2018年12月30日日曜日

早稲田実業完敗、コーンウェル終了

 30日、早稲田実業は残念だが流経大柏に0-53と完敗。個々の力、接点への集散のスピード、攻撃の多様性やランニングスピード等々に大きな差があって、ディフェンスが機能しなかった。唯一の得点チャンスも圧力を受けてのノックオンで叶わなかった。この負けによって早実はより強くなると思う。
 桐蔭や東福岡、大阪桐蔭はやはり強さが抜きん出ている。東北・北海道で残っているのは黒沢尻工業のみ。Bシードの佐賀工業と日本航空石川は初戦敗退。

 <パトリシア・コーンウェル 『審問(下)』(講談社文庫、2000年)>:ケイ・スカーペッタ、シリーズ本作の後は『黒蠅』、『痕跡』と続き、最新作は24作目の『烙印』となるのであるが、・・・もう読むことはない。つまらないという事ではない。楽しく読めたのだが約25年間にもわたるシリーズにはもう付き合う気力がない。そもそも18年間も放っていたのだから以前読んだストーリーを覚えていない。

子ども達のアルバイト、高校ラグビー

 27日、娘とその子ども達にゲーム兼アルバイトを提供。それは焼酎の空き瓶に溜め込んでいた小銭や小額紙幣を数えさせて賃金を支払い、且つ予想金額との差異に応じてボーナスを出すというもの。身近な親戚がいないためにお年玉の実入りが少ない娘の子ども達にとっては楽しい遊びであったようだ。

 花園での高校ラグビーが始まり、幾つかの試合を観戦。『ラグビーマガジン』の付録にある花園ガイドを冊子を手許において観戦するのはいつものこと。
 早稲田実業が1936年度以来79大会82年ぶりの出場となり、1928年度(この時は準優勝)以来の87大会90年ぶりに勝利した。名護高校との対戦は最初こそ固かったようだが55-3の完勝。藤島大さんと矢富勇毅の解説もラブビーへの思いが込められて好ましかった。
 試合は中央突破や左右への展開などがふんだんにあって楽しめた。また、往年の早稲田大学ラグビーで活躍した選手の人たちの名前があり、それもまた気持ちが弾んだ。No.8相楽の父は現役早稲田大学の監督であることは周知されているが、ほかにはFB小泉(剛)、SO守屋(泰宏)、CTB植野(貴洋)、WTB今駒(憲二)はいずれも父親は大学でアカクロを着ている。括弧内は父親の名前。
 早稲田実業ラグビー部の3年生11人はすべて早大入学が決まった。全員が大学ラグビーを続けるのか否かは分からないが何にしても来季早稲田大学ラグビーは楽しみである。ラグビー中継中、スタンド観戦をする相楽監督や今駒さんが映し出されていた。
 次戦はBシードの流経大柏。初戦に続いてセカンドジャージかと思っていたがアカクロ着用となった。早実が目標としている、初戦および2回戦シード校からの勝利を実現してほしい。
 秋田中央は石見智翠館に完敗、山形中央は大敗、青森北も負け、仙台育英は記録的な零敗(0-81)、福島の聖光学院も負けて東北勢ではBシードの黒沢尻工業が静岡聖光学院と初戦を迎える。埼玉の深谷高校、富山県/魚津工業も負けてしまった。

2018年12月27日木曜日

早稲田ラグビー年越し、印刷博物館、草津温泉、文庫本

 22日、今季初めての秩父宮で大学選手権早慶戦ラグビー。胃がキリキリと痛くなるような、後半慶応を追いかける早稲田のアタック時にノックオンの笛がなるとため息が出て、今季もここで負けるのかという諦め、いや大逆転があるかもしれないとの期待、その両方が錯綜するなか、慶応のペナルティ。岸岡がタッチに蹴ってついにはノーサイドのホーンがなり、早稲田攻撃のラストプレイに入る。胸の鼓動が高鳴り、ミスをするなと只管ねがい、約5分後に右に展開して佐々木が隅に飛び込んでトライ。5年ぶりの年越し。対抗戦で帝京に完敗し、ゲームの入りの悪さを実感したが、その帝京戦の後半からは予想外に早稲田のラグビーは変化し、強くなった。対抗戦で慶応・明治を倒し、選手権第1戦で再び慶応に勝利し、次戦はまたもや明治。結果はどうなるか分からないが、5年ぶりに準決勝を観戦できる。

 早稲田勝利の高揚した気分のままに秩父宮から飯田橋に向かい、印刷博物館に入った。目的は企画展示「天文学と印刷」。つまらなかった。天文を印刷した古書の頁が開かれていても、それだけでは何も心が動かない。パネルや動画で天文学の発達を簡易的に説明されていても、内容的に薄っぺらであって、美味いはずの饅頭の表皮を舐めるだけの感じである。印刷のメカニズムの展示があるが、既知の知識以上のものはない。グッズ販売も狭くて意外性のあるものがなく、落胆。幸いだったのは入場券がシニアは無料だったことだけ。

 24-26日は草津温泉。初日はさっさと温泉につかり、あとは寝るまでほぼ飲み続けた。二日目は湯畑周辺をぶらり。夜は酒を抑え、文庫本を読む。三日目は少しだけ足を伸ばして「亀屋」に饅頭を買いに行き、同い年の店主や素敵な奥さんとの楽しい話を交え、湯畑付近で昼食としたギネスのビールとカレードリアはとても美味しかった。

 <パトリシア・コーンウェル 『審問(上)』(講談社文庫、2000年)>:1993年から2000年にかけてケイ・スカーペッタ シリーズを9冊、アンディ・ブラジル シリーズを2冊読み、本作『審問』を買ってから多分17年間ほど放っておいた。積ん読消化、あるいは未読本整理の意味をも含め、約17年ぶりにスカーペッタ登場のこの小説を手に取った。本作はシリーズ11冊目であり、現在は24冊刊行されている。『審問』から上下巻になったので、億劫になって長期間読もうとしなかったと思う。メインストーリーの周縁描写が多くあり、速い展開を待つ気分にもなるが、スカーペッタに関る人たちとの交流を悉に描くことで物語に厚みを増し、読者を引き込むのだからやはりベストセラーを生み続ける作家であることに得心する。
 草津温泉のホテルで深夜に読了。下巻を持ってこなかったことを後悔した。

2018年12月21日金曜日

雑記、文庫本1冊

 18日、下駄箱の清掃と整理。下駄は家族で2足しかないから靴箱と呼ぶのが適切だろうが口に出るのは”下駄箱”。

 19日、玄関内外のタイル床をクリーニング。

 20日、年賀状の印刷と投函。午後はTa・Co兄妹と一緒に自宅でしゃぶしゃぶ昼食。豚肉を6パック完食。この兄弟の偏食は面白い。兄は果物がダメで野菜はオーケー、妹の方は果物オーケーだが野菜が嫌い。この日、娘の子ども達を相手に飲むのも妙であるが、彼・彼女が来ると嬉しいのでついついビール1缶と葡萄酒(今回は白)を1本空ける。
 昼食後はトランプ。ゲームは自製のゲームで、ルールは至って簡単だが、算数の知識は必要。骰子を2個振って出た数字2つを各自勝手に四則演算し、その計算結果に合致させるよう持ち札3枚までの数字を四則演算し場に出す。出された結果は相互に確認する。手持ちのカードを早くなくすのが目的。これは昨年の末か今年初めころから時折やっている。小学3年のCoちゃんは計算が速くなったが、一番速いのはやはり中2のTa。

 21日、スーパーでレジの前に並んでいたら目の前にかつての同僚であるHoさんがいる。2-3歳年長の小柄な体がさらに小さくなり、よぼよぼ状態に足を突っ込んだ爺さんに見えた。向こうは後を向くことがなかったのでこっちに気付かなかった。買ったものを袋に入れているときは少しだけ距離をおいて横にいたのだが、それでもその年寄振りに驚いてしまい、声をかける気にならなかった。自宅から500mほど離れた所でまだお袋さんと二人なのか、あるいはもう一人暮らしになったのかなとふと思う。生涯独身のままでいることは確からしい。

 <ピエール・ルメートル 『天国でまた会おう(下)』(ハヤカワ文庫、2015年)>:『その女アレックス』を読んでその面白さに惹かれ、続けて買ったのがこの小説。カミーユ警部シリーズに先に手が出てしまいこの小説は放ってしまっていた。「”史実”に基づいたこの小説が含む虚構」(作者あとがき)は、作者が「初めてミステリーというフィールドから離れて書いた小説」(解説者)でフランスでは”冒険小説”とも呼ばれているらしい。物語は、主人公と副主人公が詐欺を計画し、卑劣漢の元中尉は汚いやり方で財を築こうとするが、やがてその阿漕な手段は表沙汰になる。中尉は富豪の娘と結婚をし、物語の終わりになって、その富豪は車ではねる相手が息子であることを知る。主人公は詐欺で得た大金を持って恋人と共にベイルートに逃れる。
 ミステリーから離れた小説というけれど、詐欺を仕掛け、その詐欺にはまった富豪の犯人捜しはやはりミステリーの要素が詰まっている。善人は登場しない、皆それぞれに現状から脱却し安寧な生活を得ようとしている。彼らの周りの出来事は人間の欲望がそのまま素直に表出しているだけであり、時には皮肉っぽく描写されている。帯にある「恐怖、禍々しさ、情感、荘厳、卑しさ、そして滑稽さまでもが、ここでは見事に一つになっている。--<ル・ポワン誌>」という評がぴったりくる傑作であり、人間観察ができる小説である。書名は事実からの引用-敵前逃亡の汚名で銃殺刑となり後に名誉回復となった兵士が妻に残した言葉-である。

2018年12月18日火曜日

酒、音楽、ミステリー

 17日、ウィスキーを2本買いに行ったが、出羽桜純米酒をみたら急に日本酒が飲みたくなり、それも買ってきた。ビールで喉をなめらかにした後にこの山形県天童市の酒を飲む。4合瓶半分までいかなかった。
 自室で本を読みながら音楽を聴くも、あるスピーカーからの音が劣っているような気がしてしようがなかった。音源の質が良くなかったのかもしれない。何故なのかと追求し始めるときりがないし、音ではなく音楽を聴くんだと自分に言い聞かせ、音楽のジャンルを変え、スピーカーも変え、アンプも変更し、今度は満足。やはりというのだろうか、一番高価なスピーカーが一番いい音を出す。先日はリビングのBose 5.1chでCDを聴いたら、音質が気になってしようがなかった。このセットではやはりクラシックは合わない、サラウンドで映画を観るだけでいい。尢も、最近はリビングでAVアンプをオンすることもかなり少なくなったし、古くなったAVアンプを買い換える欲望も失せている。

 <ピエール・ルメートル 『天国でまた会おう(上)』(ハヤカワ文庫、2015年)>:時は1918年、西部戦線前線から始まる。中尉が自軍兵士2人を背後から撃って戦死と見せかける。遺体の異常を見つけた主人公は中尉に穴に落とされてしまい、土で埋められる。そこを救ったのが副主人公とも言える兵士で、彼は爆発で顔に穴があき、脚が不自由になり、モルヒネで命を維持する。戦争が終わったあと、二人と中尉、副主人公の父や姉との相互関係が展開し始め、下巻へと続く。ゴンクール賞受賞作で、下巻への期待が膨らむ。「それじゃあ、さよなら、天国でまた会おう、セシル。ずっとあとで」と37ページに書名の言葉が出てくる。

2018年12月17日月曜日

深酒、ミステリー、ラグビー

 15日、息子一家、娘の子ども二人、そして連れ合いの合計7人で外で昼食。娘はアルバイト、彼女の連れ合いは出張。息子の嫁さんは家族の中での飲み友達であるが、妊娠・出産・育児で約3年間ほどは一緒に飲めずにいた。帰宅後、テーブルの上に4本のウィスキーを並べ,、久々の酒を楽しんだ。子ども達は早々に渡されたクリスマスプレゼントで遊んでいた。
 酔ってしまって寝てしまい、息子達が帰ったのも分からない。夕方からテレビで録画を見るもまたも眠ってしまい、結局はベッドに早く入ったが、今度は午前2時前に目が覚めてしまい、朝の6時頃まで本を読み、読み終えてからはまた眠りに入った。
 飲んでいる途中で観た社会人ラグビー、予想以上の大差で神戸製鋼がサントリーを下して18季ぶりの日本選手権および15季ぶりのトップリーグ優勝。サントリーは何もさせてもらえなかった、できなかった。55-5はサントリーにとって屈辱的な大敗であろう。

 <ピエール・ルメートル 『傷だらけのカミーユ』(文春文庫、2016年)>:『その女アレックス』『悲しみのイレーヌ』と続く(オリジナルの発刊順は逆)カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの最終作。極上のミステリー、一気に読んだ。犯罪発生から解決までの3日間が描かれ、特に3日目はぐっと引き込まれ、前日までは予想もつかなかった展開が繰り広げられる。スリリングなストーリーももちろん楽しめるし、文章に深味があってそれもまた楽しめる。すぐれた小説を読んだ後は気持ちも晴れやかになる。

 16日、ポストと駐車場以外には外には出ず、家の中で一日中過ごす。大学選手権が本格的にスタート(九州代表・中部四国代表・東北北海道代表のトーナメントは「本格的」から除外している)。もしかしたらと筑波大に期待するも大東大に完敗。慶応は圧勝するかと思ったが、意外にも21-20まで京産大と接戦となる。しかし、その後は突き放して43-25。京産大はFWDは強いし慶応を苦しめているが全体的には、ディフェンスが、特にタックルが甘いと感じた。明治は予想通りに立命館に圧勝。前半5トライで最終的には10トライまで行くかと思ったが、後半は16番以降の選手を次々に出し、終わってみれば50-19とスコア的には少々物足りない。22日は早稲田vs慶応。今年最初の秩父宮となる。対抗戦に続いて早稲田の勝利、すなわち久々の年越しをしてほしい。

2018年12月15日土曜日

雑記

 13日、ベッド周りをほんの少し改善。午後、車のリコール対応点検。駐車場に車を入れるとき女性が待っていてくれたが、いつも会話を交わす会津に所縁のある星さんではなくちょっとばかり残念だった。整備を担当された方も初めての人だった。リコールのサービスということで洗車をしてくれて有り難い。綺麗になったのは数ヶ月ぶり。
 Surface3を暫く放っておいたら充電量が5%まで減ってしまい、立ち上がらない。何度か立ち上がってもすぐに途中でダウンしてしまい、純正の製品で暫くUSB充電するもなかなか充電されず、時間をかけて20数%の充電量でwindows更新をしたらあっという間に5%に低下してしまい、それからはまた同じ事の繰り返し。数時間充電するも充電がなされず、今度はANKERのPowerPortとワッテージの高いUSBコードで高速充電し、100%までフル充電したらSurface3は正常に動作するようになった。純正のUSBコードのコネクターは接点復活材で清掃し、常時繋げておくようにした。教訓は、①充電状態を常時維持しておきバッテリー低下を防止する。②高速充電可能となるよう器材を保有しておく-追加購入。③接点復活材があなくなったので追加購入して常備しておき、オーディオのみならず機械的接続部分は随時清掃できるようにしておくこと。大体こんなところか。

 14日、散髪。数年前までは何度か若き日のような長髪にトライするも、髪が伸びてくるとうっとうしくなり結局は耳に少しだけかかる程度にしていた。最近はそれも煩わしくなり、借り上げ一寸手前のところまで短くしている。白い部分が増えてきた。散髪店では女性一人と男性二人のスタッフがいて、今回も女性担当とはならなかった。それどころか、担当した年配の男性からはうっすらと煙草の臭いがする。左手の指に挟む煙草の臭いが手に染みつき、櫛を持つその手からにおってくるものと推定。かつては自分も煙草を吸っていたが、他人の煙草の臭いは好きじゃない。
 午後IdMi氏来訪。
 娘の娘が久々に泊まることになった。連れ合いは一緒に風呂に入り、お揃いのパジャマを着て、一つのベッドに入り、今もリビングで話をしており、彼女の至福の時間が続いている。.娘の娘は明け方にベッドから落ちて苦笑いをしていた。
 朝日新聞に渡辺京二さんの言葉が連載されている(「語る-人生の贈りもの-」)。自室の棚を見れば渡辺京二さんの著作がほぼすべて(再刊や再編集は除く)並んでいる。18冊は未読であり、暫くしたら集中して読もうと思っている。年齢を重ねた著者の余命も少なくなるばかりで、もしかしたら存命中に読みおえることができるかなんて不埒な考えが出てくる。既読の本も、読んだ当時は雑な読み方をしていたので再読せねばと思っている。しかし、ほかにも積んだままになっている本がかなり多いので、それこそ、その再読が実現するのかちょいと疑わしい。

2018年12月13日木曜日

寒い、ミステリー1冊

 11日、連れ合いは昨日から明日12日まで友人2人と小旅行。独りでいる家は冷え込んでいるのに、自室の足元暖房のセラミックヒータが故障し、温度が上がらない。先月19日に購入したばかりで、販売店に行くも交換品がなく、購入費用返却を提案された。しようがないので購入費用を返してもらい、違うものを買おうと、品揃えが豊富で500円券も持っている家電量販店に出向いた。10%割引適用のポイントカードは家においたままなので、一旦自宅に戻り、出直した。故障がなければ2時間近くも余分な時間を費やせずに済んだのにと、愚痴の一つも零したくなる。午後は、貝と鯖の刺し身で日本酒3合ほどで時間を潰す。

 <若竹七海 『錆びた滑車』(文春文庫、2018年)>:著者の本は初めて読む。従って、本屋の店員兼女探偵である葉村晶シリーズということも知らなかった。ひねったストーリーと洒脱な文章。40過ぎの独身女性である主人公の容貌が作れなかった。それは主人公が自らのそれを語らず、周りの男も触れていないからであろう。あるいは単にこっちの想像力不足ということでもあるか。
 主人公の人との関わり方が幾層にも重ねられていて、徐々に明らかになる謎解きは面白いし、よく練られていると思う。
 鋭い感性と豊かな想像力があって、さらに筆力があるならば、本を読むよりもストーリーの構成やパズルの構想設計をやる方がずっと楽しいだろうなと思う。

2018年12月11日火曜日

CD、年末恒例ミステリーベスト、新書1冊

 10日、久しぶりに購入したCD3枚が届いた。クラシックのCD2枚と送料無料にするためのもの1枚。最近、クラシックは現代音楽のものを購入するのことが続いていたが、今回はショパンのピアノ曲(バラード/スケルツォ)とモーツァルトのクラリネット協奏曲。モーツァルトのこの協奏曲はこれで何枚目だろうか、CDとLPで20枚くらいになるのだろうか。落胆したのがついでに購入したハーモニカによる映画音楽のCD。曲によっては、ハーモニカがバックのオーケストラやピアノ伴奏に押されていて、ハーモニカの柔らかい包み込むような音が弱くて前面に出てこない。それにアレンジの所為なのか、全体的につまらない演奏で、ハーモニカ演奏もただスコアを丁寧になぞっているだけとしか感じられない。それなりに著名な日本人演奏家だが、安直な演奏で、ロマンティックな曲である筈なのに聴いていると苛立ちも覚える。久々に失敗してしまったCDである。ハーモニカのCDでは28年前に購入したボンフィーリオの1枚が愛聴盤。ヴィラ=ロボスのハーモニカ協奏曲とバッキアーナス・ブラジレイラス第5番は秀逸。
 最近はミステリーを読まないのに、年末の習慣で『このミステリーがすごい!2019』と『週刊文春』を買ってきた。国内・海外の両方でベスト21位以下(「このミス」)やベスト10以下(「文春」)のなかで2018年度に読んでいるものは『それまでの明日』(原尞)1冊のみ。ちなみに30年前の「このミス」初刊1988年版では国内ベスト10で半分の5冊を読んでいる。隔世之感あり。

 <清水唯一朗 『近代日本の官僚』(中公新書、2013年)>:帯には「エリートたちの喜怒哀楽」、「学歴エリートたちの「立身出世」」、「誕生から成長、そして、政治家の輩出へ」とある。
 明治政府誕生後のエリートとなった人たちの知識吸収に対する意欲と熱意には敬服する。欧米に留学した人たちすべてとは言わないが、例えば事例として示される小村寿太郎や鳩山和夫などの努力には驚きを覚える。一方、政府の中枢を担った薩長土肥出身者とお飾りだった皇室・公家たちの組織票を見れば、いかに小数の人たちによって明治初期の政官がドライブされたかが分かる。この日本を新しくしたい、幕府体制を排除したいと真摯に追求する思うひとも勿論いたが、各藩から選ばれた若い人たちは、留学時は出身藩の名誉と期待に応えようとする重圧を感じ、一方では選ばれた者としての誇りを持ち続け、帰国後は身の振り方と出世欲が心身を蓋っていた。明治初期、日本を牽引する人たちは、欧米からの後進性-すなわち無知-を認識し、だからこそあの混乱の時期に多勢を欧米に送り込んだ。今はどうなんだ、自国自賛があまりにもひどくはなかろうか、とふと思う。
 現在に繋がる官僚気質は、総合大学としての東京帝国大学発足時と官僚任用システム(いわゆる文官試験)が発足したあたりからである。東京帝国大学法学部学生の誇りと私学を下に見る姿勢、東大卒官僚と入省後の出世格差はそのころから始まり、いまも連綿と続いている。日本人個々の人たちは優秀である、しかし日本のシステムは低レベルにあると一般的に言われているが、それを形成したのは明治の官僚育成および任用システムが構築されたあたりからであると思う。優秀であるということの意味を問わなければならないが、それは人間の行動パターンの根源を探ることであろう。

2018年12月10日月曜日

雑記

 9日、美園に向かうが交通規制が多く迂廻を強いられる。迂廻しようにもかなり遠回りになるし、埼玉マラソンで混んでいるだろうからと急遽引き返し、春日部イオンに向かった。クリスマスシーズンに入っているからか、はたまたボーナスが支給された日曜日なのか、比較的イオンも比較的混んでいた。
 腕時計のバンドを修復、連れ合いのバッグのショルダーベルトに穴加工を追加して、彼女の低い身長に合わせる。
 最近、腕時計の電池交換を繰り返している。電池切れで稼働しない状態を続けるのは良くないので、交換を重ねる。工具は持っているし、こういった作業は好んでやっており費用節減に貢献はしているが、当たり前のことと受け止められているようだ。

 <三谷太一郎 『日本の近代とは何であったか』(岩波新書、2017年)>:「「老年期の学問」は、どちらかといえば、特殊なテーマに焦点を絞る各論的なレベルの発展よりも、より一般的なテーマに傾斜した総論的なレベルの発展に力点を置くべきではないかと考え」る著者による日本近代史の総論。ウォルター・バジョットの「「近代」概念」に沿った次の4つの切り口で論じる。①「なぜ日本に政党政治が成立したのか」、②「なぜ日本に資本主義が形成されたのか」、③「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」、④「日本の近代にとって天皇制とは何であったか」。特に関心を強くして読んだのが①と④。
 「公儀から公議へ」は幕末から新政府への連続性を簡潔に示しており、朝廷の編入は「権力と権威の一体化」もエッセンスを凝縮していて分かりやすい。④においての関心は教育勅語であって、それは、「憲法外で「神聖不可侵」を体現する天皇の超立憲君主的性格を積極的に示した」ものであり、「伊藤博文が天皇を単なる立憲君主に止めず、反宗教的絶対者の役割を果たすべく「国家の機軸」に据えたことの論理必然的帰結」であって、一方、現国会議員の一部が教育勅語を有り難がることに「理論的必然性」があるとは感じられない。
 岩倉具視全権大使たちが欧米に派遣され、なぜ米国なのかと淡い疑問は持っていた。それは法制定にしても参照したのは独英仏などであって米国はまず出てこない。しかし、米国は当時の日本からすれば欧州とは一体ではなく、寧ろ欧州からは遅れた国であったのであり、その米国が英国より独立を勝ち取ったのは、「攘夷」の成功事例としてであると捉えてもいた。皮肉っぽく言えば、黒船が来てから、日本は米国を欧米とは異なる視点で仰ぎ見て、一時的に抵抗はしてみたけれど、実は幕末からずっと現在も、日本はアメリカに追従してきた、というのは短絡的だろうか。
 ①の章末に著者の現在への主張がある。それは、良し悪しは別として当たっていると思う。すなわち、「私は、今後の日本の権力形態は、かつて蝋山政道が提唱した「立憲的独裁」の傾向、実質的には「専門家支配」の傾向を強めていくのではないかと考えています。これに対して「立憲デモクラシー」がいかに対抗するのかが問われているのです」と。

2018年12月8日土曜日

新駅名、カードの不正利用

 5日、品川~田町間に新設される駅の名称が「高輪ゲートウェイ」に決定。目にしたとき、カタカナが付されていることに違和感を抱く。Gateway、以前この名のPCを購入し、いまは破棄待機状態。この駅名に呼応してTwitter上で、既存の駅名にカタカナを組み合わせた駅名が話題を集めているらしい。「新橋アルコールターミナル」-秀逸。

 7日、クレジットカードに不正使用があり、新規カードが届いてあちらこちらに変更の手続きをした。全くもって面倒である。経緯は以下;
 ①10月下旬に海外から不正請求があり、支払いを停止し、また11月末に該当クレジットカードを無効化して新規カードを発行する旨郵送にて連絡があった。その連絡が11月半ば。不正請求元はAMAZON *MKTPLCE AU。
 ②該カードの11月使用をたまたまチェックしていたら、前月と同じような不正請求が見つかった。日付は11月24日で請求元はAMAZON *MKTPLACE EU-I。すぐにカード会社に連絡を入れた。カード会社ではまだチェックに引っかかっていなかった模様。前回の金額は2千数百円で今回は5千数百円。すぐにカードを無効化して早急に新規カード発行する旨電話で打ち合わせ実施。
 ③1日に某契約先からカード番号が認識されず、自動契約継続を中止する旨メールが入った。これは契約解除をするつもりだったので、手続きが省かれて、ある意味ラッキーではあった。
 ④新規カードが7日に届き、早速に定期支払いをしている契約先に変更手続きを実施。Webで簡単にできるところもあれば、Webではわかりにくいので電話での連絡もある。変更書類を請求し再送しなければならないところもある。スマホについてはパスワードを何回かミスってしまい、Webでの手続きができなくなったので近くのショップに出向いて変更手続きとなった。そして、カード会社より不正使用についての手続き書類が届く。全く面倒である。特にWebでの手続きができないところは不便きわまる。
 長年数種のカードを使っているがこんなことは初めて。最も多用しているカードなので、どこかで悪用しようとの動きがあったみたい。でも、そのカード会社では常時チェックしており、不正請求は適切に検出されるようでもあり、システムへの信頼を確認することになった。

 同7日、昼に日本酒を2合ほど飲み、夕方からワインを1本空けてしまった。眠いので22時過ぎにベッドに入ったら午前3時に目が覚めて眠れなくなった。早く、と言っても一般的には普通の就寝時間だが、いつもより早く寝てしまうといつもこのようになってしまう。翌日の午後はまた睡魔と闘うことになる。

2018年12月5日水曜日

4K放送

 3日、窓の掃除&カーテン洗濯を完了。おいしい酒を飲めるとの連れ合いの言葉に触発され、終了後に麦酒と日本酒を飲むが、大した量を飲まずに寝入ってしまった。

 4K放送が始まった。4K TVは既に設置しているので、CATVのセットトップボックス(STB)を交換すれば、数百円/月のアップで4Kを見られるが、ビデオ機器等との接続環境が変わってしまうのではないかと危惧し、調べてみた。今、ビデオレコーダーは2台を利用し、1台はほぼ地上波録画専用(A)、もう1台はBS/CS録画専用(B)とし、他に4Kプレイヤーも使用している。Aはアンテナから分配して接続し、両者ともSTBとi-Link接続している。が、ケーブルテレビ局が現在用意している4K対応STBにはi-Linkがない。USB接続HDD追加で録画はできるが、現在保有しているビデオレコーダーとのDLNA接続可否は確認されていない。今後追加されるであろうSTBにI-Link端子は多分ないだろうから、まずは4K対応STBに交換し、現保有レコーダーとのDLNA接続を確認し、ダメならば新規レコーダーを購入するしかないか、まぁ、費用や4Kの必要度合い等、いろんな意味でもう少し時間をおこう。

 4日、久しぶりの越谷レイクタウン。ぶらぶらと歩き、予定外のものを購入し、予定していたものを1個買い忘れた。

2018年12月3日月曜日

早稲田ラグビー

 1日、12月に入った。1年前の12月1日はついこのあいだのような気もする。

 2日、早稲田が明治に勝利。出かけていてテレビで観戦し始めたのは後半8分頃からで、リードしていることはスマホで確認していた。早慶戦、早明戦は正直なところどちらも負ける可能性は低くないと思っていた。明治が早稲田に勝って対抗戦グループ優勝の可能性が高いのではないかと思っていた。しかし、早慶戦で早稲田が強くなったことを実感し、明治に勝っている慶応に勝ったのだから、慶応の時のパフォーマンスを出せれば明治にも勝つだろうと期待は膨らんでいた。
 中野の素晴らしいトライが2本続き、2T2Gでも明治が追いつけないスコアになって早稲田の勝利を確信した。試合終了後、改めて録画を見始め、川瀨のトライで早稲田のリードが始まり、斉藤の精度の良いコンバージョンやペナルティ・キックで点数を重ね、丸尾のトライもあり、なんと言っても中野の連続トライは美しいし素晴らしい。31-13から明治に連続トライを奪われ、4点差に詰め寄られたのは大学選手権に向けての課題であろう。早稲田の出足鋭いディフェンスが光っていたし、明治のスクラムにもほぼ互角に対向していたと思う。8季ぶりの優勝はとても嬉しい。早慶戦と早明戦で早稲田は力を一段上げたと思うし、帝京戦以降に課題修正と準備をしっかりやってきたのであろう。繰り返す、嬉しい。
 大学選手権では対抗戦グループ2位扱いであり、組み合わせのボトム・ブロックには何と早慶明が出揃う。早稲田は1試合少なく、初戦が秩父宮。チケットは持っているので今季初の秩父宮観戦となる。東海大の実力は分からないので安易に予想は出来ないが、大学ラグビーは視線を対抗戦グループに向けるので、早稲田は12/22に慶応と再戦し、準決勝では明治とあたり、できれば筑波が大東大と天理に勝ち、準決勝は対抗戦グループ校で占めてくれると嬉しい。そして決勝では帝京に雪辱して欲しい。
 米式蹴球でも早稲田が甲子園ボール出場を決めた。

 2019年度のスポーツ推薦が決定している。國學院久我山/槇瑛人(WTB)、関東学院六浦/松下怜央(CTB/WTB)、東福岡/吉村紘(SO/CTB)、トップアスリートで桐蔭/小西泰聖(SH)。早稲田実業からは確実に入ってくるだろうし、相楽昌彦(No.8)・小泉怜史(FB)らがいる。ここにあげた選手はすべて高校代表候補(二次)に選ばれている。

2018年12月2日日曜日

読書3冊

 <『週刊金曜日』編 『検証 産経新聞報道』(金曜日、2017年)>:昔、会社のある同僚が胸を張って「産経は一流の新聞」と言っていた。言葉を返すことはしなかった。論理性に欠け、他の意見を聞かずに自己感情を前面に出す人とは会話にならない。・・・かつての仕事は事務機器の製品設計で、今振り返ってもいい仕事であったと思う。そこには抽象的な解釈の相違などが介在することはなく、基本はすべて無機的で言葉を弄ぶことのない、嘘をつかない機械の世界であったからである。

 <ハーバー・ビジネス・オンライン編 『枝野幸男、魂の3時間大演説』(扶桑社、2018年)>:この冊子は良質なテキストとして残ると思う。3時間近い演説の原稿はピンポイントを箇条書きにしたレジュメであることに驚いた。現在の政権のすすめかたを「エレベーターのパラドクス」で例えるのは皮肉が効いていてわかりやすい。低劣な野次を飛ばす議員も、審議を深めない国会も、そこに焦点を当てるだけでは何も変わらないと思う。重要なのは、どうしようもないことではあるが、選挙システムであると思い続けている。

 <植村隆 『真実 私は「捏造記者」ではない』(岩波書店、2016年)>:産経新聞と関係するところは『検証 産経新聞報道』と重複する部分がある。しかしながら匿名での誹謗中傷、「商売右翼」の卑劣さにはあきれるばかりである(もちろん「商売左翼」も好きではない)。かれらを「右翼」と呼んでは「真の右翼」に対して失礼な気もする。

読書2冊

 <大澤真幸 『近代日本のナショナリズム』(講談社選書メチエ、2011年)>:「ナショナリズム」に右翼っぽいニュアンスを感じるひとたちがいるが、ナショナリズム・ウルトラナショナリズム・パトリオチズムをごっちゃにし、その人の抱く考えや感情に偏らせてイメージしていると思う。「ナショナリズムはネーションを尊重する規範・態度のこと」であるが、この「ネーション」の定義は困難で、ほぼ不可能と思われる。
 以前、在日コリアンの人たちをルポした本を読んで、そこに、「日本人とは、「日本人とは何か」と自問しない人たちである」との意味を込めた言葉があった。安寧に暮らし、差別・被差別に直接関与したことのない人たちへの皮肉を込めた鋭い視線であると今でも頭の中に残っている。大学時代、建築学科在籍の在日朝鮮人学生と雑談をしていたら、彼が、「妹が日本人と結婚するといったら親は絶対に許さないと思う」と言っていた。この時の言葉にも彼の所属している「ネーション」の特殊性があった。
 引用をつなぎ合わせると、「ナショナリズムはネーションを尊重する規範・態度のこと」で、「ネーションは他の共同体と違って、想像においてのみ実在的で」、「直接の知覚や感覚の体験を通じての実在性で定義できない」し、「常に、その外部に別のネーションがあることを前提にしている」。
 天子をまつり上げるのが東アジアの常であったとすれば、天子(王朝)を改易しなかった点において、日本は、思想文化が中国より遅れていたといえるのかもしれない。それは、日本には思想をぶつけ合うこと、深めるという考えがなかったからであり、改易がなかったことを賛美することとは違っているだろう。そこを思想史は明らかにしてきたのだろうか、単に自分が不勉強で知識がないのかもしれないが。
 再び引用をつなげる。「普遍性が不可能であるとするならば、そこにできあがった空白は、普遍性をあからさまに否定し、蹂躪するような価値によってこそ埋められるであろう」。普遍性を求めることは、結局は裏返って「特殊性をあからさまに支持することが、この残された唯一の条件に素直に、欺瞞なく応ずる方法だから」、「ナショナリズムや呪術的な信仰は、まさに、そうした「普遍性の代理」として機能する特殊性に他なるまい」。その特殊性を主張するときに、健康的に主張するのか、不健康なナショナリズムになるのか、いまの世は後者の方に傾いている。

 <大澤真幸 『戦後の思想空間』(ちくま新書、1998年)>:『近代日本のナショナリズム』と読む順番を間違えたようである。重複する部分がある。
 「戦争の内的な体験が歴史的に記憶されなかっただけではなく、まさにその記憶されなかったという事実-忘却の事実-が忘却されている」。全くそうだと思う。過去にきちんと向き合ってこなかったツケは今もある。
 学生運動がピークの時代-1968年から1972年-が戦後を区分する。すなわちその年以前が戦後前期で以降が戦後後期。この年は丁度大学に通っていた時期であり、同時代性を感じる。「内向の世代」と呼ばれた作家や批評家たちの本、また「第三の新人」の小説家の本に惹かれた時代でもあった。「学生運動」には与しなかった。学生運動において、学生自らが「学生」と冠を付ける運動に違和感を覚え、関心もなかった。冠を付けることで最初から退く姿勢を表していたと思う。
 「不条理に見えるのは、人生や世界に意味があるはずだと思っているからです。不条理だという感覚は、世界が有意味であるというオプティミズムを前提にしている」・・・なるほど。

11月終了

 26日、近くの整形外科医院でインフルエンザ予防注射。約1時間待ち。酒を飲んでも構わないかと確認したら、ほどほどにとの前置きはついたが大丈夫とのことなので、帰宅後ほどほどに焼酎を飲む。
 27日、PCを長時間動かし続ける。というのは、NHK早慶戦ラグビーの録画を忘れていたために、PCにてオンデマンド観戦。PCで流れる試合をキャプチャーしmp4で保存。1080/60pで取り込んだためにmp4のままデータ・ディスクにしてもいいが、それでは自宅の再生機器を選んでしまう。よってBDMVにしてディスクを作成した。結果はオーケーであるが、時間があまりにもかかり過ぎた。夕方近くから1台のPCを占有して結局はベッドに入る時間になっても動かす続け、結果確認は翌朝となった。まあ、ディスクにしても再度見ることは殆どないのであるが、キャプチャーからファイル変換等々の実行可否を試し、確認したかっただけである。
 28日、娘の息子に漢字の授業(?!)。
 29日、大宮へ。
 30日、分割実施の第5回目(?)大掃除。今回は2Fと1Fのフロアで、いつもの如くダイソン掃除機-ケルヒャー・スチーム・クリーナー-オスモ・ワックスのプロセスででおおよそ6時間弱の休憩なし作業。最後は疲れてきた。酒の肴と酒を買ってきてから風呂に入って16時頃からビール500ccと日本酒(「酔黥」)4合瓶1本で心身ともに弛緩。残す掃除は窓ガラス。明日から12月であっというまに年月だけが経っていく。早稲田実業vs國學院久我山のラグビー(東京第1代表決勝戦)をフルに観戦。

 <鈴木貞美 『戦後思想は日本を読みそこねてきた』(平凡社新書、2009年)>:明治になって欧化主義があり、同時に「伝統ある」日本国の植民地化への危機感、あるいは西欧文化への対抗意識から「国粋保存主義」が強まり、もちろんそれは所謂アジア主義を伴っていた。
 西欧の絶対神に対し、日本の普遍性を標榜することは天皇制国体論の展開であり、それと大東亜共栄圏との間をつなぐものは「主体的無」観念や「滅私奉公」の思想であった。明治から昭和前期の思想史の分け目は1935年前後。西欧-特にドイツ-に学んでそれを模倣し、あるいはヒントを得て神国イデオロギーを作り上げた-例えば、筧克彦著『皇国精神講話』や紀平正美の『日本精神』。その基底に流れていたのは、加藤弘之、穂積八束の家族国家論、血統国家論であって、彼らはドイツの「国家生命体論」やドイツ法学を学んでいた。「東西の思想を組みあわせて、まったく新たに「古来の伝統」を発明したもの」であった。そして普遍性を肉付けするのは、日本の神々の系譜を時系列的に展開することであった。現在にも連綿と続く「日本の伝統」と称されるものには明治期に輪郭を与えられたものが多い。
 「噛み合った議論が行われず」、「この傾向は、戦前から戦後へ、そして今日へと、ますます進んでいるようだ」。それは現在の政治の動きをみれば分かることだ。「「大東亜共栄圏」や「近代の超克」を唱えた側は、敗戦後に「伝統保守」と呼び変えられ、彼らが否定した「西欧化すなわち近代化」が国民の合意のようになっ」て現在に至っている。