2026年10月12日月曜日

サボリ、若しくは易きに流れた読書が続いている

 KoYoが減量しているとのことに触発されて、自分も体重を気にするだけでなくちゃんと減量しようと思い、食事量などを見直している。効果はすぐに現れて4月に今年のピークを記録した値より2.5kg減った。測定される体重をレッド・イエロー・グリーンにゾーン分けしていて、ずっとレッドゾーンだったが今はグリーンとイエローの境界を行きつ戻りつしている。

 <永井義男 『秘剣の名医 二十一 幕府検死官 沢村伊織』(コスミック・時代文庫 、2026年)>:二つの中編。最初は高利貸の殺人で道具として小説の核を成すのは陰陽石で、探索の中心は岡っ引きで下ネタ好きの辰治親分。二編目にはお蝶が登場し、伊織が中心となり、最後は人情話の様相となる。言い換えれば前編は下半身を、後編は心の中を軸にしている。

 <鍋倉夫 『路傍のフジイ 7』(ビッグコミックス スピリッツ、2026年)>:最終巻。捉えどころのないフジイに何故か惹かれるが、フジイになりたいとも思わない。特出する能力があるでもないが興味あるものには前向に取り組んで、仕事にも真面目に向き合い、周りにも好感をもたれている。身の回りの人や出来事をすべて受け入れる。そういうフジイ君に惹かれる。

 <永井義男 『横浜の決闘 密殺処刑人 影山彦十郎始末帳』(コスミック・時代文庫 、2026年)>:幕末期の横浜の描写が新鮮である。自分の不勉強のせい(或は忘却)であるが、洋館や洋装の人物は明治に入ってからと色濃くイメージしがちである。でもこの小説で活写される横浜はまだ開国前であり、偏った感覚を是正させてくれる。幕末の風俗というか社会世相に対する知識不足を感じさせられた。幕末期から明治という区切りは連続していることをキチンと認識せねばならない。特に社会世相/風俗史の上では。

 <堀田秀吾 『考えてはいけないリスト』(フォレスト出版、2026年)>:何か気付かせてくれることがあるかと手に取ったが、余りにも当たり前のことばかりで、買わなくとも良かったと悔いた。そりゃそうか、四捨五入すれば80歳になり、馬齢を重ねてはいるもののそれなりの信条を持って生きてきたからには、この本に書かれていることに今更という感は拭えない。

2026年9月20日日曜日

漫画雑誌、漫画、文庫本

 『ハルタ』133号「煙と密」第63話に面白い句が載っていた。「栗の花 人目盗みて 解き放ち 営舎の夜に 紅ひとつ無し」。上手いと思った次第。「鴨の腹」なる言葉も初めて知った。

 <辻潤 『ふもれすく』(青空文庫)>:1923年(大正12)9月1日に関東大地震が発生し、伊藤野枝が殺され、それを知った辻潤が11月に四国Y港で書いた随筆。
 21歳の頃東京中央郵便局で郵便物仕分の夜間アルバイトをしていた。そのとき一緒に働いていた明治大学生が辻潤のことを教えてくれた。そして魅了されて彼に関する本を何冊か読み、ダダイズム・ダダイストを知り、一番惹かれたのは高橋新吉の詩だった。
 新吉が病で療養してた地が前期の四国Y港である。随分前になるが、伊藤野枝や辻に関する本を何冊か読んでいて、辻の放浪生活は記憶の隅に残っている。大杉のもとにはしる前に野枝は辻との間に二人の子をなし、その長男まことに関しては本書の中で何度も現れる。
 大正末期の地震・虐殺、辻の放浪などに思いを馳せる一方で20歳前後に読んでいた本や自分の関心事などを思い出す。また、伊藤野枝の知らなかった側面を目にし、彼女に関しての捉え方が少し変化した。
 辻と野枝の絡みと別れを活写した本書を読んで感慨にふけるには予め彼らに関する本を読む必要がある。予備知識なしで本書だけを読んでも、描かれる時代と作家たちが描かれる世界には浸れまい。辻・大杉・野枝ばかりではない、高橋新吉・平塚雷鳥・佐藤春夫・宮崎資夫・谷崎潤一郎・生田春月等々、あの時代には魅入らされる。

 <丸山薫 『圖書室のキハラさん』(KADOKAWA 、2025年)>:カワイク描きすぎていると感じるキハラさんではあるが、背景の本・書棚・図書館の画に惹かれる。そして本に関する格言がいい。別途その格言をまとめているwebにアクセスして楽しんでいる。
 
 <ハルタ編集部 『ハルタ』137(小学館、2026年)>:予約発注までした最新刊。前にも書いた通り飛ばしてしまうものと立ち寄って読むものが明確に別れているが、以前より読まない頁が若干増えたような気がする。単行本で購入していた『本なら売るほど』と『司書正』はもう買うこともなくなる。
 「ふしぎの国のバード」のイザベラ・バードは余りにも脚色されていて辟易する。実在の人物とその歴史については娯楽作品化の色合いが強くなるとつまらなくなる。

 <永井するみ 『隣人』(双葉文庫、2013年/初刊2001年)>:6編の短編集。「隣人」「伴走者」「風の墓」「洗足の家」は殺人を伴うミステリーであるが、「至福の時」「雪模様」は恋愛・母への思慕と破局を軸にした男と女の心情ミステリーとでもいえば良いのだろうか。前の4編の殺人は殺す側も殺される側も厭らしい生き方をするツマラナイ人間に思える。否、全編に描かれる人たちには共感も同情心も抱けない、実際に身近にいれば距離を取っておきたい、そんな人たちばかりである。
 この文庫本の表紙は猫の左半分の顔が大きく描かれていて素敵なカバーデザインである。

2026年9月15日火曜日

漫画三昧

 8月からは漫画が多い。漫画が多いのは積んである本が多くあり、なかなか読む時間がなく、でも何か読み続けたいので手軽な漫画を買い続けたということに過ぎない。そして今は新たに買おうとする衝動を抑えようとしている。

 草間彌生さんが亡くなった。テレビや新聞・雑誌を通してあの水玉模様の絵画は知っている。話題にもなったとは聞かないけれど小説も書いていた。1985年11月4日に『'聖マルクス教会炎上』を読んでいたが、感想も書いていないので内容は全く記憶していない。ネットで拾うと帯に中上健次の言葉として「この「聖マルクス教会炎上」を私は作品と呼んでおとしめくたくない」とある。またGoogleのAIにあらすじを問うて要約すると、「女であることと、芸術家であることのダブルバインドに苦しむ、日本人レズビアンの前衛芸術家が主人公で、人間の性や存在の矛盾、狂気を鋭く抉り出すような、衝撃的でアバンギャルドな描写(ポルノグラフィの要素を含む)が特徴」とある。

 <レム、森泉岳士 『ソラリス 上』(早川書房、2025年)><レム、森泉岳士 『ソラリス 下』(早川書房、2025年)>:惑星ソラリスの直接触れることの出来ない知的生命体の海、ソラリス観測ステーションで発生する奇妙な現象。それらをどう受けとめ捉えればよいのか、人間そのもの或いは人間社会の何かに置き換えてみようとする。無論こうだとは言えないのだが現実を暗喩している気がしてならない。そう考えて引き込まれていた。

 <増村十七 『進め!白鼻進』(小学館、2026年)>:1933年に売れない漫画家が人生の賭けに出て、時流に乗っかり漫画が大ヒットし、世の中から持て囃される。そして戦争に突入し事前検閲を受けるようになり軍部主導の時勢に迎合し、戦時の体験を漫画にしようとする。戦後になっては戦後の民主主義・平和主義に迎合するようになる。過去の自分の描いた漫画を眺め直し、目を焼土化した情景を窓外に見て放心する。
 近藤日出造をはじめ戦前の時流に乗った漫画家は過去への真摯な振り返りはなく自己弁護に徹し、世間も又そういう漫画家を大きく非難することはなかった。
 立っている基盤は薄い人生観でしかなく、刹那的な承認欲求と経済的充足感を得ようとすれば自ずとその行動は自己欺瞞と自己弁護でしかなくなる。何もここに登場する白鼻進に限らず、また時代に限らず、あらゆる人間社会に存在する軽薄な、それでいて普遍的な現象としか思えない。

 <ハルタ編集部 『ハルタ』132~136(小学館、2026年)>:漫画三昧。この分厚い雑誌は800円台と安価で多様な作家が漫画を描いている。一気に5冊を発注しその重さに少々驚き、いい年をして漫画雑誌を読むのかとの恥じらいを感じるでもない。でもCP比の良さと作家の多様性とこの重さは魅力的で以降定期的に購入してしまいそうである。
 全作品に目を通すかというとそういうことはなく、絵柄から想像するストーリー展開に好き嫌いがあり、好みでないものは飛ばす。1冊あたり1~3日かけて頁を進める。しかし、個々の作家の絵の秀逸さには感心する。絵が上手い人、文章が素敵な人、パフォーマンスの良いスポーツマンは羨ましい。それだけに自分にないものに触れることには幸福感を味わえる。表現力の優れた人には深い敬意を表する。

2026年8月30日日曜日

渡辺京二の本、丸山薫の漫画、春画ールの江戸風俗考

 月初めに発注しておいた梨(豊水)が配達された。冷して食べて美味しい!

 初めてヘッドセット(audio-technica ATH-BT12)を購入した。AG06に接続。呆け防止で行っている英会話の学習に使用する。あるとないでは音読に格段の違いがある。但し、マイクを外して純粋に音楽を聴くには向いていない、というか保有している他のヘッドホンとは(価格的には当たり前だが)音質がかなり劣る。

  <渡辺京二 『私の幕末維新史』(新潮選書、2025年)><渡辺京二 『私の明治時代史』(新潮選書、2026年)>:1980年代初めに熊本市の真宗寺で行われた講義の録音テープからテキスト化された2冊。
 渡辺京二さんの本を読み始めたのは遅くて2007年からであり、以来(内容の理解度合いは横に置いて)36冊を読んできていて、亡くなってしまったのでもう新刊は読めないと思っていた。そこへこの2冊が発刊されたので先ずは購入し、暫く時間をおいてから表紙を開いた。
 総括として次の記述を引用しておく(『私の明治時代』252-253頁);「人間は思っていること、心の中で起こっている様々な邪念欲念も含めて、ああしたいこうしたい、あいつは嫌だという感情も含めた総体を考えると、それが思想やイデオロギーになって言語化されるわけですが、その言語化しうる部分はごく一部分に過ぎないと思うのです。人間の心という氷山の下にある、雑な言葉で言うと「欲求」とでも名付けられるものが、往々にして、思想化しイデオロギー化し言語化をするときに、本人によって誤訳されるわけです。心の中で渦巻いている欲求を本人が誤って表現している。頭山の「忠君愛国」や「大アジア主義」も、彼の心の中にあった大きな総体的な欲求が、やはり一種の誤訳をされているのだと思います。したがって、この部分だけを取り出して思想史的に論じてみてもつまらない。人間の中で渦巻いている大きな人間の心のあり方の中に、本当の「時代の問題」があるのじゃないかと思います。けれどもこれを正しく表現することが非常に難しい。だから僕らはこの仕事を一生懸命厳密にやらんといかんのですが、やっぱり誤訳しがちであると思います」
 上の文章を読んで、自分なりの定義「政治的人間のエートスとは思想と感情が合体した精神」が記憶から呼び起こされた。そして皮肉っぽく言うと、今の政治家とは、その思想と感情が合体した精神を本人自らが解釈・理解できないままに政治という舞台に立ち、その舞台で言葉を弄することにフォーカシングしている。そういう思いが強くなった。

 <丸山薫 『司書正』第1巻~第4巻(KADOKAWA、2023~2026年)>:古代中華を舞台にした文字と支配と個人の生き方。面白い、それに兎に角絵の線が美しい。文字と記録(蔵書樓)とそこに居住する司書正とキビの二人に惹かれる。物語の創造とそれを生み出す想像力に圧倒される。難点は主人公のキビは可愛く特徴的に描かれているが、公太子や若い男たち、妃などの女性たちは類型化された美が基調となっているので時折見分けに戸惑うことがある。漢字が沢山出てくるので楽しめる。
 単行本の出版は年に1回なので次巻まで長く待たねばならない。「本なら売るほど」も掲載されているのでいっそのこと年10回発刊される『ハルタ』を購入しようか。

 <春画ール 『春画で見るお江戸風俗考』(新潮文庫、2026年/初刊2023年)>:著者の春画ールさんは「会社員をしながらSNSで江戸期の性文化や春画の情報を発信したり、当時の文献から人間の性に対する価値観や心理を探るコラムを執筆したりして」いる女性。春画や性具のコレクターでもある。
 淫斎英泉『閨中紀聞/枕文庫』に記述されているオンナの怨みや妬みを克服する妙薬を実際に作って飲んだという著者の探究心には驚き、笑いもした。何の効果もなかったらしいが。但し、著者が保有している、明治期に販売された性具についての体験は述べられていない-こう書いては不謹慎極まりないかな-。また、性具「夢情留心」を再現してもいる。
 多くの春画や性器の図が載っており、改めてそれらに惹かれるものではなく、また江戸期の性文化は他の本も目にしていることもありページを進めると次第に倦きてきた。

2026年8月22日土曜日

適菜收 『高市早苗という病』

 ここ1ヶ月の間、体重が高値になっている。運動は碌にせず、食うことと飲むことは以前より多分増えている。前に体重を落としたころに留意していたことを心懸けねばならない。

 <適菜收 『高市早苗という病』(ベスト新書、2026年)>:嘘をつく、言葉を弄ぶ、そのような人は大嫌いである。
 以下、本書より抜き書き;
 病、日本に根を腐らせている病の集約、虚像、虚言、無知と無恥、バカの活性化、自己陶酔、歪んだ自己愛、メタ認知の欠如、被害者アピール、バカがバカを支持、話しのすり替えとごまかし、サッチャーというよりサッチ(野村沙知代)、歩くATM、群れのボスに追従するチンパンジーの宮廷。
 社会の免疫不全、言葉が死ぬとき思考が死ぬ。
 バカは、欲しいものを手に入れると満足します。他人からの注目、名声、財産、権力、高い評価……自分はそれを持つに値すると思っているものを手に入れた時、満足感を覚えます。ただし、バカのそうした特権意識は、多大な不安と引き換えにかろうじて維持されているものです。たとえ欲しいものをどれほどたくさん手に入れても、日々の激しい戦いの中で、たったひとりでまわりをすべて敵に回し、誰にも頭を下げることなく、『一番賢いのはこのおれだ』と自らに言い聞かせっづけなくてはならないのです」
 能力の低い人ほど自分の知識や技術を過大評価し、自身の判断ミスを認識できない傾向を指す。(ダニング=クルーガー効果の教科書的な症例)
 証拠より自分の記憶が正しい女。
 現実を自分に都合よく書き換える。証拠があっても「捏造だ」と言う。記録が残っていれば「記憶にない」と言う。矛盾を指摘されれば「そういう趣旨ではない」と言う。追及が続けば「個別の報道へのコメントは差し控える」と言う。発言の責任を問われれば「聞かれたから答えただけだ」と言う。罷免されないことをわかっていて「罷免されるなら仕方がない」と言う。状況に応じて言葉が変わるだけで、「現実より自分の都合を優先する」という一点だけは微塵もブレない。
 自分の信念を裏付ける情報を優先的に集め、反証となる情報を軽視したり無視したりする傾向がある。批判的分析を排除し、それどころか敵視する。(確証バイアス)
 都合の悪い情報を無意識に記憶の端に追いやり、そのうち自分か嘘をついていることすら忘れる。(動機づけられた忘却)
 知ってしまうと不都合になるから、あえて知らないままでいようとする。(戦略的無知)
 かつて、ジャーナリストの上丸洋一が『「諸君!」「正論」の研究』で、安倍の政治観は自称保守向け月刊誌「諸君!」や「正論」から適当にトピックを拾い集めたものに過ぎないという趣旨の指摘をしていたが、高市はそれ未満である。
 立憲主義における憲法改正とは、現行の条文が現実の問題に対応できなくなったとき、問題を解決するための最小隕の変更を、最大限の合意形成を経て行うものである。高市が答えを持ち合わせていないのは、彼女の世界に「現実」が存在しないからだ。

2026年8月8日土曜日

雑記、マンガ

 1年に1回は市立医療センターで心エコー検査をし、3ヶ月毎には某総合病院泌尿器科で簡単な診察をして前立腺肥大症治療薬と排尿障害改善剤の処方箋を書いてもらい、年に1度はPSA検査を行っている。
 2ヶ月毎には別の内科クリニック行き、そこではほぼ年に一度は頸動脈エコー検査をし、4ヶ月に1度の頻度で血液検査を受けている。つまりその内科クリニックでは血液検査の採血をして2ヶ月後にその結果を聞き、更にその2ヶ月後にはまた血液検査というサイクルを繰り返している。
 約1ヶ月前の心エコー検査では変化はなく、泌尿器科にても変化はない。そして数日前に内科クリニックで血液検査の結果を確認し、なんと各検査項目において基準範囲を超える(H)あるいは下回る(L)項目は一つもなかった。前回もそうであったので、特にコレステロールと中性脂肪が基準値に入っていることが嬉しい。この2項目は長年にわたって基準を超えていたので尚更に安心している。要は服用している薬が効いているということなのだろうが、薬を服用していても基準値外の項目が皆無であることは珍しいですよと調剤薬局の薬剤師さんに言われ、単純に喜んだ。

 <地主 『スーパーの裏でヤニ吸うふたり』第1巻~第9巻(スクウェア・エニックス、2022~2026年)>:第1巻は無料で読めるとのメールが来て、暇つぶしにその漫画をPCで読んでみた。楽しめた。そして続きが読みたくなり結局は第1巻から最新刊の第9巻まで全巻を一括で購入してしまい。ほぼ毎日少しずつ読み、全巻目を通した。第10巻は今冬の発売予定なので楽しみに待つこととしよう。アニメも放送されているが見る気持ちはない。動きがあって声もあるアニメでは物語への想像力(妄想力)が削がれてしまうと思うからである。
 作者の地主さんは性別・年齢不詳であるが、絵柄から推測するに女性であろうと思う。基本的に女性の漫画は絵が嫌いなのでまず読むことはないが、恐らく女性であろうと想像しているこの漫画は表現される会話に惹かれる。「居心地の良い片思いをさせて頂いているよう」や、「君の優しさは」「ただの怠慢だ」という言葉が鋭利である。冱えない46歳の佐々木の優しさと、山田と田山の2面を演じる24歳ほどの田山(山田)との関係の展開が楽しめる。

 新聞の折り込み広告に「疲労回復ウェアは書店で買える」「帰省先の両親に贈りたい・・・」とのフレーズがあったが、春日部に居住している我が家からの近所にはもう書店はない。駅前と、駅から反対側のところにも書店はあるけれど小規模なので行く気がしない。ショッピングモールに比較的大きな書店はあるけれど出かけるのが面倒。結局はネットで購入することが習慣になっている。以前は自宅から徒歩数分の位置に戸田書店があってよくぶらぶらと行っていた。が、今は日本料理屋になっている。こうして少しずつ生活圏内が狭まっている。寂しい限りである。

2026年7月28日火曜日

東野圭吾さん、習慣化しようとしていること

 東野圭吾さんが亡くなった。大腸がん、68歳。
 昔、大卒/大学院卒の理系の入社試験に臨時の面接官として臨んだことがあった。二人ほどが東野圭吾の小説が好きですと発したことがあって、こちらとしてもその頃は何冊も読んでいたことがあって関連した質問をしたことがある。特にどの作品が好きですか?それはどうしてですか?などと尋ねてその人の受け答えを確認した。そのことなどから大阪府立大学工学部電気工学科出身の作家は理系に人気があったのだろうと思っている。かくいう自分も理系出身なのでそう思い込んでいるのかもしれない。
 ここ数年は熱心な読者とは到底いえないが、読書の記録を開いたら、1985年江戸川乱歩賞受賞以来68冊の小説を読んでいる。106の作品を出しているから64%を読んでいる。樋口祐介さんなどをはじめとして全作品を読んでいる作家も何人かいるから、東野さんはその次に好きな作家という位置づけとなる。
 娘が中学生の時に東野さんの小説をすすめたらどっぷり嵌まって友人たちにも勧めていたことが思い出される。息子もかなり読んでいた。

 昨年9月にThree Good Thingsなる言葉を知り、これはいいかもと9月23日より毎日欠かさずに3つの良かったことをその日の終わりに-ときには忘れてしまい翌朝になることもあるが-エクセルにメモしている。特に何もなかった日も良かったと思えることを書いている。酒が美味かった、ご飯がおいしかった、スポーツでどこそこが勝利した、とか他愛無いことも少なくない。気をつけているのはネガティブなことは絶対に書かない。全てを肯定的に捉えることにしている-必然的に政治的なことを書くことは皆無である-。昨日で308日と重ねてきた。

 もう一つ新しく続けたことがある。新聞の広告で見た『100日後に英語がものになる1日10分』なる本に興味が引かれ、以来昨日まで37日に達した。酔っていて頁を開かない日も数日あるが、続いている。英語の辞書とセットにして目の前に並べ、23時頃から読んで、理解して、発音を聞いて、また読んで、声を出して書き写して、と10分で終わるはずもなく大体は30分ほど費やしている。高校・大学と英語のテスト結果は芳しいものではなく、何を今更という感もなきにしもあらずであるが、別に今から英語力をあげようとかの気持ちはなく、単に覚えたい、一寸でも慣れ親しめればいいな、という感覚である。やっていて楽しい。