2018年11月25日日曜日

小旅行、早慶戦

 19日、漢字のテキスト作成完了。2日間で述べ13時間ほどを要した。
 20日、自室オーディオのケーブル引き回しを小変更。ついでにオーディオ・アクセサリーをいろいろ調べるが結局はいま保有している器材で十分、というか、追加は意味がないことを再確認しただけ。
 21日、連れ合いと一緒に朝7時半頃に家を出て、大宮~東京駅~伊豆急下田、ここから路線バスに約1時間乗って堂ケ島に向かう。ホテルに電話をしてバスターミナルまで迎えに来てもらいチェックイン。路線バスでは乗降する人びとの年齢が高く、高齢者社会を実感し、かつ高齢者の日常的な買い物などが楽なことではないことを何回も目にした。酔って早く寝たら深夜に目覚め、数時間の読書をしてから再度眠りに入った。
 22日、軽い雨。暇なので散歩がてら雨中をぶらぶらと歩き、堂ケ島近辺を歩き、帰りも歩いてホテルに戻り、昼からだらだらと軽く飲み、前日と同様に15時30分頃から風呂に入る。今年の旅行は雨になってしまうことが多くてついていない。北海道でも雨だったし、八丈島も1日だけ晴天であとは雨。それに人数が集まらなくて催行中止になったツアーもあった。堂ケ島のホテルのスタッフは全員がとても親切で感心した。また、観光船乗り場の近くの土産物屋さんの老海女さんに声をかけられ、冗談を交わしてしばしの雑談、楽しかった。
 23日、時間もあるし、ホテルのバス利用は遠慮して1kmほどの距離を風景写真を撮りながら歩き、バスターミナルでバスに乗り下田に向かった。下田駅では電車の時間まで余裕があったので駅近くのロープウェイを往復。この日はラグビー関東大学対抗戦の早慶戦。キックオフ30分後にスマホでNHKテレビをオンしてみるが微弱電波で受信できない。「早稲田ラグビー 試合速報掲示板」で確認すると11-0ではないか、期待が弾む。横浜駅近くから再度NHKを映し出すが、ノイズだらけでフルセグどころかワンセグもブロックノイズがひどい。東京駅到着とほぼ同時に早稲田の勝利が決まった。思わず、やった-っ、と声を出してしまった。帰宅後に録画を見て再び、よしやったーっ。
 25日、義母の命日。墓参り。

2018年11月19日月曜日

雑記、対抗戦ラグビー

 16日、午前中は風邪をひいたような頭痛。午後になってやっと痛みは治まったが体調は万全とは言えない。翌日のことを考えてただ静かに本を読んだりテレビをみて過ごす。
 17日、獨協大学での講義終了後、仲御徒町に向かう。自分も含め、今は走らなくなったランニング仲間3人と1年振りに飲む。馴染みの店に入るのも1年振りかもしれない。前日のパッとしなかった体調もあって二次会あるいはカラオケは辞退して帰宅。眠くてたまらずリビングでも居眠りをしてしまい早々にベッドに入った。
 18日、娘の長男のために漢字のテキスト作り。20日まで終わらせないとテストに間に合わない。6時間ほどかけて半分を終了。漢和辞典を駆使。そもそも学生時代も含めて漢和辞典をこれほどに開くことはなかった。
 同日、ラグビー、明治が帝京に快勝(といってもいいだろう)し、今季は春・夏と続けて勝利している。これで早慶明帝とどこでも優勝のチャンスはあるが、それは組み合わせ上のことだけで、現実的には帝京は筑波戦だけが残っているからまず負けることはなく6勝1敗のままとなる。明治は早稲田だけを残し、慶応は早稲田と青学-慶応が負けるはずはない-が残り試合で、早稲田は慶応と明治。いままでの試合経過や得失点からみれば、一番キツイのは早稲田で、慶応と明治に連勝せねばならない。連勝しても帝京には負けているので優勝の可能性はなきに等しい。したがって、早稲田は慶明の両者に勝っても2位で、明治に勝って慶応に負ければ3位(帝京優勝で慶応2位明治4位)、慶応に勝って明治に負ければ明治優勝で帝京2位早稲田3位慶応4位となる。慶明両方に負ければ4位である。
 4位になると大学選手権では関西2位と関東リーグ1位に勝って準決勝に進まないかぎり-つまり久しぶりの年越しで-秩父宮では観戦できない。最低でも対抗戦で2位か3位になって欲しいものだがそうなっても秩父宮では対抗戦2位と3位の戦いになる(関西3位に勝っての前提)。何にせよ早稲田の今の実力では壁は厚いし高い。

2018年11月15日木曜日

オープン・カレッジ一つ終了、本2冊

 13日、獨協大学オープン・カレッジ火曜日の講座はこれで修了。内容的には物足りなさを感じるが、1.5時間×6回ではやむを得まい。かつて市ケ谷に通った通信教育でのスクーリングは中身が濃く、単位習得試験もあったので、それに比べると今回の単なる教養講座はぬるま湯のようで緊張もない
 春日部駅からの帰途、ビールとスパークリング・ワインを購入し、14時からの食事と合わせて全部飲んでしまう。妙に飲みたくなっていたワインであるが、ウィスキーほどの美味さはないので暫くは飲まない。
 15日の本日は車の下部バンパー交換。損傷して(されて)からは保険手続・処理があり2ヶ月半も要したが、相手あってのことなのでしようがない。

 <北河賢三 『戦争と知識人』(山川出版社/日本史リブレット、2003年)>:1937(昭和12)年7月の日中戦争全面開始から1945年8月までの総力戦時代の状況と知識人の動向を概観。
 戦後になっての研究動向に興味が引かれる。それは、1950年代・60年代は「転向」や「抵抗」を軸にしての研究、60年代後半から70年代はかの「人民戦線運動」をはじめとする運動史研究やジャーナリズム研究。その後は「戦争責任論」的視点に立つ研究が優勢に立ち知識人の戦争協力の検証がなされた。さらに知識人が戦争に積極的に参画していった意味の研究もなされた。このブックレット発刊は2003年なのでもう古くなっている。いまは-少なくとも自分の感じ方では-知識人たちが戦争を問うことはなされなくなっている。戦前を生きた知識人たちの多くは鬼籍に入り、かつ戦前を問う以上にいまの世がきな臭く変化しているからであろう。
 『世界文化』創刊号(1935年)真下信一の創刊の辞が当時の(一部の)知識人の立つ位置を端的に表している。今の時代に置き換えて、あるいは私的場面に置き換えて読めばいろいろなヒントが得られそうである。
・・・ふとふりかへつて見て、自分の立つてゐる舞台にきがついた時、ひたすら今まで勤めてゐた自分の努力が、これでいゝのか、それともいけないのか、疑はれてくる。時代のテムポがすつかり変つてゐて、自分がそれについて行けるか、行けないか、に迷う。不安。今までのものが無意味に見える。ニヒリズム。正に此の様な不安とニヒリズムとに、此の時代のインテリゲンツィアの敏感な部分が今、立つてゐる。

 <奥武則 『論壇の戦後史』(平凡社新書、2007年)>:戦後70年までの論壇史概説。自分は68年から72年まで大学時代を過ごし、筑摩書房季刊誌『人間として』(小田実・開高健・柴田翔・高橋和巳・真継伸彦編集)を背伸びしながら購読していた。編集者たちの小説(特に高橋和巳)や、第3の新人、戦後焼跡派の小説にも一時期入れ込んでいた。評論も読んでいた。だからというわけだけでもないだろうが本書に出てくる進歩的文化人と称される人たちの名前もすんなりと頭に入ってくる。少し時期のずれた同時代史概説書といった感じであり、描かれている時代からさして遠くない時代を生きていたからであろう、いま一つ物足りなさを感じた。
 『朝日ジャーナル』はとっくになくなったし、『世界』はたまにしか手に取らないし、書店にないことすらある。「横から見たり裏から見たりして何ごとも相対化することが「得意」な『文藝春秋』」だけが高く平積みされ、「諸君!」や「正論」「WiLL」も平積みされている。世の中は随分と変わってしまった。

2018年11月13日火曜日

雑記、早実が82年ぶりに全国大会出場

 8日、以前勤務していた会社の同僚3人と会食。控えめに飲んで帰宅後に追加の飲酒。
 9日、いつもの金曜日。ララガーデンに送り迎え。帰りにイトーヨーカドーに立ち寄る。腹がへっているとついつい余計なものを買ってしまうのはいつものこと。
 10日、獨協大学へ。土曜日はあと2回。初めて質問をする。講師とは異なる「為仕間鋪」の読み方の是非を確認。その後、下らない質問をした男性がおり、それに対する講師の応答もシャキッとしない。時間の無駄。
11日、蓮田の文化会館で娘の娘がピアノの発表テスト。左小指を骨折していたために6日前からの練習再開。それでも合格した。いつまで続けるのだろうか、母親と同じく中学半ば頃までか。
 早稲田実業が花園行きを決める。79大会・82年ぶりの出場。43-19で國學院久我山は決勝でのワースト失点。早実の主将No.8相楽は早稲田大学ラグビー監督の息子。オンデマンドでの観戦、スクラムは押されていたが早実は早稲田らしい早い展開と鋭い出足。印象に残ったのはNo.8とFB。ユニフォームはかつて大学選手が身につけていた肩に白線3本のアディダスでまだ(?)アシックスではない。何にせよ、秩父宮でトライを重ねる早稲田実業の活躍と勝利は嬉しい。来季の-来期以降の-早稲田大学ラグビーにも明るい展望が開けそうである。
 82年前というと1936(昭和11年)で、1月に日本がロンドン海軍軍縮会議を脱退し、2月には天皇機関説の美濃部達吉が襲撃され、そしてかの2.26事件が勃発した年である。阿部定事件があり、ベルリンオリンピックが開催され、日独防共協定締結があって翌1937年7月の盧溝橋事件から日本は戦争の泥沼へと沈み込んでいく。そんな時代だった。早実の82年ぶりと言う数字はこのような時代を振り返ることになる。
 12日、ロンドン・ファイナルで錦織がフェデラーに4年ぶりの勝利。1セット目はラリーがなく、どちらもアンフォースド・エラーが目立つ。

2018年11月7日水曜日

雑記

 5日(月)、午後の眠気防止のために自室を大掃除。新しく読んだ本の多くは古本屋に直行させているのだから、長いあいだ棚に放ったままにしている雑誌、教本もそのうちに整理処分せねばなるまい。LPやCDはどうしよう。これらも何年かすれば処分することになるであろう。
 6日(火)、雨の中を獨協大学へ。火曜日の受講は次週でお終い。LEDシーリングライトの故障で旧蛍光灯ハウジングを再取り付けし、照明は新規LEDにするもリモコン動作不良。2時間ほど前に購入した商品を抱えて車で5分ほどの販売店に行き、担当の女性店員さんと一緒に動作不良の再現確認をし、交換品も動作確認をする。感じのいい店員さんはとても恐縮していたが、こちらは動作確認のアドバイスをしたりして楽しかった。
 7日(水)、不燃物の処分準備。50cm以下に収めるために電機製品や鉄製品を切断。金属切断時の音は働いている気分になれてある種の快感を覚える。

 最近は飲酒頻度が低い。飲んでも以前よりも量が減っている。4日(日)は4日ぶりの酒、ビール500ccを飲んだ後に久々の日本酒だが2合も飲んでいない。そしてまた3日間飲んでいない。今年に入ってからの飲酒日は50%を切っている。飲むと飲むだけで何もしなくなる、本も読まなくなる、時間だけが過ぎてしまう、という罪悪感めいた感情がときどき襲ってくる。


 <斎藤詠一 『到達不能極』(講談社、2018年)>:2018年2月の南極遊覧飛行と南極観測隊、1945年1月のマレーシア/ペナンの海軍航空隊が交互にに描かれて物語は始まる。2018年ではツアーと観測隊は通信が途絶え、救援を待つ前者と救助に向かう後者が出遇う。1945年は南極にて研究を継続させるドイツのユダヤ人親娘が日本軍の飛行機で南極に向かう。日本軍のニ飛曹信之は70年以上の時を経て南極を訪れ、そこには後に血縁関係が明らかになる拓海がツアーコンダクターを担っている。信之と拓海と何か秘密を抱えている米国人の3人が物語の中心になり、観測隊員の二人が主な脇役になっている。マレーシアから南極へ、そして南極での自然との戦い、米ロの思惑と攻防、1945年のドイツ人との銃撃、スケールの大きい冒険・アクション・ミステリーが展開される。スピーディーな展開、文章の上手さに吸い込まれて読み進めた。が、意識が電気回路に残され、それが生身の人間と交信するという設定は何十年も前のSFのような陳腐さを感じた。1945年のペナンでの同僚たちとの交流(エピソード)が2018年の伏線になるというのも安易な設定と感じる。もうちょっとひねりというか深味を持たせて欲しかった。
 今年度の江戸川乱歩賞受賞作で、乱歩賞は4年ぶりに読んだ。楽しませてもらった。

2018年11月4日日曜日

対抗戦ラグビー

 対抗戦ラグビー、慶明戦は拮抗したうえで明治が勝利すると予想していたが、拮抗のうえ慶応が勝った。
 我が早稲田は夏に帝京に勝利したとはいえそれは参考にならず、どうなるか分からない。でも夏に勝ったことで期待は膨らみはすれど、帝京は慶応との接戦からさらに強くなっているだろうからと早稲田への膨らむ期待は自ずと抑え気味となっていた。勝つなら接戦、負けるなら完敗と予想していた。結果は完敗。個々のパワーと集散の早さで完全に負けている。早稲田は中野がいいプレーをするがあとは圧力を受けてであろうミスが多い。何といってもペナルティの多さは相変わらずで、結局は入りの悪さとペナルティの課題は解消されていない。4Tを取ったといってもそれは0-28で前半で勝負が決してからの後半のこと。帝京の落ち着いて安定した組織的プレーに比べると、帝京の圧力でペースを作れない早稲田はバタバタしているという印象がある。

 今年の対抗戦は秩父宮での観戦も止した。家でテレビあるいはPC(オンデマンド)で観ている。以前ほどモチベーションが昂らないし、移動時間も面倒くさくなっているし、それに以前に増して人の混雑を避けるようになっている。

 今日は大掃除の3回目。体力(耐力)・気力の低下で全掃除の分割払い的実施。あと2回で完了の予定。

2018年11月3日土曜日

11月に入った

 11月に入った。1年が経つのは本当に早い。変化のない毎日をおくり、同じ事を繰り返していると時間の経過は早い。電車の席から眺める景色が初めてのものだと時間はゆっくりと進むが、同じ経路での復路の時間は短く感じる。これと同じようなもので、初めてのドラマを観ても、政治茶番劇を見ても、本質的には同じ事を繰り返しているだけで結局は変化のない、眺めたことのある情景が目の前にあるだけという感が強い。年齢を重ねると時間が早く進むと感じるのはそういうことなのだろう。ならば、ゆっくりと進むためには、自分に対して自ら、初めての経験をさせることしかなさそうだ。

 <呉智英 『日本衆愚社会』(小学館新書、2018年)>:帯には「「自称知識人」の無知・無教養を白日の下に晒す」とある。自分は知識人ではないし、知識人に比べれば無知・無教養であることは間違いない。しかし、だからといって広範囲にわたって知識を記憶することが教養なのではない。そもそも記憶力は劣化する一方である。大事なことは様様な情報や思考に対して是非を問う感性を持ち続けようとすることであると思っている。
 教養とは考える際に抽出しをどれだけ持っているかということ、と何かで読んだし、そう思う。感性は抽出の多さで豊かになろうし、抽出しを開けるということが想像することともいえる。
 呉さんの書き物はただ流されがちになる自分に刺戟を与えてくれる。

 <原田実 『偽書が描いた日本の超古代史』(KAWADE夢文庫、2018年)>:日本の始まりを超古代に求め、そこには多くの神話が創られ、偽書の多くは明治になってからの出現が多い。これは何故なのかと考えてみれば、明治になって統治のために天皇が祭り上げられ、実証できない神武天皇などの神話が持て囃されたことと無関係ではなかろう。偽書を編み出す人の行動原理は理解できないが、世間から注視されたい、特異な存在でありたい等々であり、「マズローの欲求説」に習えば、経済的に恵まれるためにまず自分の居場所を作り、その場においての存在価値を認知されかつ尊重され、更にはそこで己の能力を発揮すると共にその能力を可視化したい、というところなのかと思う。そして荒唐無稽だろうが何だろうが、その場から利益を享受したいと欲する人たちが周りを囲む。
 かの有名な「竹内文書」や青森県にあるキリストの墓、『東日流外三郡誌』など17篇が紹介されている。『東日流外三郡誌』は古代史研究で著名な古田武彦が指示したことで大きな話題となった。以前に『偽書「東日流外三郡誌」事件』を読んでいただけにその内容は概略知っていたが、改めて滑稽さを覚える。他の偽書についても似たような感想しかない。
 書店をぶらついていたらこの文庫本のタイトルが目に入り、パラパラと頁を捲ったら「物部文書」のところで偶然にも「秋田県の山中、大仙市協和」の文章が目に入った。そしてそこに「唐松神社」や「宮司物部家」、「進藤孝一」もある。かつて暮らしたことのある宮田又鉱山について調べていたときに登場する地名・神社・人名である。ただそれだけでこの文庫本を購入した。残念ながら宮田又鉱山の名は登場しない。