2021年1月12日火曜日

決勝戦後のシーンを振り返って

 昨日の深夜、録画していたドラマを見終わってから再生モードを番組モードに変更したとき早稲田vs天理の試合が再放送されており、テレビには試合後の天理大の歓喜と個々の選手の喜び、一方早稲田の選手の涙する表情が映し出されていた。26年間監督を務めた小松監督が手にした優勝の喜び、朴訥な感じのする松岡主将の感謝の意を込めた言葉、早稲田の吉村や河瀬や多くの選手たちの涙。それらを眼にしてスポーツっていいな、と深く感動した。

 目標、それは勝利であり、強くなりたいという希いでもあり、そして戦って勝利や敗北の結果を受ける。 これまでの人生の中で受験や仕事など個人としての努力はたくさんしてきたと自賛に近い思いを抱くが、振り返ってみるとチームとして歓喜し雀躍するほどの達成感を味わったことはない。
 高校・大学受験に失敗し成功するもそれはあくまで個人的な範疇を超えるものではない。仕事で新製品を開発し、初号機が完成しても一担当者としての反省や組織運営への不満が幾ばくかくすぶって残滓として心の中に沈殿することが多かった。その反省や不満を次の製品開発に向けて修正し取り組むのであるが、それは大きな会社組織という中でいかんともしがたい壁に直面し、個人的力量の限界も知り、徒手空拳という状況に陥ることもあった。
 天理と早稲田の試合後のシーンを見ていると、選手たちやコーチ・監督たちの一つの目標・目的に向かってのたくさんの思いが凝縮されていることがうかがえ、改めてスポーツ(ラグビー)の素晴らしさを感じた。

 昨夜のブログのタイトルに「早稲田惨敗」と記したが、これは失礼な気がした。決して「惨めな」敗けではないと思い、タイトルを「早稲田完敗」に修正する。「完うした」敗けと言い直す。

2021年1月11日月曜日

早稲田完敗

 天理大学の準決勝明治戦での圧勝を踏まえ、決勝では早稲田はかなりの苦戦を強いられ、昨年の準決勝での天理大自滅でもなければ勝利は難しいか、それでも可能性は薄くとも早稲田は勝つかもしれないとの淡い期待以上に全体的には(総合的俯瞰的には)ネガティブに考えていた。結果は早稲田の惨敗。決勝戦においては過去最高の得点を天理は奪い取った。CTBフィフィタの圧倒的強さ、それに加えFWの余裕ある出足の早さと接点への隙のないフォローなど、豊富な運動量と強さだけが見せつけられた。劣勢に回っているからこそ早稲田はL/Oでのフッカーのスローイング・ミスが続くし、帝京戦で見せたモールも全く通用しなかった。
 それにしても3連覇同志社以来36年ぶりの関西勢の優勝とは想いもしていなかった。天理大学の留学生勢の活躍、それに来季からは彼らの出場枠が3人となることを思うとこれからは留学生たちの募集は尚更に加熱するであろう、否、もう加熱しているか。
 来季の大学選手権出場枠は関西リーグから1枠増え、関東対抗戦グループからは1枠減るであろう。
 早稲田の決勝戦での先発15人の中で4年生は5人、リザーブを含めた23人中では6人。来季に大いに期待。主将は誰になるのか想像し始めている。

2021年1月9日土曜日

○○の音楽、高校ラグビー、漫画

 エリック・サティは室内楽曲を作曲するにあたって「家具の音楽」を意図していた。即ち、室内にあってそこでの日常生活の邪魔にならず、意識しなくともすむ音楽である。室内で、例えば本を読んでいるときに聴く音楽は好きな曲ではなく、また嫌いな曲でもなく、読書に没頭すれば流れている音楽を意識しないですむ音楽であり、選曲を間違わなければ「家具の音楽」は空気のように部屋に充満する。
 ウォーキング中にはいつもワイヤレス・イヤホンから音楽を流している。クラシックはさすがに流さず、欧米のポップス、映画音楽やイージー・リスニングなどで日本のポップスや激しいロックは流さない。いまはアイルランドのケルト・ミュージックを流していてこれがとてもよい。眼に入る風景ともフィットする。歩いていてふと思った。こういうとき、「家具の音楽」にたとえれば、ウォーキングのときの音楽は何の音楽と呼べばいいのだろう。語彙不足、感性不足、想像力不足のせいなのだろう言葉が浮かんでこない。

 高校ラグビーは予想通り桐蔭学園の優勝で幕を閉じた。決勝戦で特に記憶に残った選手は桐蔭ではNo.8で主将の佐藤、LO青木、FB矢崎(まだ1年生で将来早稲田に進学することを期待)、京都成章では何と言ってもLO本橋であの体躯は魅力的、どこの大学に進むのだろうか。 
 例年行われている高校日本代表の海外遠征が中止になり、代わりに優秀選手30名が発表された。早稲田に進学する桐蔭/佐藤、國學院栃木/細矢、桐蔭/宮尾が選ばれており、30人の中でSHはこの細矢と宮尾の二人で、来季から早稲田ではSHの競争はますます激しくなる(今でも1~3年生で9人もSHがいる)。

 <小梅けいと 『戦争は女の顔をしていない 1』(KADOKAWA、2020年)>・<小梅けいと 『戦争は女の顔をしていない2』(KADOKAWA、2020年)>:原作はスヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ。第二次世界大戦中の旧ソ連軍の退役女性兵士の実録インタビュー、オーラルヒストリー。本書は旧ソ連において戦争に参加した(せざるを得なかった)女性たちのそれぞれの戦争への加わり方を振り返っている。単にそれだけであって戦争への根源的問いかけのような姿勢は見られない。極論すれば戦争に参加した女性たちの個々の思い出と哀しみの凝縮。(漫画ではない)原著を読めば違った感を抱くかもしれない。
 女性たちが少女っぽく、幼い風貌で描かれることに違和感。それに「女の顔をする戦争」とは何だろう、逆に「男の顔をする戦争」とは何だろう。本書のタイトルから想像すれば、「女」を枠外におく思考が基底にあるような気がする。そこに本書の底の浅さを思ってしまう。

2021年1月2日土曜日

箱根駅伝とラグビー大学選手権

 2日、朝から箱根駅伝。早稲田の目標は総合3位以内ということだが、往路の結果を見れば昨年と同じくシード権獲得とした方がスッキリした。
 出だしは5位、2区で13位に落ち、3区で6位に上がり、4区の途中でテレビのチャンネルをラグビーに切り替え、連れ合いは自室に入って駅伝の視聴を続け、こっちはラグビーを見ながらスマホに駅伝を映してチラチラと見ていた。で、4区ではなんと3位になっているではないかと喜んだが、ラグビーを観ている途中でスマホに眼を向けると早稲田の姿が確認できなくなっていた。終わってみるとなんと11位になっているではないか。1年生走者は区間19位で1位の選手には5分以上の差が開いていて、ゴールに入っては涙を流していたような感じだった。
 明日はトップの創価大学から7分4秒遅れでスタート。是非ともシード権だけは取って欲しい。

 さて、2日メインのラグビーは準決勝で帝京との試合。結果は33(5T4G)-27(3T3G2PG)。13点差の時点で残り時間が少なく負けるとは思わなかった。バックスが走っての3トライと、2本のモールトライは素晴らしかった。スクラムはやはりかなり劣勢で決勝戦が心配。

 明治vs天理戦は41(6T4G1PG)-15(3T)で天理が圧勝。試合が始まる前に連れ合いからどっちが勝つと思っているのかと問われ、大した根拠もなく、天理が勝つ明治はそこそこに点差を広げられる、と言った。その通りになった。接点への絡みが天理は早く、ボールキャリアへのフォロワーもしっかりとしていた。後半の半ば過ぎから時折明治の箸本主将の顔がアップされ、空ろな精気のない表情で寂しげな感じであった。
 試合終了後のインタビューでフィフィタが「決勝は今日よりも強い相手だから・・・」のようなことを言っていたのには笑ってしまった。それは明治に失礼でしょうって。
 天理は早稲田に対して昨年の準決勝完敗の雪辱と優勝を目指して激しく当たってくるだろう。

2021年1月1日金曜日

元旦の雑記

 高校ラグビー3回戦、東福岡vs石見智翠館、流経大柏vs常翔学園、接戦の両試合が楽しめた。両方とも終了間際での逆転であり、勝った方の喜びと惜敗した方の悔しさが伝わってきて、激しさの中の瞬時の動き、個々の選手の動きに魅了された。
 シード8校のうち2校は2回戦で敗戦。早稲田への推薦が決まっている選手4人が在籍する高校では桐蔭と京都成章の2校がベスト・エイトに進んでいる。何となくではあるが、桐蔭が優勝するような気がする、というか期待したい。

 ラグビー大学選手権と箱根駅伝、明日は朝からテレビに釘付けになる。

 テレビと言えば年末と正月のテレビ番組はつまらない。特にバラエティーと称した番組は見る気が全くしない。所謂芸人と称する人たちは何を芸としているのか理解(認知)できないし、タレントと称される人たちのタレント(才能)は何なのだろうと思う。

 このブログで訳の分からないことが起きている。12月26日と30日、31日での閲覧数が過去にない異常値を示している。それぞれ2130回、140回、1208回で、過去にはいくら多くとも80回程度であり、それも年に数回あるかないかという程度だった。1日で10回もあれば多いという感じなのに一体何が起きているのだろう。直近30日で見れば、ドイツでの閲覧が70%で、次がウクライナの23%という比率で理解不可能、想像・推理も出来ない。最初はBloggerの統計情報ミスとも思ったが、それも得心できないし摩訶不思議。

2020年12月31日木曜日

イケール自作、「靖国」関連の読書

 テレビスタンドを介して置かれるテレビはどうしてもキャビネットの内側に置かれる。買い換える前のテレビは重量もありそれでやむなしとしていた。しかし、新規購入のテレビの画面はキャビネット前面と同じか少し前に張り出して設置したく、イケールを自作して壁掛けのようにした。イケールは絶対に倒れないようにせねばならず、かといってキャビネットに固定すると自由度がなくなるのでよくない。要は固定せずに前後左右にテレビごと可動とし、しかし前後に倒れることのないようにし、当然費用を抑える。幾つかのパターンを作り、結局は単純なイケールに落ち着いた。構想図を描いているときが一番楽しい。 
 ホームセンターで木板を選び、カットもそこでしてもらい、あとは自宅で3枚の板を組み立てる。イケール前面に純正の壁掛けアタッチメントを取り付け、テレビを設置。 
 一点のミスもなく全てが構想通りに完成したときは快感を覚えた。 

 「靖国」関連の本を読み続けた。「靖国」を研究しようということではない。「靖国」に対する自分の捉え方、考え方などをキチンと構築しておきたいがためである。それは歴史を通してこの国の姿を自分なりに考えておきたいということである。今回は前の2冊(古川・早瀬の著書)に加えて積ん読状態下の「靖国」関連の本を読み続けた。 
 <島田裕巳 『靖国神社』(幻冬舎新書、2014年)>、<赤澤史朗 『靖国神社 「殉国」と「平和」をめぐる戦後史』(岩波現代文庫、2017年/初刊2005年改訂)>。 
 <山中恒 『「靖国神社」問答』(小学館文庫、2015年/2003年刊行の改題と加筆改稿)>:原著は『すっきりわかる「靖国神社」問題』。 
 <内田雅敏 『靖国参拝の何が問題か』(平凡社新書、2014年)>。 
 <小島毅 『増補 靖国史観 日本思想を読み直す』(ちくま学芸文庫、2014年)>:第1章~第3章は以前に読んだ『靖国史観 幕末維新という深淵』(2007年、ちくま新書)と同一内容で、第4章が本書で加えられている。 
 「靖国」はなくならないで消化不良のままに存在し続け、「靖国問題」の現象は繰り返されるであろう。日本人自らが戦争責任を追及することなく今に至っていることが「靖国問題」に象徴されていると考える。戦争責任の追及とはもちろんかの明治維新まで遡り、水戸学まで入り込み、さらには日本人の総体的歴史、古代史までも立ち入ってしまうこととなる-もしかしたら神代史までも-。とてもとてもそこまでは風呂敷を広げられない。 
 上記の本や、その直前に読んだ本についてはいつものように要点をまとめておこうと思っているが、なかなか進まずにいて再度机の上に積んだままになってセルフ・プレッシャーになっている。

2020年12月24日木曜日

テレビ買い換え

 テレビを買い換え。液晶にするか有機ELにするか迷ったが、店員さんのアドバイスも受けて液晶にした。一番のポイントは、我が家の視聴対象では有機ELのメリットが殆どないということ。 
 前のテレビは2013年製で今回は2020年製、メーカーは同じ。7年間の経過で画質も音質も向上しており、一方、価格と重量は随分と下がっている。 
 設置・配線に数時間を要し、来月になれば壁掛け用アタッチメントが届くので再び作業をおこないそれで完了。2台目のテレビとして欲しいというので、古いテレビは息子に譲渡。多分彼専用のテレビとするのだろう。 

 今月は読書のペースがなかなか上がらない、上げられない。