web予約をして待ち人数も確認できるし、歩いて5分もかからないのでタイミング良く受付ができ、すぐに診察に入り、液体窒素スプレーを患部に噴射。感じの良い女性医師と軽く雑談をして終わり。2週間後に再診。
しかし確かに自分は老人の年齢であるが症状に「老人性」と冠がつけられることには抵抗を感じる。
<呉智英・適菜收 『愚民文明の暴走』(詳伝社黄金文庫、2025年/初刊2014年加筆・修正)>: 9年前に読んでいたが、それを忘れて加筆・修正版の本書(文庫本)の頁を開いた。前と同じで理解出ていないところもあり(キリスト教とイスラム教)、また全面的に同意するわけではないが色々と刺戟になって勉強になる。
以下、章立てを鉤括弧で示し、自分の思いを丸括弧で記す。「バカは民主主義が好き」(民主主義という用語を安易に口に出してそれを金科玉条のように語る輩は嫌い)、「キリスト教と宗教の本質」(ニーチェをは理解していない)、「吉本隆明という「共同幻想」」(いまさら吉本でもないし….)、「B層社会の反知性主義」(今の政治・文化等を眺むればやはりバカは踊らされてバカが身体化していると思う)、「「保守」とは何か?」(保守と右翼は別物なのに今の政治中枢を保守と呼称するのには抵抗大)、「民主主義か哲人政治か」(改行して下にメモする)。
民主主義の具現化のように語られる現在の選挙制度には疑問を有しており、簡単に言えば普通選挙に疑義を抱いているのは数十年前からで、免許制にすればいいと思っている。これは何も呉智英さんからの影響ではない。小さな区域では籤引きかつ無報酬でいいとも思っている。地方の名士という人たちに碌でもない存在があることはテレビドラマの典型例であろう。多数決で安易に方向を決するのは多数決の暴力ではないかとは小学校の頃からの思いである。哲人・賢人のカリスマ性のあるリーダーがいつも求められている。そしてそれを国家として希求すればかつてのヒトラーのような存在が出現する。ガリレオ・ガリレイの「英雄のいない国が、不幸なのではない。英雄を必要とする国が、不幸なのだ」と同じような構造。