2018年7月28日土曜日

『近世日本の世界像』

 何年も前に購入した本を少しずつ読み続けようと思っても、新聞で好きな作家の広告や書評に惹かれるとついついネットの通販でポチってしまう。だからそこそこ読み続けてはいるのだが、未読の本の数は殆どと言っていいほどに減りはしない。それでも以前よりは購入欲を抑制はしている。そして思うのは、本の刊行年月を見ると年月の流れの早さを感じてしまう。また、一日の時間を無為に過ごしてしまったとの後悔と反省の日もある。あれもやりたい、これもやりたいとの関心事はたくさんあるが、如何せん時間の進み方は一定だし、自分だけのために時間を費やすわけにもいかない。こんな戯れ言を何回も繰り返していること自体がそもそも惰弱な精神の表出なのであるが......。

 <川村博忠 『近世日本の世界像』(ぺりかん社、2003年)>:古くは宇宙・世界をどう捉えていたのか、科学史を学ぶと蓋天説、渾天説、そして難解ではあるが須弥山世界観。これらは奇抜であるとか滑稽とかではなく、古代の人たちの豊かな想像力、すなわちコスモスを構想し己の位置を考えてみる、その行為・思考に圧倒され魅力を感じる。
 本書は17世紀(安土・桃山時代)から19世紀幕末期までの約300年間にわたっての日本の世界観の発展を概説する。分析の中心におくのは、日本に伝えられた、また日本人によって刊行された世界地図や航海図、地誌などである。天竺・中国・日本の三国世界観から地球世界への拡がり、中華思想から西洋思想への転換、蛮学-蘭学-洋学への変化、等々読んでいて楽しい。科学が好きだった吉宗の禁書令緩和が画期的だったと再確認するし、一方では幕末期の精緻な世界地図や世界各国の紹介が刊行されても、それに抗って天竺中心の図を書く頑迷な人たちの存在も面白い-いつの世も眼前の変化に背を向けて自らの思いに固執する人たちはいるものである。
 本書では多くの地図が掲載されており、すべて確認したわけではないが、国立国会図書館デジタルコレクションで簡単に見ることが出来る。例えば1645年の『万国総図』や林子平の『三国通覧図説』にアクセスし、数百年前の日本の知識人たちが手に取った地図を確認できる。江戸期から幕末にかけて世界を地図上でどう見ていたのか、大袈裟な言い方だが、時空を超えて共有できる感覚を抱ける。巻末に一覧になっている世界地図をPC上で眺めるだけでも本書の価値はある。

2018年7月26日木曜日

雑記

 燻製を作り昼の酒精のつまみにしようと10時半頃に道具を駐車場に出し、娘の娘が興味を抱いて眺めるなかでチーズとウィンナ・ソーセージと魚肉ソーセージを燻した。桜のチップにほんの少しモス・ピートも混ぜ簡単に作業は終了。どうなるかと試した魚肉ソーセージはやはり不味く、それ以外は美味い。午前中につまみを作って昼に飲む、これはなかなかいい。次は好きな鯖や鯵の干物、ししゃもやサーモンなどいろいろやってみたい。飲んだ後は睡眠不足もたたって1.5時間ほど熟睡。

 オウム真理教元幹部ら6人の死刑が執行された。前回の6日と今日で合計13人。法に則っているので兎や角言うつもりは全くないが、前の執行前日に法相は赤坂自民亭で懇親会、昨夜の法相はどうだったんだろうとふと思った。

 もうひとつのブログに4ヶ月半ぶりにアップした。気になったことを調べていて気がついたら午前2時半になっていて、慌てて眠りについたのだが朝はいつもの時間に目が覚め、結局は寝不足で昼の熟睡に繋がってしまった。

2018年7月23日月曜日

マンガ三昧

 暑い、外に出ると空気が熱い。だから外には出ない。日本上空に高気圧が厚く留まっている。異常にアツイ。

 <石井明日香 『ひさかたのおと 2』(講談社、2018年)>:第1巻では離島のファンタジーな情景に惹かれたが、2巻目となって倦きた。過去の人との”結“に深味も哀しみもこの先への展望が感じられない。ファンタジーな絵をただ繋いでいるだけと感じる。これが最終巻となっている理由が解る。

 <原泰久 『キングダム51』(集英社、2018年)>:趙/李牧との戦いがまだまだ続く。李牧は史実では秦ではなく趙王に殺されるのだが、果してこのマンガではどの巻でどう描かれるのであろうか。

 <芳崎せいむ 『鞄図書館4』(東京創元社、2018年)>:2年ぶり。本にまつわる物語は倦きない。

2018年7月22日日曜日

『伯爵夫人』と『日本人の起源』

 <蓮實重彦 『伯爵夫人』(新潮社、2016年)>:もうすぐに帝国が亜米利加に宣戦布告する時代、セピア色の画面に伯爵夫人や二朗の姿がカラーで映し出され、口・手・局部がハイライトされて艶かしく濡れそぼる。妄想の装いの交情と会話、流れる文章、熟れたまん○と屹立する魔羅、真摯で滑稽。ぷへー。

 <山崎茂幸 『日本人の起源』(幻冬舎MC、2016年)>:表紙に書かれた書名をフルに記すと『DNA、古地理・古環境からさぐる 日本人の起源 ~石器時代人が縄文人、弥生人そして現代人になった~』。
 一般的にはホモ・サピエンスは約20万年前にアフリカで誕生し、約6万年前から世界各地に拡がり、東南アジアやバイカル湖に至った。日本への移動は北海道ルート、朝鮮・対馬ルートと沖縄ルートがあり、北海道ルートはシベリアから陸続きで樺太を経由して北海道に渡り、朝鮮・対馬ルートは約3万8千年前に海を渡って来た。沖縄ルートは3万年以上前に海を渡って来たというものである。
 本書では、約200万年前から1.7万年前まで日本列島は大陸と陸続きであった。対馬海峡は約1万年前にできた。それまでは瀬戸内海は古黄河と合流して南西諸島西側で大平洋に流れ出た。バイカル湖付近の北方系のヒト集団は朝鮮半島経由ではなく黄河に出た後で黄河沿いに前記瀬戸内海伝いに日本に入ってきた。DNAで見ると日本人は人種の坩堝であるが、その特徴は朝鮮半島およびその付近ででは見られない。言語学的に日本語は孤立語であって、祖語はチベット・ビルマ語に繋がる。1万年前に対馬海峡ができると日本は大陸と離れた孤島となり、弥生人がやってきて縄文人と交わり原日本人に繋がってきた。従って、弥生人が縄文人と置き換わったのではなく、石器時代人が縄文人になり、弥生人が加わって現日本人になったのである
 ポイントは、氷河期が終わりとなって対馬海峡ができる1万年前までは日本列島は大陸と陸続きであること。バイカル湖近くの北方系ヒトは黄河に出て日本に南下した(北上したヒトはチベット方向に向かう)。対馬海峡が出来て日本列島は孤立して独自の文化を作り上げてきた、とこのようなものである。
 著者は定年退職後に日本人の起源を追い求め、多くの研究書を多角的に捉えて本書の仮説に至る。多くの書物からの図表の転載をして論拠を示すのであるが、この図表がコピー・ツー・コピーを繰り返したように解像度が劣化して判読に苦労する雑なものである。同じ主張を何度も繰り返し、参考文献からの引用も安直であり、さらに全体構成は如何にもアマチュアが著したという雑さを感じた。これには編集者の責任も多分にあるだろう。これらを措いても、アジアと日本の広い地理に渡るヒトの動きを面白く読ませてもらった。

2018年7月20日金曜日

スピーカー完成

 雑誌『Stereo』の付録スピーカーに基づくキット2セットを含め、今回のキットで7セット目になった。音工房Zのキットはいい音が聞きたい、ハイエンドに少しでも近づきたいと思ってZ800-FW168HRSまで手を出したが、今回の共立電子のキット-ダブルボイスコイルのスピーカーユニット3個によるマトリックス・サラウンド-に興味を持って手を付けた。昔、30数年前になるか、NationalのEAS-10F100を不要になったAiwaのスピーカーボックスに組み込んで、マトリックス接続のリア・スピーカーとして疑似サラウンドを楽しんだことがあった。そのセットは数年間は生きていたと思う。マトリックス接続のスピーカーを組むのはそれ以来で、主体は暇つぶしの物作りという様相である。
 スピーカー製作のDMC(直接材料費)は19,326円。内訳はエンクロージャ=7,020円、スピーカ×3=8,100円、吸音材=1,620円、以上は共立電子(共立エレショップ)。蜜蝋ワックス100ml=1,590円、スピーカーガード(ファンガードで代用)×3=681円、スペーサー12個セット×1=105円、タッピングねじ8本セット×2=210円。こんな費用ではあるけれど、塗装までして一般市販すれば5~6万円の価格は付けられるかも知れない。
 アンプ数台と現有のラインセレクターでは接続端子が足りないので、このスピーカー専用としてFOSTEXのAP15dを追加購入し、サブPCとの接続をメインにした。音はまあ、こんなものかなという感じで、音源によっては音場が広がる。PCモニター・スピーカーとしては十分である。
 さすがに置く場所がもうないのでスピーカー作りはこれでお終い。

2018年7月19日木曜日

『平成を愚民の時代にした30人のバカ』

 <適菜收 『平成を愚民の時代にした30人のバカ』(宝島社、2018年)>:「改革の大合唱の中、国家の根幹である政治制度を破壊した結果、政治そのものの在り方が変わってしまい、邪悪なものが権力の中枢に食い込むようになった」。「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」(ジョン・アクトン11頁)のだが、佐高流に言えば腐敗している人間が権力を欲しがるのであって、腐敗している権力者は群れて権力は集中する。これはもう人間社会の宿命であろう。
 バカと断定されるものは、筆頭に安倍晋三。「食事のマナーは、同じ人間とは思えないくらい下品」で「拉致問題などを利用しながら世の中を渡ってきた出来損ない」で、「精神の成長が止まったガキ」がバカメディアに支えられたのが安倍政権でした」と罵倒されている。「天性のデマゴーグ」である橋下徹、「時代と寝た古だぬき」の小池百合子、「文明が相手にしてはいけない」小泉純一郎、「日本を破壊した”壊し屋”」で「まだ懲りていない」小沢一郎、パソナ取締役会長の竹中平蔵、「政治家失格どころか日本人失格」の「簡単な漢字も読むことができない」、「非常に悪質なアホ」の麻生太郎。彼の誤読する漢字と誤読例が載っているのが面白い。踏襲(ふしゅう)・詳細(ようさい)・頻繁(はんざつ)、有名になった未曾有(みぞうゆう)とあげられている。他には措置・物見遊山・思惑・怪我・完遂・焦眉・順風満帆・低迷・破綻・前場・有無・三種の神器がある。麻生太郎はこれらの漢字をどう読んだのでしょうかというクイズはシニカルで楽しめるであろう。続けて「目つきもおかしい。森の奥で花粉を集め、毒をつくっていそうなタイプ」の菅義偉、「空気に担がれた無能な神輿」細川護熙、「北朝鮮利権のための実働部隊」土井たか子、「天然のポピュリスト」石原慎太郎。あとは名前だけを書く。橋本龍太郎、小泉進次郎(田中真紀子は「30年前の安倍さん、30年経ったら今の安倍さんになる子ね」と指摘している-135頁)」。鳩山山由紀夫、菅直人、前原誠司、河野洋平、渡辺喜美。「犯罪者集団「維新の会」の大バカたち」としての3人は、松井一郎、長谷川豊、足立康史。商売人からは三木谷浩史、渡邉美樹。「安倍周辺の乞食ライター」に山口敬之、小川榮太郎、三浦瑠麗、ケント・ギルバート。最後はテレビ界で生き続ける田原総一朗、松本人志で終わる。結びは、「改革の大合唱の中、自分たちの足場を切り崩していった結果、日本は見事に転落した。国民は貧しくなり、国家の中枢は腐り果て、公文書の改竄が横行する三流国家になってしまった」。

維新史のテキスト

 <三谷博 『維新史再考』(NHK出版、2017年)>:副題は「公議・王政から集権・脱未分化へ」。グローバル化の波がどのようであったのか概観し、近世東アジアと日本の世界秩序像を描き、近世日本の国家形態、社会構造・動態と社会結合、東アジア国際環境と日本の世界認識へとすすみ、幕末の対外政策の変転へとすすんで幕末の政治秩序が崩壊し、公議・尊攘・強兵運動が活発化して維新へと展開する。「すべての始まりは「公議」の追求だった」との視座のもと、「王政」・「公議」が明治の政体変革に続く歴史が詳説される。幕末・維新史が詳述されたテキストであり、その動乱の時期を振り返るときに頁を再度開くこととなろう。
 「幕末=前近代的」から「維新=近代の覚醒」と捉えがちで、感覚的にはちょんまげから洋装へとデジタル的に急変したと思いがちであるがその感覚は払拭せねばなるまい。
 「西洋産の秩序規範に従うことへの不快感は世界中で語られている。しかし、彼らが社会の公正・平等・安寧・自由を実現する代替モデルを提示しているわけではない。「近代」の西洋が創り出したモデルを上回り、人類に普遍的に歓迎されるような秩序規範ははたしてどこに生まれるのであろうか」(406頁)と終章は結ばれている。思うに、普遍的なモノは生まれない、生まれるはずもない。集団システム・組織の基層にある個々の人間が各々の感情・欲望を極度に抑制しない限り普遍的な状態は生まれないだろうし、逆に感情・欲望を棄てた個々人は生きていると言えなくなってしまうだろう。
 ふと思い出す。犯罪のない統制のとれた秩序ある人間世界よりも、欲望がぶつかり合う犯罪が存在する状態の方に人間の生を感じる、そのようなことを言ったのは市ケ谷の高みから檄を飛ばしながらも見上げる人たちから嘲笑も受けた作家だったっけ。

2018年7月16日月曜日

包帯、モーラステープ、サポーター

 スピーカー製作もあとはエンクロージャーの外面に蜜蝋を塗布するだけとなった。問題はどこにおくか、安価なアンプをどれにしようかという2点。1Fの作業エリアはまだ散らかったままである。

 そんな一昨日の夜、雨戸を閉める際に紛れ込んだ虫(黄金虫に思える)がシーリングライトの周りを飛んではぶつかる音が続いた。電撃殺虫ラケットを右手に持ち、ソファーの上に立ってその虫と格闘した。敵も強かで簡単にはラケットに当たらない。エア・ケイよろしくラケットをスウィングしたらスウィートスポットにヒットして敵は降下した。がその瞬間、反動で我が身は背中から床に落ちてしまった。戦いの場のフィールドには半田ごてやらを入れておく工具箱が開いており、そこに左腕をまともにぶつけてしまい切り傷、擦り傷で血も流れてきた。軟弱な体幹でソファーに立ち、ラケットを振った愚かな己が情けない。
 左手の手首から肘までは包帯を巻き、打撲でシャンと歩けない腰にはモーラステープ。右の足には親指の動きを制限するサポーター。なんと言うことでしょう、虫を相手に電撃ラケットを振り、空振りも繰り返し、その結果がこの状況。我が身を嗤ってやり過ごすしかない。

 錦織が破れたジョコビッチが優勝。大坂なおみさんに勝利したケルバーが優勝。日本に大逆転勝利のベルギーが3位。これはこれで少しは溜飲をさげられる思いもある。

2018年7月14日土曜日

忘れ物

 錦糸町に行った帰り、久喜行きの電車の中に帽子を忘れてしまった。電車を降りてから気付き、ホームを小走りして座席の下に落ちているのを確認したときに目の前のドアが閉ってしまった。まずは電車に乗って次の駅で降りて戻ってくれば良かったが咄嗟には思いつかなかった。近くにいた若い女性駅員さんに事情を話したらすぐに電車と事務室に連絡を取ってくれた。改札口の事務室に行ったら遺失物届出用紙を出してくれそこには既に帽子と記入されていた。
 翌日、帽子が届いた旨の電話を受けて駅に行き、西口で最初に応対してくれた若い感じの良い駅員さんから東口と言われて移動し、若い女性の駅員さんから帽子を受け取った。前日もそうだったが東武鉄道の駅員さんたちが皆親切かつ迅速に応対してくれて感謝。ユニクロで買ったありふれた帽子だったけど、失せ物が戻ってくると喜びは大きい。

 といいながら、最近は物忘れなどが重なった。先日の北海道では層雲峡のホテルで大浴場に行くときに着替えのパンツを落としてしまい、風呂から上がったら脱衣籠にパンツがなく、やむなくそれは穿かずにのれんをくぐり出たらカウンターの端においてあった。まあ人のパンツは持っていかないだろう。まして男のものならば。床に落ちていたパンツを誰かが人差し指と親指で摘まんでカウンターにおいてくれたシーンが頭に浮かぶ。
 次が帰路につく際に帯広空港でバスを降り、スーツケースが出るのを待っていたら同年齢と思しきオバサンがこれは貴方のでしょうとコントローラ付きカメラグリップを渡してくれた。カメラから取り外してバッグにカメラを入れたときに膝上においたままにし、それを座席の上に忘れた模様である。これは今回の旅行から使い始めたもので気に入っていた。お互いに気をつけましょうねと、こちらの年齢も慮ってくれたその言葉が軽く胸に刺さった。

 携帯を落としたこと、カメラも紛失したことなど、いろいろあってその経験を活かし、スマホや愛用しているモバイル音楽プレイヤーは長い紐を付けてバッグから離れないようにしている。「忘れもの覚えていれば忘れない」のであるが、そもそも覚えていることが希薄になってきているのだから注意せねばなるまい。まあ、芸能人や政治家、評論家・コメンテータなどの名前は忘れても一向に気にならない。役に立たない名前は覚えたくもないのだから。

2018年7月13日金曜日

錦糸町・亀戸、スピーカーキット

 一昨日(11日)は自宅-(徒歩)-錦糸町-亀戸-曳舟-春日部-(バス)-自宅。連れ合いの手芸用スタンドルーペ購入のために錦糸町駅近くの専門店に行き、亀戸アトレで付箋グッズと文房具と科学オモチャを購入し、久しぶりに大戸屋で昼食を摂り(前は時折浦和美園に行っていたが経営内紛の影響か閉店になった)、東武亀戸線に乗り、春日部駅からの帰途は暑いので歩きは止めてバスで帰宅。
 初めての東武亀戸線は僅か5駅だけで路線距離は4kmにも満たない。亀戸駅の改札に立つと前景には短いホームがあり、2両編成の電車が停まっていて、都内ではなくローカル線の趣が漂う。亀戸と曳舟の間で停車する駅は3駅で、亀戸水神だけは耳にした気がする。
 帰宅後はすぐにエアコンをオンにしてあとはダラダラと過ごす。錦織がジョコビッチに負けたので録画は見ずに消去。ランキング100位に入らなかった頃から好きな大坂なおみさんは3戦目に完敗し残念。

 どこに置くの、いっぱいあるじゃんという娘の長女の感想にもめげずに新たにスピーカーキット作成の準備に入る。今度は2万円もしない3スピーカー・サラウンド・ボックス(マトリックス接続スピーカー)。1Fに作業エリアを拡げ、道具を揃え、外塗りの蜜蝋ワックスを発注し、あとは組み立てるだけ。中に入れる吸音材のガイドがないために何回かは試行錯誤しそう。面倒だからエイヤッで適当に(いい加減に)配置するかもしれない。
 完成後、どこに置くかは幾つかの候補を思案中。パッシブだからアンプの編成&配線替えも必要。ものを作ること、そしてシステム構成構想のプロセス、火入れ(音出し)の瞬間、これらが楽しい。

2018年7月10日火曜日

雑感と文庫一冊

 91歳になる考古学者の大塚初重氏の語りが朝日新聞に連載されていた。最終回の記事が気になった。それは、亡くなった後のことも考えて蔵書の寄贈先を探していたが、20kg入りの段ボール箱で600近くもあり、一括では国内に引き受けるところがなくて、北京大学に寄贈するとのこと。蔵書の内容を推し量ることはできないが、考古学関連あるいは歴史書の書籍が中心となっているであろう。違和感を覚えたのはこれらの書籍を引き取ることができないという日本国内の現実。大量の書籍を引き受ければその保管施設、書籍の分類整理など多くの課題はあるだろうが、その蔵書の価値すべてを棄てて他国に譲ってしまうという、何だろう、狭隘な日本文化を思ってしまう。
 氏が心に刻んできた言葉は、「出る杭は打たれる。しかし、出ない杭は朽ちる」とのこと。自分は、「出る杭は打たれる。出ない杭は腐る」とずっと頭に入れてきた。腐った(朽ちた)杭は表に出ないので、人には知られることもなく、人はちゃんと杭の役目を果たしていると思い込む。また、出ない杭は、表に出ないから腐っていることを教えられることもなく、また自覚することすら少ない。腐った杭が腐っていることを知るのは、杭が支えるべきものが崩れたときである。崩壊するシステム・構造の多くは、杭が腐っていることに帰因するのではなかろうか。いまの政治や社会情勢は、杭が腐りかけているような気がするし、そして出る杭を打ち続けて腐らせようとしているような気もする。

 <鯨統一郎 『哲学探偵』(光文社文庫、2011年、初刊2008年)>:著者18冊目。なれど、過去のメモを振り返れば、『邪馬台国はどこですか』を超える作品に当たらないと書いてある。ならば読まなければいいのにと自問するが、気軽に活字に触れるには適当な小説だイージーに手に取ってしまう。そして今回も同じで、やはり著者の代表作は「邪馬台国・・・」でそれに代わるものはないとの感を強くする。「邪馬台国・・・」の次には桜川東子女史がバーのカウンターで春霞などの日本酒を飲んで謎を解く小説である。よほど話題にならない限り、著者のミステリーはこれでお終い。

2018年7月6日金曜日

北海道、その他ニュースなど

 2日から4日は9回目の北海道。4年前に花ガーデンを巡っているが、今回も8箇所訪れ、3箇所ほどはリピートとなった。生憎と3日間とも雨天であり、外では傘が手放せず、最近はどこに旅行しても雨が多いと感じる。宿泊は層雲峡と、連れ合いが一度行ってみたいと言っていた星野リゾートトマム。後者は中国系の人たちが多い。
 花は雨を受けて項垂れているものもあり、あるいは露に濡れた輝きもあり、それなりに楽しんだ。しかし、傘をさしながら首から2台のカメラをぶら下げ、シャッターを押すのはやはり面倒である。強行日程でもあり、各ガーデンでの滞在時間が4年前よりも余裕がなく、次の旅行は費用が多少高くなっても時間的にゆったりしたプランを選びたい。
 食事は概して不満足。ただ一箇所、トマムのレストランでのスープカレーは美味だった。

 サッカー、日本が決勝トーナメントで初得点、合わせてリーグ戦でも盛り上がっていた。帰国によって賞賛ムードはこれで終止符を打ち、徐々に次に向かっていくのであろう。一歩引いて見ると日本は1勝2敗1分で、その1勝も相手コロンビアは10人のなかでもぎ取ったもので、その一人足りないチームにはゴールも決められている。ベルギー戦は0-2から3連続得点での負け。やはり何かが足りないのだろう。

 朝のワイドショーを横見しながら新聞を見ていたらオウム真理教の松本・井上の死刑執行のニュースが流れた。暫くは評論家たちのコメントが新聞やテレビを賑わすであろう。今後は他の死刑囚たちの死刑が順次執行されていくだろう。と書いている間に3人目の執行続報が流れている。

2018年7月1日日曜日

カメラ、処分と新規購入

 何年も使用していない古いカメラを処分した。フィルムカメラはOLYMPUSで、50年程前に持ち歩いていたPen ESS-2、初めての一眼レフだったOM-2N。デジタルになってからは、デザインが好きで高級コンデジ機と言われたCONTAX TVS Degital。ガンタイプで使いやすく、何代かに渡って買い換え最後に持っていたSANYO Xacti DMX-HD1010。FinePixではS100FSとS1。以上のカメラとレンズ、付属部品一式、アクセサリーなどをカメラのキタムラに持ち込んで買い取って貰った。1万円に届けばいいだろうと思っていたらそれを超えたのでまずはOK。
学生の時に質屋に流してしまったもの、娘の長男にあげたものや、新商品購入時に下取りに出したカメラも何台かある。コンクリートに落として破損させたもの、酔っ払って紛失したもの、処分したもの以外にいろいろと歴史はある。

 愛用しているSonyのRX10M3は街歩きにちょいと持ち出すには重いし、スナップをメインにすれば明るいレンズの単焦点カメラが欲しい。根底にあるのは単純な物欲。FUJIFILMのX100Fにぐらつき、価格と相談しながら、LUMIXのDMC-LX9、SonyのDSC-RX100M5(最新のM6ではない)も候補にあげた。
 X100F以外は単焦点ではなく倍率の小さいズーム機。LX9はファインダーがないので最初に落選し、X100FとRX100M5のどちらを選ぶか、今持っているカメラに追加する必要があるのか等々葛藤が続いた。ヨドバシカメラではアドバイスももらい、仕様や一般評価の比較検討を重ねた。X100Fはデザインが好きだし、画質も何もかも素晴らしいカメラだが贅沢すぎる、使いこなせないだろう、それに連れ合いからはまた買ったのと冷たい視線を浴びるのは不可避。RX100M5のメリットは、まず現有のHX90Vと酷似しているので連れ合いが気付くことはまずないしアクセサリーも流用できる。操作は慣れている。開放F値はX100Fより少し明るいし、価格も低い、キタムラでは下取りで値引きしてくれる。下取りしてもらうカメラは処分したカメラで価格がつかなかったものを適用すれば良い。等々で、古いカメラを処分した後に、RX100M5を購入した(してしまった)。連れ合いには言わない、HX90VとRX100M5が同時に目に触れるようなことはしない。
 これでいま持っているカメラはSONYではRX10M3、RX100M5、HX90V。LUMIXはDMC-TZ85(友人がプレゼントしてくれたもので初めての4K)、DMC-TZ20(連れ合いが使っていたがスマホのGalaxyを持ったら使わなくなった)。DMC-TZ20は通常は使わないだろう。娘の長女が遊びたければあげる。