2016年7月25日月曜日

雑記

 7月19日朝のテレビ朝日でお詫びがあった。前日遠藤周作の写真に伴淳三郎の写真を使ってしまったというものだった。間違えてしまうほどには両者は似てはいない。共通点は眼鏡をかけていて深味のあるイイ顔だということ。狐狸庵先生こと遠藤周作の『沈黙』は高校時代に読み、伴淳三郎が刑事役だった「飢餓海峡」も高校時代にはじまって何度か繰り返し観ている。二人の写真が取り違えられるとは、オレの過去もかき混ぜられて判別のつかない領域・時代性に入りつつあるということなのか・・・。

 都知事選のニュースが繰り返される。3人のニュースが流れてから付け足したように残り18人の一覧が短時間提示されるが全てを読むことはできない。名前を知っている候補者は届け出順に桜井誠、マック赤坂、山口敏夫、上杉隆。何年か毎に大金を費やして開催される都知事選劇場といった感が強い。名前の連呼と握手の繰り返し、この二つの代表的選挙手法を禁止したらいいのに。

 ポケモンGoが全世界で話題となっている。土曜日(23日)に酒屋へ行く途中、横断歩道でそれらしき人を見かけた。30代前後と思しき男性がスマホ片手に時々顔をあげて周りを見ることを繰り返していた。善し悪しは別として、多くの人たちが同じような所作をすること、および時間を費やすことに違和感を覚えてしまう。

2016年7月17日日曜日

高校同窓会小旅行

 15日、茨城県日立市鵜の岬にて高校同学年同窓会の宴会。団体でどこか名勝地を巡るということはなく、15日に集まって宴会をやり、翌日は現地解散。自分を含めて4人は銚子に前泊で小旅行小宴会。
 14日8時に自宅を出発するもすぐに渋滞に引っかかり、春日部を抜けたのは約40分後。その後も2回ほど渋滞があり、多摩と足立区からの二人を我孫子でピックアップする予定時間には25分ほど遅れてしまった。3人になってからはひたすら走り、会津若松からの一人とは銚子のホテルで待ち合わせ、12時15分ほどに合流。
 KYの車に乗って先ずは銚子港/浜めしで昼食。ビールも飲んで(運転手役のKYはノンアルコール)、犬吠埼に戻るも靄っていて視界が悪く、眺望は最悪。どこへ行こうかと迷い、利根川沿いを走り、香取神宮に行った。由緒ある、全国でも有数の古い社であるが、参道に入る前の土産物などの店は廃れている。参道に入ってからは緑濃く、厳かな空気に少しは包まれる。
 この日2回目の国道356号線を走ってホテルに戻り、汗を流した後は食事&酒。部屋に戻ってからはKY持参の純米大吟醸4合瓶3本=飛露喜・天明・田酒を空ける。翌日ISが言うには自分とSJで一升は飲んでいるとのこと。否定はできない。

 15日は先ずは大洗かあちゃんの店で生しらす丼。普段は食べない朝食を摂っており、まだ10時少し過ぎでもあり、腹は減っておらず、さすがにご飯は残した。生しらす丼は食べてしまえばこんなものであろうと思い、やはり以前静岡から送ってもらった釜揚げしらしの味が忘れられず、すぐ近くの店でみると安い。車の中には入れておけないと言うので宅急便で自宅に送っておいた。
 この日は寒く、七分丈パンツを長いパンツに履き替え、向かったのは偕楽園。自分は初めて。好文亭に入るとき、パンフレットにあった中国語の簡体字と繁体字についてちょいと口に出したら、館内のオバサンから教えてと言われ、いい気になって教えたら、帰るときも呼び止められ、仲間の3人に随分と遅れてしまった。
 偕楽園の次は袋田の滝。ここを訪れるのは17-8年ぶりだが観瀑の場所までの道などには全く記憶が残っていない。懐かしく思い出されるのは、今はいない愛犬が小さな身体でピョコタンピョコタンと階段を上り、その姿を見ている人たちからカワイィーと言われたこと。家人と娘とその愛犬で行ったことがついこの間のように思い出される。
 ここから後は鵜の岬に向かう。この日はKYの車にSJ、自分の車にISが乗り、自分の車ではポップスを流しっぱなし。最初はエレキサウンド、次は洋楽ポップス、そして日本のポップスに移り、最後の1時間はいわゆるHソング。最後のHソングは笑いっぱなしであった。
 15時を過ぎていただろうか、ホテルについて皆と合流。総勢12人の同窓が、煙草組、鼾組、普通組と4人ずつの3部屋に別れ、風呂などに入ったあとは全員で宴会。飲んで語って歌っての楽しい時間は過ぎた。自分は当然の如く鼾組で、並べられた蒲団を移動して各自適宜な距離を取り、鼾の合唱と静けさの繰り返しで爆睡に入った。

 16日は9時過ぎに現地解散し、一人で車を走らせ、最初は日鉱記念館。そして自宅に向かうルートと照らし合わせて高取鉱山に向かう。高取鉱山には結局は行けなかった。この日のことは鉱山関連に特化したブログに記す。

2016年7月13日水曜日

選挙をめぐっての雑感

 都知事選を巡るニュースが賑わしい。都民ではないという理由ではなく、この都知事選にも他の選挙と同様に距離をおいて眺めている。正しくは傍観している。同じ事が繰り返されるテレビでは苛立ちもあり、チャンネルを変えて海外ドラマをみることも少なくない。

 参議院議員選挙では、安倍首相の政策が評価された(15%)のではなく、野党に魅力がないという理由が71%だったと朝日新聞デジタル版(7/13)に載っている。さもありなん、都知事選候補者をめぐる民進党をはじめとする野党の迷走は滑稽でもある。
 何か食おうかと店に入ってカウンターに座ったら、碌なメニューが並んでいない。しょうがないから、さほど不味くもなさそうなものを取敢えず食おうかといったようなものか。或いは料理しようと庖丁とまな板を出したのはいいけれど、俎上に載せる材料に食欲をそそるものがなく、しょうがない新鮮ではないが冷蔵庫に入っている、少し賞味期限がぎりぎりだが食えるもので我慢しようか、そのようなものなのかもしれない。

 7/11に自由民主党東京支部連合会が、地域総支部長・選挙区支部長、常任総務、各級議員宛に「都知事選挙における党紀の保持について」を発した。そこの3番目に記載されていることは、「各級議員(親族等含む)が、非推薦の候補を応援した場合は、党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名等の処分の対象となります」。ええっと思った。これってムラ社会の典型じゃん。「俺達が決めたことに少しでも反したら村八分くらいの処分は覚悟しておけよ」とムラの庄屋が板の間の端に立ち、一段下の土間に正座する農民を睥睨している様を思った。
 通達を渡された東京都自民党議員とその親族は反発しないのであろうか。彼ら彼女らから冗談じゃないとの声が出なければ、それはそれで呆れてしまう。親族と言えば民法では6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族まで指すから、議員の高祖父母からその兄弟、またいとこも含んで、玄孫どころかその子の子まで含む。通達を出した石原会長もそこまでは意識していないと思うが、いやな世の中というか、恐ろしささえ感じる。この前に読んだ本に書かれている、「想像上の一体感」そのものである。

 鳥越俊太郎さんが都知事選に立候補した。「参議院議員選挙の結果をみて危機感を抱いた」との談を聞いて、ちょっと違和感を覚えた。「民主主義に基づく選挙」を是とするならば、この参議員選の結果を生んだ選挙民に対して尊重する態度が欠けているのではないかという違和感である。このような結果に繋がった人たちに対し、結果を見てもう一度考えてみませんか、というのが最低限の礼儀であるような気がする。もしオレが選挙をして、それなりに知識のある人から、この結果には落胆して危機を覚えたと言われたら、先ず反発心が先に出てくると思う。
 それにしても、一国以上にも相当する予算を持つ自治体の首長を選ぶのに選挙期間が短すぎる。米国大統領選のように長期にわたってとは思わないが、数ヶ月くらいの期間を重ねて政策を巡る議論、あるいはあら探しに誹謗中傷まで織り交ぜてやるほうが選挙の中身を濃くするんではなかろうか。まぁ、結局は抽象的希望的展望と方針、およびに名前の連呼がビルの谷間の空気を裂いてくるのは間違いない。
 
 誤解曲解も非難も、悪口雑言罵詈誹謗も恐れずに言えば、オレは20代中半から長年にわたって投票所から距離を置いている。

2016年7月11日月曜日

庭仕事、選挙

 久しぶりにジョイホの庭木エリアに足を運び、背の低い樹木と花などを買い、30℃を超える中で樹木の移動と追加を行った。蚊に刺されるのが嫌なので長袖のつなぎの作業着を着て首にはタオル、足は長靴、頭には麦わら帽子という姿はさすがに暑い。スコップで土を掘り、庭木を立て、ついでに隣接する木の葉を落としす。家人と二人でやったのだが、すぐに休みたくなる。昔は長時間黙々と身体を動かしたのであるが、体力も耐力も落ち、早く終えようと何の足しにもならない減らず口だけは多くなり、それでも2時間以上は要した。シャワーを浴びてコンビニにビールを買いに行き、そのビールがすこぶる美味しい。500cc2本を飲んだら昼寝モードに入ってしまった。


 今日は選挙。テレビのチャンネルをどこに回しても殆どが選挙に関する番組。新聞での予想通りに「改憲4党、3分の2うかがう情勢」との報道がなされている。新人ですから党の方針に従っていくだけですとの自民党候補者が当選し、街のおばちゃんがイケメンぽい候補者と嬉々として握手をし、あべちゃんは素敵よね投票するわとスマホ片手の初老のおばちゃんも、これもあれも民意なのであろうし、歯舞を読めなかった大臣が落選して沖縄から自民党議員がいなくなるのも民意。鹿児島県に原発停止の知事が誕生し、歌手が比例で当選し、神武天皇は実在するという元女優も当選。そう、イイもワルイもなしに、それもこれも民主主義国家の選挙結果。オレはそういう選挙から離れている。


 今日は酒を飲んでいないと言ったオレに向かって、ビールを飲んでたじゃないとは家人の言葉。アルコール度数の低いビールに酒という認識が欠けているのかもしれない。だからこれからウィスキー片手に本でも読もうかな。今夜はSTRATHISLA YEAR 12 OF AGE、グラスは(多分)与論島で購入したもの。・・・美味い。

2016年7月10日日曜日

日本的ナルシシズム

 都知事選、参議院議員選挙が連日テレビや新聞で報道されている。市政であろうが国政であろうが選挙ではいつも大きな違和感というか嫌悪感がでてきてしまう。名前の連呼、声高の抽象的方針などを耳にする度にうるさく感じる。まして、幟を立てて統一された色のジャンパーを身にまとい、うるさく歩く集団をみると滑稽とさえ思う。突き詰めれば、結局はこういう日本はどうやって出来上ってきたのか、日本的集団行動はなぜ生じるのか、等々への思いがあって、その良くも悪くも「日本らしさの起源」に得心したい。 

 <堀有伸 『日本的ナルシシズムの罪』(新潮文庫、2016年)>:日本の集団的行動、過剰な自国賛美、曖昧な結論と誤魔化し、優しい国民性、自然災害への耐性、などなどの傾向はなぜ生じるのか、生じてきたのか、この新書を読んで数歩は前に進んだ気がする。個人の尊厳と集団利益、自然との対立/宥和、現実(具体・感覚)容認と抽象・理論の回避、絶対権力と飾られる権威、道徳と法、自我が対立する対象、日本語の言語特性、・・・・・。繰り返しでてくる「想像上の一体感」がわかりやすい。しかし、この本で説明される図は文章をよく読まないと判りにくい。何度も振り返ったが今ひとつ判っていない。
 三土修平『頭を冷やすための靖国論』(ちくま新書、2007年)115頁の図(「公」の平面に貼り付く「私」と直角に向き合う「私」)がわかりやすく、この図を成す起源と現象を頭に置いて考えるとすっきりしてくる。また、ヨーロッパの絶対王制においては誰も王に代われないが、権力のない「天皇」に対しては誰もが「小天皇」として天皇に代わり得る(なりすませる)。この「小天皇」という論理は、日本の、特に戦前における集団主義と支配の形を納得させる。ラディカルなまでの平等主義は激しい競争社会に繋がり、羨望を生み、分業システムに貧弱となってタテ割り社会を生み、優れた官僚社会を生んだ。・・・・明解。
 「母親と幼児の対立/依存性」から「日本的ナルシシズム」への絡みは今ひとつピンと来ていないが、「日本的ナルシシズム」とは何かということに対しては、本書に書かれている内容と現実を照らし合わせ見ると分かりやすい。
 著者の主張をごく簡単にまとめてしまうと次のようになるであろう。すなわち、日本は、「想像上の一体感に依存する精神性を克服して、責任を負える自我の能力が養われる必要があ」り、一方、「過度の抽象化や理論化に不健全さを感じ、体験に基づく直感、自然との接触、親密な人間関係から受ける情緒的な影響を重視して行動する日本文化には、西欧近代の行き詰まりを乗り越える潜在力がある」。 

 報知新聞調査で、選挙民の8割は憲法改正2/3というその「2/3」を知らないらしい(8日朝のテレビ朝日)。意外だった。あれだけ新聞やテレビで報道されているのに、多くがそれを知らないなんて、もしかしたら憲法に触れない安倍首相の作戦が功を奏しているのか、或いはこれが民衆の現実なのか。要は、この国の先の姿を左右する選挙であるのに、所詮民主制選挙はこれが現実ということなのであろう。そもそも参議院議員選挙と衆議院議員選挙の何が違うというのだろう。参議院が「良識の府」であらんとするなら、政党排除、立候補者制限、などという提案が出てもおかしくないと思うのだが。
 映画『雨上がる』の宮崎美子の台詞を借りれば、「大切なのは何をしたかではなく、何の為にしたかではありませんか」であろうが、見えてくるのは、「議員になるにはどうすべきか」だけを考えてがなり立てているようである。

2016年7月9日土曜日

即興

 残存する唯一の機能に鞭打てど、大地を穿つ勢いもなく、人生の悲哀は垂れ下がり、嘆息混じりに曇天を仰ぐ。

 石穿つ雨垂れを見て人生の普遍を語る賢人。その傍らで滴を払う我、眼下に見ゆる短く細き軟弱な一物に来し方の我が人生を投影す。

2016年7月5日火曜日

久々の早稲田ラグビー新聞記事

 サンスポに久々に早稲田ラグビー記事が掲載された。タイトルは「黒星も収穫!早大期待のルーキー・斎藤が“アカクロデビュー”」であって、黒星続きの中で斎藤への期待が大きいことを示している。今春の高校ラグビーにおいて桐蔭の中核であった斎藤の、気の強そうな表情ときびきびした姿がまだ脳裏に残っている。
 これまた久々に『早稲田スポーツ』に山下監督のコメントが載っており、ここでも斎藤への評価は高い。SHがいいときの早稲田は強いので秋に期待したい。1年のCTB中野-逸材-、SO岸岡、FB梅津への好評価もある。東北・岩手県の黒沢尻には個人的に愛着のある地であり、そこの高校(黒沢尻北)出身の梅津にも期待したい。横山はやはり怪我であり、いつ出てくるのか、そして岸岡のポジション争いも楽しくなりそう。横山は高校決勝のときに大怪我をしており、今後の状態に少し不安を思ってしまう。あと、これも偏った見方ではあるが、黒木に出てきて欲しいし、桑山兄弟には揃って試合に臨むのを見てみたいものではある。Dチームに出ている岸野楓へも応援している。秋田中央出身の三浦にも(秋田には三浦が多く、秋田市には何人かの三浦姓の親戚がいる)。
 フロントも何となく形が見え始めた感じがする。春は怪我ででていない選手もいるし、アタックの練習はあまりしなかったようだし、メンバーは常に変動していたし、春の惨敗続きの経験を踏まえ、Aの網走での合宿、例年の菅平での合宿を経て、秋には春とは全く異なる次元の早稲田ラグビーに接したい。

2016年7月4日月曜日

クーラー、テニス、ラグビー

 7月に入った初日、蒸し暑い。保険会社の抽選に当たったダイソンの扇風機-羽も扇もないので扇風機と呼ぶのは妙なもの-だけで過ごしてきたが、風呂から出た夕方にクーラーのスイッチを入れた。今季初となる。以来、続けてクーラーの冷気に当たっている。以前の自分からすれば随分と遅い。10年以上前は5月でもクーラーを稼働させていたのだが、体感温度の感度が落ちてきたのであろうか。

 深夜にウィンブルドンの試合を録画し、錦織の活躍を楽しんでいる。テニスの試合時間はなかなか確定しないのであるが、今年のウィンブルドンは雨が多く、何度も中断あるいは順延となっている。NHK総合でまとめられた放送をするので、無駄な時間がなくなる有り難さを享受している。大坂なおみさんが欠場しているのが何とも残念ではある。また、錦織以外の男性選手がすぐに消えてしまうのが残念。

 予想はしていたが、早稲田ラグビーは東海大学にも完敗。B・Cも含めての完敗であり、敗戦のスコアを見るのにも慣れてきている。法政にも負けているし、今はどん底といったところのようである。最近は本田も出ていないし、横山も黒木も、松井も宮里も桑山兄もリザーブにら名前が見えない。斎藤直人はU20が終わってやっと出てきた。期待している。
 怪我が多いのか、また、しょっちゅうメンバーが替わっているのはいろいろトライしているのか、さっぱり解らない。コーチ・監督の方針というかビジョンというのか、見えるはずもない。結果のスコアと観戦記しか見ていないので何が足りなくてどこが弱いのかも理解していない。夏合宿を経て本番の9月までは三ヶ月ない。一体どうなるのだろうか? 

2016年7月1日金曜日

雑感

 ある会の会報が送られてきた。会長の巻頭言を読んで、その情緒的・感情的な側面だけを基底におく「古き日本への憧憬と現代日本への嘆き」に呆れ、拙劣な文脈に腹立たしさも覚えた。日本の歴史をしっかりと学ぶ必要があるとの主張には共感すれども、歴史の中に何を学ぶのか、その視座の据え方が重要であろう。自らの情緒的観念の正当性を確認するために読書をするならば、それは誤った読書の方法である。読書の重要性を主張しながらも、失礼をかえりみずに言えば、もしかしたらこの人は読書の意味を理解していないのかもしれないとさえ想えた。

 参議院議員選挙に都知事選挙、何かしら滑稽とも感じてしまうことが多々ある。そもそも「良識の府」であったはずの(あらんとしたはずの)参議院議員選挙が衆議院議員選挙と同じシステムで行うことが妙ちくりんである。議員数に圧倒的な差異があるのに関わらず、連立政権と堂々と言っていることにも違和感を覚え、また、ある地方では地元の意見が反映されないからといって地方議員数の削減に怒っていることも筋違いではなかろうかと思う。国会議員はあくまでこの国の政治を担うのであって、地方のことは地方の県議会があるではないかと思うのだが間違っているかしら。

 明日から7月。今年の半分が経過した。2週間ほど前に息子に子供が誕生した。単純に可愛い。セブン-イレブンに行く途中で娘の長女を見かけ、行くかと声を掛けたら長男も顔を出して一緒に行った。並んで歩いている二人の後ろ姿は互いによく似ている。幾らでも買っていいというのに、彼・彼女は自己抑制を利かせている。