2021年2月26日金曜日

芥川賞を読む

 <宇佐見りん 『推し、燃ゆ』(文藝春秋3月号、2021年)>:64th芥川賞受賞、21歳の現役大学生。2019年には文藝賞、同一作品で2020年には三島由紀夫賞を受賞し、野間文芸新人賞にノミネートされている。
 自己分析や情景描写に秀でているのに生きることに欠けるものがあって只管にアイドルを「推す」、それが理解できない。すなわち生き様と内省のアンバランスを強く感じた。それは、自分は単に「推す」人たちの生態が理解できずにいるだけであるのだが、かといって別段理解しようとも思わない。「あたし」と一人称で描写するのではなく、突き放した位置に立って三人称で「あたし」を描写すればこの小説にもう少しは共感できたのかも、と思う。そもそも「寄る辺なき実存への依存先」(平野啓一郎選評)がどのようなものであろうと首肯することはない。
 「推し」という言葉もそうだが、若者たちが頻用する短縮カタカナ語が繰り返され、また、ときおり感じる読点の使い方への疑問、これらに当たるたびに文章を読むリズミカルな連続性が打ち切られ違和感を覚えた。
 這いつくばりながら綿棒をひろうラストは秀逸と思うが、これは喜劇なのか悲劇なのか、あるいは「あたし」の希望なのか愚かさなのか。まあ、「あたし」はそうやって生きていけばいいのでしょう。

2021年2月23日火曜日

全豪テニス、スピーカー端子、小説

 大坂なおみさんが全豪オープン優勝。NHKの放送で全試合をテレビ観戦。4回戦はハラハラする試合だったが、あとは完勝・快勝。楽しませてもらった。

 アンプおよびスピーカー・セレクターの音質が妙に気になってしまい、セレクターのスピーカー出力端子のバナナ・プラグを止め、ケーブルをダイレクトに結線した。音が奇麗に変化して濁りがなくなった。単にバナナ・プラグの接触が悪かったのかも知れないが、余計なものを介在させない効果が出たのかもといい方に解釈しておこう。
 で、今は午前1時に近い深夜、酒精をなめながら静かにGrieg叙情小曲集を流している(演奏はLeif Ove Andsnes)。

  <ジョン・バンヴィル 『海に帰る日』(新潮クレスト・ブックス、2007年)>:行きたいと思っていても行くことがもはや叶わない国、アイルランド、その地の作家。2005年度ブッカー賞受賞作(『わたしを離さないで』を抑えて受賞)。原題は『The Sea』。
 妻を亡くし、かつてひと夏を過ごした海辺の町にやってきて、過去の時間を振り返り、自らに問いかけ、人生を思う。
 静謐な物語であり、正直退屈するが、頁を閉じることに抗う気持ちもあり、読み続けた。細やかで幻想的でもある。長い年月の中で大した重みもない事件が繰り返され、振り返れば人生なんてこんなものさ、と言ってしまうようなものが人生なのかもしれない。
 この物語の中で「海」は何を象徴し、どのような意味を持たせているのか、そんなことを考えた。「海」は女性になぞらえることがあること、それが一つの答えであるような気がする。

2021年2月21日日曜日

横須賀ブラジャー、近代史、小説、漫画

 『横丁の戦後史』で初めて知った「横須賀ブラジャー」、試したくなりブランデーとジンジャーエールを買ってくる。いままでの飲酒人生の中でブランデーを口にしたのは20代の半ばが最後であり、以来飲むことはなかった。そもそも嫌いな酒であるために自ら購入したのは今回が初めてのこと。
 これだという作り方も分からないから、両方を適当にグラスに注ぎ、味ももちろん未知であるのでカップのサイズは控えめに中くらいにした-Bカップというところだろうか(?)。ジンジャーエールのせいで甘みがあり、不味くはない。ついつい飲み過ぎるようになるかもしれない。フランスの安いXOブランデーだったので、グレードを上げ、生姜スライスなども加え、分量の比率や炭酸の量も加減すれば楽しめそうである。カップのサイズもヴァリエーションを増やせば、酔眼で妄想に浸れるかも知れない。
 ブランデーとジンジャーエールでブラジャーか、じゃ、パンと紅茶ではパンティーか、などと戯けたことを口にしたら、連れ合いが侮蔑の一瞥を投げてきた。

 <片山杜秀・島薗進 『近代天皇論-「神聖」か、「象徴」か』(集英社新書、2017年)>:深い内容の対談集。自分にとっては異なる視点で復習し、確認したと言った風である。

 <円城塔 『文字渦』(新潮社、2018年)>:12編の短編集。文字、漢字を自由自在に躍らせ、生き物として文字は時空を飛び越える。想像力豊か、壮大な空想、留まることのない妄想か。読めない漢字は沢山出てくるが、それらをいちいち調べていてはキリがないから、ところどころは飛ばし読み。梵語・漢字・ひらがな、英語もヘブライ語も出てくるし、操る知識の広さは巻末の引用・参考文献に表れている。まともについて行くことは難しいが、ページを捲るのが楽しく面白い。「文字閥」という表現、英文に返り点・一ニ点を付ける発想には感動さえ覚える。
 最も小説らしい(?)のは書名でもある「文字渦」、それに引き込まれて頁を進めると異次元の空間に飛び込まされる。購入して暫く放っておいていたが、早く読めば良かった。

 <卯月妙子 『人間仮免中』(イースト・プレス、2012年)>:書店で久しぶりに漫画のコーナーも眺めながらぶらついていたら、この本が目に入った。著者は統合失調症であり、帯に、「生きているだけで最高だ!」、「卯月妙子は、あっちの世界の「現実」を、こっちの世界の言葉で語れる稀有な人だ」、「卯月妙子と彼女のヒーローの、愛と冒険の物語だ」などとあり買った。最近の本かと思ったが2012年の発刊だった。
 小学校5年の時に異常体験がはじまり、中学3年で自殺未遂をし、夫(後に自殺)の会社が倒産し、降りかかる借金を返済するためにホステス、SMストリッパー、スカトロ系AV女優、舞台女優などを転々とし、自殺未遂も繰り返し、精神病院への入退院は7回と重なり、25歳年長の男性と恋仲になる。般若心経を背景に、前夫の戒名を彫った刺青を背にし、恋仲の男性の名と梵語を陰部に彫り、薬の服用を怠って歩道橋から顔を下にして投身自殺を図る。命は取り留めるが右目の視力を失い、顔も激しく変形してしまう。---現れる症状とその闘いの日々を、ユーモラスに描ききる。半端ではない薬の量、外出するときに出てくる病状との凄まじい闘い、「あっちの世界」に圧倒される。
 「こっちの世界」においては相変わらず呆れることが多く、政治的なニュースは茶番を-わが国に限ることなく-毎日見せつけられる。繰り返してニュースを見ることはない。

2021年2月12日金曜日

久しぶりのバス・電車、ほろ酔いばなし

 昨年の2月18以来、約1年の間を空けて久し振りにバスに乗り、電車に乗った。不可避の用事で出かけたのであるが、乗った電車は新しくなっていて座席の感覚は変わっていたし、何にしても皆マスクをし、何もしゃべらずに静かであった。

 <横田弘幸 『ほろ酔いばなし 酒の日本文化史』(敬文舎、2019年)>:日本酒に関する色々な歴史的(雑学)文化。少しでも記憶して酒席で披露すれば「へぇ~っ、そうなんだ」と愛想笑いを伴った返答を受けるかも。

2021年2月8日月曜日

早稲田ラグビー新体制、『横丁の歴史』

 早稲田ラグビーの新体制が決定、大田尾監督・長田主将・小林副主将となった。主将・副将は予想していた通りだが、監督交替の是非・可否・有無については全く考えていなかった。ヤマハでの経験を積んでいる大田尾の監督就任はなるほどと得心する。大田尾というと真っ先に思い浮かべるのが関東対抗戦の対帝京戦の秩父宮で、10点を先行されたあと逆転して完勝した試合。大田尾がボールを持って独走したが足が速くないので左右に目を配りフォロワーを探していたシーン。観客から、走れっ、の声がかかっていたのが鮮明に思い出す。あれから17年余が経った。清宮さん・堀川さんのもとで内容の濃い経験を積んでいたと思う。来季に期待。

 <フリート横田 『横丁の戦後史 東京五輪で消えゆく路地裏の記憶』(中央公論新社、2020年)>:立石・渋谷・浅草・東上野・横須賀・池袋などの飲食に関わる「横丁」に関わる人たちを訪ね、「横丁」の成り立ちと、そこで生き続ける人々の人生を描く。日本人・在日コリア・中国人・ミャンマ-人たち、それぞれの人たちが、敗戦後からいろいろな事情を抱えて横丁を形成するまでの、個々の経緯をルポに基づいてまとめている労作。著者がそこに通い、飲むことは語られ、問題提起もなされるが、飲みに来る人たちの視点が欠けていることは物足りない。
 自分のことを書けば、横丁で飲むことはさほどなく、最も通ったのは新宿の所謂ションベン横丁で、本書には出てこない。そこは方々で語られているので改めて探索するほどでもないかもしれない。横丁的雰囲気のあるところで飲みたくなるが、今それを為そうと思えば恐らく近くにホテルを予約して一人で飲み、その日のうちに電車で帰るようなことはしないだろう。あぁ、紫煙と、焼き鳥を焼く煙と、客に阿ることもない主人or おかみさん、忙しく動き回る女性スタッフのいる小さな店で飲みたい、呑みたい。
 読んでいて、都築響一さんの大著、『天国は水割りの味がする 東京スナック魅酒乱』(廣済堂出版、2010年)が脳裏に浮かび、同書に登場する、新宿2丁目/タミーを思い出す。もう10年も経ってしまったか。経営していたかの人はご健在か。同席して一緒に楽しんだ目黒学院高校ラグビー部父兄(お母さん)の方、あの頃は低迷して花園への出場もできなかったが、その後は3度ほど出るようになり以前にも増して盛り上がっているかと思う。・・・・今、オレは、人恋しくなっているのだろうか。

2021年2月5日金曜日

政界を巡る雑記、ミステリー2冊

 銀座トリオ、嘘をついても逃れる術は、1年以上も嘘を隠し続け100回以上も国会でその嘘をついた前首相からキチンと学んでいなかった様である。太鼓持ちを引き連れて夜の銀座をうろついたことよりも、嘘をついたことよりも、ちゃんと学習していなかった履修不足を咎められて離党を命じられたのかもしれない。隠蔽・虚偽の党文化継続を怠ったこと、および前首相の薫陶を受けていなかったことを。
 キリスト教は罪を説き、仏教は世渡りを説くと誰かが言った戯れ言かもしれないが、ふと思った。政治資金からキャバクラへ支出していた議員、党を支持する仏教系宗教団体からは罪悪を教えてもらっておらず、学んだのは周囲を上手く立ち回って議員になることだったヵ。でも議員辞職をせざるを得ない状況となったのは生きる道を説く力が働いたのかもしれない。得たものは、もっと要領よく生きれとの教訓ヵ。
 「神の国」発言など多くの失言(失言とすることには違和感があるが)を重ねた老人、またもやアホなことを口に出す。所詮あの人の政界での生き様はシンキロー。
 3日の朝日新聞「多事奏論」、高橋純子編集委員の文章はいつもながら痛烈な皮肉と適確な指摘が小気味いい。いくら指摘しても、(いま長男に文春砲が向けられている)首相は何も説明できないであろう。だって、投げられたボールは(ラケットを握っていないから)打ち返せないし、只管dogdeするしかないのだから。

 <東野圭吾 『ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人』(光文社、2020年)>:書き慣れた作家の書き慣れたミステリーといった感じである。先日も作者のミステリーを読んだが、続けて読むと倦きてくる。上手にパズルを作り上げてガチャガチャと混ぜ、個性的な人物を配置して物語を展開し、パズルを解いていく。よく練り上げられたパズルではあるけれど物足りない。ジグソーパズルを楽しんで完成させたけれど出来上った絵は深みがなくて部屋に飾りたい気持ちにはあまりならない、といった風のものだった。

 <辻真先 『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』(創元推理文庫、2021年/初刊2018年)>:2週間ほど前に読んだ『たかが殺人じゃないか』の前日譚、人物も二人若くして登場する。前置きの長さも同じであるし、全体的に情景や時代を説明する描き方が『たかが・・』と相似的であり、一言で言えばつまらなかった。ミステリー小説は好きだがトリックを駆使した探偵小説はあまり好きではなく、同一作家のそれを続けて読むとすぐに倦きてしまう、ということに過ぎない。
 本作が話題になったとの記憶はなく、同一路線を歩む『たかが・・・』が何故にミステリー3冠になったのか少し不思議。