2021年12月30日木曜日

White Christmas, White Winter、『黒牢城』

 White Christmas, White Winter・・・・。小学生から20歳ころまでは奥会津の雪深い地で正月を迎えており、学生生活を終えてから暫くのあいだの正月は北陸の雪の中で過ごしていた。今この春日部の地で白い冬を味わうことはなく、何気なく遠くの山々に向ける目には朧気に昔のモノクロームの風景が浮かんでくる。その若いときに眺めた情景が今よりカラフルだったとも想える今日の寒空。

 <米澤穂信 『黒牢城』(角川書店、2021年)>:荒木村重は信長に反旗を翻し有岡城に籠城。黒田官兵衛はその村重によって土牢に幽閉される。物語は官兵衛が幽閉され、村重が有岡城から出奔して官兵衛が救い出されるまでの間で、天正6年(1578年)~天正7年。村重は有岡城内に発する難事件の解決を官兵衛に求める。戦国の世における武将の駆け引き、一向宗やキリスト経の関わりなどを軸に事件の謎を解く。
 歴史とミステリー、戦に臨む武士の意欲と心情、村重の妻の人世に向き合う姿勢、などが絡み合い、いままでのミステリーの枠を超え、重厚な文章と深い心理描写も相俟ってどっぷりと嵌まって読まされた。
 『このミステリーがすごい! 2022年版』(宝島社)、週刊文春ミステリーベスト10、「ミステリが読みたい! 2022年版」(ハヤカワ)、『2022本格ミステリ・ベスト10』(原書房)、第12回山田風太郎賞(角川書店)、とミステリー界のトップを総嘗めした傑作。

2021年12月27日月曜日

早稲田ラグビー敗戦、USB端子の補強

 大学ラグビー、早稲田は明治に負けた。FWDの劣勢は最初から判っていることで、かなり押されていたし、反則も重ねた。それを覆すのはアタックの精度であるのだが、それを自滅的に崩してしまっては勝てるはずがない。
 後半、SO伊東が抜け出して確実にトライチャンスと思ったが、WTB小泉のパスミス(SH宮尾のノックオン)をやってしまった。自陣ゴールライン手前で何度もスクラムの組み直しをし、ペナルティを重ね、明治のトライが重り、1トライ差を追いかける展開。その後攻撃パターンを変えようとしたのか、伊東が吉村と変わり、その吉村がラストチャンスのペナルティキックで、あろうことかタッチラインではなくゴールラインをオーバーさせてしまった。残り時間がないなかで、スクラムからのリスタートでもうボールをキープされるだけなのでそこで早稲田の敗戦は決まった。確実なトライチャンスを取り切れなければ負ける。それに、FWDの力がなさ過ぎる。慶応にも帝京にも明治にも、おそらく天理にも京産大にもFWDの力は劣っていよう。来季はどうなるのだろう。
 京産大が日大に1点差で勝ち、15季ぶりの準決勝進出となった。勝敗の分岐となったペナルティをおかした日大は悔しくて仕様がないだろう。慶応は東海に敗戦。準決勝は帝京・明治・京産大・東海とうまく分散された形となった。決勝は帝京と明治との戦いになると予想する。
 自分の中では大学ラグビーは早稲田の敗戦とともに終わったので、今季のラグビーは明日からの高校ラグビー中心となる。

 PCから音楽を聴くときに接続している(自分としては)高価なUSBケーブル端子は宙に浮いてしまっている。このケーブルは太くて重いので端子部の結線不良が心配となり、補強した。併せてPCとのUSB接続のぐらつき防止のアタッチメントを自作。市販品を探すと結構高価なので0.5mm厚のアルミ・プレートと両面テープ、紐と輪ゴムで作った。見た目は美しくないが保持力には満足。

2021年12月24日金曜日

独り言、落合元中日監督の本

 国交省のデータ改竄。個人的にはあの政治家群が及ぼした官僚への影響、一言で言えば悪しき忖度であろうとの思いが強い。政権主導の弊害であり、また事なかれ行動をする官僚の典型。森友問題や桜問題と根は一緒で、さらには「認諾」した政官の姿勢と繋がる。どこまで腐っているのやら。
 多くの腐っている資質の人間が政治を担うようになっているこの国のシステムが腐っているのであって、これもまた日本文化の一つの構成要素である。日本文化って何か、という基底から考えてもいいのではないか。つまり、この国の文化-芸術や音楽やスポーツなどを含めての生活文化-というものに、この体質がどのように表出しているのかを考えてみるということである。

 娘の子どもたち二人が半年ぶりくらいにお泊りとなる。つくづく二人とも大きくなったものだと思う。小学校6年の孫娘は身長が高いせいもあってもう一人前の大人に見えてしまう。

 浴室&脱衣所の年末掃除が終わり、あとは用具類を片付けるだけとなった。やり始めると徹底したくなり、結果、特に鏡と洗面所シンクは曇りも水垢もなく、見てはそのキレイさに惚れ惚れする-自画自賛。

 <鈴木忠平 『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたか』(文藝春秋、2021年)>:野球選手で好きとか嫌いとかの感覚はさほど強くは持っていなかった。プロ野球で記憶に残っているのは、古くは衣笠で新聞に載っていた彼の言葉で、野球とは投手が渾身を込めて投げた球をバッターもまた渾身を込めて力一杯バットを振ることだ、というような意味のことを言っていた。広岡監督の管理野球は好きだったし、落合は選手としても監督としても好きだった。そして、自宅で購読していた読売新聞の影響だったのであろう、結婚後も暫くは読売巨人軍のファンだった。しかし、時期は明確ではないが、あるときからその読売が大嫌いになった。そのことを友人に話すと江川問題からかと指摘するが、江川トレード問題とは無関係に、兎に角読売が嫌いになり、最後には野球への関心は薄れた。多分に野球界という組織やシステムのあり方が嫌になったのだと思う。
 本書は文章も上手く、落合という監督が及ぼした影響などが丹念に掘り起こされ、謎のままに残る落合という人間の考え方や行動に対し、記者がどう向き合ったのか、それに惹かれる。落合監督の思考や行動は魅力的であり、それは個と公(組織化された集団)のせめぎ合いの中で、普通は組織に埋没してしまい個を希薄化して生きている一般人の、ある種の世に抗いたいという欲求を落合に転写していると考える。

2021年12月19日日曜日

メモ、マンガ、小説

 The MonkeesのMike Nesmithが亡くなった。78歳。彼はもちろんモンキーズであるが、同時に自分の中ではMichael Nesmith & The First National BandのSilver Moonも同程度の比重がある。ひとつひとつ自分が暮してきた時代にピリオドが打たれているようである。

 EWIの練習。頭の中のイメージと指の動きのずれがもどかしい。テキストのCDにあるジムノペディ1番が素晴らしく、もちろんあそこまで吹けるとは想いもしないが、少しでも近づきたいとの妄想はつのる。
 EWI SOLOのフィンガリングの便利な図がネットにはないのでエクセルをベースに自作する。それを橫に置いてひたすら単純な基礎練習を繰り返すしかない。レベルとしてはリコーダーを初めて手にした小学生並みであるが、覚える速度は小学生とは較べようもなくとてつもなく遅いはず。
 
 ほぼ一日おきに昼に酒精に酔って昼寝をし、夜は丑三つ時までに起きている。この繰り返し。今は零時半過ぎでグラスの酒も少なくなっているし、Norah Jones-今はアルバム「Day Breaks」 –の歌声が心地よいのであるがすでにボトルの中に魅惑の液体はなく、家の中に酒精の瓶ももうない。

 約1年間通った歯科医院もやっと一つの区切りがついて次回は明年の2月。治療ではなくマウスピースの微調整のため。定期的通院がなくなったのは嬉しくもあり寂しくもある。寂しく、というのは若い女性の歯科衛生士さんとの短い会話機会もなくなり、暮らしている領域が一つ減ったことを意味しているからである。

 <本田 『病める惑星より愛をこめて 1』(秋田書店、2021年)>:朝日新聞土曜日の読書面で知って読むが、ハズレ。

 <谷崎潤一郎原作 『谷崎潤一郎原作』(中公文庫、2021年)>:11人のマンガ家が谷崎潤一郎原作の小説をそれぞれれにデフォルメして短編のマンガを編む。ハズレ。

 <永井義男 『秘剣の名医〈10〉蘭方検死医 沢村伊織』(コスミック・時代文庫、2021年)>:シリーズ10作目。魅力的な女性-例えばお喜久さん-が出てこなくてちょいと不満ではあるが、上野・山下の風情が楽しめる。今回は楊弓場での遺体からはじまる。同心である鈴木順之助-友人の名前と3文字が重なり彼の歌う姿態が頭に浮かんだ-の機転が好ましい。

2021年12月15日水曜日

樋口有介さん再読

 <樋口有介 『ピース 新装版』(中公文庫、2009/初刊2006年)>:2006年10月に新刊としてこの『ピース』を読んだ。今回が2回目。樋口さんは今年の10月に亡くなってしまった。
 新装版となった文庫本には樋口さんの「新装版あとがき」があり、この作品を書いていた頃の身辺を回顧している。暮しのなかで大変な時期だったことも垣間見える。
 この文庫本の帯には本年11月に沖縄を舞台にした新作書き下ろしが刊行予定とされており、また「このミス」にも樋口さん自身が『私立探偵には不幸な街(仮題)』として出版予定であることを書いている。内容は「沖縄を舞台にした青春ミステリーに落ち着きました」とある。この新作、かつ最終作となる本は果して出版されるのであろうか。期待したいのであるが中央公論新社のHPにそれらしき記事はない。「このミス」には「すっかり体調をくずして」とあるので亡くなったのはそのことにも関係あったのだろうか。兎に角、全作を読んでいて、樋口ワールドが好きだったのでとても残念。1歳年下だったことを思うと我が身の、どれだけ残っているか判らない人生をふと思ってしまう。
 以下は引用;
 ・「人間なんざ一人で生きるのは、誰だってみんな淋しいもんだがね。だけんど逆に、その淋しさが我慢できりゃあ、ほかのことはなんでも我慢できる。貧乏も病気も歳をとることも死んでいくことも、生きてる淋しささえ我慢できりゃあ、人間てえのは、はあ何でも我慢できるべえよ」
 ・「死ぬまでの時間が長えか短けえか、そんななあ頭のなかのカラクリだい。飯を食って仕事をして酒でも飲んで、ついでがあったら女房でももらって子供をつくって、そうやってじっとして生きてりゃあ、自然にお迎えが来らいね」
 ・「何もせずに、ただ淡々と日常を消化して、そうやって死ぬのを待つ。人生の極意だと思いませんか」
 ・「マスター、一杯飲んだら、帰るんじゃなかったの」「麻美さんも皮肉はやめてくれよ。節操なく自堕落に耄碌して生きることだけが、年寄りの特権なんだから」
 樋口さんの死、寂しい。

2021年12月11日土曜日

ウィンドシンセサイザー、本の購入

 ギターを弾くのに左手小指の動きが伴わない。肘部管症候群は手術をしても症状の進行を止めるだけで元には戻らない。そのことはもう14年間以上ひしひしと実感している。コードを押さえるのにバレーはまずダメで小指が担うべきところの押さえができない。でもギターを棄てることはできず、たまにスローな曲のメロディを弾いたりはしている。もともと下手なうえに小指の運指がダメなので絶望的なぎこちなさである。
 ちょっとでもギターより易しく演奏できる楽器、ギターよりは小指が使えるかもしれないという安易な思い込みではあるが、ウィンドシンセサイザーを購入し(てしまっ)た。管楽器はほとんどやったことがないし、リコーダーをちょいと試してみたのが50年程前のことであるから全くのゼロからのスタート。届いたAKAI EWI SOLOを取敢えずやってみたらC調の音階は鳴らすことができた。これからは夜中にヘッドホンを付けて新たなことにチャレンジ。72歳の手習いというところで、1曲でも通しで演奏できることを先ずは目標とする。ジムノペディ1番を演奏できるようにしたい。かなりの長期間運指の練習をせねばならない。

 1Fのリビングとその周りのクリーニング&ワックス、2Fの網戸の掃除も終え、大掃除で残すところは1Fの浴室と脱衣所と網戸だけとなった。

 本を10冊以上買っ(てしまっ)た。CDも何セットか買った-久しぶりのディリーアスやシェーンベルグ。聴くこと、本を読まねばならないこと、というプレッシャーを自分で生み出している。そう、やりたいことは沢山あるのに時間が足りない。先に進むということは何かを択び何かを棄てることなのだが、その棄てると言うことがなかなか難しい。そんな状態にあることをまた楽しんでいると思えばいいのだろうヵ。

2021年12月6日月曜日

まとめて6冊のメモ

 読書後のメモ作成が遅くなっていた。簡単にメモを付して履歴を残しておく。順番は日にちの経過順。

 <保阪正康 『昭和史の深層』(平凡社新書、2010年)>:昭和史に15のテーマを設定し、史実に基づいて問題点の本質を明示する。戦前の軍部、特に東条英機への批判は鋭く厳しい。より本質的な,問題はなぜ戦前の軍事体制が敷かれ、東条をはじめとする愚かな首相が誕生したのであろう,と言うこと。問題点への距離の取り方が、改めて勉強させられる。

 <奥泉光 『東京自叙伝』(集英社、2014年)>:早い段階で放り棄てた。

 <保阪正康 『昭和史のかたち』(岩波新書、2015年)>:昭和の時代を図形で表す。判りやすい。「昭和史の○○」が10章にわたって概説される。○○は、「三角錐-底面を成すアメリカと昭和天皇」「正方形-日本型ファシズムの原型」「直線-軍事主導体制と高度経済成長」「三角形の重心-天皇と統治権・統帥権」「三段跳び-テロリズムと暴力」「球、その内部-制御なき軍事独裁国家」「二つのS字曲線-オモテの言論、ウラの言論」「座標軸-軍人・兵士たちの戦史」「自然数-他国との友好関係」「平面座標-昭和天皇の戦争責任」。全てとは言えないが、イメージとして記憶され、著者の分析力に深く頷く。
 最後にフェルマーの最終定理<xのn乗+yのn乗≠zのn乗>が示され、x=国民、y=天皇、z=政治体制と置き、n=象徴と当てはめると「平時体制」という天皇と国民の(良好な)関係が生まれる、と解説する。nに「主権者」とか「大元帥」「現人神」をあてはめると、左辺≠右辺となり、ファシズム体制や軍事主導体制が生れるのではないかとする。このような思考がとても面白い。

 <成田龍一 『「戦争経験」の戦後史 語られた体験/証言/記憶』(岩波書店、2010年)>:「戦争の経験を問う」シリーズの一冊。体験/証言/記憶は三位一体をなし、1945年からは「体験」の時代であり、1965年からは「証言」の時代、1990年からは「記憶」の時代と区分される。副題の「語られた体験/証言/記憶」にあるように、年代を追って「語られた-出版された-」経過を軸に戦争経験を論じる。しかし、「経験」は個人的なものであり、「経験」から個人の枠の外への拡がりがあまり観られない。例えば加害者としての向き合い方や、戦争そのものへの本質的な問題提起が薄く感じられる。乱暴な言い方をすれば、こういう人たちが自ら体験した戦争をこう語り、こう証言し記憶している、といった表層的な分析という感じがしてしまった。

 <福間良明 『「戦争体験」の戦後史 世代・教養・イデオロギー』(中公新書、2009年)>:戦没学徒遺稿集である『きけわだつみのこえ』と「わだつみの会」(日本戦没学生記念会)の活動経過を軸として「戦争体験」を描く。「わだつみのこえ」を知った時期はすでに活動のピークが過ぎたときのことであり、高校時代に手に取ったことがある。理由はよく記憶していないが、興味を持つことはなかった。今でもそうだが、ある特定の位置に座している人たちが語る戦争回顧のようなものには興味が持てない。

 <吉田裕 『兵士たちの戦後史』(岩波書店、2011年)>:アジア太平洋戦争から復員した(元)兵士たちの戦後の生活史ではなく、戦友会・遺族会・旧軍人会などの活動記録をもとにして、この国の戦争に対する意識変遷をたどっている。思うことはなぜ人は自分の過去を振り返るときに群がってしまい、事実から目を背けて正視しようとせず、自己正当化を図り、他を陥れようとするのだろうか、これはもう日本だけではなく人間一般の性癖なのだろうとも思う。もちろん元兵士たちの中には戦友会への参加を拒む人や、旧軍人の発言に抗っている人たちもいる。問題は抗っている人たち、あるいは沈黙している人たちの声は表に出にくいという状況にこそ本質的な問題があるように思える。日本はあの戦争から何を学び、何を繋げようとしているのか甚だ疑問である。
 大学に入ったころ、上野公園の近くで傷痍元軍人たちの白衣の姿を目にしたことがある。戦争は終わっていたとの認識が崩された思いをした。
 戦死者の慰霊碑として愛知県三ヶ根山頂の慰霊碑群が有名であるらしい。山頂から望む三河湾の風景がフィリピンの激戦地であったレンガエン湾に似ているということもあってか84基の慰霊碑が存在しているとのことで、「英霊」を「顕彰」するという内容が多い。日本人のみならずフィリピン人や中国人の戦死者も追討されているが、日本人戦死者の「聖地」の感が強いと著者は書く(154頁)。慰霊・忠魂・顕彰・追悼・散華・英霊・・・等々、戦争がなければ、そして戦死者がいなければ生れていな言葉である。これらの言葉は戦争用語、戦死者用語ともいえ、往々にして美しく飾られる。これらの言葉の持つ意味や歴史をもっと深く考えられてもいいのではなかろうか。

2021年12月5日日曜日

ドロワー作り直し、大掃除、明治に勝利

 デスクテーブルの下に幅510mmの市販ドロワーを追加は、もう少し正確に書くとデスクテーブルの直下にドロワー・テーブル(プレート)があり、その下に市販ドロワーを追加するというもの。前回「実用上は問題ないが、5mmのアンバランスとミスしたこと自体が悔やまれる」と記したが、その翌日にはやはり出来映えが気に食わないという気持ちが強くなった。費用をかけないために物置に転がっていた端材を利用したが、美しくないパッチワークの体であり、気になると止められなくなり結局は作り直した。987円の追加費消と数時間の作業時間で終了。550mm幅で1mmのスキューがあり、それの改善に約1.5時間を要してしまった。結果、満足。シンプルで狂いのない出来映えで、simple is the bestを再認識した。

 年末の大掃除を開始。まずは2Fと3F(ロフト/小屋裏)を終了。今までとは違って多少の手抜きをしている。

 ラグビー対抗戦、明治に勝利。前半は10(1T1G1PG)-7(1T1G)。後半はどちらも攻めきれずトライを取った方が勝利をものにすると思っていた。後半65分に左WTB小泉が左隅にトライをし(伊藤がゴールも決め)勝利を確実にした。ライブはJSportsで観戦し、NHK版はこれから観る。解説をしていた相良さんと田中さんは(あのうるさい人と違って)喋りすぎず、好感の持てる解説であった。
 主将でCTBの長田が出ないことで敗戦も已むなし、負けの公算が強いと思っていた。スクラムは劣勢そのものだが、ディフェンスが素晴らしかった。明治が繰り返し攻めてもゲインができず、フェーズを進めてもボールを回すだけのようになり、早稲田の防禦の強さが目立った。
 2位と3位では大きく違って、大学選手権で明治はまずは天理大と戦わなければならない。早稲田は準準決勝でその勝者と戦うのだが、予想するには年越しをかけて26日に再度の早明戦になろう。
 大学選手権はもう始まっているのだが、本格的には-といっては1~3回戦を戦っている大学には失礼だが-、18日からの4回戦以降が楽しみである。

2021年12月2日木曜日

Norah Jones、ちょっとした反省、ミステリーのベスト

 Norah Jonesの最新アルバム”I Dream Of Christmas”を購入。歌の時季がクリスマスと限定的なので聴くのも限定的になろうかと、紙ジャケの安価なCDにした。fkacやmqaよりも2,000円以上も下回った。Amazonでは低評価もあるがやはり魅せられる。夜遅くヘッドホンから流れる彼女の歌は素晴らしい。今年に入って彼女を知り、立て続けにダウンロードも含めて13枚のアルバムを買ってしまった。今年は彼女のアルバムを何度も何度も聴いている。

 デスクテーブルの下に幅510mmの市販ドロワーを追加。取り付けにはテーブル形状に適応するための工夫が必要で自作した。しかし、その自作の部分はちゃんと図面を引かなかったために5mmの寸法ミス(設計ミス)をしてしまった。実用上は問題ないが、5mmのアンバランスとミスしたこと自体が悔やまれる。手抜きをすれば結果として表れる・・・反省!

 毎年恒例の週刊文春「ミステリーベスト10」と「2022年版 このミステリーがすごい!」を購入するために書店に足を運ぶ。昼に飲んでいたために車をよした。久しぶりにちょっと距離を歩き、たかが片道10数分の距離であるが運動不足を自覚し、また、行き交う車のライトが明るく輝く夜の道は、外で飲んだときに駅から自宅まで歩いたかつての情景を想い出し懐かしさがあった。
 今年は珍しく国内のベスト20あるいはベスト10に既読のミステリーが3冊もあった。書店に行けばついつい本を買ってしまうことになり、今回も2冊買ってしまった。
 
 今は22時40分過ぎ。自室に入り麦焼酎を飲みながら、音楽を流し-今日はシベリウスのピアノ小品か-、読みかけの本を読もう。