2016年7月13日水曜日

選挙をめぐっての雑感

 都知事選を巡るニュースが賑わしい。都民ではないという理由ではなく、この都知事選にも他の選挙と同様に距離をおいて眺めている。正しくは傍観している。同じ事が繰り返されるテレビでは苛立ちもあり、チャンネルを変えて海外ドラマをみることも少なくない。

 参議院議員選挙では、安倍首相の政策が評価された(15%)のではなく、野党に魅力がないという理由が71%だったと朝日新聞デジタル版(7/13)に載っている。さもありなん、都知事選候補者をめぐる民進党をはじめとする野党の迷走は滑稽でもある。
 何か食おうかと店に入ってカウンターに座ったら、碌なメニューが並んでいない。しょうがないから、さほど不味くもなさそうなものを取敢えず食おうかといったようなものか。或いは料理しようと庖丁とまな板を出したのはいいけれど、俎上に載せる材料に食欲をそそるものがなく、しょうがない新鮮ではないが冷蔵庫に入っている、少し賞味期限がぎりぎりだが食えるもので我慢しようか、そのようなものなのかもしれない。

 7/11に自由民主党東京支部連合会が、地域総支部長・選挙区支部長、常任総務、各級議員宛に「都知事選挙における党紀の保持について」を発した。そこの3番目に記載されていることは、「各級議員(親族等含む)が、非推薦の候補を応援した場合は、党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名等の処分の対象となります」。ええっと思った。これってムラ社会の典型じゃん。「俺達が決めたことに少しでも反したら村八分くらいの処分は覚悟しておけよ」とムラの庄屋が板の間の端に立ち、一段下の土間に正座する農民を睥睨している様を思った。
 通達を渡された東京都自民党議員とその親族は反発しないのであろうか。彼ら彼女らから冗談じゃないとの声が出なければ、それはそれで呆れてしまう。親族と言えば民法では6親等内の血族、配偶者、3親等内の姻族まで指すから、議員の高祖父母からその兄弟、またいとこも含んで、玄孫どころかその子の子まで含む。通達を出した石原会長もそこまでは意識していないと思うが、いやな世の中というか、恐ろしささえ感じる。この前に読んだ本に書かれている、「想像上の一体感」そのものである。

 鳥越俊太郎さんが都知事選に立候補した。「参議院議員選挙の結果をみて危機感を抱いた」との談を聞いて、ちょっと違和感を覚えた。「民主主義に基づく選挙」を是とするならば、この参議員選の結果を生んだ選挙民に対して尊重する態度が欠けているのではないかという違和感である。このような結果に繋がった人たちに対し、結果を見てもう一度考えてみませんか、というのが最低限の礼儀であるような気がする。もしオレが選挙をして、それなりに知識のある人から、この結果には落胆して危機を覚えたと言われたら、先ず反発心が先に出てくると思う。
 それにしても、一国以上にも相当する予算を持つ自治体の首長を選ぶのに選挙期間が短すぎる。米国大統領選のように長期にわたってとは思わないが、数ヶ月くらいの期間を重ねて政策を巡る議論、あるいはあら探しに誹謗中傷まで織り交ぜてやるほうが選挙の中身を濃くするんではなかろうか。まぁ、結局は抽象的希望的展望と方針、およびに名前の連呼がビルの谷間の空気を裂いてくるのは間違いない。
 
 誤解曲解も非難も、悪口雑言罵詈誹謗も恐れずに言えば、オレは20代中半から長年にわたって投票所から距離を置いている。

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