2023年8月12日土曜日

傲慢と善良

 <辻村深月 『傲慢と善良』(朝日文庫、2022年)>:話題になっていた小説だし、書名が思索的であるし、著者の本は読んだことがないし、ということで手に取り、帯の「人生で一番刺さった小説 との声、続出」という惹句は安易で、また表紙に描かれた女性の顔が好きじゃなかったが、810円をだして読んだ。
 100点だった彼女はいたが、結婚という行為に踏ん切りがつかずにいて、その彼女は他の男と結婚をし、ビール輸入代理店社長39歳の架は未だに独身。架は婚活を続けて真実と知り合い、結婚することに70%は肯定するようになり、二人は結婚式場の予約も済ませている。
 架の女ともだちから、架にとって自分は70点の女と聞かされた真美はストーカーにつきまとわれ恐怖から架けるに連絡をとり、翌日に姿を消してしまう。
 第1部では架が彼女を捜し求める。自分の好ましい状況下に置こうとする真美の母親、その母親に抗い母から離れた姉、前橋での結婚相談所の女性、真美が見合いをした二人の男性、中学の同級生で県庁では同じ派遣社員だった彼女の友人たちと会い、架はストーカーが誰だったのかを探す。しかし、ストーカーは特定できない。徐々に明らかになるのは真美の「善良」な性格や行動パターン。そして結婚というものを人々はどう捉えているのかということを改めて知る。一方、結婚に踏ん切りがつかなかった架の{傲慢」であることへの自覚。
 単純にいうと「傲慢」とは思い上がりであろうし、「善良」とは素直でいい性質のことを指すのであろうが、言い換えれば、傲慢とは自らの感情や価値観を高所におき他の人のそれらを受容しないことをいうのであろうし-受容するときは寛容という傲慢な姿勢をとる-、善良とは皮肉っぽく言えば己の価値観を他の人のそれに溶け込ませて感情もまた相手のそれに馴染ませてしまうことでもあろう。
 第2部は失踪してからの真美の思いや迷いを真美の視点で語る。作者の意図とは異なるかもしれないが、ここでは真美も傲慢になっていると感じた。架の傲慢は彼自身の価値観や感情の上にある傲慢さであるし、善良さとは自省と表裏一体の鈍感さとも感じる。一方、真美の傲慢さとは彼女の迷いや感情を架によって支えられようとする依存性とも思え、彼女の善良さとは自意識欠如による鈍感さと思える。彼女のそれは、二人だけの結婚式の神前で次のように思うことにある。すなわち、「本当は、これでよかったのだろうか、と望みがかなった今も、考え」、「この人のこの、気負わない鈍感さに、夫であるけれど違う人間であることに、これから何度救われるのだろう」と思うことにある。
 読んでいて苛立ちを覚える人物が何人かいた。真美の母親、真美の2回目の見合い相手、架の女ともだち。それぞれ異なるキャラクターであるけれど、近づきたくない人たちであり、これは俺の傲慢さであろうヵ。
 ・・・昔から言われている。結婚とは判断力の欠如であり、離婚は忍耐力の欠如、再婚は記憶力の欠如。結婚する奴はバカだ、結婚しない奴はもっとバカだ。これらの箴言は正鵠を射ている。 最後に、この文庫本の表紙の女性の絵はやはり編集者の選択ミス。

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