2020年7月26日日曜日

ウォーキング、ミステリー1冊

 先月17日から再開した速歩でのウォーキング、踵の痛みは再発せずにいる。約6.2kmを1時間弱で歩いている。怠け心が出て来たとき、あるいは雨が降れば歩かないが、今のところはマジメに続けている。24日で今月の累積歩行距離が100kmを超えた。いつも同じコースを、スマホのアプリで距離と時間とペースを音声で確認しながら、またオールデイズのポップスを聴きながら、時には空想も交えながら、歩く。
 連れ合いが二日に一遍ほどに行っている1時間少しの夕方ゆっくりウォーキングにも付き合っているので、それを加算すれば歩行距離が伸び、一般的に目安とされている月間平均歩数8000歩も十分にクリアできる。しかし、昨日も今日も朝から雨。

 <早坂吝 『ドローン探偵と世界の終わりの館』(文春文庫、2020年/初刊2017年)>:奇抜な構成と謎とき。下ネタ満載エロミスの“上木らいち”シリーズほどには楽しめないが、読者は間違いなくダマされる。「世界の終わりの館」は北欧神話のヴァルハラに取り憑かれた男の建造物。

2020年7月25日土曜日

雑記

 20日に微酸性次亜塩素酸水を買いに行った。これで2回目、1.5リットルで300円と安価で、その上に地域貢献の一環とのことで不織布マスク3枚も頂戴した。増え続ける新型コロナ感染者、いつまで続くのやら。自宅には玄関にアルコール殺菌消毒スプレー、そして布マスクには冒頭の微酸性次亜塩素酸水を利用している。
 ウォーキングと買い物、たまに書店、更にコロナ禍が始まってから外食はたったの3回。あとは自宅に引きこもり状態。公共交通機関の利用も5ヶ月間なし。今後はどうなるのだろう。GO TO何とかも利用する気にならないし、政治もあてにならないし、この国は一体どうなって行くのだろうか。春日部市もこのところ感染者が増え続け、7月に入って30人が増え、あっという間に60を超えた。

 映画「ブレードランナー2049」を見た。コンピューター・グラフィックスが多用されているのだろうが、映像は素晴らしい。そしてエンディングに流れる静かな音楽がとてもいい。YouTubeからDLした。

AOKIマスクにダブルで当選

 マスク購入の抽選にずっと当選しないままでいたが、意外にもAOKIのクールマスクに当たった。しかも連れ合いと二人そろってのこと。でもこのマスク、肌触りはいいのに、耳にかける紐が伸びないので男性には小さめである。とりあえず材料力学でいうクリープ状態となることを期待し、水で濡らした上で負荷をかけて吊り下げている。うまくいかなければゴム紐による改造をするつもり。他にも洗えるクールマスクは持っているのでこのマスクに拘る必要はないのだが、こういうことには性格的に意地を張って望み通りにしたくなる。

 <三上延 『ビブリア古書堂の事件手帖Ⅱ ~扉子と空白の時~』(メディアワークス文庫、2020年)>:『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズのスピンオフ版2作目。1作目の「~扉子と不思議な客人たち~」は読んでいないので、栞子さんと大輔が結婚して子どもの扉子が登場する物語は本作が最初となる。今回の物語の軸は横溝正史の『雪割草』と『獄門島』。二人は2012年に結婚をし、その年に『雪割草』の最初の調査があり、9年後の2021年にその次の推理が展開する。舞台は扉子が高校生となる2030年頃にも拡がる。この年数の拡がりと物語の構成に無理を感じるし、栞子・大輔が以前のように活写されていない。小説の出版事情や変遷に関する薀蓄に興味が持てない、持てなくなった。

2020年7月21日火曜日

新書3冊

 <馬部隆弘 『椿井文書-日本最大級の偽文書』(中公新書、2020年)>:『偽書「東日流外三郡誌」事件』のような“面白さ”を期待していたが、極めて学術的な研究書で、多くの偽書を作った椿井政隆(権之助、1770-1837)の物語には入り込めなかった。興味を引かれたのは、偽書作成に用いられたテクニックや、近世から現代までこの偽書を活用している研究者や郷土史のあり方である。
 京都新聞の記事(2020年5月8日)が本書の価値を端的に述べている。即ち、本書は「地元の歴史関係者らに波紋を広げて」おり「特に関わりの深い山城地域では定説が覆りかねな」く「郷土史が再検証を迫られる」と。

 <井上寿一 『理想だらけの戦時下日本』(ちくま新書、2013年)>:主題は1937年から始まった国民精神総動員運動(精動運動)。「八紘一宇」「挙国一致」「堅忍持久」からおなじみ(?)の「ぜいたくは敵だ!」「パーマネントはやめましょう」「進め一億火の玉だ」のスローガンはこの時期が流布された。この時代に真摯に向き合うというより、これらのスローガンには嗤笑を抑えられない。
 本書は精動運動の色々なエピソードを並べているだけという感が強く、あとがきに著者の主張が述べられているが、精動運動の分析からの論理的展開が弱い。
 読み終わった今も、書名の「理想だらけ」の理想にどのような意味を持たせているのかよく理解できない。八紘一宇から日常生活の細部まで「理想」を求めることが蔓延した時代だったということなのか。

 <宮口幸治 『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書、2019年)>:非行少年たちのみならず、犯罪者たちへの見方が変わる。寛容的になるという意味ではなく、問題の深層に埋もれているもの、そして解決策とされていることが単にその場を繕うだけの表層的なことでしかないこと、それらが理解できる。特に、イジメの深刻さは社会的にもっともっと取上げられてもいいのではないかと思う。

2020年7月15日水曜日

4冊のメモ

 <氏田雄介/西村創 『54字の物語 史』(PHP研究所、2019年)>:「くりぃむクイズ ミラクル9」のクイズに使われ、何かの記事でも目にしたことがある『54字の物語』シリーズ。試しに一冊をと思い「歴史」を軸とした本書に目を通した。感想は、”つまらない”。
 冒頭は、
  「野生の土器は活きがいい。捕まえたら、縄でしばりつけておかないと逃げてしまう。多少縄の跡がついても気にするな。」
 あまり面白くないので、いやらしく作ってみた。
  「あいつの器は具合がいいらしいと夫が言った。嫉妬心から私は縄で縛って焼いてやった。まさか後世まで名を残すとは。」

 <青木理 『時代の抵抗者たち』(河出書房新社、2020年)>:青木理の対談集。登場するのは、なかにし礼・前川喜平・古賀誠・中村文則・田中均・梁石日・岡留安則・平野啓一郎・安田好弘の9人。社会を正視し、鋭い感性で歪みを捉え、想像力豊かに政治的な発言をすると、この社会では「抵抗者」となってしまう。このカナシイ現実。

 <島田裕巳 『大和魂のゆくえ』(集英社インターナショナル、2020年)>:紫式部が『源氏物語』で書いた「やまと魂」は「漢才」に対する語で戦前の「大和魂」の意はない。宣長の「大和心」もこの「やまと魂」と同様である。安丸良夫が「人間の頭脳が考えうるかぎり身勝手で独りよがりな議論」と批判した篤胤や、正志斎、松陰あたりから「國體」や「神国」の語と結びつき戦前に「大和魂」がピークとなり、今はスポーツで使われる。
 そもそも「○○魂」というのはよく分からない、というか違和感がいつもある。近くの中学生が背中に「○中魂」と書かれたジャージを着ていると一体誰がどのような発想でそのようなジャージを作って生徒に着させているのか、疑問が拭えない。出身高校の地である会津の「会津魂」の語もよくわからない。「利を求めず義に生きる会津魂」と説明されても得心に至らない。「○○魂」で一束からげ、そこに安住するというのは集団への「依属」というものであろうと思うのである。

 <一ノ瀬俊也 『特攻隊員の現実(リアル)』(講談社現代新書、2020年)>:特攻は対戦車(刺突爆雷)、桜花、回天、震洋、航空特攻があるが、ここでは最もポピュラーな航空機による特攻のみを対象とし、「特攻隊員たちの頭のなかにあったものは何なのか」を、資料をもとにして批判的に述べている。特に真新しいと思える論述はない。
 まえがきから次を引用しておく。「これまでの特攻論は、特攻隊員たちの死の意義を、戦後の平和と繁栄の礎と説明してきた。あたかも彼らは降伏と復興、その後の経済成長を知り、そのために命を投げ出していったかのようである。しかし、いうまでもないことだが、特攻隊員たちは1945年8月15日の敗戦を知らずに亡くなっていった人びとである。つまり、彼らの頭のなかには降伏も繁栄も存在しない」。

2020年7月1日水曜日

本一冊

<ハリエット・アン・ジェイコブズ 『ある奴隷少女に起こった出来事』(大和書房、2013年)>:本文からの引用で本書の内容を記す。
[Ⅰ 少女時代 1813-1835]
1813年ノースカロライナ州に奴隷の娘として生まれたリンダ・ブレント(ハリエット・アン・ジェイコブズの筆名)は、自分が奴隷であることを知らず、両親の庇護のもと6歳まで平穏な子ども時代を送る。その後、母の死により、最初の女主人の元で読み書きを学び、幸福に暮らしていたが、優しい女主人の死去のため、医師ドクター・フリント家の奴隷となり、一転不遇の日々が始まる。
15歳になった美しいハリエットは、35歳年上のドクターに性的興味を抱かれる。ドクター・フリントから逃げ回る奴隷の不幸な境遇に、たった一人で苦悩するハリエットは、とうとう前代未聞のある策略を思いつく。
[Ⅱ 逃亡 1835-1842]
サンズ氏の子どもを身ごもることで自由の道を開こうとしたリンダに対し、ドクター・フリントの変質的な執着は止むどころか、いまや子どもたちも彼の支配下に入れられ、プランテーションで奴隷として調教されることになる。リンダはふたたび自分と子どもの自由のために一計を案ずる。どしゃぶりの雨が降る真夜中、プランテーションから逃げ出したリンダには懸賞金がかけられ、報復のために子どもたちは牢に入れられてしまう。
[Ⅲ 自由を求めて]
7年間の屋根裏生活のあと、突如訪れた危機と幸運に助けられ、リンダは北部フィラデルフィアに向けて出発する。別れた娘エレンと再会するが、サンズ氏の約束とは裏腹に、娘は女中として遇されており、リンダを失望させる。
子どもたちと一緒に自活するために、ニューヨークで働きはじめるリンダに、フリント一族の追手がせまる。逃亡奴隷法成立により、ニューヨークでも奴隷として追われるリンダは、我が身の安全よりも、自由という栄光を獲得するために、自分がなすべきことを考えはじめる。
最終的にはブルース夫人の大いなる援助があってリンダは自由を獲得する。
奴隷制という制度は、奴隷を過酷な生活に貶めたことは間違いないが、(著者の指摘にもあるように)一方では白人に自らの残虐性を気づかせたとも言える。制度(法律)がなければ残虐性を表に出さずに済んだ白人もいたのではなかろうか、そんなことがふと頭に浮かんだ。

 佐藤優が解説にて「本書の翻訳は実に見事だ。英語から正確に翻訳しているというだけでなく、リンダの心象風景が読者にリアルに伝わる」と述べている。しかし、訳された文を読んでも何を述べているのかよく分からずに何度か読み直す箇所が幾つかあった。直訳調であるとも感じたが、これには訳者の意図を入らせずに「意訳」にならぬようにした結果であろう。