2017年12月31日日曜日

ルンバ、本2冊、秋田と山形の酒

 抽選に当たってルンバを安価に手に入れた。機械が恰も意思を持つかのように動き回って掃除をする様を眺めると、この無機的な物体にも愛着が生じてくる。
 昨日(30日)パワーオンして外出したが、ホーム・セキュリティ・システムに引っ掛かることをすっかり忘れていた。結局は留守宅に警備会社のガードマンが駆けつける羽目になった。ガードマンが駆けつけたのはこれで3回目。1回目は開けっ放しにした窓から風を受けてカーテンが揺らいだとき、2回目は愛犬が囲いから脱走して留守宅を歩き回ったとき、そして今回。すべて自分たちのおっちょこちょいに原因がある。警備会社に対しては汗顔の至りであるが、少なくともセキュリティ・システムの正常な検知機能動作とガードマンの迅速な対応が確認されたことにはなった。

 <早坂隆 『新・世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ、2017年)>:テレビにて内輪同士でふざけ合っている、低質なお笑い芸人たちには、この新書にある様な毒のある笑いを放って欲しいものである。世の政の動きに対して薄っぺらな評論をするのではなく、薄っぺっらなままに世の政治家や文化人を揶揄うことが彼らの芸に繋がると思うし、その方が深味を増すと思うのだが・・・。

 <今村昌弘 『屍人荘の殺人』(東京創元社、2017年)>:鮎川哲也賞受賞作で「このミス2018年版」、「週刊文春ミステリーベスト10-2017年」、「本格ミステリー・ベスト10-2017年」、それぞれのトップ。鮎川哲也賞であることや書名だけで本格ミステリーとすぐに分かる。基本的に本格物にはすぐには手を伸ばさないのであるが、「このミス」での高評価を知ってから日にちを措かずに買った。
 クローズド・サークルであり、それも奇想天外、斬新、新鮮なシチュエーションである。時間とともに狭まっていく密室空間の紫湛荘(したんそう)、そのホテルからは一歩たりも外に出ることはできない。外に出れば忽ち食い殺され、殺す側に立つ存在へと化してしまう。そのホテル内で連続殺人が起き、その殺人もまた密室でなされる。主人公はワトソン役の葉村、ホームズは明智恭介と想定されるように進むがそうではなく、剣崎比留子という探偵少女。
 どのように物語を進めるのかと読んでいけば、あっという間に、しかし、すんなりと場面は大きく変化し、密室殺人へと切り替わっていく。読み始めたら頁を閉じるのが惜しくなる面白さである。発想、展開ともに、作者の目指した、「「読んだこことのないミステリーを!」という一念で書き上げた作品」はキレイに出来上っていて楽しむことができた。映像にしたらヒットするんではないかと思う。

 これが今年の最後のメモ(ブログ)。いつもの日常と然程変わらない一日であった。少し違うとすれば、昼過ぎから日本酒を中心に飲んでいる。今日は太平山/生酛純米/神月と特別純米酒/出羽桜。この文をアップしたら刈穂/純米吟醸を飲む。美味しく気持ちよく酔っ払って年を越そう。

2017年12月28日木曜日

奥日光でぼんやりと過ごす

 連れ合いと一緒に奥日光に行って来た。日頃から曜日感覚を失うほどに変化のない毎日を送っているのだが、さらに何もせずにだらだらと温泉にでも入ってぼんやりと過ごそうと思った。

 新越谷からバス(湯けむり号)に乗って、数カ所で他の客がピックアップされ、東北自動車道に入った。新越谷から新都心を経由したために、実は新都心から乗り込んだ方がもっと朝はゆっくり出来たのだが、これは自分の確認不足。那須や塩原方面に向かう客は佐野で降りて乗り換えとなり、日向方面に向かう人たちは全員で10人に満たない。この日、24日は日曜日なので客が少なくなるのは当たり前のことだろう。
 前回の冬に日光に来たときは雪景色であったが、今回は道路にも雪はなく、遠い山並みが白くなっている程度。前回も12月に来たと思っていたが、それは勘違いで昨年1月の末だった。途中食事を摂った神橋近くのレストハウスのオバサンに尋ねると、雪が積もるのは1月に入ってからと応える。どこまで行くのかと聞かれ、奥日光というと、あそこは雪が積もっている、先日も吹雪いていたらしいと言う。確かにバスに乗って中禅寺湖から奥日光に向かうと道端には雪が見えるようになってきた。そして奥日光ではしっかりと雪があった。
 部屋に入るまで時間があったので、湯ノ湖の近くを散策。寒いからと行って連れ合いは出てこない。湖の近くでは、寒いのに薄い防寒服でベンチの巡りで遊んでいる若くはないグループがあおり、雪ダルマのようなものを作ってはしゃいでいた。聞こえる言葉としぐさから台湾からの人たちと想像した。
 部屋に入ってからは何をするでもなく、ビールを飲みながらテレビ画面をながめてぼけーっとしていた。温泉に入り体を温め、食事になる。ビールを頼んだら、お客様には日本酒のサービスが付いていますがそれでもビールを頼みますかと聞かれ、そのとき初めて酒のサービスを知った。勿論ビールも日本酒も飲む。日本酒は100ccほどのグラスに満たされた地酒が3種-四季桜/大吟醸、惣誉/日光権現、渡辺酒造/樹香明想。四季桜以外は初めての酒。この酒のセットが、連れ合いにも付き、連れ合いは日本酒に手を伸ばすことはないので、結局ぜんぶ自分の喉を通っていった。どの酒もサッパリとしていて美味しかった(と思う)。
 20時からはロビーでコンサート演奏。ワイン片手に演奏を聴いたが、最初の曲でその場を離れたくなった。ギター演奏と歌の女性と、パーカッションの男性のデュオであるが、女性の歌が平板で、ときたま音程のズレを感じる。客の人数が20~30人ほどでは席を外すことができず、1時間の演奏は楽しめなかった。期待していただけに落胆の度合いが大きい。連れ合いはさらに酷評していた。
 本を2冊バッグの中に入れていたが、何もする気もなく、酔っているし寝不足だし、早々と眠りに入ってしまった。

 翌朝は爆弾低気圧のせいで外は時折吹雪いている。秋田の山中、奥会津という積雪の多い地で育ったために雪景色の中で雪が舞っていると心が弾んで嬉しくなる。積雪量が少ないのが不満だが、モノクロに近い風景の中、雪が舞っていると小中学生の時代に戻った気分になり楽しい。ま、そう思っているのは自分だけのようである。中禅寺湖付近からは晴れて穏やかな冬の天気となっていた。
 帰途、神橋近くでまた2時間半近くの待ち合わせ時間があり、東武日光駅に向かって歩きだし、前回同様に鬼平の水羊羹を買い-「おにへい」ではなく「きびら」であることを初めて知った-、駅まで歩き、連れ合いが、前回は売り切れで食べられなかったという駅弁を買い、待合室のベンチで二人で昼食。
 前回、駅付近のレストランで摂った食事の不味さを思い出し、雪の上に寝転んでいた犬を懐かしみ、そしてその犬と思われる犬とすれ違い、神橋まで戻った。あとは羽生で乗り換えて新越谷までまっすぐ。
 今回、連れ合いが友人からの評判を聞いて某ホテルに行ったのだが、食事は夕食も朝食も美味しく、スタッフの方も親切で満足であるが、いかんせんホテル内が暗い。暗い施設は嫌いなのでこのホテルにリピートはしない。でも、ただ単にバスに乗って温泉に入って美味しい食事を摂って、酔って眠りこけるのは贅沢な時間であり、こういう一日の過ごし方もいいもので、次の一拍二日コース候補を探しておこう。

2017年12月24日日曜日

小説2冊

 <西村賢太 『無銭横町』(文春文庫、2017年)>:1年8ヶ月ぶりの貫多の自堕落な生活を読む。20歳前の貫多もいれば芥川賞候補になった貫多もいる。国語以外はオール1だった(wikipediaより)中学を卒業し、すぐに一人生活をし、生活の糧は肉体労働と家賃の踏み倒しと母親へのたかり。そのなかで田中英光に入れ込み、藤澤清造の没後弟子を自称する。
 一般的常識世界のぬるま湯にふやけきっている我が身にすれば、貫多のような生活は嫌悪し、避けているのだが、距離を保って覗き見るほどの関心はある。しかし、倦きてきた。
 田中英光はごく普通に「オリンポスの果実」しか知らない。読んだのは多分20歳前後のことで、太宰治の小説を好きになれなかったのもその頃であった。太宰も田中英光もともに好きになれなかったというのは、まぁ矛盾のない嗜好ではあるか。

 <長岡弘樹 『教場0(ZERO)』(小学館、2017年)>:今回は教官ではなく刑事としての風間道場。各署からキャリア3ヶ月の新米刑事が指導官風間の下で研鑽を積む。6話の短編が続く。殺人があり、犯人は冒頭で明らかになっており、風間はその解決のプロセスの中で新米刑事を育成していく。犯行の仕掛けを解くのがメインで、バックに風間と指導される刑事のやりとりが描かれるが、それらのパターン化された描写に少し退屈してきた。

 Windows7のPCを修復してから、何かおかしいと思っていたらデュアルドライブHDDのSSD機能を全く考慮に入れずにいたことに気付いた。結局、短気を起こしてもう一度クリーンインストールすることにしたが、WD Black2をSSDとHDDに分割する方法が分からない。ネットで探してソフトを入れても解決しない。やっとたどり着いたのがコンピューター販売元HPのFAQ。しかしだ、PCに詳しくないユーザーが、そのPCに使用しているHDDを把握し、それの仕様を認識し、さらに機能設定の必要性を理解しなければならないなんて一寸文句もいいたくなる。ドライバーを含むアプリソフトのDVDを作成するときにちゃんと入れ込んで欲しいものである。
 USB3.0を認識しないのは相変わらず。ドライバーもきちんと入っているのだが認識しない。ネットで探しても解決方法は見つからない。諦めた。

2017年12月20日水曜日

久々の病院

 今年5月の人間ドックでは幾つか指摘を受けていたが、それらの数値はスレッシュホールド値をさほど超えていない(下回っていない)のであまり気にならないが、心雑音だけは初めてのことであるし要検査ともなっていた。また、昨年12月の腸内視鏡検査で3mmの小さなポリープがあり、1年後の再検査をすることとなっていた。病院は歩いて行ける距離であるがなかなか行く気にならず、やっとこの時期になって市立医療センターに向かった。
 最初は循環器内科。聴診器からは確かに雑音が聞こえると女医さんは言うし、エコー検査も直ちにできるということで初めての心エコー検査をやった。結果はS状中隔で、送られた血液が流れ入るところが少し狭くなっており、雑音はそのせいであるという。私の両親と同年齢ですねという女医さんは40歳前後か、加齢でよくある現象だとおっしゃる。「加齢」、何という嫌な言葉か、精神的には女医さんと然程変わらぬ心算だが、加齢という言葉はずっしりと肩にのしかかってくる。エコーで撮られた自分の心臓の動きをモニターで見ていると、単純構造の弁がパタパタと動き続け、血液の流れる空間はまるで配管設計に携った結果を確認しているようである。送り出された血液がS状中隔の少し狭くなっている管を通り、そこよりは広くなっている上部に流れ、その流路の広さの差異で雑音がしている。血流と雑音を示すノイズ色変化、および音の変化グラフを眺めていると自分の心臓ではなく、流体力学の実習研修を受講しているようであり、つよく興味が惹かれた。帰宅後、S状中隔をネットで検索すると、「S字状中隔は加齢による生理的な変化であり,臨床的には大きな問題は少ないと考えられている」らしい。特に治療の必要はなく、胸に異常を感じたら放っておかずに病院に来て下さい、との一般的普遍的な指示をされただけで済んだ。この女医さん、名前に使用されている漢字が珍しく(発音はよくある名前)、それを口に出すと、そうなんです、珍しいですよね、祖父母が農家だったことが関係しているようですとフランクで、ほかにも少し雑談をした。ジーパンにスニーカーのこの女医さん、感じが良かった。ついでにおこなった血液BNP検査でも異常はまったくなかった。
 次は腸内視鏡検査の予約。目の前の若い男性の医師、あまりやる気が感じられない。内視鏡検査は常に混んでいて予約できたのは来年の2月末。まだまだ先のこと。持参した人間ドック検査成績表を眺めて、中性脂肪や体重、血圧は過食せずに運動をしてください。一日1万歩が目安ですと、これまたどこでも言われるワンパターン。でも、数値はあまりオーバーしていないので経過を見ていけばいいでしょうと言う。一日1万歩ではなく、8千歩を勧めている医師もいるし、運動よりも食事をメインにしている指導者もいる。ま、何も指示されなければそれに超すことはないが、「加齢」と言われたらしようがないしな、と独りごちる。華麗な加齢ってないもんかな。

 医者に言われたからではないが、今日(20日)久しぶりにハードなウォーキング。そして数百メートルのスロージョギングを断続してやって汗をかく。気持ちいい。Garminを腕に装着して歩いたのは4ヶ月ぶり。マジメに続けてみようかな(!?)。

2017年12月19日火曜日

今季も年越しならず、そしてPC修復

 今日(16日)はラグビー大学選手権、早稲田の初戦は東海大学。出かける前にサブのPCを開いていたら調子がおかしくなってしまった。普通に操作していただけなのに、Windowsが立ち上がらない。3台使用しているPCでこのPCだけはWindows7にしてあって、これが動かないと困ってしまう。他のPCはwindows7から10にアップグレードしたもので、アップグレードwindows10では外部機器を認識しない、あるいは特定ソフトのバージョンアップできないという不便さがあってwindows7のPCは欠かせない。
 根がせっかちに出来ているからすぐに修復を試みるが、簡単には行かない。バックアップからの回復をしようと思ったが、この際購入時のまっさらの状態にして新規インストールしてしまえと決め、それは秩父宮から帰ってきてからすることにした。もう、ついていないと思ったが、それは秩父宮に引きずってしまった。

 今日の東海大戦、勝利の確率は悲しいかな四分六かそれ以下と思っていた。対抗戦での明治戦での完敗、慶応戦で勝ったとはいえあれは慶応の気の緩みのようなものを感じていた。でも、もちろん勝利を強く期待するのは当然のこと。
 キックオフ直後の斎藤のハイパント、高さが中途半端で距離も少し遠い。つまり早稲田がボールに絡めない位置。あがった途端に、ああこれは良くないと思ったら相手の、日本代表野口に綺麗に走られてノーホイッスルトライ。いきなりため息がでてしまう。早稲田はPGも重ねてなんとか追いつこうとするが、追いつけない。後半3点差まで詰めるが、そのあとはもう全くだめ。
 スクラムは押される。東海大ボールのスクラムは相手が安定していて余裕がある。ディフェンスは東海大が早くて強くて安定している。接点でも押されており、早稲田はそこに人数をかけざるを得なくなり、東海大がボールを出して外に振ると簡単に走られてしまう。ファーストタックルに限らず外国人選手を倒せない、もう力の差は歴然とある。早稲田がボールを回しても余裕はないしゲインできない。東海大はディフェンスが上手い、ラインアウトはギリギリノットストレートと思えるようなスローイン-一度レフェリーが笛を口元に持っていこうとしたが躊躇ったのかそのまま流したら東海大は絵に描いたようなトライをし、観客席からブーイングされていた。東海大はこのレフェリングに甘んじるとそのうちに笛を吹かれると思ったが、案の定、何度目かにはノットストレートを判定された。
 ま、なんだかんだ言っても、要は力の差があって早稲田が勝てるとは思わなくなった。後半、35点を取られたところでTYと一緒に競技場から出ることとした。帰途、早稲田のFWDリザーブ選手が練習していた。横幅や胸の厚みがあってよく鍛えているが、いかんせん身長がない。身長だけではオレより小さい。FWDが弱ければ勝てない。バック陣から大きな選手をコンバートはしないのかとふと思う。

 これで、4年連続で年越しはなし。悔しいと感じる前にこの状態に慣れてしまったことの方がカナシイ。今年は野球は最下位になるし、あとは箱根駅伝が残るだけ。TYは3位以内を期待するかと言ったけど、オレは、いやぁシード権獲得を期待すると悲観的。

 早稲田のラグビー、4年生が少ないのでまたもや来季に夢を託すしかないが、素質ある選手は入ってこれないのか、底が薄いのか、あるいはコーチ陣を含めた育成システムが劣っているのか、試合に臨む戦略がなっていないのか、どうなんだろう。慶応戦、明治戦、今回の東海大戦をみて感じるのは、その都度早稲田の戦い方がふらふらしていて-慶応戦ではキックの応酬、明治戦は展開、今回はハイパントが多い、これが早稲田のどっしり構えた戦い方、というのが見えなかった。何よりもタックルが決まらない、接点が弱い、集散が遅い(だからボールキャリアが孤立してノットリリースに繋がる)、スクラムが弱い、ラインアウトも不安定、FWDの力強さがない。こっちは何も出来ないという、応援する身の歯がゆさを覚えるが、これも早稲田を愛しているが故のこと。(・・・もう一つの卒業大学である法政も負けた。)

 不具合の出たPC、windows7を新規インストールし、アプリも入れ直し、結果的には整備し直してすっきりした。が、USB3.0を認識しない状態から抜け出せないでいる。ドライバーも正常に機能しているが、USB3.0の外部HDDがUSB2.0でしか動かない。以前にもこの状態に陥り、直ったことがあるが、どのようにして正常に戻したのか(戻ってしまったのか)覚えていない。

2017年12月12日火曜日

本、漫画

 <原泰久 『キングダム47』(集英社、2017年)>:趙/李牧との戦いが佳境に入る。紀元前229年、秦/王翦の大軍が趙を攻める。

 <安丸良夫 『神々の明治維新』(岩波新書、1979年)>:副題に「神仏分離と廃仏毀釈」。
 水戸学や後期国学の影響を受けた人たちによって急進的に推進された神仏分離や廃仏毀釈。その「奇妙な情熱」はどこから来たのであったろうか。結局は個々の人々がそのときに立っていた位置の維持と拡大、それによって得られる地位と利益の獲得ではなかろうか。そこで述べられるイデオロギーや大義・正義は自己正当化の方便の一側面でしかない。その観念が頭から離れない。
 宗教は、もちろん、時の政治に利用される側面を持っている。仏教的な側面で言えば寺檀制や本末制がそうであろうし、明治新政府は天皇擁立正当性の主張、新政府権威確立を求め、欧米を模倣しながらもキリスト教を怖れ、神道国教化を目指した。しかし、それは神道非宗教の主張のもとで国家神道化し、儀礼的に引き継がれて日本人の精神に内面化し、教育勅語が国教化に取って代わったといえるだろう。そして、日本の近代化に並行して各宗教が良民育成を天皇制国家に供した。
 岩倉使節団の欧米諸国訪問でキリスト教迫害の抗議を受け、信教自由が不平等条約改正の条件と突きつけられ、多分に仕方なく信教自由の承認を約束した。また、キリスト教が基層にある欧米文化や政治を目の当たりに見て、日本にては天皇を擁立することが欧米に対抗できるとした。が、信教自由で教派神道が分離独立し、神道非宗教説のもと国家神道が成立した。神道は国教化から神社祭祀に退いたが、実際には宗教機能を有しながら儀礼や祭祀と強弁することは今に繋がる。祭儀へと後退した神道をイデオロギー的な内実から支え、補ったのが教育勅語。「この勅語には世のあらゆる各派の宗旨の一を喜ばしめて他を怒らしむるの語気あるべからず(井上毅)」との原則によって作られた。すなわち、「国家は、各宗派の上に超然とたち、共通に仕えなければならない至高の原理と存在だけを指示し、それに仕える上でいかに有効・有益かは、各宗派の自由競争に任された」。いろいろな宗教が成立し、教義の頂点には国家の方針に寄り添う多くの宗教がある。反面、そうでなければ危険視され、弾圧に苦しんだ宗教があったことは歴史が教えてくれる。
 直接的に宗教を勉強することはしない。歴史のなかでの諸現象の一つとして理解しようと思う。明治初期の次は第二次宗教ブームのあった戦後に軸を移そうかと思うが、そこに行くのにはもう少し時間がかかりそうである。

 <都留泰作 『ムシヌユン 5』(小学館、2017年)>:中国はやっつけられ、日本政府の中枢は混迷し、アメリカは迷走する。与那瀬島の昆虫は巨大化し、上原は求める愛を拒絶され、三つの邪神星が動き出して続刊へと繋がる。

 <北村薫 『創元推理文庫、2017年』(講談社学術文庫、2006年)>:太宰治の小説などを巡り、本を読む楽しみをつなぐ短編集。以前はこの手の本は面白く読んだはずなのであるが、いまは読んでいても気持ちが入らない。太宰治への関心はペラペラに薄いし、この短編集の主人公を通じて著者自身の個人的喜びにも興味がない。

 渡辺京二の新刊『バテレンの世紀』が届いた。雑誌『選択』に連載されていたもので、いつ一冊にまとまって刊行されるのかと待っていた。まずはすぐに購入しただけで、読み始めるのはかなり先のことになりそうだ。
 2007年に平凡社ライブライー版『逝きし世の面影』を読んで入れ込んでしまい、著者の本をずっと読み続け、14冊を読み終えてからは新刊を購入はしているが、背表紙を眺めるだけになってしまい、そのうちそのうちで随分と年月が経ってしまった。未読の本はもう15冊を数えてしまった。幕末・明治維新に一区切りつけたら、読み始めようヵ。

2017年12月4日月曜日

早明戦ラグビー

 昨日(3日)は秩父宮で早明戦ラグビー。勝敗の行方は予想がつかず、それでも僅差になろうと思っていたが、結果は29-19の完敗。試合前にSO岸岡のロングパスの話題となり、一緒に観戦のTYはかつてのSO曽我部が時折くらったインターセプトのことを話していた。そしたら、明治のキープレイヤー梶村にきれいにインターセプトされ、トライを決められた。これで0-7と追う立場になった早稲田は明治のかたいディフェンスに阻まれなかなかトライに結びつかない。後半26-19まで追いついたときはまだ同点までいける希望があったが、もう残り時間も殆どない状態のなか、自陣中央でペナルティ。PGを簡単に決められた時点で早稲田の敗戦は決定した。攻めても精度を欠いて明治のディフェンスを破れない。負けるべくして負けたという結果。
 負けても3位だろうと思っていたが、それはまったくの誤解だった。早稲田は10点差を付けられて負け、慶応は青学相手に119-5と今季対抗戦全試合のなかで最高得点・最大得点差をつけ、得失点差で早稲田を24点上回り、結局、大学選手権では早稲田は4位の扱い。もしもというのはいけないけれど、明治に勝っていれば年越しの準決勝の可能性は高かったが、4位では初戦は東海大(リーグ戦2位)、勝っても次は天理大(関西1位)、そこで勝利してやっと準決勝で帝京と当たるというかなり厳しい組み合わせとなってしまった。年を越すという意味では2位と4位では雲泥の差がある。でも結果は結果、これが実力。16日は秩父宮での東海大戦に行こう。

2017年11月29日水曜日

39年ぶりの奥能登

 39年前に富山市にある会社を退社することにし、その際に秋田市に住む父親からもう訪れることもないだろうから一度行ってみたいと要望され、二人で奥能登にドライブしたのが1979年の秋。家人との出会いも、彼女が能登に向かう中で知り合ったし、富山市に住んでいたときは何度か能登に行っている。そんななか、懐かしさもあって10月8日から2泊3日で奥能登に小旅行をした。
 富山駅で新幹線を下車、北口に降りて停車しているバスまで歩く。バスは車体に錦鯉の絵が鮮やかに彩られた小千谷からのバス。小千谷に錦鯉といえば短絡的に田中角栄を思い出すのはもうパブロフの犬のようなものである。
 富山駅北口は昨年5月以来で、ここから西にむかう車窓から眺める景色もまだ記憶が新しい。呉羽山を左に眺め、20代の頃に何度か車で通ったことを思い出す。家人はあまり覚えていないという。昨年昼食を摂った新湊大橋やきっときと市場を右に見て、最初にバスから降りたのは高岡市の桜寿司。ここで昼食を摂り、七尾に向かい、16世紀初期に築かれた七尾城の址を歩く。山城の高低差のある地を歩き、七尾市街と七尾湾を下に眺め、交通不便な山城にて藩主に伏し馬に乗る武士たちや、険しい山道を何度も往復して築城に担ぎ出された人たちのその姿にに少しだけ思いを馳せる。
 次に向かったのは七尾駅でそこから「のと鉄道のと里山里海号」に乗車。観光列車であって、里山里海号の名はノスタルジックな実り豊かなゆったりとした気分を醸し出してくれるはずなのだが、変哲のない景色も相俟って、ビジネスとして企図された下心が窺えて素直にその気分には浸れない。途中で能登中島駅に停車し、国内に2両しかない鉄道郵便車なる遺物を見て初日の宿泊地である羽咋に入った。宿泊は能登ロイヤルホテル。旅行でいろいろなホテルや旅館に泊まるが、大和系のロイヤルホテルは設備や食事などが最もバランスのとれたホテルであって、ここに宿泊する予定を確認できると安心する。中には全国的に名のあるホテルでも何かしら疑問を抱いてしまうホテル・旅館も少なくない。

 翌日はまずは輪島塗の漆器工房、かける手間も緻密であって美しい、しかし高価。輪島朝市は短い通りに小さく店が並び、通りに入る前は活気あふれる情景を想像したが、短い距離であり、人々に弾むような活き活きとした表情はあまり感じられず、かなり落胆した。酒のつまみになる海産物を3個いくらの値段をさらに安くして貰って購入。これらは帰宅後の酒のつまみ。
 秘境の言葉を付された白米の千枚田は立派に設備された観光地で、訪れている人たちも多勢。佐賀県で見た小さな鄙びた千枚田の方が好きである。珠洲の製塩所に寄って舌にのせた塩は美味しく家族へのお土産も含めて幾つか買った。旅行先で塩が売られていると必ずといっていいほど購入する。市販のものより美味しいし、腐りもしないし、息子一家や娘一家にあげても喜ばれる。特に娘の長男は小学生の時から味にうるさく、塩が好きなので彼のためだけにあげることもある。帰宅すれば各地で求めた塩のストックにまた1個加わる。
 次もまた秘境の名が付いた能登半島最北端の禄剛崎灯台。どこが「秘境」なのかさっぱり理解できない。残念ながら佐渡は見えなかった。道の駅に寄り、旅行会社初登場で今年初開催の「奥能登国際芸術祭」の珠洲市に入り、その芸術たる一端に触れるが、何が芸術なのかまったく、さっぱり理解できない。廃駅のホームに傘を突き立ててあったり、海岸に紙のようなもので立っている鳥居のようなもの、はては見附島の海岸に並べられた多くの陶器の破片。観光のために企画されたのであろうが、ゴミを増やしているようである。この日最後に訪れた見附島にも「秘境」の冠がのせられてパック旅行の案内は作られているが、旅行会社のプランナーはよほど「秘境」が好きなようである。安易な言葉遣いであり、想像力の貧困さを連想させる。この日も前日と同じホテル。
 最終日3日目は総持寺からスタート。修復工事中でがっかり。そのせいか昔の華やかさがない。寺で修行する僧の数が昔の半分くらいだと案内の女性の声に張りがないのも宜なるかな。移動して能登金剛・巌門の遊覧船に乗る。海は荒く結構揺れ、楽しめた。20代の頃に眺めた記憶と結びつかないのは今の年齢のせいであろう。富山市の勤務先の先輩の奥さんがこの付近で生まれ、金沢大学に入って下宿し、その下宿先の息子が富山大学に通っていて、どういいう経緯かは知らないけれど二人は夫婦になった。その奥さんは小学校の教師をしていて、年上だけど屈託のない可愛い人で、自分を含む友人たちに人気があり、自分が結婚したときには家人に会いにも来てくれていた。最後にあったのは横浜・戸塚で37-8年も前である。懐かしい。
 閑話休題。妙成寺は素晴らしかった。日蓮宗のこの寺には五重塔があり、広い庭園、平野に屹立してその地の一画を占めて厳かな空気を張り詰めているようであった。祈祷があり、若い住職も凜とした姿勢と声であり、今回の旅行で一番よかった。

 千里浜ドライブウェイを走るのは40年以上ぶり。多くの車が並み際に止まり、走っていた。立ち食いした”いかだんご”が美味しかった。もうここを訪れることもないだろう。
 千里浜を去って高速に乗り、帰途についたが新幹線に乗ったは富山ではなく長岡駅。旅行費用の関係なのかもしれないが、石川県から富山県を抜けて長岡までの長距離を走るのは時間の浪費とも思える。ひたすら富山県を抜けるだけのつまらなさを少しでも解消するためであろう、途中で高速を降りて富山市の西町にある、薬売りで有名な池田屋に立ち寄った。この西町は23歳から29歳までの間しょっちゅう歩いたところであり、ただただ懐かしい。高速インターからここに向かう間の車窓から眺める富山市には淡いかすれた記憶しかなく、知っている建物などを見ては隣りにいる家人に話しかけるのだが、彼女は4年間住んだ富山に愛着はなく、あまり興味を示さない。

 再び高速に入り、息子を連れて遊んだ常願寺川を眺め、朝日町のトンネルを抜けて視界が広がってそこは新潟県。富山から新潟に抜けるこの町の風景と、トンネルを出たときの明るい視界の広がりが好きだった。また、朝日町の海岸で友人と3人で夜中の海に入ったことなどが(一人はもう8年程前に亡くなっている)早送りのビデオのようにオーバーラップして見えた。富山から新潟に抜けるとき、親不知海岸の亀のモニュメントがある施設を歩いたのは10年前のことであり、家人もそのときのことを口に出して懐かしんでいた。日が落ちて車窓からはぽつりぽつりと灯りが見える程度であり、新幹線で大宮に到着したのは21時半。
 もう能登に行くことはないだろう。富山市はもう一度ぶらつきたいとも思うが、家人は行きたくないという。彼女には深い雪の道を、具合の悪くなった息子を背中に背負って一人病院に行き、その心細さで涙も出てきたという思い出が離れないらしい。もちろんそれ以外にも、いろいろな思いが錯綜しているだろうが、富山に行きたいかと言うと一人で行っていいよと話しに乗ってこない。
 ・・・送られてきた旅行パンフを見て来春3月の沖縄-八重山諸島に申し込んだ。9年前に行っているのだが再び行きたくなった。

2017年11月26日日曜日

早慶戦、本1冊

 23日は早慶戦。KO1時間前にバックスタンドに席を取りTYとともに観戦。最近3年間は25-25、32-31、25-23と接戦が続いて負けはしていないが、今季は敗戦もあると思っていた。対帝京戦の両校のスコアを見れば慶応の強さが感じられ、早稲田にはハンドリング・ミスや、時に見せるデフェンスの穴が印象にあって、勝利の確率は四分六ほどかと予想。しかし、その上でも早慶戦・早明戦はこれまでの戦績はあまり関係なくどう転ぶか分からないので勝つかもと期待もしていた。
 さて、前半は6-7と拮抗であるが、早稲田はノックオンのミスが目立ち、2PGだけ。後半に入り、距離のある3度目のPGが決まり、9-7とするもその後トライ&ゴールを重ねて決められて9-21となったときはこれは勝てないと確信した。しかし、ここからが素晴らしかった。FL佐藤が右隅にやっとトライを決め、ライン際からの大事なゴールをSH斎藤が鮮やかに決め、もう1T1Gで逆転の可能性が強くなった。そして、LO加藤主将の勝利へのトライで斎藤がきちんとゴールを入れて2点差のリードとなる。慶応の反逆はフェーズを重ね、早稲田は頼むから反則をしないでくれ、トライはされるなと念じ、それが伝わったわけでもあるまいが、早稲田は耐え、1分のインジュアリータイム後に斎藤のタッチラインへのキックで勝利をものにした。
 トライ数では負けていたので、最初のトライの難しいコンバージョンを決めたのがとても価値あるプレース・キックだった。最後ダメ押しのトライはスロー・フォワードで認められず、臨席のおじさん(CTB中野の高校の先輩)があれはミスジャッジと歎き、スタンドからも判定に抗する声があったが、帰宅後に録画で、芝生の刈り込みラインを基準に見ると、あれは確かにスローフォワードだった。これで2位確定と思ったが、明治戦に負けると2-4位のどれでもあり得る。12/3の早明戦ぜひとも勝ってほしい。(もし負けるならば接戦で4位の方が有り難い。なぜなら大学選手権の最初の試合を秩父宮で観戦できるから。)

 <アンベール/高橋邦太郎訳 『続・絵で見る幕末日本』(講談社学術文庫、2006年)>:「続」とうたれているが、こちらは全訳版である雄松堂出版刊(1969-70年)を底本としている。前回と同じく、庶民の生活の様子を軸として読んだ。挿画を眺めるだけでも楽しめるし、幕末期の江戸の家並みの中に身を置きたくなる。幕末期というとすぐに討幕派と佐幕派の戦い、そこに躍動する武士たちの姿、外国との交渉等々のパターン化した情景が浮かぶし、歴史の教科書も多くのテキストがそれら、いわば政治史的な描写が中心になっている。もっとも、そのような本だけに自分の目が向いていたのも事実である。
 著者は深い知識を有し、物事を見る眼が鋭く、冷静で人間味濫れる人だったと感じる。それを集約させる言葉が最後に記されている。引用しておく。「芸術作品を模写し、生産品の贋物をつくることは可能であるが、しかし、自由を真似ることはとうていできない。自由を把握しようとすれば、自由の高さまでみずからも高めなければならない。そのためには、多少の知識を身につけただけでは十分ではなく、完全な教育を受け、本当に内的に生まれ変わり、精神も魂も新しく生きることが肝要なのである。(改行)日本人は、現在、海洋と全世界の商業を支配するヨーロッパ諸国民の、手強い競争相手となりたい高邁な野心を抱いている。日本はヨーロッパ諸国民を打って一丸としたものと同等の力量を具えさえしたならば、必ずやその野心を達成することは確実である」。原著は1870年パリで刊行されたものであって、従ってこの文章は明治を迎えてからの日本をも意識していると思われる。その後の歴史を見れば、著者は慧眼の人だった。そして150年後の現在の政治の体たらく、というより政治家たちの低レベルさを思えば、著者の文章は何かしら皮肉っぽく感じられる。「明治」にとりつかれた人たちは、著者の文章に描かれたレベルであり、多分に著者の主張を理解できまい。

 慶応元年(1865)5月、家茂が長州征伐に進発してまだ半月もしないなか、19-20歳の男女を交えて進発の仮装で馬鹿騒ぎをした者たちがいた。このような庶民の動きが面白い。慶応2年には江戸には洋風が起こり、渡米した芸人がおり、慶応3年には町人のなかにも蝙蝠傘を開く者がでるようになり、築地にホテルが建ってええじゃないかの狂譟が生じる。以上『江戸編年事典』(稲垣史生)よりピックアップしたが、江戸庶民の生活史に触れるには、アカデミックな歴史書よりも三田村鳶魚の著作に触れる方が早道なのかもしれない。でも、そっちに走らないようにぐっとブレーキをかけている。

2017年11月20日月曜日

掃除終了、本一冊

 3日の間をおいて14日にキッチン周りの掃除を終え、15日には浴室やリビングなど1Fの掃除をすべて終了。勿論いつものように浴室ユニットバスのパネルや戸などはすべて取り外して分解し、隅から隅まで徹底的に掃除。途中予定外の作業も入ったが、朝から19時まで続けてさすがに疲れた。残っているのは網戸や外側の窓、玄関のたたきなどでこれはそのうちに(年内に)終わらせるつもり。

 18日、御徒町でいつもの仲間と納会。解散後は貝などを焼く店で軽く飲んで帰宅。息子一家がちょうど来たところであり、また少しだけ飲む。体力(耐力)が落ちたのか翌日は少しかったるい。朝風呂で酒精の気配を流し落とし、あとは何もせずにゴロゴロ。トンガ戦録画放送を観戦。ノートライは素晴らしい。ジャパンの攻撃もディフェンスもいい試合だった。

 <アンベール/茂森唯士訳 『絵で見る幕末日本』(講談社学術文庫、2004年)>:底本は1966年刊の東都書房版。江戸末期1863年4月に日瑞修好通商条約締結目的でで来日した、スイス時計業組合会長(元教師・議員)アンベールの日本見聞記。解説には離日した年月の記述がないが、1964年2月に条約締結となっているからそれからさほどの月日を経ずにスイスに帰国したと思われる。短期間で見た日本(特に江戸)の描写は丁寧で細部にわたっている。訳者は1940年に大使館秘書としてモスクワに滞在し、アンベールの露訳された本を入手し(世界で唯一の露文原書と書かれている)、抄訳して刊行したものがこの本に繋がっている。
 自分の興味は、江戸末期の市井の人々の様子に想像を巡らしたい一点にあり、この本は細密な絵とともに楽しませてくれる。現代に繋がる秘密隠蔽的な、あざとさを感じる政治中枢の人間たちにはアンベールも批判的なようであるが、この国の江戸末期の庶民の勤勉で奥ゆかしい、創意工夫ある姿には柔らかな高い評価の眼を向けている。庶民たちが外国人を見て、そしてまもなく風景の中に自然に当たり前の存在のように溶け込ましてしまうのは日本人の変わらぬ融通無碍の特質を思う。仏語原著からの完訳版も手許にあるので、続けて読んでみる。

2017年11月11日土曜日

掃除は一旦休み、本一冊

 さらに女房殿の部屋、そして自室と続けた4日連続の掃除も今日11日は一旦休みとする。立ったりしゃがんだり、腕を上げたり下げたり、真っ直ぐにしたり捻ったりと、さすがに4日も続けると体の張りを感じた。掃除ではなく別のことで心地よい疲労を覚えたいものだが、狭い世間を生きている我が身にそれはあり得るはずもない。

 <森田健司 『外国人が見た幕末・明治の日本』(彩図社、2016年)>:本書に登場する外国人は次の通り。マクファーレン、ペリー、ウィリアムズ&ハイネ、ハリス、ヒュースケン、オールコック、ゴンチャロフ、アルミニヨン、シーボルト、カッテンディーケ、バークス、ミットフォード、ロッシュ、スエンソン、ブラント、ロングフェロー、イザベラ=バード、クララ、カラカウア、黄遵憲、シドモア、ピエール=ロチ、ジョサイア=コンドル、イブラハム、ラフカディオ=ハーン、アーネスト=サトウ。知っている名前もあれば、もちろん初めての名前もある。また、ペリーの二度の来航時にサム=パッチ(仙太郎)なる日本人が乗船していたのは知らなかった。
 ヒュースケン(攘夷派に暗殺される)、シドモア(排日移民法を批判して母国アメリカを離れる)、クララ(勝梅太郎の元妻)、ロングフェロー(腕に蛇/背中一面に鯉の刺青)、サトウ、等々魅力的な人が多勢いる。
 幕末期に日本の美を目にした外国人の多くはその後の日本の行く末を案じ、明治に入って日本の変節を目の当たりにした外国人は、西洋化の流れに乗ったこの国を嘆く。来日時、日本に醜悪さを見た人は、この国の先を案ずることもない。恐らくこの思いは間違いないだろう。

2017年11月8日水曜日

掃除、漫画、ハードボイルド小説

 大掃除に取りかかった。まずは小屋裏の物置としているエリアで、家人担当の西側は既に済んでおり、昨日(7日)は自分担当の東側を朝から夕方まで大がかりに整理整頓、そして拭き掃除。13年間の積み重ねをリセットして疲れた。空間がすっきりし広くなった。
 そして今日はグルニエとスキップフロア、2Fの共有フロアを掃除した。掃除はいつものように掃除機→蒸気掃除→オスモワックスがけのプロセス。この日も疲れた。次は自室で、これが一番面倒。

 <山田英生編 『ビブリオ漫画文庫』(筑摩文庫、2017年)>:本をテーマとする漫画集で概してつまらないものが多い。その中で、つげ義春の「古本と少女」は随分と前に読んだ記憶があって、シュールな「ネジ式」とは異なりロマンティックな物語。
 南日れんの「舞子」は絵がきれいで官能的なストーリーにも惹かれる。最も好きなものは湊谷夢吉の「粗骨の骨」。彼は1950年生まれで早くして亡くなり、今では古本が数千円の値がついている。南日は1952年生まれで5年前に他界している。彼ら二人のマンガは他のものも読みたい。

 <柚月裕子 『孤狼の血』(角川文庫、2017年)>:新聞の広告などで目にすることの多い作家の小説を初めて読んだ。舞台は広島/呉原市。登場するのは警察とヤクザ。悪徳刑事とその下についた広島大学出身の新米刑事が主人公。スピード感があり、何層にもミステリーが重ねられ、楽しめた。女性作家という色合いを全く意識せずに楽しめるハードボイルド。著者の小説、もう一冊読んでみようかな。
 映画化される。キャスティングを見たら物足りなさが先に来た。

2017年11月4日土曜日

BDプレーヤー・プリンター、漫画・小説

 12年程前に購入したDVDプレイヤーを破棄し、Sonyの4K対応BD プレイヤーを購入。あわせてHDMIケーブルもハイスペックのものを購入し、その設置に数時間。これで心置きなくカメラで4K撮影ができる。BDレコーダーや前のDVDプレイヤーでは再生できなくなってきた古いDVDも受け付けてくれるのでピックアップ精度はかなりいいのであろう。
 自室のプリンターと、共有しているスキャナー/プリンターが同時期にヘッド目詰まりを起こし、エタノールなどを用いて前者は直したが、後者は何度トライしても回復せず、修理-確認を繰り返すとインクが無駄に消費し続けるし、もう限界と思い買い換えた。2台のプリンターは同じインクカートリッジを使用していたがもうそれは無理であり、初めてCANONのものを購入。以前のサイズより随分と小型化している。家電量販店の店員さんに相談をしているときに現有のプリンターを話したら、随分と長く使われていますね、といわれ、ある意味感心していた。そう、概して我が家の電気製品は長持ちする。

 <桝田道也 『日本全国波瀾万城』(新人物往来社、2012年)>:11の城を可愛い女性に擬人化して、城にまつわる歴史を描く。城が好きでこの漫画を手に取ったのではなく、『朝倉家騒動記』で好きになった著者に惹かれて購入。まま面白かった。

 <近藤ようこ/坂口安吾 『桜の森の満開の下』(岩波現代文庫、2017年)>、<近藤ようこ/坂口安吾 『夜長姫と耳男』(岩波現代文庫、2017年)>:20歳頃のある期間、坂口安吾の小説やエッセイを読み続けていた。『堕落論』からはじまって『白痴』などに入る普通のパターンに陥り、『黒谷村』に魅了され、『クラクラ日記』(坂口三千代)まで手を伸ばし、もちろん『不連続殺人事件』も楽しんだ。今となってはもう殆ど記憶に残っていない。ただ単に50年近く前のいっときに坂口安吾や織田作之助や、第三の新人たちの小説に惹かれていたことがあったというだけである。21歳の時に新井薬師駅(?)の小さな書店で織田作之助の文庫を買ったら、書店のオヤジに「若いのに渋い本を読みますね」と言われたことがあった。
 坂口安吾をいくつか再読してみようと数ヶ月前に何冊か本を買ってきたが、まだ頁を開かないでいる。手軽に漫画でもと思い最新刊の2冊を読んだ。これらから何を感じればいいのかよく判らないままでいる。

 <白石一文 『愛なんて嘘』(新潮文庫、2017年)>:6編の短編集。「愛なんて嘘」は全体を括ったタイトルであって、その名の短編はない。最後の「星と泥棒」以外はすべて今の男(女)と別れて前の男(女)のもとに向かうところで終わる。その男女の結びつき-別れ-再びの出会いは解るような解らないようなものであって、もしそれが「愛」ならば、「愛なんて」そんなものかと突き放してしまいたくなる。でも、突き放すも放さないも、「愛なんて」ものは大層なものではなくて自分を見つめるための媒介でしかなかろう。あるいは、「愛なんて」ものは自分の愚かさや、もしかしたら少しは輝いているかもしれない自分の内面を見つめ直す切掛となっているものであろう。人は、人どうしの「愛」をあまりにも美しく飾り立ててしまい、「愛」と「性愛」をややもすると混同しているのではなかろうか。

2017年10月29日日曜日

対抗戦大学ラグビー

 28日は秩父宮にはでかけず、テレビ観戦もなし。慶明戦は、明治が勝つと思っていたので慶応の勝利に意外。これから早送りで録画をみることとする。早稲田vs 帝京は、夏の早稲田のあまりの不甲斐なさが頭にあり、録画もせず、リアルタイムの速報も確認していない。終了後のスコアだけみたら40-21、正直なところ今はこのスコアでも善戦と思う。何せ夏は、メンバーが今とは違うにしても0-82と大惨敗だったので、それから見れば鍛え直したといっていいだろう。ハイライトで早稲田のトライシーンを見て、少しは溜飲を下げた。
 今後の早慶明の予想だが、微かに早稲田が下にいると思っている。慶明の試合はまだ一切見ていないので早稲田だけからの印象であるが、L/Oの精度が悪いしハンドリングエラーも、ペナルティも気になるためである。大学ラグビーはやっと佳境に入ってきたというところだろう。慶明の対帝京戦の内容・結果で早稲田の慶明に対するポジションがより明確になる。
 次の成蹊戦も競技場には行かない。相模原ギオンは遠いし、駅からも離れている。往復の移動に時間を潰す気にはならない。早慶戦・早明戦はすでにチケットを準備している(入場観戦料金が高くなっている)。
 今日は高校ラグビーの秋田県決勝を見よう。

2017年10月24日火曜日

新書に漫画

 高校ラグビー、花園への出場校が北の方から決まってきた。中標津、函館ラサール(来年も早稲田に来るであろう)、黒沢尻工の試合をオンデマンドで観戦。10/29には秋田工業と秋田中央が放映される。28日は秩父宮に行かない。

 <中村彰彦 『白虎隊』(文春新書、2001年)>:戦いの経緯にはあまり興味がなく、会津藩における教育や明治に入ってからの描かれ方に関心がある。「第7章 自刃十九士の発見とその後」に述べられる白虎隊関連を時系列でメモしておく。日付は明治5年までは旧暦。
 慶応4年3月11日/江戸開城 → 慶応4年8月21日/母成峠の戦い、同日夕/十六橋の戦い、夜/戸ノ口原の戦い → 8月23日朝に若松城下に新政府軍が突入、白虎隊士中二番隊の隊士の一部が飯盛山で自刃 → 慶応4年9月8日/明治の改元の詔書 → 明治元年9月22日/会津藩は新政府軍に降伏 → 明治2年2月まで会津藩戦死者の埋葬が許されなかった → 明治2年3月4日付けで郡役所へ改葬とと供養を願い出る → 明治2年4月28日付、新聞『天理可楽怖』に自刃十九士の節義と殉難の物語が初めて報じられる → 明治10年/西南戦争、少なくとも二人の白虎隊生き残りが出征、旧会津藩士にとって西南戦争は戊辰戦争の雪辱戦 → 西南戦争終結後、飯盛山への参詣者が次第に増加、並行して墓地も整備されていく → 明治16年小学国史に白虎隊が登場、奥羽越列藩同盟軍を「賊」と一括するこの教科書のなかで、白虎隊のみが特筆された → 明治17年8月25日/17回忌、飯盛山には自刃者たちの合葬墓が建立、墓前祭開催、「少年団結す白虎隊」で始まる漢詩「白虎隊」を霊に献げ、当日、私立中学会津日新館の生徒19人がこの詩吟を受けて剣舞を奉納 → 明治23年/合葬墓は19士それぞれの墓碑へとあらためられた → 日清戦争(明治27年~同28年)後、ロシアとの対決ムードが昂まるにつれ、白虎隊は忠君愛国の鑑とされ、全国にその名が喧伝される → 明治35年/唱歌の教科書として『白虎隊』が出版 → 明治36年4月/国定教科書に登場 → 明治38年/文部省唱歌「白虎隊」として子どもたちに教えられるようになる → 大正6年/戊辰戦争における会津藩戦死者の慰霊を目的とした財団法人会津忠霊義会が組織 → 大正15年5月28日/飯盛山で白虎隊墳墓拡張落成臨時祭典が盛大に開催、今日の白虎隊広場とそれにつづく参道とは、このとき造成されたもの → 昭和3年/イタリア政府が古代ローマ宮殿の石柱を白虎隊広場に寄贈 → 昭和6年/生き返った飯沼貞吉が78歳にて仙台で死去 → 昭和10年/駐日ドイツ大使館書記官が「ドイツ碑」を寄贈 → 戦後若松入りした進駐軍は、怒りで、ローマ碑の「ファシスタ」党章と碑文は削られ、ドイツ碑は破却されようとしたが床下に隠され破戒を免れた → 昭和27年/霧島昇の歌う「白虎隊」が大ヒット → 昭和31年/白虎隊記念館がオープン → 昭和61年/日本テレビが年末時代劇『白虎隊』を二日にわたって放映 → 平成5年から翌年にかけて会津忠霊義会が飯盛山白虎隊霊域整備のために募金、目標2,500万円に対し全国から43,526,000円が集まった。

 <竹田一義 『ペリリュー -楽園のゲルニカー 3』(白泉社、2017年)>:ほんわかした柔らかいタッチでペリリューでの日本兵の惨状が描かれる。

 <有馬哲夫 『こうして歴史問題は捏造される』(新潮新書、2017年)>:あえていえば公文書至上主義と自称し、グローバルヒストリーを勧める著者の明解な主張であり、反証可能性の重要性はよく理解できる。著者の「そっち系」への批判に首肯するが、2点について抗いたくなる。一つは靖国神社に対する態度であり、「国のために命を捧げた人々を国立墓地に埋葬し・・・」とあるが少なくとも靖国は国立ではないし、靖国に「参拝にきた方は、どこの出身かは差別せずに、日本という国のために命を捧げた人に感謝し、手を合わせているのです」と述べるに当たっては、短絡的な、学者らしからぬ捉え方と思う。それに、「自虐史観」をごく普通に当たり前の用語として多用しているが、この用語には「あっち系」の方々の主義主張を色濃く含むものであって、出てくる度に違和感を覚えた。

2017年10月22日日曜日

長雨、不要品の処分

 秋霖。少しの雨の合間にウォーキングに出かけようにも今の雨は後の村雨でもあり、またいつの間にか冬が近づいてきたような凄雨の日もあり、結局は家の中にいることが多くなる。そして雨台風がやってきて、明日にかけて地域のよっては澎雨ともなる。

 本を多量に処分してきたが、今度はあまり使わなくなったソファや椅子、健康器具などを廃棄した。リサイクルの店で引き取ってもらえないものもあり、それらは粗大ゴミに出せば良いのだが、ある程度まとまらないと引き取りに来てもらえないし、それなりの費用もかかる、ということで一般ゴミに出せるように自分で分解・切断した。それも霖雨のなか、駐車場の屋根の下で数日間にわたって行い、一昨日に終えた。断捨離とは言えないまでも、家の中の不要なものは少しずつ捨てていこうと思っている。

2017年10月16日月曜日

本3冊

 <中村彰彦 『脱藩大名の戊辰戦争』(中公新書、2000年)>:サブタイトルは「上総請西藩主・林忠崇の生涯」。『明治維新という過ち』(原田伊織)のあとがき(中村)で、「自ら家臣とともに脱藩した上総請西藩林家当主林忠崇」を知り、絶版となっているため中古本をAmazonに発注。
 脱藩後の経由は省略。あちらこちらを経由し会津若松にも滞在している。会津藩開城降伏の2日後、仙台にて「降伏謝罪」を勧められて受け容れた。簡単にいえば、忠敬の脱藩は徳川家を守ることであったが、徳川家の絶家は免れた。この時点で忠崇の戦う大義は失せたようだ。その後はどうなったか、要略する。
 2年4ヶ月の謹慎(他家預り)→明治4年に赦免→実家預り→請西村に帰農/元請西藩大名が自分の陣屋跡にて野良着股引姿で鋤をふるう→明治6年東京府に10等属(最下級)の官員として任用され学務課に勤務→明治8年中属にまで昇進→辞職(知事とそりが合わなかったヵ)→函館に下り豪商の番頭となり各地の取引所へ出張し商業を学ぶ→2ヶ年で閉店となる→植木屋の親方とか寺男の名目で龍源院に住み込む→大阪府属官となる→旧大名諸侯は藩知事となると同時に公卿ともども「華族」という新しい身分を与えられた。唯一の例外が請西林家。慶応4年5月の時点で領土を没収されていたため林家は諸侯の身分を失っていた。従って林家は華族ではなく士族の身分 →→→ 明治27年従5位(47歳のとき)/宮内省の一部局へ出仕し庶務課に勤務→病で離職/旧領地にて病を養う→明治32年日光東照宮に神職拝殿詰めとして勤務→大正4年68歳にて岡山県下に転居/次女の嫁ぎ先に同居→昭和5年次女離婚し83歳の忠崇はその次女と共に東京に戻る→昭和16年1月、次女の経営するアパートにて死去、享年94歳。
 次の二句に強く惹かれる。
   琴となり 下駄となるのも 桐の運
   真心の あるかなきかはほふり出す 腹の血しをの色にこそ知れ
後者は昭和16年に満92歳でなくなった真の「最後の大名」である忠崇の、明治元年に詠んだ辞世の句である。つまり、満19歳で詠んだ句に籠められたものを73年間変わらずに抱き続けたのである。

 <小谷野敦 『文豪の女遍歴』(幻冬舎新書、2017年)>:著名作家62人の女(男)遍歴を記す。不倫だとか下半身事情とか、異性愛とか同性愛とか、秘めたるものに興味を示すのは世の習い、人の習いであって、作家とかインテリのそれはなおさらにスキャンダラスで面白い。紹介された女を美しくないので気持ちが傾かないとか、屁理屈をたてて女性編集者にせまるとか、心中してくれるか否かで相手を選ぶとか、まぁいろいろとある。
 平塚らいてうが若い燕とした奥村との間にできた長男敦史は早稲田大学理工学部機械工学科の教授で、48年ほど前に自分は弾性学の講義を受けていた。宇野千代に一方的に思いを寄せていたらしい梶井基次郎は醜男だったので宇野は相手にしなかったらしい。20歳前後の若い頃、『檸檬』を読んでその瑞々しさというか、まあ魅惑されたのであるが、梶井の醜男ぶりに小説と現実の大きな乖離を感じたものである。己惚と嫉妬心の強い林芙美子は、その容姿からさもありなんと思ったものである。そんなかんなで多少は知っている作家たちへの勝手な思いを頭の隅において彼ら彼女らの女(男)遍歴をさっさと読むのは時間潰しに最適。

 <木内昇 『ある男』(朝日文庫、2015年)>:幕末から明治19年頃までの時代を舞台に、時代に翻弄された7人の「ある男」たちの生き方、生き様を描く。世に埋もれた人生ではあるが、それぞれに自分の「大義」を持っているがゆえに各短編に清々しさを感じる。
「蝉」:尾去沢鉱山から東京に出て井上馨に訴えを図るが果たせるわけもなく銅を掘り続ける。「喰違坂」:岩倉具視を斬った男と上司に媚び諂うことしか能のない警視庁官吏のやりとり。「一両札」:紙幣贋作を依頼された老人の矜持。「女の面」:民の声を聞くという意味が分からない旧弊な地役人の戸惑い。「猿芝居」:ノルマントン事件で中央の指示に翻弄される地兵庫の官吏。「道理」:東京から会津に逃れ農民相手に塾を営む元佐幕派の男。会津三方道路建設で負担を強いられる住民の相談にのる。「フレーヘードル」:自分の思いをぶつけられる相手を見つけた寡黙な農民の戦い。どの短編も読んだあとには喉越しの良い清涼飲用水を飲み込んだようになる。いい小説である。
 刈部直の解説で、「蝉」の主人公が銅山で働くことをさして、その生活は「シベリアの虜囚ほどに過酷な生活」に近いとするが、「同じ話に出てくる東京の車夫や飯盛女に比べれば、まだ恵まれた環境だろう」という。ちょっと待て、この学者は果して鉱山労働に知悉したうえでそう述べているのだろうか。このように形態の異なる労働を唐突に引き出して「過酷な生活」の比較を安易にすべきではなかろう。「車夫」は「俥夫」がいい。

2017年10月15日日曜日

13日とラグビー観戦

 10月13日(金)の朝、今日は何の日か分かるかと家人に謎かけをし、今日は何日だっけ、13日の金曜日か、と返され、少し間を置いてからああそうかと続いた。年齢を重ね、毎日が日曜日だと日にちの感覚もなくなってくる。自分にとってもスマホのアラームがなってこの日が何なのか思い出したようなもんである。43年前の我々はもちろん20代のど真ん中で、多分まだ初々しかったはずで、70歳に手が届く今の年齢の自分を想像すらしなかった。

 14日、今季初めての秩父宮でラグビー観戦。早稲田vs筑波で、既に慶応・明治に負けている筑波に対して早稲田はどう戦えるのか、スコアはどうなるのか。大事な一戦であったが、スコアから言えば33-10とまあまあと言うところである。
 雨だったせいか双方ともキックを多用し、スコアが動かない。最初のトライは16分過ぎの筑波で、早稲田はその約4分後に斎藤の大きなゲインから左WTB佐々木のトライで追いつき、前半は14(2T2G)-5とロースコア。後半に入って修正されたのか、キックオフ後に何度かフェーズを繰り返してノーホイッスル・トライ。筑波に1トライ返されたものの後半は3T2Gで最終的には33(5T4G)-10と勝利。観客席から観ただけの感想であるが、早稲田はスクラムとラインアウトの課題が大きい。スクラムでは筑波に右に回されるし(1年3番の久保が狙われている?)、ラインアウトはかなり精度が低い。獲得率は5割ほどであろう。それに雨のせいもあろうがハンドリングミスが少なくない。そしてペナルティを繰り返す。6回ほどの中でハイタックルが2回、コラプシング(スクラムとモールで)が2-3回ほどあったのでなかろうか。あとはラインオフサイドとノットリリースもあった。ディフェンスでは早いタックルが目に付いた。筑波が前にあまり出てこないのかもしれないが、タックルの早さに両校の差があった。斎藤は相変わらずいい動きをしているし、タッチライン際からのプレースキックも決めていた。弱さはやはりFWD陣で、特にセットプレーの安定が求められる。後半の後半にメンバーが交代してスクラムは安定したが、これは筑波の疲労なのか早稲田がよくなったのか分からない。筑波はこれで3敗。対抗戦グループからの出場枠は4なので大学選手権出場はまずなくなったと思っていいだろう。筑波は弱くなった。ディフェンスもオフェンスも何か緩い感じがする。オープン攻撃も右からだけでバリエーションがなくワンパターンの印象がある。
 この日は雨模様で、座った席はバックスタンドのセンターライン延長線上の一番上。傘を広げても迷惑にならないことを思ってのことだが、結局はポンチョですっぽりと全身を覆ったままでいた。このIKEYAで買ったポンチョはいい。
 写真は試合開始のキックオフで黒木が高く上がったボールをキャッチしようとしているところ。観客は少ない。下は後半開始前で、傘が開いている。相変わらず観客は少なく、早稲田の試合が終わったらもっと少なくなった。帰途につき、横目で次の試合の準備をする帝京陣を見たが、彼らの体の大きさは抜きん出ている。



2017年10月7日土曜日

読むのに難儀

 <石川忠司 『吉田松陰 天皇の原像』(藝術学舎、2016年)>:冒頭からフロイトの「神話」、ホッブズの社会契約論が解説されて戸惑い、次にヒュームが出てくる。躓きそうになるのをこらえて孟子に進んで、やっと少し落ち着く。孟子の「仁」や「仁愛」で松陰に近づきつつあるなかで、「志賀直哉や宇野浩二はくだらないし、田山花袋はもっとくだらない」と書かれるところではまたしても頭の中は戸惑ってしまい、なんでこうも回りくどい論じ方をするのかと不満が増してくる。
 「松陰が理想とする君臣の関係は無条件に親和的につながり、自他の区別がつかない創造的なつながり、切っても切れない家族的・絶対的なつながりであって、ここに当然のごとく物質的・具体的担保はない」と論じられ、つづけて「吉田松陰が希求する日本の「正統的」な支配者としての天皇は、臣下の「死」を物質的・具体的な担保としてはじめてこの世に現出しリアリティを帯びる」とする(115p)。このあたりでやっと核心に触れてくるが、桑田佳祐やボブ・ディランの描写を経由するのには、辟易する。
 「天皇は「忠誠」が充填された一般規則の上に乗っかっているだけに等しい」の「吉田松陰の言葉を」「論理的に敷衍すれば、人民が天朝への「忠誠」心によって一般規則を活性化・実体化し近代的な主権国家を立ち上げ、天辺にいる天皇はそれをただ黙って承認しているのが日本の政体になる」(103p)。もちろんこれは概念的にはいまの天皇制につながっている。天皇は、「正統性の誇示以外能のない純粋な「正統性」であって、担わされている機能は新たな政治の中心=統治の中心ではなく、あくまでも既成の政権に対して断固「否」を叩きつける反骨と否定性の塊」であって、だからこそ、明治になって薩長土肥が政治の中心に存在し、松陰を持ち上げることにもなったといえるであろう。しかし、回りくどい文章ではある。最後に結論めいて結ばれるのは、「重要なのは、というか精々できるのは、まず吉田松陰のような破格の人物を等身大のレベルに引き下げない、「優れた教育者」や「真の愛国者」などといった衛生的なイメージで語らない、つまり破格な人物が破格であるがゆえに必然的にそなえる暴力性や不穏さを丸ごと受け容れて、自らその境地を目指すということではないか」。この文章、前半はその通りだと思うが、後半からの「自らその境地を目指すということ」が具体的にどのような営為をいわんとしているのか判らない。
 西欧の哲学者、孟子、近現代の日本の思想家、ポップスの歌手たちが語られ、自分の頭が方向性を失い、例えば、「1960年代以降のマイルス・ディヴィスの仕事が典型的にそうであるように、吉田松陰が生きた「神話」もまた、」と書かれた文章にはただただ呆然としてしまう。
 大学で著者と同僚の教授が解説をしている。そこでは「田山花袋」的な解説と予めことわり、頁をすすめると「芭蕉的に余計なものを削ぎ落としたロジックの煌めきからは」という文章に戸惑い、「松陰の生涯の紹介を「田山花袋」的に補うと」と続けられると、一体何なんだここれはと放り出したくなる。芸術学部文芸学科のセンセたちはこういう論理構成や飾り方を多用するのであろうか。若い頃読んだ大江健三郎の書き物に次なようなものがあったのを記憶している。すなわち、「桃色フリルはたくさんあれど、サブスタンスはただ一つ、それは下着、詩ではない」と(文章表現は正確ではないかも)。もうちょっと皮肉っぽく書けば、たとえ自分の穿いた下着の有り様を表現しようともその奥にある真意は膨らみや微かに透けて見える陰影から想像するしかなく、見る側としては目を逸らし、直視することはない。

2017年10月6日金曜日

ノーベル文学賞、小説2冊

 今年度のノーベル文学賞にカズオ・イシグロが決定。村上春樹はまたもや逃したとの報道がなされている。カズオ・イシグロの小説を最初に読んだのは「わたしを離さないで」であり、続けて時代を遡るように「日の名残り」(名作!と思っている)、「浮世の画家」、「遠い山なみの光」、「夜想曲集」と続けて読み、その後3冊が未読のままになっている。氏は「村上春樹氏やSalman Rushdie、Margaret Atwoodのような作家らより先に受賞が決まり、「ある意味で気まずい」とも述べている」らしい。
 新刊がでると必ず話題になる村上春樹については、氏の小説は一冊も読んでいない。数十年前に友人が薦めて貸してくれた一冊を読み始めたが、どうにもつまらなくて途中で投げ出してしまった。以来、結局は村上春樹の本は読んでいない。いま読めば異なる思いを抱くかもしれない。

 <乙川優三郎 『R.S.ヴィラセニョール』(新潮社、2017年)>:ブックカバーで蓋って、本のカバーや帯に要約されている短文も予め見ることなく読み始めた。従ってまっさらの状態で予断もなく、この小説に入り込むことができた。小説を楽しむときはこれが最適なのであろうと改めて思った。種々の賞に応募された原稿を手にし、何の情報もない状態で小説に目を通す選考者たちはある意味贅沢な読者なのかもしれない。一般読者が小説を読むときは既に何らかの宣伝文句-フィルター-を通しているわけで、真に小説を楽しむときはそのフィルターは余計な邪魔ものなのであろう。この小説は、書名だけを見ればどのような内容を描いているのか判らない。単に著者の小説を楽しんでいる自分からすれば、ただ乙川さんの小説であるというだけで手にしているだけである。そして、その動機だけで-つまりフィルターなしで-読んで良かったと思う。
 著者がよく舞台にする房総で、独り染色工房を営むのがレイ・市東・ヴィラセニョール。フィリピン人の父を持ち、母の国であるこの日本で伝統工芸の染色に打ち込む。絵画や工芸を題材にするのは著者の小説によくあるのだが、その伝統美や色、造形などを表現する文章にはいつも感服される。登場するのはレイの父と母、友人である現代琳派の画家、主人公と同じメスティソで草木染を生業とし且つ探求するロベルト(日本人の母とメキシコ人とのメスティソ)、父の弟、などがメイン。読み進めるうちにマルコス時代のフィリピンが重要な背景にあることを知る。この小説の書名には、R.S.VILLASEÑOR The People with a PASSION for Living、とサブタイトルが付されている。レイの情熱は染色にあり、ロベルトのそれは草木染で、父のPASSIONはマルコスの圧政時代から消えずに続いている。
 ピックアップした文章を幾つかメモしておく。「あれは色に対するある種の逃げではないかと思う。金よりもプラチナを好む国民性、目立たないことを優先する習性、優れたデザインよりも保証書を信じる堅実さ、迷うと中間をとる決断力のなさ、そいうものから醜い衣装や建物も生まれる。伝統文化のうちに多くの優美なものを持ちながら、遠くに眺めて生活の中に置こうとしない、色や形状の美に淡泊な人たち。渋好みの裏には華麗で繊細で工夫に満ちたかつての華やかな文化を捨てた日本人が見え隠れする」(16頁。“あれ”とは渋好みを指す)。「しかし、虚栄心が強く、野望と蓄財の才はあるものの、軍人としては無能な男にできたのはマニラホテルのペントハウスに暮らして黴臭い軍事計画に寄りかかり、兵隊の訓練も装備の点検も怠り、惨敗した揚句の「アイ・シャル・リターン」でしかなかった」(159頁)。(羽田を飛びだった機中で、2、30代の若い男たちに対して)「一様に微笑を浮かべ、そこそこ行儀よく、声は小さく、贅沢な旅行のはじまりに自足している。そこが不気味でもあった。人との深い関わりや尊い目的のための労苦を面倒がって、本当の友人や恋人を作らない。自分のうちにすべてがあると信じて、他者に無用のレッテルを貼り続ける。立ち向かえば手に入る大きな可能性や美しい世界を夢見ない。たぶんそんな人種であろう。無理に自分を追い立てずとも、出すものを出せばジェット機がたちまち別世界へ運んでくれる」(218頁)。著者の筆先がいつもより鋭く感じる。

 <沼田真佑 『影裏』(文藝春秋、2017年)>:第157回芥川賞受賞作。小説の読み方は人それぞれで、その人のなかでも読み方は変わる。物語の構成の巧みさ、場面の切り返しと連続性の接合方法、あるいは紙の上でおどる人の時々の状況の嵌め込みや繋ぎ、こういったようなものは多分に小説技法とでも呼ばれるものであろう。他方、小説から作者は何を伝えたかったのか、何を提起したかったのか、あるいはどのようにこちら側の胸を突き刺したかったのか、等々、作者の内面をうかがうような読み方もある。この小説、結局は上手く構成し、時と人をつなぐのであるが、何を伝えたかったのか読めなかった。芥川賞受賞なので高い評価であろうが、読んでみて、関心の向かない主人公に「あっ、そう」と思って通り過ぎただけ、そんな小説だった。

2017年10月2日月曜日

足利でラグビー観戦

 10/01、家を10:30頃に出て、春日部で11:06発東武伊勢崎線久喜行きに乗り、久喜で舘林行きに乗り換え、そこで再び伊勢崎行きに乗り換えて足利市駅に到着したのは12:11。外苑前に行くときに要する時間と同じようなもので、電車賃も足利に行く方が60円高いだけ。もっと遠い印象を持っていたので正直こんな近いのかと認識を改めた。車ではなく電車に乗ったのは、ラグビー観戦以外に特に回ろうとも思っていなかったこと、および、ただ何もせずに車を運転するよりは電車内で本を読んでいたかったことが理由。耳から音楽を流し、目では小説の文章を追いかけていた。
 Kick Offは14:00なので、駅を出てから渡良瀬川を渡って昼食を摂ろうとしていたが、店がない。シャッターが降りている店も多い。地方都市の衰退を少し感じながら足利総合運動公園に歩を進め、やっと(!)目に付いた蕎麦屋に入って、ビールと天蕎麦を注文。ビールはアサヒですかキリンですかと聞かれ、サッポロやサントリーは無いのだとビール業界の優劣を感じ、1150円と安価な天蕎麦は量も多く美味しかった。蕎麦も腰があって美味かった。

 一般席の2倍もする2000円の中央席入場券を購入し、センターライン延長線上より少しだけずれた席に座った。オンデマンドはこれで放映するのだとやや小ぶりのカメラを左上に見て、競技場内に目を移すと、もちろんそこはランニングのトラックに囲まれたフィールドであって、ラグビー専用でないことにもの寂しさを感じる。観客も多くはない。山下監督のスラックスは相変わらず踝あたりまでしかない。いつもそれが気になる。青山学院は丸坊主の選手が殆どで、仏教系の大学かと勘違いしそう。

 校歌を流す準備が整い、早稲田の選手たちも一列に並んで胸に手を置いている。なれどなかなか音楽が流れない。数分間そのまま待っていたら機械の故障でお待ちくださいととのアナウンス。されどまだ流れない。結局はこの日の両校校歌演奏は中止となった。何か幸先が良くない。

 14:00に正面席から見て左から右に青山学院のKick Offでスタート。ここからは経過を書かずに全体の結果と感想のみをメモする。前半は40(6T5G)-12(2T1G)。スピードある展開ですぐに26-0となったときは、青山学院のディフェンスはかなり弱いと思い、今日は1分1点もしくは100点超えもあるかもと思ったが、右に大きく振られて青山学院がトライ。さらに続けてトライされ、26-12となったときは、トライの取り合いかよと嫌な予感がした。
 終わってみれば94(14T12G)-24(4T2G)と大量得点だったが、フラストレーション満載の試合だった。最初のパスで大きく振られて綺麗にトライされ、相手スクラムやラックの時は近場に穴があいてそこを攻められている。そこを何度も攻められ、ゲインもされ、ピンチも重なった。ラック際のディフェンスの弱さはかなり大きな課題。トライの多さは早稲田を褒めるよりも青山学院のディフェンスの弱さを指摘すべきであろう。
 早稲田はキックを使わずにパス回しで攻めている。ハイパントなし、相手裏へのキックなし、それにターンオーバーもジャッカルもなし。タックルももっと力強さが欲しい、一段上の鋭さが欲しい。タックル後の寄せやめくりが少ない。何だろう、厳しさ、激しさが今ひとつ伝わって来ない。
 印象に残るのはFB古賀。ボールを持つと早いし、タックルされても簡単に倒れず必ずゲインする。梅津もボールを持つとよく走るが、古賀の方が突破力は上だろう。CTB中野はやはりいい。CTB黒木は目立たないがきっといいパフォーマンスをしているのだろう、こっちが気付かないだけで。SH斎藤はGKの精度が素晴らしい。タッチライン際でも入れている。青山学院のSHはチームの核になっていてキビキビしていい動きであった。
 2週間後には筑波戦。この試合で早稲田の今季のレベルがより明確に判ると思う。ディフェンスを修正しないと厳しい試合になるだろう。

 正面の反対側には早稲田の旗が振られ、座った席の後ろからは“宮里~リフト”の大きい声が何度も響き渡り、うるさい。時々ほんのりと女性の化粧の香りが流れてくる、大キライ。

 帰りは再び足利市駅まで歩く。初めて見る屋台カフェが出ていた。縁結びの織姫神社に行ってもこの年齢になれば結ぶものも結ばれるものもないし-切りたいものはある-、途中にある鑁阿寺(ばんなじ)の境内を通って帰る。帰宅は18:20頃。



2017年10月1日日曜日

幕末の会津関連の本、現在のキューバのエッセイ

 <星亮一 『呪われた明治維新』(さくら舎、2017年)>:書名をフルで書くと、『呪われた明治維新 歴史認識「長州嫌い」の150年』であって、著者名とこのタイトルだけで会津を舞台にしていることが分る。9章で構成されているが、どの章も短い項目で区切られていて継ぎ合わせのようでもあり、物足りなかった。その物足りなさは、すでに何度も読んでいる「会津の惨劇」、「長州の横暴・残虐」をまたもや読んでいるからである。しかし、何度読んでも、幕末と明治期に会津が被った悲劇・惨状、長州の仕打ちは想像を超え、幕末期から明治にかけて会津の地に生きた士たちの思いは、消えて何かに溶け込むというものではなかろう。そこには長州出身政治家たちへの「官僚の忖度」も重ねられたであろう。
 そして、明治と改められて日本の何かが失くなり、変質したとの認識は変わりようがない。消えて失くなり、変質せざるを得なかったこの歴史の基底にあるものは何なのか、自分ではぼんやりと答えを持っているのだが、まだまだ輪郭が形作られていない。

 <若林正恭 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(KADOKAWA、2017年)>:書店に平積みされていたお笑い芸人のこの本、「書名」と「キューバ」に惹かれて買ってしまった。内容は、父親が行きたがっていた「キューバ」という媒介を通して、日本・東京にいる自分を見つめ続けるというもので、決してキューバを紀行しているものではない。文章は読みやすいのであるが、時折捏ねくり回して陳腐になっているところもある。往々にして片仮名の用語を使う箇所にその傾向が見受けられる。且つ深味がない。
 ヘミングウェイの「銅像を見ながらヘミングウェイがなぜキューバを選んだのか勝手な憶測を頭に回し、楽しむ」という文章があるが、その憶測と楽しみ方に少しでも掘り下げて触れておくべきであろう。そのような浅さが全編を通してある。また、「新自由主義」が頻出するが、若林がそれをどう解釈しているのか述べていないので、単に良くも知らないが流布している用語をカッコよく使ってみた、というような薄さもつきまとってしまう。
 この本の良いところは、書名(秀逸)とカバー写真の二つ、そして、自分を見つめながら旅行している著者の素直な態度であろう。残念なのは、カバー表紙の、「カバーニャ要塞に寝転んでいる犬」の写真に内容が追いついていない。

 キューバ、勿論カストロやチェ・ゲバラであるが、最初に結びつくのがBUENA VISTA SOCIAL CLUBであって、CDで音楽に触れ、DVDでキューバの風景と人と音楽に強く惹かれた。もう20年近く前のこと。アメリカと国交復興になり、今後緩やかに変化(例えばクラシックカーの減少)していくのだろうか。

 <菊池明編著 『新選組三番隊長 斎藤一の生涯』(新人物文庫、2012年)>:会津藩士(といっても明治になってからの会津藩士)で、藤田五郎ととしての墓は、何度もその前を歩いたことのある会津若松市七日町にある阿弥陀寺。新撰組で剣の達人で、最近になって53歳頃の写真がみつかったことで話題を呼んだ。(2番目の)妻の時尾は会津の人間であり、叔父は会津戦争で亡くなり、禁門の戦いで死に、従兄弟は白虎隊士として自刃しおり、時尾自身も山本八重とともに会津戦争で戦っている。山口一・斎藤一・山口次郎・一瀬伝八・藤田五郎と名を変え、江戸から京都、会津や新潟を経て斗南と移り、最後は東京で生涯を閉じている。斎藤一の名は知っていたが、本書で全体像を知り得た。会津に関する描写も何度も出て来てなつかしい。そして会津に暮らしていた頃は、幕末歴史や会津戦争や、会津の苦難などについて何にも知らなかったと、いまさらながら恥じ入る。
 この世を去ってから、己の生涯を振り返られるのはいいことなのかどうか、放っておいてくれとも言いたくなるのではないか。歴史に残る人物であっても、政治家たちとは違って、斎藤自身はただ単に己の人生という枠組みの中で生きてきたのであって、幕末を彩るような存在として個人史をほじくり出されるのは迷惑千万ではないか、そのような思いがした。斎藤一という人間個人の生涯・輪郭を知ることで、幕末の状況や明治の時代に触れたいと期待したのだが、その期待を本書からはさほど深くは感じ取れなかった。斎藤個人についても何だかよく分からない。史料が少ないし、斎藤一自身の記録がないのだからしようがないのだろう。

2017年9月28日木曜日

小説と漫画

 <佐藤巖太郎 『会津執権の栄誉』(文藝春秋、2017年)>:会津芦名家18代当主盛隆が弑逆され、嫡子亀王丸は3歳で夭折し、天正15年(1587)に20代当主になったのは常陸佐竹家から婿養子として来た義広。天正18年(1590)に伊達政宗が小田原にて死に装束で秀吉に謁見したときを除いて、物語はほぼ猪苗代。蒲生氏郷がまだ会津に入封する前なので、若松の地名はまだ黒川であった。その数年間に於ける芦名家の内紛から滅亡までの物語が編まれている。
 「湖の武将」:富田隆実が猪苗代盛国の裏切りを知り、盛国を討って家臣筆頭金上盛備に報いる決心をする。「報復の仕来り」:佐竹家家老の家臣を玄番が斬り、その惨殺を目撃していた野村が表れる。野村を襲ってきた玄番は野村に短刀で討たれるが、それは須貝を不条理に殺した玄番への復讐であった。「芦名の陣立て」:伊達正宗の家臣が猪苗代城に入り、黒川城にも危機が迫る。芦名・佐竹連合と伊達は対峙し、佐竹と芦名の間もぎくしゃくする。偵察をしていた金上家臣は判断を誤り、嘘をついてしまう。芦名側は富田を第一陣とした陣立てにした。「退路の果ての橋」:橋は日橋川の橋。「会津執権の栄誉」:金上盛備は原で討ち死にする。ここに会津芦名は滅亡する。「正宗の代償」:正宗は小田原に参じて秀吉に謁見する。死に装束と懐刀の場面は緊迫感があって引き込まれる。
 史実に基づいた人名・地名が出てき、時折Googleマップで場所を確認しながら読んた゛。母校会津高校の前進旧制会津中学校歌には、”葦名蒲生の昔より松も緑の色変へず”の一節がある。猪苗代出身の友人にも年に何回か会っている。会津に生まれていないせいか、中学・高校時代は会津に愛着があったわけではない。友人たちの会津に関する知識は豊富で、やっと最近になって彼らの会津への愛着に近づいてきたような気がする。芦名滅亡後、義広は実家である常陸に逃れ、関ケ原の戦い後秋田角館に移っている。角館にはもう何年も訪れていないが、従兄弟が住んでいる。また、伊達が会津に攻め入ったとき、奥会津の中丸城主山之内は抵抗を続けた。この中丸城は現在の金山町横田にあった山城で、オレはこの地の小中学校を卒業し会津高校に進んだ。この年になってやっと自分が暮らした過去に長い歴史を感じている。遅過ぎるヵ。

 <石川雅之 『惑わない星 2』(講談社、2017年)>:物理学に偏ってきている。もうちょっと違う色合いを期待しているのだが、惰性で頁を開いている。
「宇宙は人間に観測されるためにのみ存在している」、含蓄があるなぁ。

 <雨瀬シオリ 『惑わない星 2』(文藝春秋、2017年)>:神高が1回線に勝利した。この漫画かなり倦きてきた。もうここで止めてしまおう。時間が勿体ない。

2017年9月26日火曜日

また幕末・明治の本

 <原田伊織 『明治維新という過ち』(講談社文庫、2017年)>:サブタイトルは「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」。単行本の”改訂増補版”を購入していたが本文庫が”完全増補版”となって出版されたので追加購入し、前のものは古本屋に送った。
 著者の思いの丈を、文献を引用しながら、また現在状況にも言及しながら、作り上げられた「明治維新」の虚偽を暴く。指摘は鋭く、言葉は激しい。
 明治新政府を作った新政府指導者たちはそもそも新政府のビジョンを持ち合わせていなかったのでなかろうか。敵を倒して新たな体制の中心に座するとまずは「自己の正当化」=「旧体制の否定」からはじまるのは世の常である。例えば、企業でも上に立つ者が地位を高め、或いは新たな部署の上に立つと、最初に組織改編の謳い文句で前組織の欠点をあげつらい、新たな体制を組もうとすることはよくあることである。そして自画自賛をチラチラ出しながら、正当化への論理を重ねる。明治のリーダーたちに批判的なのは、その正当を構築するために江戸時代のあらゆる文化などを消滅し、いわゆる「官軍教育」を築き、それが今も続いていること。
 繰り返すが、歴史は連続性の上に築き上げられていくものと思っている。しかし、いわゆる明治維新では、それまで培われてきた江戸期の文化やあらゆるものが、スパッと切り落とされてしまった。そんな思いへの裏付けを本書は示してくれる。しかし、吉田松陰のテロリストぶりや、徳川斉昭のバカさ加減、阿部正弘ののらりくらりぶり、光圀の本来のダメ姿、等々を真に自分の頭に溶け込ますにはもっと文献や資料に当たらなければならない。でも、そこまでの余裕はない。例えば、徳川慶喜を評価する研究者もいれば、まったく駄目な将軍と断じる研究者もいる。さて、オレはどうなのかと言えば、浅い知識しかないので、印象で、慶喜はだらしない、と語るしかない。悲劇の容保に対しても批判的な思いはあるが、それは歴史的事実を摘まみ食いした、いたって表層的な感情でしかない。

 <『歴史読本』編集部編 『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君たち』(角川新書、2016年)>:「菊が栄えて葵が枯れ」た御一新後のお姫様と殿様の写真集。
 印象ある女性は三人。まずは陸奥宗光の妻亮子、この人は「鹿鳴館の華」と呼ばれただけあって左から撮られた写真の彼女の美しさに惹かれる。亮子は籏本の妾の子で芸妓、17歳で陸奥の後妻となっている。故に殿様の子でもないのでこの新書の書名には相応しくないのだが、ただただその美貌から、明治の美女たちからは外せないのであろう。美人薄命の言葉に合うように44歳で亡くなっている(当時は44歳では薄明とはいわないヵ)。
 伊達保子(亘理伊達の流れ)の写真は他の女性と違って華やいだ服装ではなく、普通の和服を着て物憂げな表情でぽつんと椅子に座っている。この人、北海道は有珠の萱葺の開拓小屋に起居し、開拓事業を支えた。現在の伊達市に繋がっているのであろう。他のお姫様の写真は着飾った和装や、鹿鳴館時代に相応しい華やかな洋装であったりするのであるが、保子の写真はそれとは異なり、うら寂しい明治の一面をうかがわせる。
 着飾った姫たちの写真を見ると、彼女たちは所謂名家に生まれたのであるが、彼女たち自身は何を努力して名家に生まれたのであろうか、生を受けた後、気持ちを何に向かわせたのであろうか、その豪華な装いの費用はどこから出ていたのであろうか、そのことに思いを馳せたことがあるのだろうか。生まれた環境に応じた苦労はあったのであろうが、ふとそんなことを想う。
 三人目は岩倉具視二女の戸田極子。美貌であるが故に伊藤博文が懸想し、スキャンダルにもなっている。印象に残るのはその美貌ではなく、ウィーンの公使館で琴を演奏し、ブラームスが直接に極子に演奏を依頼し採譜したと書かれていたこと。ブラームスは54歳頃で極子は30歳頃のことである。もしかしたら、クララを献身的に支えたとされるブラームスは、エスニックな琴の演奏を聴き、遠い異国の極子の美しさに惹かれ、一時クララを忘れたのではないかと妄想を抱く。否、そんなことはなく、ブラームスは純粋に音楽に魅了されたのであろう。極子の夫、戸田氏共(うじたか)の弓を持った、狩りの装いの写真は滑稽さを感じる。
 最後に徳川慶喜の子女の系図を見て、この将軍すごいな、正室に一人、二人の側室に22人と合計23人の子をなしている(死産・夭逝を含む)。激動の時代の激務(?)の合間に、ストレスがいっぱいたまっていたのかと勘ぐる。二人の側室で22人か、年から年中孕んでいた。今の何と違って後嗣問題は起こるはずもない。

2017年9月20日水曜日

早稲田ラグビー、海老名でスタート

 関東大学対抗戦ラグビーが16日にスタートした。早稲田の初戦は海老名での日体大戦。昨季も同じ海老名で成蹊大戦があって、友人たちとの集まりがあって行けなかった。今年は観戦することを決めており、試合前に、かつて居住していた地を30数年ぶりに訪れてみようと思っていた。29歳に勤務会社を変わり、海老名市との市境の綾瀬市綾西4丁目(バス停は国分寺台10とかだったような)であり、そこに約5年間住んでいた。その地を離れてからは一度も訪れていない。かつて住んでいた借家の土地は二分割されて分譲されたことは知っていた。まだ小さかった子どもたちとの思い出もあって、一度は行きたいと思っていた。娘とその娘には、運動会に行けないことを謝っていた。
 しかし、折からの台風の影響もあり、午後からは雨の予報。そして海老名運動公園陸上競技場の観客席は狭く、10列12段+αしかない。雨を避けるエリアはその2割程度しかないし、それ以外は草の平地。雨の中で草地に傘を開いて立って観る気持ちにはとてもなれない。
 速報レベルでの試合経過確認では物足りないので、初めてJsportsのオンデマンドを購入することとした。ラグビーだけに絞り、月会費は1800円+消費税で、月末までは他大学の試合も何度も観られるし、シーズンが終わったら解約すればよい。費用は移動費と観戦料金と思えばいい。地方周りにもなる大学選手権も観戦できるし、PCやタブレットなどでの観戦に限られるが、前から購入しておけば良かったとちょいと後悔もした。

 画面のバックには首都圏中央連絡自動車道を頻繁に流れる車があり、いかにも地方の競技場での試合という雰囲気である。肝心の試合はと言うと、物足りない。ペナルティが気になるし、肝心なところでのハンドリング・エラーがある。一番不満なのは、相手にボールを持たせるとかなりの場面でゲインされるし、ターンオーバーもなくて接点での強さが見えない。相手陣で攻めていても攻めきれないし、後半になってからは失速気味。結果の54(5T5G/3T2G)-20(2PG/2T2G)に表れている。モールもまだまだ作り上げられていない。すぐにゲインされるのは、相手が少し強ければ簡単にトライにつなげられるような気もする。この試合、勝っただけということになるである。スターティングには1年生が3人(PR久保・LO丸尾・No.8下川)、2年生が6人と若いメンバーが多い。
 SH斎藤中心の早稲田であったが、他に目に付いた選手は、FB梅津のボールを持った前進(キックを使っていなかった)、CTB中野はまだ故障上がりで少し鈍いかな、11番の佐々木の足の早さは素晴らしい(古賀が入ってくれば早さがなおさらに良くなるか)、HO宮里はいい動きをしているし、No.8下川は1年生ながらAに定着するかも。SOには存在感を覚えず、岸岡が戻ればまたチーム力は増すであろう。
 桑山兄弟はBに出ていて今後に期待。秋田出身の加藤主将・三浦、黒沢尻北高出身の梅津、特に応援している-東北出身だから-。横山はどうした、故障か。

2017年9月18日月曜日

新政府軍を嫌い、会津藩に期待する江戸庶民・・・

 <森田健司 『明治維新という幻想』(洋泉社歴史新書、2016年)>:明治維新を礼賛する姿勢に疑問を抱いたのは結構若いときからである。それは靖国であったり、明治になって作られた平安神宮であったり、明治神宮であったり、陵墓が新たに指定されたり、諡号が贈られたり等々、継続する歴史が明治になって大きく変遷した(断ち切られた)ことに疑問・違和感を覚えたときからである。あわせて、傑人と呼ばれる明治の指導者層に対する、疑問符を伴う思いへと繋がってきた。疑問を膨らまして単純な否定へと向かわせることには抵抗するが、少なくも明治維新に作り上げられた日本のシステムは、先の戦争での敗戦後、今でも継続していると思っている。そして、明治を礼賛する人びとの、その礼賛する理由が理解できない。
 金子光晴は「新政府に加担する学者たちは、歴史をいつも一方に押し曲げる」と喝破したらしいが、それはいつの時代にも通じる。本書の著者は、「江戸時代の庶民思想の研究に注力している」社会思想史研究者で、本書では「民衆や旧幕府軍側の視点を通して」「開明的で希望あふれる「明治の世」を目指したという」明治政府の正体を検証する。「庶民に嫌われた新政府軍」-「新政府軍に目をつけられた人々」-「旧幕府軍側から見た明治維新」-「明治政府のイメージ戦略と『三傑』の実像」との4章で構成される。
 江戸時代を高く評価する重要なものは、①平和 ②治安の良さ ③それらを支えた道徳であって、そのような文化に浸っていた江戸庶民にとって新政府軍は不人気極まりなかった。江戸幕府を信頼する「江戸っ子」たちは、薩摩藩を中心とする新政府軍の繰り返される集団強盗=テロで、「錦ぎれ」の布を肩につけた彼らを毛嫌いした。江戸城を明け渡し、新政府軍に恭順した慶喜から庶民の心は離れ、東北戦争が始まってから、江戸庶民にとって旧幕府の中心は会津藩、松平容保であった。この乱暴狼藉強盗殺人のテロの中心にいたのは西郷隆盛の命の下にいた相楽総三の赤報隊である。新政府の第一の目的は、「より良い、近代的な日本の確立」などではなく、「自分たちが政権の座にある日本」だった。それは後の薩長を中軸とする政策に表れている。一方、「徳川家への忠心」と「私欲の強い否定」を家訓の主軸とする、会津松平の容保は自身のプライドを守る行動はない。会津戦争敗戦後、容保は過去については何も語らず書きもしなかったらしい。日光東照宮の宮司に就いた容保は、家康を通して幕府将軍への忠心を継続していたと言えるであろう。
 薩摩藩邸を焼き討ちにした庄内藩を私怨で賊軍にした薩摩藩であるが、会津戦争終了4日後に降伏した庄内藩には寛大な態度で対処した。西郷隆盛の意向があったと伝えられ、現在も庄内藩では西郷への敬愛の念が高いという。テレビでその状況を放映するドキュメンタリーを見たことがある。西郷の深謀があってと論じられているが、加えて会津での惨状をもたらした自らの冷酷な暴虐性(圧倒的な優勢を知りながらも攻撃を続けて若松城下には遺体を散乱させ、埋葬さえ禁じた)に嫌気をさしてきたのかもしれないと思っている。庄内藩敗戦で東北戦争は終わり、心に余裕が生まれ、冬も近づいてくるなかで、新政府軍は自分たちの会津での残虐性に怖れも抱いたのではないかと想像している。確かな根拠はないのだが。
 本書にて、維新三傑+伊藤に対する評価は辛辣である。すなわち、①幕府の追求から逃れるために改名した、影の薄い木戸孝允。②金銭欲より権力欲の男、(滅多打ちの「なます斬り」にされた)大久保利通。③戊辰戦争で天皇の威光を利用しただけの、戦好きで死を恐れなかったが、軍服を剥がれてのほほんとした姿に貶められた西郷隆盛。④品性に欠け、「単線的歴史観」の持ち主、テロリスト伊藤博文、である。そして、「新政府の要人たちの多くは、知識や語学力はあっても、品性や美学が甚だしく欠如していた。その代表が伊藤博文だが、木戸孝允も大久保利通も、道徳的に高い評価を下すことは困難である。彼らは皆、政治の手腕はあったとしても、哲学がなかった。西郷隆盛に至っては、悪い意味で「一時代前の人物」だろう」と断じ、あわせて、「戊辰戦争ほど無意味な戦争はなかったと断言」する。確かに、幕末に生きた数多の優秀な人物が殺されている。「新政府が仮に、自分たちは公益の何たるかを理解して、それに基づいて政治に関わっていると信じているのならば、その根拠は何だろう。答えは、いくら問い続けても出てきそうにもない」のである。「新政府」を特定政党や政治家個人、あるいはテレビで流れるスキャンダル議員に置き換えれば、これは今の「政治」にも当てはまると思う。つまり、「〇〇が仮に、自分(たち)は公益の何たるかを理解して、それに基づいて政治に関わっていると信じているのならば、その根拠は何だろう。答えは、いくら問い続けても出てきそうにもない」のは今でも同じである。
 勝てば「官軍」負ければ「賊軍」は、勝利した側が自らを正当化する行為に導かれる普通の結果であって、維新以降、徳川幕府を「旧き悪しき近世」と歪めたことは否めない。明治新政府を築き上げた指導者たちを単純に批判・非難するのではなく、幕末から明治、明治から大正、そして昭和前期と敗戦後の昭和後期、そして現代の流れを作り上げる日本というシステムの本質は何なのか、それを知りたい。というか得心したい。そんな思いである。
 臨時国会冒頭で解散のニュースが発せられている。民進党もだらしないが、長州出身と称される首相や、与党のあざとさを思う-尢も、政治に関わる議員たちの多くがそうであろうが-。明治維新の薩長体制政治の基底にあるものがいまも大きな潮流になっていると感じる。

2017年9月15日金曜日

一米沢藩士の「明治」

 <友田昌宏 『戊辰雪冤』(講談社現代新書、2009年)>:サブタイトルは「米沢藩士・宮嶋誠一郎の「明治」」で、「幕末から明治にかけて活躍した米澤藩出身の官僚政治家」である宮嶋誠一郎を描く。
 慶応4年/明治元年(1968)に新政府より討伐を命じられた仙台藩とともに米澤藩は会津藩の嘆願書を出し、結局のところ奥羽列藩同盟に加わり新政府に立ち向かった。結果は米澤藩は(会津藩とは異なり)減封されて廃藩置県を迎えるのだが、宮嶋誠一郎が中心となって明治政府の方針を積極的に支持し、「朝敵」の汚名の「雪冤」に努力した。本書はその宮嶋の「明治」を追う。「国家への忠節を第一とするため、中央集権体制確立に向け藩政改革をリード」するのであるが、「政府の要人と結託し、隠然と事を運ぼうとする誠一郎のやりかたは、ときに卑屈に映り、不審のまなざしを向けられることもしばしばだった」のであり、「政府から功績に見あった評価も得られず、米沢での評判もすこぶる芳しからざるものであった」。しかし、宮嶋は米沢出身者が出世をし、世に名を出せば喜んだという。
 郷土が朝敵となった悔しさ、深い郷土愛、そして「雪冤」の努力に関心は向かない。宮嶋の動きにはある種の滑稽ささえ感じてしまう。それは、郷土愛は否定しないが、そこに感じる偏狭さを見てしまうからである。
 本書の頁を開くと宮嶋の上半身の写真が掲載されている。宮嶋の活動も含めて、その写真の表情が鈴木宗男と妙に重なって見える。それは的を射ているのか、あるいは思い過ごしなのか曲解なのか。

82年前の沖縄の写真

 <朝日新聞社編 『沖縄1935』(朝日新聞出版、2017年)>:1935年沖縄の写真集。朝日新聞デジタル版や本版で眺め、写真集発刊を待っていた。人びとの表情と風景と時間をとらえている場所は那覇・糸満・久高島・古謝。写真集を開く前に、表紙の若い女性の白い歯の笑顔が素敵である。時空を離れた沖縄の写真に、多分、いま失われている何かを見て、何かを見つけようとしている。

2017年9月14日木曜日

朝敵から見た戊辰戦争

 松平定敬は“さだあき”で、松平忠敬は“ただのり”で、ああ紛らわしい。ついでに伊能忠敬は“ただたか”。現代にも多い読めない名前は、昔っからじゃないか。止まれ、オレの名前も簡単には読んでもらえないし、漢字で書かれようとしても、そもそもその漢字が書けなかったり、間違ったり、違う漢字に置き換えられたりすることが圧倒的に多い。その読めない名前の松平容保と定敬兄弟が本書の主人公。
 描かれるのは、「朝敵」とされた藩に視座をおいて戊辰戦争を見ることで、京都守護職/会津藩主/松平容保と京都所司代/桑名藩主/松平定敬の高須兄弟が中心となる。鳥羽・伏見戦争にて真っ先に朝敵筆頭となったのは桑名藩であるが、慶応4年1月に官位剥奪された諸藩の中で、会津藩だけが官軍との全面戦争に至り、その結果の悲惨さは今に伝えられ、薩長の暴力性に関する書物は多く出ている。一方、桑名藩においては、城地は何事もないように明け渡された。なれど、8歳から会津に生活し、会津高校出身でもある我が身にとって、一般的にはハマグリが有名である桑名藩にはほとんど関心がない。
 著者は三重県出身で三重県立博物館の職員でもあり、桑名藩について詳述されるが、いかんせん、桑名に対する関心も知識も無きに等しい自分にとって、明治期に活躍した最も著名な元桑名藩士である辰巳尚史(鑑三郎)は知らない人物であったし、定敬が会津経由で箱館戦争まで行って新政府に抗ったことも知らなかった。定敬は箱館を去った後、結構面白い人生を送っているのだが、今後、発散しないがためにも、そこには入り込まないようにする。
 藩主が藩を離れては藩主の代わりに家臣が死罪を受けていることは、割り切れない気持ちを抱いてしまう。最も藩主の賢愚に関わらず藩主に忠義を尽すのが武士道であり、それこそ中根千枝の説く、日本の「タテ社会の人間関係」であるからして、割り切れない気持ちは飲み込むしかないかもしれない。
 新政府は、「徳川慶喜の叛謀に与して錦の御旗に発砲した大逆無道」の罪を会津藩にかぶせ、仙台・米沢両藩の嘆願にも関わらず、「朝敵である会津藩は天地容れるべからざる罪人なので嘆願の趣旨を叶えられ」ることなく、結局は、「大鳥圭介、仙台・二本松・東北諸藩の盟友や桑名勢、凌霜隊など」の加勢があっても、悲惨な敗北となった。新政府の会津藩への処分は、最初は「鳥羽・伏見戦争への罪」で、会津戦争に勝利してからは「一藩をあげて新政府に抵抗した罪」が加えられた。なぜならば、鳥羽・伏見戦争の罪の筆頭者である徳川慶喜に会津藩と桑名藩は加担し、その慶喜は新政府に恭順した。ここで会津藩の罪が鳥羽・伏見戦争のみであるならば、慶喜を超える重罪を課すことはできなくなるからでもある。もっとも、そんな小難しいことではなく、私欲・私怨から始まった鳥羽・伏見からの流れが、会津にはなおさらに強く向けられた、と単純に捕らえる方がより明確である。会津でやり過ぎたから庄内藩では(西郷は)手を緩めたとも想像している。
 維新後の薩長忠心-特に長州-の政治は今にも続いているようであって、かの森友学園・塚本幼稚園での運動会では、「武士のコスチュームを着た園児が籠池理事長の”長州の武士たちよ、幕府を倒せ!”の合図で刀を振り回」していたらしいし、安倍首相は、「山口出身の総理は私以外に7人います。そのうち在職期間ベスト10人に入っているのが5人います」 と口にし、続けて 、「長ければ良いってものではありませんが、一番長いのは、桂太郎です。こんなことは東北では言えませんが」 と冗談ともつかないスピーチをしたと報道されている。バカバカしさを通り越している。そもそも-安倍に言わせれば「基本的に」となるが-、長州で生まれ長州の地の空気と時間を見にしみこませた明治期の長州出身者と、東京で生まれて山口には墓参するだけのような人間が、それぞれに長州を語っても意味が同じであるはずがない。
 会社勤めをしていた時、7才ほど年下の山口県出身の同僚がいた。彼の奥さんは旧若松女子高校卒業の会津若松出身であり、結婚するときは結構いろいろあったと言っていた。ちなみに、かつては桑名と津の対立もあったらしい。

2017年9月13日水曜日

幕末・明治維新の本2冊

 <町田明広 『攘夷の幕末史』(講談社現代新書、2010年)>:本書で主に扱う時代は文久期(1861~1864)で、この時代は日本人すべてが尊皇であり、攘夷であったし、討幕を唱えていたのはごく一部の尊皇志士激派のみに過ぎない、と断じる。
 では、幕末期のあの対立はなんのかといえば、「大攘夷」と「小攘夷」の対立である。それらの基底には天皇を中心に据えた東アジア的華夷思想があった-後々のアジア侵攻、世界での中心である日本、といったような思想に繋がっている。
 「「大攘夷」とは、現状の武備では、西欧列強と戦えば必ず負けるとの認識に立ち、無謀な攘夷を否定する考え」のもと、「現行の通商条約を容認し、その利益によってじゅうぶんな武備を調えた暁に、海外侵出をおこなうと主張」するもの。一方、「「小攘夷」とは、勅許を得ずに締結された現行の通商条約を、即時に、しかも一方的に破棄して、それによる対外戦争も辞さないとする破約条約を主張するもの」。なれど、龍馬たちが思う「大攘夷」にはチラチラと金儲けしようとする意図が見え隠れするのはオレの思いすぎか。
 本書では、歴史上あまり重きを置かれていない「朝陽丸事件」(長州藩と弱小小倉藩の対立)を「歴史的大事件」ととらえている。それは、奇兵隊が起こした朝陽丸事件は、朝幕間の直接的な軍事的紛争の発端と位置づけているからである。
 第三章に坂本龍馬の対外認識が論じられているが、龍馬には興味がない。そもそも坂本龍馬は歴史上大きく取上げられる対象ではないと感じている(勉強不足かもしれないが)。

 <坂野潤治 『未完の明治維新』(ちくま新書、2007年)>:『明治維新 1858-1881』に記載されていた明治維新の各指導者たちの構図を再掲する。
   大久保利通(殖産興業)--<富国強兵>----西郷隆盛(外征)
     |                     |
   <内治優先>                <海外雄飛>
     |                     |
   木戸孝允(憲法制定)---<公議輿論>----板垣退助(議会設立)
本書『未完の明治維新』では<海外雄飛>が<征韓論>になっている(前書で改められた)。この2冊の新書は同一の著者が著しているので共通点も多い。
幕末の政局では「憲法制定」路線はなく、下図がとても分かりやすい。そしてここではどの路線も強力可能な関係にあった。
         富国論                横井小楠
      /   \     (思想家→)     /    \
      議会論  — 強兵論        大久保忠寛 — 佐久間象山
 横井も佐久間も暗殺されている。有能な多くの人間が幕末/維新期に暗殺されている。生かされていれば明治は、日本はどう変わっていたであろうか。タラレバは意味ないがふと思ってしまう。
 冒頭の構図に戻ると、「富国」・「強兵」・「立憲制」・「議会制」は、各指導者の挫折の後に、「実務官僚と実益政党」の手によって熟された。そしてそれは、1881年天皇詔勅では「9年後」に議会を開設し、それ以前に憲法を制定するという、じっくりとした時間をかけて実現していった。大久保・西郷・木戸・板垣の明治維新は「未完の革命」であったが、成果だけを見れば、1894年の第一次日中戦争の前にはすべて実現していた。
 戦火のなかで叫ぶ「平和」と安寧の時代に主張する「平和」は異なる。つまり、「スローガンの持つ意味とその重さとは時代毎に違うのである。その意味で西郷と木戸と大久保と板垣の「明治維新」は、彼らにとっては永遠に「未完」のものだったのである」と著者は言う。「降る雪や 明治は遠く なりにけり」のような情緒的表現ではある。
 巻末に記される文が重い、すなわち、「戦後歴史学の暗黒の日本近代史像も間違っていれば、それを単に裏返したにすぎない、体制派知識人の美しき天皇制日本像も事実に反する」

メモを忘れていた

 本を読んだ(見た)あとは必ずメモをとっている。概略内容であったり、感想であったり、あるいはその本とは離れて自分の身の周りのことだったりする。書いた文章は少し時間が経った後で最低一回は見直して誤字などに修正を加え、その上でブログにアップする。ブログに載せる確たる目的はもっていないが、メモを客観的に眺めるという意義はあると思っている。

 下記2点はメモしていたがここへの記載を忘れていたもので、1ヶ月以上前に目を通したもの。あまりにも軽い内容だったので忘れてしまったのだろう。

 <週刊現代編集部 『鷲尾老人コレクション』(講談社、2017年)>:「某芸術家が人知れず蒐集してきた明治・大正・昭和の性風俗写真の数々を大公開」との宣伝文句で購入してみた。写真やモデルの古さから明治・大正・昭和を思えるのであるが、単に当時のヌード写真、エロ写真を集めただけで、当時の世相を浮かび上がらせる「風俗」写真ではない。風俗=エロではない。

 <橋本勝 『風刺漫画 アベ政権』(花伝社、2017年)>:漫画だけで伝わる風刺の剣先が鈍く、毒も薄い。クスッと笑えるウィットも乏しい。文章も然り。

2017年9月9日土曜日

太陽に向かって咲く花ばかり?

 ヒットしているらしい歌がテロップとともにテレビで流れていた。機嫌が悪かったのか、ちょいと絡みたくなった。

 「太陽に向かって咲く花」ばかりが花ではないし、太陽が沈む頃に咲き始めて陽が昇る朝には萎む花だってある。なかなか咲かない竹の花もある。「誰よりも輝」くって、なんでいちいち他人と比較してしまうのかな。「それなのに僕ら人間はどうしてこうも比べたがる」ってSMAPに歌われていたじゃない。
 おっと、「花咲かずとも根を伸ばしゆけ」ってことは花が咲くことに拘泥している訳ではないんだ。しかし、咲かなければ根を伸ばすのか。最初の「太陽に向かって」は“地に伸ばす根っ子”に置き換わった。でもやっぱり花は咲いて欲しいらしい。しかし、それは日本的情緒の「名もなき」花で、ひっそりと咲く「綺麗な花」であるらしい。歌われるのは、燃えるような怒りの花でもなく、大輪でもなく、地面に突き刺さる根でもない。

2017年9月8日金曜日

3日(日)の充実した一日

 日頃、ウォーキング以外にはあまり動かないことが多いが、3日(日)はよく体を動かした。娘の娘(以下C)のピアノの発表会で与野本町まで往復。終了後、緊張から解き放されたのか、いつもは写真をなかなか撮らせてくれないCは何度もカメラのシャッターを押させてくれた。久々にツーショットをたくさん撮った。
 午後4時頃になって娘の息子(以下T)が端材を入れたボックスを抱えてやってきた。夏休みの宿題を作るらしい。もう二学期ははじまっているのにと疑問を口にすると、技術家庭の宿題で一回作ったのだが短時間で作ったもので気にくわないらしく、次の授業までに持っていけばいいので作り直したいと言う。ノコギリで木を切るのは時間がかかるので、電動ノコギリやいろんな工具を持っているオレのところに来たのだが、無計画で何を作るのかは決めていないらしく、迷っている。母親からLineで送って貰った写真を参考にして、スマホのスタンドを作ると決めてからが大変で、終了したのが夜8時過ぎ。どうも2時間ぐらいで終わると甘く考えていたようである。
 妹のCもやってきてハンディ・ベルトサンダーなどを使って作業している兄の写真を撮ったり、ちょっと手伝ったりし、やることがなくなると家に入って窓から作業を眺めたり、ちょっと用事を頼むと喜んで動いていた。
 完成品の姿は頭に浮かんでいるようなので、彼の予想に合う機構的なことにヒントを出してあげ、使う材料や接着剤、ネジも手持ちのものを提供し、面取りの意味ややり方、長さの揃え方などを教え、できるだけ作業の手出しはしないようにした。ものを作るのが大好きなTは木を切ったり削ったり嬉々としている。6時半で妹に母親から帰宅命令が出て、その後、娘からは何時頃に終わるのと何度かLineが家人に入っていた。Tにはスマホ使用停止命令が何度か出ているので、遅くなるのにはこっちの方が気になるが、宿題だから大丈夫だよとTは気にもかけていない。それどころか、ここはこうしたいとか、こういう動きを持たせたいとかこだわりもしていた。早く帰宅させたいが為に、駐車場にひろげた工具、作業台、部品等々はこっちで片付けをし、家に入ったのは8時半を過ぎていた。
 娘が言うには、4時間かけて完成したスマホ・スタンドの出来映えにTは大満足して帰宅したとのこと。遅くなって怒らなかったのかと尋ねたら、ジジのところに行くならもっと早く夏休みに入ってすぐに行けと注意しただけらしい。翌日やってきたTは、今度は蜜蝋を塗りたい模様。スピーカーなどを作っていたときの一連の作業を見ていて記憶しているようである。
 そして、充実したこの一日を過ごし、翌日は足に筋肉の張りがある。立ったりしゃがんだりを繰り返したためで、勿論心地よい張りである。

2017年9月5日火曜日

「振り返る」ということへのメモ

 「振り返る」ことの意味を大事にしていた時期は、製品設計業務に従事していたときである。
 設計は単純にいえば、要求仕様を設計仕様に翻訳し、それを設計図面に転写する一連の作業である。この翻訳-転写の概要は、「設計仕様」-「構想設計」-「部品設計」と進み、図面に向き合う構想段階では部品を構想しながら全体構想を組み立てていくと言ったようなものである。設計には、時間やコスト、製造技術/生産技術上などからの拘束性がある。悩ましいのは、設計が進んでいくと必ずといっていいほど設計をやり直したくなる瞬間が訪れるということ。時間がない、コストが目標に達しないなどといったようなものはまだ理由が明確であるが、厄介なのはもう少し良い設計にしたい、手直しすればもっとセンスある設計になるのではないかといったような、矜持というのか、ある種の美学的な欲求がでてくること。そして「振り返るべきか否か」、「手直しをすべきか否か」に葛藤する時間が少なからず発生する。設計がある程度進んだら原則的に振り返るべきではないと自分の中で決めていた。目標から大きく外れていない場合、或は機能や性能が仕様より劣っていない場合は、振り返るべきではないとしていた。取り戻すことの出来ない時間の中で、いちいち振り返っていては進まない。振り返りは次の段階でプラスに転じればいい。そう思っていた。仕事から離れた今でも、その考えは基本的に変わっていない。

 振り返ることだけを描く小説やドラマなどは嫌いだし、読んでいて見ていて不愉快になる。まして、過去に帰りたいと涙し、昔は良かったと懐かしむだけの描写は嫌いである。
 振り返ることの要因の一つには現実への未充足感がある。未充足感を填めるために過去を振り返るよりも、未充足が何に起因しているのかその現実を看ることが先ではないか。会社に勤めていたときのトップが座右の銘にしていた「看脚下」を思い出す。
 自らの足元を見ずに他人の言動ばかりを見て現在を嘆き、過去の社会に回帰しようとする人たちがいる。違うんじゃないかと思わざるを得ない。

 歴史を学ぶと言うことは単に「振り返る」ことではなく、過去の事実から今を見て、先に展望を開くことである。まさしくE.H.カーの「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」のだが、なぜなのか、単に過去を振り返り、懐かしみ、現在を歎き、歴史的事実を歪曲して声高に論じる人びとや書籍が多くなった。先日、ある小さな本屋に行ったら、入口の新刊コーナー、つまり最も目立つ場所にその手の本が並んでいた。売れているからそうしているのか、店主の好みでそうしているのか、居心地のよくない場所だった。

 好きな言葉、「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる(You can not change the other people and the past. But, You can change yourself and the future.)」(Eric Berne)。

2017年9月3日日曜日

本の廃棄

 火曜日(22日)に福祉関連団体が回収する新聞・雑誌・衣類等に本を加えた。単行本・文庫本・新書などが合計600冊ほどあろうか。家の中では多量に見えた本の山が、玄関先に出してみると大した量には見えない。家の中では重みがあっても、仕切りのない場所にさらけ出せば僅かな不要品でしかない。

 6日後の28日には宅配の人が来て買い取りの本を引き取っていった。段ボールにしたら5個あった。新書・文庫本は尠いので3~400冊程度の量か。古い本が多いだけに買い取り価格は僅かにしかならないと思っていたが、予想よりは少し膨らんだ。それよりも何よりも、何年も、10年以上も、中にはそれ以上の本が一遍に家の中から消えてしまう。サッパリとさせてリセットという状態に近い。でも、まだ相当の、廃棄・買い取りされた量に勝るとも劣らない本が本棚やベッドの下の段ボールに並んでいる。チマチマと読み続けようと思っている。
 小説以外の、学術的なマジメな本は一度目を通し書き込みをし、読んだ後には再度書き込んだところを中心に読み直してノートに要点を書き落としている。時間がかかるが、これをしないと老化した頭に入ってこない。以前は書き込みをしただけで終わっていたので精読にはほど遠い読み方であった。後悔もあるが振り返ってもしようがない。

2017年8月26日土曜日

久しぶりに乙川さんの小説

 幕末・明治維新の新書を読み続けているが、それらのメモは後回しにし、数日前に読んだ小説について書いておく。

 <乙川優三郎 『ロゴスの市』(徳間書店、2015年)>:記憶力も時間経過の感覚も鈍ってきているのであろう、著者の本はここ1年ほどの間に読んでいたと思っていたが、実際には2年ぶりであった。2年前に購入してそのまま手を付けずに積んでいただけで、「本は欲しいときに買う」のパターンから何の変化もなく過ごしている自分を意識してしてしまう。未読の本が溜っているのでさすがに最近は少し自制しているとは思うのであるが、身についた性癖は簡単に変えることができないことも感じている。
 主人公弘之は大学生の時から翻訳家を目指し、大学で同じ文芸サークルに参加していた悠子・小夜子・田上とは年齢を重ねても交流がある。悠子は複雑な家庭環境にあって同時通訳者となり、小夜子はシスターに、田上は出版社に勤務する。彼ら以外に登場するのは出版社の編集に携わる原田、大学教授正木、弘之の家族、そして41歳で結婚した6歳年下の恵里。弘之は翻訳に携るゆえに言葉と格闘し、その格闘が全編を通して描かれる。文章、言葉、言語を深耕する小説は初めてである。そしてまた言動が直截的な悠子も同時通訳として同じように言葉に格闘する。言葉や文芸に若干20歳前後で深く関わり、読んでいることに驚きを感じた-自分のその年齢の頃は足が地に着かず、ゆえに虚勢をはることもあり、十分に理解できない小説、たとえば埴谷雄高などに向き合っていた。彼らの会話は深くもあり、また楽しめるものである。
 ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』が出てきたときは、やはりこの名作は素晴らしいと思ったことを思い出し-勤務していた頃の女性翻訳者に紹介されて読んだ-、「ザ・モスト・ビューティフル・ウーマン・イン・タウン」-「ブコウスキー」-「残念でした、一番の美女はキャスです」の弘之と悠子の会話には、こういう会話が交わせる関係っていいなと羨ましく思う。ジェイムズ・ジョイスの『Finnegans Wake』もトマス・ピンチョンにも触れている。一人の人間がやれることは極々狭い範疇のものでしかなく、その範疇のなかでもほんの一部しか経験できない。ジョイスもピンチョンも名前は知っているが自分の範疇には入れられていない。かろうじてラヒリはちょいと読んだという程度。日本の作家では向田邦子・芝木好子が語られる。女性作家であるのは、主人公が女性作家の翻訳をするからであろう。それに著者乙川は工芸を対象とした小説を著していることから、芝木から影響を受けているのかと想像した。
 言葉、小説などに関して鋭い感性と深い思考は読んでいて楽しく、すぐれた小説だと感じていたが、物語が終わりに近くなったところからこの小説が急につまらなくなってきた。結婚した恵里は恐らく弘之にとって都合のいい妻でしかなく、二人で何を築こうとしているのか弘之の意志が希薄。そこに悠子と再開し、フランクフルトで会い、夏には房総-乙川が好んで舞台にする地-の海辺のホテルでともに時間を過ごして「ロゴス」の会話をする。そして悠子はインド洋にて飛行機事故で亡くなる。小夜子からの手紙には、悠子は複雑なしがらみで結婚し、後にしがらみから解き放されたときに離婚をした。結婚前の彼女と弘之の間には女の子が生まれ、アメリカで養女になっていると記されている。悠子はずっと、学生時代から弘之を愛していたとも書かれていた。この小説のこの急展開を読んだ途端に通俗的なつまらない物語と感じた。翻訳するということは対象となる人間の言葉、大げさに言えば「ロゴス」を日本語に翻訳し、自分の「ロゴス」の中に転写し、それを外に発するものであろう。しかし、主人公たちは自分たちの生活の中で何を翻訳・転写したのかクエスチョンマークが浮かんだ。最後になって、物語は、キレイな装いをした通俗恋愛小説に落ちてしまった感が強い。

孫への甘やかし

 小ニの女の子である孫にハンドスピナーをあげた。家に来ていじっているうちにやはり欲しくなったようで、彼女の兄と同じものをプレゼント。面白がってしょっちゅう回している。

 彼ら、アイスクリームの類が好きで、シャトレーゼで購入したものを冷蔵庫には必ず入れてある。小学生・中学生になると我が家に来る回数も減ってくるので、お菓子やアイスで釣っている感がある。昨夕も下の子がちょいと立ち寄ったときに、手にいっぱい持って帰って行った。そんなに持って帰るのと家人が言ったら、一個だけ戻したらしい。
 その直後に、スマホのことをちょっと聴きたいが為に兄の方を呼び寄せた。いまのところスマホに関しては一番詳しい。その彼はスマホ付属品のインナーイヤホンが耳にフィットしないようだし、以前から持っていたものは断線したようなので、余っているカナル型イヤホンをあげる。DENON製のアルミ削り出し品でイヤーピースもセットにしてあげたら喜んでいる。彼、オーバーイヤーヘッドホンもワンショルダー・ボディバッグも彼の家では一番いいものを持っている。彼に64GB microSDカードをあげようとしているのだが、少し高価なものや遊ぶものはプレゼントする前に必ず娘の許可を貰うようにしている。そのSDカード、娘は彼にある条件を提示したようでまだあげていない。条件のハードルは少しだけ高そうでまだクリアしていない。

2017年8月21日月曜日

ハンドスピナー

 中一の孫にハンドスピナーを見せたらとっくに知っていた。オレのハンドスピナーは3個あって、最初に買った1個は5~600円の安価なもの(a)で、あちらこちらの店頭に置かれている。次に購入したのが本屋でこれは品質が悪くない(b)、さらに、ショッピングモールをぶらついていたときに一寸よさげなものも購入(c)。
 一番高いもので1,500円ほどだから、はなから高品質は望んでいない。回転持続性、回転時のベアリング(以下Brg)音などを比較すると、(b)-(c)-(a)の順の優-劣となる。特徴を簡単に書くと、(b)は合金で重く、Bgrが小径、(c)も重量があって慣性を維持しているようにしている、がBrg外輪を外周回転部品のネジで押さえるようにしているので少しでも強く締めるとBrg外輪の変形となり、回転が重くなる。軽く締め付けると回転部品が緩んでしまい回転中に外れてしまう。言ってしまえば典型的な基本設計ミス-Brgとネジの特性を理解していない。(a)は軽いし、三ケ所に空白の穴を設けているのでその分回転の慣性力が小さい。なんといってもBrgの質が悪く、回すとかなりの異音を発する。
 で、この1ヶ月間で手にしたこれらの安価なスピナーに改善対策を施した。まず(c)のBrg(規格番号608相当)を国産(NTT製)のものにした。ただし、近くのホームセンターではzタイプ(608z)しかなく、これにはドラッグトルクを重くするグリースが封入されており、帰宅後にシールド・プレートを取り外し、無水エタノールでグリースを洗い流した。この国産Brgを(c)に取り付け、(c)のBrgを同じ規格のBrgを使っている(a)に嵌め込み、もともとの(a)の粗悪Brgは廃却。(b)のそれはオリジナルのままにしている。(a)の外周回転部分の穴には鉛鈑をはめ込みイナーシャが増すようにした。スピナーを軽く回すためには潤滑油は基本NGであるが、その原則を外し、ごく軽いオイルである楽器用のバルブオイルを軽く塗布した。手の感覚ではこれで回転が重くなると言うことはない。(c)の外周回転パーツのネジ部には緩み止めを塗布し、ネジ先端とBrgとは軽く接触させBrg外輪への押圧をなくした-昔つかっていた機械設計用語で言えばナチュナル・クランプというロック方法-。
 家人が中一のその孫に、ジージが面白いものを3個持っているからねだるとすぐにくれるよと吹き込んでいたせいか、興味を示し、さらに3種のスピナーの違いに関心をみせ、オレはオレで回転力の相違理由を理論的に説明し-かつては工作機械や複写機の機械設計者だったので、得意になってしまう-彼には最も性能のよい、かつ小さな手にも適している(b)をあげた。かれの親にはまたまたこんなものをあげてと多少の顰蹙をかうかもしれないが、孫を可愛がってしまうのはオレと家人の権利であって、そのためのマイナス面を是正するのは娘とその旦那の責任である、と勝手な論理を振り回している。
 ハンドスピナーをあげたその孫に、妹が興味を示したら買ってあげるよと伝えさせたが、小ニの女の子は関心がないらしい。

家人、スマホデビュー

 中一の孫(娘の長男)と、家人がスマホデビュー。孫は以前より家族使用のiPadを使っていたが自分のスマホが欲しかったようで、親のつけた条件をクリアしてやっと自分だけのスマホを持つようになった。親には時間制限やその他の使用制限をつけられているようであるが、我が家に来ては嬉しそうに操作をし、家人に嬉々として説明をし、Lineとかを一緒にやろうよ、とかなんとか話し、かねてよりガラケーからスマホへの切替を迷っていた家人は大好きなその孫の優しい言葉に喜んで早速翌日にスマホを手にした。家族割りの代表者でもあり、家人よりはほんの少しは知識のあるオレも一緒にauに行って約3時間経過して今夏の最新モデルのスマホを購入した。
 大変なのはこっちで、何せオレ、スマホとタブレットは持ってはいるけれどスマホはSim フリーでデータ通信専用に特化し、携帯はガラホにしている。よって家人のスマホの操作は一から覚えてサポートしなければならない。オレのスマホはネットで買ったASUSで、彼女のものはGalaxyの最新S8+でオレのものとの価格には大きな開き。面白がっていじっている彼女はオレに買い換えたらと言うけれど、ガラホとスマホ(とタブレット)の使い分けは便利でその気は全くない。・・・とはいうものの最近、スマホがフリーズしてしまい、通常操作では電源も入らなくなることが2回も起きた。買い換え時が近づいてきたヵ。
 というところで、その孫がやってきて家人はLineの設定から操作までいろいろやってもらっては教えてもらっていた。頷くところも多かったがあとで聞くと「わからん」と云いつつもなんとか操作をし、表情は嬉々としている。彼女にすれば彼とスマホを介してべったりと接しているそのプロセスが至福の時間なのであろう。かというオレはLineはやったことがないから会話には入っていけない。そこに息子一家がやってきてLineでさらなる盛り上がり。

 廃棄あるいは売ってしまう本の山を見て、息子は何冊か取上げ、息子の嫁さんは時代小説が欲しいと云い、彼女に合いそうな本を8冊ほど推薦した。フランスの女性弁護士が書いた傑作『黒衣の下の欲望』が出てきて、その本の内容を説明し、持って行くかと聞いたらその趣味はないのでパスとの返事。まあそうだろう。まだサラリーマンの頃、派遣で翻訳の仕事をやっていた女性にこの本を貸したら良かったとの感想を漏らしていた。この本も明日は廃棄処分。

2017年8月12日土曜日

日々是好日ヵ

 今日もまた昼から「飛露喜」を飲む。前回と同様に新島で買った“くさや”を肴の一つにした。これとぐい飲みを片手に部屋から出てデッキに座り、“くさや”の臭さを部屋に残さないようにしている。右手にぐい飲み、左手にくさや、誰かが観ていれば女房に叱られて外飲みしていると誤解されそうである。
 ビール500ccとこの日本酒2合で睡魔に襲われてしまった。「太平の眠りを覚ます上喜撰たった4杯で夜も眠れず」といった緊張感はまったくなく、「たった2合で昼に爆睡」という体たらくである。

 スーパーのレジにて。
 「買い物袋はお持ちでしょうか」とレジの女性。
 「はい、ここに持っています。というか女房殿に持たされています」と68歳の男性。
 「あら、お優しいんですね」
 「いえ、いえ、年をとれば女房殿には丁重に接するのが一番です。年齢を重ねてから恙なく生きていくためにはたとえ演技でもそうするのが一番です」
 「いいですね、うちの主人もそうなってくれるかしら。なってくれるといいんですけど」
 「そう仰るにはまだ早いんじゃないですか」と彼女は若く見えてると暗に言う。
 彼女、察したのか、「いやもう近いですよ」
 永六輔の新書に書かれていたことを思い出しながら、「若いときはちゃぶ台をひっくり返しても、年をとってからは奥さんと手をつないで歩いている人もいて、それが年齢を重ねた“生活の知恵”というらしいですよ。いや、私はちゃぶ台をひっくり返したことはないですけれどね」。ふと思った、彼女ちゃぶ台って何なのか知っているのかと。
 レジで支払いを済ませるとき、彼女はニコニコして「ありがとうございました」
 「余計なことを言いました。ごめんなさい。これから女房殿がトイレから帰ってくるまでに、この袋にちゃんと入れて待つことにします」
 女房殿、大きなものを出したのか、身も軽くすっきりした顔つきで歩いてきた。

2017年8月11日金曜日

最近よく聴いている音楽

 聴いたことのない音楽のCDを買うのはある種の賭け事のようなもので、聴いて気に入らなければ(嫌いなものを知ったとポジティブに捉えることもできるが)基本的にお金と時間の無駄遣いであり、好きになると更にアルバムを追加購入してのめり込むこととなる。好きにならなかったものを、時間をおいて再び聞いてみると案外好きになることもあり、3回4回と聞いても響いてこないものもある。
 そんななかで、いままで触手を伸ばしながらなかなか手に取ることがなく、やっと聴いてみた冨田勲の「惑星」とDebussyはどうも好きになれない。昔から評価の高いアルバムであるが、何度か聴いてみても魅せられることはなかった。期待が大きかっただけに肩すかしをくらったような感じであった。シンセサイザーの奏でるクラシックそのものが好きではないのかもしれない。特に好きなDebussyへの期待が膨らんでいただけに落胆の度合いは大きかった。
 Kronos Quartetは相変わらず新しいアルバムを聴き続けており、その絡みでThe Nationalを知ることとなった。そして、ひょんなことから、マイナーもマイナーであるが、The Enemiesに惹かれた。しかし昨年に解散してしまった。マス・ロックと呼ばれるらしいが、ミニマル・ミュージックの影響は多分にあると思う。クリーンなエレキギターが耳に残る。アイルランドという地の影響があるのだろうか。
 この一年もっとも好きになったのがLudovico Einaudi。昨年春に映画「最強のふたり」を観たときにそのテーマ音楽に魅せられ、以来複数枚のアルバムを聴き続けている。Einaudiの演奏だけではなく、Cecilia Chailly (指揮者Riccardoの妹)のエレクトリック・ハープも素晴らしい。アルバムを探していて見つけたJeroen van Veenの奏でるピアノ曲集CDも気に入った。その延長線上でVeenのCDを探してみて、ミニマル・ミュージックのSimeon ten Holtを知り、やはり聴いてみたくなり、実質2千円と少しで11枚組のセットを購入した(Amazonでラスト1セットだった)。Holtはオランダの作曲家でSteve Reich(好き)やTerry Rileyの曲とは趣を異にしており、何度も何度も切れ目なく繰り返し演奏されるピアノによる演奏は、魔法にでもかかって違う次元の世界に吸い込まれるようでもある。オルガン演奏によるHoltもあるけれどピアノの方がいい。ついでにといっては何だけれど、Veen演奏のYann Tiersenもいい。
 こうやって好奇心の趣くままに知らなかった音楽を聴くと、世界の広さ、人間社会の多様性といったものに今更ながら思いを巡らし、我が身を置く場所がまるで井の中に思え、まだまだ大海の一滴にしか触れていないのではないかとの思いがする。自己のすべてを絵や音楽に投射できる人は芸術家と呼ばれるのであろうが、その能力-感性も想像力も創造力も表現力も何もかも-が備わっていない我が身についてはただぼんやりとこの現実を受け容れるしかない。凡人がなせるのはせいぜいその程度である。

2017年8月9日水曜日

明治維新の柔構造

 <坂野潤一・大野健一 『明治維新 1858-1881』(講談社現代新書、2010年)>:複雑な明治維新の維新活動が解りやすく、曖昧なままの理解が少しは進んだと思うので自分なりに(乱暴ではあるが)エッセンスをまとめておく。
 本書の目的は、1958(安政5)年から1881(明治14)年の時代を対象として、当時の「我が国の幕末維新期の社会変容を導いた政治メカニズムを、歴史比較および国際比較の視点をもって明らかにしようとする試み」である。1958年は、海外諸国との「修好通商条約」調印があり、「戊午の密勅」を経て「安政の大獄」による捕縛が開始された年であり、1981年には参議大隈重信派の罷免(「明治十四年の政変」)があり、「国会開設の詔」が発せられ、近代日本の国家構想を決定付け、薩長藩閥体制が確立した。
 幕末期の国家目標は、軍事経済的には「富国強兵」であり政治的には「公議輿論」。維新期のそれは「富国」「強兵」「憲法」「議会」となる。
 幕末期は少数の雄藩が藩を単位として行動するが、単独では政治力が十分ではなく、他藩グループと協力関係を築く。そのグループ間の政策論争は「国家目標」「合従連衡」「指導者」のレベルでの可変性・柔軟性-簡単に言えば状況に応じて相互の組み方が変わっていった。この政治的構造を「柔構造」と説き、この柔構造ゆえに維新期の日本は、「複数目標を同時に達成する能力、内外ショックへの適応力、政権の持続性のいずれにおいても、東アジアの開発独裁の単純な硬構造よりもはるかに強靱であった」とする。
 27頁に示される「国家目標と指導者の基本的組合せ」の図が判りやすい。図を文章に落とすと次になる。

  大久保利通(殖産興業)--<富国強兵>----西郷隆盛(外征)
    |                      |
  <内治優先>                 <海外雄飛>
    |                      |
  木戸孝允(憲法制定)---<公議輿論>----板垣退助(議会設立)

 ここに表れるのは「薩長土」であり、「肥」がない。その理由は、鍋島藩(佐賀藩)は自藩だけで「富国強兵」が実施され、他の雄藩との連携は必要なく、故に佐賀藩士は組替えを含む協力関係のあり方の訓練がなされていないからである。佐賀藩士は「自己主張のためには過激性や単独プレーに頼る傾向」があると指摘されている。先月佐賀県を旅行したときの嬉野茶の製茶見学で、旧鍋島藩ではこの茶が大きな輸出品であったと説明されていたことが、この本を読んでストンと腑に落ちた。
 「幕末期の政治競争とナショナリズム」の項におけるまとめが判りやすい。12行の文を短くしてしまうと次のようになるであろう。すなわち、「ペリー来航以来、徳川政権の正統性は」、「軍事的無力」「によって大きく傷つけられ」、「通商条約の」「不備」、「一方的・強圧的な政治運営」、「開港がもたらしたインフレーションと急激な産業の盛衰などが一連の外交的・政治的・経済的失策として追討をかけた」。雄藩による「政治競争」は、「支配階級の一部を構成する下級武士および知識階級層」が「広く共有するにいたった民間ナショナリズムという求心的な精神基盤のなかで進行したため」、「国家利益を目的に競われた」。「ゆえに、藩益や特定階級の利益が国家利益よりも優先されて日本が長期の内乱に突入したり、その際に乗じて外国勢力の介入と支配を招くといった事態は生じなかった」。しかし、国学とその流れを全面的に受け容れることは自分にはできない。それにここでは国学の負の側面を論じていない。

2017年8月6日日曜日

本の処分

 読んでしまった本はそれがミステリーや漫画であるならば適当に選んで子どもたちにあげていた。それ以外の既読の本は3Fにおいてあるが、思い立って処分することとした。終活という事ではないがもう頁を開くこともないものは処分してすっきりさせようと思った次第。中古本を引き取ってもらうところから段ボールを送ってもらい、それに詰めて送るだけ。書き込みのある本や全く価値のない本は廃棄する。まずは、最近読んだ本や3Fにある本を1Fの和室に運び、①引き取り価格がつくもの(オンラインである程度の目安はつけられる)、②廃棄するもの(バーコードがない、書き込みがある、1円の価値しかないもの)、に大別する。この作業を繰り返す。きょう現在で500冊ほどは終わったろうか。処分するといっても、歴史関連の書籍、鉱山関連のものはまだ保管しておく。

 時代小説が好きな友人に段ボール一箱(90冊前後はあろうか)送った。彼の好みは分かっているし、事前に問い合わせたら欲しいというので送ったのであるが、到着後に電話があって、特に彼が最近読んで好きになったという長谷川卓の本(ほぼ全冊ある)は喜んでもらえた。ついでにその後の処分もお願いした。彼は読み終えた本はすべて寄贈しているらしいので、オレの読んだ小説がまたどこかで読んでもらえると思うと嬉しくなる。

 本の引き取り価格を調べていると、1円、すなわち価値のつかない本も多くある。数十冊を確認しているなかで、まず少し古くなった小説は価値がない。漫画はバラツキがあって意外な価格がついているものもあれば、人気がなかったものはダメ。本ではないがあるDVDが数千円の価値がついていたのには意外な感じがする。個人的にはつまらない映画であったのに。

 本を処分するのはこれで7-8回くらいになろうか。最初は20年程前でそのときは裏表紙に購入日や名前をサインしていたもの700冊ほどをゴミと同様に廃棄し、それからは古本屋さんに持ち込んで引き取ってもらった。もちろん廃棄処分にしたものもある。買い取り価格が高かった個人店を数回利用したが、そこは倒産してしまった。以降は誰しも知っている全国チェーン店に持ち込んだが、とにかく時間がかかるのが不満であったし、価格は安かったため、今回はじめてwebからのアクセスとした。
 暫くすれば、少しはすっきりするだろう。

 会津から届いた「飛露喜 純米吟醸」をついついだらだらと(一升瓶の)半分近くまで空けてしまった。美味い。

2017年8月2日水曜日

小説週間のラスト

 小説だけを読むのは一旦これで小休止。次からはまたメインを一応「幕末・明治維新」に戻す。で、読んだのが連続して女流官能小説家、花房観音の最新単行本。

 <花房観音 『色仏』(文藝春秋、2017年)>:朝日新聞日曜版(2017年7月9日)の書評に掲載されており、故にこれは-書名は如何にも“それらしく”はあるのだが-単なる官能小説ではあるまいと思い直ちに購入。要は“高尚な官能小説”を期待していたのである。
 冒頭、親鸞の「女犯の夢告」が記される。
 近江の寺に捨てられた男、烏は親も生地も知らずにいた。彼は村の月無寺にある十一面観音に魅せられ、それこそが究極の女性像と信じる。僧侶になるために京に上り寺に入るが観音像を彫る仏師にならんと寺を離れ、活計を得るために女の裸を木に写し取る仕事に就く。足を開く女を深く観察し細密に筆に落とし木を彫る。烏は、観音像を作り上げるに自らを律して(勃起はすれども)目の前の女を抱くことはしない。家主でもある女、真砂は背に観音の彫り物があり、烏は、彼女の性交時に見せる背の観音にかつて村で見た十一面観音を投影し、背に彫った男に畏敬の思いを抱く。裸を曝す女たち、男との交わりを繰り返す真砂、女に交わらない烏、真砂の背に観音を彫った男が短い物語を編む。真砂の背に彫った男と真砂が交わるその官能を見て烏は観音像を彫るが、真砂はその像を鴨川に放り投げる。なぜなら交わりを見た烏は勃起せず、それを真砂は見抜いていた。二人は新たな思いで塒へと歩き出す。
 舞台は京都、時代は幕末でペリーが浦賀沖に見えた頃。濡れ場を描き続ける官能小説とは趣が異なり、女に対する烏の内面描写が思索的であり、虚無的であり、本能的でもあり、楽しめた一冊。ただ書名『色仏』はいただけない。これでは寺の本堂におけるめくるめく淫猥な性交描写を思わせてしまう。いっそのこと作者名にあわせて「観音」とでもすればまだよかったのかと思う-観音を開くシーンも多いし-。
 「長い平和を保ってきた幕藩体制が黒船来航を機に崩壊へと向かう時代の文脈と、主人公が抱いてきた究極の女性像が現実のなかで虚像と化してゆく過程とが、見事に重なっている」との書評(原武史)は時代に結びつけすぎであろう。しかし、「少しだけ出てくる京都の公家や天皇がさらに輪郭を帯びれば、より深みが増したようにも思われる」には同感し、欲張れば仏教や仏師の深遠、観音像の歴史的意義などに触れればこの「官能小説」はもっと厚みを増すであろうと思う。
 16年程前に読んだ、真言立川流文観を描く黒須紀一郎の大作『婆娑羅太平記』を思い出した。
 ”花房観音”とは女性官能小説家に相応しい名である。花はあそこの花びら、房は乳房の房、観音は言わずもがな。勤めていた頃、「俺は毎朝奥さんのスカートをひょいとめくり、観音様に向かって手を合わせ、それから家を出る」と仰っていた、社内結婚した、オレをいつも下の名で呼ぶ、取締役がいた。いい人だった。・・・ちょっと酔っている。

2017年7月29日土曜日

ミステリーと官能小説

 今週の読書は小説に特化している。

 <真保裕一 『暗闇のアリア』(角川書店、2017年)>:書名と物語の内容が合わない。あえて解釈すれば、「暗闇」は殺人者が育った環境、あるいは事件を闇の中に封じ込めようとする警察・外務省官僚を意味し、「アリア」は殺人者たちの抱く怒りや復讐の詠歌なのか、はたまた物語の発端となる官僚の妻の執念の声なのか。
 警察庁、警視庁、県警、外務省、ODA、暴力団、被害者の妻、被害者の愛人、等々が登場し、場所は東京、神奈川、栃木、アフリカ、パリと行き来する。時代も10年以上を行きつ戻りつする。自殺を装った殺人。一気に読んでしまわないとストーリーについて行けなくなる。
 作者の文章が読みにくくなった気がする。期待したほどには楽しめなかった。

 <花房観音 『花びらめぐり』(新潮文庫、2016年)>:著者の名前からしても、また書名からしても直ぐに官能小説であることはわかる。「近代文学を代表する文豪たちが書いた名作を元に」、作家「の妄想をくわえて官能小説にしたものを集めた」短編集で、「藪の中の情事」「片腕の恋人」「卍の女」「それからのこと」「仮面の記憶」から成る。男と女だけではなく、当然のごとく「卍・・」では女と女であり、「仮面・・」では男と男である。「妄想」もここまで徹底されればもう敬服する。著者のTwitterを初めて見たら、「源氏物語官能シリーズ」や「半乳捕物帖」もあるらしい、後者は笑える。バスガイドでもある彼女の案内で京都巡りをやってみたいが、普通のガイドでしかないかな。

2017年7月25日火曜日

小説2冊

 春日部のショッピングモール内の本屋である雑誌を探したが、なかった。そしてここには岩波書店の刊行物はまったくおいていない。返品がきかないからであろうと確認したらそうです、注文されると取り寄せますと言う。注文して届くまで日にちを要し、またその書店まで受け取りに行かねばならない。そんなことはするわけがない、ネットで買えばすぐに配送してくれる。これでまたネットで買う比率が高くなってしまう。それに比較的大きな書店でもいわゆる売れ筋のものしか置かなくなってきている。つまらない、文化の衰退ではなかろうかと思う。
 この書店の新書コーナーにいたらうるさい声が聞こえてきた。「だからお前はバカなんだよ」「だからそんなことしか言えないからバカなんだよ」と、新書の新刊棚で本を探しながら男性がスマホで何度も大きな声で「バカ」を繰り返している。でかい声で「バカ」と繰り返すお前がバカなんだよと思いながらチラリと目を向けたら、60代と思しき人だった。最近、政界だけでなく全般的にバカが増えてきている気がする。

 <長谷川卓 『雪のこし屋橋 新・戻り舟同心②』(祥伝社文庫、2017年>:連作短編集という趣であるが、やはり通しで読むべきであろう。レギュラーで登場する皆の会話が楽しめる。女性陣(隼に真夏)をもう少し前に出してほしいが、代わりに(?)伊都の軽やかさが好ましい。
 鈴木英治は読まなくなって久しく、佐伯泰英は「居眠り磐音」シリーズだけで卒業し、葉室麟には手を出さなくなり(作風に倦きた)、藤沢周平も全く読まなくなった。いま、時代小説ではほぼ長谷川卓・志水辰夫だけとなった。永井義男の新刊が出ればすぐに読むのだが小説が発刊されない。まあ、馬齢を重ねれば倦きも生じてくる。

 <チャールズ・ブコウスキー 『町でいちばんの美女』(新潮文庫、1998年)>:30編の短編集。酒、女(男も)、自堕落、破天荒、放蕩、ギャンブル、卑猥、下品、・・どう表現していいのかわからないが、すべてが当てはまる。既設のレールの上に乗っからない人たちは共感を得て魅力的であろうし、そのレールに乗っている人たちには脱線願望を膨らましてくれる。オリジナルからの翻訳は相当に難しいであろうと想像できるし、一方ではオリジナルにある世界が日本語でどれくらい表現できているのか疑問も湧く。アメリカ人が味わうことを日本語ではかなり不足してしまっているであろうと思う。翻訳している青野聰のあと書きからもそれがうかがえる。
 日本でのタイトルは本書の最初にある短編のタイトルからきていて、『町でいちばんの美女』(「The Most Beautiful Woman in Town & Other Stories」)であるが、アメリカでのオリジナルの書名は『Erections, Ejaculations, Exhibitions, and General Tales of Ordinary Madness』である。このオリジナル書名の方が適切である。

2017年7月23日日曜日

雑記

 会津高校は(やはり)聖光学院に負けた、しかも7回0-8のコールド。その聖光学院は11連覇。息子の出た高校は東東京ベスト16で敗退し、娘の高校は2回戦で姿を消している。
 富山県の不二越工は準決勝に進んでいる。富山県生まれを極力採用しないと会長が言った不二越の、不二越工のほとんどは富山県出身者であろう。この学校のすぐ近くの社宅に4年ほど住んでいた。
 今月初めにすぐ近くをバスで通った早稲田佐賀が初優勝。早稲田実業にも甲子園に出てきてほしい。

 19日(水)は梅島で痛飲。久々に電車を乗り越してしまい東武動物公園からタクシーで帰宅。翌20日はどこにも出かけずに友人から依頼されたミュージック・プレイヤーの修理。破壊してしまうことを恐れたが無事に修復できた。自分のものを直すより緊張する。

 21日は8月で閉店するアピタの小さな書店まで、翌22日は春日部駅前の書店までウォーキングを兼ねて往復。結局2日で新刊を合計5冊購入してしまった。
 22日、書店のレジで並んでいたら斜め前の小学5-6年生の女の子がこちらの手元の本に視線が動き、こっちの顔を見たりしていた。何だろうと思っていたら、オレの手元にある1冊は週刊現代別冊『鷲尾老人コレクション』があり、その裏表紙には女性の裸の上半身が載っている。その如何わしい雰囲気の雑誌に気をとられたらしい。これから世界が拡がるだろう、正しい道を歩んでくれ。

 <原泰久 『キングダム47』(集英社、2017年)>:秦が趙に大規模な攻撃。李牧が守る邯鄲が陥落するまでの前段の物語。紀元前229年、嬴政(趙政/趙正)31歳の時代である。

2017年7月17日月曜日

読書メモ

 <黒川みどり・藤野豊 『差別の日本近現代史 包摂と排除のはざまで』(岩波現代全書、2015年)>:差別に関して雑多の本を読んできたが、「差別という観点からその時代、その社会をとらえなおそうとしてみるという」本書で一旦しめ括っておこうと思い、手に取った。
 差別がこの世から消え去ることはない。それは、人間は自らの立つ位置を相対性のなかでしか確認できないからであり、差別することは本質的な心情であると思っているからである。人種・貧富・居住地・容貌・学力・地域・疾病・障害・性差・職業・・・と差別する側の視点はいつでもどこにでも設定される。そしてまた、差別される側にも差別する視点はある。それは被差別A集団が被差別B集団に対して同じ「差別」と捉えることに異を唱え、中央から差別される地域の中でも本島側が離島側を差別するなどに見られる。一つの集落でも上・下、高い・低いで差別される。
 差別はいけないことです、差別をなくしましょう、などという抽象的スローガンを打ち出すのではなく、誰しもが差別してしまうことを教え、そして差別された際の対応の術などを明示することが必要なのではないかと思う。差別をいじめと置き換えてもいい。あってはいけないと心情的に思っていることが実際に起きてしまうと、それを認めたくないものだからないものと覆い隠そうとしてしまう。あるということを前提にすれば差別の実態に目を向け、制度的対応やアジ-ルのあり方などにもより近づくのではないかと思う。
 「内と外の論理=思考形式というものが、日本人の相手同士にある。閥とか閉鎖的集団とか、内の人間と外の人間」を「断ち切らねば連帯の生まれようがない」、この丸山真男の指摘がストンと腑に落ちる。そして自分なりに考えれば、自分自身が依存先(内なる共同対)を求めるのではなく、「個」としての自立を求め、自律を意識する。誰しもが持っている差別への抵抗は「個」として自立するなかで自律を求めるしかないのではと思っている。ネットでの安易な「イイネ」も短絡的「同調」「攻撃」も、心に「内なる共同対」(依存するムラ)を求めているだけではないかと思っている。

 <原泰久 『キングダム46』(集英社、2017年)>:王翦・楊端和・羌瘣、それに飛信隊が斜陽の趙を守る李牧への攻撃準備に入る。

 <井上勝生 『シリーズ日本近現代史① 幕末・維新』(岩波新書、2006年)>
 <井上勝生 『日本の歴史18 開国と幕末変革』(講談社学術文庫、2009年初刊2002年)>:少しはテーマを絞り込んで積んである本を読んでいこう。集中連続してそのテーマに関する本を読むのではなく、横道に入って小説や漫画を手にしても、戻るべきメイン通りには名前をつけておくことである。つい最近では「差別」に関する本を読んでいた。次は「幕末・明治維新」におこうと思った。それらの本を10冊ばかり引っ張り出して積んで書名を眺めていたら、まずはその時期の歴史全般をよく知っていないと感じた。なんとか事件とか事変とかの名称は知っているが、それがその時代の連続性あるイメージとして鮮やかに浮かんでこない。復習の意味も込めて一旦は通史としての「幕末・維新」史に目を通しておこう思った。2冊とも大学通教をやっていたときにテキストとしていたもので、両者ともあちらこちらに線を入れてある。しかし、その線を引いた箇所・ページを見ても自分の記憶力と知識が呆れるほどに浅いものであることを痛感する。しかも2冊の著者が同一であったことも覚えていなかった。
 世にいわれるほど明治を有り難がってはいないし、ある意味明治維新から明治20年代でこの日本がミスリードされたとも思っている。明治維新という画期がなく、徳川がまだ続いていたらどうなっていただろうか徳川政権で近代化がなされたらどうなっていただろうか、なんてつい思ってしまう。

サンウルブズ勝つ

 スーパーラグビーでサンウルブズがNZブルースに勝った。テレビ観戦はじまりでは、どうせ負けるだろう、大敗かなんて思っていた。どれくらいいい試合ができるかと期待はすれども勝つとは思っていなかった。攻め込まれてばっかりで0-14で矢張りと思い、7-14でおおやるではないかと思い、インターセプトされて21-7と突き放されてガクッとなり、14-21の時点では後半は差を広げられるかと悪い方ばかり思っていた。
 この日は暑い。午前中1時間のウォーキングでも汗まみれになった。秩父宮でプレーしている選手たちは大変だと思いながら、クーラーをつけて快適な環境に身を置いてのテレビ観戦はちょっと猾いという気持ちも少しはある。後半、ディフェンスのパフォーマンスが落ちない、NZは動きが悪くなってくる、あれよあれよというまにトライを重ね、テレビの前で歓声をあげていた。今季2勝目でどちらも秩父宮での勝利というのがちょいと気にくわないが、8T48-3T21はすごい。

 甲子園福島県予選、我が母校会津高校が3回戦を勝ってベスト16まで進んだ。次は優勝候補筆頭の聖光学院。接戦だろうが何だろうが勝ってほしい。まだ春1回しか行っていない甲子園にオレが生きている間に行ってほしい。

2017年7月14日金曜日

またも奥会津行を諦める

 7月下旬に奥会津金山町と会津若松を訪れる予定でいた。目的は金山町滝沢の甌穴群を眺め、大塩の宇奈多理神社境内に入り、あわよくば行けるものならば田代鉱山跡の地から横田鉱山跡を眺望すること。また土倉から田代地区に足を踏み入れることができるのかも確認したい。そして三つの記念碑を写真に撮り、明治期の田代鉱山があった沢の出口に立ち、はたまた住んでいた頃は気にもとめなかった中丸城跡に思いを馳せ、何度も訪れている横田鉱山跡に再び立って過ぎた時に思いを巡らす。そんな事を予定していた。
 横田周辺を離れれば、林道本名室谷線(会越街道)を走り新潟県阿賀町に抜けようと思っていた。この林道、2年前の4月にはまだ雪があって通行不可、昨年は橋が陥落したために諦めた。そして今年はと金山町のHPを見たら土砂崩れで通行止めとあり復旧も未定となっている。もう諦めた。行くものとして宿泊をどこにしようか、一泊は若松のいつものホテルに予約してKYと飲もう、もう一泊は玉梨温泉にでも泊まって静かに酒を飲もうか、なんて思っていたがすべてやめた。

 交通状況を確認していたら偶然に「只見線のうた」なる曲を知った。六角精児バンドの演奏で今年になって発売されている。DLで購入すれば300円以下だが、送料も含めてその5倍以上を支払ってCDを購入した。12日に只見町から届いた。
 現在只見線は小出から只見までしか通っておらず、只見から会津川口までは不通であり恐らく今後も復旧することはなかろう。海老名に勤務していた頃、入広瀬出身の良子ちゃん(だったかな)というパート勤務の人柄のよい女性がいた。そんなことを思い出したら、小出から只見までディーゼルに乗って、只見から会津川口までは代行バスに乗り、会津川口から会津若松までは再び只見線に乗って・・・・、何もしないでただ風景を見ながら、というのも(時間の組み立てが難しいが)楽しそう。

2017年7月13日木曜日

佐賀県を2泊3日

 7月6日から8日までの3日間は佐賀県のみのパックツアーに参加。昨年4月にも旅行会社に申し込んでいたのだが熊本地震があって急遽キャンセルした。その時、ツアーそのものは予定通り催行されたのであるが、隣県の大災害のニュースが流れる中、旅行を楽しむことには気が乗らなかった。状況を鑑みてキャンセル料は一切不要とされた。今回はそのリカバリーといったところである。佐賀県内のみの旅行ではあるが昨年と同じ内容なのか否かはわからない。しかし、今回は記録的な集中豪雨が朝倉市や日田市に襲いかかっていて、3日間は雨の中での移動かともある程度は覚悟していた。

 自宅を朝早く出て始発のバスで駅に向かい、羽田到着は7:51の予定であったが春日部駅で間違って各駅停車の電車に乗ってしまい、しかも新聞を読んでいたために間違いに気付くまでに電車は西新井まで進んでおり、結局当初の予定より15分ほど遅れてしまった。でも余裕ある予定を組んでいたので集合時間には30分以上早く着き、朝食を摂り昼食の弁当も買い、羽田空港の地を離れたのは10時頃。
 佐賀空港に11:40頃到着。空港の通称は九州佐賀国際空港。なんで国際なのと思ったが韓国のLCCであるティーウェイ航空や中国の春秋航空が発着しているからであろう。
 総勢33名のパックツアーで添乗員さんは福岡から来ており、バスガイドさんは長崎県生まれの40-50歳の女性。
 空港に着いてから暫くすると車窓に雨滴が付き、この日はホテルに着くまで一日中雨。吉野ケ里歴史公園に入って傘を差しながら30分だけ歩き、近代的技術で復元された観光的古代に違和感も覚えた。次は祐徳稲荷神社。京都清水寺に模している本殿には上がらなかった。朱色の袴に上半身白い装いで歩いている若い巫女さんたちが初々しい。彼女らはアルバイトなのかななんて思っていると、お守りを売っている建屋の中の巫女さんは少々年齢が上で容姿も少し落ち目で、理由もなくその格差(?)に得心する。朱の袴を少し持ち上げて脹脛をのぞかせ、水溜を避ける姿が若さに弾けて妙に艶かしいというか羨ましいというか..。神社を訪れてそんなことを想っている自分が不埒であることはもちろん承知している。嬉野温泉のホテルについてすぐに風呂に入り、ビールと焼酎を少々飲んで食事をし、部屋に帰ってからはまたも焼酎を飲みながらウィンブルドンのテニスを観戦。

 2日目からは雨の中を歩くことはなかったが蒸し暑い。バスに乗って唐津市に向かう。唐津は2010年6月に高校同窓の友人たち11人で壱岐などを回って以来のこと。呼子の七ツ釜クルージング後に烏賊活造りの昼食。烏賊は透明で新鮮なのだが堅く、歯の治療中の家人は一切食べられなかった。美味かったのは烏賊の天婦羅。名護屋城跡を歩き町と海を眺めた後は、岬と言うほどの岬でもない波戸岬。ハートのモニュメントに桂由美のブライダル広告。浜野浦の棚田はこぢんまりとしていて既に稲ではなく雑草になっている棚田もある。そこにも桂由美の宣伝。伊万里市の鍋島焼大川内山で町並みを歩くが我々以外の観光客もほとんどなく、どこの店も入りにくい。旅行するときは必ずといっていいほどぐい飲みやお猪口、グラスを買うのだがここでは何も手に取ることがなかった。帰りのバスに乗ったら韓国か中国からの女性(オバサン)だけを乗せた大型バスが2台。バスの目の前をよけるでもなく集団で動く情景は異様で、時間がずれたことにほっとする。ホテルにも団体客がいて、ガイドさんが話すには佐賀は長崎にも福岡にも近く、多勢の人が彼の地よりやってくるという。前日と同じく嬉野温泉のホテルに入って宿泊。テニスを見るが錦織はいいところがなくて完敗。今年はダメ。好きな大坂なおみさんも負けてしまった。こっちはヴィーナスを対手にいい試合だった。

 最後の3日目は見帰りの滝と大興善寺。前者は紫陽花が有名だがもう萎れているしし、後者は躑躅と紅葉だが躑躅の時期はとっくに終わっている。要は今の時期にここを訪れるのは完全に時期外れ。しかし、行楽シーズンでは多勢の観光客が来るというので正直それも嫌である。寺では住職が教えを説いているが、こっちには聞く耳がない。そばに寄ってきた猫をかまって遊んでいた。昼食は神埼で麺懐石。ソーメンが有名だからと冷たいソーメン、ソーメンを巻いた刺身、熱いソーメンとソーメン尽くし。蒸し暑く、壁際に座ったために頭上にあるクーラーの風はこっちには流れて来ないし、最後のソーメンは熱いし早く店を出たが外は暑かった。
 佐賀空港では娘の長女に約束していたご当地ベアを第一に購入。これで彼女が持っているベアは20匹。大半は我々がプレゼントしたもの。地域に偏りがあり、関西・中国・四国はゼロ。佐賀空港にはもう来ないだろうし、彼女も家族で来ることはなかろう。よって佐賀のバルーンベアは貴重なはずである。
 九州の南の方の食事は甘い。佐賀はさほどでもなかろうと思っていたがやはり甘かった。刺身は美いのだが醤油はこれでもかと言うほどの濃さであり口に合わない。ソーメンの汁も甘い。全体的に美味い(!)と感じるものはなかった。食べ物はやはり北海道が一番ヵ。甘さの反動があって家人共々辛いカレーライスを食べたくなっていた。
 羽田ではよく入るカレー店の場所を見つけられず、諦めて他の店で軽食を摂り、帰宅したのは21時少し前。年齢のせいなのか少しは疲れを感じた。



2017年6月30日金曜日

気になる文章

 朝日新聞の文化・文芸面の記事で次の文章が気になってしまった。
「原智恵子(1914~2001)。日本人で初めてパリ国立音楽院を最優秀で卒業し、ショパン国際ピアノコンクールにも出場した国際派ピアニストの草分け」
気になったのは「日本人で初めてパリ国立音楽院を最優秀で卒業」の箇所。ここで「日本人で初めて」がどこにかかるものなのか分からない。①「日本人で初めて」「最優秀で卒業」したのか、あるいは②「日本人で初めて」「卒業」したのかが分からない。①ならば、最優秀で卒業した日本人は複数いて、原はその最初だったとも読めるし、②の場合は、かつて入学した日本人が複数いたが卒業したのは原が最初であるとも読める。あるいは入学も(卒業も)最初で、かつそれが最優秀だったのかもしれない。素直に読めば①の方かとも思うが、どうも気になってしまった。要は「初めて」がどこにかかって、「初めて」にどれほどの重みを持たせているのかということである(「原智恵子(1914~2001)。パリ国立音楽院を最優秀で卒業」なら何も問題はない-まるでどっかの官房長官みたいな言い方ヵ)。
 調べてみたがはっきりしない。Wikipediaでも全く同じ文章の「日本人で初めてパリ国立音楽院を最優秀で卒業」とあり、これは他のウェブでも見られる。穿った見方であるが、文章をどこからか引用/転用しているのかもしれない。

 政治家の言葉も軽くなってきているし、週刊誌や雑誌、新聞でもあれっと思う文章をときたま見つけることがある。読点を入れることではっきりすることもあるが、自分のブログでもミスがあって声高には言えない。昔読んだ『日本語の作文技術』(本多勝一)を思い出した。

2017年6月26日月曜日

十勝周辺の旅行

 旅行紹介のダイレクトメールがしょっちゅう送られてくる。北海道のものを眺めていたら「ピョウタンの滝」や「タウシュベツ川橋梁」、「フンベの滝」の文字に目がとまった。日本海側を除いて北海道はほぼ全域を回っているが、これらの地名は初めて目にしたものだし、もちろんどこにあるのかも分からない。じゃ行ってみようかと碌に確かめずに旅行会社に申し込んだのが数ヶ月前。で、今月(6月)の6日から8日の二泊三日で十勝地方に行ってきた。総勢28名のパックツアー。12時15分に羽田を発ち、とかち帯広空港に降りたのが13時50分頃。この空港の利用は今回で3回目くらいになるせいか、何の変哲もない田園風景も見慣れたように思える。「ピョウタンの滝」に向かい、年配の現地女性ガイドさんも訪れるのは初めてだというその地はこぢんまりとした爽やかな空気の流れる場所だった。引き返して十勝川温泉のホテルに入り、風呂に入って食事をしていつもより早く寝た。
 二日目は十勝を一望にできる「ナイタイ高原牧場」でひとときを過ごし、然別湖で食事を摂り、旧幌加駅に向かう。多くの人が働き生活の糧を得たであろう廃線・廃駅に身を置くと、目の前の風景に埋没しているであろう時間の積み重ね、人々の息吹といったようなものに少しは想いを馳せることになる。かつて線路が走っていた路を歩いて旧士幌線第五音更川橋梁を眺め、車を乗り換えて「タウシュベツ川橋梁」への林道は許可車両以外通行禁止となっており、鍵を開けたゲートから先は我々の乗った以外の車は通れないが、ゲートに車を停めてから目的地まで歩いている人たちもいる。熊も出るらしく一人では歩きたくない寂しい道である。現地ガイドさんが話すには最近は人気があって予約は1か月先まで空きがないそうである。海外からの訪問者も少なくないらしい。朽ちて崩壊する時をひたすら待つだけのアーチ橋は季節を変えて訪れたいところでもあった。保存したいという思いの人もいるらしいが、それはやめたほうがいいであろう。もっともダム発電所を管理する企業は動くはずもない。学術的芸術的な価値が薄ければ、人の手を加えずに朽ちるものは朽ちるままにしておけばいい。
 翌日は最終日。雨模様だが、バスを降りるたびに雨はほぼ止んで濡れることはなかった。海沿いの道路わきで「フンベの滝」をちらりと眺め、大樹を経由して襟裳岬に立ち寄った。生憎の濃霧で海も見えない。食事は海鮮丼で、別途注文した焼きつぶ貝とウニも美味。特に生のエゾバフンウニは絶品。普段は絶対に食べない家人もおいしいと口にしていた。日高―新冠―むかわと経由している途中、時々道路沿いに馬を眺め、もしくは廃線となっている日高本線を横目に、何度目かの新千歳空港に入りラーメンを食べ、娘の長女へのご当地ベアを買い(もう17-8匹になるか)、羽田に到着したのは21時過ぎ。これで今回は終わり。


 翌土曜日は夕方から新宿西口、2年ぶりに会う6人との飲み会。そこで口にしたウニの不味いこと不味いこと。少なくともエゾバフンウニではないウニとミョウバンのせいであろう。もうその辺の飲み屋さんで口にすることはないであろう。かくして口は少しずつ傲っていく。

2017年6月25日日曜日

樋口さんの新刊

 <樋口有介 『あなたの隣にいる孤独』(文藝春秋、2017年)>:母と二人、戸籍なし、15歳の少女、アパートには帰るなと連絡を最後に突然に母からの連絡が途絶える。舞台は川越、小説家志望の周東とその祖父の秋吉秋吉(あきよししゅうきち)。
 樋口さんの新刊を知ればぐに買う。この小説も発売と同時に手にして間をおくことなしに読んだ。樋口さんファンなので楽しめるのであるが(女子高生も可愛いし)、物足りない。母が玲菜と逃げ回ることになる動機が深く描かれていないし、最後もあっけなく終わってしまう。それに、自分としては興味の薄い料理の描写が多い。樋口さんの小説ではある時期から食べることが多くなっている気がする。でも、まあ玲奈と周東と秋吉のシーンは楽しめた。何せ、樋口ワールドが好きなのだから。

 今年になって読んだ本は(月10冊にも達していないが)合計40冊を超えている。なのに未読の本が2冊増えている。もちろん読もうと思って買うのであるが、なかなかそれに割く時間を持てないでいる。
 何かに時間を割くということは他の何かに費やす時間を捨てることなのだが、それが上手に運べないでいる。集中と選択がなくて発散したままで、この性癖はなかなか修正ができない。

2017年6月24日土曜日

新書一冊

 <山崎雅弘 『「天皇機関説」事件』(集英社新書、2017年)>:1935年の「天皇機関説」糾弾から短期間に美濃部は追いやられ、国体明徴へと流れていくが、どうしても「国体」を声高にする人たちの思いがどこから、なぜ生じるのか理解できない。江戸期の国学もよくわかっていないし、そもそも天皇を崇める心性がストンと入ってこない。天壌無窮、万世一系、万邦無比、万古不変、神聖なる、云々と冠が付くことに何か言訳がましさを感じてしまい、逆に言端の軽さを受け止めてしまう。糾弾に至る過程は現在の流れと相似性を有していることは間違いなかろう。・・・ふと思った、「個」がないことは自立しないことであり、それは自律することができないことで、結局は依存性が高まることであり、それがあの時代には色濃く出たのではないかと。それに日本人は管理されたがる傾向があり、逆に組織的に管理したがる人が多いのかも。集団化しやすいといってしまえばそれまでだが、それで済まされることでもない。

 加藤陽子『昭和天皇と戦争の世紀』(講談社、2011年)、瀬川真希「満州事変・日中戦争の勃発と立憲政治」(『岩波講座 日本歴史 近現代3』講談社、2014年)、有馬学『日本の歴史23 帝国の昭和』(講談社学術文庫、2010年)第3章第4章に目を通した。何年か前に引いた線が残っているところもあるが、気分的、記憶的には初読のようなもので、あの時代は何だったのか、現在とどう変わっているのか変わっていないのか、過去から現在へと繋がっている縦糸と、そこを横に紡ぐその時の時代の横糸はどうであるのか、興味が消えることはない。
 明治維新から先の敗戦まで77年の時の経過があり、敗戦から現在まで72年経っており、物差しを当てればほぼ同じ年数となる。感覚的には前者が後者よりも圧倒的に長く感じられる。つまり、敗戦後から現在までの変化の振幅が、明治維新から敗戦までの間のそれよりかなり小さいと思える。
 現在が過去というプラットホームの上に立つとするならば、その過去を深く知りたい。とりあえずの焦点は明治維新、先の戦争前後に関した本-手元に未読のままとなっている本-を読むこと。何年かかるか分からない。

2017年6月19日月曜日

マンガ、志水辰夫、早坂吝、PC回復

 <竹田一義 『ペリリュー -楽園のゲルニカー 1』(白泉社、2016年)・『ペリリュー -楽園のゲルニカー 2』(白泉社、2017年)>:昭和19年夏ペリリュー島、漫画家志望の兵士が米軍との戦中にいる。

 <志水辰夫 『疾れ、新蔵』(徳間書店、2016年)>:姫を国許に連れ戻す新蔵。旅をともにするのは籠かきの二人、途中で出会う女とうり坊。追っ手をかわし、国に入る。明らかになる出生(新蔵)、村の秘密(隠れキリシタン)、山火事、裏切ってきた家族への思いと謝罪(忠治郎)。面白い、楽しめた。
 1985年に『尋ねて雪か』を読んでから作者の小説は37冊になった。物語を作る側も、それ読む側も32年の齢を重ね、40代が80歳になり、30代があと2年で70歳を迎える。

 <早坂吝 『双蛇密室』(講談社ノベルス、2017年)>:援交探偵らいちのシリーズ4作目。書名の通りに蛇が二匹でて、奇想天外な二つの密室が舞台。刑事藍川が絡む殺人事件の真相はらいちの優しさでオブラートに包んでしまおうとするが、小松凪の要求ですべて明らかにする。その真相は奇抜で突拍子もなく、男の何にかかわるものであって、思わず犯人になり得ない我が身の分身を思う。

 PCの回復とアプリ等整備で3日を費やしてしまった。メインで使っているPCが突然に-心当たりはあるのだが-起動できなくなってしまった。エラー表示でWindowsに移行しない。たまにはWindowsが立ち上がろうとするがすぐにエラー表示がでてしまう。この際いっそのこと初期設定に戻した。アプリも入れ直し。レジストリーを使用していないアプリは問題ないが、それ以外はすべてインストールし直し。ATOKも一太郎もOfficeも画像処理関連のすべても、音楽編集ソフトも、何もかも。いちいちシリアル番号を入れ、アクティベートのキー文字を入れ、入れ終わってもアップデート処理をし、ただただ我慢してやるだけ。他にもやることがあるので結局3日間は回復処置を施した。プラスの面を考えれば、PC内部のリフレッシュができて操作が快適になり、また不要なソフトやデータをクリーニングできたことヵ。でももう懲りたのでHDまるごとコピーなどの対策を打つことにする。少なくとも自分が使用する3台のPCについてはやっておこう。

おっ、パイは面白い

 娘の長男が中学生になった。彼にπの面白さを教えたくて整理してみた。もちろん数式などや複雑なことは一切なしにして、単に、へぇ~っと面白がるかも知れないレベルでしかない。以下箇条書。

  • 「定規とコンパスだけを使って、ある円と同じ面積を持つ正方形を書きなさい」、これがπの命題。
  • エジプトの大ピラミッドの底辺の一辺と高さの比率が約π/2
  • π≒22/7 ・・・55年程前の中学生の時からこれは便利と知っていた。計算が早くなる。知ったのは姉が使っていた参考書のコラムからだったと朧げに記憶している。誤差を少なくすると、π≒223/71   22/7の分子に3を追加し、分母には1を追加すると覚えればよい。

 ここからπの面白さというか不思議さが増してくる。
  • ギリシャ語のπは16番目の文字  16=4^2
  • 英語のpiのpはやはり16番目で16=4^2、 iは9番目で9=3^2、   16+9=25=5^2、16*9=144=12^2,  9/16=0.5652=0.75^2  要は二乗が絡んでいる。
  • 円の面積と同じ面積の図を書くヒント:厚みが半径の半分である車輪を一回転させ、その描かれた軌跡の面積がそのはその車輪の面積に等しくなる。これはレオナルド・ダ・ビンチが見つけた。数式で書けば、πr^2=2πr*(π/2) の応用。
  • π≒3.14159                               3は素数、31も素数、314159も素数。 順序を逆にすると、3は素数、13も素数、951413も素数
  • アルファベット(大文字)を円状に書き並べ、左右対称の形になっている文字を消していくと、残った文字はπの桁の並びと同じ数にグルーピングされる。
       ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ
             6          3     1      4             1         並べ替えれば31416
  • πの計算が分からなくなったら、例えば、How I wish I could calculate pie. 文字の数が3-1-4-1-5-9-3   この方法に類似した文は沢山ある。
  • PIEを逆さにしてみれば、314に見える。
  • 片仮名で「パイ」。世の中ではポピュラーなことかもしれないが、ちょっと考えてみた。ハはイロハで3番目、イは1番目。アイウエオ順では、ハは26番目、イは2番目、そこで26/2=31
  • 円周率、昔は円積率と称したらしい。それで円・周・積・率の旧字や異体字の画数を調べてみたがうまい具合にπに結びつけられることはできなかった。無理をすれば円周率も円積率も漢字の字数は3文字。

 参考にしたものは主に、『[パイ]の神秘』(アーティストハウス、1999年)、『日本人と数 江戸庶民の数学』(東洋書店、1994年)。

2017年6月4日日曜日

ミステリー2冊、島の焼酎

 <東野圭吾 『虚ろな十字架』(光文社文庫、2017年)>:帯に、死刑は無力だ、罪は贖えるのか、東野圭吾最大の問題作、とあるが、死刑という制度を重々しく取上げたものではなく、死刑廃止反対を道具の一つに立てたミステリー。死刑制度に真っ正面に対峙したものではない。
 中学の少年が1年下の中学生との間に子を作り、その子を殺し、その後二人は別れ、男は小児科医の医師になり、妊娠していた女と結婚をし、女は風俗で働き・・・・、そこに現れたのが娘を殺されてから離婚、その後死刑廃止反対を訴える女。彼女が殺され元夫が謎を追う。碌でもない親が贖罪のような形で安易に殺人者となり、、、、、ストーリー構成に無理を感じる、人ってそう簡単に過去に向き合えるのだろうか。初刊は2014年。

 <早見和真 『イノセント・デイズ』(新潮文庫、2017年)>:これも初刊2014年の文庫版。意図したのではないが又もや死刑が出てくる。中心になるのは女性死刑囚。彼女は生きるために死刑を望む。必要とされるのを求めるが、必要とされなくなるのが死よりも恐怖である彼女は刑を執行される。
 母が死に、義理の父から疎んじられ、唯一の血縁者である祖母に引き取られ、祖母に男がいれば無視される。同級生の罪を言い訳もなく受け入れて施設に送られ、つきあう男の暴力受け入れる。いじめ、あるいは強迫をする、される中学生男女が登場する。死刑を待つ彼女のかつての同級生は弁護士になり、彼女に面会を求めるも一度だけであとは拒まれる。刑務官も裁判の頃から死刑囚を見つめる。世の中に喧伝される死刑囚像と現実の違いが後半語られる。
 うまく物語を構成していると思うが、どうもそれぞれの人たちが薄っぺらく描かれている気がしてならない。すべての人が、である。そして人に頼り、その人に抗い、やがて少しだけ自分をみつめ、安寧の生活に入っていく。上手い小説なのだが物足りなさも感じる。それは多分、オレが年齢を重ね、小説世界を一過性の娯楽、時間潰しとしか捉えなくなっているが、その一方では何かしら気持の片隅に新しい何かを期待しているからであろう。

 先月東京都の島を巡ったとき、島の人たちに評価の高い焼酎「盛若」を買ってきた。以前、四谷の店で飲んだ八丈島の「情け嶋」が運良くあればと思ったが、さすがにそれはなかった。今日(4日)、ウォーキング歩数を稼ぐために駅前の本屋に行き-自室には積んでいる本が沢山あるのにまた2冊買ってしまった-、帰宅する途中でもしかしたら「情け嶋」があるかもと淡い期待で”やまや”に寄った。目当ての焼酎はなかったが、まったく期待していなかった青酎があるではないか、置いてあったのは「青酎麦」。迷わず35度の方を1本買った。盛若もまだ飲んでいない。ゆったりとした時間にこれら島の焼酎を飲んでみよう。機会を作って新宿にある青ケ島屋に行って色々な青酎も飲んでみたい。

2017年5月23日火曜日

『「勝ち組」異聞』

 <深沢正雪 『「勝ち組」異聞』(無明舎出版、2017年)>:日本からのブラジル移住者における「負け組」・「勝ち組」とは、一般的に、日本の敗戦を事実として受け止める前者と、いやそんなことはない日本は勝っているのだ、勝つに決まっているのだと狂信的に信じる後者がいたとする知識しかなかった。それは、歴史教科書が「移民」を表面的にしか扱っていないこともある。例えば近現代史に多くの頁を割いている『図説 日本史通覧』(帝国書院)では「特集 日本人の海外移民」が1頁編まれているが、極々簡単にしか記述されておらず、移住先での人々の生活あるいは歴史に思いを馳せることはできない。
 負け組の人たちを殺すほどの狂信はなぜ生じるのか、それが真実なのか、といったような想像を働かせる著作物や報道には触れることはなかった。新聞で『「勝ち組」異聞』の広告を見て、そしてまたそれが地方の秋田市にある無明舎出版から刊行されていることに興味を抱き購入した。
 ブラジル/サンパウロ市にあるニッケイ新聞に連載された記事を編集しているせいもあり、現地で一般的に知られていることもすんなりと入ってこない、重複する部分もある、各章の繋がりを理解するのに少し努力が必要などの不便さもあるが、ブラジルに渡った(サンパウロ中心だが)日本人の「日本への思い」を知るのに好著である。
 長い歴史を簡単に記すことは不可能であるが、本文から引用すると次のようになる。すなわち、「勝ち負け抗争は日本人同士が殺し合ったというコミュニティの歴史の恥部ではなく、ヴァルガス独裁政権時代の迫害が原因となっている人権問題である」(41頁)と。また、「勝ち負け抗争の本当の原因は"戦前戦中からの日本人差別"にあった。終戦後に、日本人差別への反抗心を"日本は勝ったはず"と思うことで押し通そうとした勝ち組に対して、官憲からの弾圧を恐れたのが負け組という基本構図があった」(27頁)。それは確かにそうであろうが、もっと深いところには、心の闇のような場所から自らを解放したいと希うときの、人間の本質的な弱さというものを想ってしまう。
 この本の内容を思い浮かべるときのために、以下キーになる言葉、あるいは引用を羅列しておく。
 戦前は関東大震災(1923年)があって罹災者の南米移住奨励政策があったこと、戦後は中国大陸などからの多勢の引揚げ者などによる国内人口増加や食糧難などの諸問題への対処として南米移住が再開した。
 戦前の移住者への諸外国の対応は、米国を代表的とする排日移民政策、戦争拡大とともに枢軸国への国交断行、資産凍結、敵性言語使用禁止、強制移動と集団隔離収容、日系指導者の逮捕、等々。米国における強制移動は有名だが、カナダでも映画『バンクーバーの朝日』でその一端を知り得る。米国に近しいブラジルも米国政策に追従し同様の政策を執った。
 移住者は出稼ぎのつもりで渡航し、5年か10年経って稼いだら日本に帰ると夢見ていた。
 ブラジルの状況は、1937年に独裁政権が誕生し、日本人たちへの迫害が始まった。「14歳以下の子供への日本語教育禁止」、「全日本語学校の閉鎖」命令。そしてブラジルに国家主義が高まる。日系社会では日本ナショナリズムを植え付けるべく日本政府が動いていた。日本の国家主義的傾向とブラジルのそれがコロニアで激突。大政翼賛会をまねた「大政翼賛会同志会」が発足。
 ブラジルが国交断絶を宣言し、その後街からの立退き命令、日系企業・日経金融機関・大農場に資産凍結令が出される。そのような状況下、日本国大使ら外交官や駐在員だけが交換船で帰国。移民たちは「置き去りにされた」との思いを強くし、「自分たちは棄民にされた」と思うようになった。
 戦争中まで移民の大半は「日本が勝つ」と信じていた。エリート層も同様にそう思っていた。エリート層主導の日本人文教育普及会も密やかに活動を続けていた。
 米国政府主導下、ブラジル政府はコロニアの指導者階級に注目し、スパイ容疑で逮捕して移民収容所や社会政治警察に収容し、拷問までした。植え付けられたのは「ぜったいにブラジル政府には逆らわない」という恐怖心。一方、移民大衆は「日本は勝つはず」と純朴に信じ続けた。1973年には24時間以内にサントス市居住の日本移民6500人が強制退去させられた。
 日本語新聞の発刊は禁止。情報は短波放送「東京ラジオ」。短波ラジオの所有も禁止させられていたがこっそりと持つ者もいた。しかし、日本の情報発信は「大本営発表」で、嘘偽りの戦果に接しては日本が戦争に勝って迎えに来ると心が躍る。もちろんブラジルも報道はするも、それは「アメリカのプロパガンダ」とするのが常識だった。
 ブラジルにあって日本の戦争に実感は伴わない。空襲はないし、バケツリレーもなかったろう。敗戦の「玉音放送」とそれまでの「大本営発表」のギャップは理解しがたいものであったろうし、負けるはずがないとの信念を抱いている。そもそも「敗戦」が意味することが分からない。敗戦は日本がなくなること、天皇制もなくなる、帰るところがなくなる、などの印象で、心の拠り所がなくなる。つまり敗戦を飲み下せない。指導者もいない。権威筋を求めて在郷軍人を中心にして「臣道連盟」が組織される。とびかう「戦勝デマ情報」を信じる。信念派。
 敗戦後もブラジルでは戦中の日本移民対処は続く。勝ち組の動きは反政府運動と捉えられることを恐れる層がいた。つまり、戦中に資産凍結や監禁・拷問をうけたリーダー/インテリ層で、彼らは負けを認識させようと動く。認識派。戦前・戦中時は日本精神を教える「日本人文教育普及会」を牽引する立場だった層が、敗戦を認めさせる動きをすると、勝ち組(信念派)は怒った。そこに「日の丸事件」が発生。勝ち組は強く反発する。殺人事件発生となる。一方、手勢のない負け組(認識派)にはポルトガル語が話せる者もおり、またかつての官憲への恐怖もあり、官憲側との繋がりを強くした。臣道連盟幹部の一斉検挙し、信念派への大弾圧開始。認識派が直接手を下したのではなく、ブラジル官権とマスコミを動かして「合法的」にやったとの分析もある。
 1946年3月から翌年1月までに20数人が亡くなり、数十人が負傷する。戦後のブラジル日系社会に発生した内部抗争である。1955年の「桜組挺身隊事件」が抗争の最後。
 しかし、2000年にブラジル人有名ジャーナリストがセンセーショナルな脚色を相当加えて「勝ち組=臣道連盟=テロリスト」という図式をブラジル社会全体に広め、大ヒットさせた。それに対して憤りを覚えた人たちが反論し、映画を作り、裁判も起こした。今もまだ続く「勝ち組」「負け組」抗争、或いはテロ組織として根付いてしまった臣道連盟である。
 著者が編集長として勤める「ニッケイ新聞」の記事はネットで読むことができる。

2017年5月19日金曜日

大島-新島-式根島-神津島

 5月14日午後に竹芝桟橋から船に乗り大島に向かった。2泊3日の東京諸島の旅行でいつもの如くのパック旅行。14日は大島/岡田港に降りてあとは温泉ホテルに宿泊するだけ。大島は2009年夏に高校同窓会以来で2度目。まだ明るいうちに三原山を眺めながら露天風呂に入り、夕食-特に椿油でのフォンジュスタイルの天ぷらが美味しかった-を摂って、部屋でだらだらとウィスキーを飲んで21時前後には寝てしまった。ベッドではなく蒲団のせいなのか何度も寝返りをうってはいるが翌朝7時頃まで寝てしまう。
 翌日は元町港(8年ぶり)から新島に移動。伊豆諸島最大の神社である十三社神社に立ち寄り、抗火石の採石場跡で石を拾い、峠の展望台から海を一望し、オリーブグリーンのグラスを買い、くさやを試食。くさやの里は非稼働日であったせいか臭いも少なく、皆も試食をして美味しいと繰り返し食べていた。我が家人も何度か試食し、すぐに食べられる形になっている商品購入の許可が出て、港のショップで買った。尢も自宅に帰って食するときは、臭さに十分に気をつかわなければダメだろう。
 新島から式根島まで村営の船に乗って移動。温泉に入りたいがために宿の人に地図をもらい、道順を教わって“温泉憩の家”に向かう。その公営の温泉にはシャンプーの類がなく、親切にも宿の人がボディーシャンプーからシャンプー・リンスまで貸してくれた。教えてもらったにも拘らず道の曲がり角で少し迷い、近くにいたオバサンに尋ねて歩を進めた。少し歩いたら横に車が停まり、そのオバサンが乗って行けばいいという、出かけるついでだから送ってあげると仰る。親切に甘えて温泉まで乗せてもらった。広くはない温泉だが気持ちよい。地元のジイサンと話しをし、ゆったりと湯につかった。
 夕食は前日以上に美味。宿は民宿の名を付けているが、なかなかにキレイで普通の民宿から抱くイメージをいい意味で裏切ってくれた。経営者は漁師さんで、刺身・島寿司などが美味い。特に金目鯛まるごと一匹は絶品-まるごと一匹と書くのは以前に尻尾だけで結構なお金を払ったことに起因するウラミみたいなものヵ。
 翌日は島に住む人の案内で海水浴場や展望台などを数時間歩いた。小学生の子供をもつ男性ガイドさんは奥さんが島の出身で、奥さんの親が亡くなって民宿を継ぐために島に来たとのこと。消防団の勤めや島の習慣は結構大変みたい。特に葬儀は島独特のしきたりがあり、話しを聞くだけでオレには絶対にムリだ、住めないと思った。
 島弁当を食べて神津島に向かった。当初の予定では神津島港にて降りる予定であったが、この日は三浦港に着いた。前者の港ならまだ時間潰しもできたであろうが、三浦港付近には何もない。添乗員さんが問い合わせてから待合室もやっと鍵が空けられ、ショップにも人が来て、やっとそこで時間を過ごした。店が開いたことで評判の高い焼酎である盛若を購入できたのが幸いだった。そういえば大島でも式根島でも、島の宿で飲む焼酎は安価だったし美味だった。
 神津島から式根島・新島・外島・大島の港に寄って竹芝桟橋に帰ったのが17:20頃。前日も21時頃には寝ていたのに、船中では殆ど眠っていた。本を2冊持って行ったのにページを開きもしなかった。島というと何故か南の島の思い込みが強く、東京都の島であっても遠く離れた島にやってきた感覚があった。小笠原にも行ったし、あとは八丈島には行っておきたい(焼酎がやはり美味い)、青ケ島は無理か。

2017年5月13日土曜日

60 Delicious Whiskeys (2/2)

 32本目から60本まで。続きはいつになることやら。




やら。

60 Delicious Whiskeys (1/2)

 2013年にCutty Sark aged 12 yearsから始まって12年ものを中心にウィスキーを購入して飲んだ結果が下の写真。当初は“やまや”にあるaged 12 yearsのウィスキーを制覇しようと目論んだが、店では新しい銘柄も随時並べており、終わることがない。
 Alcohol is the anesthesia by which we endure the operation of life.・・・Bernard Shaw



2017年5月10日水曜日

日々是好日

 ジトジトと雨が続き肌寒い。美園イオンに近い某トンカツ屋に初めて入ったが淡泊な味で美味しくない。二度と入らない。同じ価格ならイオン内のチェーン店が遙かにいい。過日行徳で食べたとんかつが今までで最上の味と思い出す。
 書店で新刊に手が伸びそうになるがグッとこらえて買わず。
 夕方、鍵を忘れてしまい家には入れないと娘の長男が来る。少し大きめの学生服が中一であることを示して初初しい。意外にもバスケットボール部に入り、楽しくやっているみたい。娘の子どもたちのためにいつもお菓子やアイスクリームを常備しており、彼は当然の如くに口にする。夕食前なのだが我が家に来たときは一切制限せず好きにさせている。母親から帰宅を催促するメールが来て、ご飯を少なめにしておいてと返事していた。娘もその理由を承知している。

 <雨瀬シオリ 『All Out 11』(講談社、2017年)>:絵が嫌いだと言いながらも11巻目に進み、ページを捲れば花園への神奈川予選が始まった。

長谷川卓(2)、雑感

 <長谷川卓 『嶽神伝 鬼哭 (上)(下)』(講談社文庫、2017年)>:2006年から長谷川卓の小説を読み始め、殆どの作品を読んでいるはず。今回は二日続けて上下2冊をほぼ一気読み。
 シリーズを通しての人物が登場するが年老いた猿のトヨスケは物語のはじまりで死んでしまった。越後の長尾景虎(上杉謙信)、甲斐の武田晴信(信玄)、北条幻庵、山本勘助、ちょこっとではあるが松平次郎三郎元信(家康)・織田信長・木下藤吉郎も物語を彩る。舞台はもちろん駿府・信濃・越後でありそこを縦横に走る”山の者”(無坂・月草・真木備)と忍びたち。山本勘助は自らが予想した死地である第4次の川中島の戦(1561年)で戦死する。
 信長の余命は12年、秀吉は28年で今回の物語は巻を閉じる。戦国の世はまだまだ続くが、たかだか数十年で徳川の天下を迎えるとも言える。
 
 フランス大統領選挙、韓国大統領選挙、両方とも予想通りの結果と報道される。フランス大統領選挙後は極右ルペンの敗北で株価があがり、円安となった。その点においては当方にとってはいいことである。韓国新大統領は北と話し合い路線ですすむらしいが、果して話し相手として相応しいのか首を傾げる人は多いであろう。両国大統領選挙の投票率は70%代後半、高いのか低いのか、はたまた適当なのか不適当なのか。この半分以下ほどの投票率の結果で当選バンザイをする日本の政治家(地方も含めて)たちはお芽出度い存在にも見えるが、どうなのだろう。
 翻って日本の参院予算委員会での質疑答弁、滑稽を通り越して呆れてしまう。問題をすり替えての返答、皮肉った笑みを浮かべた答弁、木で鼻を括るという用語事例に相応しい応答、錆の浮いた刀で何度も切ろうと試合に臨む人たち、等々、ニュース解説では議員の劣化と言うけれど、劣化した物品は通常は廃棄して新品にするが、それもできないで劣化したモノを見つめて喋っているだけの感もある。「自民党総裁としての考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてある。ぜひ熟読して頂いてもいい」でふと思った、首相は読売新聞を自らの広報誌と捉えているのかと。

2017年5月8日月曜日

早稲田ラグビー、血圧

 大学ラグビー春期大会、早稲田は初戦の大東大戦で0-27と完封され、次の東海大戦は前半イーブンなれど後半に7Tも奪われ29-67の大敗。今年も今のところはいいところなし。どうもFWやセットプレーがダメみたい。あとは流経大・帝京・明治との試合であるが、下手すりゃ全敗もあり得る。FWは昨年から結構変わっているので、春はまだチーム作りでしようがないとも思える。
 5月に入って1年生が出始めた。久保・下川・古賀・高吉は今後Aに絡みそうである。宮里はやはりHOに転向していた。かつての青木のような運動量を期待したい。梅津・桑山(淳)はまだ出てきていないが怪我なのか。特に桑山は長く出ていないので気になる。昨春に大きな怪我でもしたのか。

 昨年11月下旬から血圧を意識して幾つかのことに取り組んできており、数週間後から効果が出てきた。サボることなくやっているせいであろう、上が160前後、下が95前後あったのが、いまは130/80を切るようになってきた。このままの値で続くとは思えず、時には高くなるときもあろうが、まずは良しとしたい。

2017年5月5日金曜日

長谷川卓

 <長谷川卓 『父と子と 新・戻り舟同心』(祥伝社文庫、2017年)>:「戻り舟同心」の新シリーズ。もちろん中心は68歳二ツ森伝次郎であり、いつものメンバーが周りを固める。今回の物語の中心は上方の盗賊、夜宮の長兵衛が軸をなし、そこに真夏の存在が絡む。文庫本の表紙は牢内であり、顔を両手で覆う長兵衛に水を供する真夏とそれを見守る伝兵衛がいる。この表紙を覚えていて物語を読み続ければ最後の落としどころが容易に想像できる。真夏は小牧に見初められ、泥亀こと百井亀右衛門に養女に入る準備ができ、隼を思う伝兵衛の孫正次郎の恋はまだ先が長い。

 基本的に、時代小説は長谷川卓と永井義男のものしか読まないと決めてから1年ほど経った。佐伯泰英の「居眠り磐音」の子のシリーズにも手を出していない。鈴木英二を読まなくなってからは7年も経った。永井義男は新書を出しても小説は出していないからもう6年もご無沙汰。長谷川卓のもう一つのシリーズ「嶽神伝」の「鬼哭」を続けて読もう。

2017年5月4日木曜日

駒沢敏器の本

 <駒沢敏器 『アメリカのパイを買って帰ろう 沖縄 58号線の向こうへ』(日本経済新聞出版社、2009年)>:『ミシシッピは月まで狂っている』(1997年10月)、『語るに足る、ささやかな人生』(2007年12月)、『夜はもう明けている』(2008年2月))、『地球を抱いて眠る』(同年8月)以来、9年ぶり5冊目(括弧内は読んだ年月)。
 パイの店(「アメリカのパイを買って帰ろう」)、チビだった少年時代(「きみは小さいのでショーリーと呼ばれたんだよ」)、CoCo壱番屋(「嘉手納軍人のソウルフード」)、ブロックで家をつくる(「石の箱でおうちをつくる」)、SPAMの缶詰(「今宵はポーク缶詰のバラッド」)、コザの観光ホテル(「最後の京都ホテル」)、アメリカから外に出ざるを得なかった牧師の苦悩と前進(「教会を捨てて戦争にNOと云う」)、沖縄はアメリカのコロニーとなり、その後は日本のコロニーと化す(「芝生のある外人住宅」)、ロック・ポップスで沖縄文化を築いた人たち(「幻のラジオステーションKSBK」)。
 政治史、米軍の軍政史、経済史等々から見る沖縄にはあまり興味はない。それよりもアカデミックに著されることの尠い生活史に目が向く。地政学的に立っての米軍駐留是認、日本から離れたら経済的に破綻する或いは中国に隷属させられるとか、視座を「日本」におく無知蒙昧とも思える底の浅い感想もよくあるが、基本は人々の生活そのものに置くべきであろう。沖縄の歴史を感じ取るにはこの本のような視座に身を置くことが大切だとつくづく思う。それは歴史書で語られることは少ない。

 <駒沢敏器 『人生は彼女の腹筋』(小学館、2014年)>:著者最後の作品集である小説集(5編)。もっとも好ましいのは「ルイジアナ大脱走」だが、このコミカルとも言えるタイトルはいただけない。いっそのことストレートに「ノーリンのベニー・アントワン」とでもした方がよかったのではないか。「人生は彼女の腹筋」は分からないし、描こうとした「人生」が何なのか分からない。「那覇空港のビーチパーティ」は『アメリカのパイを買って帰ろう』に繋がっているが、ノンフィクションで描けた時間や空間が小説では描き切れていない感がある。

 上記2冊は購入したまま数年間は読んでいなかった、というより亡くなってしまったことに「何故?」がいつもつきまとい、もうこの著者の本は読めないと思うとなんとなく手が伸びなかった。
 『ミシシッピは月まで狂っている』でアイリッシュ音楽に惹かれ、エニスのミュージック・ショップに発注してアイルランド西クレア地方を中心にしたインディーズのCDを購入するようになった。『語るに足る、ささやかな人生』(いい本である)でアメリカの片田舎を撮した写真が記憶に残っている。
 2012年3月に「首に絞められた痕があっ」て、母親の書き置きもあったとの報道が成されている。あるブログには、前年末から原因不明の病気に罹っていたらしいとの記事がある。真の死亡原因は分かっていない。好きな作家がいなくなるというのは、自分の人生も黄昏時に向かって歩んでいるような気がして寂しい。
 『街を離れて森のなかへ』(新潮社 1996)は読んでいない。多分手にすることはないだろう。51歳で亡くなったその理由はネットを探しても見つからない。

2017年5月1日月曜日

飲み過ぎ?、風邪?

 27日(木)夕から飯田橋で飲む。昼食の量が多かったため最初の店では野菜サラダとポテトサラダだけをつまみにして二人で焼酎720mlを一本。これで帰宅すれば良かったがウィスキーを飲みたくなり神楽坂に向かう。4-5年ぶりに入った小さなスナックには客がおらず、店を出るタイミングが掴めない。帰宅の時間が気になって23:30頃にはやっと店を出た。しかし、そこからが大変だった。乗換駅を過ぎてしまい、気づけば千葉県に入っている。慌てて戻り、北千住からは北春日部行きの最終電車に何とか間に合い、駅から歩いて帰宅時間はほぼ午前2時。
 翌日は夕方頃まで何もする気がなく、家人の送り迎えをチョイとやっただけで無為の一日。土曜日も何か調子が悪い。風邪を引いたような気がした。そして日曜日は頭痛と悪寒で午後からベッドに入った。よくもまあ長時間眠れるものだと呆れるほどに寝た。夕方に起きて再度20時にはベッドに横になりひたすら眠る。
 疲れているせいか、風邪気味の所為なのか、いや宿酔ならぬ三日酔い・四日酔いに近いのか、いずれにしても全ての原因は木曜日の飲み過ぎであろう。8日の花見では抑制して飲んでいたのだが、その反動で飲み過ぎたみたい。酒精への耐性劣化、積み重なった年齢、反省の欠如。結婚・離婚・再婚への箴言を転用してみれば、飲酒に対峙するときの判断力の欠如、酒精の魔力と誘惑に対する忍耐力の欠如、繰り返す飲み過ぎへの記憶力の欠如とでもなろうか。

2017年4月19日水曜日

雑感、応仁の乱

 発した言葉を撤回しても発した事実そのものが霧散してしまうわけではない。そして撤回するにあたってはオブラートで包み込んでは意味をねじ曲げる。あざとい、汚らしい、二枚舌等々で形容される被せものがその人の身を醜く覆っている。腐った人間が権力を持つと言葉は軽んじられる。そもそも人は権力を持つと腐るのではなく、腐った人間が権力を持ちたがるという某評論家の指摘は的を射ている。
 全体から部分的に言葉を切り取っていいことも書いてあると是認してしまうのは、DVのような暴力をふるう者に対し、暴力を振るわれる側が彼(彼女)も優しくしていいところがあるのよと受け入れてしまうことと同じ事である。端的にはこの関係は相互依存症と呼ばれる。「切り離して『いいところもある』と評価するのは、まずは無知であるというしかない」(朝日新聞4月17日朝刊掲載の西原早大教授)。無知は無恥な行動と表裏一体でもある。そこに「美しい日本」があるとは思えない。美しくあるには「無知の知」を自覚することでもある。
 閣僚の発言撤回に「『一強』の緩み」というけれど、その一強を出現させているシステムのどこかが異様なのである。そのようなシステムから生まれる小システム(法律・社会性・世間等々)も奇妙な理屈で構築される。そして歴史は繰り返される。

 <『歴史REAL 応仁の乱』(洋泉社、2017年)>:洋泉社MOOK。新書を中心に話題になっている「応仁の乱」を気軽に囓り直してみようかと手に取った。登場する人物の多さはやはり混乱させられる。
 「結局、そこまでひどいことにはならないだろうと思って問題を先送りにしたり、その場しのぎの対応を繰り返していった結果、どんどん矛盾が蓄積していって全部ひっくり返るような大惨事になってしまったのがほんとうのところだと思います」(『応仁の乱』著作者の呉座勇一)の内容は今でも、否いつでも当てはまる思う。
 「政治システムの破綻によって苦しむのは、為政者ではなく、多くの庶民です。だから世の乱れを庶民の側から照射したほうが、時代の混沌ぶりをより具体的に浮き彫りにできると思ったんです」(垣根涼介)。歴史の描き方は史(資)料に基づくが、その史料に庶民の生活などが直截に書かれることは尠い。一揆にしても統制する側からの視座になりがちである。しからばその庶民の生活をもっとも描写するのは小説であろうと思う。「真実は虚構を通してのみ語られる」(魯迅)、あるいは「ノンフィクションは、事実は語るが真実は語れない。フィクションは、事実は語れないが真実を語れる」(柳田邦男の言葉を要約)のだから。
 「応仁の乱」をはさんで「永享の乱(1438年)」「享徳の乱(1454年)から「明応の政変(1493年)」までのたかだか55年ほどの間のできごとは複雑であるが面白い。時間の合間合間に、手許にある歴史講座や日本歴史の通史でもうちょっとこの時代に接してみようと思う。

2017年4月18日火曜日

文庫本一冊

 <岩城けい 『さようならオレンジ』(ちくま文庫、2015年-初刊2013年)>:在豪の女性作家が描く、豪州に流れてきたアフリカ難民女性サリマが再生する物語。サリマはアフリカ母語の読み書きもままならず、ナイフでもって精肉する仕事をして、男児二人を養う。英語を学び始めて日本人女性やイタリア出身の年配の女性と知り合い、自らの無学を感じ取りながら少しずつ前進する。子供の学校で拙いながらも作文を発表し、自らの生い立ちとこれまで生きてきた経緯を語る。下の子はそれを目の前で聴いてから母親サリマへの接し方が変わる。過酷な精肉作業を嫌って都会に逃げていった夫が子供を連れ返しに来るが下の子は列車に乗らなかった。仕事場でチーフになり、日本人女性にはダイガクに行くべきだと話し、英語教師からのすすめで地元紙から全国紙にも目を通すようになり、免許取り立てのかつての監督に誘われてドライブに行き、自分で立ち上がることを決心したサリマは小さくなる夕陽に「さようなら、おひさま」といい、これからも朝に出会い夕べに別れることを繰り返すその「おひさま」に、生きること、永遠の願い、祈り、希望を感じ取る。
 サリマの成長の物語と並行して、日本人の女性が恩師に宛てる手紙の中で自らの生活と思いを語る。
 豪州の片田舎、日本からやってきた女性(娘を亡くしてしまう)、イタリアからやってきて子どもたちが離れてしまっている女性、そしてアフリカ難民の女性。それぞれの女性が生まれた地理は広いけれど、描かれる女性達が抱える重いテーマが基底にあり、それらが柔らかく鋭く展開し、前に進むことで閉じる。
 異国の地の、多様な人々を描き出す日本人の小説であることに驚きもした。良質な小説であるが、全体的には物語が予定調和的に進んできて、これからの私の人生は明るい未来、私の周りの人たちはみないい人たち、のようになってくるのには、ああ、よく目にする感動の物語か、というつまらなさも感じた。

2017年4月17日月曜日

雑記

 一昨日(14日)、福島県立図書館からの取り寄せを依頼していた本4冊を受け取りに市立図書館を往復した。スリーウェイのバッグをリュック仕様にして歩いていたら汗ばんできた。図書館から本を借りるのも、まして他県の図書館から取り寄せてしまうのは2~3年ぶりヵ。翌日に必要な部分を写真撮影。本を撮影するための機材があればいいのだが、そんなものがある筈もなく、拡げた本を足指で押さえたりして不自然な格好を強いられ腰が痛くなる。単に一つの橋のことを知りたくて本を借りたのだが、そのうちにまとめよう。大した記事にはならない。

 16日、刺し身で日本酒を飲みたくなり、13時過ぎから飲み始めるが、酒量は以前よりすすまなくなった。ビール500ccに日本酒が300cc程度。2合にも達せずに終えてしまう。前日の寝不足のせいもあり昼寝をしてしまう。2時間も寝たら酔いは覚めていた。テーブルのグラスには飲み残しもあってそれを一息で飲んでしまい、今日の飲食はこれでお終い。
 とある企業からサービスがあり、選んだのがスコッチのBunnahabhain 12 years。これで封を切っていないウィスキーが3本でちょいと飲みかけているものは6本となった。12年もののウィスキー(12年がなければ10年)を飲み始めて58種となった。あと2本追加して60種と区切り良くしようかな。
 いまはOld Parr 12をなめている。この酒、個性がなく万人向けなのか、飲みやすい。物足りたくもある。

 今年の早稲田ラグビーへの新入部員は例年より少ない。そろそろ春のシーズンが始まるし、期待と不安で試合結果を見続けることになろう。フロントローがやや不安。1年生にはいい選手がいるので期待。横山はCTBもやるのか、宮里はHOに転向? 横山も宮里も全早慶明の慶応戦でそれぞれCTBとHOをやっている。横山のCTBあるいはFBはあり得ると思うが、宮里は想定外。

2017年4月13日木曜日

リッピング・ファイルのTag情報、小説一冊

 11日、春という柔らかな暖かさはなく、冷たい雨が一日中降っていた。
 CDからflacでリッピングしたファイルがたくさん貯まっていたので、11日はテレビをみながらtag情報を整理し続けた。SonyのHDDオーディオ・プレーヤーHAP-Z1ESでリッピングするのだが、Gracenoteから得られる情報は全てが統一されている訳ではない。リッピングしたファイルはHAP意外にもポータブル・プレーヤーにも入れており、検索のしやすさ、ファイルの管理上・視認性から自分なりのタグ情報形式を定めており、結局は個々のファイルを編集するしかない。頭を使うことも、さしたる集中力も必要としないのでテレビでも見ているときなどにPCを操作するようにしている。
 持っているCDやLPをすべてflacやmp3に落とし込もうとは思っていないが、いつまで続けることになるのか、自分でも分からないでいる。というより、いつまでも続けるわけにもいくまい。ほかにやるべき事もある。

 <松家仁之 『沈むフランシス』(新潮社、2013年)>:誰かの書評を読んで購入し暫く放っておいた一冊。
 表紙はモノクロームで雪と犬の顔。冒頭は水の流れに身をまかせ、足の裏が鋼鉄の柵にに当たって進めなくなり、進まなくとも良い、と独り語る。表紙およびこの冒頭の描写からフランシスとは中型か大型の犬であろうと漠然と予想した。しかし、物語から思うと、表紙に描かれた犬の鼻は、寺冨野和彦と抱き合っている撫養桂子の腹にあたる彼の膨らんできたものであるようだ。フランシスは水力発電のフランシス・タービンであり(大学の時に水力学で出てきたと思う-懐かしい)、台風で湧別川が増水し、フランシスは川に沈み、桂子と寺冨野は抱き合い、桂子にはなにも聞こえなくなる。そこでこの小説は終わる。
 桂子は東京の大手企業を退職して北海道の小さな村の郵便局で非正規雇用の局員として郵便配達の仕事をする。そこで知り合った寺冨野は音を聴く趣味があり、水力発電を保全する仕事をして一人暮らしをしている。二人は知り合って桂子は彼の家に通うようになる。一緒に料理を作り、食事をし、ベッドで抱き合う。
 この本の帯に書かれている文章を部分的に拾う・・・「五官ののすべてがひらかれる深く鮮やかな恋愛小説」で「からだをふれあうことでしかもたらされない安息と畏れ」とある。しかし、「恋愛小説」とは感じなかった。「畏れ」も感じ取れなかった。二人は恋愛をしているのではなく、北海道の自然の「小麦畑を撫でる風、結晶のままに落ちてくる雪、凍土の下を流れる水、黒耀石に刻まれた太古の記憶」のなかで、深く意識もせずに、そこに男がいるから、女がいるから料理を作り体を求め合ったあっただけに過ぎない。著者は恋愛小説ではなく、自然の中でただ流れるままの姿を描いたのではないかと思う。桂子の哀しみや楽しみ、東京を離れる理由が分からない。寺冨野は入れ込んでいる「音」から何を感じ取っているのかもよく分からない。乱暴を承知で書いてしまうと、深く悩みもせず、だから深い悲しみや膨らむ希望や楽しみを感じ取ることはできず、ただ食べること抱き合うことで時を過ごしている男と女を描いただけでしかない。この小説には共感もなく、ただ突き放してしまうしかない。無機的なフランシス・タービンの動きを二人の感情に重ねて象徴的に描写することはできなかったであろうか、そんな気がした。

2017年4月10日月曜日

4月8日

 <白石一文 『彼が通る不思議なコースを私も』(集英社文庫、2017年-初刊2014年)>:人の死期を感知し、発達障害教育の塾を経営する椿林太郎、未来テレビの発売に注力する妻の霧子。死・教育・愛・・・と深いテーマが続くが、最も惹かれたのは教育。学校教育、そこに勤める教師や親の姿勢、結局基底にあるのは日本人というのか個人個人の生きる事への思いの強さであり、考える能力にあると思う。世間への迎合、組織への盲従、後悔、誤魔化すことによる捻り曲がった自己弁護、そんなものがこの世界の底にこびりついている気がしてならない。
 林太郎は自己の信念に基づいて発達障害の子どもたちをねじ曲がった教育環境から救い出そうとする。霧子は仕事に取り組んでいるが林太郎の進んでいる道に時に懐疑的になりながら、前に踏み出していく。しかし、小説のはじまりは緩やかに坂を上り続け、終わりは何か急勾配を降りるような感じがした。
 超能力を身につけている主人公を登場させる小説は嫌いなのだが。白石一文の小説だけは別。なぜなら彼の小説は豊かな想像力(鋭い感性)と深い思考があり、超能力はその手段でしかないからである。

 8日は68歳の誕生日。最近は年齢をなるべく意識するようにしている。若いつもりでいることに陥りやすいが、本当はそれは大いなる誤解であると自覚するためである。
 この日は高校同窓会の花見。時折雨が降ってくる天候のせいであろう上野公園に繰り出している人はとても少ない。トイレに並んでいる人もおらずそこは助かる。最後には雨が降ってきて花見終了となり、カラオケへと繰り出した。
 カラオケ終了後、まだ時間が早いので、“みはし”と“がんこ亭”で家人へのお土産を購入。
 蕎麦を食べたくなりTHの案内で歩を進めたが生憎と店は閉じていた(潰れたのか)。二人で駅に向かうと海鮮料理の居酒屋があり立ち寄った。そこで貝などを焼きながら少し飲む。同じテーブルの端にいた若い女性と話を交わし、彼女が会計を終えた後でこちらに誘う。鹿児島/垂水出身で大学では物理を専攻し、いまはLSI設計に携わっているようである。この日に読み終わった前記の文庫本『彼が通る不思議なコースを私も』をあげ、我々二人は上野駅方面、彼女は湯島方面に向かい別れた。
 間違ってJRに入ってしまい、ままよと大宮経由で無事に帰宅。