2017年12月31日日曜日

ルンバ、本2冊、秋田と山形の酒

 抽選に当たってルンバを安価に手に入れた。機械が恰も意思を持つかのように動き回って掃除をする様を眺めると、この無機的な物体にも愛着が生じてくる。
 昨日(30日)パワーオンして外出したが、ホーム・セキュリティ・システムに引っ掛かることをすっかり忘れていた。結局は留守宅に警備会社のガードマンが駆けつける羽目になった。ガードマンが駆けつけたのはこれで3回目。1回目は開けっ放しにした窓から風を受けてカーテンが揺らいだとき、2回目は愛犬が囲いから脱走して留守宅を歩き回ったとき、そして今回。すべて自分たちのおっちょこちょいに原因がある。警備会社に対しては汗顔の至りであるが、少なくともセキュリティ・システムの正常な検知機能動作とガードマンの迅速な対応が確認されたことにはなった。

 <早坂隆 『新・世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ、2017年)>:テレビにて内輪同士でふざけ合っている、低質なお笑い芸人たちには、この新書にある様な毒のある笑いを放って欲しいものである。世の政の動きに対して薄っぺらな評論をするのではなく、薄っぺっらなままに世の政治家や文化人を揶揄うことが彼らの芸に繋がると思うし、その方が深味を増すと思うのだが・・・。

 <今村昌弘 『屍人荘の殺人』(東京創元社、2017年)>:鮎川哲也賞受賞作で「このミス2018年版」、「週刊文春ミステリーベスト10-2017年」、「本格ミステリー・ベスト10-2017年」、それぞれのトップ。鮎川哲也賞であることや書名だけで本格ミステリーとすぐに分かる。基本的に本格物にはすぐには手を伸ばさないのであるが、「このミス」での高評価を知ってから日にちを措かずに買った。
 クローズド・サークルであり、それも奇想天外、斬新、新鮮なシチュエーションである。時間とともに狭まっていく密室空間の紫湛荘(したんそう)、そのホテルからは一歩たりも外に出ることはできない。外に出れば忽ち食い殺され、殺す側に立つ存在へと化してしまう。そのホテル内で連続殺人が起き、その殺人もまた密室でなされる。主人公はワトソン役の葉村、ホームズは明智恭介と想定されるように進むがそうではなく、剣崎比留子という探偵少女。
 どのように物語を進めるのかと読んでいけば、あっという間に、しかし、すんなりと場面は大きく変化し、密室殺人へと切り替わっていく。読み始めたら頁を閉じるのが惜しくなる面白さである。発想、展開ともに、作者の目指した、「「読んだこことのないミステリーを!」という一念で書き上げた作品」はキレイに出来上っていて楽しむことができた。映像にしたらヒットするんではないかと思う。

 これが今年の最後のメモ(ブログ)。いつもの日常と然程変わらない一日であった。少し違うとすれば、昼過ぎから日本酒を中心に飲んでいる。今日は太平山/生酛純米/神月と特別純米酒/出羽桜。この文をアップしたら刈穂/純米吟醸を飲む。美味しく気持ちよく酔っ払って年を越そう。

2017年12月28日木曜日

奥日光でぼんやりと過ごす

 連れ合いと一緒に奥日光に行って来た。日頃から曜日感覚を失うほどに変化のない毎日を送っているのだが、さらに何もせずにだらだらと温泉にでも入ってぼんやりと過ごそうと思った。

 新越谷からバス(湯けむり号)に乗って、数カ所で他の客がピックアップされ、東北自動車道に入った。新越谷から新都心を経由したために、実は新都心から乗り込んだ方がもっと朝はゆっくり出来たのだが、これは自分の確認不足。那須や塩原方面に向かう客は佐野で降りて乗り換えとなり、日向方面に向かう人たちは全員で10人に満たない。この日、24日は日曜日なので客が少なくなるのは当たり前のことだろう。
 前回の冬に日光に来たときは雪景色であったが、今回は道路にも雪はなく、遠い山並みが白くなっている程度。前回も12月に来たと思っていたが、それは勘違いで昨年1月の末だった。途中食事を摂った神橋近くのレストハウスのオバサンに尋ねると、雪が積もるのは1月に入ってからと応える。どこまで行くのかと聞かれ、奥日光というと、あそこは雪が積もっている、先日も吹雪いていたらしいと言う。確かにバスに乗って中禅寺湖から奥日光に向かうと道端には雪が見えるようになってきた。そして奥日光ではしっかりと雪があった。
 部屋に入るまで時間があったので、湯ノ湖の近くを散策。寒いからと行って連れ合いは出てこない。湖の近くでは、寒いのに薄い防寒服でベンチの巡りで遊んでいる若くはないグループがあおり、雪ダルマのようなものを作ってはしゃいでいた。聞こえる言葉としぐさから台湾からの人たちと想像した。
 部屋に入ってからは何をするでもなく、ビールを飲みながらテレビ画面をながめてぼけーっとしていた。温泉に入り体を温め、食事になる。ビールを頼んだら、お客様には日本酒のサービスが付いていますがそれでもビールを頼みますかと聞かれ、そのとき初めて酒のサービスを知った。勿論ビールも日本酒も飲む。日本酒は100ccほどのグラスに満たされた地酒が3種-四季桜/大吟醸、惣誉/日光権現、渡辺酒造/樹香明想。四季桜以外は初めての酒。この酒のセットが、連れ合いにも付き、連れ合いは日本酒に手を伸ばすことはないので、結局ぜんぶ自分の喉を通っていった。どの酒もサッパリとしていて美味しかった(と思う)。
 20時からはロビーでコンサート演奏。ワイン片手に演奏を聴いたが、最初の曲でその場を離れたくなった。ギター演奏と歌の女性と、パーカッションの男性のデュオであるが、女性の歌が平板で、ときたま音程のズレを感じる。客の人数が20~30人ほどでは席を外すことができず、1時間の演奏は楽しめなかった。期待していただけに落胆の度合いが大きい。連れ合いはさらに酷評していた。
 本を2冊バッグの中に入れていたが、何もする気もなく、酔っているし寝不足だし、早々と眠りに入ってしまった。

 翌朝は爆弾低気圧のせいで外は時折吹雪いている。秋田の山中、奥会津という積雪の多い地で育ったために雪景色の中で雪が舞っていると心が弾んで嬉しくなる。積雪量が少ないのが不満だが、モノクロに近い風景の中、雪が舞っていると小中学生の時代に戻った気分になり楽しい。ま、そう思っているのは自分だけのようである。中禅寺湖付近からは晴れて穏やかな冬の天気となっていた。
 帰途、神橋近くでまた2時間半近くの待ち合わせ時間があり、東武日光駅に向かって歩きだし、前回同様に鬼平の水羊羹を買い-「おにへい」ではなく「きびら」であることを初めて知った-、駅まで歩き、連れ合いが、前回は売り切れで食べられなかったという駅弁を買い、待合室のベンチで二人で昼食。
 前回、駅付近のレストランで摂った食事の不味さを思い出し、雪の上に寝転んでいた犬を懐かしみ、そしてその犬と思われる犬とすれ違い、神橋まで戻った。あとは羽生で乗り換えて新越谷までまっすぐ。
 今回、連れ合いが友人からの評判を聞いて某ホテルに行ったのだが、食事は夕食も朝食も美味しく、スタッフの方も親切で満足であるが、いかんせんホテル内が暗い。暗い施設は嫌いなのでこのホテルにリピートはしない。でも、ただ単にバスに乗って温泉に入って美味しい食事を摂って、酔って眠りこけるのは贅沢な時間であり、こういう一日の過ごし方もいいもので、次の一拍二日コース候補を探しておこう。

2017年12月24日日曜日

小説2冊

 <西村賢太 『無銭横町』(文春文庫、2017年)>:1年8ヶ月ぶりの貫多の自堕落な生活を読む。20歳前の貫多もいれば芥川賞候補になった貫多もいる。国語以外はオール1だった(wikipediaより)中学を卒業し、すぐに一人生活をし、生活の糧は肉体労働と家賃の踏み倒しと母親へのたかり。そのなかで田中英光に入れ込み、藤澤清造の没後弟子を自称する。
 一般的常識世界のぬるま湯にふやけきっている我が身にすれば、貫多のような生活は嫌悪し、避けているのだが、距離を保って覗き見るほどの関心はある。しかし、倦きてきた。
 田中英光はごく普通に「オリンポスの果実」しか知らない。読んだのは多分20歳前後のことで、太宰治の小説を好きになれなかったのもその頃であった。太宰も田中英光もともに好きになれなかったというのは、まぁ矛盾のない嗜好ではあるか。

 <長岡弘樹 『教場0(ZERO)』(小学館、2017年)>:今回は教官ではなく刑事としての風間道場。各署からキャリア3ヶ月の新米刑事が指導官風間の下で研鑽を積む。6話の短編が続く。殺人があり、犯人は冒頭で明らかになっており、風間はその解決のプロセスの中で新米刑事を育成していく。犯行の仕掛けを解くのがメインで、バックに風間と指導される刑事のやりとりが描かれるが、それらのパターン化された描写に少し退屈してきた。

 Windows7のPCを修復してから、何かおかしいと思っていたらデュアルドライブHDDのSSD機能を全く考慮に入れずにいたことに気付いた。結局、短気を起こしてもう一度クリーンインストールすることにしたが、WD Black2をSSDとHDDに分割する方法が分からない。ネットで探してソフトを入れても解決しない。やっとたどり着いたのがコンピューター販売元HPのFAQ。しかしだ、PCに詳しくないユーザーが、そのPCに使用しているHDDを把握し、それの仕様を認識し、さらに機能設定の必要性を理解しなければならないなんて一寸文句もいいたくなる。ドライバーを含むアプリソフトのDVDを作成するときにちゃんと入れ込んで欲しいものである。
 USB3.0を認識しないのは相変わらず。ドライバーもきちんと入っているのだが認識しない。ネットで探しても解決方法は見つからない。諦めた。

2017年12月20日水曜日

久々の病院

 今年5月の人間ドックでは幾つか指摘を受けていたが、それらの数値はスレッシュホールド値をさほど超えていない(下回っていない)のであまり気にならないが、心雑音だけは初めてのことであるし要検査ともなっていた。また、昨年12月の腸内視鏡検査で3mmの小さなポリープがあり、1年後の再検査をすることとなっていた。病院は歩いて行ける距離であるがなかなか行く気にならず、やっとこの時期になって市立医療センターに向かった。
 最初は循環器内科。聴診器からは確かに雑音が聞こえると女医さんは言うし、エコー検査も直ちにできるということで初めての心エコー検査をやった。結果はS状中隔で、送られた血液が流れ入るところが少し狭くなっており、雑音はそのせいであるという。私の両親と同年齢ですねという女医さんは40歳前後か、加齢でよくある現象だとおっしゃる。「加齢」、何という嫌な言葉か、精神的には女医さんと然程変わらぬ心算だが、加齢という言葉はずっしりと肩にのしかかってくる。エコーで撮られた自分の心臓の動きをモニターで見ていると、単純構造の弁がパタパタと動き続け、血液の流れる空間はまるで配管設計に携った結果を確認しているようである。送り出された血液がS状中隔の少し狭くなっている管を通り、そこよりは広くなっている上部に流れ、その流路の広さの差異で雑音がしている。血流と雑音を示すノイズ色変化、および音の変化グラフを眺めていると自分の心臓ではなく、流体力学の実習研修を受講しているようであり、つよく興味が惹かれた。帰宅後、S状中隔をネットで検索すると、「S字状中隔は加齢による生理的な変化であり,臨床的には大きな問題は少ないと考えられている」らしい。特に治療の必要はなく、胸に異常を感じたら放っておかずに病院に来て下さい、との一般的普遍的な指示をされただけで済んだ。この女医さん、名前に使用されている漢字が珍しく(発音はよくある名前)、それを口に出すと、そうなんです、珍しいですよね、祖父母が農家だったことが関係しているようですとフランクで、ほかにも少し雑談をした。ジーパンにスニーカーのこの女医さん、感じが良かった。ついでにおこなった血液BNP検査でも異常はまったくなかった。
 次は腸内視鏡検査の予約。目の前の若い男性の医師、あまりやる気が感じられない。内視鏡検査は常に混んでいて予約できたのは来年の2月末。まだまだ先のこと。持参した人間ドック検査成績表を眺めて、中性脂肪や体重、血圧は過食せずに運動をしてください。一日1万歩が目安ですと、これまたどこでも言われるワンパターン。でも、数値はあまりオーバーしていないので経過を見ていけばいいでしょうと言う。一日1万歩ではなく、8千歩を勧めている医師もいるし、運動よりも食事をメインにしている指導者もいる。ま、何も指示されなければそれに超すことはないが、「加齢」と言われたらしようがないしな、と独りごちる。華麗な加齢ってないもんかな。

 医者に言われたからではないが、今日(20日)久しぶりにハードなウォーキング。そして数百メートルのスロージョギングを断続してやって汗をかく。気持ちいい。Garminを腕に装着して歩いたのは4ヶ月ぶり。マジメに続けてみようかな(!?)。

2017年12月19日火曜日

今季も年越しならず、そしてPC修復

 今日(16日)はラグビー大学選手権、早稲田の初戦は東海大学。出かける前にサブのPCを開いていたら調子がおかしくなってしまった。普通に操作していただけなのに、Windowsが立ち上がらない。3台使用しているPCでこのPCだけはWindows7にしてあって、これが動かないと困ってしまう。他のPCはwindows7から10にアップグレードしたもので、アップグレードwindows10では外部機器を認識しない、あるいは特定ソフトのバージョンアップできないという不便さがあってwindows7のPCは欠かせない。
 根がせっかちに出来ているからすぐに修復を試みるが、簡単には行かない。バックアップからの回復をしようと思ったが、この際購入時のまっさらの状態にして新規インストールしてしまえと決め、それは秩父宮から帰ってきてからすることにした。もう、ついていないと思ったが、それは秩父宮に引きずってしまった。

 今日の東海大戦、勝利の確率は悲しいかな四分六かそれ以下と思っていた。対抗戦での明治戦での完敗、慶応戦で勝ったとはいえあれは慶応の気の緩みのようなものを感じていた。でも、もちろん勝利を強く期待するのは当然のこと。
 キックオフ直後の斎藤のハイパント、高さが中途半端で距離も少し遠い。つまり早稲田がボールに絡めない位置。あがった途端に、ああこれは良くないと思ったら相手の、日本代表野口に綺麗に走られてノーホイッスルトライ。いきなりため息がでてしまう。早稲田はPGも重ねてなんとか追いつこうとするが、追いつけない。後半3点差まで詰めるが、そのあとはもう全くだめ。
 スクラムは押される。東海大ボールのスクラムは相手が安定していて余裕がある。ディフェンスは東海大が早くて強くて安定している。接点でも押されており、早稲田はそこに人数をかけざるを得なくなり、東海大がボールを出して外に振ると簡単に走られてしまう。ファーストタックルに限らず外国人選手を倒せない、もう力の差は歴然とある。早稲田がボールを回しても余裕はないしゲインできない。東海大はディフェンスが上手い、ラインアウトはギリギリノットストレートと思えるようなスローイン-一度レフェリーが笛を口元に持っていこうとしたが躊躇ったのかそのまま流したら東海大は絵に描いたようなトライをし、観客席からブーイングされていた。東海大はこのレフェリングに甘んじるとそのうちに笛を吹かれると思ったが、案の定、何度目かにはノットストレートを判定された。
 ま、なんだかんだ言っても、要は力の差があって早稲田が勝てるとは思わなくなった。後半、35点を取られたところでTYと一緒に競技場から出ることとした。帰途、早稲田のFWDリザーブ選手が練習していた。横幅や胸の厚みがあってよく鍛えているが、いかんせん身長がない。身長だけではオレより小さい。FWDが弱ければ勝てない。バック陣から大きな選手をコンバートはしないのかとふと思う。

 これで、4年連続で年越しはなし。悔しいと感じる前にこの状態に慣れてしまったことの方がカナシイ。今年は野球は最下位になるし、あとは箱根駅伝が残るだけ。TYは3位以内を期待するかと言ったけど、オレは、いやぁシード権獲得を期待すると悲観的。

 早稲田のラグビー、4年生が少ないのでまたもや来季に夢を託すしかないが、素質ある選手は入ってこれないのか、底が薄いのか、あるいはコーチ陣を含めた育成システムが劣っているのか、試合に臨む戦略がなっていないのか、どうなんだろう。慶応戦、明治戦、今回の東海大戦をみて感じるのは、その都度早稲田の戦い方がふらふらしていて-慶応戦ではキックの応酬、明治戦は展開、今回はハイパントが多い、これが早稲田のどっしり構えた戦い方、というのが見えなかった。何よりもタックルが決まらない、接点が弱い、集散が遅い(だからボールキャリアが孤立してノットリリースに繋がる)、スクラムが弱い、ラインアウトも不安定、FWDの力強さがない。こっちは何も出来ないという、応援する身の歯がゆさを覚えるが、これも早稲田を愛しているが故のこと。(・・・もう一つの卒業大学である法政も負けた。)

 不具合の出たPC、windows7を新規インストールし、アプリも入れ直し、結果的には整備し直してすっきりした。が、USB3.0を認識しない状態から抜け出せないでいる。ドライバーも正常に機能しているが、USB3.0の外部HDDがUSB2.0でしか動かない。以前にもこの状態に陥り、直ったことがあるが、どのようにして正常に戻したのか(戻ってしまったのか)覚えていない。

2017年12月12日火曜日

本、漫画

 <原泰久 『キングダム47』(集英社、2017年)>:趙/李牧との戦いが佳境に入る。紀元前229年、秦/王翦の大軍が趙を攻める。

 <安丸良夫 『神々の明治維新』(岩波新書、1979年)>:副題に「神仏分離と廃仏毀釈」。
 水戸学や後期国学の影響を受けた人たちによって急進的に推進された神仏分離や廃仏毀釈。その「奇妙な情熱」はどこから来たのであったろうか。結局は個々の人々がそのときに立っていた位置の維持と拡大、それによって得られる地位と利益の獲得ではなかろうか。そこで述べられるイデオロギーや大義・正義は自己正当化の方便の一側面でしかない。その観念が頭から離れない。
 宗教は、もちろん、時の政治に利用される側面を持っている。仏教的な側面で言えば寺檀制や本末制がそうであろうし、明治新政府は天皇擁立正当性の主張、新政府権威確立を求め、欧米を模倣しながらもキリスト教を怖れ、神道国教化を目指した。しかし、それは神道非宗教の主張のもとで国家神道化し、儀礼的に引き継がれて日本人の精神に内面化し、教育勅語が国教化に取って代わったといえるだろう。そして、日本の近代化に並行して各宗教が良民育成を天皇制国家に供した。
 岩倉使節団の欧米諸国訪問でキリスト教迫害の抗議を受け、信教自由が不平等条約改正の条件と突きつけられ、多分に仕方なく信教自由の承認を約束した。また、キリスト教が基層にある欧米文化や政治を目の当たりに見て、日本にては天皇を擁立することが欧米に対抗できるとした。が、信教自由で教派神道が分離独立し、神道非宗教説のもと国家神道が成立した。神道は国教化から神社祭祀に退いたが、実際には宗教機能を有しながら儀礼や祭祀と強弁することは今に繋がる。祭儀へと後退した神道をイデオロギー的な内実から支え、補ったのが教育勅語。「この勅語には世のあらゆる各派の宗旨の一を喜ばしめて他を怒らしむるの語気あるべからず(井上毅)」との原則によって作られた。すなわち、「国家は、各宗派の上に超然とたち、共通に仕えなければならない至高の原理と存在だけを指示し、それに仕える上でいかに有効・有益かは、各宗派の自由競争に任された」。いろいろな宗教が成立し、教義の頂点には国家の方針に寄り添う多くの宗教がある。反面、そうでなければ危険視され、弾圧に苦しんだ宗教があったことは歴史が教えてくれる。
 直接的に宗教を勉強することはしない。歴史のなかでの諸現象の一つとして理解しようと思う。明治初期の次は第二次宗教ブームのあった戦後に軸を移そうかと思うが、そこに行くのにはもう少し時間がかかりそうである。

 <都留泰作 『ムシヌユン 5』(小学館、2017年)>:中国はやっつけられ、日本政府の中枢は混迷し、アメリカは迷走する。与那瀬島の昆虫は巨大化し、上原は求める愛を拒絶され、三つの邪神星が動き出して続刊へと繋がる。

 <北村薫 『創元推理文庫、2017年』(講談社学術文庫、2006年)>:太宰治の小説などを巡り、本を読む楽しみをつなぐ短編集。以前はこの手の本は面白く読んだはずなのであるが、いまは読んでいても気持ちが入らない。太宰治への関心はペラペラに薄いし、この短編集の主人公を通じて著者自身の個人的喜びにも興味がない。

 渡辺京二の新刊『バテレンの世紀』が届いた。雑誌『選択』に連載されていたもので、いつ一冊にまとまって刊行されるのかと待っていた。まずはすぐに購入しただけで、読み始めるのはかなり先のことになりそうだ。
 2007年に平凡社ライブライー版『逝きし世の面影』を読んで入れ込んでしまい、著者の本をずっと読み続け、14冊を読み終えてからは新刊を購入はしているが、背表紙を眺めるだけになってしまい、そのうちそのうちで随分と年月が経ってしまった。未読の本はもう15冊を数えてしまった。幕末・明治維新に一区切りつけたら、読み始めようヵ。

2017年12月4日月曜日

早明戦ラグビー

 昨日(3日)は秩父宮で早明戦ラグビー。勝敗の行方は予想がつかず、それでも僅差になろうと思っていたが、結果は29-19の完敗。試合前にSO岸岡のロングパスの話題となり、一緒に観戦のTYはかつてのSO曽我部が時折くらったインターセプトのことを話していた。そしたら、明治のキープレイヤー梶村にきれいにインターセプトされ、トライを決められた。これで0-7と追う立場になった早稲田は明治のかたいディフェンスに阻まれなかなかトライに結びつかない。後半26-19まで追いついたときはまだ同点までいける希望があったが、もう残り時間も殆どない状態のなか、自陣中央でペナルティ。PGを簡単に決められた時点で早稲田の敗戦は決定した。攻めても精度を欠いて明治のディフェンスを破れない。負けるべくして負けたという結果。
 負けても3位だろうと思っていたが、それはまったくの誤解だった。早稲田は10点差を付けられて負け、慶応は青学相手に119-5と今季対抗戦全試合のなかで最高得点・最大得点差をつけ、得失点差で早稲田を24点上回り、結局、大学選手権では早稲田は4位の扱い。もしもというのはいけないけれど、明治に勝っていれば年越しの準決勝の可能性は高かったが、4位では初戦は東海大(リーグ戦2位)、勝っても次は天理大(関西1位)、そこで勝利してやっと準決勝で帝京と当たるというかなり厳しい組み合わせとなってしまった。年を越すという意味では2位と4位では雲泥の差がある。でも結果は結果、これが実力。16日は秩父宮での東海大戦に行こう。