお上より蟄居を命じられている様でもある。

 <村木嵐 『まいまいつぶろ』(幻冬舎、2023年)>:徳川8代将軍吉宗の嫡男/9代将軍/家重。障害により右半身不自由で言語不明瞭(脳性麻痺の説がある)。登場人物は、家重の「お口」となる大岡忠光(後の岩槻藩主)、妻となり早世した比宮、彼女の侍女で10代将軍となった家治の母幸(こう)、忠光の父と再従兄弟の大岡忠相、さらには、吉宗将軍時の老中酒井忠音・松平乗邑、家重将軍時の老中松平武元・酒井忠寄・若き日の田沼意次。家重と彼等彼女等が活写される。登場する人物たちは実在するが彼等のことは知りもしなかった。Wikipediaをみれば、この小説の中で描かれる登場人物たちの輪郭は概ね事実である。その歴史的事実に小説という肉付きを加え、血を通わせて江戸城内における物語を展開させてくれる。現実は、人間の欲望はもっとドロドロしたものであろうが、それらはさらっと流して、心地よい気分に浸してくれる傑作。書店で平積みになっているほどにベストセラーとなっていて楽しませてくれた。

2023年7月21日金曜日

心地よい一時、『木挽町のあだ討ち』

 50分ほどのウォーキングをして、自宅へ向かう最後の横断歩道を渡ろうと歩行者信号のボタンを押そうとしたところ、反対側にいる女子中学生が先に押し、こちらと眼を合わしたとき彼女が軽く会釈をしてくれた。ありがとうと少し大きな声をかけたら再び会釈をしてくれた。信号が変わるのを待った。彼女の服装から見て近くの中学校、つまり孫娘と同じ中学校に通っている子である。学年は分からない。
 信号が青になり、互いに向き合って横断歩道を渡りその中学生と交差するときに彼女はまたも優しい柔らかな表情で頭を下げ、通り過ぎていった。心地よい一時だった。

 <永井紗耶子 『木挽町のあだ討ち』(新潮社、2023年)>:一人称で語られる「あだ討ち」を核として、武士・庶民・芝居小屋を舞台とした人情話・ミステリー。傑作、楽しんだ。
 「あだ討ち」の「あだ」が平仮名で書かれている意味が終章になって明かされる。それまでは「仇討ち」としての物語である。
 以下、本来はネタバレにもなる内容を書くべきではないが、後に記憶を解すために、そしてこのブログを訪れる人も尠いのでメモとして記しておこう。
 第一章 芝井茶屋の場:吉原の女郎(花魁ではない)の子として生まれた、森田座の木戸芸者一八はある武士(18歳)に2年前の「木挽町の仇討ち」物語を語り始める。仇討ちする武士は伊納清左衛門と一子菊之助。齢は15~16歳。仇討ちの相手は作兵衛。仇討ちは衆目の中で行われ、菊之助は首級をとり無事本懐を遂げる。
 第二章 稽古場の場:御徒士の三男坊で芝居小屋の立師を生業とする与三郎。菊之助に剣を指南する。
 第三章 衣装部屋の場:衣装部屋で裁縫をする二代目芳澤ほたるは天明の浅間山噴火で母親と一緒に江戸に来て、やがて孤児となり隠坊に育てられた。菊之助の仇討ち時の赤い衣装を仕立てる。
 第四章 長屋の場:江戸に来のはいいが寝るところがない菊之助は、ここまで登場した語り手の世話もあって無口の久蔵とその妻お喋りのお与根の世話になる。久蔵は腕の立つ小道具を作っている。
 第五章 枡席の場:籏本の次男坊で放蕩生活にあった野々山は自分の生きる先に悩み、許嫁お妙との婚姻(婿入り)を断り、武士を棄て篠田金治と戯作者となる。お妙は実直な武士に嫁いで夫の国に向かった。20年ぶりにお妙から野々山の家に文が届き、菊之助のことが書いてある。菊之助はお妙の子であった。
 終章 国元屋敷の場:「木挽町の仇討ち」を聞き回っていたのは江戸番となった総一郎で。菊之助の友であり、彼の許嫁お美千の兄。ここで仇討ちの全貌が語られる。「あだ討ち」は「仇討ち」で「徒討ち」であり、鮮やかに物語は了となる。
 構成、語り、人情、陰謀とその解明、謎とき、・・・とても楽しめた。帯に書かれた「作者の巧緻充実」(縄田一男)、「ミステリ仕立ての趣向に芝居町の矜持」(中島かずき)を十分に味わえた。

 上記を書いてからネットでニュースを見たら芥川賞と直木賞受賞の報が流されていた。『木挽町のあだ討ち』が直木賞を受賞となっていた。前回の『しろがねの葉』でもそうだったが、楽しんで読めた小説が受賞となって単純に嬉しい。

2023年7月13日木曜日

暑い、高齢になると、古代史の新書、酒のマンガ

 10日の昼食後、少々酒精が入っていたが近くの本屋までのウォーキング。危険な暑さとの報道があった通り酷く暑かった。途中で引き返そうかとも思ったが大した距離でもないので兎に角歩き続けた。帰宅後のシャワー後が気持ちよい。この気持ちよさを味わうために歩いているようなものである。この暑さは数日連続し、数日間外歩きは止めた。
 高齢になると暑さにも鈍感になるのか、エアコンの設定温度が以前より1~2度高くなっている。飲酒量は減るし、記憶容量は小さくなるし、多分忍耐力は低下しているし、世の中や他人への関心度も低くなっている。まぁ成るようにしか成らないヵ、でも何かしら新しいことは為し続けてはいたい。

 <安倍野郎 『たそがれ優作 1』(幻冬舎コミックス、2023年)>:書店をぶらついていていると新聞の広告や書評で目につかない作品に出会う。バツイチ独身50代の脇役俳優が飲み屋で味わう酒と料理。登場する飲み屋に出会う環境下にいる作者が羨ましくも思える。今秋、北村有起哉主演でのドラマが放映される予定とある。「深夜食堂」は一度観て止めたが本作のドラマにはちょいと期待する。

 <虎尾達哉 『古代日本の官僚』(中公新書、2021年)>:古代であろうと現代であろうと人間の行いは不変である。一定の地位と収入を保証されれば組織的に忠実であろうはずもない。また、昇進の可能性がなければ学習の意欲など湧くはずもない。また、官人が怠業し、怠慢であることを見過ごす側にも理由と目的が存在する。
 文中の文章をつなぎ合わせて次のようにまとめておく。すなわち、古代日本の律令国家においては、「官人たちの潔いほどの怠業と国家の堂々たる欺瞞」が普遍的に存在したが、「官人の怠業・怠慢をある程度織り込みながら、無駄なく効率的なランニング・コストで官僚機構を維持しようとする発想」に基づいて制度設計されていた。しかし、「高貴な者こそ公益のために自らを犠牲にする。ノブレス・オブリージュの精神は古代日本にも確かにあった」。
 儀式をサボるというと頭に浮かぶのは新年の年頭儀式。ある時期からずっとこの日は休暇をとって出勤しなかった。冷え切った体育館などに集合し、社長や部門担当取締役の形式的な言葉を聞く時間がどうにも無益と思え出席しないでいた。定年退職が近づいてくると上位者にとっては耳の痛い発言も気にしなくなり、つまり人事考課にも無頓着になり、マイペースの強度が上昇する。この新書の頁を進めていて古代官人に通底する人間の性というものを感じていた。

2023年7月10日月曜日

飲み会、ミステリー1冊

 下書きを書いたまま投稿を忘れていた。

 先月30日金曜日、友人二人と飲むために2か月ぶりに電車に乗り北千住へ行く。12時半待ち合わせで、合流して足はまっすぐに飲み屋に向かう。平日の真っ昼間というのに最初の店も2軒目の店も混んでいる。飲み過ぎの徴候が出たらブレーキをかけてくれるように頼んでいたが、一人からは、お前は飲んでいる間はホントに酒に強い、飲み終わると途端に酔っ払ってしまうからブレーキのかけどころが分からん、と言われてしまった。それでも4か月前の酷い状態にはならずに帰途の電車に乗った。ふと気づいたら車窓からの夜景が真っ暗でビルの灯りなどが見えない。やばいと感じたら急行終点の久喜の手前だった。北千住駅で連れ合いにLineしていたから帰宅が遅いと感じた彼女からタイミング良く、寝ていないかとメールが入った。久喜駅で電車を乗り換え、春日部駅からは歩いて帰宅。北千住で久喜行きと知っていたので安心して居睡をしたのかもしれない。これがもっと遠い、例えば舘林行きだったらば座席に座らずに立ったままでいたと思う。今までの苦い経験からして。

 <櫻田智也 『蝉かえる』(東京創元社、2020年)>:昆虫が介在する良質のミステリー5編。全編を通して登場するのは昆虫オタクの魞沢泉(えりさわせん)。蝉・コマチグモ・フンコロガシ・ホタル・ツェツェバエが人の生きることの悲しみの周りにいて、その悲しみの謎が人によって解かれる。

2023年6月28日水曜日

55年以上前の歌、踵の痛みの再発

 AKAI EWIで演奏すべくバッキング・トラックの作成とともにメロディー譜の作成に多くの時間を割いている。作ってばかりいて練習が疎かになっているのは、読みたい本を沢山買って積読状態と化す行為に相通じている。
 何時でも好きなときに本を読む、楽器に触れる、音楽を聴く、器材を操作する、等々のことを可能にする環境を整えておきたいというのは自分の性癖への弁解かあるいは強弁である。

 1960年代後半、高校時代から大学入学の頃に好きになった曲がいくつもある。その中には、古いせいもあろう、あるいはヒットしなかったものもあり、楽譜(メロディ)が手に入らないものも少なくない。有料サイトで検索しても見つからず、結局は自分で作るしかない。そのような曲の楽譜を2曲載せる。

 「さよならをいう前に」・・・中村八大作曲で1969年に小林啓子が歌った曲。詞は好きではないが物語を感じさせ、ガラスのような透明感がある。どこか「黄昏のビギン」にもつながる雰囲気-ビルの窓の灯りと雨に反射する光でキラキラする夜に街に佇む人-というシーンが浮かぶ。楽譜が見つからず、初めて耳コピをし、耳コピ経験豊富な友人にチェック依頼もした楽譜であり、自分では90点以上の出来映えかなと自負して(己惚れて)いる。

 「星かげの径で」・・・誰がいつ頃に歌った曲なのか皆目分からない。レコードになったのか否かも分からない。作詞の伊藤レイ子さんはかつて新宿にあった歌声喫茶「ともしび」の運営に関っていた人らしく、もしかしたらそこで歌われていたのかもしれない。楽譜も曲も見つからず、でもなぜだか詞を見ただけで歌うことができる。1968-69年頃に五線譜ノートに写し取ったものをずっと持っていて、それを楽譜作成ソフトMuseScoreで楽譜に落とし込んだ。誰かこの曲について情報を持っていないものだろうか。

 左足踵の痛みが再発した。前日夜半から少し痛みを感じていて、翌朝からはかなりの痛みで歩くにも足を引きずってしまう。経皮沈痛消炎剤を貼っても鎮痛薬を服用しても然程には効かない。4月下旬に約4年ぶりに再発し、1ヶ月もかからずに痛みは消滅したのに今度は間を空けずにまたもやぶり返した。また暫くは付き合うしかない。
 ・・・・・と思っていたら、1日経った朝から痛みが大きく軽減していた。これを書いている今は痛みが全くない。訳が分からない、一体どうなっているのだろうかオレの左足踵は。

2023年6月26日月曜日

マンガと新書

 6回目のコロナ・ワクチンを接種。ベッドに入って眠りに就くときに注射した辺りが痛い。失敗した、右肩にしておけば良かった。

 バレーボール・ネーションズリーグでの日本チームの試合を楽しんでいる。男子は予想もしていなかった8連勝。試合観戦を暫く離れていた間に知っている選手の名前が少なくなった。

 <古谷経衡 『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中公新書ラクレ、2023年)>:シニア右翼の現状の主張(の愚かしさ)とその誕生の起因を、戦前から現代に至るまでの政治・社会・経済なとの分析に基づいて解明する。至極まっとうと思い得心する。好著。
 親しくはないが知人の中にネトウヨ的な言説を口にする人が少なくとも二人いる。ある二つのシーンを思い出す。一つは、ある日、友人たちと一緒に大宮氷川神社を歩いているときに、以前から仲間内ではアホなウヨクと称されていた知人が陰謀史観的言説を口にしたとき、もう一人の友人が「そんなのバカな右翼がしゃべっているだけだ」と断じた。そのネトウヨ的知人は照れ笑いを浮かべながら黙っていた。もう一つは、ある飲み会で、TBSは韓国人に乗っ取られている、名前からしてそうだと口に出した。その対象となる人は単に名字が漢字一文字で下の名が漢字二文字の合計三文字であったがためであったと思う。帰宅後にちょいと調べたら出所はYouTubeにあったことが分かった。また、ベトナムでの韓国軍による戦争犯罪を滔滔と述べ始めた。かつての東南アジアでの日本軍の戦争犯罪はどうだったと聞いたら、言下にそれはないと否定した。以降、この二人とは他の友人たちをも交えて会うことがあるが、一定の距離をおくようにしている。そう、面倒くさいアホとは付き合うなという基本に従って。

 <田中圭一 『ペンと箸』(小学館、2017年)>:23人の著名漫画家の子に会って、その漫画家の好物を食しながら、その父あるいは母のエピソードを取材するというグルメマンガ。パクリマンガ家と称される著者は取材対象となる漫画家の作風を模して描く。いろいろなエピソードが個性的で面白い。

 <田中圭一 『Gのサムライ』(リイド社、2016年)>:田中圭一らしいいわゆる「ゲスマンガ」(著者本人がそう書いている)。登場人物は島流しにあったサムライ・品場諸朝と貴族・腹上院魔手麻呂、そして食料その他を島に届ける棄木煮淫妖斎。一貫して流れるテーマは流人となった二人が童貞を脱出すべく奮闘するお下劣物語。ゲスであるけど面白い。『神罰1.1』同様に人のいるところでは頁を開くことは厳禁である。「G」とは何を意味するのだろう?

2023年6月25日日曜日

椅子の故障、マンガ3冊

 もう15-6年使用しているだろうか、椅子-HARA Chair-の座を支えるスプリングが破損した。これで3回目。2回目までは少々苦労してネットでスペアを購入して交換したが、今は販売しているところが見つからない。見つかったところでいつかまた再発するであろう。破損したところは3回とも全く同じで、4箇所ある箇所の前2箇所であり、破損状況は細長いU字状になっている鈑バネのU字の曲げ部分。材料力学的にもっとも負荷応力が作用している箇所で、設計が不味いのか、材料の品質が良くないのか分からないが、破損頻度から言って広義の設計不良であう。耐久性を得るならばコイルバネにすればいいものを部品コストかアセンブリーコストを意識したのか、鈑バネは柔らかさに劣るのでこの設計はいただけない。後部のクッション性は棄てて木材を挟み、後部の鈑バネを前に移して良しとした。それにしてもこの使用年数で3回も破損するなんてまともではない。

 <相原コージ 『うつ病になってマンガが描けなくなりました 入院編』(双葉社、2023年)><相原コージ 『うつ病になってマンガが描けなくなりました 発病編』(双葉社、2022年)>:二日続けて本屋で衝動買いをして「入院編」を読み、「発病編」はamazonに発注し。順番が逆になってしまった。やはり本屋には定期的に通って新刊状況を眺め回した方がいいと再確認。しかし、本屋には売れる本しか並んでいないので、新聞の読書欄と広告が一番である。それとても漫画の情報は少ない。
 で、相原コージの漫画は『下ネタで考える学問』以来で面白く読んだ。うつ病の実態はよくは分からないけれど、漫画が描けなくなった彼に「だったらさ/もういっそ/自分に/起こった事を/そのまま/マンガに描けば/いいんじゃないの」というパート勤務をする奥さんがステキであると感じた。また、吹き抜けの天井まで壁一面にある1Fの本棚にもある種の憧れのような気持ちを抱いた。同じくうつ病の経験がある田中圭一(歴史学者ではなくマンガの作家『神罰1.1』が傑作)のマンガを読みたくなった。・・・2冊発注してしまった。

 <メメント・モリ/山田風太郎 『マンガで追読 人間臨終図鑑』(徳間文庫、2023年)>:山田風太郎原作とあるが、山田風太郎源の本を読んで編者が感想もまじえて短くまとめてみました、というつまらないマンガ集。やはり原作を読むべきであろうと反省した次第。が、手は広げない。

2023年6月16日金曜日

時間の使い方、耳コピ、エッセイ、漫画

 相変わらず時間の使い方がなってない。取捨選択ができない性癖が邪魔をする。何もせずにぼーっとしていたい時もある。しかしあちこちに手を出しては完うできないでいる。音楽も本も何もかも、もしかしたらそれらに取り囲まれていつでも手を出せる環境に身を置きたい、というのが根っ子にあるのだろう。例えば図書館のように本に囲まれ、CDなども陳列しているなかに今の自室の状況(PCやベッドや楽器や器材など)を中心におきたいという願望(妄想)である。
 To Doリストも作ってはいるが進度は極めてゆっくりで、中には沈滞していることも多い。限られた時間のなかでうまく棄てることができればいいのだが-例えばBDレコーダーに録り溜めたものをあっさりと消去しているように-、それがなかなか出来ないでいる。

 日本の古いあるポップスの曲が好きだが全く有名ではなくてメロディー譜が見つからず、自分で耳コピにチャレンジしている。ボイスカットしたカラオケを作るのは簡単にできるのだが、それをEWIで演奏してみたいという願望に沿うには楽譜が必要で、しかたなく耳コピにチャレンジしている。そしてリズムをとるのに苦労している。80~90点の完成度ではあるが、残りの10~20点にまだ納得できない部分がありチェックを繰り返している。 海外のこれまた全く有名でなく、YouTubeでのPVが4000もない曲が好きになり、それも楽譜は見つからない。これもメロディー譜を作りたいがいつまでかかるやら。いや、作ってEWIで練習する。

 <金井真紀 『酒場學校の日々 フムフム・グビグビ・たまに文学』(ちくま文庫、2023年/初刊2015年)>:草野心平につながる新宿ゴールデン街の学校。こういう学校は楽しいだろうと思いつつもゴールデン街は一度だけそぞろ歩きをしただけで、酒場のドアを開けたことはない。喧噪の中に同士が集まり、何かしら侃々諤々と言葉が飛び交い、他者を寄せ付けないアナーキーな閉じられた空間、という思いがしていたし今もそう感じている。
 人々がそれぞれに他者を受け止め、個を発散し、その場を離れればスカッと忘れる。そんな空間の中に混じって溶け込みたい気持ちは若い頃より抱き続けていた。しかし、その空間に同化するには多分オレは小市民的に普通すぎて、融け合うことは出来なかった。今、この年齢に達していると何かに融け込むなんてできないどころか拒んでいる。ただ自分の閉じられた域の中にも自分なりの価値は付加し続けたい。

 <叶精作・天野彰 『そぞろ源内 大江戸さぐり控え帳 1』(リイド社、2023年)>:漫画。登場するのは、「本草学者 怪事件に首を突っ込む」平賀源内、「蘭学者 とにかく人体解剖したい」杉田玄白、「同心 源内と玄白の知恵を借りたい」浅間和之助。そこに剣の道を極めようとする、和之助の妹の幸が脇役として加わる。「面妖怪奇な江戸の闇を知性で斬る エンタメサスペンス時代劇」が「堂々の開幕」となった漫画。
 散歩がてらに立ち寄った書店で衝動買い。活字の本の読書量が減っているので、数を増やすために安易に漫画にはしった嫌いがある。

2023年6月6日火曜日

万年筆、新書一冊

 万年筆の回想;
 アルバムの中に“高3の5月”とメモされた一枚の写真がある。学生服の5人が横並びに立ち、教室橫の外で撮ったもので、今も親しくしているKYやSJもいる。私の学生服の左胸ポケットには1本の万年筆が差されていて、おそらくこの万年筆はパイロットのキャップレス。この頃の筆記具の中心は万年筆で、当時の日記もブルーブラックの万年筆で書かれている。高校時代はプラチナも愛用していた。
 大学入学を決めた55年前の春、今は亡き友人BKの若松の家に立ち寄ったとき、彼の母が「これは合格祝い、うちの息子は卒業祝い」と言って万年筆をプレゼントしてくれた。シェーファーだったような記憶がある。彼女の息子はその後3浪を重ねた後での合格祝いに何をプレゼントしてもらったのかは分からない。その万年筆はいつまで使用していたのだろうか。
 会社勤めをしてからの主体はシャープペンシルに移った。日記は万年筆、仕事上はシャープペンシルと使い分け、設計図を描くのが仕事だったので必然的にステッドラーのシャープペンシルを離せなくなっていた。仕事を離れれば万年筆をメインとしていた。
 最初の会社を辞めるにあたり、同じ設計部署で親しくさせてもらっていた2歳上の先輩岩上さんが、社内にあった売店で万年筆を購入して退職記念にくださった。パイロットのエリートでその万年筆は今も使っている。岩上さんは50代で亡くなってしまったが、この万年筆は45年間もまだ現役でいる。駐車場で落としてしまい車に轢かれて凹みがあるが愛着があって棄てられない。
 その後定年退職するまで、会議や打ち合わせのときのメモはずっと万年筆で書いていた。殆どの人がシャープペンシルやボールペンであったので、万年筆を使用していることが少しばかり目立ち、それを何回か指摘されたこともあった。万年筆の中でも高価格であるモンブランをプレゼントしてくれたのは連れ合いで、ケースも一緒だった。池袋のデパートで購入した(ような気がする)。このモンブランは30年以上、40年間近く使用していたが、先日インク漏れがひどく、またパーツにガタがきていたのでとうとう棄てた。そしてScriveinerを新たに買い求めた。滑かなペン運びでお気に入りとなった。
 雑誌『サライ』で万年筆が付録になると好奇心なままに何回か買い求めた。誕生日には息子からプラチナ万年筆を頂戴した。これは不注意でペン先を変形させてしまいもう手許にはない。申し訳ないので新たに買い求めた。
 手許に残っているインクカートリッジはモンブラン、ペリカン、セーラー、パイロット、プラチナ、欧州共通規格とバライティーに富んでいる(発散している)。愛着ある何本かの万年筆は部屋ごと場所ごとに分散して置き使い分けている。今、高校時代を思い出してキャップレスの万年筆も欲しくなってきている。手書きすることがあまりないので若かり頃と違って万年筆の必要性は薄れているのだが、好きなものへの関心は薄れることがない。後期高齢者の域に一歩手前となっている身としてはこういうささやかな遊びもあっていいだろう(と自分に向かって弁解する)。

 <永嶺超輝 『裁判官の爆笑お言葉集』(幻冬舎新書、2007年)>:16年間で31刷を重ねているから、厳つい裁判官/判事が愚かな犯罪者/被疑者にどのような薀蓄をたれるのか、そんな面白さを求め、揶揄するような気持ちはいつの世も変わらないのであろう。一般的には両者も在来(ありきたり)の範疇からはちょいと外れているというか、分布の3σ/2σの域外にあるとの感は拭えない。

2023年5月30日火曜日

洗車、メルカリ、漫画と小説

 いま使っている車を買ってから初めて洗車・ワックスがけをした。一度やりだすと徹底的にやりたくなる性分なので疲れた。終わってからは予定になかったことだが、連れ合いの飲むんでしょ、という言葉で火がついて半分ほど残っていた焼酎のボトルを空けた。いつもよりは早めに寝た。

 9点の物品をメルカリに初めて出品した。30年以上も前に購入して愛用したカセットデッキや、10年以上も前に使っていたスピーカー、エレキギター関連のグッズ、アンプ、BDやDVDのボックスセットなど。なんと3週間ほどで8点が売れた(残り1点は多分売れないだろう)。手数料・配送料を差し引いた利益は44,000円超となり自分でもびっくり。利益率は約75%。
 機材関連は一度中古品取り扱い店に持ち込んだが古いことなどもあり買い取りを拒否されたもので、そのときはゴミとして棄てるよりは只に近い金額でもいいと思っていたので、今回のメルカリ出品は大成功。
 終活に向けて、多量にあるCD、使いこなせていない楽器、余分にあるオーディ機器などなど、家族(息子や娘など)が不要と言えば時間をかけて処分していこうか、という気持ちが少し出始めている。

 <ウルバノヴィチ香苗 『まめで四角でやわらかで 上』(リイド社、2023年)>:帯に「江戸に流れる時間はかくもつましく愛らしい」。この惹句の通りでホンワカとユッタリとしたひとときを過ごせる。下巻は一年後の春の予定とある。のんびりと江戸の情景を思い浮かべながら待つとしよう。

 <藤原伊織 『ダナエ』(角川文庫、2023年/初刊2009年)>:『テロリストのパラソル』(1995江戸川乱歩賞、1996年直木賞)を読んだ28年前1995年11月のメモには読後感も何も記さず、ただそっけなく「'江戸川乱歩賞受賞作」としか書いてなかった。 本文庫本には「ダナエ」、「まぼろしの虹」、「水母」の3編が収められている。3作とも小構成として無理があり、無理矢理にジグソーパズルのピースをはめ込み、それらしき1枚の、鑑賞に堪えられる絵に仕上げたという感じがする。

2023年5月25日木曜日

媚びず僭らず・・・・・、諺、文庫本

 あることを話題の中心において友人たちとメールのやりとりをしていた。そこに書かれていた一人の言葉がいい。「今俺は猫のように生きていければと思っている。媚びず、背伸びせずマイペース。人とは適度な距離でゆったりゆったり歩んでいければなんて、人生いろいろですよ」と。
 そう、媚びず、僭らず、知らないことには慣れるようにしても狎れずに、身近な人には利他的であり、自立を基本において常に自律的であろうと思う。

 <金井真紀 『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った』(岩波書店、2022年)>:どこかで見たことのあるイラストと思っていたら、『世界ことわざ比較辞典』(岩波書店)のイラストを描いている人と本書の著者は同じだった。同じ岩波書店の、先日目を通した『解きたくなる数学』と同様に、写真とイラストの違いはあるにしても内容(本文)よりもそれらの装飾が豪華で随分と割高となっている一冊である。
 書名となっているフィンランドの諺は「意外なところに道がある。解決策はひとつではない」の意味。気に入ったものを幾つかメモする。「慶良間は見えるが、まつ毛は見えない」(沖縄)、「良いことをしたら水に流せ」(善行の見返りを求めるな、アルメニア)、「面と向かって緑色のことを言う」(思っていることを率直に言う、ルーマニア)、「よく食べ、しっかり糞をすれば、死は恐るるに足らず」(スペイン)、等々。・・・前記の『世界ことわざ比較辞典』を暇に任せて時々は開き、諺の意味の深さをはかってみたり、国の違いによる文化の表皮をなでてみようかと。

 <千野隆司 『鉞ばばあと孫娘貸金始末』(集英社文庫、2023年)>:面白いのだけれど今ひとつ物足りない。かつては美人だったらしく、謎ときの頭がさえていて、自分の稼業に基準を設けているお絹(鉞ばばあ)と、好奇心旺盛で看板書きの技術を持ち、可愛げのあるお鈴(孫)のキャラクターに具体的イメージがくっきりと頭に浮かんでこない。今は読まなくなったが鈴木英治の小説を読んだときには登場する女性が魅力的でそれなりのイメージを描いていたが、本書ではそれが不足している。登場人物全体にそういえる。多分に細かい所作・仕種の描写が欠けているのだろう。例えば、お絹が鉞を磨くときにちょいと自分の顔を写して利息取立の意欲を出すとともに昔の若かった頃の自分を思い出すとか、そんなことをさり気なく書けば少しでも小説の中へ誘われるのではなかろうか。だから、読んでいて台本のト書きを読んでいるような気分になるときがあった。筆力とはそういう描写力のことなのでもあろう。

2023年5月16日火曜日

文庫本ミステリーと『絶滅動物物語』、LGBT理解増進法案

 <青崎有吾 『11文字の檻』(創元推理文庫、2022年)>:表題作については、よくぞこういう仕掛けを作るものだと感心するが、あくまでも謎ときだけのパズルめいた小説。全編を通して感じたことは、作り手側の小説を作る楽しさは伝わってきた。読み手側としてはその楽しさの中に埋没できなかった。

 <うすくらふみ 『絶滅動物物語』(創元推理文庫、2022年)><同 『絶滅動物物語 2』(創元推理文庫、2023年)>:新聞の広告で目にとまり2巻目も含めてウェブにて発注。評判がいいためであろう、在庫なしで取り寄せとなっており、送られてくるまで日にちを少々要した。
 肉が美味い、生活の邪魔になる、有害だなどの人間の勝手な欲望と論理で絶滅する動物が多くいる。人種までも住む地から消滅させてしまう。つい最近もその種を絶やした動物がいる。命がたやすくも絶たれることに複雑な思いがする。何故か、それは日常的に食するのだって結局のところは他の命を頂戴しているのだから。でもある人種が滅び絶滅すると言うことはただただ複雑な思いで悲しい。それ以前に差別がある現実が悲しい。
 読み終わったその日、娘の本好きな長女に読むかとLineしたら「よむ!」とすぐに返ってきた。ニキビがちらっと見える中学2年の彼女はこの本を手にしてニコっとしていた。どういう感想を抱くのだろうか。

 LGBT理解増進法案に呆れてしまう。LGBTの人たちへの理解を増進するための法案だというが、法がなければ理解できないのだろうか。差別に苦しんでいる人たち、あるいはLGBTの存在をなんの抵抗もなく認めている人たち、また外国に向かって、パフォーマンス的に、LGBTの理解を促す法を制定するようにしていますってやってる感を出し、そのための手段として言葉を弄んでいるように見える。またその一連の行動はある種の恥の上塗りをしているようにも思える。
 そもそも、LGBTと一括りすることに無意識的な差別感が埋没しているような気もする。
 不当な差別というけれど正当な差別、不当でない差別とは何だろう。自民党保守派と言われている人たちに「性同一性を理由とする”正当”な差別、あるいは“不当でない”差別」とはどういうものなのか例示して欲しい。彼らは法案とか差別とかそんなものは横に措いて、自分たちの集団の存在をアピールしたいだけではないのか。言ってしまえば、LGBT理解増進法案というそのものに素直に首肯できない。

2023年5月10日水曜日

絵の本、新書、数学の本

 <狩野博幸・河鍋楠美 『反骨の画家 河鍋暁斎』(新潮社、2010年)>:猫の顔が大きく描かれた表紙に惹かれて随分前に購入した。パラパラと摘まみ食いはしていたが、改めて解説文を読み、絵を眺めると楽しく、美しく面白い絵に魅了される。技量はもちろん自分の内面を絵に表現する芸術性に圧倒され、そしてつくづくその能力が羨ましい。

 <森達也 『集団に流されず個人として生きるには』(ちくまプリマー新書、2023年)>:若い人向けに書かれたもので、年齢(経験と言ってもいいだろうヵ)を重ねた我が身にとっては自分の考えを再確認し且つ著者の考えに首肯する。最初から最後までそういう姿勢でページを読み進めた。

 <佐藤雅彦他 『解きたくなる数学』(岩波書店、2021年)>:内容と凝った装丁と価格を思うととても贅沢な本。数学的には平易であり、解きたくなってしまって解けてしまう課題もあった。もちろんハッと気づかされる解法もあり短時間ではあるが楽しめる。

2023年5月9日火曜日

メルカリ、不味い酒、整形外科、コロナ、ビール

 1日、メルカリに初めて出品した。全部で9点を順次出品手続きをしていったら、1点についてはアップロードして5分くらいで購入となった。さらにもう1点は20分ほどで売れた。そして1時間少し経ったら3点目が売れた。あまりの早さに驚いた。特に、最初に購入がついたものは比較的高い価格設定をしていたし、50年以上前の映画のDVDセットであったし、メルカリには出品されたこともないものなので、多分売れないだろうと思っていた。それだけに早い購入が意外だった。
 翌2日、3点の発送手続きをした。送り元も送り先も匿名で、埼玉県から送るということ以外は届け先も全く分からない。よく出来ているシステムであると思うのだが、一方では人と人の繋がりが無機的になっているとも感じた。
 3日、4点目のBlue-Ray Boxが購入された。これは取引完了後の7日にBDが再生されないので返品したいとのメッセージがあり、何度かやりとりがあった後に事務局から返品プロセスが提案された。しかし、こちらの非を認めない理由を述べ、返品には応じないと比較的長いメッセージを送り、それを購入者も受け止め落着となった。こちらへの反論手段がなかったのだろう。
 6日、使用していないスピーカーがあることに気づき、それも売ってしまおうと手続きをしたら、手続き終了後1分も経っていないのにすぐに購入され、非常に驚いた。何かこっちの手続きにミスが生じたのかと自分を疑ったほどである。
 9日現在、取引中はなく、出品中となっているものは4点。すべて「いいね」を付けられているが、購入されるのか否かはもちろん分からない。

 コーラとウォッカのクラフトコーラサワーを衝動買いして飲んだ。結果、オレには不味いの一言。同時に購入したウォッカといよかんのリキュール、前者よりは少しましだがやはり不味い。糖類を加えたアルコール飲料はダメなことを再確認した次第で、もう買うのは止めよう。口直しにコーヒーで口の中を洗浄した。

 8日、3年ぶりに近くの整形外科へ。目的は次の二つ。①左足踵の痛み:鎮痛薬が3年以上前に処方されたものだし、経皮鎮痛消炎剤はなくなってしまった。それらを新たに処方してもらおうと思った。②右足指先の違和感:ごく軽度であるが妙に気になる。
 レントゲン撮影と触診などで下られた診察はつぎのようなもの。①は予想していた通りで以前の症状の再発。踵の後部と底部に骨棘がありそれが炎症を起こしている。足底の方に痛みが出ず、踵後部だけに痛みがあるのが不思議。多分足底に出たらもっと痛いだろうからこれ幸いというべきかもしれない。②は腰から来るごくごく軽度のものだとのこと。薬はあるけどどうするかと聞かれ不要と応じた。

 同じく8日。この日からコロナ5類となった。葬儀に参加する用事のある娘から彼女の長男Tの病院への送迎を頼まれた。Tは元気だが熱があるということで病院に行くことにしたとのことで、結局はコロナ罹患と診察された。今日から負担樋用が増えたのにとぼやきも出ていた。大学に連絡したら今週の通学を禁止されたらしい。彼の妹は、前と違って通常の通学であることに不満であるらしい。休めれば好きな読書に没頭しようと期待していたのかもしれない。

 連休で息子一家が山中湖にキャンプに行き、そのお土産でふじやまビール1リッター缶を頂戴した。翌日(7日)にそのビールと、最近よく買っているアサヒの生ビールマルエフ500mlを昼に飲む。飲み過ぎであることは自覚しているが。美味い。クラフトビールも最近よく飲んでいる。中心はヤッホーグループのもの。割高だがこれまた美味い。まだ全銘柄を堪能していないので制覇を目指す。

2023年5月2日火曜日

(いつものパターンの)雑記と読書

 半年ぶりに本を買い取りに出した。全32冊で予想とほぼ同額の5,463円の査定がついた。

 4年ぶりに左足踵後部が痛み出した。無意識に足を引きずる。多分、アキレス腱と踵骨の接合部における踵骨棘の再発。整形外科に行っても経皮吸収型鎮痛抗炎症テープと経口鎮痛薬を処方されるだけと思うと病院に行く気がない。前のように自然消滅を待つしかないだろう。

 先月4月28日、熱いものを飲食すると最近治療した奥歯が痛む。急遽歯科医院に行く。
 1日朝、眼がゴロゴロするというかゴミが入っているようで涙が止まらない.水を張った洗面器に顔をつけて眼をパチクリしても異物感は払拭できない。しようがないので近くの眼科医院に行って治療してもらったら小さな石のようなものがあったとのこと。取り除いてもらったら異物感は解消した。
 歯、,眼ときたら普通はセットでもう一カ所の不調を想像することになるが、それについては書くまい。

 <永井義男 『秘剣の名医〈14〉蘭方検死医 沢村伊織』(コスミック・時代文庫、2023年)>:殺しの舞台は上野下谷広小路や不忍池。刺殺された男、池で見つかる女の死体、行方知らずの少女。3月25日に上野公園から花見会会場まで池のほとりを歩いて目にした景色や、過ぎ去った時間を思い出して読んだ。
 江戸の情景や交わす言葉の雰囲気を味わいながら、かたちは変えても人々の暮らしは今に繋がっていると妙に感傷的になった。一方、この小説は時代推理小説なので、個々の場面の繋がりを楽しんだ。

 <田坂広志 『死は存在しない』(光文社新書、2022年)>: 
 Zero Point Field、Synchronicity、Constellation。唯識思想、末那職、阿頼耶識、アーカーシャ、、、、。死と私、自我と真我、、、、。科学と宗教。
 What is death ?
 To answer the question, we need to ask another question, What is I ?

 <篠田謙一 『人類の起源』(中公新書、2022年)>:楽しめたし、勉強になった。旧人類で絶滅したネアンデルタール人とデニソワ人を改めて思いだし、ホモ・サピエンスの地球上での拡がり(あるいは分散)も再確認。特に日本人はどこから来たのかは時間を忘れて読んだ。本土・北海道・琉球のそれぞれへの人類の拡がりは現代に繋がるシナリオ構成として読んで、強く引きつけられた。
 現代における縄文人と弥生人の区別とその区別する意味、人種と民族を混同する無意味さ、現在を到達点のごとくに過去を見ること、また現在と過去の違いに価値をを持たせることの誤り、さらに人為的な基準を設けることや科学的・客観的な装いをもって恣意的な判断を下すことの誤謬など、これらを指摘する著者に共感する。

2023年4月16日日曜日

万年筆、文庫本2冊(赤松利市)

 入学祝いのし袋に苗字を書く際、久しぶりに万年筆を執った。長らく使っていないのでカートリッジ・インクを入れて何本かの万年筆で試し書きをした。やはりというか、ボールペンと違ってペン先がなめらかで書き心地がよい。これを機に眠っていた万年筆を日常使いに目覚めさせた。3本出した。ちょっとしたメモ書きにも使おうと思い、不足していたカートリッジも発注した。万年筆ごとにカートリッジの仕様が違うのが今更ながら不便に思う。
 会社勤めの頃はミーティングの時も含めてノートにメモするときはすべて万年筆を使っていた。会議ではそれが珍しかったようで何度かそれを指摘されたことがあった。
 愛用のモンブランはもう30年以上の使用歴があり蓋栓(天冠)のところに不具合が出てきた。振り返れば、高校時代も万年筆愛用者だったし、当時の写真の胸ポケットにはノック式万年筆が写っている。大学入学時に友人の母からプレゼントされたのも万年筆だったし、最初の勤務先を退社するときに先輩から贈られたものも万年筆だった。・・・ノック式(キャップレス)万年筆を1本欲しくなった。

 <赤松利市 『純子』(双葉文庫、2022年/初刊2019年)>:下肥汲みの家に生まれ、母親は井戸に身を投げ、父親は金を送ってくるだけ。幼い頃から体を売ってきた祖母は祖父に殴られすぎて顔半分が崩れて里からは嫌われている。女として高く売るための教えを祖母から受け、化粧を施される美人の純子は粗野であり性的にも耳年増になっており、化けて出る母親や地藏と話す。と書けば悲惨なある種の同情を惹く純子であるが、それは全くなく、全ページを通して描かれるのは貧乏で粗野で下品なそれでいて明るいスカトロ小説といったところか。糞便のにおいがしてこないのは、この小説の傑れているところなのか、はたまた著者の明るさなのか筆力のなせる技なのか。肥桶を担いだ純子が描かれる表紙は明るい日射しがあってキレイなのだが、読み終わった後で眺めれば光り輝く黄金の糞尿の色にも見えてくる。

 <赤松利市 『犬』(徳間文庫、2023年/初刊2019年)>:男同士の愛と暴力、軸となるのは家族や金。
 かつてのニューハーフで63歳となる桜は大阪の座裏で泡盛を売りにするバーを営み、そこでは若くて美しく、パンクファッションに身を包み、男性とはだれも想像しえない沙希が働き、桜を母のように慕う。桜のかつての男・安藤が現れ、昔の寄りを戻すが実は桜の金を簒おうとし、桜はそこにはまっていく。沙希は安藤の危うさ察知して金を奪い隠して行方をくらます。金を奪おうとする安藤が桜に寄生し暴力で支配し沙希を追う。大阪から岡山、長崎と旅は続き、その間に読んでいても気持ちが悪くなるほどの暴力と性行為が続く。痛みは、暴力と肛門性交と家族愛を盾に取った脅迫による精神的苦痛である。
 暴力描写には若干辟易するがスピード感ある展開に引き込まれる。LGBTと総称される人たちは個々にLであり、G、B、Tであるのだが一括りにしてLGBTと呼称するのはある種の差別ではないかと主人公が独白する。それには首肯する。個を中心におき、他者の個にも自分の個と同様の価値を認めればこういった区別(差別)観念はなくなるのではないかと思う。これを進めればアナーキズムの一種に繋がるヵ。

2023年4月4日火曜日

雑記

 自転車に乗るときにはヘルメット着用が「努力義務」となった。法律用語としては正しい言葉なのかもしれないが、違和感を拭えない。努力をする程度は各人各様で、それを一括りにして義務を課すというのがすっきりしない。ヘルメット着用を「義務」とすると規定する方がすっきりするのだが。

 スーパーの前で、車の通りで、住宅街で、議員候補の名を連呼する声がうるさい、喧しい。○○です、明るい町作りを目指して頑張ります、○○を宜しくお願いします・・・何を訴えてんだか、滑稽である。
 地方選レベルにおいては、裁判員制度の裁判員のように無作為に選んでみるとか、候補者から抽選で選ぶとか、そっちの方が金もかからず、権力(者)との裏工作もなく、いいような気もするのだが。

 昨日は娘の息子の大学入学式。これから新しい生活が始まる。これからの人生模様をどのように描いていくのだろうか。55年前の自分をついつい重ね見してしまう。

 Norah JonesがThe Little WilliesやPuss N BootsなるグループでもCDを出していることを知り、4枚を発注した。いままで聴いていた内容とは異なるジャンルの演奏や歌で楽しめる。
 彼女がエレキギターを抱えている姿は知っていたが、それが何故なのか得心した。

 <早坂吝 『殺人犯対殺人鬼』(光文社文庫、2022年)>:今回はどのような奇想天外のトリックと謎ときを示してくれるのか、それだけを思って、それ以外には何も期待せずに手に取った。そしてそれだけだった。

2023年3月30日木曜日

花冷え、酒を媒介にしての女性との会話

 雨模様で寒さが続いている。まさにこれが花冷えというのだろう。庭に咲いた花も既に散り始め、ウォーキングのなかで眺める桜ももうピークを過ぎて、緑の葉が雨の輝きを増幅している。そして、それはそれで綺麗である。

 定期的に通う病院でいつもと変わらぬ診察と処方箋が出され、薬を止めるのが目標だからねと言う医師の言葉に信頼が増す。まぁ少し高めの血圧と若干高めの中性脂肪であっては年齢的には当然という気もする。
 定期的な採血をしているときの消毒で、看護師さんがアルコールは大丈夫とですかと確認をし、はいと返事をしたら内側はどうですかとにこやかに尋ねられ、はい大好きですと応え、そのときの40歳前後(多分)の彼女が綺麗で素適に感じた。

 ノートPCを購入したとき、量販店で対応してくれた20代後半から30代前半と思しき女性スタッフと雑談を交わした。福島県田村市の出身であること、日本酒が大好きであること(ウィスキーは飲めない)と会話が弾み、自分は会津高校出身であることに併せて会津の酒や東北地方の銘酒、埼玉県の酒などを紹介したら熱心にメモをとり、飲んでみようと表情を和らげ微笑んでいた。・・・酒は飲まなくとも、酒を媒介にして会話が弾みその空気に酔うことができる。

 <呉勝浩 『スワン』(角川文庫、2022年/初刊2019年)>:越ケ谷レイクタウンをモデルにしたショッピングモール・スワンで襲撃テロが発生し、事件に巻き込まれたいずみと小梢。いずみは過去に小梢からいじめを受けていた、逆な言い方をすれば小梢はいずみにいじめを加えていた。
 大勢の人間が銃やナイフで殺され、そのなかの一人の老女の死の状況を調査する弁護士のもとに事件の被害者や関係者が定期的に集まり、事件当日の各人の状況を時系列に話していく。虚実を交えた状況説明に事実と虚偽が明らかにされ、被害者と生き残った者の状況が明らかになっていく。そして小梢の状況といずみの関係性の中で事実が(登場人物にではなく)読者に理解される。ショッピングモール・スワンとチャイコフスキー“白鳥の湖”のスワンがストーリーの中で鮮やかに組み合わされる。
 作者は「中学生時代に映画の面白さに目覚め、大学では映像学科に進んだ」とあり(解説)、やはり感性、想像力、創造力は生まれ持ったものであり、その上で小説は生れるものだと改めて強く感じた。

2023年3月27日月曜日

4年ぶりの花見

 高校同窓会の4年ぶりに花見が計画されたが、残念ながら25日土曜日のこの日は雨。恒例の上野公園での花見~居酒屋での宴会は予定変更で始まりからいきなりの宴会となった。当初の参加予定者に4名の欠席がでてしまった。時間繰り上げで欠席、家族内に体調不良者がでて欠席、本人が体調を崩し欠席、飲酒不可となり宴会だけの出席は止める、以上が欠席の事由で結局参加者は9名となった。会津若松、栃木県さくら、横須賀、佐倉、市川、春日部、足立区、上尾(2名)の各地から参加。2名は酒が飲めないおよび飲まない。

 12時にKYとSJと待ち合わせ、傘の下から桜を眺め、不忍之池沿いに歩をすすめ宴会場に向かった。
 宴会は13時から開始して17時15分頃にはお開きとなった。上野駅周辺で皆と別れ、山下口から入って久しぶりに“みはし”のあんみつなどを買い、北千住構内で見かけた桔梗屋の出店でこれまた久しぶりに信玄餅を買う。これらは連れ合いへのおみやげ。そして空腹を覚えたのでこれもまた4年ぶりになろうか回転寿司みさきでハイボール3杯と寿司幾皿かを飲食し、眠ってはいけないからと電車内では立ったままに春日部まで移動し、コロナ禍の3年間で3回目となるバスに乗って帰宅。
 楽しい一日であった。高校卒業から55年も経ってそれなりに年齢の重りは容姿などに見られるが、また一緒の時間を過ごしたいものである。




2023年3月26日日曜日

WBC、New PC

 WBC、日本がアメリカに1点差で勝利し2009年以来の優勝。そうか、前回の優勝は定年退職した年か、まだ60歳の時だったかと些か感傷的になる。テレビや新聞で繰り返し大きく報道されているWBCだがテレビ中継はほとんど見ない。見てもハイライトなどである。4時間前後も長い試合は退屈してしまうし、多くは投手と捕手の間をボールが行き来するだけでつまらない。それに、一丸となってチームプレーをするということが野球の場合にはよく理解できていない。また、ニッポンという括りで感動を前面に出す報道にはうんざりする。一つの括りで物事が語られと視線をずらしたくなる。

 習近平がプーチンと会った。独裁者同士は共有する価値観があって気が合うのだろう。岸田がウクライナを訪問した。薄っぺらな言葉を並び立てるこの人は、またもやしゃもじで言葉をすくって存在を誇示したいのだろうか。トランプは逮捕されると言っては抗議を煽っている。記憶力の薄い高市某は捏造だと叫ぶ。・・・・人間社会というのは悲喜劇であることは確かである。

 1Fで使用しているPCの調子が落ちている。8年間の酷使で草臥れてきたのだろう。代替品としてDELLのPCを購入。WIFI 6対応は有線LANを不要としていて端子口もない。無論通信速度は有線LANと変わりない。
 第12世代CORE i5は快調で、余っていた8GBのメモリーを追加装着。裏蓋を開けるのに慎重を要した。会社勤めときは使用した時期があったが自宅でDELLを購入したのは初めてのこと。
 これで家にあるのはノートPC3台と安価ミニPCの1台となった。机の回りはオーディオやPC、楽器関連で乱雑な配線となっている。

 <小西マサテル 『名探偵のままでいて』(宝島社、2023年)>:レビー小体型認知症の老人が安楽椅子探偵を、孫娘の楓がMCをつとめる、連作短編集。脇役は小学校の教員先輩である岩田、彼の親友の四季。古典ミステリーの薀蓄があり、日常的な生活の中での事件への推理があり楽しめた。が、一方では途中から倦きてくる。第1章から最終章まで舞台と登場人物はつながり、最終章のエンディングはピシッとキレイにホンワカと決まる。2023年/第21回の「このミス」大賞受賞作。

 <中島要 『神奈川宿 雷(いかずち)屋』(光文社時代小説文庫、2022年)>:雷屋は神奈川宿の茶店で二階ではもぐりの旅籠を営んでいて、その2階に食事を運んだり掃除をしたりするのが18歳のお美乃。読み書きは出来ず、ご面相は山桜で劣等感ももっている。だが好奇心旺盛で客が死んだ真相を探ろうと動く。時は幕末、横浜では異人も女郎屋に通ったりし、一方では攘夷派が暗躍し役人もその動きを探る。幕末の慌ただしい中で働き、謎ときも行い、役人も絡んでくる。
 まぁまぁ面白いのだが予定調和的に中途半端な感じもして物語は幕を閉じる。
 山桜は花が散る前に葉が出る。すなわち花(鼻)より先に葉が出るということで、山桜は出っ歯を意味する。

 <中島要 『大江戸少女カゲキ団 五』(ハルキ文庫、2022年)>:シリーズものとは知らずに(表紙の「五」が小さい)買ってしまった。これがその最終刊のようである。つまらないので中核の物語は途中から斜め読みし、7年後の〆のシーンはきちんと文字を追った。
 「着物始末暦シリーズ(全10巻)」が大人気シリーズと最終頁に書かれていたが、この作者はこれでお終い。

2023年3月15日水曜日

花、開く

 3月も中半、手入れを怠っている、我が家の庭の花開く。
 最後に載せている梅は柵の外。







 <西山太吉・佐高信 『西山太吉 最後の告白』(集英社新書、2022年)>:沖縄返還密約事件(沖縄密約事件/西山事件/外務省機密漏洩事件)の西山太吉さんが先月24日に91歳で亡くなった。男女のスキャンダルあるいは機密情報入手手段の是非に視線を移し、密約という本質を見つめることがなかったことに日本の政治体質と報道体質を感じていたし、併せて、市川房枝などの著名な女性政治家が「情を通じ」という面に視座をおいたことに彼女等の想像力の乏しさ、思考の甘さを思っていた。以前からのこの思いを補強するように読んだ。
 以下、面白いと思った幾つかの引用;
 「小泉は日米閏係と口中関係という二次方程式を解けなかった。小泉が抜擢した安倍は一次方程式も解けず、安倍後継の福田康夫は最初から解く気はなく、麻生太郎に至っては、方程式の意味も分からなかった」というのは佐高さんの説。
 「現場で権力握っているということは、それだけ頭使うし、同時に自意識が非常に強くなるから、血液の循環も良くなる」。だから「権力を握っていると長生きする」。
 「上に行けば行くほどに、司法も国家権力と一体になる」。
 「あの兄弟の特徴は教条主義、法律至上王義というか、すべてをあらかじめ細かい約束事で縛ろうとする。カのある側はその方が都合がいい。しかし、弱者はそれによって骨の髄まで抜かれる。しかも、国益を害する不公平な約束は、国民の前に見せず、密約扱いにしてしまう。教条的支配というものが、そうさせているわけです」。あの兄弟とは岸と佐藤。
 「専制的、独裁的政治からは必ず秘密が生まれる」、「ドグマ的であり独断専行な人は、相手を全く無視するし、相手に寛容に接する余裕もないから、どうしても隠し事をしてしまう」。これは十分に実感できる。隠し事をすることは嘘をつくことにも通じる。
 「国家機密が日本のメディアによって暴かれたことがありますか? 1回もないよ。西山太吉だけですよ。国家機密の暴露は」。哀しいかなこれが現実。

2023年3月10日金曜日

ハートの穴、時代小説2点

 いつもの散歩/ウォーキングコースで、 “おすい”のマンホールすぐ近くにハート型をした小さな穴を見つけた。愛の陥穽に足を取られ、挙句の果ては蓋で閉じられて暗渠を流れる・・・というショートストーリーがふと頭に浮かんだ。



 <中島要 『酒が仇と思えども』(詳伝社文庫、2021年/初刊2014年)>:酒にからむ時代小説-人情話6編。
 「酒が言わせた言葉に文句を言うのは無粋の極み」なんて言って、酔っ払いを受け入れてくれる女性がいたらもう至福であろう。が、それは単なる酒好きの勝手な言い分ではある。
 「嫌なことを忘れるために飲む酒もあれば、本音を言うために飲む酒もある。でも、飲んで一番うまいのは祝い酒でしょう」。最後の言葉は肯定するが、前者二つの主張は好きでない。
 「大工と破れた番傘は、雨の間は出番がない」-そもそも破れた番傘に何の価値があるのだろうか。
 「下り酒だって波に揺られて価値が上がる。人も苦しい思いをしないと、一人前になれないんだよ」。そうだよ、宿酔を経験し、反吐を吐いて、時には雨に濡れた舗道で尻を打ち、連れ合いに怒られたりして酒を飲む苦しみを知り、そして楽しみを体得する。何かを得るには何かを差し出す、これは世の摂理。・・・欧州(多分)のことであるが船で揺られて運ばれたビールは美味い、だから船で揺られることを模して揺ら揺らする装置を作りビールを揺らした、という逸話を読んだことがある。

 <高瀬乃一 『貸本屋おせん』(文藝春秋、2022年)>:文化期の江戸は浅草。母親は男を作って出奔し、版板を彫る腕の良い職人だった父親は御公儀から職を奪われ、揚句に酒に溺れ川に身を投じた。天涯孤独となったおせんは本を読むのが好きで写本も書き、本を積んだ高荷を背負い、貸本屋として江戸中を振り売りして歩く。おせんが貸本屋稼業をしている中で出版にからむ事件が起こり、それを解決する。全編5話の楽しめる一冊。「オール讀物新人賞」を受賞した、著者初めての刊行本。続刊を期待する。

2023年2月25日土曜日

ラクエル・ウェルチ、本1冊

 ラクエル・ウェルチが亡くなった。享年82歳。55年前の18歳の時だったか、多分新宿歌舞伎町だったと思うが、映画館の上部に大きく描かれていた「恐竜100万年」の看板が思い出される。あの頃は園山俊二の「ギャートルズ」も人気を博していたのでちょっとした石器時代ブームだったのか、「フリントストーン」なる映画もあった。
 ラクエル・ウェルチといえば、もちろん古い映画だが「ミクロの決死圏」も、そしてあの豊満な肉体も思い出す。

 <鈴木大介 『ネット右翼になった父』(講談社、2023年)>:検証対象となっている「父」は私より7歳年長だから、図式的に当てはめれば著者の立つ位置は私の息子であり、観察されているのは私ということになる。
 癌に罹患し77歳で亡くなった父は晩年「ネット右翼」となったようで、死後父のPCからは「嫌韓嫌中」のフォルダーが見つかり、部屋からは『月刊Hanada』、『WILL』、『正論』、『SAPIO』、『新潮45』などがあり、『諸君!』もあったかもしれない。そして典型的な「朝日」嫌い。
 親しくはないが「ネット右翼」っぽい言葉を発する私と同年代の知人がおり、どうしてああなってしまうのかと疑問に思っている。もしかしたら本書でそのヒントが得られるのかもしれないと期待した。結局本書で描かれる「父」はネット右翼ではなく、父の死に冷淡な感情しか抱かなかった著者が父の生前を追い求め、著者自身を見つめ直すことだった。結果、杉田俊介氏の言葉を借りれば「和解に必要だったのは父親の異物性に出会い直し、善悪や清濁を併せ持つ他者の「等身大の像を取り戻す」ことだった」(『朝日新聞』2023年2月23日)。
 著者の叔父は著者に次のようなことを言う。すなわち、ある世代の人を思うときはその年代を合わせ考える必要があると。当たり前のことである。しかし、下手するとあの時はそういう時代だったと安易に言い訳にして正当化してしまう懸念も感じる。

2023年2月21日火曜日

本3冊

 読書量が極端に減った。制限ある時間の中でやることを増やしているので当然なのだが、かといってやることや関心事を減らすつもりもない。ずーっとこの状態が続くのであろう。そしてウォーキングの途中でまた本を何冊か買ってきてしまった。

 <大塚ひかり 『ジェンダーレスの日本史 古典で知る驚きの性』(中公新書ラクレ、2022年)>:おおらかな日本の性は明治になって(欧米に目を向けてから)大きく変化した。以来欧米の価値観を受け入れ、前の敗戦から米国に従属(隷属)するようになった。
 本書ではいろいろな歴史的事実から日本の性の大らかさ-ひねくれて言えば節度のなさとか刹那的快楽への耽溺-を知る。それはそれで面白いのであるが、なぜそうなったのかを知りたくなる。四季豊かな自然、狭い生活空間、地から採れる植物主体の食事等々、なぜおおらかな性となったのかと思いを巡らす。

 <佐藤究 『爆発物処理班の遭遇したスピン』(講談社、2022年)>:SF、破戒、暴力、怪物、物理、ミステリー。8編の短編集。異次元の世界、作者の創造性に驚嘆する。

 <永井義男 『隠密裏同心 篠田虎之助 最強の虎』(コスミック・時代文庫、2022年)>:関宿藩での物語から始まって、その後は深川が主な舞台となる。剣と恋の新シリーズ第一弾とあるが、剣ではなく主人公は杖術が主体。まだ恋の部分は出てこない。16歳の藤川(遊女)か、亡き友人の許嫁で武家から商家の娘となったやはり16歳のお文か、はたまた今後登場する女性なのか。好きな作家の永井さんの時代小説の楽しみが一つ増えた。

2023年2月16日木曜日

日本国語大辞典、早稲田ラグビー次期主将、mp3プレイヤー

 欲しかった『日本国語大辞典』、縮刷版であるが格安だったので全10巻を購入。部屋の中にまたモノが増えた。

 早稲田ラグビーの次期主将はほぼ予想通りに伊藤大祐。監督は大田尾の続投。 4月新入学で分かっているのは松沼寛治((東海大仰星)・新井瑛大(大阪桐蔭)・森田倫太朗(報徳学園)の3人で、前二人は高校日本代表候補(2023.2.01時点)。 期待が膨らむ1年がまた始まる。

 iPod Shuffleをメルカリから購入。代4世代で2015年製。求めた理由は現在主流のディスプレイ表示がなくボタンのみの操作であり且つ有線イヤホン/ヘッドホンであること。ネットで長時間調べたがこのような商品は中華激安品しか見当たらない。
 iPodはiTunes前提となり好みではないし、PCとの接続性に一抹の不安はあったがメルカリに出品されているなかから2015年製で安価のものを選び購入。
 やはりこれに音楽を入れるのが大変だった。まずWindows10(アップグレード版)では2台のPCともに認識してくれない。復元を試すもフリーズしてしまう。iTunesも一度奇麗に削除し再インストールしたがダメで一時は諦めた。アップグレード版のWindows10ではいままでも不具合を経験しているのでそのせいなのかもしれない(例えばSony Walkmanでも認識不具合がある場合がある)。
 次に試したのがWindows11中華安価PCで、これはすぐにきちんと認識されるが外部メモリーとしての修復を要求され、それを施したら正常に認識された。iTunesとの同期もとれる。iTunesとの同期は好きでないので、CopyTrans Managerなるアプリをインストール。これの使用勝手がよく一度だけiTunesでライブラリーを作り、以降はこのアプリを活用する。
 iPod Shuffleは始めて手にしたのだが小さい、余りにも小さい。音質はいいが小さい。で、もっと操作性も良さそうなSony Walkman NWZ-B183Fも購入してみた。これも生産終了品でiPod Shuffle同様にとんでもないプレミアムがついて販売しているサイトも多い(中国が多いのかな)。色は問わずに良心的な価格をつけている国内のオンラインショップに発注した。この商品は国内向けではなく米国向けの輸入品でマニュアルにも日本語は一切ない。ただウォーキングなどでランダムに聞き流すのにはいい。
 上記以外にもスピーカーがあってFM/AMにも対応している安価な中華mp3プレイヤーを手にいれた。とにかくシンプルな操作でディスプレイが無く、ただただ音楽を流すだけであるし、スピーカーでも音が出せ、ついでに(?)2段階のLEDライトも具備されている面白い商品企画である。暗い夜や早朝に音楽を聞きながら散歩する人に向けた企画といったところであろう。但しこの商品は中華製によくあるようにマニュアルは貧弱だし作りにも粗雑さはある。例えばマイクロSDの挿入に注意しないとケース内部に落ち込んでしまう(一度やってしまい取り出すのに苦労した)。もう一つは、マイクロSDのフォーマット形式については一切の記事がなくうっかりNTFSにしたままでは当然であろうが読み込まなかった。
 iPod Shuffleとスピーカー付きmp3プレイヤーは連れ合いが使用するために購入した。今のところ満足しているようである。
 さらにさらに遊びで500円もかけずにmp3プレイヤーを発注。そのうちに中国から届くであろう。このような超安価なものがどういう音を出すのか興味があって発注してしまった。

2023年2月2日木曜日

雑記、ミステリー1冊

 Angelina Jolieのアクション映画を見ていたら井上和香と石原さとみを思い出した。

 David Crosbyが亡くなった。81歳。CS&NやCSN&Yよりも自分にはByrdsのクロスビー。53年程前に購入したアルバムが棚に並んでいる。

 <呉勝浩 『爆弾』(講談社、2022年)>:野方署で取り調べを受けるスズキタゴサクは刑事に心理戦を挑み厖大な言葉を放つ。彼が予告した通りに先ずは秋葉原で爆発が起こる。爆発が起こるとされる駅の特定と爆弾を探し続ける警察官、なぜ野方署なのか、タゴサクの目的は何なのか、爆弾を仕掛け計画を練った者は誰なのか、その目的は何か。捉えどころがないスズキタゴサクの人物設定が独創的で素晴らしい。すべてが解決する段になってそれまでの伏線、ストーリー構成に感嘆する。 時間の合間に読み続けたが一気読みすればもっと深く味わえたであろう。このミスの1位。

2023年1月26日木曜日

「Dr. HOUSE」、中性脂肪/頸動脈エコー

 Dr. HOUSE(全8シーズン/177話/39枚BD)を見終えた。昨年12/12に購入して約1ヶ月半近く要した。1話が約45分だからトータル7,965分/133.75時間、一日あたり3時間20分ほど見ていたことになる。ラストのエピソードは予想もつかなかったが、素敵な幕の閉じ方で作り方が実に上手い。

 先月12月末と今月6日の血液検査に続いて、先月2日に採血した結果が出た。内容的に新しく分かったことは何もない。ただ積極的治療は要しないが中性脂肪が標準値を上回っている。で25日に念のために初めて頸動脈エコー検査をした。右にも左にも大きくはないプラークの存在が確認できた。医師が言うには大きくしないようにしましょうとのこと。併せてよくあるように運動の推奨と食事の注意点を告げられた。中性脂肪やコレステロールが高めであることは30年以上前からのことで、考えようによってはそれだけの積年があってもこの程度であることは喜ばしいことかもしれない。それに運動をやって中性脂肪や血圧が正常値になったことはあっても、当時の月当たり100kmから150kmのジョギング/ランニングを思えば同じようなことはできる筈もない。が、毎日ではなくても少しは体を動かそうかなと思わないわけではない。
 一方、この先は予測できないので、運動に費やす時間によって延命される時間、逆に何もしないで好きなことに(例えば音楽や読書)に費やす時間、この両者の損得は天秤にかけられるのであろうかなどとも考えてしまう。否、所詮未来は予測できないし、変数を沢山入れた人生の関数F(x,y,z,α,β,γ・・・・)の中でそれらの個々の変数がどのような値をとるのか、それは過去と現在から測り得る確率の組み合わせでしかないだろう、なんてことも思ってしまう。でも、自分には自分を取り巻く人たちがいるわけで、彼等・彼女等にどう関りながら自分の身の処し方をどうするのか、などと少し真面目に考えることも必要でもある。

2023年1月25日水曜日

現代百人一首

 毎年恒例の東洋大学「現代学生百人一首」。第36回目となる今回も入選作をセレクトしメモを付した。
     オレンジの夕日が差し込む窓際で試験に向けてにんじんを切る
 夕日と人参のオレンジが鮮やかな対の色彩を見させてくれる。歌った女子高生の高校には食物科があるのでその実習試験に備えて練習していたのであろう。人参を切る音が聞こえてくる。

     二学期の始めの頃に現れるシャワーヘッドのような向日葵
 シャワー、ひまわり。黄色い色彩の中に初夏を感じる。これも好きな歌。

     十一年経っても私は帰りたい私の故郷いわきの町へ
 いつも思う。私の故郷は何処と言えるのであろうかと。記憶にある幼少期の地はかつての住所すら残っておらず杉林に被われている。

     青い空金色(こんじき)の野のウクライナ描くためには赤はいらない
 ウクライナの国旗に降り注ぐロシアの国旗の血の色。

     お父さん口きかなくてごめんなさい思春期とやらがきてしまったの
 娘にそういう記憶はあまりないーというか娘が起きている時間には会社にいたー。今、娘の娘は中学一年生で父親とのツーショットは撮らせないみたいである。しかし、私とはツーショットどころか肩に手をおいても気にせずVサインをしてくれる。それを見て娘の夫は羨ましそうな表情をする。

     溶接をやってくうちに見えてくる理屈を超えた感覚の世界
 この気持ちとてもよく分かる。昔、『春は鉄までが匂った』(小関智弘)の小説に対し「鉄が匂うわけがない」と言い放った阿呆な作家/評論家にはこの歌の「理屈を超えた感覚」の真の感覚は理解できないであろう。

2023年1月23日月曜日

直木賞、『プリンシパル』

 自分が読んで賞賛した小説がその後に話題を呼んだり、また名のある賞を受賞すると嬉しい。古い記憶は『海峡を越えたホームラン』(関川夏央)で、海老名市と藤沢市の市境付近の小さな本屋で購入したことを覚えている。次に記憶にあるのは『コリアン世界の旅』(野村進)、『神無き月十番目の夜』(飯嶋和一)。もちろん評価が高いからこそ出版されたのであろうが、世の中で大きな話題になっていない本を偶然手に取って、読んで良い本だなぁと思い、その後に話題になると何かしら自分の中で得意になってしまう。
 今回は直木賞受賞が決まった『しろがねの葉』(千早茜)。鉱山を舞台にした小説では頂点に位置すると思う。

 <長浦京 『プリンシパル』(新潮社、2022年)>:ヤクザの組長の娘に産まれた綾女が敗戦後にそのトップに担ぎ上げられ、やがて商事会社の衣装を冠った組の存在を守り発展させていく。その過程で多くの冷血な殺人を行っていく犯罪・暴力小説。敗戦後の総理大臣やGHQ、芸能界などの虚実を交え、ヤクザ社会の忠信と信頼、裏切りと報復などを描く。ヒロインは東京高等女子師範を出て教師を務めていたが、物語の中ではヒロポン中毒となっている。親や夫を殺されたヤクザやその家族の復讐劇が最後まで続く。
  バイオレンスクライム小説、ピカレスク・ロマンと本の帯にあるが、最初から最後まで感じたのはその生き様の安っぽさで、それは基本的に底の浅い暴力小説を好きになれないところから発する。この小説に何が不足しているのだろうと考えたが、それは多分に敗戦後の市井が活写させていないせいであろう。当時の物理的存在(建造物や車など)政治体制などの歴史用語は使われているが、それらが上辺だけの道具表現となっているからであろう。
 読んでいて時折フォントが変わるのに違和感を抱いた。会話で使い分けているのかと思ったが明確な判別を受け取れず、煩わしい。

2023年1月8日日曜日

病院、ラグビー

 6日、3ヶ月ごとの定期診察と、11日前の救急外来診察での再確認のために春日部秀和総合病院へ行く。そしてメインはPSA検査を含む血液検体検査。友人の前立腺癌手術に触発されてPSA検査を予約していた。結果は4年前の数値と変わらず正常値であってまずは安心した。11日前と同じ薬を処方され。次の通院は誕生日の前日となる。

 7日、ラグビー全国高校大会。東福岡の圧倒的強さで報徳学園を沈めた(41/6T4G1PG)-10/1T1G1PG)。キックオフ直後のチャージから東福岡がトライを決め、前半は12-7と拮抗したが、後半になってからは、東福岡の強いディフェンスのために報徳は効果あるゲインができず、圧倒的な差異で東福岡が6年ぶり7度目の優勝を決めた。
 8日は大学選手権決勝。帝京優勢は変わらないが、早稲田の直向なそして華麗な展開ラブビーを見たい。この日で自分の中でのラグビーシーズンは終了、リーグワンの試合は関心が向けばケーブルテレビで見れば良い。従って今月一杯の視聴を残してJ Sportsのオンデマンド契約を解除した。次の再契約は来季大学ラグビー公式試合がスタートする9月になってからとなる。

 8日、ラグビー大学選手権、苦戦し大差がつけられるのではないかと危惧していたが、前半に槙と松下の奇麗なラグビーで逆転したときはもしやと期待した。その後逆転されたがまだまだと思っていた。しかし、帝京エリア内でのLOのチャンスを生かせず逆に差を広げられた。このときに早稲田の負けを感じ始め、後半さらにトライを重ねられ、帝京の得点が33点となったときに観戦を止めた。帝京FWDの接点への働きかけが早く、コリジョンで早稲田は完全に劣勢であった。途中で2回チャンネルを合わせるも得点差は大きく開くばかりで、最後にちょうど槙の独走トライを見たのが少し救いになった。
 録画予約を全て取り消し、今季のラグビーは幕を閉じた。
 今日の23人のメンバーのうち15人は1~3年生、来季に期待を膨らませよう(帝京も同じく15人が残るが)。来季主将は誰がなるのだろうか、現3年生委員は伊藤・岡崎・川崎なのでこの中から選ばれるのだろうか。桐蔭でもキャプテンを務めた伊藤かな、どうだろう。

2023年1月6日金曜日

新書など4冊

 年末年始にかけて目を通した本。酒精を体内に入れながら、或はテレビをチラチラと目にしながら読んでいた。

 <渡辺京二 『あなたにとって文学とは何か』(忘羊社、2021年)>:2021年2月に熊本市での講演を収録した冊子。興味ある言葉を引用しておく-「私(わたくし)の事情小説」、「文学の下降」、「近代史の大半は「こういう国家をつくりました」という話」、「全ての文学はブラウン夫人から始まる(ヴァージニア・ウルフ)」、「文学とは、「私はこう生きたい」という自己の発現」。

 <読売新聞社会部「あれから」取材班 『人生はそれでも続く』(新潮新書、2022年)>:「日本中が注目した22人を、徹底取材」した「あの人は今?」。新聞やテレビで日本中に注目された人たち、あるいは出来事に関った人たちのそれからの人生。その人たちを取材した記者たちはストレートに共感し感動しただろうが、70年以上生きてきた人間から見れば冷めた視線でそういう人生もあったんだと思うだけ。つまり、「その人たちの事情」の中でその人たちは真摯に生きていているという思いだけである。

 <大沼久夫 『『上毛新聞』に見る敗戦後の群馬県』(上毛新聞社、2011年)>:共愛学園前橋国際大学ブックレットとある一冊。群馬県特有の敗戦後の歴史の一断面を見ることができるのではと期待したが、800円の無駄づかいだった。

 <今井伸 『射精道』(光文社新書、2022年)>:タイトルに惹かれて購入した。武士道ならぬ射精道、「『武士道』で語られている武士の魂である「刀」を、「射精道」では「陰茎」に置き換え」、「陰茎を持って生まれた男子が、射精を伴う性生活を送る上で守るべき道を意味」し、それを説くのが本書。まぁ既に卒業した-欲望は完全消滅しないが行動が伴わない-身としては過去の自分を振り返り、なるほどねと距離感をもって読んでみた、というところ。だが、「射精道」とは、言ってしまえば、他者への向き合い方そのものを説く人生訓である。
 1875年、『造化機論』出版の影響で「陰茎」「陰唇」「会陰」「卵巣」などの訳語が生まれ、江戸期の「陽」の性的行為が「陰」になってしまった。爾来日本には西欧キリスト教的道徳観念が滲透した。おおらかな行為が社会的規制の下で隠微になってしまい、その反面柔らかに体を被っていた和服が、体にぴったりと密着し輪郭を露わに誇張する洋服になってしまった。いいとか悪いとかではなく、そうなってしまったということである。

2023年1月5日木曜日

駅伝、ラグビー大学選手権準決勝

 1/2に箱根駅伝とラグビー準決勝を同時に観戦できるのは早稲田OBとしては2年ぶりの至福。
 苦戦するだろうと思っていた京産大戦、シーソーゲームで34(4T4G2PG)-33(3T3G4PG)で勝利。京産大の外人パワーに押されるが、早稲田のゲーム運びが上手かったという感じで、村田、槇、宮尾、伊藤のトライは美しかった。後半になって左PRが川崎から井元、同じく後半にFB小泉を下げて伊藤がSOからFBに回り、野中がSOに入るというパターンが定着したようである。足を痛めた吉村が心配、次戦に影響がなければ良いが、彼は攻守の要でもあり、プレースキックの精度が高い。
 京産は慶応に34-33で勝ち、早稲田に34-33で負けた。外人パワーはすごいがそれ以外ではフランカーの選手が印象に残っただけであとは物足りない。外人パワーに依存しすぎでなかろうか。もう一皮むけないと9回続く準決勝敗退の壁は崩せないのでないだろうか。それは大学駅伝にて突出したアフリカ系ランナーがごぼう抜きを果しても上位に食い込めないチームと同じように思える。(4年になっても日本語がたどたどしい留学生ランナーというのはどうなのだろう。いっそのこと駅伝学部とかにすれば得心するが。)

 駅伝は兎に角シード権を奪取してくれと願って早稲田を見ていた。復路で3位に上がったときは歓喜。結果的には6位で、昨年は13位であったことを思えば上出来である。6位で喜ぶ早稲田と対照的に3位の青学は落胆の様子。6区で区間最下位は驚いた。
 駒沢は強い。全員が各区間で上位に入る安定さ(層の厚さ)を強く感じた。花田監督のもと、来季の早稲田に期待。

 高校ラグビー、準々決勝になって拮抗したゲームが続くようになってきた。高校ラガーの進路はある程度は決まっているのだろうが以前と違ってネットではそれが確認できない。もちろん早稲田への推薦合格者も一切発表されていないようである。

救急外来へ

 昨年末、排尿がやや苦しくなりまたもや急性尿道炎あるいは急性前立腺炎に罹ってしまったかと思い、常時通院する総合病院の外来診察予定を確認すると午後診察はなく、翌日の診察もなく、しようがないので救急外来に電話を入れた。実際のところは大したことでなかろうと市販薬を買ってきたのとだが、連れ合いが年末~正月にかけて休診が多いので病院に行けと強く言われた経緯があった。
 最初は当該部署への電話が繋がらないと言われ、いまのご時世ならば簡単に受け入れてはもらえないかと思った。電話に出た女性から告げられたように15分後に再度電話を入れると、泌尿器の医師は手術中で診られないが内科医が診てくれるということで病院に行った。手回しよく、既に診察までの流れが出来ており、採血-採尿-エコーと回り、結局、炎症(細菌)はなくおそらく前立腺肥大のせいであろうと女性内科医に言われ、その後泌尿器科の医師と連絡を取ってくれていま服用している頻尿抑制薬(ベタニス)を直ちにやめハルナール系(タムスロシン塩酸塩)の薬にて1/6まで様子をみてと診断された。1/6は3ヶ月ごとの定期診察日で、その日はPSA(前立腺特異抗原―要は前立腺癌有無の検査)を入れるように依頼している。
 結果、ベタニス錠を止めタムスロシンをのんだら一発で効いた。薬用効果が直ちに表れる体質のようで以後快調、トイレに行く頻度も以前より少なくなった。