2017年6月24日土曜日

新書一冊

 <山崎雅弘 『「天皇機関説」事件』(集英社新書、2017年)>:1935年の「天皇機関説」糾弾から短期間に美濃部は追いやられ、国体明徴へと流れていくが、どうしても「国体」を声高にする人たちの思いがどこから、なぜ生じるのか理解できない。江戸期の国学もよくわかっていないし、そもそも天皇を崇める心性がストンと入ってこない。天壌無窮、万世一系、万邦無比、万古不変、神聖なる、云々と冠が付くことに何か言訳がましさを感じてしまい、逆に言端の軽さを受け止めてしまう。糾弾に至る過程は現在の流れと相似性を有していることは間違いなかろう。・・・ふと思った、「個」がないことは自立しないことであり、それは自律することができないことで、結局は依存性が高まることであり、それがあの時代には色濃く出たのではないかと。それに日本人は管理されたがる傾向があり、逆に組織的に管理したがる人が多いのかも。集団化しやすいといってしまえばそれまでだが、それで済まされることでもない。

 加藤陽子『昭和天皇と戦争の世紀』(講談社、2011年)、瀬川真希「満州事変・日中戦争の勃発と立憲政治」(『岩波講座 日本歴史 近現代3』講談社、2014年)、有馬学『日本の歴史23 帝国の昭和』(講談社学術文庫、2010年)第3章第4章に目を通した。何年か前に引いた線が残っているところもあるが、気分的、記憶的には初読のようなもので、あの時代は何だったのか、現在とどう変わっているのか変わっていないのか、過去から現在へと繋がっている縦糸と、そこを横に紡ぐその時の時代の横糸はどうであるのか、興味が消えることはない。
 明治維新から先の敗戦まで77年の時の経過があり、敗戦から現在まで72年経っており、物差しを当てればほぼ同じ年数となる。感覚的には前者が後者よりも圧倒的に長く感じられる。つまり、敗戦後から現在までの変化の振幅が、明治維新から敗戦までの間のそれよりかなり小さいと思える。
 現在が過去というプラットホームの上に立つとするならば、その過去を深く知りたい。とりあえずの焦点は明治維新、先の戦争前後に関した本-手元に未読のままとなっている本-を読むこと。何年かかるか分からない。

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