2016年4月26日火曜日

2度目のホキ美術館

 昨年10月18日以来のホキ美術館。当初は前年12月に行こうと家内に約束していたのだが如何せん自分が風邪を引いてしまい叶わなかった。21日から佐賀県に行く旅行をキャンセルしたこともあり、20日にこの美術館を訪れた。春日部から土気駅まで1時間50分間程度の電車に乗り、駅近くで昼食を摂り-いきあたりばったりにレストランに入ったのだが、そこの2種類のサラダとパスタはとても美味しくかつ安価であった-、そこからは日頃の運動不足をカバーするために歩く。
 11月と5月には展示内容が変わるので、前回とは変化もあり、やはり楽しめた。最初にその写実的な絵を目にした家内は驚嘆し、目を見張った。ここの美術館は明るいことが嬉しい。暗いところが苦手な人にとってはとても配慮がある。帰りには絵はがきサイズの絵、カレンダー(絵が美しい)、横長の絵を購入し、再び歩いて駅に向かった。日頃と違う雰囲気の街・住宅街を歩くのは気持がしっとりとする。

 帰途、新越谷で酒のつまみを買い、自宅に帰ってからはいつものようにハイボール。この日は酔うためではなく、味わうためのウィスキーをハイボールにし、いつもよりは少しゆったりとした、ほんの少し高尚な気分に漂いながら酔いに身をまかせた。

2016年4月25日月曜日

旅行中止、名前、娘の子どもたち

 21日より2泊3日で佐賀県にパック旅行の予定だった。しかし熊本の地震でキャンセルした。佐賀県はさほど地震の影響はなさそうであったが、旅行で遊ぶ気持が削がれ、また通常発生する3割のキャンセル料金が今回は適用されないこともあり、19日にキャンセルした。

 本来は旅行するはずだった21日、用事のある娘の要望で小学校に入学したばかりの孫娘を預かる。赤いランドセルを背にし、ニコニコしながら自宅に来た彼女は学校が楽しいらしい。かつては赤いランドセルは女の子の定番の色であったが、現在は色々なカラフルなランドセルが多く、単純に赤い色は逆に目立つと娘が言っていた。
 女の子に○○子と「子」をつけた名前も今では珍しくなっているらしい。娘の長女も「子」のない名前である。先日息子とその嫁さん、私と家内で新三郷まで買い物に行き、昼食を摂ったとき、店員さんの下の名前が読めなくて尋ねてみた。漢字の読み方はどのようにしても構わないのであるが、特異な読み方をする名前については困惑する。因みにその店員さんの名前は「凪」+「生」で「なお」と呼ぶ名前であった。言われてみればなる程と思ったが、今の時代、読めない名前が増え、例えば女優の武井咲を何と読むんだっけと何度も家族に聞いていた。尢もオレの名前もまともに読まれたことは殆どなかった。
 人の名前に関わらず、ものの名前を覚えるのは苦手で、生物は好きでなかった。数学や物理には法則性があるが、名前には(直接的な)法則性がない。それが好きでなかった。今でも魚や草花の名前、焼き肉の名前はすっきりと覚えていない。

 23日、越谷市場に行き1回だけの抽選をする機会がありガラポンを回したら僅か8名だけが当選する2位に当たった。4種類から景品を選べるのであるが、魚を入れた箱を2箱くれるというのでそれをもらった。中には真空パックされた大ぶりの魚が6種類ずつ合計12種類も入っていた。娘と息子と、ついでに娘の家の前で顔を合わせた顔なじみの人にもお裾分けをした。ラッキーだった。
 最初のガラポンの後もう2回チャレンジする機会があったが、妙に色気がでたその時は全くダメだった。無欲無心であるときが上手くいく。

 スピードが遅いからと買い換えさせた家内の古いパソコン(2010年製)をWindows7から10にアップグレードする。HDDをリセットし、付属ソフトで64bitに変更し、余計なソフトは全て削除したために結構快適な速度になった。そのPCは娘の長男のほぼ専用にする。
 娘の長男はポータブルのmp3プレイヤーに興味があるようなので、使わなくなったプレイヤー2個をあげ、イヤホンもそこそこにいい物をあげた。音楽をYouTubeから取り込みたいというのでその方法を教える。自分で取り込む場合は音質を重視するので外付けの機器を接続し、波形も編集するのであるが、彼には高度な方法を教えずに簡単な方法を教えることとした。先ずは準備としてフリーの録音ソフトおよび正規化ソフトを前記のPCにインストールした。拡張子の意味とコーディックmp3の意味を簡単に説明し、ファイルの格納先やファイルの移動・コピーなどを教える。理屈より操作手順を覚えようとするのはしようがないが、小学校6年の彼は覚えるのが早い。PCやiPadに触れ慣れているせいかキータッチはかなり早い。すぐにYouTubeから流れる音楽をmp3で取り込み、プレイヤーに入れ込んでいた。

 24日は朝早く7時少し前に娘の子どもたちが来て、長男の方はまずは前記の音楽取り込みを覚え、自宅に帰って友達と遊び、長女は帰らずに昼食までいて、藤まつりで一旦外に出てからまた遊びに来た。久しぶりにWiiをやるが老夫婦は常にロースコアであり、6歳の彼女は得意満面の表情で帰って行った。

2016年4月13日水曜日

翔んで埼玉

 <魔夜峰央 『翔んで埼玉』(宝島社、2015年)>:朝日新聞(4/3日曜日)の「売れてる本」コーナーに紹介されていた漫画。30年ぶりの復刊らしいのだが、この漫画のことは知らなかった。新聞記事から引用すると、「都会の住民たちが隣接する県を徹底的にさげす」み、埼玉県民は「『関所』を越え都会に出て」「『こやしの匂いがプンプン』と差別され」、「某都にひれ伏して過ごし」ている。一時期(現在も?)“グンタマチバラキ”と揶揄されていた時の漫画であろう。春日部も登場する。「はあ?おらこれから春日部へ帰るところで」という場面と、「サイタマラリア」は「小型春日部蚊が媒介する埼玉特有の熱病」と解説されるシーンである。この漫画、埼玉県で一番売れているらしい。
 新潟県出身の人が所沢に住んでから書き始め、横浜への引っ越し(脱出)で描けなくなったと後書きにある。岡山県出身のさいた・まんぞうが歌った「なぜか埼玉」もヒット(?)した頃の漫画である。因みに、「なぜか埼玉」はワタシの持ち歌であり、カラオケで一番歌っている地はヨコハマである。
 イタリアに旅行していたとき、ツアーで一緒だった若い女性二人と我々夫婦は食事で同じテーブルに着くことが多く、「サイタマ」ってなんか緩い笑いを誘うけど「ヨコハマ」って響きが良くてカッコよさがあるよね、と見解が一致していた。話していたのは春日部在住のワタシと高校時代は春日部の塾に通っていた栃木県出身の女性。
 さらに思い出がある。現在は春日部市の一部となったかつての北葛飾郡庄和町にワタシが住んでいて岩槻市(現さいたま市岩槻区)の会社に通っていた頃、ワタシのグループのメンバーが揶揄って「○○さんは会社への往復では入出国審査があるんだっけ。就労ビザも持っているんじゃなかったですか」なんて言っていた。彼氏はちょいと東京に近い越ケ谷在住で、出身は山から自宅へ水を引いていた新潟県出身だった。

2016年4月11日月曜日

ふりかえれば70年代初期

 テレビの画面にはビジネスマンの人たちが並んでいて、同時に高田渡の「値上げ」が流れた。一瞬、消費税増税でふらふらしている今の政府を揶揄しているのかと思ったが、そんなことはないと思い直し眺め続けたらガリガリ君の値上げのCMであった。40年以上前の、政府を皮肉たっぷりに揶揄したこの曲を知っているだけに懐かしさと共に、思わず上手い(!)と思った次第。
 自分のライブラリーにあるこの曲を鳴らしてみた。そのうち保有している「タカダワタル的」を久しぶりに眺めてみようか。

 あることを調べていて高校時代の日記を段ボールから出したとき、ついつい昔の手紙を引っ張り出してみた。1972年から75年1月の長男誕生目までの間、結婚前後にニョーボー殿とやりとりした手紙である。合計して40通以上はある。棄てるのはいつでもできるのだからと40年以上とっておいたものである。拾い読みしたらなんとまあ、今では恥ずかしくて口にも出せないような言葉もあった。その言葉を使ってニョーボー殿をからかったら、そんなものひょんなことで子どもたちに見られたらイヤだ、処分する、と言う。それで、今日、彼女の書いたものは彼女に渡した。もちろんオレだって見られるのはイヤだから明日にでもシュレッダーにかけてしまおう。この年齢になればいつなんどき倒れてしまうことになるかもしれないのだから。
 手紙の差し出しには”郵便番号930 富山市東石金の1 不二越男子第一寮1204”とある。2年半住んだ寮は1棟2階の4番目の部屋だった。隣は高梨さんだった。
 手紙の中身を取り出してちらちらと見ていたら、中から写真が3枚出てきた。職場で自分のドラフターと机をバックにして撮った25歳の自分がいて、独身寮自室での2枚は24歳のときで、内1枚には随分前に連絡が途絶えた2年先輩も写っている。懐かしい。そのとき勤めていた職場での写真は後にも先にもこの1枚しかなく、42年ぶりに見て特別な感情が湧いてくる。急遽設計変更を要求されて一人夜遅くまでこの席で図面をひいていたら、部長が飲みながらやったらと日本酒を持ってきてくれたこと。このドラフターで描いていたエンジンクランクシャフト油穴加工専用機の設計構想図を見た先輩が、センスのいい設計をすると褒めてくれたこと。煙草で図面の端を焦がしてしまったこと、尊敬していた先輩が上司と激しくやりあったこと、などなどがつい数年前のことのように思い出される。あの頃の自分に吸い込まれる。

2016年4月9日土曜日

本2冊

 鎮痛薬を2日ほどのんだら踵の痛みは3、4日でなくなった。何だったのだろうか。まあ、これも年のせいというのだろうか。

 <佐高信・松元ヒロ 『安倍政権を笑い倒す』(角川新書、2015年)>:春日部-妙典-茅場町-仲御徒町-春日部と移動する中で拾い読み。「毒を持たないお笑い芸人は世間への迎合者である」と思っているオレに取って、この新書におけるお笑い芸人批判は的を射ている。
 「安部さんはどうして国会議員という職業に就いたんですか?」との小学校高学年か中学生かという年齢の子どもの質問に対し、「それはですね、私の父もこの仕事をやりました。私のおじいさんもこの仕事をやりました。だからこの職に就きました」と答えたそうな。へーっ、くだらない。
 東京オリンピック誘致での「おもてなし」は「表無し」=「裏ばかり」-混迷する東京オリンピック準備とそれに関連する困惑-例えばイベント会場不足、宿泊施設不足-に結びつく。
 「まさに」「全力で」「断固として」「しっかりと」「唯一の」「切れ目なく」・・・・、思考停止の決まり文句。会社勤めの頃、「徹底的に」「協業し」「問題を先取りして」などという言葉が指示する側からも、実務担当側からも出た常套句だった。
 二人とも太宰が好きらしいが、そこは「えっ」という思い。オレは太宰が嫌い。
 「自分の弱い部分をさらけ出せない人、隠して、虚飾のベールで蓋って、自分を実像より大きく見せたがる人は、自分でも気づかないうちに、自意識をどんどん肥大化させていく」、そりゃそうだ、いじりすぎると自意識は膨らんで硬直する、まるで何の如しなのだ。
 「I'm different」、「自分自身について、『私は違う』と感じることを思いつく限り書き出しなさい」。これって大事と思う。

 <樋口有介 『少女の時間』(東京創元社、2016年)>:柚木草平シリーズの11作目で、樋口有介の41冊目の本。作中、南の島に移住してしまおうとの台詞が何度か出てくるのだが、「冬の寒さと杉花粉から逃げるため」に移住した沖縄には今も住んでいるのだろうか。
 樋口有介さんの小説は多分すべて読んでいて、この小説も楽しめた。死んだ女子高生の野川亜彩子と殺された芦田香保梨の謎ときを巡って柚木には多くの美女が関わってくる。柚木の前借り管理者の編集者/小高直海、柚木のベッドで尻を出して寝ていた考古学者か社会学者の枝沢柑奈、ルール無視の刑事/吹石夕子、怖いほどに綺麗な女子高生/山代美早、その母親で娘と同じく美人で世間の一般常識から外れている山代千絵、これだけの名前を見れば数年後でもこの小説の雰囲気は思い出すであろう、多分。娘の加奈子、別居中の妻/知子、不倫の元上司で警視/吉島冴子はシリーズに共通して登場する。
 「古女房 たれた乳房(ちち)振る 除夜の鐘」。この笑える俳句を作った千絵の人物像から、19歳の頃のあるおっとりとした女性を思い出した。その女性は夫がおらず(理由は知らない)、中学生の女の子がいて、脳軟化症(当時はこう称していた)の母親がいて、私の友人(もちろん男)とその妹、そしてもう一人の間借り人をおいていた。ある日そのおっとりした女性は親切にも庭に面した廊下で友人と私にお茶を出してくれた。寿司屋で出されるような湯飲みを見ながら彼女は、「お人形さんが沢山描かれていて面白いので買ってきたの」と言う。しかし、その絵は性行為の体位のバリエーションを表したものであり、友人と私は言葉を返せずにいた。もしかしたらその後も他の人にあの湯飲みでお茶を出していたのかと想像すると複雑な思いがした。48年前の大学1年生のときだった。