2018年12月10日月曜日

雑記

 9日、美園に向かうが交通規制が多く迂廻を強いられる。迂廻しようにもかなり遠回りになるし、埼玉マラソンで混んでいるだろうからと急遽引き返し、春日部イオンに向かった。クリスマスシーズンに入っているからか、はたまたボーナスが支給された日曜日なのか、比較的イオンも比較的混んでいた。
 腕時計のバンドを修復、連れ合いのバッグのショルダーベルトに穴加工を追加して、彼女の低い身長に合わせる。
 最近、腕時計の電池交換を繰り返している。電池切れで稼働しない状態を続けるのは良くないので、交換を重ねる。工具は持っているし、こういった作業は好んでやっており費用節減に貢献はしているが、当たり前のことと受け止められているようだ。

 <三谷太一郎 『日本の近代とは何であったか』(岩波新書、2017年)>:「「老年期の学問」は、どちらかといえば、特殊なテーマに焦点を絞る各論的なレベルの発展よりも、より一般的なテーマに傾斜した総論的なレベルの発展に力点を置くべきではないかと考え」る著者による日本近代史の総論。ウォルター・バジョットの「「近代」概念」に沿った次の4つの切り口で論じる。①「なぜ日本に政党政治が成立したのか」、②「なぜ日本に資本主義が形成されたのか」、③「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」、④「日本の近代にとって天皇制とは何であったか」。特に関心を強くして読んだのが①と④。
 「公儀から公議へ」は幕末から新政府への連続性を簡潔に示しており、朝廷の編入は「権力と権威の一体化」もエッセンスを凝縮していて分かりやすい。④においての関心は教育勅語であって、それは、「憲法外で「神聖不可侵」を体現する天皇の超立憲君主的性格を積極的に示した」ものであり、「伊藤博文が天皇を単なる立憲君主に止めず、反宗教的絶対者の役割を果たすべく「国家の機軸」に据えたことの論理必然的帰結」であって、一方、現国会議員の一部が教育勅語を有り難がることに「理論的必然性」があるとは感じられない。
 岩倉具視全権大使たちが欧米に派遣され、なぜ米国なのかと淡い疑問は持っていた。それは法制定にしても参照したのは独英仏などであって米国はまず出てこない。しかし、米国は当時の日本からすれば欧州とは一体ではなく、寧ろ欧州からは遅れた国であったのであり、その米国が英国より独立を勝ち取ったのは、「攘夷」の成功事例としてであると捉えてもいた。皮肉っぽく言えば、黒船が来てから、日本は米国を欧米とは異なる視点で仰ぎ見て、一時的に抵抗はしてみたけれど、実は幕末からずっと現在も、日本はアメリカに追従してきた、というのは短絡的だろうか。
 ①の章末に著者の現在への主張がある。それは、良し悪しは別として当たっていると思う。すなわち、「私は、今後の日本の権力形態は、かつて蝋山政道が提唱した「立憲的独裁」の傾向、実質的には「専門家支配」の傾向を強めていくのではないかと考えています。これに対して「立憲デモクラシー」がいかに対抗するのかが問われているのです」と。

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