2022年1月29日土曜日

只見高校が甲子園

 只見高校が春の甲子園出場となった。58年ほど前に住んでいた会津・金山町から更に奥の只見町で、そこにある只見高校は全校生徒が86人(令和3年度)の奥会津の小さな高校で野球部員もマネージャーを含めて僅かに15人-ちなみに金山町にある川口高校も80人前後の生徒数-。幹線道路から坂を上ったところにある小さな校舎の只見高校は場所も知っているし、かつて暮らしていた地から国道252号線を車で16kmほど走らせればそこに至る。その只見高校が21世紀枠で甲子園出場決定とのテレビのニュースを見て驚いた。画面に映す出された校庭は深い雪に被われ、部員たちは駐輪場でバドミントンのシャトルを投げてバッティング練習をしていた。29日の朝日新聞でも3段抜きで報じられていた。地元の喜びは大きいだろうし、奥会津全体にとっても感動的なニュースであろう。ユニフォームのキャップのマークが“T”ではなく“只見”となっていることにも彼らの地元への愛着心が感じられる。とともあれ隣町で生活していた我が身としてはとても嬉しい。最近目にすることもない久しぶりの明るくなるニュースである。親しい親戚が快挙を成し遂げたような昂揚した気分になる。

 読んだ本や不要となった本30冊強をいつものところに買い取り依頼をした。約3ヶ月振り。送料無料のキャンペーンに応じた。

 3回目のワクチン接種券が届き、早速予約手続きをし、来月末にモデルナ社製をうつこととなる。

 <蝉谷めぐ実 『化け物心中』(角川書店、2020年)>:時は文政、所は江戸、演じるは鳥屋と足を失った女形歌舞伎役者、傾奇者たちを相手に鬼を追求する。・・・と、書店で衝動買いしたが、この手の本はどうも合わない。途中で放り出した。

2022年1月23日日曜日

本2冊

 寒いし、コロナ第6波のウェーブは急峻であるし、さらに外へ出かけなくなっている。家の中でテレビに録画した番組を流しながら本を読んだり、長時間新聞を眺めたり、いま入れ込んでいることをPCで調べたり・・といったことだけである。昔ほどにはニュースも見なくなっている。 酒精、都度買いに行くのも面倒になり、焼酎の一升瓶をまとめて5本買った。九州のものでついつい飲み比べたくなるが、酔うと何も出来なくなるので飲むのはほぼ隔日で、量もほどほどに抑えている。

 EWIの練習関連で楽譜の見方の学習や、♯や♭の多い曲を移調して楽譜に落とし込んだり、楽な運指パターンを考えたり、チャートを作ったりと結構な時間を費やしている。EWIに直接触れる時間よりもこのような関連作業をすることが楽しいと感じるのはいつものこと。好きな曲の楽譜を買ったり、DLしたり、バック・トラックを捜したりと入れ込んでいる。そしてEWIを鳴らせばまだまだ入口にやっと立っているような状態である。同じ曲を何度も何度も繰り返し練習していれば少しは上達するであろうと淡い夢をみている-妄想カモシレナイ。

 <逢坂冬馬 『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房、2021年)>:モスクワから徒歩で2日を要する寒村で母と暮らす16歳の少女セラフィマはドイツ軍に襲われ、母が殺され、村で一人生き残り、イリーナに狙撃兵となるよう彼女の隊に組いられ狙撃兵となる。セラフィマの復習する相手はドイツ軍と母を殺した狙撃兵イェーガー、そして村を焼き、唯一の写真を放り砕いた上官イリーナ。
 セラフィマは優秀な狙撃兵で、少女狙撃隊の仲間と供に成果を上げ続ける。最後の激戦地ケーニヒスベルグの戦の章において、セラフィムのそれまでの日常の戦や同僚・上官との葛藤、イリーナの思いなどが凝縮されて描写され、イェーガーへの復習も果たす。良質の戦争映画を見るように臨場感にあふれ、スピーディーに展開され、小説の楽しみを味わった。
 文中にでてくる次の言葉「費やした日数を数えるな、歩いた距離を数えるな、殺したドイツ人を数えろ」、ここにある言葉を少しでも言い換えれば、いろいろな場面での戒めとなる。

 <桐野夏生 『インドラネット』(角川書店、2021年)>:カンボジアが舞台。ストーリーの展開に引き込まれ頁はどんどん進むが、最後になって訳の分からない中途半端な域に入ってしまった。現地の婆ちゃんは日本で大学も出ていて「まとも」な人であるが、あとは訳の分からない、中途半端な怪しげな人ばかりで、主人公に至ってはどうみても社会に爪はじきにされる自堕落な若者。彼が追い求める空知に対して抱く感情も理解できない。読んでいてコッポラの映画「地獄の黙示録」を思い出したが、その映画で展開される狂気や世界観、圧倒的な凄絶さ、破滅性は本書では描かれていないし、一体著者は何を描こうとしたのかとモヤモヤとして感覚が残った。帯には「現代の黙示録」との紹介文があるが、描写される日本人がどれもがまともではなく、その存在自体が日本という国における黙示録的な象徴なのかとも感じる。黙示録的描写が東南アジアを舞台にしてしまうのは、おそらく熱帯の、体温のような湿潤や沼、そこに浸ってしまう渾沌、猥雑、無秩序、頽廃などが想像されるからであろう。・・・「地獄の黙示録」を再び観たくなる。今観たらどのような感じを受けるのだろうか。

2022年1月14日金曜日

雑記、官能小説

 全国レベルで新型コロナ陽性者が急激に増加している。春日部もその例に洩れず増え、昨日は30人に近くなってきた。今月末には3回目のワクチン接種の通知が届けられる予定。

 自宅で飲んでいるせいもあろう、飲酒量が減り、酒に弱くなってきたという実感がある。

 EWIの練習は続けているも、今のレベルはリコーダーをはじめた低学年小学生なみであろう。否、それ以下かも知れない。模範演奏を耳に入れて同時演奏するとまだまだパニック状態になることもある。ためにフィンガリング・チャート-ギターでいうタブ譜のような役割-を作り、それをスコアの下に貼っている。ブランクのチャートを作ったので今後はレパートリーが増えることがあれば活用できる。こういうツールを作っていることがまた楽しい。

 ゆうちょ銀行での硬貨の取り扱いが来週17日より有料となる。気づいたのは昨日13日の夕方。連れ合いも自分も小銭が貯金箱や瓶にかなり貯っていて急遽預け入れてしまうこととした。
 本日9時頃に近くの郵便局に入ると硬貨をカウントするジャラジャラという音が聞こえ、呼ばれた少し年配の男性が、小銭が満杯となっている大きなペットボトルを窓口にどんと置く姿があり、他にも今朝のニュースで知ったであろう人が何人か来ているようだった。こっちは予め小銭を分類し数えてあったのであまり時間が経たずに終った。今日は全国的に郵便局の中には尋常でない小銭が山となっていたであろう。

 <曇居るい 『破蕾』(講談社文庫、2021年/初刊2018年)>:初刊時は冲方丁の名で出され、文庫版発刊にあたり一般公募の著者名とした官能時代小説。特に最初の「咲き乱れ引き廻しの花道」が淫靡で最も官能的。引き廻しの身代わりとなった武家妻女に対する牢屋敷でのいたぶりからはじまり、身悶える引き廻しを描き、最後は再び屋敷内にて複数の男たちから凌辱される。長々と続く性描写では縄や性具が出てきて伊藤晴雨の責め絵の世界が脳裏に浮かんだ。その手の趣味は自分の埒外の異世界のことであるが、これらの描写は蠱惑的であることは確かである。

2022年1月13日木曜日

高校・大学ラグビー終了、漫画

 高校ラグビー、予想通り東海大仰星が國學院栃木に36(5T4G1PG)-5(1T)と勝利し優勝。圧勝とは言えないまでも快勝で6度目の頂点。

 2022年度のラグビー高校生の進路で早稲田だけが判らない。web上で探すしかないが全く確認できない。どうなっているのだろう。推薦合格者も例年ならばとうに発表されているが全く見当たらない。・・・とメモったのが4日前、いま改めて検索したら東海大仰星のCTB野中健吾が早稲田に進学するとの記事があった。あとは野球部に関するものだけで相変わらず全容が見えない。これもコロナ禍が影響を及ぼしているのだろうか。

 <魚豊 『チ。―地球の運動について― 第6集』(小学館、2022年)>:C教の教会体制批判と擁護、秩序と支配、偶像崇拝の是非、神の存否等々。地動説はそこでの利用価値として扱われる。

2022年1月8日土曜日

今年はじめての雑記

 平日と何も変わらない正月を迎えるのはいつものこと、おせち料理は嫌いだから準備しないし、年末恒例のNHK紅白歌合戦なるものにテレビのチャンネルを合わせることがなくなって数十年は経っているだろうか。ニュースも一度見ればもう十分だし、まして政治絡みのニュースは国内外を問わず関心は薄くなる一方である。新たな一年はどうなるのかと新聞などで展望が描かれていても、日々は連続して区切りがあるわけでもなく、これといって何かが革まるわけではないし、結局は些細に見えることが積分され、気づけばいつのまにか世の中が変わったとか昔と違ってきたと感じるのが実情であろう。

 箱根駅伝は圧倒的な青山学院の勝利で、早稲田の惨敗で終わった。早稲田にはせめてシード権獲得を希ったが二日目途中で諦めた。高校選手のリクルートが上手くいかないのか、入学の門が狭いのか、コーチ監督たちの指導・育成がダメなのか、青学と比較すればその差はとてつもなく大きいと感じてしまう。

 高校ラグビー、國學院栃木の躍進が素晴らしい。高校代表候補が一人もいない中でよくぞここまで強くなっているものと試合を観戦して感激する。今日、東海大仰星との決勝戦があり、仰星の圧倒的勝利となる予想。
  大学ラグビー、ちらちらと試合を摘まみ食いのごとくに観たが、帝京・明治・東海・京産とどのチームをみてもFWDが強い。この4校に早稲田を加えると早稲田のFWDの弱さは目立つ。東海大と当たっても京産大と当たってもFWDで苦戦or負けるような気がした。

 年賀状は昔のピーク時と比較すると随分と少なくなった。何の連絡もなく来なくなった人は生きているやら亡くなってしまったのか、あるいは筆を執る力が失せてしまったのか、思いを過去に向かわせると、10代の頃より多くの人と知り合いかつ離れたと感慨深く感じる。

 ペシミスティックな書き方になってしまっている。これも年齢を重ね、生きている世界が狭くなってきている証しなのであろう。

 新たに始めたEWI、毎日練習しており、ほんの少しずつ指の運びが良くはなっている(と思う)。いまの目標はジムノペディ1番、カバチーナ、逝きし王女のためのパヴァーヌ、これら3曲をマイナス・ワンのバックに併せて吹けるようになること。ゆっくりした情緒あふれるこれらの曲を、せめては家族の前で拍手をもらえるようになりたいものである。そのためには基礎練習の積み重ねで深夜に練習をしている。ときどき、自分は音楽演奏の素質がもともとないような気がしないでもない。練習しかないと今更ながら思う。

 久しぶりにクロマチック・ハーモニカをいじってみたらレバーがスムーズに動かない。分解してバルブオイルを塗布したが、組み立て時にネジを破壊してしまった。ネジをねじ切ってしまうのは自分によくあるパターンだが、しかしだ、なぜにこうも軟な材質を使っているのだろうか。非正規のネジを使う手はあるがそのうちに楽器店あるいはメーカーから正規品を取り寄せよう。