2015年12月30日水曜日

無題

 今年の読書量は例年に比べてとても少ない。読書の質は読んだ量とは別物であるが、量が少なければ質を問う機会も減ることは確かである。内容の濃い本については読み方を変えようとしているが、それも10月から中座している。時間の使い方に反省しきり。

 <小林よしのり 『卑怯者の島』(小学館、2015年)>:風邪のせいで倦怠感があり、本の活字を追いかける気力もない。高校ラグビーを楽しむために例年通り『ラグビーマガジン』2月号を買いに行き、ついでにこの漫画を購入。
 反戦でもなく好戦でもないと著者はいう。ペリュリューを舞台に、戦争に巻き込まれた兵士個人を描いている。戦争に参加せざるを得なかった人の悲喜劇でもある。個人を中心に据えた戦争漫画と言えば、大西巨人『神聖喜劇』漫画版がすぐに頭に浮かぶ。『神聖喜劇』は本の重さもさることながら内容の重さもずしりと響いてくるのだが、小林のこの『卑怯者の島』は軽い、浅いと感じてしまう。それは多分に、「英霊」や「靖国で会おう」などの言葉が躊躇することなく使われている著者の国家観なのであろう。戦前に軍神様と崇められてリヤカーに乗って村を回っていたが、戦後は物乞いをしている戦傷者に再会したとき、「俺の日本を見失った」「英霊になれなかった」と号泣するが、その戦争経験者の心境に対し肯くことはできない。
 年老いた主人公がバスジャックにあい、そこで割腹するときに「乗り越えるべき父権がないから、若者の攻撃性は弱者に向かってしまう!」というが、何を言わんとしているのか解らない。なお、軍神様がリヤカーに乗って村を回るのは若松孝二監督『キャタピラー』を容易に連想させる。あの映画は戦争の悲劇と愚かさを描いていて秀作である。


 <笹原宏之 『訓読みのはなし』(角川ソフィア文庫、2014年)>:新書版を改訂したもので先に新書版を持っていたが文庫版を追加購入。日本以外-中国・韓国・ベトナム・台湾など-の訓読みには興味がないのでそこは飛ばし読みした。「訓読みを体系的に行うのは日本だけ」で、「6世紀半ば頃には、日本列島で確実に訓読みが用いられた」らしい。長い歴史があるからこそ、現在でも使用している訓読みがどのように変化してきたのかを知ると謎ときのようでもあり、面白い。例えばヒグマがなぜ羆と書くのか、病の風邪の例に見られる置き字、観光地の日光の語源は「補陀洛」にあるなど、読んでいて楽しめる。
 興味が引かれた1箇所をメモしておく。「悟りとは諦めることなり」と物知り顔に論じる人がいるが(自分も一時そう思っていた)、本来の中国での「諦」は「つまびらかにする」=「あきらかにする」の意味であった。「諦観」も「よく見る」という意味で、それを日本では「あきらめる」と言った。その後に「あきらめる」に「断念する」の意味が生まれ、明治期に同訓の「諦」が用いられるようになった。「断念」は和製漢語で、「断」を「理(ことわり」と同源の「ことわる」とした。これらを知ると、「悟りとは諦めることなり」とさも世の中を達観しているように口に出すのは憚れる。結局は物事を「つまびらかに」(審らかに/委らかに/詳らかに)見てその本質を認識することであって、決して、この現世にうんざりしてアキラメルことではない。
 漢字は奥深く面白い。

神楽坂~赤坂~御徒町

 暇つぶしに神楽坂をぶらりぶらり。JR飯田橋で下車するのは今年1月28日の卒論面接以来であり、その時と違って今回は西口改札を出てから右側の神楽坂に向かった。数年前の夜の飲み会で歩いてはいるのだが、どこを歩いたのかは記憶がなく、神楽坂はほぼ初めて。
 予めプリントアウトしたガイドマップを手にぶらぶらするのは殆どお上り状態。昼食時だったのでたまたま目の前にあった蕎麦屋に入る。日当たりの良い席に座り、酒とセットのメニューを注文。先に出してもらった家人の天婦羅に手を出しながら福井県の酒を飲む。セットメニューは福井県の珍味もあり美味しい。酒一杯では殺生だと弁明しながら追加注文したら、店の人もそう思いますと言い、別の地酒を勧めてくれた。蕎麦ももちろん美味かった。おいしい蕎麦店にはうまい酒があるとの自説に違わず、いい時間だった。

 我々と同じように年配のカップルが少なからず散策している。テレビで紹介していていたのも影響しているのであろう。ぶらりぶらりしていると飲食店の多さに驚いた。後で立ち寄った陶器店のおかみさんが言うには、昔は下駄屋や雑貨やさんなど日洋品の店も多かったが、最近は飲食店ばっかりになったと言っていた。
 神楽坂おこしの試食がおいしくて購入。このような街に住むのもいいなあと思うが、不動産広告に目をやると戸建ての価格は億に近くなっているし、アパートの家賃も高い。得るものの価値や利便性が高ければその代償に差し出すものも多くなる。ま、何事にも当てはまる世の摂理ではある。

 神楽坂に倦きがきて、赤坂に向かった。目的は青野の豆大福と日枝神社の神猿(まさる)のお守り。買う列に並んでいるときに直後の母娘が話しかけてくれ、年明けはとんでもない混雑になるし、まして来年の干支は申なので例年以上に混雑するでしょうとのこと。12年前の正月も凄かったですよと教えてくれた。近くに住んでいるが、正月にはとても来る気持がおきないので早めに来ているのだとも仰っていた。

 自宅への帰途、御徒町吉池に立ち寄って食料品を購入。混雑のアメ横は避けた。
 風邪のせいでここ1週間ほど外を歩くことが少なく、さすがにこの日はいつもより疲れた。でもたまにこうして出掛けると、知らない街をぶらぶら歩くのは楽しい。

2015年12月26日土曜日

また風邪を引いた

 12月15日から20日までは奄美群島をパック旅行していた。那覇空港経由で与論島へ渡り、あとは船で沖永良部島、徳之島、加計呂麻島、奄美大島と周り、20日に帰宅。八重山諸島・慶良間諸島・沖縄本島・奄美大島は行ったことがあるけれど、奄美群島だけは行ったことがなかった。2年前の3月に行ったことのある奄美大島が今回の旅程にも組まれていて、そこでの周遊コースは以前と全く同じだけれどしようがない。
 催行中止が心配されたけれど何とか催行決定となり、僅か9名の参加者だった。備忘録としてのまとめは後日に行うこととする。

 帰宅後数日するとまたもや喉が痛くなり、今月はじめの風邪がぶり返してしまった。熱はないが喉が痛い、違和感が消え去らない、痰が出る、それに何とも集中力が湧かない。例年ならばとっくに年賀状作成を終えているのだが、それすらもまだ全くの手つかず。本を読む気にもならず、今日(26日)になってやっと自室のPCの前に座った。毎食後に市販薬を飲むが眠くなる。薬を飲むたびに眠ってしまっている。

 昨日よりは良くなってきているので、もう少しで復調するかも。

ベンガクの秋、ゲージュツの秋

 本来は12/6の「早明戦」の後に載せるつもりで下書きを書いていたが、まったく忘れていた。遅まきながらいま載せておく。

 11月27-28日と上京したKYと遊ぶ。27日は家具の展覧会でビッグサイトへ行く。ビジネスを中心とした展覧会であるが招待券があるということで行ってみた。もの作りには関心が強いので家具から文具、インテリアなどと見られて楽しかった。新しい素材や職人芸の小物インテリアなど、小売りをしていれば購入したかもしれないと思う素敵なものもあり、特に興味をもったものは購入ルートも教えてもらった。現役で働いていた頃はここで催し物があったり研修があったりして数回は訪れているが、覚えているのは外観だけだった。行くときは新橋経由のゆりかもめに乗り、帰りはりんかい線に乗った。新木場と八丁堀で乗り換え、北千住経由梅島で下車し、あとはSJ・THと呑み続ける。いつも通りに帰宅せず、今回は南千住のビジネスホテルに宿泊。

 翌日は先ずは東京国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑」特別展。チケット売場は混んでいると思っていたが、混んでいたのはブルガリ展で女性が長蛇の列をなしていた。漫画のキングダムを読み続けていることもあり、また中央集権国家を築いた秦には興味を持っており、この特別展はそこそこ楽しめた。そこそこと書いたのは、写真やテレビのドキュメンタリーで知っている巨大な兵馬俑のイメージからはほど遠い規模の展示であり、レプリカもあってちょっと肩すかしを食らった側面があるからである。紀元前200年代に築かれた国家の遠大な歴史を感じる。一方では、紀元前から続く中国の覇権主義を思ってしまう。万里の長城は秦始皇帝が構築したとよくいわれるが今見ることのできる長城の殆どは明の時代に作られている。今回の特別展でも秦と万里の長城を結びつけてはいるが、曲解を助長させていると思う。秦という国名がいまのChinaに繋がっていることも説明しておくことが必要と思うのだが、自分が見落としているだけか。歴史関連の博物館や展示を見るとき注意しなければいけないのは、それらがそこにあっただけという認識ではなく、それらが今とどう繋がっているのかと想像を巡らすことであろう。少なくともそうありたい。
 
 続いて近くにある東京都美術館で「モネ展」に誘われた。モネ美術館に所蔵されている90点が紹介されているのだが・・・・・判ったのは著名な「睡蓮」だけ。知っているから素晴らしいと感じたのであろうが、本当のところは絵画の美しさとか素晴らしさとか深遠な世界とか何とかは判らない。自分にとっては自分の拙い感性に響いてくるかどうかしかない。平たく言えば好きか嫌いか、あとは判らないというだけ。モネ晩年の絵はさっぱり判らない。裸で渡されたなら上下も左右も判断つかないとも思える。モネ展はそれらを再認識させるだけの場所だった。

 再びホキ美術館に行きたくなった。自分には明るい、写実的な絵がやはり素晴らしいと思える。で、2日に家人と暇つぶしも兼ねて行くことにしていたが、前回書いたように体調を崩ししまい中止とした。展示内容も変わっているはずだし、行こうかなと思っている。

2015年12月14日月曜日

年越しはなくなった

 早稲田vs天理は10-14で早稲田が敗退。生中継はJsports4であり、有料加入していないのでひたすら速報版で随時経過を確認していた。先制され、同点に追いつき、PGでリードして1stハーフを終えた時点でほっとはするが、このロースコアではどうなるか不安であった。結局、2ndハーフは得点なく4点差で敗れた。10-14は昨年の東海戦での敗退と同スコア。新聞では準決勝進出は苦しいと記事にされているが、事実上年越しはあり得ない。早稲田が残る試合で得る勝ち点の可能性は最大12点だが、現実的には天理・東海のどちらかが準決勝に進出する。年越しの可能性は、天理が東海と引き分けて且つ朝日大に負けるというケースだが、後者はあり得ない。残念だが、今季はこれでお終い。20日はもともと現地観戦できないし、27日の東海大戦も出かける気がしない。机の横のボードに春からピン留めしているチケット3枚が紙切れと化した。秩父宮のリピート券も1枚捨てたし、昨季に続いて今季もボードのチケットがヒラヒラと軽くてさびしい。

 筑波vs大東大戦は筑波が相手陣内でミスの連発。帝京に勝ったときとは大違い。大東大のディフェンスが良かった。慶応と同志社は慶応がやられっぱなし。筑波は帝京戦で燃え尽き、慶応は早稲田戦で燃え尽きたようだった。準決勝4チームを対抗戦グループの大学で占めるという期待はかなり現実味があると思っていたが、2ndステージ初日で簡単に消えてしまった。

 早稲田は弱くなった。ジュニアも流経に負けてカテゴリー2に落ちるし、弱くなった。以前、FW、特に1列の弱体化、および付属・系属出身が多くなり早稲田は慶応に似たようなチームになってくると予想していたが、その指摘はあながち間違ってはいない。早稲田学院・早稲田実業などが強くなることも望んでいる。
 来季は逸材の中野(東筑CTB)、桑山弟(鹿児島実業CTB)、斎藤(桐蔭主将SH)、三浦(秋田中央FW/No.8)の入学が決定している。教育と社学の自己推薦がまだ発表されていないし、今は来季に期待するしかない。一般入試へも期待したい(昔の桑江のような選手が出てこないかなぁ)。それにコーチ陣にも。
 気持は高校ラグビーに移っている。年末は、例年通りにラグビーマガジンの付録を片手にJsportsで高校ラグビー観戦三昧となる。

 しかし、口惜しいなぁ~。

2015年12月12日土曜日

眠れるはずもない

 いま午前3時近くでまだ眠くならない。夕食時にハイボール3杯目をおいたまま眠りに入ってしまい2時間以上そのまま眠ってしまった。ここのところまたまた深夜に起きていることが多くなり、就寝後4~5時間くらいの睡眠時間で起きてしまうので必然的に昼や夕方は眠くなる。何かに集中しているときは眠くならないが、昼にちょいと酒精を取り入れたりするとまず眠ってしまう。勝手気儘な生活で、眠いときには時間を問わずに眠ってしまうことが多い。もともと中学3年頃からの夜型生活が身についているし、一睡もせずに朝を迎えるなんて事も数年前までは少なからずやっていた。
 今日、家人が帰るまでの2時間近くの間、娘の長女を預かることになっていた。酒は飲んでいなかったが昼にちょいと転寝をしてしまい、人の気配で目が覚めたら、その娘の長女が家に来たところだった。昼に眠ってしまっていることは彼女も分かっているから自分を起こしもせずにニコニコしてしていた。

 年末になると週間文春に「ミステリーベスト10」が掲載され、少し遅れて宝島社より『このミステリーがすごい!』が発売になる。記載されているミステリーのタイトルを参照にして、例年なら自分が既に読んでしまっているもの、あるいは読もうとして購入済みの本を確認するのだが、今年は一冊しかなかった。しかもまだ読んでいない。いつもなら複数冊はあるのだが最近はミステリーどころか小説を読むことも少なくなっている。年齢を重ねるとともに読む本の種類は変化してくる。
 何もかも変化する。洋画を見るとき、以前は吹き替えのものは絶対に見ずに、字幕でしか見なかった。それが今は字幕の映画を敬遠して吹き替えのものしか見ない。映画を見るときも何かほかのことをしていないと時間がもったいので必然的に字幕の映画は見なくなった。小説も映画もドラマも、昔ほどに楽しめなくなっていることもある。枯れかかる人生への過程なのかもしれない。

 3時が過ぎた。まだ眠くない。眠くなるまで起き続けよう。『このミス』を買うときに同時購入したミステリーでも読んでみるか。活字を追えば眠くなるかもしれない。

2015年12月8日火曜日

2 in 1 PCとWindows 10導入

 まだガラケーを使っている。送受信するメールは限られているし、電話もかかってこない。外に出かけることも少ない。要は日々の暮らしの世間が狭くなっている。だからスマホも要らない。それに夫婦合わせて5,000円を下回るガラケー通信費である。でも、世の中はスマホやタブレットが主流になっている。年老いるとこうして主流から外れていくのかと感じてしまう。

 息子が不要になった5年前のiPadをくれた。しかし、OSがもう更新されない、アプリが入れられない、カメラがない、Microsoft Officeが使えない、WiFiがないと使えない等々の不便があった。そうこうするうちにやはり外で使えるタブレットが欲しくなった。自分の要求をまとめると、①MS Officeが使えること、②サイズは約10インチ、③Simフリー対応であること、④サブPCとしてのスペックで良い。
 出かけたついでにヨドバシカメラで教えてもらったり、ネットで色々調べると、これらに該当するものはMicrosoft Surface 3 4GLTEしかなくなった。結局ネットで128Gのものを購入した。Surfaceペンとタッチカバーも異なる店舗から同時購入。

 ネット関連の設定を終えてから直ちに行ったのがWiondows 10へのアップグレードとOffice 2016へのアップグレード。操作はそれから徐々に実施中。Windows 10はなかなかイイ。Surface 3は2 in 1 タブレットPCとしてかなり便利。まだSimは入れておらず自宅のWiFiでしか使用していないが、今のところは充分に満足。

 今日、娘の6才の長女が来て家人のPCの前に座ってマウスをいじって画像の説明を家人に行なっていた。今の世の中は幼稚園児もパソコンに触るのだと思うと時代の流れをひしひしと思う。

蛍光灯廃止で暗くなる

 2020年を目処に蛍光灯廃止に向かうようである。蛍光灯が廃止になってLED化が進むと世の中はますます暗くなってくるはずである。今もLED化した照明の店舗は多くなっているが、LED化されるとともに店舗内は暗くなっているという印象を持っており、これはまず間違いなかろう。

 我が家も電気料金節約のためにLED化を実施した。LED化にあたって認識したことは主として以下である。①明るさを維持しようとすればLED照明器具はかなり高価なものとなる。②しかし、LED化することで経済的メリットは必ず生じる。端的に言えば、LED化すればいつかは今よりは経済的に得するから、明るさ維持のためにLED照明器具購入時はケチらないことである。

 我が家より少し歩くと、ドラッグストアとスーパーが道路を挟んで隣接しており、前者は今も蛍光灯照明で明るいが、後者はLEDにしたためにかなり暗くなっている。しかも電球の色温度を間違えて選択しているために随分と様子が変わってしまった。
 明るく照明するLED照明器具はかなり高価である。そして器具のパッケージに記載されている消費電力やルーメン表示は判りにくい。勝手に思っていることであるが、LED照明器具は高いので安価な方を選択しやすくなる。そしてその結果LED化したことで暗くなる。自分の身近には暗い場所が苦手という人がいる。その人は、最近は店に入ってもどこもかしこも暗くなって厭になると言っている。自分でもそう感じている。コンビニでも同じだが、元締めの指針の違いがあるのではないかと思うのであるが、ある系列店はさほど暗さを感じないが、別のチェーン店は概して暗い傾向にある。

 容易にLED器具に交換できればよいが、安定器取り外しなどの工事を必要とする場合は少なくない。そうすると一時的な出費はバカにならない。工事は選択手段がないが、コスト抑制にはLED照明器具の出費を抑える傾向に走る・・・ということでLED化すると照明は暗くなる。この論理はさほど間違ってはいないと思う。

 最近気にくわないのは、暗くなっている店に入ると節電をうたっている店がある。美名化させた節電という言葉で弁明していることにその店のあざとさを感じる。照明するという目的を横に措いて節電することを目的とするような立場をとることを善しとする店があるのはどうも好きになれない。

2015年12月6日日曜日

早明戦

 2日に何となく喉が痛いと思っていたら翌日からは頻りに咳をし、喉もかなり痛くなった。数年ぶりに本格的な風邪を引いた。病院に行くのは億劫だし、それに病院に行けば余計な病気にもなりそうだとの屁理屈をたて市販の薬で対処しようとした。それが甘かったのか、あるいは年齢を重ねると快復に日にちを要するのか、咳で夜は眠れず、昼はボーッとして睡眠不足が続き、5日になっても体調は戻らない。しようがないので6日の秩父宮でのラグビー早明戦は行かないこととした。
 帝京戦は行く気にもなれずにリピートシート券は1枚残ったままだし、予め購入しておいた早明戦のチケットも捨てるだけになってしまった。

 試合は24(4T2G)-32(4T3G2PG)での敗戦。正直なところ早稲田がここまでやれるとは思わなかった。対抗戦における各大学間でのスコアをみれば早稲田はダブルスコアあるいはトリプルスコアくらいになっても不思議ではない。しかし、伝統の早慶戦・早明戦はそれまでの試合結果は参考にならないとよく言われることで、今回の試合もそうだったし、トライ数がイーブンであることからみても早稲田は健闘したと言えるであろう。大学選手権への期待も膨らむ試合内容だった。
 とは言っても早稲田は明治に差があることは確かである。スクラムの差はやむを得ないとしても、まずイージーミスが多すぎる。それにボールへの集散が良くない。ラックになっても明治よりも遅い集まりで劣勢になってしまうし、ボールキャリアへのフォローも遅い。ラックになったとき集まりが遅いし、すぐに立ち上がらない。ためにディフェンスは遅れて薄くなり、攻撃時も良い球出しができずにバック陣に綺麗なボールがパスできない。明治はFWおよびCTBの絡みが早い。早稲田はモールには拘りを持っているようでトライもとっているが、厭ないいかたをすれば、BKに綺麗なボールを出せないからモールに拘っているのかとも感じた。なれど、前記したように大学選手権への期待は以前よりは膨らんだ。

 大学選手権の2ndステージでは東海大(リーグ1位)・天理大(関西2位)・朝日大と戦うことになり、東海・天理を破って準決勝進出を果して欲しい。もっというとベスト4は対抗戦グループで占めて欲しい。プール戦ではC組(同志社・筑波・大東・慶応)が一番きつそうで、この点においても早稲田が慶応に勝って良かった。

 大学選手権初日は花園なのでテレビ観戦し、20日は秩父宮で朝日大戦だが旅行しているのでせいぜい携帯で速報を確認するだけになる。27日の東海大戦を江戸川で観戦するつもり。初めての江戸川競技場で歓喜の声を上げたい。

2015年11月27日金曜日

早慶戦

 23日は秩父宮での早慶戦。アルコール度数約15%の自家製ハイボール600ccを入れたボトルを2本バッグに入れ、家を出たのは9時45分頃。秩父宮での待ち合わせ時間は13時であるから随分と早い出発であるが、これは、23日は亭主がラグビー観戦で家にいないということで家人が友人を家に招いており、彼女らに気兼ねない時間を過ごしてもらいたために自分が早く出ただけに過ぎない-と言うと聞こえはいいが、要は家人が早く家を発つように強制、否要望したに過ぎない。

 秋葉原ヨドバシカメラにある有隣堂とタワーレコードに寄れば時間が潰せるので、先ずは久しぶりにCD売場に行った。以前よりクラシックのエリアが狭くなった気がしたがこれは誤解だろうか。結局はそこに居続け3セットのCDを購入。CDを探しているうちに時間が経ってしまい、慌ててJRのホームに向かったのはいいけれどホームを間違ってしまった。秋葉原の駅および駅周辺はいつも戸惑ってしまう。方向音痴ではないのだけれど苦手である。新橋方面のホームに出たら電車が出たばかりでこれで遅刻はは確実となった。遅れることをTYにメールして快速に乗った。しかし、この電車は新橋を通過して浜松町に停車した。快速が新橋には停まらないことを知らなかった。逆戻りして新橋に向かい、銀座線に乗り換えて外苑前で降りたらいつもの通路が不通となっており凄い混雑。どうもこの日は出だしが良くなかった。

 TYが先に入っているバックスタンドに向かい、雨はごく弱いので気にならず10番ゲート付近に席を取った。キックオフまでの約45分はハイボールを飲みながら雑談。晴れ以外の早慶戦は自分にとっては多分初めての経験。この日の早慶戦の試合予想は判らない。勝つことをもちろん望むのだが今季の早稲田の弱さからいえば均衡するか、あるいは負けることもあるかもしれない、でももしかしたら大差をつけるかもとの期待or妄想も入り混じる。

 前半はミスからいきなり40秒ほどでノーホイッスルトライを取られる。しかし、その後、早稲田は慶応陳内で戦っており早稲田が勝利すると確信していた。しかし、後半に慶応の連続3トライで逆転され、残り10分で9点ビハインドとなった時点ではもう負けると思い、気持が落ち着かなくなり、ため息も出るし、冷静さを失う自分がいた。しかし、ロスタイムに入ったときには2点差を追う展開となり、千葉の突進によって大きくゲインし、ここで慶応がペナルティ。ゴール真っ正面で距離も適度。PGが入れば1点差で勝利となる。このとき、ふと、昔のある試合で安藤栄次が、あるいは高橋銀太郎が真っ正面のショットを外したシーンが脳裏をよぎった。横山よ入れてくれと希い、そして大歓声で早稲田が勝利した。この喜びは大きく、正直早稲田の卒業であること、某国立大学の入試に不合格となって早稲田に入ったことに感謝。大歓声の中で喜んで、昂る気持はここでしか味わえないものである。たまらなかった。

 TYと別れ、浅草に着き、浅草地下街の時々立ち寄っている店でタンとハツの味噌漬けで飲もうと思ったが、前回に続いてシャッターが閉まっていた。外に出てどうしようか、家に帰って飲もうかとふらついていたら駒形どぜうの方に足が自然と向いてしまった。どこか天上の何かが自分を操っているようである。
 帰宅後、とりあえず千葉の突進から始まって横山の逆転PGを何回か見ながらまた飲んで・・・・寝た。幸せな一日だった。

2015年11月18日水曜日

1枚のLPの想い出

 静かな夜、LP・EPを引っ張り出して音楽を聴き、ついでにmp3化していると、そのレコードから昔の出来事がふと思い出されることがある。今夜は平山三紀のベストアルバム(JDX-7204)をターンテーブルにのせた。ジャケットには”73.8.18 ○○ko”と記されている。○○koは家人の名前で、このレコードは確か、銀座付近のレコード屋さんで彼女が購入しプレゼントしてくれたもの。当時、自分は給料を手にしてから月に一度、金曜日に夜行列車に乗って富山市から上京し、日曜日に帰るまで彼女といわゆるデートなるものをしていた。1973年8月18日はお盆休みを利用して東京に出てきたときである。いきさつははっきりとは覚えていないが、歌手の話にでもなって、自分は平山三紀が好きでEP盤を持っているとでも口にしたことから彼女が買ってくれたものだと記憶している。

 富山市では不二越という会社で工作機械の機械設計をしており、独身寮に住んでいた。ある日、一年先輩が-顔は思い出すのだが名前は出てこない-レコードを貸してくれと自室にきて何枚かのLPを物色した後にこの平山三紀のLPを持って行った。
 数日が経ってその先輩がLPを返しに来たとき、中身を新品にしたと言った。新品にした理由について彼が言ったことは、「酒を飲みながら麻雀をしていて、針が飛んだりしたので傷をつけたかもしれない。ジャケットを見たら女性の名前を書いてあるので、これはまずいことをした。大事なものだと思うので新品を買って中身だけ交換した。申し訳なかった」ということだった。傷が付いたのか否かははっきりしなかったようであるが、念のために交換したようだった。こっちはその律儀さに恐縮したのだが、先輩の気遣いが嬉しく、有り難かった。

 このLPに書かれた日付から1年と2ヶ月弱が経って結婚したのだが、このレコードはその頃に購入した他のレコードとともにほぼ新品の状態を保って今も棚に置かれている。それからは自分も家人も42年という年齢を重ねた。

2015年11月16日月曜日

ポップスとポップスの事典

 古いポップスが沢山ある。CD、数は少ないがアナログのLPやEPもあり、YouTubeから採取したものもある。年代は1950年代から1900年代まであるが、圧倒的に多いのは1960年代から70年代前半まで。海外のものと国内のものもほぼ同じような年代になっている。要は自分の10代から20代前半までに当たる。PCおよびバックアップのHDDに全てmp3にて格納しており、その数は合計すると7,000曲を超える。自分でもよく集めたものと思うが、自室ではPCから曲を流したりし、また何枚かに分類してSDカードにコピーしており、車を運転するときはいつもスピーカーから音を出している。好きな歌手/グループはアルバムで購入することが多いので、ヒット曲ばかりとは限らないが、それでもいわゆるOldies but Goodiesの響きは楽しめる。すべてエクセルでデータベース化しており、海外のポップスは判る範囲で邦題も併記し、mp3にするときは複数の音源があっても極力音質の良いものを選んでいる。消失してしまうともうそれで終わりなので二重にバックアップもしている。自分にとっては宝物でもあるし自慢のライブラリーでもある。

 20代のころより友人に借りたレコードやテープはよくコピーしていた(最初はオープンリールのデッキ)し、カセットデッキが出てきてからはFMからのコピーもやっていた。LPやEP盤も時々買ってはいたが、それらをデジタル化したのは20年ほど前頃からであろうか。テープでコピーしていた頃も全てノートに記録しており、デジタル化する際も役立った。データベース化する性癖は昔から続いている。

 以上のように、好きな歌手やグループを中心にして海外ポップスを集めたが、まだ自分の記憶からもれているものがあるのではないか、ヒット曲には自分の知らない曲もあるのではないかと、ビルボード・ランキングやポップスに詳しい人のHPにアクセスすることもあったが、中途半端になってしまうのは否めない。
 そんなとき、かまち潤さんのポップスの事典2冊を知った。一つは『永久保存版 20世紀のポップス名曲事典 1955~1999年不滅のヒットソング550』でもう一冊は『日本人が愛した懐かしの洋楽ポップス事典』である。この2冊をテキストとして、自分の持っているものと、著者の好みが強く自分には興味がないものを除き、関心のある曲を暇にまかせてYouTubeで探した。基本は全て原題で検索し、国内でアップされているものは除外した。加えて、既に持ってはいるが音質が劣る曲は取り直し、合計すると約140曲をPCに追加した。ヒットした曲は沢山アップされており、その中から音質のいいものをセレクトするのであるが、音質のいいものは聴かなければわからないので結構な時間がかかった。また、事典に書かれている記事から興味をもった曲もDLした。例えばジョーン・バエズの妹の素敵な曲とか、昔々に日本でヒットした曲の原曲などに手を広げるので結局4ヶ月ほど要した。

 ダウンロードの基本は以下の流れ。<PC → YAMAHA AG03でAD変換 → Sound Forge audiostudioで録音/不要部カットオフ/ノーマライズ → Super Tag EditorでTag編集/自分の定めた一定形式にてファイル名をつける → 格納時に重複確認> 単純作業の繰り返しである。
 あるときはハイボールのグラスを片手に、あるときは泡盛を飲みながら、あるときは焼酎の入ったグラスを傾けながら、同時に、あるときはテレビを見ながら、飽きもせずにやった。でも、聴いたことのなかった古いポップスにはいいものが沢山ある。かまちさんの「事典」には、えっこれは載ってないの、と思うものや、いや~これはマイナーな曲で一般的にはヒットした部類には入らないのではないかと思うものもあるのだけれど、ジャケットの写真付きでこれらの事典を編んだことにただただ敬服するばかり。

2015年11月15日日曜日

レコード・プレーヤー

 持っているアナログ・レコード/LPはクラシックを中心に250から300セットほどでしかなく、CDを聴く方がはるかに多い。しかし、レコードを鳴らす装置だけはいつも準備OKにしておきたく、レコードプレーヤーは手放せない。それに年に1回程度は市内の中古レコード屋さんに足を運んでポップスのEP盤(いわゆるドーナツ盤)を購入し、デジタル化して楽しんでいる。ついこの前も8枚購入してきた。

 フォノ端子のあるアンプは物置に放置してしまい、現在はフォノイコライザー経由でオーディオ機器に接続しスピーカーやヘッドホンから聴いている。フォノイコライザーはADL GT40αで、これはフォノイコライザー内蔵USB DACで24bit/192kHzのDAC & ADCおよびヘッドホン・アンプの機能を有し、コストパフォーマンスの良い優れもの。カセット・デッキなどの外部アナログ・ソースからの入力も可能で重宝している。これを購入した大きな理由は将来レコードプレーヤーを新規購入する場合にフォノイコライザー内蔵のものに限定したくなかったことが大きい。購入する際はレコードを回すとという機能に特化し、フォノイコライザー内蔵に要するコストを省いたものが欲しくなるのは目に見えているからである。それと、このGT40αはPCにUSB接続するだけでハイレゾでのデジタル化ができることも大きかった。

 PCの近くには、接続せずにオープン状態にしたオーディオ関連のUSBケーブル4本を雑に並べており、都度PCに接続してハードウェア設定を確認しながら音楽を聴いているのだが、時々PC設定を忘れてしまい(年齢のせいか)、音が出ないときは設定を確認するという煩雑さはあるにしても、それはそれでボケ防止にはなっているのかもしれない。

 レコードプレーヤーは44年前に購入したPioneerのPL-25E(当時のリスト・プライス-L/Pは30,000円)を使用していたのだが、ベルト・ドライブであるが故に使用勝手が悪い。ベルトが伸びてしまうので普段はベルトを外しており、使用するときにはターンテーブルを外してベルトを掛けるという面倒さがある。それにストックしているベルトは長い間には劣化(硬化)してしまう。回転部分が(ダイレクト・ドライブよりは)多いので注油メンテナンスも必要。最近もベルトの伸びにより回転が不安定になった。また、モーターのドラッグ・トルク増加に伴う回転不良に陥り、注油して復帰したことがあった。
 新品を買おうといろいろ当たってはいたのだが、安価で性能がそこそこあるものはベルト・ドライブが主流で、ベルトの消耗を考えると二の足を踏んでしまっていた。修理覚悟の中古品を探してハードオフにも何度も通っているのだがいいものがでない。

 親しい友人と飲んでいるときに、ダイレクト・ドライブで性能の良い中古品が欲しい、トーンアームのリフトアップができないような補助機能は動作不良でも構わない、カートリッジも要らない、などと話していたら、その友人が使っていない古いレコードプレーヤーがあるからあげるよと言ってくれた。明年に会津に行ったときに譲り受けようと思い嬉しくなった。
 ところが、なんとその友人は2週間程前にそれを送ってくれた。しかもあて板とエアキャップで丁寧に梱包した状態で送ってくれた。しかも、綺麗で汚れていない。自分が使っていたPL-25Eは外観は傷だらけで、カバーやそのヒンジは原形をとどめていないが、届いたものは新品同様であった。

 頂戴したプレーヤーはPioneer PL-1400でカートリッジも付いている。1974年発売の商品でL/Pは当時の自分の手取りの月給をも上回る67,000円。回転させてストロボ・スコープを確認しても全くブレがなく安定している。兎にも角にも42年前の発売とは信じられない美品である。それでも自分の性格からトーンアームは分解して磨き、カートリッジからの配線はすべて半田付けし直した。カートリッジはそのままとし、針を新品にし、最初の音出しをしたら一発で何の歪みもないいい音が出た。PL-1400およびカートリッジの性能はそれまで使用していたPL-25Eをすべて上回っており、PL-25Eに替わって主役の座に置いた。使用している他のオーディオ機器はすべて小サイズであるのだが、このPL-1400は11kgの重さでドシンとした存在感をもって自分のいつもの位置の左側に鎮座している。44年間一緒に暮らしてきたPL-25Eは部屋の隅に置いてスペア機器の如く存在と化した。
 ・・・・それからはLPを聴く機会が多くなっている。何せ操作性が良い。長く聴くことのなかったLPを時々引っ張り出しては聴いている。

2015年11月11日水曜日

ラグビー

 香港で行われた7人制ラグビー。男女ともに前試合の録画を見た。日本と他国との差が大きすぎる。男子決勝の香港戦は一時0-10とリードされ、もしかしたらと不安も感じたが結局は逆転して優勝。中国のコンタクトが強く、今後日本のライバルになると感じた。松井・後藤の早さに魅了される。自分の好みでは7人制よりも15人制のほうがはるかに楽しめる。

 9日に前橋で行われた早稲田vs日体大戦。早稲田が勝ちはしたがぴりっとしない戦いぶりで不満だらけ。つまらないペナルティやハンドリング・エラーが目立つ。佐藤穣司の働きがいい。本来スタメンの筈の横山・桑山・勝浦・本田・吉岡・黒木はどうしたのか。それに福島の星/滝澤も怪我なのか。
 早稲田の残る戦いは慶応と明治。慶応との勝敗は五分五分か。明治には苦戦の予想。慶応に勝たなければ対抗戦5位になってしまう可能性が高い。ラグビーに入れ込むようになってからこれほどに下位にいる早稲田は初めてのこと。法政も低迷しているし、両大学を卒業した我が身としてはサビシイ限りである。

 高校ラグビーの逸材中野将伍(東筑高校)がAOで2016年度に早稲田に入学。17歳でU20代表。サイズもあるし藤田以来の注目を集める筈。

 高校ラグビー、今回も秋田工業は花園に出られない。埼玉県は深谷vs浦和の決勝。浦和の勝利を期待。早稲田にOBが2名いる函館ラサールが初めての代表。福島県では磐城と福島が準決勝で敗退している。國學院久我山と東京は抽選になって前者が花園に。東京高校は口惜しいであろうに。

小説、新書

 <筒井康隆 『東海道戦争』(中公文庫、1978年)>:初刊はほぼ40年前となる短編集。40年間ほどの間に読んだ著者の本は2冊だけ(『富豪刑事』・『魚籃観音記』)。新聞か週刊誌かの記事でこの文庫本が最近読まれているらしいと知り、手元に置いていた。「東海道戦争」にはあまり興味が惹かれず、「うるさがた」「お紺昇天」「堕地獄仏法」が楽しめた。

 <北野武 『新しい道徳』(幻冬舎、2015年)>:サブタイトルは「『いいことをすると気持ちがいい』のはなぜか」で、朝日新聞日曜版の読書コーナーで高評価されており、目を通したくなった。北野武の道徳観を簡単にまとめてしまうと、「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」のであって、「自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則」であり、「自分なりの決め事を作って、それを守ることだ」ということ。自分もそう思う。
 秩序という名の下に「管理したがり屋」がすることは物事を枠で囲いたくなるものである。しかし、枠を作るとその枠の中に価値が押し込まれ、枠以外に価値はあたかも存在しなくなってしまう。この本の中で言及されている「電車の優先席」を考えれば自明である。「優先席」という枠を決めた途端に「優先席」という価値は車両の端の場所だけに押し込められ、「優先席」でない席では席を譲らなくとも良いとなってしまう。そして「優先席」では眠ったふりをし、座ってしまうことへの抵抗感を生じせしめ、老人あるいは弱者は「優先席」以外では身を小さくすることに繋がる。
 脱線してしまうが、会社勤めをしていたとき、暇な管理グループがあって、例えば設計図面ミスをなくすために何を発想するかというと、図面チェックを厳しくするルール作り、設計担当者別のミス発生頻度データ作成提案だったりしていた。設計するとはどういうことなのか、そこから発生する設計図面ミスはどう分類されるのか、設計責任を負うべき階層はどう位置づけられるのか、設計ミスはどこまで無くせばよいのか、だからどこに手をつけるべきなのかなどという論理的思考は全くなく、すぐにルールを作ろうとしていた。担当していた人が知っている先輩であることを知らずに、その先輩の前で「すぐにルールを作ろうとするその発想の貧弱さよ」と口に出してしまったら、批判の中身を問うこともなく「ルールを作るのが何で悪いんだ」と彼は怒ってしまった。道徳にしても、管理したがる側にいる人間がこうしなさい、ああしなさい、あんなことはしてはいけない、とルールあるいはガイドを作ってもおそらく何のためにもならない。

 <池井戸潤 『下町ロケット2 ガウディ計画』(小学館、2015年)>:現在テレビでドラマ化されている『下町ロケット』の続編。楽しめたのだが、その反面では飽きてきている。それは「倍返し」のドラマから「臨店」のドラマも、「ルーズベルトゲーム」のドラマも、そしてこの「下町ロケット」も、基調は筋を通してキチンと仕事をする主人公たちの周りに保身的で策をめぐらす不実な人びとと、その不実な人が属する組織(企業)があって、その組織の中にも誠実な人間がいて、最後は不実な人びとや組織はやっつけられる(自ら窮地に陥る)というステレオタイプのストーリーが展開される。人物の設定や物語の描写には惹かれるのであるが、読み終えてしまえばいつもと同じパターンと受け取ってしまう。
 メーカーで働いていた頃は開発部門にいたし、部品調達の品質やコスト交渉にも何度もでていたし、部品受け入れ管理部門の人間が外注の中小企業にエラソーに品質管理などの指導を行う場にも同席しことも何度もある。だから、小説に描かれる場面は強調されてはいるけれど実感として伝わってくるところはある。しかし、部品のデータ取りや手作業での品質作り込み場面は物足りない。それはオレが実際の開発現場、もの造りの現場を経験してきたから感じることであろう。

2015年11月2日月曜日

ラグビー、野球、駅伝

 例年なら11月最初の日曜日は秩父宮ラグビー場にいるのだが、リピートクーポンを購入済みであるにも拘らず今年は家にいた。今季の早稲田ラグビーのレベルは低い。1999(平成11)年の対抗戦4位、あるいは1983(昭和58)年の同5位以来の弱さと言っていいだろう。そして強すぎる帝京に向かっては勝てるはずもなく、前の筑波戦での酷い敗戦を目にしてから試合観戦に足を運ぶ気にもならなかった。自宅ではテレビもつけなかった。
 結果は大学選手権・対抗戦を通じて最大の点数を取られて惨敗。惨敗なんて言葉はまだ甘いかもしれないほどの負け。寂しいし辛い。残るは慶応戦と明治戦。これまでの各校の得点を見る限りでは、2校との試合はネガティブな予想をしてしまう。対抗戦での順位は4位か5位となるであろう。

 テレビでは伊勢路への駅伝、そして野球の早慶戦を見ていた。関東地区予選を経て参加資格を得た駅伝では早稲田はシード権獲得の4位。主力を欠いた中での4位は予想よりも良かったと言えるのではなかろうか。
 野球、シーズン序盤で優勝はほぼないものと思っていたが、慶応に連勝しての8年ぶりの春夏連覇。そして優勝45回目は単独トップ(2位は法政)。

 RWC2015のドリームチームに五郎丸が選出された。凄い。また今回から新設された「最高の瞬間」賞にあの南ア戦が選ばれた。 南アによっては屈辱であろうし、じゃぱんにとっては誉れ高い最高の試合となり、今後も世界レベルで記憶される。「最高の瞬間」賞はあの南ア戦があったからこそ-2014年までじゃぱんはRWCでは1勝しかなく、また、NZ戦でじゃぱんが取られた145点はRWC史上最多失点、そのじゃぱんが南ア戦に勝ったからこそ-新設されたのではなかろうかと勝手に想像している。
 RWCのHPを見ると、最優秀コーチにエディーさんがノミネートされており、そして何と最優秀チーム候補にはNZ・アルゼンチン・オーストラリアと並んでじゃぱんが選ばれていた(じゃぱんだけが決勝ラウンドに進んでいない)。また、最優秀トライ候補には南ア戦での五郎丸のトライが6候補の中に選ばれていた。いずれも最優秀とはならなかったが、RWCのHPでは動画が流れており、全世界で見られている。スコットランド戦での五郎丸のトライも動画の筆頭でアップされている。

 駅伝・東京六大学野球・RWCの嬉しいニュースがあるなかで、早稲田のラグビーの残酷な結果は落ち込んでしまうほどに残念だが、残り試合では少しでも早稲田らしい試合をしてほしい。RWC効果もあり、明治が復活してきたこともあり、また国立競技場ではなく狭い秩父宮での試合ということもあり早明戦のチケットは売り切れ状態にあって当日券は販売されない。そのような早明戦であるからこそ-早明戦は、それまでの他校との試合結果は参考にならないとはよく言われていることであり、だからこそ-早稲田にはいい試合をしてほしい。もちろん慶応戦も同じである。藤田が早慶戦より参加できることを願う。

2015年10月28日水曜日

漫画に歴史に新書

 <原泰久 『キングダム 三十九』・『キングダム 四十』(集英社、2015年)>:嬴政と呂不韋との対決、そして二人の「天下をとる」ことへの論戦を経て秦の中国統一への実質的第一歩が始まる。
 因みにChinaの語源は秦にあって、インド経由でヨーロッパに至ってChinaになっている。無論日本での支那も秦を語源としている。
 秦の政策での歴史的意義を二つあげてみる。一つには郡県制に見られる中央集権志向。それは中央から長官あるいは次官を派遣し、それも本籍地は回避して一定期間の任期で交替させていた。また、地方地盤と有力者との分離を図るための富裕土豪層の首都への強制移住も実施した。これらは現代にも散見される血縁関係や権力・富裕層に癒着する人間の悪しき性癖を指摘しているように思え、古から変わらぬ社会の姿と、それを改革しようとした秦の時代の政策に普遍的意義を覚える。二つめには経済活動の基盤をなす度量衡や貨幣の統一である。生産活動の基本は物差しを一定に持つことであり、均一性・平等性を保ち、物流を円滑に進めるには「標準」が必要であり、これを広大な土地と多様な民族も存在する中国領土にて紀元前に実施したことに歴史的な重さと先見の明を思う。悪評高い焚書については単に暴力的な一面を見るのではなく、政治・社会システムの側面から焚書という事象を見ても良いのではないかと思う(焚書を肯定している訳ではない)。今後、これらの施策を含め、『キングダム』では秦をどう描くのか、あるいは戦を中心に描き続けるのか、興味がある。

 <大津透ほか編 『岩波講座日本歴史 第15巻 近現代3』(岩波書店、2014年)>:読んだ論文は、①「帝国日本の形成と展開-第一次大戦から満州事変まで」(浅野豊美)、②「都市民衆騒擾と政党政治の発展」(季武嘉也)、③「大衆社会の端緒的形成」(大岡聡)、④「満州事変・日中戦争の勃発と立憲政治」(源川真希)。
 ①で会津出身のキング・オブ・シュガー松江春次を初めて知った。松江は敗戦で財産を殆ど失ったが、「非軍事化されアメリカによって管理・コントロールされる『民主化』された戦後日本」は何を失って何を得たといえるのであろうか。失ったものと得たものは真に価値あることであろうか。②において「これまで歴史学ではあまり注目されてこなかった町内会」が論じられている。現在朝日新聞では自治会・町内会のあり方が連載されている。「町内会の存在が重要になるのは第一次大戦後、特に1923年の関東大震災を契機に増加して以降といわれ」ており、戦後サンフランシスコ条約発効で再び組織化されている。いま様々な問題が提起され、町内会がなくなった地域もある。法的に拘束力のある規定は法律や政令などには存在しないが、いろいろなしがらみで加盟せざるを得ない状況下にあることは否定できない。町内会の存在はメリット面もあるだろうが、総じて言えば、行政が自治会・町内会に依存し行政業務を怠慢していることと個人的には捉えている。④では市川房枝に関する記述に改めて関心が向けられた。それは、戦争協力への姿勢である。即ち、「この国家としてかつてなき非常時局の突破に対し、婦人がその実力を発揮して実績を上げる事は、これ即ち婦選の目的を達する所以でもあり、法律上の婦選を確保する為めの段階ともなる」としたことである。これってどう読んでも説得力のない論理のすり替えである。そして、思い出すのは、西山事件(沖縄密約事件/外務省機密漏洩事件)にての市川房枝の姿勢である。何かの本で読んだのが、それは、密約を男女関係の問題にすり替えた世の中の動きに同調したことである。もてはやされた人ではあるが、軽さと底の浅さを感じている。

 <白川敬彦 『春画に見る江戸老人の色事』(平凡社新書、2015年)>:「老爺の色事」・「老婆の色事」・「老夫婦の色事」と章立てされて春画とそこに描かれる性愛情景、時代性などの解説が付されている。「年がよっては、酒を飲むとするより外のたのしみはない。それ、こゝかこゝか」(50頁)の前半部分は、老人の域に入っている身となれば充分に理解できる。老人を描く春画には思うようにことが運ばなくなった切実さと、ほのぼのとした笑いが混じり合っている。明治以降に裸が恥ずかしいものになり、混浴が公序良俗に反するものとなり、春画は日本文化の湿っぽいところに追いやられてしまった。永青文庫の春画展には若い女性が多勢訪れ、カップルでも来ている。そこには本来の人間の持つ性愛へのおおらかさを感じた。そでには老人の春画を見ることはなかったが、春画に対する視覚をもっと拡げて(即ち人間の生そのものとして捉えること)も良いと思う。
 「いまだに性愛についての認識が硬直していて、たとえば、大英博物館で開催された『大春画展』さえもが、この日本には持ち帰れないといのだから、情けないというか、何を考えているのかわからなくなる。いや、何も考えてりゃしないのだ。という声もあって、それはそれとして、いつもの官僚的な対応の一つなのだろう」(169頁)との著者の指摘が的を射ている。また、その大英博物館の展示内容と同一ではないにしても全面的な協力を得て開催された、永青文庫の「春画展」が、正直なところ都内のひっそりと静かな場所の狭いところで実施され、展示品も4回に分けられるスペースしかないことを思うと、この国の文化にいじましい根性が見え隠れする。

2015年10月27日火曜日

雑記と小説一冊

 24日から那須にいて明日自宅に帰る予定。

 再審決定と懲役刑執行停止で二人の方が釈放された。テレビを見ていると、警察や検察が自白に基づいて検証実験をすべきであったと主張するコメンテータの声が多い。
 自供内容は「ガソリンを駐車場に流してライターで火をつけた」というもの。弁護側の主張は「自供通りでは駐車場にある風呂釜の種火で自然発火する」というもので、「自供内容と検証実験結果では矛盾がある」というものである。よってコメンテータは、警察あるいは検察が自供に基づく検証を実施していないことを批判する。しかし、もし警察(and/or検察?)が検証実験をしていれば、自供内容を「種火で発火することを予め予想していてガソリンをまいた」ということにして自白を強要していたかもしれない。もしそうなったならば、弁護側の反証はどのようなものになったであろうか。コメンテータの方々は「検証」を言うけれど、安易に「検証」を口に出してはいないだろうか。ふとそんな事を思った。・・・要は、自白のみに判断を委ねたことに問題があり、より深くは、そのシステムを生じさせている刑事訴訟/裁判システムに本質的な課題があると思うのだが。

 <中村文則 『去年の冬、きみと別れ』(幻冬舎、2013年)>:二人の女性を殺し死刑判決を受けている男に、ライターが面会するところから始まる。男の姉、人形師などが登場し、物語は錯綜する。ミステリーでもあろうが異様な人間どうしの異様な関係が展開し、狂気の愛が綴られる。内面を見つめ続けて愛を紡ぐとこういう狂気の世界になるのかと思う。愛の世界から美を見つめ、葛藤する…というような描写に関心は薄いし、魅力を感じないので、期待外れの一冊となった。

2015年10月19日月曜日

ウィスキーを飲みながらの独り言

 嫌いな・・・・というものは理屈でなく、生理的嫌悪感に近いものでどうしようもない。嫌いな女優が出てくるドラマはチャンネルを変えるし、嫌いな作家は世間から高評価を得ていてもその作品には眼を通さないし、ポップスでも嫌いな歌手、クラシックでの嫌いな指揮者、嫌いなピアニストも自分の中には存在する。
 十数年前に青森出身の同僚と飲んでいて、何とはなしに作家の話をしていて、太宰治が嫌いだと言ったら、相手は急に怒り出した。その後ポップスの話になって彼にプレスリーは好きでないと口にしたら彼の怒りを増長させてしまった。嫌いな作家は誰、好きではないシンガーは誰と問われてマジメに返事をしただけだったのだが...。
 モーツァルトのピアノコンチェルトは好きで、演奏者・指揮者の異なるCDは多く持っている。その中でホロビッツ/ジュリーニのあの速歩の23番は一度聞いてから二度と聞いていない。しかし、それを高評価する人もいて、その評価を論理立てて文章にしているが悲しいかなこっちにはその表現力がない。カラヤンもどうも駄目で、その弱音の美学というらしいものが自分には駄目。
 音楽を文章で表現する人の鑑賞力、語彙、文章力に敬服するのはいつものこと。シベリウスの交響曲第2番はオーマンディ/POがとても好きなのだが、他の指揮者ではなく何故にオーマンディなのか自分でもよく判らない。最初にLPで聞いたのがそれだったせいかもしれない。動物が生まれて最初に目にする生き物を親と思うそれに似ているのかもしれない。多分そうに違いない。シア・キングのモーツァルト/クラリネット協奏曲もそうだし、似たような事例は沢山ある。アンセルメのドビュッシー(特に牧神の午後への前奏曲)、ジョージ・セルのドヴォルザーク交響曲、ABQのベルグやモーツァルト、等々があり、好きなサティもチッコリーニは避けてしまう。あわないといいながらもカラヤンのシェーンベルグ/浄夜はいい。クロノスQやクレーメルは発売されると殆ど購入して聴いている。どこが好きなのかと問われると自分でも上手く説明できない。問い詰められると、最後は好きなものは好きと言い張るだけになってしまう。
 音楽においての好き嫌いは、作家や演奏者の名前をあげることに抵抗は殆どない。しかし、小説をはじめとする本においては特定の嫌いな作家名をあげるのには抵抗がある。それは本には思想性や人生観、政治性が表出してしまい、誤解曲解嫌悪感を容易に生じさせてしまうからである。単独の小説については自分のブログでも書いているのであるが、ある作家を総論的に書くのは控えている。出版社/新聞社も同じで、自分の中では色づけている。これはしようがないことである。最終的には好き嫌いでしかない。

 昨日は疲れていたせいもあろう、21時には寝てしまった。予め判っていたことだが今朝は早く眼が覚めてしまい、午前3時にはコーヒーを入れてPCに向かっていた。今度はその反動で昼になってから猛烈な睡魔に襲われ熟睡の昼寝。そして眠れないであろうからと22時頃からウィスキーをなめている。いつものことではあるけれど、年齢に相応しくない不規則な-出鱈目な-睡眠/起床ではある。

芸術の秋-2/2

 当初は御徒町にホテルをとるつもりだったが満室で予約が叶わず、結局は西武新宿駅直前のカプセルホテルに入った。風呂に入ってカプセルに入り、そこから出たのは9時少し前で、結局は9時間近くも寝た。ルノアールにてコーヒーとモーニングサービスの食事を摂り、KYのバス出発は17時ということもあり、時間的に余裕があるので急遽ホキ美術館に向かうこととした。KYも自分も以前より行きたいと思っていたのでそうすることに決めたのだが、最寄りの駅が判らない。横にタブレットを操作する若い男性がおり、図々しくも彼に調べて欲しいと頼み込み、にこやかな表情で応対してくれ、やはりガラケーではなくタブレットは必要かな、少なくとも先日息子からもらったiPad-まだ操作に不慣れ-を持ってくれば良かったと思った次第。
 新宿から千葉・蘇我を経て土気駅に到着し、タクシーでホキ美術館に入った。日曜日ということもあるのだろう、そこそこの人が訪れていた。ギャラリー1から順にまわったのであるが、ギャラリーに入ったその瞬間から写真と見間違うほどの細密な写実的な絵に驚く。遠くから眺めては驚き、近くに寄って目を凝らしてはまた驚き、ただただ敬服するばかり。1本ずつ描かれた女性の柔らかな髪にため息をつき、背景と服との白色の微妙な描かれ方などに言葉を失くすばかりだった。絵を描く能力に著しく劣る自分にとって、絵をかける人が羨ましいのであるが、ここに来て思うのは、羨ましいという気持はとても失礼なことであって、画家はもう次元の違うところにいる人だという気持である。女性の肌、髪、深い奥まで表現される眼、実際と異なることのない木の床、青空を背景に描写される雲々、透明感のある水の流れ、樹木、家、等々。自分の家の壁に吊り、いつまでも、いつも見ていたいと思う絵も沢山あった。もちろんそんな事は実現する筈もなく、100円を出して絵はがき大の絵を購入することしかできない。648円のA3サイズのものも販売しているのだが一番好きな絵はなかった。そのサイズには、女性の裸体で好きなものがあったのだが、自室に掲げたときの家人の反応、娘の子どもの発する言葉、息子の嫁さんの見開く眼と表情を想像すると-自分の部屋にはみんな自由に入ってくる-臆してしまい、小さな葉書大のものを購入し、パソコン横のスピーカーの上に置くにとどめた。来年になれば展示品の入れ替えをするであろうから、もう一度行ってみたい。あの精細さと美しさは実際のものを見るに優るものはない。

 ホキ美術館を出て土気駅まで20分ほど歩き、KYとは秋葉原駅で別れた。
 前日は永青文庫で春画展、この日はホキ美術館での写実絵画、どちらも芸術ではあるが、ホキ美術館の絵画はまさに「美術」、永青文庫での絵は「文化」という言葉が当てはまる気がする。よりフィットする言葉=漢字があればそれを知りたい。
 しかし、絵を描ける人が「羨ましい」のだ。

芸術の秋-1/2

 KYから上京するとの連絡があり、17日・18日と一緒に過ごした。17日13時近くに池袋で待ち合わせ、まずは永青文庫に向かった。
 以前より永青文庫で開催されている春画展に行こうと思っていて、いい機会だからとKYを誘った。池袋から目白駅に移り、停車していたバスに乗り込み椿山荘前にて降車し、永青文庫まで歩いた。混んでいるとは知っていたが、同じ方向に向かう人が思っていた以上に多い。それに予想以上に若い女性たちが多い。カップルの人、友人同士で歩いている人など、年配の人の存在が少ない。受付では目の前にいた女性3人グループがそれぞれに身分証明となるものを提示して18歳以上であることが確認されてからチケットを購入している。さすがに我々は身分証の提示を求められはしなかった。順路に従い狭い展示場を移動する。目の前には春画、そしてそこに目を向ける多くの人が列をなしている。我々は背後から画を見ることはできるが小柄な人は少々の困難が伴う。繰り返すが若い女性の多さは意外だった。一緒に春画を鑑賞する男女のカップル、黙って見ている友人同士の女性たち、あるいは一人で移動する女性たち。夫婦と思しき年配のカップルなどなど。目の前に掲げられている画はすべて春画であり、人間のちょいとした秘め事を多くの人たちが見ている空間は淫靡とは異なり、湿ったエロチックさもなく、おおらかさがあった。豆本春画に顔を寄せるKYに接してしまうほどの近さで同じく顔を寄せる若い女性がいて、小さな春画とそこに目をやる二人の頭を後から見ていると、和やかで、ユーモアがあり、日常ではあり得ないシーンであった。ここの永青文庫の中でしか存在し得ない時間・空間であった。
 美術鑑賞能力が低いことを自覚しており、ここの絵の技巧や構成などを語る言葉はなく、性交場面をデフォルメして描く日本の春画という存在にただただ感嘆するだけである(因みに中国の春宮、西洋のエロティック・アートは面白みがない)。平凡社/別冊太陽の春画を3冊持っており、今回もそうだが、人間の日常的な性行為に理屈ではなく、単純に、根源的な生き様を見ようとするのは自分の傾向である。政治も、複雑に混沌とした社会構造も、感情や思惑が入り交じる人間関係も、そんな面倒くさいことを横に措いて人々の原初的なものが感じられる。

 永青文庫から早稲田中高校の横を歩き、高田馬場まで歩いた。理工学部出身の自分にとっては早稲田大学の本部エリアには馴染みが薄く、名前だけしか知らない穴八幡宮の横を歩いても何の思いも湧いてこない。明治通りと早稲田通りの交差点(馬場口)から高田馬場駅までは、かつては何度も歩いたはずであるが、思い出すものはほんの一握りの記憶でしかなかった。
 17時に新宿にてSJと待ち合わせをしていたのだが、それまでは時間があくのでSJに連絡を入れ、要は「おーい暇でやることもないだろうから早く出てこいよ」と言って呼び出し、KYとは15時40頃から、16時頃からはSJも合流し、それからは延々と酒とカラオケに浸ることとなった。

2015年10月13日火曜日

賞賛/歓喜と落胆/失意

 午前2時半からのラグビー観戦はさすがに無理があり、録画でじゃぱんvsアメリカを観戦。試合経過はRWCのHPで知っていたので試合観戦の臨場感には欠けるけれど、勝利へのプロセスに魅入った。全敗中のアメリカは前南ア戦をほぼ捨てていて主力はこのじゃぱん戦に向けていた。アメリカのRWCでの勝利3戦のうち2つは日本からのもので、今大会唯一の勝利獲得をこの試合にかけていることは明らかだった。
 いままでリザーブにも入っていなかった藤田が右ウィングで先発し、松島のトライへの布石を作り、自らもモールに絡んでのトライ。マフィのトライも含め、3T2G3PG/28-18で3勝目をあげた。3勝して決勝Tに進めないのはRWC史上初めてで、ネットにはベスト9と書かれているのは当然であろう。全世界を湧かせた南ア戦での大勝利、サモア戦での完勝。そしてこの日のアメリカ戦勝利。いままでジンバブエにしか勝っていなかった、体躯に恵まれないじゃぱんは今回のRWCを盛り上げ、じゃぱんラグビーへの敬意と賞賛が高まった。ラグビー大好き人間な自分にはたまらない今回のRWCじゃぱんだった。

 そして午後には秩父宮で早稲田vs筑波戦。これまでの早稲田の立教・青学戦のスコア、明治・慶応・帝京のスコアから見て早稲田には力が備わっていないは判っている。そして前日、明治vs筑波戦の録画を見ててからは次のように思った。早稲田が勝利するならば20点前後までのスコアでの僅差であろう、しかし負ける可能性も高い。
 ところが想像以上に早稲田は弱い。最初に筑波ゴールライン直近の攻撃で反則をおかしたとき、ああ、また反則連続で自滅するのかと思った。そして、同じパターンで簡単にディフェンスが破られ、というより接触もなしにディフェンス・ラインを突破される。ディフェンスが徹底的にダメ、ペナルティにハンドリングエラーも多い、筑波に比べて寄りが遅い。これでは勝てるはずもない。
 RWCも終わったし、藤田はいつから出てこられるのだろう、故障している主力選手と言われるが、主力って誰を指しているのか。桑山・黒木(今回から出てきた)・仲元寺・本田・横山たちかな。でもこんな、今までで最大の得点を取られる負け方をしたことは、要は戦力の層が薄いということ。それは入学のハードルが高くなってきていることに外ならない。試験勉強は勉強すれば向上するが、スポーツはいくら練習しても向上できるものではない。それだけに傑出するスポーツマンには敬意を払うべきだし、もう少し入学のハードルを下げても(枠を拡げても)いいような思いがある。
 以前ならば新潟や山梨にも早稲田の試合を見に行った。しかし、今回は帝京戦の秩父宮にも、まして群馬での日体大戦にも足を運ぶ気はしない。・・・兎に角、ディフェンス力、ペナルティーやハンドリングエラーの大改善をして欲しい。

2015年10月11日日曜日

RWC決勝T進出ならず、芥川賞2作

 ついさっきまでサモアvsスコットランド戦ライブを観戦。勿論サモアの勝利を願うだけだったが33-36で敗退し、じゃぱんのベスト8進出の可能性は失せた。キックオフ直後から点数の取り合い。キックオフすれば互いに相手から点を取り激しい試合となった。前半14分で15-10、21分で20-13とサモアは先攻するが自陣でのディフェンスが悪く、ペナルティも多い。随分と荒っぽい試合になり、前半は26-23。どっちが勝利するかは全く解らない展開だったが、サモアは日本戦でも反則が多いのでそれが気になっていた。結局はそのペナルティの多さが敗因といっていいだろう。後半は終了間近のトライ以外はいいところがなく、モールやスクラムでも押されっぱなしでペナルティが多すぎた。
 じゃぱんはアメリカに勝利して欲しい。3勝して決勝Tに進出できなかったという新たな歴史を作って欲しい。

 ラグビー観戦のおおよそ6時間前には錦織が負けて決勝進出ならず。USAオープン1回戦敗戦の相手にまたもや敗退。第1セットを6-1で取っていたが、第2セットの最後のゲームでブレークされ、ファイナルの最初のサービスゲームにもブレークされ、この時点で決勝進出は難しいと感じたがその通りとなってしまった。次は上海マスターズ、第6シードで順調にいけば準決勝でフェデラーと当たる。結果はどうであれATP World Tour Finalsには出て欲しい。

 <又吉直樹 『火花』(文藝春秋2015年9月号特装版)>:「大地を震わす和太鼓の律動に」と陳腐な表現で始まる話題の芥川賞作品。主人公(徳永)と紙谷の間で繰り返されるパターンはいつまで続くのか、と途中で飽きてきた。今時の漫才に興味がなく、若い芸人の芸に若い人たちが何故面白がるのかその理由がオレには解らないし、そもそもこの小説の語り手である徳永が紙谷の弟子になるシーンも唐突であり理解しがたい。徳永や紙谷が目指す漫才の芸がどういうものなのか伝わってこない。それは多分、著者は直向きに漫才芸の何かを求めているのであろうが、その何かが描写されていないし、読書に伝えようとしていない。少なくともオレには解らなかった。登場する人物たちすべては、オレが過去から積み重ねてきた世界とは全く異なる世界である。漫才とは見聞きする側に対し、庶民のペーソスを表現し、それを通じて共感し安堵する場と時間の提供であろうと思っているし、また世の中の仕組みに対し笑いを媒介とする毒をもっていなければならないとも思っている-毒がないといわゆる”毒にも薬にもならない”ということになる。この小説での漫才とは何か、笑わせたいというのは何に立脚しているのかが描写されていないと感じた。要は、核がない、笑いや漫才の基層が描かれていないと思う。だから、同じように繰り返す描写に飽きてきた。

 <羽田圭介 『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋2015年9月号特装版)>:語り手は再就職活動中で、筋トレとオナニーにふける30歳近い健斗。彼は口の悪い母親、88歳の祖父と一緒に3LDKのマンションに住む。祖父は死にたいと繰り返し口にしているが内実は計算づくで周囲に甘えており、世話をする孫は祖父の死を叶えようと柔らかく気を遣い行動する。二人のやりとりは滑稽であるが、老齢介護の問題は現社会の抱える問題でもあるので、滑稽さの中に切実さをも感じさせる。『火花』は途中で飽きてきたが、こっちはそんなことはなく、一気に読んだ。文章もこなれていると思った。ただ、この小説に共感するものは一つもない。

2015年10月7日水曜日

小説3冊

 10月4日((日)昼11時から横浜で飲んで歌って飲んでまた飲んで、21時頃に関内のホテルで爆睡。 翌日はさすがに体が酒を殆ど受け付けず、ビールを少々飲んだだけであとは歌いまくった。昼から飲んで歌うには横浜は環境が整っている。5日19時少し前に帰宅。

 最近は以前よりも小説を読むことが少なくなっている。頁を開かないままに放ってある小説を続けて読んだ。買ってしまったままになっている本の費消といった感も強い。実際のところはあれもやりたい、これもやりたいと、やりたいことのメニューが幾つかあって時間が足りない状況にある。取捨を上手にやれないし、怠惰癖もあるものだからこれからもこういう状態が続くとは思う。

 <ピエール・ルメートル 『その女アレックス』(文春文庫、2014年)>:『このミステリーがすごい!2015年版』の海外編」第1位だけあって秀作のミステリー。3部に分かれており、虐待-復讐-正義、と流れる。主人公はアレックスと警部カミーユで、カミーユは二人の個性的なルイとアルマンとで捜査にあたる。結末は鮮やか。
 気に入った台詞を二つ。一つはこころよく思っていない予審判事ヴィダールにカミーユが放つ言葉で、「考えたことを口にする勇気がない。口にしたことの意味を考える誠実さもない」(339頁)。二つ目はヴィダールが「まあ、真実、真実と言ったところで・・・・これが真実だとかそうでないとか、いったい誰が明言できるものやら! われわれにとって大事なのは、警部、真実ではなく正義ですよ。そうでしょう?」と言う(449頁)。この台詞は秀逸。この言葉の後に、「カミーユは微笑み、うなずいた」で”了”となる。
 最後の台詞に関連して、『岩波講座日本歴史 第15巻 近現代1』14頁より次の指摘を孫引きしておく。”歴史に「事実fact」も「真実truth」もない、ただ特定の視覚からの問題化による再構成された「現実reality」だけがある、と言う見方は、社会科学の中ではひとつの「共有の知」とされてきた。社会学にとってはもはや「常識」となっている社会構築主義(構成主義)social constructionismとも呼ばれるこの見方は、歴史学についても当てはまる”(上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』青土社、1998年、12頁)。

 <乙川優三郎 『太陽は気を失う』(文藝春秋、2015年)>:人生の転換点にさしかかったとき、それまでの人生に思いを馳せ、これからの生き方にどう向き合うのか、それを描いた14編の短編集。大きなドラマがあるわけでも、感動的な悲喜劇が描かれているわけではなく、淡く静かに流れる時の中で自分を見つめている。人の迷い、そこから生じる小さな感情が、静謐な空気の中で端正に描かれる。乙川さんの小説を読むと、夕暮れ時に小さな波の海を何も語らずに眺め、そこに行き交う人がいればただ静かに見つめる、そんな落ち着いた心持ちになる。

 <田中慎弥 『宰相A』(新潮社、2015年)>:「宰相A」とは安倍晋三首相であり、著者はこの作品を首相のところにも送付したという。その行為も含めて、この小説は、政権、日本のシステム、日本に生きる人たちに対する、空想的・妄想的・パロディ小説であり、強烈な皮肉、揶揄がある。現政権の「暴走」や日本の「無思考性」、「積極的平和主義」、「アメリカの正義」等々をマジメに解説する本は沢山あるが、マジメな人たちはこの本のように皮肉っぽく、揶揄って語ることがもっとあっても良さそうな気がする。何となれば、現在の日本の動きそのものが喜劇的であるともいえるのだから。

2015年10月2日金曜日

「そういう形で国家に貢献」、『昭和前期の家族問題』

 10月に入った。今年の残りはもうジャスト3ヶ月。陳腐な言葉だがホントに年月の経つのは速い。
テレビで見ると、福山雅治の結婚で世界中に福山ロス現象、福山ショックを生じせしめ、焼け酒に走る女性、会社を早退した女性、家事を放棄したオバサンもいたらしい。オレは吹石一恵が出ているユニクロのコマーシャルを改めて見つめ直した。・・・妄想を抱いた男ども少なくないだろう。

 この結婚に際して、菅義偉官房長官は①「この結婚を機に、ママさんたちが一緒に子供を産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれたらいいなと思っています。たくさん産んで下さい」と発言したとのニュースが流れている。その後菅官房長官は発言の真意を問われ、②「結婚について聞かれたので、大変人気の高いビッグカップルで、皆さんが幸せな気分になってくれればいいと思っている中での発言だった」と説明した。(引用先は9月30日の朝日新聞朝刊。)
 上記の二つの発言から、①は「子どもを産むことは国家に貢献する」ことで、また、②では「結婚して子どもをたくさん産めば幸せな気分になれる」と菅官房長官は思っているらしい。①の真意を尋ねられての②の回答は論理性に欠ける誤魔化しの言葉でしかないが、それを措いて、人の幸せを政治に関わる人間から軽々しくとやかく言われたくない。また、①については昭和13年に施行された、「戦時(戦争ニ準ズベキ事変ノ場合ヲ含ム以下之ニ同ジ)ニ際シ国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スルヲ謂フ」「国家総動員法」を連想する。因みに昭和16年10月には厚生省次官から通牒が出され、「男子25歳まで、女子21歳までの結婚」を奨励し、「結婚することが何よりのご奉公になるのだ、という結婚報国の念に徹す」ことが大切といわれた。官房長官の発言は、個々の人々を一括りにして高みから見下ろしている、殿様側近主席家老の姿に重なる。この発言を大きく取上げた新聞は3紙のみ(毎日・朝日・東京-某氏が潰れればいいと名指しした新聞社ばかり)で、テレビでも殆どニュースになっていない模様。

 <湯沢雍彦 『昭和前期の家族問題』(ミネルヴァ書房、2011年)>:昭和元年から昭和40年8月15日までの18年8ヶ月を対象にしている、「昭和初期の暮らしと家庭の悩み」と「非常時の暮らしと家族の絆」の2部構成とし、結婚と夫婦、家庭生活、病、思想などを、出版物の記事や参考文献からのデータで示している。3部作の一冊。
 端的な感想としては、個人的にはあまり入れ込むことのできない内容であった。というのは、給料や日記などから見る生活、新聞の身の上相談などから見る男女関係や家族問題などにはこちらの関心が低いことにある。家族の悩みや低所得層の悲惨な状況、地方と都会の格差、あるいは都市の中の格差、こういったものを日記や新聞記事で示されても、自分はそれらをエピソード的に捉えてしまう。大事なことは何故そのような状況になったのか、ならしめたのか、社会システムはどうだったのかなどということであり、これらの点についてこの本はその性質上表層的にしか言及されていない。でも当時の家庭生活とはどのようなものだったのかを知るには好著である。乱暴な言い方をすれば、ここに書かれている内容からある特定の範囲を取上げ、深く掘り下げれば小説の世界になるのではないかと感じた。
 戦前のスローガンである「ぜいたくは敵だ」 ・「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」に対し、「ぜいたくは素敵だ」・「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」などの皮肉った庶民生活がオレには好ましい。
 前記の「子どもを産むことは国家に貢献する」に絡めれば、昭和14年9月には「結婚十訓」(厚生省予防局民族衛生研究会)が出され、第十訓は「生めよ育てよ国の為」だった。

 NHK BSにてイギリスミステリー『刑事フォイル』が放映されており、最近は「兵役拒否」が流れている。その中に疎開児童が登場する。ちょうど時期を同じくして読んだこの『昭和前期の家族問題』にイギリスでの学童疎開が紹介されており、ドラマへの入り込みが少し深くなった。
 日本の学童疎開は縁故者への疎開や学校単位での疎開であったが、イギリスのそれは「里親委託型」であって、児童たちが到着する地での登録家庭の親が気に入ればその家庭に入った。
 イギリスの学童疎開では、「到着先で登録家庭の親が気に入った子を選ぶ「里親委託型」で、気に入れられない子は再度バスに乗って隣村へ行き、里親がどうしても見つからない子は協会などの施設へ入れられた。選ばれるのはかわいくって人好きのする女の子や農業の手伝いができそうな体格の良い男の子。汚いかっこうをした子や不器量な子は取り残された」のであった。いつまでも引き取られなければ自分の身を嘆くしかなく、これは子どもに対しかなり残酷なことである。また、「ロンドンで話題にされたのは、里親に虐待された、放置された、性的虐待を受けたという不快な話ばかりだったとされ」、「日本の倍にあたる3年間も養育されたので、終戦後帰宅した実親との人間関係を回復できずに、親しくなった里親の養子になった子どもも出た」とのことである。イギリスを批判するとかではなく、あらゆる人間社会が本来有しているダークな面と捉えるのが正しいであろう。

2015年9月30日水曜日

シラスとウシハク、日露戦争以後の軍部の展開

 <大津透ほか編 『岩波講座日本歴史 第16巻 近現代2』(岩波書店、2014年)>:読んだのは「明治憲法体制の成立」(坂本一登)、「伝統文化の創造と近代天皇制」(高木博志)、「軍部の成立」(山田朗)。

 井上毅が「発見」した「シラス」は通教の「日本法制史」で知っており、それと一線を画す概念も知ってはいたが、それが「ウシハク」なる語で表されることは知らなかった。
 ウシハク:【領く】名詞ウシ(大人、主の意)と動詞ハク(佩く)から成る。主人として(土地などを)持っているの上代語。シロシメス(知ろし召す)が天皇に関していうのに対し、ウシハクの主体は神。(角川学芸出版、『古典基礎語辞典』5版)
 シラス:【領らす】お治めになる、御統治なさるの意で、用例は上代にのみにある。中古以降はシロシメスでお治めになるの意である。シル【領る】は場所や土地などを自分のものとして所有するときに、占有する・領有するの意で用い、支配する・統一するの意も表す。人を対象にすると、自分のものにし、責任をもって扱うことから、世話をする・面倒を見るの意にまで発展する。上代から例があり、以後、中世の作品にも例があるが、その数は必ずしも多くない。(同、『古典基礎語辞典』)
 【領らす】(「しる」に上代の尊敬の助動詞「す」が付いたもの)国を統治される。(『大辞林』第2版)
 これらの辞典だけからは、井上「シラス」論の内容を知ることはできない。その「シラス」論とは、「日本の皇室は国土人民を私有して来なかった - 皇祖の支配は元来私心のない公的性格で、その伝統的統治形式は近代の私的所有権と分離された公的所有権とかわらない」(川口由彦『日本近代法制史』新世社、1998年)とするものである。

 天皇陵・皇后陵・皇族墓の治定作業は江戸時代末期の尊皇思想の勃興で盛んになり、「大日本帝国帝国憲法発令の時期までに長慶天皇を除く、すべての天皇陵と多数の皇后陵・皇族墓が決定済みとなり」、「陸墓参考地」は1931年までに40箇所が決定し、現在までそのまま続く。1891年に皇統譜が裁可され、現在はその皇統譜による天皇系図が一般的になっているが、河内祥輔は「正統(しょうとう)」によって現在の天皇(今上天皇)を基準として天皇系図を示している(例えば『天皇の歴史04 天皇と中世の武家』講談社、2011年)。因みに河内の「正統(しょうとう)」はとても興味深く、読んでいて面白い。
 明治維新を通じての陸墓の整備によって「万世一系」が創り出され、明治憲法発布に伴う「大赦」によって旧「賊軍」は天皇の下、薩長藩閥と平等となった。即ち、会津若松の飯盛山では白虎隊の墓が整備され、西南戦争で敗れ賊軍の将となった西郷隆盛の生家には碑が建った。

 自分の関心が高いのは、日露戦争以後の軍部の展開。ここでの<軍部>という概念は、「軍隊がその官僚組織を背景に政治勢力として国政レベルの発言力を行使し得る存在になった場合に用いられる」こと。
 「軍部」の成立を4分類して論じている。
 (Ⅰ)①統帥権独立=内閣(政府)からの独立、②軍部大臣現役武官制、③帷幄(いあく)上奏権(統帥機関の長が、軍機軍令に関して行う上奏のことで、統帥大権より生ずる軍機軍令に関する軍事命令は立法・行政機関の関与を許していない)。即ち、これらから軍部の「独立と政治介入を保障するシステムの成立」が図られた。
 (Ⅱ)日露戦争後から策定された帝国国防方針は、天皇と軍部首脳以外では内閣総理大臣のみに閲覧が許される最高機密として扱われ、政府の関与はなく、「政府から相対的に自立した戦略の保持」が成されるようになった。政府の外交戦略と軍事戦略には齟齬が生じるようになり、また、軍事力構築の目標は国家財政の状況とは関係なしに設定されることとなった。
 (Ⅲ)陸海軍は自らの組織内で軍事官僚を養成し、外部機関に頼ることのない「軍事官僚制と人材養成システムの成立」が図られ、軍部大臣現役武官制とともに、他の省庁とは異なる組織構築を可能とした。これは陸軍幼年学校や陸軍大学校、海軍大学校などを軸とする軍内部の軍人官僚養成であり、帝国大学出身者などを軍から排したシステムを意味する。
 (Ⅳ)「軍隊の支持基盤の形成」は次のように築かれた。①徴兵制に基づいて各歩兵連隊が郷土部隊として編成され、郷土の部隊としての性格が強化され、さらに、②在郷軍人会が組織化された。在郷軍人会の本部は陸軍省内に設置され(後に海軍も加わる)、陸軍省官制が業務を規定し、支部-分会へと末端まで展開された。③靖国神社と地方の招魂社という戦没者慰霊機関が存在し、多くの戦死者を出した日露戦争期から「英霊」なる言葉が使われ始め、日露戦争を契機として「英霊」が靖国神社に合祀され、靖国神社は「英霊」とともに人々と密接な繋がりをもつようになった。

 (Ⅰ)の3要素、(Ⅱ)の帝国国防方針、(Ⅲ)の軍事官僚養成システムは敗戦にともなって消えたが、(Ⅳ)の③の「靖国神社」や「英霊」などは現在も多様な課題を有している。それらを含んで、日本という近現代のシステムは1945年という画期をもって語られることが多い。自分も1945年を中心におき、そこから明治も大正も、戦後も戦前も、(あるいは近世も中世も古代も、)見てみたいと思っている。

2015年9月29日火曜日

本一冊

 <大津透ほか編 『岩波講座日本歴史 第15巻 近現代1』(岩波書店、2014年)>:読んだのは「月報4 「戦争体験」について」(赤澤史郎)、「月報4 「日本式共同体」」(文京洙)、「近現代史への招待」(吉田裕)、「北海道・沖縄・小笠原諸島と近代日本」(塩出浩之)、「官僚制と軍隊」(鈴木淳)
 「北海道・沖縄・小笠原諸島と近代日本」
 徳川政権下では「蝦夷地(蝦夷島・クリル諸島・樺太)・琉球(沖縄)・ボニン諸島(小笠原諸島)は周囲に位置した境界的な地域」であって、内地の大和人による植民地化が図られ、属領として統治された。三地域とも原住者は「国家や社会を築いていたにもかかわらず、明治維新直後に日本の領土拡張の対象」となったのであり、北海道・小笠原諸島については大和人の移住により植民地化された。ここで植民地と呼ぶ理由の一つは参院選挙法の除外地域に指定されたことに現れている。北海道では、アイヌが住民を占めているのではなく、内地出身の大和人と同質であり、彼らは「人智」「民力」が異なっている「沖縄県・小笠原諸島と同列に扱うべきではないとも主張し」た。ここにみえる論理は、「大和人入植者としての植民地主義と不可分だった」。「小笠原諸島の欧米系住民は日本国籍に編入されたうえで、移動民としての生活を容認され」たが、沖縄は琉球王国の復活を求め、本土政府によって「沖縄県庁を通じて支配植民地化が行われ」た。
 ここで、支配植民地とは、官僚機構の移動を伴う植民地を指し、ほかに、植民地は、ヒトの移動の移住植民地、カネの移動の投資植民地、軍隊の移動の軍事植民地に分類される。
 北海道・沖縄を見るとき、両者は日本国内ではあるが、「特殊性を有する一部として位置づけられきた」のであり、これは現代も意識の中で残っていると思う。何せ、つい最近まで北海道開発庁・沖縄開発庁があり、どちらも開発しなければならない地であったのだから。
 「官僚制と軍隊」
 政務においては帝大法科出身の官僚、陸軍は陸軍大学校出身の軍事官僚が中核に位置し、敗戦まで継続した。「多くの専門分野を含む巨大な官僚組織と陸軍は、法制知識や戦術という組織の目的遂行に最も基本的な知識を授ける機関の限られた出身者に組織を管理する役割を負わせ」、選抜は試験制度によりっており、結局は「評価する側も同じ教育を受けた人々となると、文化的背景を共有する狭い集団が主導権を握り、予想外の事態への対応を応力が低下し」て狭隘な視野の人間が国を主導することになる。専門分野においても「官僚制の主流との人的つながりを断たれ」、「例えば人事においても、制度的な権限を持たない実力者が存在するような独自の世界を形成していった」のである。

 安倍首相が 「誰もが家庭で職場で地域で、もっと活躍できる『1億総活躍社会』をつくる」として担当相をおくとした。ぱっと思ったのが「国家総動員」や「進め!一億火の玉だ」の戦前のスローガン。個々の人間を全部一括りにして一つの色、一つのベクトルにしようとする気色悪さを感じた。

我流の本の読み方

 最近、以前購入したままに殆ど頁を開いていない本を読み続けようとしている。まずは近現代史を中心としており、先の戦争を真ん中に置き、周縁を拡げるような形で読んでいる(読もうと努めている)。本に書かれていること何でも知ろうとすると挫折するのは目に見えているし、また発散してしまうので関心が薄いところは斜め読みして飛ばす。そして読後はノートを残している。最初は全頁に目を走らせ、以前よりそうしているように、鉛筆で(時には赤の鉛筆やボールペンで)線を引き、あるいは囲みを入れ、本を汚すことを厭わない。その後、線を引いた箇所や囲みのみに集中して再度読み返す。その際はPCに向かってエクセルに書き込んでいる。さらにその本を参考にするときは原則このエクセルに書いたノートしか見ないようにしている。以上は通教のリポート(あるいは卒論)作成時の参考文献を読むときから実施している。その時に作成したノートは今でも有効となることは少なくない。過去に読んだ本も手許に残している本には線を引き、囲みを入れているので、思い出して頁を開くときに少しは役にたっている。但し、時々書き込みをした自分の文字が読めないときがある。まあ、これはしようがない。何せ酒を飲みながら読んで書き込みメモを入れたこともあったのだから。
 小説などの類はそんなことはせず、単に読後感を短くメモしている。このメモは1982年から続けているので過去に何を読んだのか振り返ることができる。33年間の記録を見れば改めて自分の変化をも知ることができるし、もうちょっとまともな読み方ができなかったのかとの悔いも出てくる。データをいじることが好きなので、年毎や季節毎の読書量の推移、作家毎の読書量変化や読書時期の変化もグラフに現れる。ある時期に集中して読んでその後読むのをやめた作家、あるいは長期間読み続けている作家など、要は読書を通して自分を透かし見ている。自己満足の行為であることには間違いない。

2015年9月28日月曜日

〇〇魂、キッチン・クローゼット修理

 先週の土曜日(19日)は娘の長男の小学校運動会。毎年行われる行事に足を運ぶ度、年月の経つ早さを実感する。そして、娘の長男が最近大人びてきたことを感じるようになっている。
 教師たちは黄色いTシャツを着ており、その背中には「○○魂」の文字がある(○○は地名であり小学校は○○小学校)。住んでいる街を歩いていると、ここ数年、背中に○○魂と大きくプリントされているTシャツを着た中高校生を頻繁に見かけるようになっている。以前より、自分はこの○○魂がよく判らない。違和感といってよい。何を意味し、何を表現し伝えようとしているのかが判らない。○○魂の○○で「他の地とは異なる」ことを強調していることは単純に判る。しかし、そこから先が判らない。「他の地とは異なる」ことをプラットホームとすれば、その上に乗っかっているものは精神論的、抽象的なものであり、故に多様な解釈があるようで、要はストンと入ってこないのだ。何故かと考えるに、○○魂というのはその集団の中にいる人々の行動の方向性・様式を示そうとしているのであるが、○○は地名(あるいは組織名)であり具体的な行動を示してはいないからである、と思っている。だから、例えば開拓者魂のような、行動に繋がる言葉がつくと違和感は覚えない。こんな風に思っているから自分で○○魂とかを口にすることはない。

 先日一人でいるときのこと。キッチン・クローゼットのパネルを閉めるときに異常音がする。パネルが閉じられる数センチ前にガリガリと音がする。パネルが何かと干渉しているわけでもなく、ゆっくりと閉めれば異音はしない。床に寝転んで引出しレールのラッチを解除して引出しを取り外し、パネルの緩衝装置を取り外した。ここからは、オレは、かつては機械設計をしていたんだから直せるはずだ、修理できない筈がないとの己惚が出てきたことは否定しない。そして緩衝装置を分解。しかし、分解時のケース取り外しに全部品がばらけてしまった。回転式のオイルダンパー、歯車、ラック、スプリング2本、スライドカム、ケース2点、これらが全部品。不具合箇所はオイルダンパーに嵌合させている歯車がダンパー軸上ずれていたことと判明。部品の形状や機能から推定して全てを組み込み、結論からいうとすべて正常に動作するようになった。全作業時間は1.5時間弱。
 帰宅した家人に、不具合と修理したことを口に出し、メーカーに依頼すれば部品代・出張費・技術料などで2万円くらいは要したはずだと自慢するも、軽くいなされた。

2015年9月26日土曜日

RWC、スコットランドに完敗

 ライブでスコットランド戦をテレビ観戦。スターティング・メンバーは南ア戦からポジションも含めて8人が変更。フロントローでは両PRが変わりHO堀江は南ア戦に続いて先発。LO大野は退き、No.8はマフィ。立川がSO(FH)に立ち、福岡が左WTBで、前回左だった松島は右WTBとなり、田村が左インサイドセンター。早稲田の藤田は今回もメンバーに入っていない。

 キックオフ3分後にいきなりのPG、12分にもPG。いきなりの連続反則があってもまだまだと思っていて、五郎丸のミラクルなタッチキックに続くモールトライ。コンバージョンも決めて7-6と逆転する。しかし、その後、立て続けに2本のPGを入れられ7-12となる。ジャパンのハンドリングエラー、ペナルティが目立つ。逆にスコットランドはキックオフ後には浅い位置に(バックスとフォワードの中間に)ハイパントを繰り返す。ジャパンは前戦と違ってつまらないミスが目立つ。誤解かもしれないがアイルランド人レフェリーはノッコンの取り方が一定でない気がした。松島がシン・ビンとなり、そしてまたジャパンはペナルティをする。PGが不成功でラッキーと思うも、五郎丸もゴールポストに当たるPGとなる。スコットランドの攻撃をゴール前で耐えていて、右に回されたときはトライされたと思ったが五郎丸の素晴らしい(!)タックルで相手をタッチラインの外に出し、前半は7-12で終了。南ア戦でも10-12でハーフタイムに入ったので、後半に期待するも、南ア戦でも後半にトライを取ったり取られたりしているし、ましてスコットランドは初戦だがジャパンは中3日なのでフィットネスやディフェンスが甘くなって荒れなければいいと思った。それに何にしてもジャパンはミスが多すぎる。
 後半に入り、ジャパンは攻撃するもトライに結びつかない。ゴールポスト前のモールからマフィが空中に飛んでトライを目指すも2人に阻まれる。この後マフィは担架で運ばれてツイと交替。五郎丸のPGで10-12。まだまだ逆転できると思ったがトライをされて10-17(G不成功)。
 この後、10-24になり、10-31となった時点でテレビを消した。勝つことはできないし、点差はさらに開くだろうと思い、翌日確認したらやはり10-45となっていた。諦めた理由は、まずはミスが多いこと、それにゲーム運びが荒くなっていたと感じたこと。PGを選ばずにタッチをとってトライにいったり、マフィの一発狙いのような中央ジャンプ。そして、甘いサインプレーによる中央付近でのインターセプト。南ア戦と違って悪さばかりが出た試合と感じた。誤解を恐れずに書くと、南ア戦で勝ったので、スコットランドでは勝ちに行ってしまった。確かに点差ほどの力の差はないだろうが、伝統ある強豪チームにチャレンジするという気持よりも、勝ちにいってしまったと思う。それが個々の精度の低い、規律のない(i.e.,ペナルティ、ハンドリングエラーなど)プレーに繋がったような気がしてならない。中3日というハード・スケジュール(相手は初戦)、風が舞っていることなど不利な条件の重なりはあるが、だからこそ尚更に地道なプレーを期待した。最低でも1点のボーナスポイントは欲しかった。

 今度は9日も空けてサモア戦。そしてその8日後にアメリカ戦。両方ともボーナス・ポイントをつけての圧勝を期待したい。でも(といってはいけないが)、ベスト・エイトに進むには南アとスコットランドの戦績に依存する。尚、今現在、五郎丸が最多得点のトップにいる(得点は29で、2位はスコットランドのSHで20点)。
 ジャパンの、ミスの少ない組織だったアグレッシブな試合を期待。

2015年9月22日火曜日

ラグビーの小説など

 RWC2015で日本代表が南ア代表に勝利したことに触発され、本棚に寝かせてあるラグビー関連の本を確認してみた。その中からラグビーを物語のつなぎにした小説、あるいはルポを3冊メモしておく。(栄光の記録とか現在進行形のルポやリポート、思い出話や啓蒙書じみた本は除外した。即ち、早稲田ラグビーを著したもの-例えば監督経験者の著作-、日本ラグビーにもの申しているもの、ラグビーの歴史を扱ったものなどは除外。ちなみに藤島大さんは大好き。)
 ①堂場瞬一『二度目のノーサイド』(小学館、2003年)。2010年に小学館文庫で読む。読んだ当時は酷評。著者はラグビーを舞台にしてあと2作を出しているが触手は動かない。
 ②山下卓『ノーサイドじゃ終わらない』(エンターブレイン、2009年)。爽快感を伴ったとの読後感がメモされている。出版されたときの「2010年版このミス」ではアンケート対象者72名のうち二人がこの本をあげており15点。
 ③蟹谷勉『死に至るノーサイド』(朝日文芸文庫、1996年)。小説ではない。感動した、考えさせられた、人間の悲しみを感じた一冊。内容をAmazonから引用すると「1930年代後半、ラグビーのオーストラリア代表にブロウ・井手という日系人がいた。ふとしたことからこの事実を知った加藤広野は、その足跡をたどり始める。第二次世界大戦を戦った日本とオーストラリア。重い歴史の扉を叩いた広野を待つ「ノーサイド」とは…。92年、沖縄県具志川市文学賞受賞作」 
 ウェブで“Blow Ide”、”WPJ Ide”と打ち込めば関連情報が得られる。Ideのプロフィールは<http://130queenslandrugby.com.au/yourstories/a-tragic-loss-to-gps-rugby-club-queensland-and-australian-rugby/>に「A Tragic Loss to GPS Rugby Club, Queensland and Australian Rugby」のタイトルを付して記載されている。また、<https://www.awm.gov.au/collection/PAFU2013/048.01/>にても知ることができる。
 Tower Of Strength と称され(『死に至るノーサイド』183頁)、戦後1970年までBlow Ide Memorial Cupが開催されていた(同184頁、および上記Australian War MemorialのHP)。
 Ideを主題とした映画『君はノーサイドの笛を聞いたか?』があるようだが、商業映画ではなくDVD情報も見つからない。観てみたい。また、著者は「ゲインラインまで」なる作品もあるようだが刊行本or掲載誌が見つけられないでいる。
 定年退職前に勤務していた会社の同じ部署の後輩に、九州某県の某有力高校ラグビー部でフランカーだった(かな?)人がおり、彼にこの本を貸して返却される際、涙が出てしようがなかった、という言葉が添えられた。

2015年9月21日月曜日

じゃぱんラグビー南アに勝利

 どれくらいの差で戦えるのか、大きく崩れてしまわないか、でも南アを想定して戦った直前のジョージア戦では僅差で勝利しているのである程度まではいけるかもしれないなどと想っていたワールドカップ初戦。酒に酔っていたので生放送は観ずに寝てしまった。早く目が覚めた翌朝すぐにPCで結果を確認したら何と勝利しているではないか。すぐに階下に降りて録画を観た。それからは興奮しっぱなし。五郎丸のトライ、ラストの逆転トライは何度も何度も何度も見た。
 素晴らしい試合だった。日本のタックル、ゴール前でのディフェンスには感動。反則やハンドリングエラーの少なさ、特にラスト10分ほどの相手ゴール前の連続攻撃ではミスをすればそれで終わりなのに安定して攻め続け、レベルの高いラグビーを楽しめた。

 RWC最大最高のアップセットを達成し、スタジアムでの多くの観客の反応も凄かった。日本を応援していた人はもちろん、そうでない人も素晴らしい、内容の高いラグビーに酔ったのではなかろうか。

 YouTuibeでも楽しめた。攻撃する日本側から南アゴールに向かって右側のスタンドからの観客の動画(https://www.youtube.com/watch?v=Rtk8r0ynDk8)、左側スタンドからの同様の動画があり(https://www.youtube.com/watch?v=WRc8q2c_l74)、臨場感あふれる逆転シーンを見られる。逆転トライの直前からは画面が紊れる踊るが、それだけにスタジアムでの興奮が伝わる。これらは必見。また、スタジオ外のモニターに歓喜する大勢の人たちの動画も確認でき、いかに日本の勝利が凄いことなのかがよく分かる(https://www.youtube.com/watch?v=ggpT_dn-ko8、https://www.youtube.com/watch?v=t43qYwSa26o、https://www.youtube.com/results?search_query=Japan+vs+South+Africa+in+Cardiff 、https://www.youtube.com/watch?v=f8SMs527jJA)。テレビから流れる試合とは異なる興奮を味わえる。テレビ放映はもちろんBD化して保存したが、YouTubeの映像もDLして保存しておいた。

 五郎丸のトライまでの一連の流れは美しい。気が早いけれど今回のRWCのベスト・トライ候補になるかも。
 これからの試合にも期待し、目標のBestエイトに進んで欲しい。

2015年9月15日火曜日

掃除完了、テキスト『ポツダム宣言と軍国日本』

 4日から原則午前中だけの掃除を行ってきて、12日にやっと終わった。過去にない徹底的な掃除であった。浴室はユニットバスのパネルも外し、洗濯機は位置をずらして目に見えないところまですべてやり、それだけに時間がかかってしまった。故障してしまった便座はバルブが壊れており部品だけで2万円弱要すること、内部回路基板への腐食懸念もあることより結局新型商品に交換することとした。一番安価なところをwebで探し、交換の施工は自分で行った。掃除から始まった一連の作業はこれで終了。掃除をやっている間、外に出るウォーキングは一切やらなかった。でもウォーキング以上に汗は出た。
 水蒸気清掃してからオスモでワックスをかけた床は、いつもそうだが、裸足の足裏の感触がいい。ただし自室のごちゃごちゃ感は相変わらずである。ものを捨てれば良いのだが、なかなかできない。CDは増える一方だし、安価なスピーカーも増えているし、ウィスキーの瓶もそうだし、本はときどき捨てたり古本屋にもっていったり息子にあげたりしているのだが増えていることには変わりない。自室の物を他の部屋に移動することは家人から頑に拒否されているし・・・・。

 <古川隆久 『敗者の日本史20 ポツダム宣言と軍国日本』(吉川弘文館、2012年)>:日本の「指導者層の人々は」「統一的意思決定が困難な国家機構や、政治的な意味での自発性を欠き、狭い視野しかもたない国民を生んだ日本国家の体質を敗北の根本原因と考えていた」のだが、その具体像、原因、反省の戦後への影響を探る本である(プロローグ)。「天皇の軍隊」(建前上は天皇の私兵)となった軍隊は「国威発揚のための外征型軍隊」となり、外部からの干渉回避のために統帥権を独立させ、官僚組織もまた天皇のための存在となり、帝国憲法は形式上天皇に全権威を集中させ、実権は内閣と軍部が持ち、陸海軍はそれぞれの組織利害を両立させるためだけに計画を立案ししかも極秘とした(エピローグ)。そして敗戦=「軍国日本の自爆」となった。
 陸軍と陸軍幼年学校について簡単にまとめてみる。東京裁判での被告は28人おりそのうち陸海軍を出身母体とする者は18人、陸軍出身者は15人である。15人のうち11人が陸軍幼年学校を卒業している。伊藤・山県らは民意を嫌い近代日本の軍隊は「どちらかというと一般住民に対立する存在として出発し」、陸軍は「民権的な反政府思想に染まらない将校を陸軍の中心的存在とするために、有能な人材を幼少期から陸軍に取り組んでしまおう」と陸軍幼年学校を設立した。陸軍幼年学校-陸軍大学校卒業は陸軍のエリート軍人であるが、幼年時より純粋培養された将校は視野の狭い(「広い国際的視野や長期的展望」をもたない)将校が陸軍で出世して幹部になる。その先は敗戦であり、戦勝国の裁判で前記の如く被告になっている。絞首刑7名のうち文官である広田を除く6名は陸軍出身で、松井石根以外は全員が陸軍幼年学校-陸軍大学校出身である。このことからもこのエリート学校卒業者が「今次の戦争」において大きな存在であったことがわかる。
 大西洋戦争における海没者は40万人で、戦闘での戦死者は約46%、約44%は南方へ輸送される途中で輸送船が沈没させられて犠牲となった。ガダルカナル島などでの戦死者に多くの餓死者を出したことは広く知られている。そもそも各戦域での戦死者230万人のうち約6割の140万人は餓死であったと推定されている。彼等は何と戦って死んでしまったのだろうか。230万人は日中戦争以後の日本軍の戦病死者である。ちなみにアメリカ軍はヨーロッパ戦線や太平洋戦争の合計でも55万である。55万人を”55万人しか”と言うことは軽薄であるが、230万人はごく自然に”230万人も”と言ってしまう。ちなみに、メレヨン島では将校の死亡率は33%、兵士のそれは82%であった。兵士は軽視されていた。
 「戦争責任問題」と「敗戦責任を認めた陸軍」の項が立てられている。深くは言及されていないけれど、ここにあげられた史実から感じたことは、「戦争責任」あるいは「敗戦責任」にある「責任」の基底にあるものは何なのか自分にはよく理解できないということである。例えばその「責任」は負けてしまった事実への悔恨から発するものか、戦争を起こしてしまったことへの反省からくる責任なのか、天皇に対し負けてしまって申し訳ないというところから発する責任なのか、等々書けばきりがない。

2015年9月9日水曜日

掃除、故障、ラグビー

 毎年夏には家の全ての床を蒸気で清掃し乾燥後にワックスをかける。年末にはそれに加えて一般的に言う年末大掃除を行っている。しかし、昨年末は通信教育の卒論にかかりっきりで何もしなかった。卒論のケリがついたら年末に匹敵する掃除をしようとしていたがついつい先送りにし、夏になると暑いので涼しくなってからとこれまた先送りにしていた。そして突然に先週金曜日(9/4)から毎日掃除を始めた。疲れるので原則午前中に動くとして、今日(8日)まで毎日おこなっているがまだ終わらない。

 悪いことは重なるもので、車の後部左ライトのケース(レンズ)が割れていた。いつそうなったのか解らないがどうも路上の石が飛び跳ねて当たったようである。そして今度はトイレ便座下部からの水漏れ。洗浄水配管接続部に異常はなく、内部での不具合のようである。ある程度まで分解して確認したが配線や基板をばらす必要もありそこには手をつけるのはやめた。結局はメーカーのメインテナンス会社の修理を待つことにする。車といい、トイレといい思いがけない出費が続く。

 6日、秩父宮で早稲田vs立教のラグビー。今季の対抗戦が開幕したが、一年の早さを感じ入ってしまう。次第に70歳に近づいてくる。そういえば、先日は民生委員の人が自宅に来て、“高齢者”だけの家には緊急連絡先の登録を依頼お願いしていると言う。 実際のところ高齢者区分されることにまだ慣れていない。
 ラグビーはパットしない試合。力強さ、早い展開が早稲田には感じられない。後半途中から激しい雨になり尚更に試合をつまらなくしてしまった。久しぶりにFBにつく滝澤を見た。一年生の桑山・宮里に期待。吉岡からの展開の遅さが気になるが、これは吉岡のせいばかりではないだろう。吉岡・杉本・岡田と3人のSHが出たのは初めてのことではなかろうか。 3人とも170cmに届かない身長でよくやっている。

ヘッドホンを購入

 深夜に音楽を聴くときは必然的にスピーカーのボリュームは小さくなる。バックグラウンドで流す場合はいいのであるが、ちゃんと(?)聴こうとすると物足りなくなる。よってヘッドホンで聴くことも少なくないのだが、いま持っているヘッドホンには不満を感じていた。SONYのMDR-CD900STはモニター・ヘッドホンとして確固たる地位と評価を得ており、自分でもクリアな音は好きなのであるが長時間聴くのには緊張が強いられるようで疲れる。また、ヘッドホン内部が耳に当たるのが妙に気になってしまう。AKG K172 HDは嫌いではないのだが耳を完全に覆わない小さなパッドが好きになれず、また音の拡がりというのかもっといい音を聴きたくなっていた。あとSONYのノイズキャンセラーのものもあるのだが、これはもっぱら昼時に自室以外からの音が気になるときしか使わない。Pioneerから始まってBOSEなどを変遷してきて今に至っているのだが、要は今までよりは少しグレードの高いヘッドホンを欲しくなっていた。
 40数年前からずっとヘッドホンは密閉型しか経験していない。これは偏に周囲からの音を遮断するためだったが、そのせいもあってかヘッドホンはいずれにしても長時間聴くと疲れるという印象を持っている。それにあの薄っぺらい人工皮革膜のようなものは耐久性がない。イヤーパッドは交換品であると言っても意外と高価であるし、頭の上の部分もボロボロになることがある。それで今回はオープンタイプでパッドは人工皮革でないベロアにしようとした-前記のAKG K172 HDもベロアであることを購入要因の一つとしていた-。で、選んだのがSENNHEISERのHD 650。数日前に購入しまだ碌に音も出していないが、音場の拡がりがあって、とんがりがなく、とにかくいいというのが今の印象で、あと数ヶ月も聴けばよりよくなると思っている。装着時の側圧が少し気になるので注意しながらサポートプレート部を変形させた。もっとも保有しているヘッドホンの側圧はいずれも手を加えている(自分の頭のでかさ故なのかも)。深夜に好きな音楽を聴く頻度が増えそうである。

 ヘッドホン・ハンガーを自作。コストはゼロ。空っぽになったウィスキーの瓶を棚に横に置き(接着剤で棚板に固定)、瓶の口やボディの部分にヘッドホンをぶら下げた。掛ける部分のカーブに合わせて瓶を選ぶことができヘッドホンは自然な姿勢でおさまってくれる。実益(飲酒)と趣味(音楽)の美しい(?)融合・・・他人が見たら嗤ってしまう。

2015年9月8日火曜日

まだ続く Whiskies aged 12 Years

 今年2月2日以降に追加したものは7種7本。TALISKER (10 years)、Dewar's、KNOCKANDO、Caol ila、TOMINTOUL、OLD PULTENEY (息子夫婦からの頂戴した)、LABEL 5 Extra Premium。累積で43種となった。まだ封を開けていないものが5本、飲みかけのものが8本。これらは基本的にトワイスアップで楽しみ、主目的が酔うことである場合は12(10)年ものより安価なウィスキーを別途購入しハイボールで飲んでいる。
 ジンやウォッカも銘柄や価格を変えたりすると面白くなっている。この前はスリランカのウィスキー(Mendis SPECIAL CEYLON ARRACK)のボトルを購入。”Processed coconut arrack“に興味をもって初めて口にしたが、嫌ともいえず美味いともいえないものだったが、瓶は空になっている。ボトルの形と無職透明さに興味を持って米国のコーンウィスキー(Georgia Moon)を買ったがなかなか減らないでいる。これは単に酔えばいいやと思うときにしか飲まない。

2015年9月2日水曜日

何度目かのL/O変更、読書など

 今年になってから何度目かのレイアウト(L/O)変更。PC周りのオーディオ機器を左側にまとめ、レコードプレーヤーも操作しやすい位置に移動し、テレビも移動。小さな音響パネルもスピーカーの背後と左右に追加し、そのフット部分の大工仕事もあったので結局二日がかりとなってしまった。

 <鯨統一郎 『笑う忠臣蔵』(光文社文庫、2014年)>:副題は「女子大生桜川東子の推理」の短編集。焼酎の紹介や、昔の俳優・映画・ドラマ等の薀蓄が各編の冒頭に書かれているつまらない一冊。前に読んだ短編集には日本酒の紹介があったのだが、今回は焼酎になっている。つまらないのではしょりながら目を右から左に動かしたに過ぎない。

 <水島吉隆 『写真で読む昭和史 占領下の日本』(日経プレミアシリーズ、2010年)>:新書であり写真も豊富に示されているため文章で綴られる量はかなり制限されている。しかし、要点が簡潔に解りやすくまとめられており、次のステップに進むための参考となった。
 冒頭に「日本4カ国共同統治案」の日本分割地図が載っており、USAがUSSR要求を拒絶しなければ44頁のコラムにあるように「東日本社会主義人民共和国」が誕生していたであろう。戦争に負けるとはこのように領土が奪われることであり、戦争で領土を奪うことができる。そしてまた領土問題は戦争でしか決着がつかないものである。
 コラムも参考になる。そのコラムの中から一つ、マッカーサーに日本人が推定507万通もの手紙を書き送ったことについての袖井林二郎の分析に得心する。「権力者と対決することなく一体化するというこの行動様式は、占領期に初めて見られたのではなく、他に逃げ場のない島国日本に、あるいは封建的集落という小宇宙に長い間生きてこざるを得なかった日本民族にとって、ほとんど本能化していたのではないか」と袖井は考えている。日本人の行動パターンを語るつもりはないし、語れる知識も論理も身につけていないが、「支配者に同調する」傾向は組織の中にみることが容易である。「支配者」を「上司」あるいは「上位者」などに置き換えればいいことである。しかし、同調した人をを安易に批判することはできない。なぜならこっちもこの日本の中でどこかに妥協し同調して生きてきたのであるから。

 <佐藤優 『読書の技法』(東洋経済新報社、2012年)>:大学通教に在籍していたとき、リポートや卒論のテキスト類を読むときの参考にした。ラフなつまみ読みだったので改めてちゃんと目を通しリフレッシュを図る。

 <--- 『ビッグコミックオリジナル 戦後70周年増刊号』(小学館、2015年)>:近くの書店にまだ2冊あった。印象に残る作品は「ホームルーム」(戦前の愚かさとステレオタイプの戦後民主主義の滑稽さと皮肉)、「光る風」(収録されているのはほんの一部。すぐに『ジョニーは戦場へ行った』と若松孝二監督作品「キャタピラー」を思い出す)、「さよなら憲ちゃん」(作者石坂啓の言葉を”http://blogs.yahoo.co.jp/alfmom29/39789507.html”から孫引きする:「主人公は日野マル子、彼氏が憲ちゃんと言ってイイ男なんです、やさしくてオトナでカシコくて平和的で、仲良くやってたわけですよ。そこに下衆のキワミというかシンちゃんと言う野郎がやって来てですね、こいつが無作法に野蛮にアタマ悪そうに横柄にコズルく卑怯にに、積極主義的に主人公に迫ってくるわけで…」 ダジャレ的に遊んでいるとも感じられる。)、あとは省略。

 <浦沢直樹 『BILLY BAT⑯』(講談社、2015年)>:ストーリー全体およびビリーバットに対してまだ奥歯に物が挟まったようにすっきりせずにいる。

 <安彦良和 『天の血脈6』(講談社、2015年)>:安積は内田良平の力で窮地を脱し、舞台は伊藤博文が統監を務める朝鮮半島に移った。

2015年8月24日月曜日

北方領土に関するメモ

 8月23日、とある店で時間潰しのためにそこ置かれていた読売新聞朝刊に目を通していたら次のような記事があった。北方領土を説明する記事である。

北方領土 北海道の北東にある択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の「北方4島」のことで、総面積は約5000平方キロ・メートル。ソ連(現ロシア)は1945年8月の終戦直前に対日参戦し、9月5日までに北方4島を占領した。約1万7000人いた日本人を強制退去させ、不法占拠を続けている。2011年時点で居住するロシア人は約1万7000人。戦後、日ソ両国は56年の日ソ共同宣言で国交を回復したが、4島の帰属問題が未解決だったため、平和条約は現在に至るまで締結されていない。日本政府は、4島の日本への帰属が確認されるのであれば、返還時期や態様については柔軟に対応する方針を示している。

 この文章だけでは北方領土問題は理解できない。さらに言うならば、現在の日ソ両国交渉の延長線上に4島の返還は存在しないと捉えている。国内でも2島返還をメインにすべきとの意見などがある。
 幾つかの本を参考にして「北方領土」問題を時系列的に確認してみた。以下にメモしたことは表面的なことでしかなく、当時の政界情勢と米国の動向、沖縄の状況、日米関係、日露(日ソ)の歴史などもっと深く考えねばならないことが多くあるが、今は深入りしないこととする。

 「カイロ宣言」(1943年12月)は米英中の(ソ連の加わらない)会談であり公文書はない。領土に関する宣言は、次のようである。「右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」、「日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ」
 「ポツダム宣言」(1945年7月)には「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」とある。日本はこれを8月14日に受諾した。ポツダム会談は米英ソでなされたが、ポツダム宣言は米英中の共同宣言で発せられ、ソ連は遅れて加わった。
 8月15日に所謂玉音放送がなされ「終戦」となる。9月2日に降伏文書調印式。ここで日本は無条件降伏となり、外交文書上で「ポツダム宣言」受諾となる。連合国側の署名は米中英ソ豪蘭乳。因みに、アメリカでは14日をVJ Day(Victory over Japan Day)とし、ソ連は9月3日を対日戦争勝利の日としている。
 1951年9月2日にサンフランシスコ講和条約締結。その第ニ章・第二条・(c)項は「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する」(カイロ宣言では1914年を区切りとしているがサンフランシスコ条約では1905年になっている)。
 「ポーツマス条約」(1905年9月)では、ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を日本に譲渡する、とされている。では千島列島はどうであったか。1875年の「千島・樺太交換条約」で千島列島は日本の領土となる。即ち、千島列島はポーツマス条約以前に日本の領土となっており、ポーツマス条約を基点とするからには講和条約から除外されるべきものであった。しかし、サンフランシスコ講和条約を締結し、千島列島を放棄することとした(してしまった)。しかし、この条約締結にソ連は加わっていない(尖閣諸島問題の中国も締結から除かれている)。
 日本は、サンフランシスコ講和条約締結に加わっていないソ連と1956年の「日ソ共同宣言」で国交回復となる。共同宣言では、「ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は,千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国,その団体及び国民のそれぞれ他方の国,その団体及び国民に対するすべての請求権を,相互に,放棄する」とし、次の9項が続く。「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は,両国間に正常な外交関係が回復された後,平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。 ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考慮して,歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし,これらの諸島は,日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」 もちろん平和条約はいまもって締結されていない。
 ややこしいのは、日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島を放棄するとし、講和条約に署名していないソ連は(千島列島以外の)歯舞諸島及び色丹島を返還するとし、日本もそれに同意していることである。しかし、日ソ共同宣言から繋がる日ソ平和条約を締結することに米国からの恫喝(「ダレスの恫喝」)があった。それは、日ソ共同宣言に基づいて日ソ平和条約を締結するならば(i.e., 歯舞諸島及び色丹島のみが返還されるとするならば)、米国は沖縄を返還しない(米国は沖縄の併合を辞さない)、そもそもサンフランシスコ講和条約で放棄した千島列島を、米国をさしおいてソ連に譲渡するのは不可能である、とするものであった。その翌月、米国国務省からの日本政府への覚書にはサンフランシスコ講和条約の第ニ章・第二条・(c)項で日本が放棄した領土に国後・択捉は含まず、両島は歯舞・色丹とともに日本の領土であるとするものであった。(尚、「固有の領土」なる用語には多くの問題を含んでいるので使わない。) その頃に新たに登場するのが、国後・択捉は「南千島」であり千島列島の属さないという日本側の論理であった。そしてそのまま進展なく(今後も進展しないだろう)現在に至っている。

2015年8月18日火曜日

小説、漫画

 <樋口有介 『笑う少年』>:3年前の『猿の悲しみ』に続く風町サエのシリーズ2作目。3年の隔たりはあるものの、主人公も息子聖也も年齢を重ねていない。そして書名が何を象徴しているのかピンと来ないのは前作と同様である。前作の「猿」はヒト全般に繋がるのではないかと推測できるのであるが、「笑う少年」については理解が及ばない。主人公が追いかける人物の過去の姿を表しているのか、あるいは「笑う少年」なる芸術的表現-例えば絵画とか人文社会学的研究書-があるのか、分からない。
 さてこの小説は、極端な言い方をすればストーリーは横に措き、樋口ワールドに浸って、主人公の台詞・独り言を楽しめればいいと思う。

 <昌原光一 『江戸の告白』>:江戸を舞台にして描かれる物語はシリアスなもの。12歳からの丁稚奉公を真面目に勤め、女房と娘をもつ気弱な髪結久蔵は「不承知」と言えない性癖をもつ。その久蔵は、髪結仲間で遠島になっている科人与三治の女房とふとしたはずみから密通をし、挙げ句の果てに殺してしまう。不義密通は死罪であり、殺したことが明らかになれば女房と娘を路頭に迷わしてしまう。女房は密通で死罪になって咎人の女房となることを避けようとし、与三治に久蔵を殺してくれと頼む。久蔵は裁きを受けようと名乗り出るが、自死として処理した役人は相手にしない。与三治の前で殺されることを久蔵は望み、与三次は久蔵を殺して生まれ変わらせる。幾十年か経て久蔵は辻説法をしている、「人は誰しも抗し切れぬ誘惑に誘われるもの。そんな時こそ心して・・・・躊躇わず・・・・言うべき一言は言わねばなりませぬ、それは『不承知』」と。かつての女房は娘に言う、「不安な気持ちはね、誰かに頼ってちゃ消せないものなんだよ」と。
 ノワール時代劇と帯にうたってあるが、前記の如く、気弱な人間の罪への戦き、恐れを描いて、「ノワール」は当てはまらない。
 昌原光一の漫画は3冊目だが-3冊しかでていない-、『まげもん』や『御誂 人情幕ノ内』に入っていないものや、それ以外の作品を(あれば)出版して欲しい。

 <岩谷テンホー 『完本みこすり半劇場』>:下ネタだけの4コマ漫画。こういう徹底したばからしさはそれなりに面白いし、発想に関心したり笑ったりする。田中圭一の漫画同様に家族内閲覧はできない。因みにオレは東スポを手に取ったことはない。

『永続敗戦論』

 <白井聡 『永続敗戦論』>:通教のリポートや卒論に取りかかっていた時期以来はじめて、マジメに目を通し赤線を引いた部分を中心に読み返し、重要な箇所はメモに書き落とした。そして、以前から感じていた幾つかのことの輪郭が鮮明になった。
 敗戦の責任を誰もとっていないことを今更に問題視してもあまり意味はあるまい。これからも日本という国家が主体性をもって敗戦責任を提示することはないだろうし、戦後○○年は(次の戦争がない限り)いつまでも続くであろうと思われる。10年後には戦後80年談話がなされ、悲惨な戦場の映像が流れ、家族/夫婦の離別の物語が編まれるのであろうか。それともその間には何か変化が生じるのであろうか。
 「永続敗戦」とは本文より引用すると「敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識においてのみ隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、このニ側面は相互を補完する関係にある。敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況」を指す。
 敗戦の決断は「国体護持」が主眼であり、その延長線上で、「望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を保障した1951年の安保条約がある。それらと同一線上にある近衛文麿の上奏文は、あまりにも滑稽であり哀れでもある。そして、いまもって戦後70年を経ても敗戦責任が問題視される。国の領土を失い、多くの国民が亡くなり、原爆を落とされ、多くの兵士が南方で餓死したこと等々の責任である。それらに対して「怒り」や「悲しみ」はあっても「恥辱」とする感性は見えない、「国の誇り」「美しい日本(国土)」に向き合う「恥」の感性は筋違の方向に向いているとしか思えない。「俘虜になることを恥」とした文化は1945年で「従属こそが生きる知恵」へと転化したようである。
 「われわれが対内的にも対外的にも無能で『恥ずかしい』政府しか持つことができず」とある。ではこの無能な政府しか持てないのは何故なのか、本書は言及していない。深く考えている訳ではないが、それは政府を構成する国会議員の選び方にあると思う。即ち選挙制度。無能な政治家が生じるのであればそれは生じさせるシステムが不適ということであり、間接民主制を前提にすれば選挙制度を変えるしか方法はない(内容についてはここでは触れない)。そして議員/代表者を選ぶ選挙制度は例外的に議員/代表者に決定権(立法権)を与えないことも必要かと思う。
 あとがきにガンジーの言葉が引用されている。それに絡めて書く自分の思いは次のようなものである。“この世界はすべてが成るようにして成っていると捉えるとき、不条理な悲しみとか条理の上に成り立つ幸福などはさほどに意味はなく、問うことは、この世界において<一体、この私は何者だろうか?>(白石一文『草にすわる』)であり、それが「世界によって自分が変えられないようにするため」(ガンジー)に繋がるのであろう”

2015年8月8日土曜日

不条理、条理

 7月25日の朝日新聞(終末別冊be)に「もう一度見たい日本の戦争映画 人間をもてあそぶ不条理な悲劇」があり、1位から順に『火垂るの墓』・『ビルマの竪琴』・『私は貝になりたい』・『戦場のメリークリスマス』・『ひめゆりの塔』と続く。それぞれ名作であろうことに異論はないが、しかし、悲劇を主軸として描く映画を見るといつも妙に苛立ち、違和感を覚える。また、小説や映画・ドラマの宣伝文において「涙を誘う感動の作品」とか「涙なくしては観られません(読めません)」とかの類をみると興味は大きく削がれてしまう。
 そのような自分にとって「もう一度見たい・・・・」に記載されていた寺脇研さんの下のコメントは得心のいくものであった。

 「『火垂るの墓』も『ビルマの竪琴』も、人間が大いなる運命に翻弄されてしまう不条理な悲劇。しかし私は戦争映画には条里もあるべきだと思っています。つまり、戦争がいかにして始まり、どのように戦われ、終わらせられたのか、その筋道を理詰めで押さえるマクロな視点もあってこそ、未来へつながる作品になる」

 「涙を誘う悲劇の物語」への抗しがたい違和感の理由を寺脇さんは端的に表現している。条理とは「社会における物事の筋道。道理」(大辞林)、道理とは「物事がそうであるべくすじみち。ことわり。わけ。人の行うべき正しい道」(同)。不条理は「理論的思考では筋が見えず、理由が分からないこと」(岩波 哲学・思想事典)。条理・道理を単純化すると、お天道様が正しいか正しくないかを常に見ていて、お天道様に恥ずかしくないように生きるべきであるという大前提を理解することで人間社会は成り立つ、としているのではなかろうか。しかし、そのような前提だけに立てば悲劇は悲劇のままでクローズしてしまい、その先に何があるのか分からない。戦争も犯罪も悪事も非道も人間社会には条理として存在するという思いが、悲劇の深淵にある本質を見つめることになるのではないかと思っている。それは、突き詰めれば自分を見つめることになる。その思いは、「人が皆、肉体的な恐怖を克服し、真摯に自分の心を生きようとしない限りは、社会からいかなる非道も残虐も差別もなくなりはしないだろう」(白石一文)との認識に繋がり、よって、「私たち一人一人に与えられている問いは、ただ一つ、『私とは一体何者であるのか?』という問いだけなのである」(同)への共感に繋がる。

2015年8月6日木曜日

雑記

 <井上雄彦 『バガボンド37』>:前巻を読んだのは2年前だったが記憶の中でストーリーは繋がった。

 <原泰久 『キングダム 三十八』>:秦王政は雍にて加冠の儀を執り行い、太后と関係を持っていた嫪毐は反乱を起こすところで次に続く。
 ここからは漫画と無関係な記述。始皇帝は紀元前3世紀に生き、さまざまな中央集権志向の政策を打ち出した。その一部が印象に残っている。i.e.,中央から地方に長官あるいは次官を送るのであるが、派遣に当たっては彼らの本籍地を回避し、一定期間の任期で交替させていた。これって現代の国会議員の世襲否定に繋がるであろう。もちろん、地方で力をつけて中央に抗うことを防止する意味はあったのであるが、血縁関係や権力・富裕層に癒着する人間の性癖を指摘していることをも意味し、古から変わらぬ社会の姿と、それを改革しようとした秦の時代の政策に普遍的意義を覚える。それに比べて今もこの国の国会議員は世襲を重ね、利権を求めて彼らに癒着し、群れては詭弁を弄している。

 <長谷川卓 『嶽神伝 孤猿(下)』>:超常的「影」が襲ってくるシーンだけは違和感を覚える。現実を題材にしておいてそこに非自然的材料で物語を組み込むことには好きになれない。SF小説や伝奇小説のように非日常的舞台を軸にしていれば何の違和感もなく楽しめるのであるが、唐突に超常現象を出してくるのはオレにはダメである。
 それを除けば上下2巻にわたる”無坂”が活躍するこの小説は楽しめた。長谷川卓の描く人物は何にも与せず媚ず、己の生き方を全うする姿勢が好きである。

 <佐伯泰英 『居眠り磐音江戸双紙49 意次ノ妄』>:作者あとがきによれば来年正月に50巻と51巻を同時に出してこのシリーズは完結する。この49巻も偉大なるマンネリというか、いつもの登場人物がいつもと変わらぬ設定でいつもと同じ傾向の台詞を口にして、正直倦きているのだがあと2巻で終わるというのだから最後までつき合おう。

  <安田浩一 『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』>:新大久保での差別デモの最中、たまたま現場に遭遇した右翼組織のメンバーが「朝鮮人って言葉を使わずに愛国を語ってみろよ」とデモ隊に叫んでいたとの描写がある(206頁)。本質を突き刺す鋭い言葉である。著者同様に同感する。右翼に対し全面的共感を持ってはいないが、「人間の理性を懐疑し、風雪に耐えて生き延びてきた伝統や文化、歴史に身を委ねる、その生き方に対しては一定の敬意を持っている」(66頁)ことは私も同様である。
 以前ある企業に勤めていた頃、所属する部の運営に関しあるマネージャーと頻繁に会議や打ち合わせを持っていた。人格的には穏やかな人物であったが、業務遂行においては思い込みが強く、間違っていても主張を押し通そうとする性癖があり、面倒な人であった。周囲は説得をし、間違いを正そうと努めるのであるが徒労となることも多かった。思考することにおいては底が浅く、理よりも情を大事にする人であったが、こういう人と交渉をするとホントに疲れた。理屈が通ぜず、時に罵声を浴びせても一向にめげることはなく、「強い」のである。結局のところ、こちらが主導する立場にあるときは彼を除外することにもなる。そうすると何も理解していない上司はそれについてクレームをつけてきれい事を言う。・・・ホントに面倒なものである。

 国会議員の暴言があれば、昨日(8/5)朝日新聞朝刊には本社特別編集委員の、ツイッターにおける裏付けのない投稿、許可のない写真掲載に関しお詫び記事があった。政治もジャーナリストも質が落ちてきているのか。共通するのはパターナリズムである。選ばれた存在である国会議員(というより議員という就活に成功した人)、社会を鳥瞰して記事を書く新聞記者、彼らの中にはいつのまにか社会や人びとを見下ろして己の判断が正しいという思い込みが出てくるのであろう。
 「権力は腐敗するのではない、腐敗するのが権力だ」(佐高信?)、「群れたら腐る」(『突破者の条件』)。

2015年8月4日火曜日

引っ越し(URL変更)

 2006年7月よりブログを続けてきましたが、登録していたインターネットサービスの終了に伴い、ここに引っ越しました。
旧ブログ[http://tcat.easymyweb.jp/member/tocka2/]は明年2016年7月末まで残しておくことにします。