2020年9月13日日曜日

戦前・戦後のカラー化写真

 <庭田杏珠・渡邉英徳 『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書、2020年)>:モノクロームは真の色彩を表現するというようなことを言ったのは黒澤明だったか、確かにモノクロームの写真には過ぎ去った時間を遡り、また色彩を拡がらせる想像を醸し出させてくれる。一方、カラー化することで平面的な写真は立体的に構築し直され、かつ時空を超えて身近な心象風景を刻みつけてくれる。天皇とマッカーサーが並ぶ有名な写真や、星条旗はためく硫黄島の写真などは何度も見たことがあり感慨もない。日にちが経っても振り返りたい写真が掲載されている頁をスキャンしてPCに保存した。
 カリフォルニア州の日系人収容所で体操する少女、何の屈託もないその表情はその後どのような人生を歩んだのだろう。
 白く覆われた骨箱を胸に抱き6列で呉市内を歩む海軍将校・兵士たち。「特潜十勇士」と賛えられても敗戦後は民衆には距離をあけられたであろうし、そもそも骨箱の中に遺骨があろうはずもない。
 「動く婦人標準服展示会」の幟を掲げ、標準服を着て歩く女性たち、幟を持つ女性だけは少し誇らしげな表情をうかがわせるが、他の(表情が分かる)女性たちはどこかうんざりしているような気がしないでもない。そもそも全国一律に「標準」などと規制することは昔も今も碌な事ではない。
 富士山の上空を飛行するB29は東京を空襲した。日本の象徴の一つである富士山を睥睨するB29は現在の日米関係を表象しているようだ。
 多くの日本の人びとが写真に写っており、その服装はアメリカに居住する日系人のそれと比べてみすぼらしい。何の脈絡もないことではあるが、1959年から始まった北朝鮮帰国事業において在日朝鮮人たちが北朝鮮の地に下船したとき、北朝鮮の人たちは彼ら彼女らの服装を見てそのグレードの高さに驚いた。そんなことがふと脳裏をよぎった。また、空襲され焦土と化した東京を視察する天皇の軍靴がピカピカに磨かれ光っている著名な写真を見るたび、複雑な困惑する感情が湧き出てくる。
 見渡すかぎりに焼け野原となった場所で、ドラム缶風呂に入浴する(多分中年の)男性のにこやかな表情に日本人の逞しさがうかがえる。
 現在も損傷痕を残すミズーリ号に突入する特攻機、その左頁の写真では忠魂碑の台座に寛ぐアメリカ兵たちがいる。アメリカ兵はその碑の意味を理解できていたのは思えないし、もしかしたら彼らのうち何人かはアメリカの地で記念碑の建立に意味づけられたのかもしれない。
 1945年4月といえばまだ沖縄戦の真っ只中である。その状況下にて米兵が後方から眺める中で、捕虜となった日本兵と従軍看護師が結婚式を挙げている。二人の後には立会を勤めているのか下駄を履いた女性が一人立っている。二人の、結婚式の前とその後の物語を知りたくなる。
 爆撃を受けた高島屋を後方にカボチャの種を蒔く学徒動員生。何を考えていたのだろうか。3ヶ月後の敗戦を想像していたのであろうか。負けるとはこのように繁華街の地に食料の種を蒔くことである。
 富士山が遠くにあり、手前には相模湾に浮かぶ戦艦ミズーリ。北斎の「神奈川沖浪裏」にある高浪の代わりにミズーリの船首があるような構図となっている(かなり無理はあるが)。
 敗戦の9月にマーシャル諸島で撮影された4人の兵士。頭には律儀にも海軍のキャップ、上半身は裸であばら骨をさらけ出し、腕は細く、下半身は貧弱なズボンまたはステテコの風である。米軍が撮った写真であるからその後はチャンと食事を供され帰国したであろう。
 原爆投下1ヶ月後に焼け野原となった広島市内を歩くカップル。女性が右手に傘を差している。二人は一体何を話しているのだろう。原爆投下一年後に網フェンスがひしゃげているデパートから焼け野原の広島市街地を眺めるカップル。この頃にはデパートはダンスホールを営業していたらしいので、このカップルはそこを訪れたのではないかと解説されている。この二人も破壊された街を眺めて何を話していたのだろうか。
 アジア太平洋戦争と敗戦を意識し始めたのはいつからだったであろうか。鶴田浩二の出る特攻隊映画や「日本の一番長い日」は見ようと思わなかった。今も、戦争時にこう頑張って生きたとか、情緒のオブラートで包み込む映画は見ることはない。「堕落論」を初めとする坂口安吾などの無頼派や「第三の新人」に触れていた20歳前後の頃に意識し始めたようである。大学を卒業した58年前、広島・長崎を除外した地方都市ではもっとも被害を受けた富山市にある会社に就職し、結婚までの間はよく飲み歩いていた。就職した年のまだ夏になる前だったか、友人と二人でカウンター席にて飲んでいて、敗戦後はある意味ではもっとも希望に満ち、未来の発展への可能性が溢れていた時期ではないかなどと話し合っていた。隣席の30代半ばから40代前半と思える一人飲みの男性が、戦後の悲惨さを知らないからそんな悠長なことを口に出せるんだ、と唐突に怒った。こちらの会話に相当腹立たしくなったらしい。こっちは、歎いているばかりでは何も先に進めないだろう、戦前から変わる可能性は敗戦時に最もあったではないか、というようなことで反駁した。互いに大きな声は出さなかったが短時間議論となった。もしかしたら、敗戦時に一番希望に満ちあふれていたのは焼け野原になった街を歩き、眺めていたカップルたちだったのかもしれない。そう思いたい。

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