2020年1月26日日曜日

『ぼくと数学の旅に出よう』、『数の女王』

 <ミカエル・ロネー 『ぼくと数学の旅に出よう』(NHK出版、2019年)>:サブタイトルが「真理を追い求めた1万年の物語」で、縦書きの数学の本。中高生から大人まで、数学を好きにさせる本で、数式は「万有引力の法則」や「質量とエネルギーの等価性」など一般的に知られている基礎的な式がでてくるだけである。数学的内容は既に知っていることが多いが、数学者に関する記述が興味深く、平易な文章も相俟って楽しめる。数学者である著者の数学好きが伝わってくる好著。

 <川添愛 『数の女王』(東京書籍、2019年)>:もうちょっと書評などを読んでから購入すれば良かった。まったくつまらない一冊。著者への悪口ではなく、兎にも角にもファンタジーはオレには合わないということである。素数を題材にした物語であるが、展開される公式や数列、予想などの殆どはすでに知っていることなので-少なくとも名前は知っているので-、それを物語に組み込んでも新鮮さはなく楽しめない。純粋に公式などを追いかける方が楽しめる。
 本書に出て来る数学の用語・公式・数列・予想などは次の通りである(本書の解説より引用)。i.e.,,約数・素数・合成数/素因数分解/過剰数・不足数・完全数/友愛数/フィボナッチ数列/フェルマーの小定理・擬素数・カーマイケル数/素数を生成する式/カプレカ数/三角数/巡回数/メルセンヌ数・メルセンヌ素数/ピタゴラス素数/リュカ数列/コラッツの予想。これらをwikipediaや数学のサイトで確認することで十分楽しめる。全ての数はある操作を繰り返すと1になる(コラッツの予想)、この未証明の予想で、このファンタジーは閉幕する。

2020年1月24日金曜日

本の購入、家具の音楽、文庫本2冊

 新聞の広告や書評で目にとまり、また、テキストの参考文献に掲載されている図書などに興味を引かれてはそれらの本をメモしておき、購入する。そして未読のままになっている本が数百冊も自室に鎮座している。そんな状況にあるのにまたもや悪い癖が出た。
 頻繁に使うクレジット・カード某加盟店のポイントが貯まり、酔った勢いもあって本を10冊ほど発注した(してしまった)。過去に購入した本を気の向くままに読んではいるのだが、読まなければいけないという気持ちが少しばかりストレスになっている。でも、読むことそのものが目的になってしまっては本末転倒もいいところで、自分の中で何のために読むのかと自問することも少なくない。

 今日は家に1人なのでスピーカーの音量をあげて音楽を聴きながら本に向き合った。が、BGMとして流したピアノとオーケストラに気が取られてしまい、本に集中できない。選曲を間違えた。やはりこのようなときは好きな曲ではなく、邪魔にならない、サティのいうところの“家具の音楽”がよかった。しようがなく音楽を聴くことに専念することとあいなった。

 <E.オマール 『不思議な数eの物語』(ちくま学芸文庫、2019年)>:寝る前や、中途半端に時間が空いたときなどに淡淡と読み続けた一冊。大昔に学んだ数学の知識を思い出しながら読んだ、というより眺めたという方が当たっている。高校の時や大学の頃はどうやって理解していたのだろう。“e”の発見(発明)過程などには触れずに、単にテストで得点を得るためのテクニカルな部分だけに関心を寄せていたのかもしれない。いまは、そのような刹那的な試験合格テクニカルな側面は全くないから、純粋に数学の面白さを感じている。尢も、以前学んだ範囲のごく限られたレベルにとどまっていて、それを越えようとは思っていない。過去の人生の無機的な部分を振り返っているようでもある。

 <山田英生・編 『老境まんが』(ちくま文庫、2019年)>:老境をテーマにしたアンソロジー。最も古い作品は1963(昭和38)年で、最新のものは2014(平成26)年。年齢を思えば十分に老境の域に達している自分であるが、往々にしてその年齢を意識するように務めている。

2020年1月21日火曜日

現代学生百人一首より

 東洋大学「現代学生百人一首」、第33回入選作より以下を選択。今年は昨年・一昨年よりも響いてくるものが少なかった。こっちの感性が尚更に鈍くなったのかもしれない。

     留学のポスターの前で立ち止まる夢ある友とまだない私
 年齢を重ねると次のように口ずさむかも。“友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ”(啄木)

     おとうとのつむじが見えなくなった日にひとには別れがあることを知る
 鏡に映る我が顔の、上を見やれば白くなり、部分的には肌が見え、若きときへの別れを知る。

     世のしくみ速さ第一何事も今は通じぬ大器晩成
 大器晩成と言い訳することができるのは何歳までなのだろう。
 一日の中で一番美しいのは夕暮れ時、と著名な作家は小説に書いている。ならば、大器ならずとも平凡に生きてきた人生の夕暮れ時=晩年もまた美しいと言えるだろう、多分。そう思いたい。

     「待たせてた?」「今来たところ」とはにかんだ今は約束の二十分前
 相手を気遣っていなければこのような言葉は出ない。慣れて、そして狎れてしまえば「今」はなくなり、遅れることに気後れしなくなる。

     電車内スマホの群れに紛れ込むおじいちゃんの古本の香り
     「おつ」「おけ」「り」スマホの会話単語だけそんなにみんな忙しいのか
 電車を待つ人も乗った人も、うつむき加減にスマホを見ては操作している。この異常な情景。そして記号化された言葉。文字とともに築き上げられてきた文化そのものが消え去っていくのだろうと思う。俺だって明治の頃の文章を円滑には読めない。文語体、口語体、その次に来るのはスマホ体となるのだろうか。

     日本地図眺めて祖父はつぶやいた「俺の生まれた満州はない」
 かつて満州国建国を果した日本を懐かしんでいるのか、はたまた13年半の泡沫のような国に生まれた不遇の身を歎いているのか、あるいは時の政治を恨んでいるのか。祖父のつぶやきの中に何があるのだろうか。

     静電気パチリと鳴ったそれだけで笑えた君とあの冬のとき
 静電気がパチリと鳴ったのはどんな時かな。授業中? 下敷きを頭に乗せてふざけ合ったとき? セーターが触れあった時? それとも・・・。

2020年1月19日日曜日

アシュケナージ、11年前の優勝、短編集

 アシュケナージが音楽活動から引退とのニュース。最近の写真を見るとやはり老いたという印象が強く、よって自分の年齢をも再確認することになる。
 ラフマニノフ「ピアノ協奏曲2番」「同3番」(プレヴィン指揮LSO)、スクリャービン「ピアノ協奏曲/プロメテウス」(マゼール指揮LPO)のLPは彼の演奏の中で特に愛聴盤である。両方とも1972年の発売とある。

 11年前に早稲田ラグビーが優勝したときの決勝戦DVDを見た。主将は豊田将万で懐かしいメンバーが躍動している。帝京とのこの決勝戦では国立競技場内で友人達と観戦していた。11年前のブログを見直すと当時の情景がよみがえる。

 <伊与原新 『月まで三キロ』(新潮社、2018年)>:自分をみつめ、迷い、心の置き所を求めてさまよい、何かを切っ掛けにして今より先に気持ちを向かわせる。乱暴に言ってしまえばそれが6編全編のテーマ。その何かとは、「月まで三キロ」の標示とタクシーの運転手さんの人生であり、30代終わりとなっている独身女性が「星六花」の雪の結晶が落ちてくるのを一緒に待つ同性愛者の男性の言葉であり、やる気のなくなっている小学生が老人に「アンモナイトの探し方」を教わり、化石になってしまうかも知れない自分を見つけ出そうと一歩を踏み出して石を打つ。「天王寺ハイエイタス」では惣菜屋の次男が零落した叔父の弾くブルース・ギターに魅入らされる。妻を亡くして小学生の娘と二人で暮らし、小さな食堂を営む男性が、定期的に訪れる41歳の女性物理研究者との交流の中で、娘が亡き母親を思う真の気持ちを知る「エイリアンの食堂」。書き置き一つでバラバラになっている家庭から離れて山に登り、火山学研究で石を刻む研究者と学生たちと行動をともにし、母親として妻として娘・息子や義母に接した過去の自分を振り返り、山小屋を営むことで「山を刻む」ように過去を刻みこれからの生き方を築こうとする。6編のなかでもっとも好きなものは「星六花」で、「山を刻む」の主人公の女性には、いままで何もしていなく、そして今明るい先を見つめようとする、その流れに小説としての安直さを感じ、気持ちがフィットしない。
 著者は地球惑星科学を専攻して大学院博士課程を修了した。小説家としてのスタートは推理小説から。だからなのか、小説の構成に何かしら無機的な機械的な作り物を感じてしまう。

2020年1月17日金曜日

ミステリー2冊

 <長岡弘樹 『風間教場』(小学館、2019年)>:帯にキムタクの写真、気にくわない。特定の人物の写真を載せることは、これから小説を楽しもうとする自由な先行きを限定的に方向付けするようなもので、愚かである。『教場』と題して1月4日と5日にキムタク主演でドラマを放映していたが、もちろん見ることはしない-この芸能人が好きでないことも理由の一つであるが-。
 シリーズ初の長編小説であるが、内容的には、一貫した場面を串刺しにして短編を編んで一冊にするほうが味わい深くなると感じる。逆な言い方をすれば、この小説は短編小説を練って繋げたようなものである。

 <相沢沙呼 『medium 霊媒探偵 城塚翡翠』(講談社、2019年)>:『このミステリーがすごい』および『本格ミステリ・ベスト10』(両者とも2020年版)の第1位。霊媒・霊視などという非科学的空間は好みでなく、それを肯定的に描く物語は殆ど読んだことはない。しかし、この本には「すべてが伏線」「本格ミステリー」とあり、読む側を驚かせるトリックがあるのではないか、まして書店では平積みにされているし、ということで『風間教場』とともに衝動買いした。そして、蠱惑的な翡翠さんと推理作家の香月史郎-この名前もアナグラム-とともに三つの謎を解いていく。本作に流れるシリアル・キラーをどう解決するのかと思っていたなら三つの事件の解決がすべて伏線になっていた。三つの事件を霊媒的に解いたとされるプロセスは実は霊媒など無関係であることも説かれる。新鮮であり組み合わされた謎とき、楽しめた。ただ、翡翠さんが香月と向き合って最後の謎ときをするとき、それまでの彼女からの豹変振りがどうもしっくり来ない。可愛くとも女性はそういうものなのかと思えば納得はするのだが。

日光までの第一歩

 昨日16日、南栗橋まで歩いた。
 TaHiが昨年より日光までのウォーキングを計画している。二本橋を起点に3回目で春日部に到着し、一緒に飲んだのが昨年の秋頃。そのときに次は春日部から同行しようと決めて、この日に至った。
 歩行距離をリアルタイムで知るならばGARMIN。随分と久しぶりの使用になるので操作を忘れている。前日にマニュアルを見ながら操作の記憶を呼び戻し、充電もしっかりと行い、シューズもジョギングしていた頃のものを玄関に置いておいた。
 9:30頃に春日部駅東口で待ち合わせてそこから旧日光街道を歩く。途中で少しは現4号線を外れるが殆どは現4号線と並行する。
 杉戸高野台近く4号線に面するレストランで食事をし、それから幸手の旧日光街道を歩き続ける。旧日光街道の様子など知りもしないのであるが、少なくとも江戸時代の面影を窺わせられる風情はない。歩いている人も少なく、歩を進めながら昔はこうやって歩いていたのかなどと想像を巡らすしかない。しかし、それが楽しい。太ももが張ってきても楽しく、そして日頃の運動不足を痛感する。
 栗橋まではまだ時間を要するし、次回の待ち合わせに便利な南栗橋駅まで行くことととした-東武線の急行は南栗橋駅行きが多い-。春日部駅東口からここまで歩いた距離は約18.8km。こんなに歩いたのは高校時代以来か。
 南栗橋駅東口周辺には適当な居酒屋がない。そもそも店がない。春日部で飲むことにして急行に乗り、僅か16分の乗車で着いた。西口に出て24時間営業の店が3軒かたまってあることにTaHiはその恵まれた環境を羨む。昼飲みには割引があり、約1.5時間飲む。初めて入る店であったが、内装はキレイに整っており、店員さんの応対はテキパキしていて感じがよかった。今度は1人でも来よう。
 17:30頃に駅で別れ、歩いて帰宅。この日歩いた距離は自宅からの往復も含め合計約23.1km。よく歩いたものである。次は南栗橋から利根川を渡り、最短古河までは歩きたい。

新年会、早稲田優勝

 11日、上野にて高校同学年同窓会の新年会&総会。総会という大袈裟の名称はこそばゆいが、一応昨年度の活動報告も行って一年を振り返り、次年度の幹事を決めることもあり「総会」という名にも微かに相応しくもある。勿論メインは新年会と称する宴会。参加者は10人でちょいと寂しいのであるが、最近のイベントではこの程度の人数の参加が普通になってきた。地元の行事や自治会役員としての仕事、他の新年会・宴会とも重なり欠席となる人もいるがこれはしようがない。
 最初は2020年度の幹事を決める。遠方よりいつも参加してくれるメンバーなど3人を免除し、独断で7人から新幹事を選ぶことにして、全員一度は幹事を務めているので、厳正公平に円形阿弥陀籤で決めた-円形阿弥陀籤は最近読んだ数学関連の本で知ったばかり-。
 いつもの如くKoYoが差し入れた銘酒飛露喜の大吟醸を味わい-この酒を差し入れで呑むというのは実にこのうえない至福の一時である。自分も家に転がっていたボルドーの白ワインを1本持っていったが、皆の手が伸びるのはもちろん飛露喜である。
 事前にアナウンスしておいた会費と宴会費に差額が生じたので追加料理も頼み-結果200円の追加徴収となった-、約3時間でお開きとなり、その後は6人でカラオケに行く。このあたりから自分の記憶が斑状になっている。
 春日部から自宅に向かう途中である店に寄ろうと思ったが既に閉りかけていたので真っ直ぐに帰宅。その店が閉っていたことで良かった。でなければ更に酔いを深め、連れ合いに非難と呆れ気味の視線を向けられたであろう。

 この新年会の日はラグビー大学選手権決勝、早稲田vs明治で下馬評は明治有利。早稲田の優勝は難しいかと思っていて、新年会で酔っていたらスマホで試合経過を確認することも失念していた。そんなところにISaが「前半31対0で早稲田が勝っているよ」と教えてくれ、正直耳を疑った。いくらなんでも前半で31-0、しかも早稲田が勝っている。誰も、こんなスコアは予想していないはずで、帰宅後風呂上がりからすぐに録画観戦をする。この日はNHK(解説は坂田氏)の録画。もうなんと言っていいのだろう、前半の後半から早稲田の奇麗なトライが続き、結果を知っているものだからもう有頂天になって観戦した。FWでトライを取っているし、バック陣は華麗に展開してトライを重ね、いうことなし。
 翌日は J Sportsで観戦(解説は野澤・村上両氏)。試合が終わった後も「荒ぶる」が歌われ-テレビの前で一緒に歌い-、放映が終わるまでの時間をずっと見ていて、忘れかけていた優勝の嬉しさに浸った。

2020年1月9日木曜日

西新井大師、ラグビー、ATPカップ、只見線

 1/6に西新井大師へ初詣(?)。古いお守りなどを処分し、手を合わせて心の中でささやかな祈願をし、お神籤を引き、新しいお守りを購入し、清水屋で漉し餡の草団子を買い-対面の中田屋は工事中で閉じており、為か清水屋のいつもの試食はなかった-、まめ屋で数パックの豆を買い、帰宅。いつもの、毎年繰り返しているパターンの初詣であった。
 昼食時はとうに過ぎていたが、過去の経験から立ち寄りたい食事処がなく、結局は自宅に帰ってからとした。

 高校ラグビー、桐蔭学園がやっと(!)単独優勝を決めた。主将のSO伊藤、後半から登場したSH島本は早稲田入学が決まっていて、この二人の動きを中心にテレビ観戦。

 国別対抗戦ATPカップ(ATP Cup 2020)の日本対スペイン戦、西岡とナダルの試合は好試合だった。正直なところ西岡がここまでやれるとは思ってもいなかった。続けてのダブルス戦で勝てば準決勝進出が確定するのだが、スーパー・タイブレークの後半でスペインのブレークが続き、前半リードが覆されて逆転負け。ナダルはここでもやはり凄い。
 11時からずっとこの対戦を見続け、結局6時間以上見続けた。久しぶりの長時間テニス観戦。いつも思うことだが何故にWTAのテレビ放映はないのだろうか。大坂なおみさんのブリスベンでの試合はダイジェストでしか見ることができない。

 <柴田哲孝 『赤猫 刑事・片倉康孝 只見線殺人事件』(光文社文庫、2016年/初刊2018年)>:新聞の広告で”只見線”が眼に入りすぐに購入。小出から会津若松までの”只見線”が頻出するが、列車内で殺人事件が起きるわけではない。只見線が登場する切掛は約20年前の石神井警察署管内、天祖若宮神社近くでの放火事件。その家内に貼られていた守札は須門神社で、その神社の最寄り駅は只見線/魚沼田中駅。以降舞台は小出・只見線新潟側・小千谷、只見線会津側-只見・西方・川口など-で、諸処で只見町が中心となる。
 只見駅から小出駅までは乗車したことがなく、その区間は何度も車で六十里越えをしている。もちろん会津横田駅から会津若松駅までは何度も乗っているので、この小説に出てくる会津側の駅は全て知っており、まして昭和30年代の生活も語られるので懐かしく感じられる。3つのことをしたいとふと思う。一つは春日部から田島に抜けて会津若松で折り返し只見から小出に出るルートを旅してみたいこと。二つ目はその逆のコース。三つ目は代行バスがなくなって只見線の鉄路がすべて繋がった時にはそれに乗ってみたいこと。一泊すれば余裕を持って実施可能なプランなので、前者二つの小旅行は自分の重い腰をあげるだけなのだが。
 さて、小説はと言うと、放火したのは誰なのか、その人につながる人たちはどのような関係性を持っているのか、誰が何を隠しているのか、それを只見線の地に赴いて警察や消防署、市役所(町役場)などで記録を調べ、60年も前の出来事や人の消息を尋ねまわる。そこにはトリックもなく、後出しじゃんけんのように事実が浮かび上がってくるだけで、恰もノンフィクションのような展開が続く。

2020年1月8日水曜日

CD購入ミス、来ない年賀状

 20セット以上のCDと1枚のLPを持っている好きなKronos Quartet、このクァルテットの新発売CDがないかとショッピングwebを斜め見していたら全く知らないCDがあった。よく確かめもせずにKronosの名前で判断し発注した。届いたその日の夜、聴いてびっくり。好きなKronos Quartetとは全く世界が違うし、違和感満開。そのアルバムはフランスのデスメタルバンドKronosというものだった。デスメタルとはなんぞやと思いちょいと調べてみるとハードロック・ヘヴィメタルの一ジャンルとのことらしい。購入してから、これはミスってしまったと思ったCDは過去に何回か経験しているが、それは、二重に購入してしまったとか、演奏が好みでないなどの類いであった。が、今回のこのCD購入は自分にとって事件であり、自分の粗忽さに呆れもした。同時に購入したシューベルトの歌曲集と静かなオーボエ曲集で気持ちを切り替える。

 姉妹の従姉妹二人と一人の従兄弟から年賀状が来ていない。何十年と続いていたのに、3人から同時に来ていないことに何故なのか、何か不幸なことが起こったのか、という思いが強くなる。問い合わせるのも憚れる。

2020年1月3日金曜日

思いつくままに

 生まれてから71回目の正月を迎えた。

 高校ラグビー、浦和高校が花園で2勝をした。高校から始めた人が多い同チームのなかで、幼少の頃からラグビーに親しみ、ワセダクラブにも所属していたのがNo.8で主将の松永。大学進学は早稲田を目指しているとのこと。

 大学選手権準決勝で早稲田が天理大学に52(8T6G)-14(2T2G)で完勝。天理のミスが多かったし、L/Oの成功率が低かったとはいえ、ここまでの差がつくとは予想していなかった。1/11決勝では明治と当たる。対抗戦時は完敗したが中野・相良が戻っているので期待したい。天理戦でも見られたが、中野の復帰は特に大きい。

 箱根駅伝、早稲田の監督は総合3位が目標としていたが、現実的にはシード権獲得を期待してテレビ観戦。結果は7位(往路は9位、復路は5位)。5区山上りの個人成績は15位で、6区山下りでは19位。この2区間での成績はひどい。それにしても青学は強い。

 もう一つの卒業大学である法政はラグビー大学選手権には出られないし、駅伝もぱっとしない。一番目立っているのは田中優子総長のような気がしないでもない。

 Carlos Ghosn Is gone. お粗末、何という体たらく。
 何の脈絡もなく次のことが頭に浮かんだ。即ち、唯一の原爆被害国であることを標榜する国が国内で原発による被害を生じさせた体たらくのこと。属するシステムが堅牢であろうと信じれば(信じたければ)、どこかに穴があってもその存在を否定するように論理を構築しようとする。明確な論理の根拠が示されない場合は神話づくりとなる。あるいは目を瞑る。

 <佐藤健一 『日本人と数 江戸庶民の数学』(東洋書店、1994年)>:つまらなかった。かつて鳴海風や金重明・永井義男・他の算学小説を好んで読んでいて、やはり、息吹を感じられるのは小説かと思った次第。