2018年7月28日土曜日

『近世日本の世界像』

 何年も前に購入した本を少しずつ読み続けようと思っても、新聞で好きな作家の広告や書評に惹かれるとついついネットの通販でポチってしまう。だからそこそこ読み続けてはいるのだが、未読の本の数は殆どと言っていいほどに減りはしない。それでも以前よりは購入欲を抑制はしている。そして思うのは、本の刊行年月を見ると年月の流れの早さを感じてしまう。また、一日の時間を無為に過ごしてしまったとの後悔と反省の日もある。あれもやりたい、これもやりたいとの関心事はたくさんあるが、如何せん時間の進み方は一定だし、自分だけのために時間を費やすわけにもいかない。こんな戯れ言を何回も繰り返していること自体がそもそも惰弱な精神の表出なのであるが......。

 <川村博忠 『近世日本の世界像』(ぺりかん社、2003年)>:古くは宇宙・世界をどう捉えていたのか、科学史を学ぶと蓋天説、渾天説、そして難解ではあるが須弥山世界観。これらは奇抜であるとか滑稽とかではなく、古代の人たちの豊かな想像力、すなわちコスモスを構想し己の位置を考えてみる、その行為・思考に圧倒され魅力を感じる。
 本書は17世紀(安土・桃山時代)から19世紀幕末期までの約300年間にわたっての日本の世界観の発展を概説する。分析の中心におくのは、日本に伝えられた、また日本人によって刊行された世界地図や航海図、地誌などである。天竺・中国・日本の三国世界観から地球世界への拡がり、中華思想から西洋思想への転換、蛮学-蘭学-洋学への変化、等々読んでいて楽しい。科学が好きだった吉宗の禁書令緩和が画期的だったと再確認するし、一方では幕末期の精緻な世界地図や世界各国の紹介が刊行されても、それに抗って天竺中心の図を書く頑迷な人たちの存在も面白い-いつの世も眼前の変化に背を向けて自らの思いに固執する人たちはいるものである。
 本書では多くの地図が掲載されており、すべて確認したわけではないが、国立国会図書館デジタルコレクションで簡単に見ることが出来る。例えば1645年の『万国総図』や林子平の『三国通覧図説』にアクセスし、数百年前の日本の知識人たちが手に取った地図を確認できる。江戸期から幕末にかけて世界を地図上でどう見ていたのか、大袈裟な言い方だが、時空を超えて共有できる感覚を抱ける。巻末に一覧になっている世界地図をPC上で眺めるだけでも本書の価値はある。

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