2020年9月29日火曜日

雑記と本2冊

 毎日毎日が何の変哲もなく繰り返され、あっという間に日にちが過ぎていく。そしてもうすぐに10月になる。朝ウォーキングしても汗の量が大きく減ってきた。
 昨日(28日)微酸性次亜塩素酸水を買いにいった。1.5リットル300円は余りにも安価なのでもう少し高くしてもいいのでは、と女性担当者に言ったら目が優しくなり-マスクなのでよく分からないが多分ほほ笑んでいたと思う-、前回は3枚だったマスクを今回は5枚プレゼントしてくれた。 
 古本買取屋さんに本を33冊送る。今年に入って92冊の処分となる。引き取り査定価格を2社比較し、前回まで利用していた業者を今回は変えた。業者によって得意とする分野が異なるようで査定額も1冊ごとにかなりの凹凸がある。 

 <小松真一 『虜人日記』(ちくま学芸文庫、2004年)>:32歳の著者は代用ガソリンであるブタノール生産準備のため技術者としてフィリピンに向かう。本書は、昭和19年2月に東京を発ち、2年後の昭和21年12月に帰国するまでの日記である。3部に別れており、最初の章は東京を発ち、ネグロス島北部の山に入るところまで。次はその山で敗走を重ね、サンカルロスに投降するまで、書名となっている「虜人日記」の章はPW(Prisoner of War-捕虜)となってから帰国するまでである。書き始めたのはオードネル収容所に移された昭和21年の4月頃かららしい。 
 フィリピンの島々を渡って技術指導をするがその移動は命がけで危険きわまりない。米軍上陸に合わせて山に逃げ込む。島々での移動も山に入ってからも状況は厳しく悲惨であり、無論収容所に入ってからも大変な生活であるが、著者は淡淡と簡潔に、時には日本/日本軍を批判的に書き続けている。 
 悲惨な状況描写にはさして関心は向かない。いくら想像してみても現実を詳細に理解出来るわけもないし、今までに読んだ本や映像から知ったことで良しとしている。著者があの戦争に向き合って何を感じ、何を考えたのかに比重をおいて読んだ。日本の敗因や日本と米国の比較など、まともとは言えない環境のなかで物事を冷静に的確に捉えていると思う。が、表層的であり欲を言えばもう一段“何故?”と突っ込んで欲しいと思う。例えば、「国内の事は知らんが. PWの世論では石原莞爾中将は人気のある第一人者だ。彼の支那観. 私生活. 戦争の見通しに対し皆敬服している」とあるが、これだけではすっきりとは入ってこない。でも、著者は公開されることを意識して書いたわけではないであろうから-出版は死後-、実際は心の内にはもっと深い考えがあったとも思う。 

 <関幸彦 『「国史」の誕生 ミカドの国の歴史学』(講談社学術文庫、2014年/初刊1994年改題)>:『「国史」の誕生』の書名から、「国史」が誕生するまでの変遷と、「日本史」ではない「国史」であったことが批判的に論じられるのではないかと思っていた。が、主軸は「国史」ではなく、「明治の歴史学」であり、本書は改題前の『ミカドの国の歴史学』が適当である。 
 朱子学や明治の学者、思想家についてしっかりとした基礎知識を持っていれば本書はスムーズに読めるであろうが、表面的な浅薄な認識しかできていない自分には読みにくく、また譬喩の多用がブレーキになった。

2020年9月23日水曜日

テキスト『日本軍兵士』

 テレビをつけると新政権のニュースや解散時期についての推察が流れている。あまり見ないでいる。Webと新聞で十分である。そもそもコメンテータと称される人が映っていると余計に見たくなくなる。
 一泊でもいいからどこかに行きたい、外で飲みたい、しかし踏ん切りがつかない。

 <吉田裕 『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書、2017年)>:大きくは3つの問題意識を重視して論じられた新書。それは、戦後の歴史学を問い直し、「兵士の目線」「兵士の立つ位置」から戦場を見ること、「帝国陸軍」の軍事的特質との関連性を明らかにすることである。最も関心を強く持って読んだのは兵士の置かれた状況と「死」である。端的に言ってしまえば、長期消耗戦に戦う経済力も国力もなしに無謀な戦争に突入し、精神論で戦火を交え、戦死あるいは戦病死した。政府・軍部・宮中の戦争終結決意の遅れで余りにも多くの兵士たちが死んでいる。「お国のために戦って死んだ兵士たち」、「戦場に散った兵士たちのおかげ今の日本がある」のような美化した言葉を見聞きすると腹が立つ、と同時に呆れる。
  類似するテキストは何冊か読んでいるけれど、それでもまだ初めて認識させられることは多い。そしていつも思うことだが、日本軍の兵站は極めて劣悪なものでしかなかったということで、これも短期決戦、作戦至上主義、極端な精神主義の裏返しであろう。

2020年9月21日月曜日

戦前に関するテキスト、そして息抜き

 <田中雄一 『ノモンハン 責任なき戦い』(講談社現代新書、2019年)>:NHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」のディレクターの一人が著者。「組織の上層部は責任をとることなく、そのしわ寄せが下へ下へと向かっていく構図は、いまも変わらぬ日本型組織のありようのように思えてならない」(あとがき)。まったく同感。 
 辻は選挙で勝って衆議院議員を4期、参議院議員を1期つとめ、一方では世論の反発は強かった。これって、長きにわたって政権を握った首相ではあるが、一方ではモリカケやサクラで非難される構図に相似している。要は、称える側と反発する側の対立も選挙というシステムで糢糊と化してしまうことであり、今後も改められることはないであろう。
 ノモンハンは「失敗の序曲」というけれど、その序曲は江戸末期・明治維新時より構築されてきたと思う。恰も指揮者が無能力で思いつきのままに指揮棒を振るものだから、オーケストラのメンバーは制御されないままにメロディーを奏ではじめ、音楽にならない曲が響き渡り「失敗の序曲」と化してしまう。序曲の次の楽章では「失敗」の主旋律が拡大膨張して鳴り響き、最後には葬送の楽章へと繋がっていく。そして通奏低音は現在も続いている。
 
<猪瀬直樹 『昭和16年夏の敗戦 新版』(中公文庫、2020年)>:かつて「総力戦研究所」なる研究機関があり、そこにはthe Best and the Brightestなる実務経験10年以上の30代の36名が集められ、昭和16年に摸擬内閣は集めた各種データに基づいて次の結論を出した。すなわち、「12月中旬、奇襲作戦を敢行し、成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、しかし、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから日米開戦はなんとしても避けねばならない」。真珠湾攻撃と原爆投下を除いてはその後の日本敗戦までの戦況を的確に予測した。研究生の発表を聴いて東條陸相(当時)は「あくまで机上の演習で実際の戦争というものは君たちの考えているようなものではない。日露戦争でも勝てるとは思わなかった。しかし勝った。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。君たちの考えはその意外裡の要素というものを考慮したものではない」というような内容で講評している。また次のようなやりとりもあった。
 「戦力が十分じゃないのは承知しているが、その気になって準備している場合にはちがう。相手はたとえ地力があっても不意打ちをくらうとやられる。織田信長は今川義元に勝ったではないか。物量が大きい方が必ずしも勝つとは限らないことは、幾多の歴史が教えているよ。なんといってもこちらには大和魂がある」
 「大和魂こそアメリカにはないものでわが国最大の資源だ」
 「日本には大和魂があるが、アメリカにもヤンキー魂があります。一方だけ算定して他方を無視するのはまちがいです」
 「だまれッ」
 呆れるばかりである。非科学的な意志決定機関が上にいては、国民はせいぜい竹槍を持ってB29を見上げるしかなかった。

 <バーカード・ポルスター 『Q.E.D. 知的でエレガントな数学的証明』(創元社/アルケミスト双書、2012年)>:日本酒を飲み続けた翌日に飲むハイボールやジンといったような(?)、しばしの息抜き、頭のリフレッシュと言ったところヵ。生身のヒトの歴史を読み続けたところで脇道にそれ、本書で数学的証明をトレースすると、何というのだろうか、些末なことはさておいて人智の及ばぬ自然の摂理といった世界、神の領域に触れるような清澄なリフレッシュ感を覚える。楽しい。
 証明終わり=Q.E.DをQueen Elizabeth Diedと言い換えて覚えるとよい、と教えてくれたのは高校の数学教師千葉先生だった。

2020年9月13日日曜日

戦前・戦後のカラー化写真

 <庭田杏珠・渡邉英徳 『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書、2020年)>:モノクロームは真の色彩を表現するというようなことを言ったのは黒澤明だったか、確かにモノクロームの写真には過ぎ去った時間を遡り、また色彩を拡がらせる想像を醸し出させてくれる。一方、カラー化することで平面的な写真は立体的に構築し直され、かつ時空を超えて身近な心象風景を刻みつけてくれる。天皇とマッカーサーが並ぶ有名な写真や、星条旗はためく硫黄島の写真などは何度も見たことがあり感慨もない。日にちが経っても振り返りたい写真が掲載されている頁をスキャンしてPCに保存した。
 カリフォルニア州の日系人収容所で体操する少女、何の屈託もないその表情はその後どのような人生を歩んだのだろう。
 白く覆われた骨箱を胸に抱き6列で呉市内を歩む海軍将校・兵士たち。「特潜十勇士」と賛えられても敗戦後は民衆には距離をあけられたであろうし、そもそも骨箱の中に遺骨があろうはずもない。
 「動く婦人標準服展示会」の幟を掲げ、標準服を着て歩く女性たち、幟を持つ女性だけは少し誇らしげな表情をうかがわせるが、他の(表情が分かる)女性たちはどこかうんざりしているような気がしないでもない。そもそも全国一律に「標準」などと規制することは昔も今も碌な事ではない。
 富士山の上空を飛行するB29は東京を空襲した。日本の象徴の一つである富士山を睥睨するB29は現在の日米関係を表象しているようだ。
 多くの日本の人びとが写真に写っており、その服装はアメリカに居住する日系人のそれと比べてみすぼらしい。何の脈絡もないことではあるが、1959年から始まった北朝鮮帰国事業において在日朝鮮人たちが北朝鮮の地に下船したとき、北朝鮮の人たちは彼ら彼女らの服装を見てそのグレードの高さに驚いた。そんなことがふと脳裏をよぎった。また、空襲され焦土と化した東京を視察する天皇の軍靴がピカピカに磨かれ光っている著名な写真を見るたび、複雑な困惑する感情が湧き出てくる。
 見渡すかぎりに焼け野原となった場所で、ドラム缶風呂に入浴する(多分中年の)男性のにこやかな表情に日本人の逞しさがうかがえる。
 現在も損傷痕を残すミズーリ号に突入する特攻機、その左頁の写真では忠魂碑の台座に寛ぐアメリカ兵たちがいる。アメリカ兵はその碑の意味を理解できていたのは思えないし、もしかしたら彼らのうち何人かはアメリカの地で記念碑の建立に意味づけられたのかもしれない。
 1945年4月といえばまだ沖縄戦の真っ只中である。その状況下にて米兵が後方から眺める中で、捕虜となった日本兵と従軍看護師が結婚式を挙げている。二人の後には立会を勤めているのか下駄を履いた女性が一人立っている。二人の、結婚式の前とその後の物語を知りたくなる。
 爆撃を受けた高島屋を後方にカボチャの種を蒔く学徒動員生。何を考えていたのだろうか。3ヶ月後の敗戦を想像していたのであろうか。負けるとはこのように繁華街の地に食料の種を蒔くことである。
 富士山が遠くにあり、手前には相模湾に浮かぶ戦艦ミズーリ。北斎の「神奈川沖浪裏」にある高浪の代わりにミズーリの船首があるような構図となっている(かなり無理はあるが)。
 敗戦の9月にマーシャル諸島で撮影された4人の兵士。頭には律儀にも海軍のキャップ、上半身は裸であばら骨をさらけ出し、腕は細く、下半身は貧弱なズボンまたはステテコの風である。米軍が撮った写真であるからその後はチャンと食事を供され帰国したであろう。
 原爆投下1ヶ月後に焼け野原となった広島市内を歩くカップル。女性が右手に傘を差している。二人は一体何を話しているのだろう。原爆投下一年後に網フェンスがひしゃげているデパートから焼け野原の広島市街地を眺めるカップル。この頃にはデパートはダンスホールを営業していたらしいので、このカップルはそこを訪れたのではないかと解説されている。この二人も破壊された街を眺めて何を話していたのだろうか。
 アジア太平洋戦争と敗戦を意識し始めたのはいつからだったであろうか。鶴田浩二の出る特攻隊映画や「日本の一番長い日」は見ようと思わなかった。今も、戦争時にこう頑張って生きたとか、情緒のオブラートで包み込む映画は見ることはない。「堕落論」を初めとする坂口安吾などの無頼派や「第三の新人」に触れていた20歳前後の頃に意識し始めたようである。大学を卒業した58年前、広島・長崎を除外した地方都市ではもっとも被害を受けた富山市にある会社に就職し、結婚までの間はよく飲み歩いていた。就職した年のまだ夏になる前だったか、友人と二人でカウンター席にて飲んでいて、敗戦後はある意味ではもっとも希望に満ち、未来の発展への可能性が溢れていた時期ではないかなどと話し合っていた。隣席の30代半ばから40代前半と思える一人飲みの男性が、戦後の悲惨さを知らないからそんな悠長なことを口に出せるんだ、と唐突に怒った。こちらの会話に相当腹立たしくなったらしい。こっちは、歎いているばかりでは何も先に進めないだろう、戦前から変わる可能性は敗戦時に最もあったではないか、というようなことで反駁した。互いに大きな声は出さなかったが短時間議論となった。もしかしたら、敗戦時に一番希望に満ちあふれていたのは焼け野原になった街を歩き、眺めていたカップルたちだったのかもしれない。そう思いたい。

2020年9月11日金曜日

歴史からしばし離れてエッセイ・マンガ・小説

 <渡辺京二 『万象の訪れ わが思索』(弦書房、2013年)>:古くは著者が30歳であった1960年に書かれたものから最近までの約50年余に渡る短文がテーマ毎に101の章で掲載されている。語彙豊かに描かれている「万象」を自分はどれだけ理解できているのか甚だ疑わしいのであるが、少なくともその思考の深さと瑞々しさは以前と同じく変わらずに感じる。
 渡辺は25歳頃から公職の選挙では投票しておらず、その点だけは自分と共通である。投票場に足を向けない理由も似たようなものではある。これからも行く気はない。
 著者の本を読むときは、その内容に批評的な姿勢は持つことがなく、ひたすら書かれている内容について理解吸収しようと思ってしまう。が、結局は自分の思考の浅さ、表現力の低さを認識してしまう。語彙不足も痛烈に認識する。

 <都留泰作 『竜女戦記 2』(平凡社、2020年)>:まだ序盤、先の展開はまったく読めない。

 <足立紳 『それでも俺は、妻としたい』(新潮社、2019年)>:フィクション部分もかなり入っている「ほぼ実録」の私小説。書名の通り「妻としたい」とヤルことばかり考えている「ヒモ状態」の夫と、ある種の可愛さがありダメ出しをする心の広い豪快な妻との物語。笑って読んだ。但し、最後の「妻と笑う」と「エピローグ」は当たり前のどこにでもある状況になってしまい、トーンダウンしたような内容が面白くない。
 左手に缶チューハイ(多分)を持ち、フンという感じで右斜めに眼をやってベランダに立っている女性、その左にはブラジャーなどの洗濯物がぶら下がっている-この表紙の絵はこの本にとって秀逸である。
 著者とその妻は次のURLに登場している。https://www.bookbang.jp/review/article/595675。

2020年9月10日木曜日

戦前の日本に関するテキスト

 <筒井清忠 『戦前日本のポピュリズム』(中公新書、2018年)>:近代日本においてポピュリズム現象が日本に初めて登場したのは日露戦争後の日比谷焼き討ち事件(1905年9月)で、加藤高明政権(1924~1926年)と普通選挙実現(1925年)で本格化し、近衛文麿が空前の人気をとって内閣を成立させ、最後は日米戦争に繋がった。マスメディア(ラジオと新聞)でポピュリズムは展開され、支えたのは天皇シンボル(の利用)であった。結局のところ天皇というシンボルが利用され、何もかもが「天皇」というシンボルのもとで束ねられた。自分はそう解釈している。

 <荻野富士夫 『特高警察』(岩波新書、2012年)>:1911年に特高警察が創設され、敗戦の1945年まで存続し、特高警察の中枢にいた多くは敗戦後の公職追放が解除されてからは主に自民党の衆議院となって政治の側面において治安政策をリードした。身近な存在としては余り認識されないが現代の公安警察はその役割から言えば特高警察の流れの上にある。
 特高警察の大きな役割は「国体護持」であり、活動を支えたのは「治安維持法」。「労働運動死刑法」と呼ばれた治安警察法第十七条も警察にとっては大きな効力を発揮した。単純に戦前の日本を括っているのは「国体護持」であり、それはもちろん「天皇」あってのことだし、戦争での成果に大衆が歓喜したのも基底には「天皇」の存在があった。
 「特高警察」や「治安維持法」には、現在の香港(香港だけではないが)を取り締まる中国の「国家安全維持法」に同じ匂いを感じる。

 <纐纈厚 『侵略戦争 -歴史事実と歴史認識』(ちくま新書、1999年)>:書名からは中国・朝鮮などを対象とした侵略戦争をイメージさせられるが、本書の内容はサブタイトルの「歴史事実と歴史認識」がメインである。まずは「侵略思想の源流を探」り、続けて日本軍の「作戦・用兵の特徴」を論じ、ポツダム宣言受諾をめぐる支配層の思惑は何であったのかと続き、「天皇制軍隊の特質と戦争の実態」を明らかにし、戦前から現在まで続くその連続性と課題を述べている。内容が濃く、改めて勉強させられた。
 8月になると戦争での犠牲が語られることが多い。そして加害者としての行為は殆ど沈黙の中にある。これはよく言われるよう「歴史の「忘却」と「記憶」の問題」であって、すなわち「広島・長崎への原爆投下、シベリア抑留」は記憶するが、「バターン死の行進、南京虐殺事件、シンガポール虐殺事件、マニラ掠奪事件、ベトナム1945年の飢饉・・」は忘却してしまう。そして忘却した深層に入ろうとすると、「米英同罪史観、自衛戦争史観、アジア解放戦争史観、殉国史観、英霊史観」が表に出てくる。

 <辻田真佐憲 『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎文庫、2016年)>:虚偽の報告は虚偽を幾重にも重ねることになり、実態を隠す言葉をも発明し(玉砕・転進)、捏造、沈黙も増える。都合の悪いことは隠し、なき物としてしまい、曖昧な状況を継続させ、そして沈黙する。これは現在の政治・官僚でも繰り返されている。最終的には国民は離れていき、どうにかしたいという意識(戦意や真相追究)は低下する。
 「玉砕」という言葉は戦争中に長い間使われていたと思っていたが、大本営発表ではアッツ島から始ってタラワ・マキンの戦いまでの1年に満たないことであった。「皇軍の神髄」と美談化された「玉砕」をいつ頃から国民は「全滅」と認識するようになったのであろうか。現在でも「玉砕」を美しき散華のように捉えている人は少なくないであろう。その意味では大本営発表の「玉砕」発明の狙いは成功して現在に繋がっているということでもある。

2020年9月2日水曜日

雑記

 シャープのマスク抽選の第1回目に応募していたがずっと当選のメールが来ず、応募したこともすっかり忘れていたら18回目で当選したとのメールが来た。せっかく当選したことだし購入した。マスクはもう十分にある。

 A3スキャナーがやっと届いた。第一の目的は写真アルバムをデジタル化し、現物は破棄することにある。なるべくものを廃棄してしまおうという終活の一環。

 8月のウォーキングは21回(日)で累積129kmの距離、累積消費時間は20時間38分。1日60分をかけて6km強を歩くのは先月とほぼ同じ。この間の体重変化は殆どない-去年の同時期からは1kgほど減ってはいるが。

 飲酒頻度はほぼ一日おきでこれも2017年から変わっていない。今は外で友人と飲みたい気持ちが強いが今年はもう無理だろうし、来年もどうなるか分からない。

 自民党総裁選が毎日のニュースのメインになっているが、チラリと見るだけで、あとは新聞を読んで確認しているだけ。テレビで見るとこの日本の政治笑劇には苛立ちを感じるので見ないようにしている。安倍首相の時代は(夫人も含めて)低レベルの政治として歴史に残る。30年後、50年後の政治史の本を眺めてみたいものではある。否、高レベルの政治って現実に存在しえるものだろうか。

 衝動的にThe Dead SouthとBelinda CarlisleのアルバムCDを購入。また、友川カズキ、Patty Gurdy Buffy Sainte Marieの曲をYouTubeからDL。Petersennsのファミリー+1はYouTubeで見ていると暖かみがあって魅力的。