2018年12月2日日曜日

11月終了

 26日、近くの整形外科医院でインフルエンザ予防注射。約1時間待ち。酒を飲んでも構わないかと確認したら、ほどほどにとの前置きはついたが大丈夫とのことなので、帰宅後ほどほどに焼酎を飲む。
 27日、PCを長時間動かし続ける。というのは、NHK早慶戦ラグビーの録画を忘れていたために、PCにてオンデマンド観戦。PCで流れる試合をキャプチャーしmp4で保存。1080/60pで取り込んだためにmp4のままデータ・ディスクにしてもいいが、それでは自宅の再生機器を選んでしまう。よってBDMVにしてディスクを作成した。結果はオーケーであるが、時間があまりにもかかり過ぎた。夕方近くから1台のPCを占有して結局はベッドに入る時間になっても動かす続け、結果確認は翌朝となった。まあ、ディスクにしても再度見ることは殆どないのであるが、キャプチャーからファイル変換等々の実行可否を試し、確認したかっただけである。
 28日、娘の息子に漢字の授業(?!)。
 29日、大宮へ。
 30日、分割実施の第5回目(?)大掃除。今回は2Fと1Fのフロアで、いつもの如くダイソン掃除機-ケルヒャー・スチーム・クリーナー-オスモ・ワックスのプロセスででおおよそ6時間弱の休憩なし作業。最後は疲れてきた。酒の肴と酒を買ってきてから風呂に入って16時頃からビール500ccと日本酒(「酔黥」)4合瓶1本で心身ともに弛緩。残す掃除は窓ガラス。明日から12月であっというまに年月だけが経っていく。早稲田実業vs國學院久我山のラグビー(東京第1代表決勝戦)をフルに観戦。

 <鈴木貞美 『戦後思想は日本を読みそこねてきた』(平凡社新書、2009年)>:明治になって欧化主義があり、同時に「伝統ある」日本国の植民地化への危機感、あるいは西欧文化への対抗意識から「国粋保存主義」が強まり、もちろんそれは所謂アジア主義を伴っていた。
 西欧の絶対神に対し、日本の普遍性を標榜することは天皇制国体論の展開であり、それと大東亜共栄圏との間をつなぐものは「主体的無」観念や「滅私奉公」の思想であった。明治から昭和前期の思想史の分け目は1935年前後。西欧-特にドイツ-に学んでそれを模倣し、あるいはヒントを得て神国イデオロギーを作り上げた-例えば、筧克彦著『皇国精神講話』や紀平正美の『日本精神』。その基底に流れていたのは、加藤弘之、穂積八束の家族国家論、血統国家論であって、彼らはドイツの「国家生命体論」やドイツ法学を学んでいた。「東西の思想を組みあわせて、まったく新たに「古来の伝統」を発明したもの」であった。そして普遍性を肉付けするのは、日本の神々の系譜を時系列的に展開することであった。現在にも連綿と続く「日本の伝統」と称されるものには明治期に輪郭を与えられたものが多い。
 「噛み合った議論が行われず」、「この傾向は、戦前から戦後へ、そして今日へと、ますます進んでいるようだ」。それは現在の政治の動きをみれば分かることだ。「「大東亜共栄圏」や「近代の超克」を唱えた側は、敗戦後に「伝統保守」と呼び変えられ、彼らが否定した「西欧化すなわち近代化」が国民の合意のようになっ」て現在に至っている。

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