2018年11月15日木曜日

オープン・カレッジ一つ終了、本2冊

 13日、獨協大学オープン・カレッジ火曜日の講座はこれで修了。内容的には物足りなさを感じるが、1.5時間×6回ではやむを得まい。かつて市ケ谷に通った通信教育でのスクーリングは中身が濃く、単位習得試験もあったので、それに比べると今回の単なる教養講座はぬるま湯のようで緊張もない
 春日部駅からの帰途、ビールとスパークリング・ワインを購入し、14時からの食事と合わせて全部飲んでしまう。妙に飲みたくなっていたワインであるが、ウィスキーほどの美味さはないので暫くは飲まない。
 15日の本日は車の下部バンパー交換。損傷して(されて)からは保険手続・処理があり2ヶ月半も要したが、相手あってのことなのでしようがない。

 <北河賢三 『戦争と知識人』(山川出版社/日本史リブレット、2003年)>:1937(昭和12)年7月の日中戦争全面開始から1945年8月までの総力戦時代の状況と知識人の動向を概観。
 戦後になっての研究動向に興味が引かれる。それは、1950年代・60年代は「転向」や「抵抗」を軸にしての研究、60年代後半から70年代はかの「人民戦線運動」をはじめとする運動史研究やジャーナリズム研究。その後は「戦争責任論」的視点に立つ研究が優勢に立ち知識人の戦争協力の検証がなされた。さらに知識人が戦争に積極的に参画していった意味の研究もなされた。このブックレット発刊は2003年なのでもう古くなっている。いまは-少なくとも自分の感じ方では-知識人たちが戦争を問うことはなされなくなっている。戦前を生きた知識人たちの多くは鬼籍に入り、かつ戦前を問う以上にいまの世がきな臭く変化しているからであろう。
 『世界文化』創刊号(1935年)真下信一の創刊の辞が当時の(一部の)知識人の立つ位置を端的に表している。今の時代に置き換えて、あるいは私的場面に置き換えて読めばいろいろなヒントが得られそうである。
・・・ふとふりかへつて見て、自分の立つてゐる舞台にきがついた時、ひたすら今まで勤めてゐた自分の努力が、これでいゝのか、それともいけないのか、疑はれてくる。時代のテムポがすつかり変つてゐて、自分がそれについて行けるか、行けないか、に迷う。不安。今までのものが無意味に見える。ニヒリズム。正に此の様な不安とニヒリズムとに、此の時代のインテリゲンツィアの敏感な部分が今、立つてゐる。

 <奥武則 『論壇の戦後史』(平凡社新書、2007年)>:戦後70年までの論壇史概説。自分は68年から72年まで大学時代を過ごし、筑摩書房季刊誌『人間として』(小田実・開高健・柴田翔・高橋和巳・真継伸彦編集)を背伸びしながら購読していた。編集者たちの小説(特に高橋和巳)や、第3の新人、戦後焼跡派の小説にも一時期入れ込んでいた。評論も読んでいた。だからというわけだけでもないだろうが本書に出てくる進歩的文化人と称される人たちの名前もすんなりと頭に入ってくる。少し時期のずれた同時代史概説書といった感じであり、描かれている時代からさして遠くない時代を生きていたからであろう、いま一つ物足りなさを感じた。
 『朝日ジャーナル』はとっくになくなったし、『世界』はたまにしか手に取らないし、書店にないことすらある。「横から見たり裏から見たりして何ごとも相対化することが「得意」な『文藝春秋』」だけが高く平積みされ、「諸君!」や「正論」「WiLL」も平積みされている。世の中は随分と変わってしまった。

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