2021年1月28日木曜日

雪が降らない、小説2冊

 先日、夜中に雪が降るかもしれないとの予報に期待したが、朝目覚めてすぐに窓外を見るもまったく白い風景は見えず、雪国生まれの淡い郷愁を味わうことはなかった。
 今日、東京では雪とのニュースが流れたが、ここ春日部には降ってくれず、雪のない冬に愚痴を言いたくなる。しかし、川口市で生まれた連れ合いは、かつての富山の雪の中での生活を恨んでいて、雪の情景を楽しむという気持ちはまったくないようである。

 <乙川優三郎 『地先』(徳間書店、2019年)>:8篇の短編集。最初の「海の縁」は著者を投影したかのような作家が主人公で、御宿に投宿あるいは死を迎えた過去の実在の作家・美術家たちが登場する。他の7篇は、信州の高原に移り住んだ女性、フィリピンから安房小湊に出稼ぎするダンサー、美大時代に付き合っていた男の零落を見る女性、家族のためにバーに転職した女性、朗読の仕事をする女性と劇作家の付き合い、不倫の男と海外リゾートに息抜きの旅をしてその地で男が事故死して女は房総に戻り新しい一歩を踏み出す。書名の「地先」では絵を描く男がスポンサーの女性から別れ御宿で新しい情景を見つける。
 乙川さんの本を読むといつも静かな落ち着いた気持ちになる。

 <桐野夏生 『日没』(岩波書店、2020年)>:帯に書かれた本書の紹介-「ポリコレ、ネット中傷、出版不況、国家の圧力。海崖に聳える収容所を舞台に「表現の不自由」の近未来を描く、戦慄の警世小説。ありとあらゆる人の苦しみを描くのが小説なんだから、綺麗事だけじゃないよ」。
 帯に書かれた本書の概要-「あなたの書いたものは、良い小説ですか、悪い小説ですか。小説家・マッツ夢井のもとに届いた一通の手紙。それは「文化文芸倫理向上委員会」と名乗る政府組織からの召喚状だった。出頭先に向かった彼女は、断崖に建つ海辺の療養所へと収容される。「社会に適応した小説」を書けと命ずる所長。終わりの見えない軟禁の悪夢。「更生」との孤独な戦いの行く末は-」。
 主人公のこの世のへの思いを最初の頁から引用する。「私は基本的に世の中の動きには興味がない。というのも、絶望しているからだ。いつの間にか、市民ではなく国民と呼ばれるようになり、すべてがお国優先で、人はどんどん自由を明け渡している。ニュースはネットで見ていたが、時の政権に阿る書きっぷりにうんざりして、読むのをやめてしまった。もちろん、テレビは捨てたし、新聞も取っていない」。
 我が身のことを書けば、新聞は一紙とっていて、デジタル版のニュースは二紙を購入している。以前は書店では販売していないニュース誌を購読していたが、それはやめてしまった。つまり、「私は基本的に世の中の動きには興味はあるが、最近は絶望を覚えている。ニュースは一通り見るも苛立ちと絶望の増幅を回避するために繰り返しては見ないようにしている」。

2021年1月22日金曜日

ミステリー2冊

 <神護かずみ 『ノワールをまとう女』(講談社、2019年)>:昨年の江戸川乱歩賞受賞作。ヘイト・デモによる企業の炎上を裏工作によって沈静化する女性の活劇。元総会屋で企業の顧問としてトラブルを鎮火させる原田、施設育ちの西澤奈美、奈津と同じ施設で育ち彼女を目標とする雪江。奈美の話し相手はAIナツエ、奈美のアシスタントとして動く黄、ヘイト・デモのリーダーはエルチェ。彼らが頁の上を踊る。
 奈津と雪江のベッドシーンはまだしも、繰り返される酒と煙草の描写には辟易する。いろいろな仕掛は面白いのであるが、最後の原田と奈美が対峙するシーはつまらない。評者の新井素子は様式美として楽しいというが、テレビのいろいろなミステリー・ドラマのラストで繰り返される謎とき・動機説明シーンの様であり面白くない。物語の軸を奈美においているが、章ごとに人物を入れ替えて視点を変えるともしかしたら重厚な様相をもたらしたのではないかと思った。
 女性を軸として活躍させること、奈美と雪江のベッドシーンが何箇所かあること、などから著者は女性なのかとも思っていたが、読後にwebで確認したら「女性を主人公にした作品が好き。女戦士フェチと言いましょうか…。強い女性、強くあろうとする女性を書きたかった」とする受賞時58歳の男性であった。

 <辻真先 『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』(東京創元社、2020年)>:本書は、「ミステリーが読みたい! 2021年版」、「週刊文春ミステリーベスト10 2020」、「このミステリーがすごい! 2021年版」のそれぞれで1位を得て3冠を達成した。著者は1932年生まれ御年88歳。とんでもない数のアニメの脚本、ミステリーを世に送り出し各種の賞の受賞も多い。が、読者となるのは本作が初めて。
 2回に分けて読んで、出だしは前置きが長くいつになったら本筋のミステリーに入るのかと少しジリジリしたが、読み終えてみればその思いも消え失せてしまい、情景・時代描写の滑らかさ、構成の巧みさ、人物たちの活写には「素晴らしい」としか言えなくなった。「たかが殺人じゃないか」に含まれる時代性、物語最後の5行が始まりのそれであるのには感動すら覚える。
 殺人のトリック自体にはさほど興味はなく、小説構成に上手さを感じた。また、味わったことのない高校共学に羨望を抱いたかもしれない。自分が昭和24年生まれであるからこそ余計に楽しめたのであろう。同時代性ということでは、刊行予定にある、昭和36年を舞台にした作品も期待する。昭和12年を舞台にした前作も読んでみようか。

2021年1月20日水曜日

短歌、俳句

 恒例の東洋大学「現代学生百人一首」、第34回入選作より以下を選択。コロナ禍に関するものが多かった。響いてくるものが少ない。昨年にも増して感性が鈍くなったか。

      プラトンもアリストテレスも教えてはくれない進路も君の気持ちも 
 明治時代ならばまず出て来るのはカントであろうか。
 哲学者に頼っても何も教えてはくれない。でも将来の君の夫が哲学者になることを望むなら、君は悪妻への道を突き進めばよい。

      化学基礎教えてくれる君の手に働いてほしい分子間力
 いっそのこと触れてしまえば? もしかしたら汗が沸騰するかも。 

      お疲れと手を振ったけど気付かれず静かにしまう私の右腕
 振った手をしまうことを知っている君は大丈夫、いつか人を愛し人に愛される。少なくとも感情にまかせて拳を振り上げ、下げることを知らない不遜な輩(例えば政治家)よりは素晴らしい。

      軒下は腹を空かせた燕の子早く逃げろよ番いの蜻蛉
 今回はこの句が一番好きである。心揺らぐ現実を見ても蜻蛉たる君たちは恋を成就して逃げれば良い。この世は常に選択を強いられる厳しい現実があるのよ。でも、まあ、「命のスペアはありませんヨ 青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい」と加川良はそう歌っていた。

      政府から「不要な外出控えてね」時代が僕に追いついたようだ
 この諧謔性はとてもいい。政府を嗤い、自分を見つめよう。

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 久しぶりに見た「プレバト」。森口瑤子さんの俳句を読んで森口さんが好きになった。

      仏壇の 向日葵も くたばつてゐる (夏井先生の添削後)
 思いを寄せていた人も、明るい日々を飾っていた向日葵も呆気なく死んでしまったじゃないか。命って何だ、口惜しいじゃないか、命って奴めくたばってしまえ。

      ブティックの 鏡うそつき 落葉蹴る
 女心は今もって良く分からないが、この句は女性の奇麗になりたいという気持ちと悔しさがカワイク表現されていると感じる。
 電車やバスに乗った女性の多くは同性にチラリと眼を向ける、そして思う、「私は一番ではないけれど、あの人よりは上だわ」と。鏡に映る我が身を見て、俳句の中の女性は「彼女よりは上だわ」と感じなかったのかもしれない。思わず落ち葉を蹴ってしまった-落ち葉にすべらなければ良いが。
 ・・・妄想も甚だしいか。

      謎解きの 頁に蜘蛛は 果ててゐる
 謎ときはミステリー、読み終えて暫く経った頁を開くと、謎の真犯人である蜘蛛が追及に逃げ切れず朽ち果てていた-そんな物語が瞬時脳裏に走った。とても好きな句。

2021年1月18日月曜日

暫くは小説

 暫くは小説を続けて読む。

 <東野圭吾 『仮面山荘殺人事件』(講談社文庫、1995年/初刊1990年)>:初刊は1990年トクマ・ノベルズで、文庫版は1995年、そして今回手にしたのは文庫版2020年95刷で、カバーは2枚重なっており、息の長い作品である。山荘に集まった8人を中心にした叙述トリックに感心してしまった。車で事故死した女性の真の死の原因を探るべく大きなトリックが仕掛けられ、婚約者であった主人公が騙される。美事な仕掛けに読者は振り回される。

 <柳美里 『JR上野駅公園口』(河出文庫、2017年/初刊2014年)>:昨年全米図書賞翻訳部門を受賞したことより手に取ってみた(書名はTokyo Ueno Station)。最初に思ったのはこの本を翻訳した人(ロンドン在住のMorgan Giles)の力量で、相馬地方の方言、浄土真宗での葬儀の言葉、擬音語などを翻訳する能力に感服し、次にこの小説を著した著者の才能に対し単純にスゴイと思った。小説を書ければいいだろうな、書いてみようかなどという戯言は安易に口にすべきではない。
 主人公(カズさん)は上皇と同じ昭和8年に旧相馬郡八沢村(現南相馬市北東部)に生まれ、生きるため、7人もの弟妹を食わすために方々で働き続ける。昭和天皇の母-貞明皇后(節子=さだこ)-と同じ漢字の名前を持つ女性と結婚をする。節子は21歳で再婚だった。
 主人公が東京に出て来たのは30歳、土方仕事をやり、東京オリンピックの設備建築などで土方をやり、妻や子どもたちと時間を共にするのは、60歳で故郷に帰るまでの間に累積1年もなかったであろう。22歳から出稼ぎを始め、北海道や東京で48年の長きにわたって働いた。
 今上天皇と生年月日が同じで名前も幼名浩宮にちなみ浩一と名づけた息子は、レントゲン技師の資格を取得してすぐの21歳で孤独に死に、妻は主人公と一緒に暮らした7年が経って65歳で亡くなる。一人になった主人公を心配して21歳の孫娘が同居するが、彼女を縛っておくことは出来ないと、主人公は家を棄て東京に出てきて上野でホームレスになる。公園口に広がるのは上野恩賜公園、天皇や皇族が訪れることが多くそのたびに「山狩り」と呼ばれる特別清掃が行われ、その実体はホームレス排除。すなわち、天皇の祈りの対象外にホームレスはある。御料車の中で「罪にも恥にも無縁な唇で微笑」むその人は、「挑んだり貧ったり彷徨ったりすることを一度も経験したことのない人生」で、主人公と同じ年を重ねている。「山狩り」にあってもなおその御料車に手を振る主人公の姿は肉体化された天皇制と言える。去った南相馬の地は2011年3月11日に津波で大きな被害を受け、孫娘は飲み込まれて死に、主人公は帰る気持ちを棄てたその故郷も失った。

2021年1月17日日曜日

ラグビー・シーズン終了、『近代日本の陽明学』から

 高校・大学ラグビーの今季シーズンが終了した。これで昨年10月02日からの“J SPORTSオンデマンド”の契約を解約した。次の契約は(コロナ禍が沈静化していればの前提に立つが)来季秋になる。
 天理大の初優勝が素晴らしいものだから決勝戦終了後のシーンをBDに落とし込んだ。早稲田が敗戦したのにBDを作成したのはこれで3度目。最初は2006.02.19の東芝府中戦(佐々木主将0-43のスコアだが早稲田のThe Best Matchと思っている)、2度目は2009.02.15のサントリー戦(豊田主将20-59で監督は中竹さんと清宮さん)。
 次季の主将は長田、副将 or FWリーダーは小林と予想する。1ヶ月もせずに発表されるであろう。

 <小島毅 『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ、2006年)>:「陽明学」の呼称は明治になって日本で作られ定着した(『日本思想史辞典』)。明治期の陽明学派の論の核は「日本の誇る道徳修養の教えでもあり」、「彼らの陽明学は、王陽明の陽明学ではな」かった。
 “朱子学の教義に疑問を感じる→煩悶する→自分独自の考えを練っていく→陽明学について知る→「これだ!」と思う”。そして“他称「陽明学者」は、自称「聖学の徒」となる”。“陽明学には党派意識があまりない。学閥を作らない。自分の門人たち以外とは群れない。すなわち、逆に言って、はたから見ると内部分裂が激しい”---この中の幾つかの言葉を違う言葉に置き換えればある思想や感情に当て嵌まる。ぴったりと。
 本書に登場する主要人物を羅列する-大塩中斎・藤田幽谷・藤田東湖・(自己陶酔する)吉田松陰・三島中州・三宅雪嶺・内村鑑三・西郷隆盛・井上哲次郎・高畠素之・大川周明・安岡正篤・山川菊栄・三島由紀夫。
 山川菊栄と三島はともに水戸学ゆかりの血を引くことに著者は「深い衝撃を覚えた」と書くが、この「深い衝撃」がよく理解できない。すなわち、その水戸学が二人の思想にどう繋がっているのか、本書からはうかがえない。
 面白いと思った分析を続けて幾つかを羅列する。
 Enlightenmentの本来の意味は「神が与えてくれた各自の理性(reason, Vernunft)を自らの努力で光り輝かせる意味」であるが、『易』の文言を利用して「啓蒙」と訳された。しかし、儒教での「啓蒙」は蒙を啓く、i.e.,「愚か者を教え導くこと」で以降「啓蒙」となっている。
 「日清戦争」と「支那事変」の歴史用語における「清」と「支那」の国名の使い分け、及びそこにおける靖国神社の「支那」呼称との符合性、また宣戦布告せずに「事変」と呼称する不遜さ。
 「白い陽明学」-「自分の頭で考えた末の国体護持主義」、「赤い陽明学」-「幕末以来の伝統をある意味正しくうけついで、革命の理想に燃える人士も陽明学に惹かれていた」。日本に基層の如く沈殿する思想性とでも言えばいいのだろうか。
 藤田東湖を敬愛しその後継者たらんとした西郷隆盛。西郷を敬愛する山形庄内地方の人びと。その地に生まれた大川周明は西郷を終生尊敬していた。しかし、庄内地方でなぜに西郷を敬愛するのか、それは庄内地方での官軍の余りの暴虐を西郷が計算づくで止めさせただけではないかという解釈もできるし、自分はそう考えている。庄内ではそれを慈悲深き西郷と感じただけで、官軍のもともとの暴虐の指揮は誰だったのかを横に措いている。大川はそれをどう思っていたのだろうか。
 三島と石原慎太郎をさして、「日本刀を愛するか、ヨットを愛するかの趣味の違い」。これが最も面白い。

2021年1月12日火曜日

決勝戦後のシーンを振り返って

 昨日の深夜、録画していたドラマを見終わってから再生モードを番組モードに変更したとき早稲田vs天理の試合が再放送されており、テレビには試合後の天理大の歓喜と個々の選手の喜び、一方早稲田の選手の涙する表情が映し出されていた。26年間監督を務めた小松監督が手にした優勝の喜び、朴訥な感じのする松岡主将の感謝の意を込めた言葉、早稲田の吉村や河瀬や多くの選手たちの涙。それらを眼にしてスポーツっていいな、と深く感動した。

 目標、それは勝利であり、強くなりたいという希いでもあり、そして戦って勝利や敗北の結果を受ける。 これまでの人生の中で受験や仕事など個人としての努力はたくさんしてきたと自賛に近い思いを抱くが、振り返ってみるとチームとして歓喜し雀躍するほどの達成感を味わったことはない。
 高校・大学受験に失敗し成功するもそれはあくまで個人的な範疇を超えるものではない。仕事で新製品を開発し、初号機が完成しても一担当者としての反省や組織運営への不満が幾ばくかくすぶって残滓として心の中に沈殿することが多かった。その反省や不満を次の製品開発に向けて修正し取り組むのであるが、それは大きな会社組織という中でいかんともしがたい壁に直面し、個人的力量の限界も知り、徒手空拳という状況に陥ることもあった。
 天理と早稲田の試合後のシーンを見ていると、選手たちやコーチ・監督たちの一つの目標・目的に向かってのたくさんの思いが凝縮されていることがうかがえ、改めてスポーツ(ラグビー)の素晴らしさを感じた。

 昨夜のブログのタイトルに「早稲田惨敗」と記したが、これは失礼な気がした。決して「惨めな」敗けではないと思い、タイトルを「早稲田完敗」に修正する。「完うした」敗けと言い直す。

2021年1月11日月曜日

早稲田完敗

 天理大学の準決勝明治戦での圧勝を踏まえ、決勝では早稲田はかなりの苦戦を強いられ、昨年の準決勝での天理大自滅でもなければ勝利は難しいか、それでも可能性は薄くとも早稲田は勝つかもしれないとの淡い期待以上に全体的には(総合的俯瞰的には)ネガティブに考えていた。結果は早稲田の惨敗。決勝戦においては過去最高の得点を天理は奪い取った。CTBフィフィタの圧倒的強さ、それに加えFWの余裕ある出足の早さと接点への隙のないフォローなど、豊富な運動量と強さだけが見せつけられた。劣勢に回っているからこそ早稲田はL/Oでのフッカーのスローイング・ミスが続くし、帝京戦で見せたモールも全く通用しなかった。
 それにしても3連覇同志社以来36年ぶりの関西勢の優勝とは想いもしていなかった。天理大学の留学生勢の活躍、それに来季からは彼らの出場枠が3人となることを思うとこれからは留学生たちの募集は尚更に加熱するであろう、否、もう加熱しているか。
 来季の大学選手権出場枠は関西リーグから1枠増え、関東対抗戦グループからは1枠減るであろう。
 早稲田の決勝戦での先発15人の中で4年生は5人、リザーブを含めた23人中では6人。来季に大いに期待。主将は誰になるのか想像し始めている。

2021年1月9日土曜日

○○の音楽、高校ラグビー、漫画

 エリック・サティは室内楽曲を作曲するにあたって「家具の音楽」を意図していた。即ち、室内にあってそこでの日常生活の邪魔にならず、意識しなくともすむ音楽である。室内で、例えば本を読んでいるときに聴く音楽は好きな曲ではなく、また嫌いな曲でもなく、読書に没頭すれば流れている音楽を意識しないですむ音楽であり、選曲を間違わなければ「家具の音楽」は空気のように部屋に充満する。
 ウォーキング中にはいつもワイヤレス・イヤホンから音楽を流している。クラシックはさすがに流さず、欧米のポップス、映画音楽やイージー・リスニングなどで日本のポップスや激しいロックは流さない。いまはアイルランドのケルト・ミュージックを流していてこれがとてもよい。眼に入る風景ともフィットする。歩いていてふと思った。こういうとき、「家具の音楽」にたとえれば、ウォーキングのときの音楽は何の音楽と呼べばいいのだろう。語彙不足、感性不足、想像力不足のせいなのだろう言葉が浮かんでこない。

 高校ラグビーは予想通り桐蔭学園の優勝で幕を閉じた。決勝戦で特に記憶に残った選手は桐蔭ではNo.8で主将の佐藤、LO青木、FB矢崎(まだ1年生で将来早稲田に進学することを期待)、京都成章では何と言ってもLO本橋であの体躯は魅力的、どこの大学に進むのだろうか。 
 例年行われている高校日本代表の海外遠征が中止になり、代わりに優秀選手30名が発表された。早稲田に進学する桐蔭/佐藤、國學院栃木/細矢、桐蔭/宮尾が選ばれており、30人の中でSHはこの細矢と宮尾の二人で、来季から早稲田ではSHの競争はますます激しくなる(今でも1~3年生で9人もSHがいる)。

 <小梅けいと 『戦争は女の顔をしていない 1』(KADOKAWA、2020年)>・<小梅けいと 『戦争は女の顔をしていない2』(KADOKAWA、2020年)>:原作はスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ。第二次世界大戦中の旧ソ連軍の退役女性兵士の実録インタビュー、オーラルヒストリー。本書は旧ソ連において戦争に参加した(せざるを得なかった)女性たちのそれぞれの戦争への加わり方を振り返っている。単にそれだけであって戦争への根源的問いかけのような姿勢は見られない。極論すれば戦争に参加した女性たちの個々の思い出と哀しみの凝縮。(漫画ではない)原著を読めば違った感を抱くかもしれない。
 女性たちが少女っぽく、幼い風貌で描かれることに違和感。それに「女の顔をする戦争」とは何だろう、逆に「男の顔をする戦争」とは何だろう。本書のタイトルから想像すれば、「女」を枠外におく思考が基底にあるような気がする。そこに本書の底の浅さを思ってしまう。

2021年1月2日土曜日

箱根駅伝とラグビー大学選手権

 2日、朝から箱根駅伝。早稲田の目標は総合3位以内ということだが、往路の結果を見れば昨年と同じくシード権獲得とした方がスッキリした。
 出だしは5位、2区で13位に落ち、3区で6位に上がり、4区の途中でテレビのチャンネルをラグビーに切り替え、連れ合いは自室に入って駅伝の視聴を続け、こっちはラグビーを見ながらスマホに駅伝を映してチラチラと見ていた。で、4区ではなんと3位になっているではないかと喜んだが、ラグビーを観ている途中でスマホに眼を向けると早稲田の姿が確認できなくなっていた。終わってみるとなんと11位になっているではないか。1年生走者は区間19位で1位の選手には5分以上の差が開いていて、ゴールに入っては涙を流していたような感じだった。
 明日はトップの創価大学から7分4秒遅れでスタート。是非ともシード権だけは取って欲しい。

 さて、2日メインのラグビーは準決勝で帝京との試合。結果は33(5T4G)-27(3T3G2PG)。13点差の時点で残り時間が少なく負けるとは思わなかった。バックスが走っての3トライと、2本のモールトライは素晴らしかった。スクラムはやはりかなり劣勢で決勝戦が心配。

 明治vs天理戦は41(6T4G1PG)-15(3T)で天理が圧勝。試合が始まる前に連れ合いからどっちが勝つと思っているのかと問われ、大した根拠もなく、天理が勝つ明治はそこそこに点差を広げられる、と言った。その通りになった。接点への絡みが天理は早く、ボールキャリアへのフォロワーもしっかりとしていた。後半の半ば過ぎから時折明治の箸本主将の顔がアップされ、空ろな精気のない表情で寂しげな感じであった。
 試合終了後のインタビューでフィフィタが「決勝は今日よりも強い相手だから・・・」のようなことを言っていたのには笑ってしまった。それは明治に失礼でしょうって。
 天理は早稲田に対して昨年の準決勝完敗の雪辱と優勝を目指して激しく当たってくるだろう。

2021年1月1日金曜日

元旦の雑記

 高校ラグビー3回戦、東福岡vs石見智翠館、流経大柏vs常翔学園、接戦の両試合が楽しめた。両方とも終了間際での逆転であり、勝った方の喜びと惜敗した方の悔しさが伝わってきて、激しさの中の瞬時の動き、個々の選手の動きに魅了された。
 シード8校のうち2校は2回戦で敗戦。早稲田への推薦が決まっている選手4人が在籍する高校では桐蔭と京都成章の2校がベスト・エイトに進んでいる。何となくではあるが、桐蔭が優勝するような気がする、というか期待したい。

 ラグビー大学選手権と箱根駅伝、明日は朝からテレビに釘付けになる。

 テレビと言えば年末と正月のテレビ番組はつまらない。特にバラエティーと称した番組は見る気が全くしない。所謂芸人と称する人たちは何を芸としているのか理解(認知)できないし、タレントと称される人たちのタレント(才能)は何なのだろうと思う。

 このブログで訳の分からないことが起きている。12月26日と30日、31日での閲覧数が過去にない異常値を示している。それぞれ2130回、140回、1208回で、過去にはいくら多くとも80回程度であり、それも年に数回あるかないかという程度だった。1日で10回もあれば多いという感じなのに一体何が起きているのだろう。直近30日で見れば、ドイツでの閲覧が70%で、次がウクライナの23%という比率で理解不可能、想像・推理も出来ない。最初はBloggerの統計情報ミスとも思ったが、それも得心できないし摩訶不思議。