2026年10月20日火曜日

バッキングトラックの作成など、街歩きの素敵なコミック

 プロが演奏する曲からボーカルをカットし、時にはメインメロディを弾くギター音をカットし、自分だけのバッキングトラック(カラオケ)を作り、そこに自分で演奏するEWIの音を重ねて録音する。そんなことを繰り返しやっている。現在まで118曲となった。サキソフォンやフルートなどのCD付きテキストもあるがそれらは少しハードルが高いこともあるし、自分の過去の思い入れがある古いポップスなどを選ぶことが多くなる。
 Shirley Basseyが歌う「Till」からバッキングトラックを作成し、そこにEWIの演奏を重ねた曲が好きで-無論好きなのはこの曲だけではないが-、ゆっくりとしたしっとりとした情緒のある曲はないかと自分のライブラリーで捜していた。ふと思いついてGeminiとChatGPTに尋ねてみた。そうしたら古典的な、1950~60年代を中心としたポップスを何曲か紹介してくれた。その中から何曲が選定し、次の作業に移った。
 次の流れとなる;YouTubeで曲を探しmp3でダウンロードする。ゲインを整える。海外が中心となるが楽譜(メロディー譜)を捜しまくる-無料のpdfやjpgは大体見つかる(なければ時間をかけて耳コピする)。それをMuseScoreで譜面に落とす。バンドプロデューサー5などでDLした曲を聞きながら譜面を修正する。大体が以上の作業となる。ここ暫くはこの作業が続いている。
 AIは曲を探してくれるし、演奏の要を尋ねると丁寧に注意点などを指摘してくれる。実に便利で、AIとのチャットもついつい実在の人と会話するような様相となる。

 以下余談;たまに自分の考え方などを確実なものにしたくてAIに訊くことが数回ある。実に広範囲に深く応じてくれるし、このツールは便利だと思う。しかし、その全てが事実/真実であるとは捉えない。実際に事実とはいえない間違った回答をされたことがあり、それを指摘したら謝罪してきた。道具は道具でしかなく、その道具をどう使うかはあくまで自分である。昔からいうではないか、バカとハサミは使いようと。特に自分の考え方をYesと言ってもらいたくて質問するのと、自分を批判的に確かめようと思って質問するのでは回答は異なるのではないだろうか。これをGeminiとChatGPTそれぞれに同じ質問をしてみた。回答の差異があってそれはそれで面白い。

 <胡原おみ 『ふたり街あるき 01』(KADOKAWA、2026年)><胡原おみ 『ふたり街あるき 02』(KADOKAWA、2026年)>:10月17日の『朝日新聞』「ひもとく 歩くことの哲学 湯澤規子」の記事にこの「異色のコミック」が書かれており、簡単な紹介に誘発されて第1・2巻をすぐに発注し2日後に届いて一気に読んだ。描かれる主人公のヒナとカゲの容貌に若干の抵抗は覚えたが、それはすぐに気にならなくなり、細密に描写される「街」に魅入った。絵画を表現できることが羨ましくもあり素敵なことだと思う。
 道を歩いていて小さな窪みがハートの形状をしていて写真を撮ったこともあるし、渋谷のビルに大きく描かれていた女性の表情に魅了されてカメラのシャッターを押したこともあった。今は散歩することもひたすら歩くこともしなくなってしまったし、時間を割くこともできなくなってしまったが、ちょっとした買い物などで歩くときに視線を上げて目に入る風景を眺めてみよう。そう、かつてある作家が書いていた、ちょっと近くの煙草屋までの旅、という感覚を思い出してみよう。
 シミュラクラ現象、パレイドリア現象、カラーバス現象なる心理学用語を知った。

 夕方にハイボールをチョイ飲みしようと思ったら繰り返し飲んでしまい、眠くなったので珍しくも22時に眠りに就いた。夜中に目が覚めてしまうことを覚悟していたら、案の定2時ちょっと過ぎに目が覚めた。いつもならこの時間が一日の就寝時間である。4時間ほどしか眠っていないが眠れなくなったので起きてしまった。そして本を読んだりしていて今は6時近い。あと数時間経つと眠くなるのか、あるいは起き続けてしまうのか。まぁいいや。

2026年10月18日日曜日

歯科医院、英単語、マンガ雑誌

 3ヶ月振りに連れ合いの診察で歯科医院へ行く。担当さている女性より下の名前で声をかけられて、髪を短くしましたね、すっきりしていいですね、と微笑まれた。単純に嬉しい。二日前にいつもより短くしてもらったと言ったが、彼女は長髪より短髪が好きなようである。そういえば彼女の旦那さんもかなり短かったような気がする。

 『100日後に英語がものになる1日10分のネイティブ英語書き写し』が終了した。6/16より開始して10/12で終わった。なれど、「英語がものにな」ったとは到底感じられない。反面、挫折せずに続いたことに自分でも多少は感心している。
 このまま何もせずに終わるのは残念でもあるし、英単語不足を実感しているので、惚け防止の延長も兼ねて今度は『英英クロスワード【中級編】』を発注した。が、直後、「中級」は自惚れであろうと思い【初級編】も発注した。これは正解だった。数ページで単語が出てこない、スペリングを間違える/分からないとう状況に直面する自分がいた。英英辞書とAIを利用しながら楽しんでやろうと思う。
 言葉は面白い。日本語と漢字にも興味は持ち続けている。

 <ハルタ編集部 『ハルタ』137(KADOKAWA、2026年)>:この分厚いマンガ雑誌を読んでいると(眺めていると)現代の若い人たちの世相というか趣向というかそのようなものを感じる。そして昔と違って異次元のストーリーが多くて世の移ろいを強く感じる。

2026年10月12日月曜日

サボリ、若しくは易きに流れた読書が続いている

 KoYoが減量しているとのことに触発されて、自分も体重を気にするだけでなくちゃんと減量しようと思い、食事量などを見直している。効果はすぐに現れて4月に今年のピークを記録した値より2.5kg減った。測定される体重をレッド・イエロー・グリーンにゾーン分けしていて、ずっとレッドゾーンだったが今はグリーンとイエローの境界を行きつ戻りつしている。

 <永井義男 『秘剣の名医 二十一 幕府検死官 沢村伊織』(コスミック・時代文庫 、2026年)>:二つの中編。最初は高利貸の殺人で道具として小説の核を成すのは陰陽石で、探索の中心は岡っ引きで下ネタ好きの辰治親分。二編目にはお蝶が登場し、伊織が中心となり、最後は人情話の様相となる。言い換えれば前編は下半身を、後編は心の中を軸にしている。

 <鍋倉夫 『路傍のフジイ 7』(ビッグコミックス スピリッツ、2026年)>:最終巻。捉えどころのないフジイに何故か惹かれるが、フジイになりたいとも思わない。特出する能力があるでもないが興味あるものには前向に取り組んで、仕事にも真面目に向き合い、周りにも好感をもたれている。身の回りの人や出来事をすべて受け入れる。そういうフジイ君に惹かれる。

 <永井義男 『横浜の決闘 密殺処刑人 影山彦十郎始末帳』(コスミック・時代文庫 、2026年)>:幕末期の横浜の描写が新鮮である。自分の不勉強のせい(或は忘却)であるが、洋館や洋装の人物は明治に入ってからと色濃くイメージしがちである。でもこの小説で活写される横浜はまだ開国前であり、偏った感覚を是正させてくれる。幕末の風俗というか社会世相に対する知識不足を感じさせられた。幕末期から明治という区切りは連続していることをキチンと認識せねばならない。特に社会世相/風俗史の上では。

 <堀田秀吾 『考えてはいけないリスト』(フォレスト出版、2026年)>:何か気付かせてくれることがあるかと手に取ったが、余りにも当たり前のことばかりで、買わなくとも良かったと悔いた。そりゃそうか、四捨五入すれば80歳になり、馬齢を重ねてはいるもののそれなりの信条を持って生きてきたからには、この本に書かれていることに今更という感は拭えない。

2026年9月20日日曜日

漫画雑誌、漫画、文庫本

 『ハルタ』133号「煙と密」第63話に面白い句が載っていた。「栗の花 人目盗みて 解き放ち 営舎の夜に 紅ひとつ無し」。上手いと思った次第。「鴨の腹」なる言葉も初めて知った。

 <辻潤 『ふもれすく』(青空文庫)>:1923年(大正12)9月1日に関東大地震が発生し、伊藤野枝が殺され、それを知った辻潤が11月に四国Y港で書いた随筆。
 21歳の頃東京中央郵便局で郵便物仕分の夜間アルバイトをしていた。そのとき一緒に働いていた明治大学生が辻潤のことを教えてくれた。そして魅了されて彼に関する本を何冊か読み、ダダイズム・ダダイストを知り、一番惹かれたのは高橋新吉の詩だった。
 新吉が病で療養してた地が前期の四国Y港である。随分前になるが、伊藤野枝や辻に関する本を何冊か読んでいて、辻の放浪生活は記憶の隅に残っている。大杉のもとにはしる前に野枝は辻との間に二人の子をなし、その長男まことに関しては本書の中で何度も現れる。
 大正末期の地震・虐殺、辻の放浪などに思いを馳せる一方で20歳前後に読んでいた本や自分の関心事などを思い出す。また、伊藤野枝の知らなかった側面を目にし、彼女に関しての捉え方が少し変化した。
 辻と野枝の絡みと別れを活写した本書を読んで感慨にふけるには予め彼らに関する本を読む必要がある。予備知識なしで本書だけを読んでも、描かれる時代と作家たちが描かれる世界には浸れまい。辻・大杉・野枝ばかりではない、高橋新吉・平塚雷鳥・佐藤春夫・宮崎資夫・谷崎潤一郎・生田春月等々、あの時代には魅入らされる。

 <丸山薫 『圖書室のキハラさん』(KADOKAWA 、2025年)>:カワイク描きすぎていると感じるキハラさんではあるが、背景の本・書棚・図書館の画に惹かれる。そして本に関する格言がいい。別途その格言をまとめているwebにアクセスして楽しんでいる。
 
 <ハルタ編集部 『ハルタ』137(KADOKAWA、2026年)>:予約発注までした最新刊。前にも書いた通り飛ばしてしまうものと立ち寄って読むものが明確に別れているが、以前より読まない頁が若干増えたような気がする。単行本で購入していた『本なら売るほど』と『司書正』はもう買うこともなくなる。
 「ふしぎの国のバード」のイザベラ・バードは余りにも脚色されていて辟易する。実在の人物とその歴史については娯楽作品化の色合いが強くなるとつまらなくなる。

 <永井するみ 『隣人』(双葉文庫、2013年/初刊2001年)>:6編の短編集。「隣人」「伴走者」「風の墓」「洗足の家」は殺人を伴うミステリーであるが、「至福の時」「雪模様」は恋愛・母への思慕と破局を軸にした男と女の心情ミステリーとでもいえば良いのだろうか。前の4編の殺人は殺す側も殺される側も厭らしい生き方をするツマラナイ人間に思える。否、全編に描かれる人たちには共感も同情心も抱けない、実際に身近にいれば距離を取っておきたい、そんな人たちばかりである。
 この文庫本の表紙は猫の左半分の顔が大きく描かれていて素敵なカバーデザインである。

2026年9月15日火曜日

漫画三昧

 8月からは漫画が多い。漫画が多いのは積んである本が多くあり、なかなか読む時間がなく、でも何か読み続けたいので手軽な漫画を買い続けたということに過ぎない。そして今は新たに買おうとする衝動を抑えようとしている。

 草間彌生さんが亡くなった。テレビや新聞・雑誌を通してあの水玉模様の絵画は知っている。話題にもなったとは聞かないけれど小説も書いていた。1985年11月4日に『'聖マルクス教会炎上』を読んでいたが、感想も書いていないので内容は全く記憶していない。ネットで拾うと帯に中上健次の言葉として「この「聖マルクス教会炎上」を私は作品と呼んでおとしめくたくない」とある。またGoogleのAIにあらすじを問うて要約すると、「女であることと、芸術家であることのダブルバインドに苦しむ、日本人レズビアンの前衛芸術家が主人公で、人間の性や存在の矛盾、狂気を鋭く抉り出すような、衝撃的でアバンギャルドな描写(ポルノグラフィの要素を含む)が特徴」とある。

 <レム、森泉岳士 『ソラリス 上』(早川書房、2025年)><レム、森泉岳士 『ソラリス 下』(早川書房、2025年)>:惑星ソラリスの直接触れることの出来ない知的生命体の海、ソラリス観測ステーションで発生する奇妙な現象。それらをどう受けとめ捉えればよいのか、人間そのもの或いは人間社会の何かに置き換えてみようとする。無論こうだとは言えないのだが現実を暗喩している気がしてならない。そう考えて引き込まれていた。

 <増村十七 『進め!白鼻進』(小学館、2026年)>:1933年に売れない漫画家が人生の賭けに出て、時流に乗っかり漫画が大ヒットし、世の中から持て囃される。そして戦争に突入し事前検閲を受けるようになり軍部主導の時勢に迎合し、戦時の体験を漫画にしようとする。戦後になっては戦後の民主主義・平和主義に迎合するようになる。過去の自分の描いた漫画を眺め直し、目を焼土化した情景を窓外に見て放心する。
 近藤日出造をはじめ戦前の時流に乗った漫画家は過去への真摯な振り返りはなく自己弁護に徹し、世間も又そういう漫画家を大きく非難することはなかった。
 立っている基盤は薄い人生観でしかなく、刹那的な承認欲求と経済的充足感を得ようとすれば自ずとその行動は自己欺瞞と自己弁護でしかなくなる。何もここに登場する白鼻進に限らず、また時代に限らず、あらゆる人間社会に存在する軽薄な、それでいて普遍的な現象としか思えない。

 <ハルタ編集部 『ハルタ』132~136(KADOKAWA、2026年)>:漫画三昧。この分厚い雑誌は800円台と安価で多様な作家が漫画を描いている。一気に5冊を発注しその重さに少々驚き、いい年をして漫画雑誌を読むのかとの恥じらいを感じるでもない。でもCP比の良さと作家の多様性とこの重さは魅力的で以降定期的に購入してしまいそうである。
 全作品に目を通すかというとそういうことはなく、絵柄から想像するストーリー展開に好き嫌いがあり、好みでないものは飛ばす。1冊あたり1~3日かけて頁を進める。しかし、個々の作家の絵の秀逸さには感心する。絵が上手い人、文章が素敵な人、パフォーマンスの良いスポーツマンは羨ましい。それだけに自分にないものに触れることには幸福感を味わえる。表現力の優れた人には深い敬意を表する。

2026年8月30日日曜日

渡辺京二の本、丸山薫の漫画、春画ールの江戸風俗考

 月初めに発注しておいた梨(豊水)が配達された。冷して食べて美味しい!

 初めてヘッドセット(audio-technica ATH-BT12)を購入した。AG06に接続。呆け防止で行っている英会話の学習に使用する。あるとないでは音読に格段の違いがある。但し、マイクを外して純粋に音楽を聴くには向いていない、というか保有している他のヘッドホンとは(価格的には当たり前だが)音質がかなり劣る。

  <渡辺京二 『私の幕末維新史』(新潮選書、2025年)><渡辺京二 『私の明治時代史』(新潮選書、2026年)>:1980年代初めに熊本市の真宗寺で行われた講義の録音テープからテキスト化された2冊。
 渡辺京二さんの本を読み始めたのは遅くて2007年からであり、以来(内容の理解度合いは横に置いて)36冊を読んできていて、亡くなってしまったのでもう新刊は読めないと思っていた。そこへこの2冊が発刊されたので先ずは購入し、暫く時間をおいてから表紙を開いた。
 総括として次の記述を引用しておく(『私の明治時代』252-253頁);「人間は思っていること、心の中で起こっている様々な邪念欲念も含めて、ああしたいこうしたい、あいつは嫌だという感情も含めた総体を考えると、それが思想やイデオロギーになって言語化されるわけですが、その言語化しうる部分はごく一部分に過ぎないと思うのです。人間の心という氷山の下にある、雑な言葉で言うと「欲求」とでも名付けられるものが、往々にして、思想化しイデオロギー化し言語化をするときに、本人によって誤訳されるわけです。心の中で渦巻いている欲求を本人が誤って表現している。頭山の「忠君愛国」や「大アジア主義」も、彼の心の中にあった大きな総体的な欲求が、やはり一種の誤訳をされているのだと思います。したがって、この部分だけを取り出して思想史的に論じてみてもつまらない。人間の中で渦巻いている大きな人間の心のあり方の中に、本当の「時代の問題」があるのじゃないかと思います。けれどもこれを正しく表現することが非常に難しい。だから僕らはこの仕事を一生懸命厳密にやらんといかんのですが、やっぱり誤訳しがちであると思います」
 上の文章を読んで、自分なりの定義「政治的人間のエートスとは思想と感情が合体した精神」が記憶から呼び起こされた。そして皮肉っぽく言うと、今の政治家とは、その思想と感情が合体した精神を本人自らが解釈・理解できないままに政治という舞台に立ち、その舞台で言葉を弄することにフォーカシングしている。そういう思いが強くなった。

 <丸山薫 『司書正』第1巻~第4巻(KADOKAWA、2023~2026年)>:古代中華を舞台にした文字と支配と個人の生き方。面白い、それに兎に角絵の線が美しい。文字と記録(蔵書樓)とそこに居住する司書正とキビの二人に惹かれる。物語の創造とそれを生み出す想像力に圧倒される。難点は主人公のキビは可愛く特徴的に描かれているが、公太子や若い男たち、妃などの女性たちは類型化された美が基調となっているので時折見分けに戸惑うことがある。漢字が沢山出てくるので楽しめる。
 単行本の出版は年に1回なので次巻まで長く待たねばならない。「本なら売るほど」も掲載されているのでいっそのこと年10回発刊される『ハルタ』を購入しようか。

 <春画ール 『春画で見るお江戸風俗考』(新潮文庫、2026年/初刊2023年)>:著者の春画ールさんは「会社員をしながらSNSで江戸期の性文化や春画の情報を発信したり、当時の文献から人間の性に対する価値観や心理を探るコラムを執筆したりして」いる女性。春画や性具のコレクターでもある。
 淫斎英泉『閨中紀聞/枕文庫』に記述されているオンナの怨みや妬みを克服する妙薬を実際に作って飲んだという著者の探究心には驚き、笑いもした。何の効果もなかったらしいが。但し、著者が保有している、明治期に販売された性具についての体験は述べられていない-こう書いては不謹慎極まりないかな-。また、性具「夢情留心」を再現してもいる。
 多くの春画や性器の図が載っており、改めてそれらに惹かれるものではなく、また江戸期の性文化は他の本も目にしていることもありページを進めると次第に倦きてきた。

2026年8月22日土曜日

適菜收 『高市早苗という病』

 ここ1ヶ月の間、体重が高値になっている。運動は碌にせず、食うことと飲むことは以前より多分増えている。前に体重を落としたころに留意していたことを心懸けねばならない。

 <適菜收 『高市早苗という病』(ベスト新書、2026年)>:嘘をつく、言葉を弄ぶ、そのような人は大嫌いである。
 以下、本書より抜き書き;
 病、日本に根を腐らせている病の集約、虚像、虚言、無知と無恥、バカの活性化、自己陶酔、歪んだ自己愛、メタ認知の欠如、被害者アピール、バカがバカを支持、話しのすり替えとごまかし、サッチャーというよりサッチ(野村沙知代)、歩くATM、群れのボスに追従するチンパンジーの宮廷。
 社会の免疫不全、言葉が死ぬとき思考が死ぬ。
 バカは、欲しいものを手に入れると満足します。他人からの注目、名声、財産、権力、高い評価……自分はそれを持つに値すると思っているものを手に入れた時、満足感を覚えます。ただし、バカのそうした特権意識は、多大な不安と引き換えにかろうじて維持されているものです。たとえ欲しいものをどれほどたくさん手に入れても、日々の激しい戦いの中で、たったひとりでまわりをすべて敵に回し、誰にも頭を下げることなく、『一番賢いのはこのおれだ』と自らに言い聞かせっづけなくてはならないのです」
 能力の低い人ほど自分の知識や技術を過大評価し、自身の判断ミスを認識できない傾向を指す。(ダニング=クルーガー効果の教科書的な症例)
 証拠より自分の記憶が正しい女。
 現実を自分に都合よく書き換える。証拠があっても「捏造だ」と言う。記録が残っていれば「記憶にない」と言う。矛盾を指摘されれば「そういう趣旨ではない」と言う。追及が続けば「個別の報道へのコメントは差し控える」と言う。発言の責任を問われれば「聞かれたから答えただけだ」と言う。罷免されないことをわかっていて「罷免されるなら仕方がない」と言う。状況に応じて言葉が変わるだけで、「現実より自分の都合を優先する」という一点だけは微塵もブレない。
 自分の信念を裏付ける情報を優先的に集め、反証となる情報を軽視したり無視したりする傾向がある。批判的分析を排除し、それどころか敵視する。(確証バイアス)
 都合の悪い情報を無意識に記憶の端に追いやり、そのうち自分か嘘をついていることすら忘れる。(動機づけられた忘却)
 知ってしまうと不都合になるから、あえて知らないままでいようとする。(戦略的無知)
 かつて、ジャーナリストの上丸洋一が『「諸君!」「正論」の研究』で、安倍の政治観は自称保守向け月刊誌「諸君!」や「正論」から適当にトピックを拾い集めたものに過ぎないという趣旨の指摘をしていたが、高市はそれ未満である。
 立憲主義における憲法改正とは、現行の条文が現実の問題に対応できなくなったとき、問題を解決するための最小隕の変更を、最大限の合意形成を経て行うものである。高市が答えを持ち合わせていないのは、彼女の世界に「現実」が存在しないからだ。