2018年2月25日日曜日

雑記

 昨日は大腸内視鏡検査。昨年3mmほどのポリープが見つかり、その成長度合い(?)を確認するため。結果は成長はしていないが、小さなポツポツがいくつかあり、これは体質かもしれないと女性アシスタントと女性医師は仰る。結果、来年もまた検査で3年連続5度目となる。5日には検査結果の正式な報告を聞きに再度行かなければならない。帰宅時は下腹が検査のために張っていて、痛みもあったが歩いていれば空気が出るだろうと我慢した。それにしても昨日は検査前の管理食事であり腹が減る。かなりきつめのダイエット食という感じで、いっそのこと絶食にしてもらう方が気が楽である。少食が目の前にあるのが辛い。
 15時頃に帰宅し、すぐに鶏肉を食べて焼酎も飲んだ。そして高らかな音を伴って放屁を繰り返した。

 先日、Windows7 PCがおかしくなり、完全にクリーン・インストールを実施。各種ドライバーも手順を踏んできちんと入れ、MS Officeを再インストールの際は複数持っているアカウントを入れ間違って手間取ったが、それ以外には大きなトラブルはなく終了。USB3.0を認識しなかった不具合も解消された。サブ・マシンなのでアプリは必要最小限にし、軽いマシンとした。

 娘の息子への漢字塾3回目。間近の試験に対する漢字の覚え方を教えている。試験範囲が記されたコピーをもとに教材を作り、それを元にして短時間に集中して教えるのであるが、教材作りではこっちが知らないことを知ることも多い。漢和辞典に長時間取り組むのは学生時代にはなかった。いい勉強になる。2冊持っていた「部首の辞典」をあげた。机のアクセサリー化する様相もあるが、背表紙を見るときがあれば微かな関心をもつかもしれないし、それで十分と思う。我が家でも、自室の本棚には開く頻度が少ない単品の辞典・事典の類はかなり並んでいる。

 久しぶりに娘の娘、私と連れ合いの3人で長時間カードゲームをして遊んだ。ゲームはワードバスケット、UNO、トランプ。ワードバスケットはさすがにハンディキャップをつけたが、それ以外はフラット。神経衰弱で小学2年に負けてしまうのは仕方がないことなのか、記憶力の衰えを覚える。

2018年2月17日土曜日

熟成? 『プレイボール』

 オレは人に味わってもらえるほど熟成している? 偽りのある看板かもしれないが。

 <ちばあきお+コージィ城倉 『プレイボール2 1』(集英社ジャンプコミックス、2017年)>・<同 『プレイボール2 2』(同、2018年)>:今はどのようなマンガが人気があるのかなと思って『このマンガがすごい 2018』を買ってきてながめていても、自分が読んでいるものは数点しかなかった。もちろんそれは分かっているつもりであって、ふーん(埴谷雄高『死霊』のように言えば「ぷふぃ」かな)、いまはこのようなマンガが人気があるのかなんて、世の流れに妙に得心していたら、38年ぶり『プレイボール』が目にとまった。ちばあきおの『キャプテン』、『プレイボール』は全巻コミックで持っていた。少年ジャンプが出ると買いに行っていたし、それがコミックで出ると欠かさず買っていた。結婚してからも跡切れることなく続き、ちばあきおさんが自死したときは驚いた。それまでちばあきおさんの作品はすべて手にしていたし、『チャンプ』も懐かしい。
 とまあ、前置きが長くなった。都立墨谷高校、谷口、丸井、イガラシ、井口、田所、等々懐かしい名前が続く。絵も同じ。テレビや洗濯機は昭和のものだし、竹バット、深夜に及ぶ練習、過多の投球数などは根性ドラマ丸だしだが、40年ほど前に楽しんだマンガを再び続けて読めるのは楽しいしハッピーである。

2018年2月15日木曜日

現代学生百人一首より


毎年恒例の東洋大学「現代学生百人一首」、第31回入選作より以下を選択。今年も母校の女子が選ばれた。

ああ、これが表面張力というものか私の中の苦しみのコップ
我が母校の2年生女子高生、胸いっぱいにこぼれんばかりの青春。玄冬期にある私の中には渇きつつあるコップ。

知能増え機能も増えた機械達人の個性は絶滅危惧種
その「機械達」が「公」と言い換えられて「個性」は「出る杭」となって叩かれる。

手強いぞ言ったら引かぬ更年期言われて聞かぬ私思春期
そして頑迷固陋な高齢前期の私。

Jアラート鳴った朝でも教室であくびしている僕らの未来
真摯に来し方に向き合うこともなく、現在時点の脚下を看ることもなく、行く末に妄想を描く。それを固有の文化とか伝統とかの言葉で糊塗すれば、いやがおうにも若い人たちのみならず、多くの人たちは欠伸でもするしかなくなる。

とび作業単管触るとじわじわと伝わってくる太陽の温もり
無機質なモノであってもそれを作る喜びは、自然の恵みを受ける中で、そのモノの冷たさ・暖かさや匂いなどを感じることであろう。この句の作者はきっといい職人さんになる。

漫画、ミステリー

 <高野史緒 『カラマーゾフの妹』(講談社、2012年)>:第58回江戸川乱歩賞受賞作。 『カラマーゾフの兄弟』の続編となる小説。原典は読んでいないので、原典に忠実に沿っているのかは判らないし、続編という読み方もできていない。ミステリーとして読むと、多重人格者やロケットがでてくることに荒唐無稽さと陳腐さを感じる。『カラマーゾフの兄妹』とでもしたかったのかもしれないが「妹」の意味は薄く、退屈した。原典の謎や矛盾を追いかけてミステリーにするというのは、一冊の完結する小説としてはつまらない。

 <石井明日香 『ひさかたのおと 1』(講談社、2018年)>:4歳の時に島を離れた巽が中学校の社会科講師として戻ってくる。幼かった巽を知っている靑島(靑の漢字がいい)の人たち、風と雲と海と風、そして全体を包む「おと」。離島のファンタジー。この世にあるはずもないファンタジーに引き込まれ始めている。メインの人物の名前に漢字一文字が多い。作者はこだわっているのか。
 朝日新聞の2/11書評で知り、イトーヨーカドーの書店で偶然に目にした。カバーのブルーがきれい。

 ヨーカドーにある新星堂がなくなり、がらんとしていて椅子などが置かれていた。昔、クラシックに詳しいロビンソンの新星堂店長さんと知り合いになり、CDを買って会話するのが楽しみだった。その店長さんは体調を崩して宇都宮に移り、その後は新星堂でCDを買うことは激減した。ネットからのダウンロードが主流になっているのだろうし、また、ハードであってもネット購入が増えるとともに店舗でのCD購入者は減り、秋葉原ヨドバシのタワーレコードも店舗規模がかなり縮小した。それ以前に店舗でのクラシックコーナーは狭くなっている。

2018年2月5日月曜日

漫画と小説

 4日、気力が沈み込んでいて、何もせずにぐだぐだと惰弱な一日。先日飲んだ日本酒の四合瓶が半分残っていて午前10時から飲み始め、追加の焼酎を注いだグラスに口をつけないままに寝込んでしまった。前日の深更に及ぶ読書での睡眠不足がたたった。酒が無気力に拍車をかけ、ATPのHPにて錦織の復帰後初優勝となるチャレンジツアーのテニスを眺めていた。

 <原泰久 『キングダム49』(集英社、2018年)>:趙/李牧との戦いが続く。

 <樋口毅宏 『愛される資格』(小学館文庫、2017年、初刊2014年)>:著者7冊目、2年ぶり。アナクロな上司の妻と性愛に耽る。同僚の女性もあけすけに性交を語る。天才として佐藤優や白石一文が語られ、早稲田のラグビー(3軍)出身の上司、実存する企業が出てくる。あけすけな性交描写と性器の観察、これは「純愛」ではなく、純愛的「官能」の本。「樋口毅宏の最高傑作」と評した有隣堂の書店員がいたと付記されているがこの小説のどのような内容が「最高傑作」とされたのか分からない。著者の一連の作品を通して描かれる世界がこの小説でさらに烈しく表出されていると捉えたのかもしれない。
 黒澤明は「天才とはね、要するに記憶力なんだよ」と語ったことが冒頭にでてくるが、これは肯ける。高校時代にずば抜けてトップの成績を保ち、東大に進学したクラスメートがいたが、彼は大して勉強もせずにいたらしいが、教科書の内容をすぐに記憶していたと他の友人に聞いたことがある。また、友人の長男は仙台市の某高校卒業生で最初の東大入学者だったが、父親が思い出すには抜群の記憶力があったとのことである。全10巻ほどの本をささっと読んで、あれは何頁に書いてあるとか言っていたらしいし、あることの間違いを注意しても、それは何の本の何頁にこう書いてあるから正しいと反駁していたと言っていた。田中角栄も記憶力は図抜けていたとはよく指摘されることである。ただし、東大に入学した前記の二人は常識人からすればまともな人生を送ってはいない。凡人には天才の世界を想像すら出来ない。

2年ぶりに錦糸町

 2/1、錦糸町にてMuと酒。一昨年1/20以来で、12時昼食時の待ち合わせはどこもかしこも多少なりとも混んでいて、1時間は遅くするべきであった。前回の深酒を反省し、焼酎の瓶を1本減らしたが、結局は二人でビール4本、焼酎4合瓶1本、ハイボール4杯で矢張り飲み過ぎではある。
 最初に入った九州/大分の店では鯖の肉厚の刺身が美味しく、また大分特産品も旨かった。横のテーブルには昼食を摂っているサラリーマンや制服の女性たちがおり、昼飲みをしている我々は場違いな感じであった。ランチタイムの終了で14時に一旦店が閉るので、2年前と同じ飲食店に移動し、前回と同じ席に座り飲み続けた。Muとは前の会社の同期入社であるが、こっちは29歳で会社を転じているし、昨年再会したのも約35年ぶりなので、話すことも限られてくる。彼が21年間の単身赴任をしていたことも、親父さんを介護していたことも知らなかった。入社した会社の取引先である別会社の社長をしていたことは知ってはいたが、淡淡と話すことにもかなりの苦労や悔しさがあったことが窺えた。
 帰途は少し記憶が途切れ、数駅の乗り越しをし、そのことは連れ合いには口を閉ざし、一応何事もなく帰宅。

 2月に入り、今年の残りは11ヶ月を切った。60代最後の誕生日まで約2ヶ月。錦糸町で飲んだ友人は6月で70歳になる。「あぁ、年をとった」と年齢の重みを感じる。