2019年11月30日土曜日

安易なミステリー、ルシア=ベルリン

 黄斑変性症の再診。様子見で来年4月頃にまた診ることになる。視力低下などの症状悪化があれば手術することになる。診察室は暗く、髪の長い女医さんはマスクをしていたが、多分美人であったと思う。「老化による」と冠が付せられるような症状には悔しさもあるがこれだけは不可避なことでやむを得ない。
 人生の終盤に向けての色々な整理しなければならないことが、意識の底に沈殿し始めている。

 <山邑圭 『刑事に向かない女』(角川文庫、2019年)>:体のいい、安易な2時間ミステリー劇場の人物配置とストーリー構成といったところ。

 <ルシア=ベルリン 『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』(講談社、2019年)>:触れると火傷をしそうな、あるいは日焼けして赤く水ぶくれを起こしそうな皮膚感覚、初めて入り込んだ小説空間で刺激的。解説にあるように、「ルシア・ベルリンの小説は帯電している。むきだしの電線のように、触れるとビリッ、パチッとくる」、それがぴったり当てはまる。著者の実生活から描かれているであろう短編小説集。鉱山町、アメリカ、南米、アル中、むき出しの感情、人種。雑然としていて汚れていて、底辺層の生活空間があり、ざらざらして重い暑さを感じる。子どもをひっぱたき、親に疎んじられ、かつてドキュメンタリーで見た南米の貧しい生活圏での人びとの日々を思い出させた。しかし、悲惨ではない。日々の生活と闘うでもなく、いがみ合う訳でもなく、流れて日々を過ごす。小難しい哲学も政治も世間への同調もなく、強いられる秩序もなく、目の前の現実の生活がある。人生を語ることもなく、情愛に溺れることもなく、人にすがることもなく、もちろん世間におもねることもない。いい小説に巡りあった。

2019年11月25日月曜日

小説2冊、酒がうまくない

 <佐藤正午 『月の満ち欠け』(岩波文庫、2019年、初刊2017年)>:一人の女、瑠璃が月の満ち欠けのように繰り返し男3人たちを照らし、あるいは消える。途中で読むのが苦痛になる。要は全く好みでないし、小説構成も好きでない。つまらない小説。一人の女が非現実的に現れ、それぞれの男たちの人生に絡む。何が愛なのか、これが愛なのか、男たちの空虚な人生。
 ふと思った。「月」は「lunatic」、もしかしたら「月の満ち欠け」に人間の狂気の満ち欠けをメタファーしているのか、と。本書を最後まで読んでいないので、どこかにそれらしき表現があるのかもしれないし、ほかの誰かも同じような感じ方をした人がいるのかもしれない。本読まずの読者の単なる妄想かもしれない。

 <ジュンパ=ラヒリ 『わたしのいるところ』(新潮社クレストブックス、2019年)>:孤独の中で「わたし」をみつめる。長編小説とうたっているが、個々に繋がりのない46篇の掌編エッセイという感。街中で、バールで、友人たちとの交流のなかで、独白的に自分を見つめる。感じるのは静謐の中での孤独-寂寥や孤立の孤独ではない-。無謀にも、このような日常にある(あった)刻を切り取って、そこにある(あった)自分を見つめてみたいという衝動に駆られる。
 ジュンパ=ラヒリ、かの名作『停電の夜に』以来、11年ぶりに読んだ。

 一昨日、昨日と飲んだワインもウィスキーも何故かうまいという感じがしなかった。で、今日は好物を肴にしてビールと山形の日本酒を飲んでみたが、なぜなんだろう美味しく感じられない。多分、風邪がまだ少し続いているからその所為であろう。どうしようもなく酒が不味い、飲めないことが1-2年に1-2回ほどはある-「酒は健康・体調のバロメータ」である。「今日も元気だ○○がうまい」と心底感じるときが最も健康で幸福なときであろう。それが刹那的ではなく持続すればいうことなし。

2019年11月23日土曜日

続く風邪、10日振りの酒精、早慶戦、小説3冊

 風邪というのか、まだ喉の違和感や咳は続いている。病院で処方された薬もなくなり、龍角散・浅田飴を試すが、龍角散がもっとも効果的。ただし、服用するときに時折白い粉を飛ばしてしまうのが癖になっていていただけない。

 ラグビー観戦時に久しぶりにアルコールを飲む。実にほぼ10日振り。しかし、「うまい!」という感じにならないのは間を空けすぎたせいなのか、体調不良なのか、甲州白ワインだったせいなのか、よくわからない。

 関東大学ラグビー対抗戦。早稲田の敗戦はまったく予想しておらず、当然の如く勝利したが、スッキリしないもたついた内容であり、且つ結果だった(17/3T1G-10/1T1G1PG)。雨だったので、慶明戦のようなスコア(3-40)は難しいとは思ったが、快勝と言うにはほど遠い内容だった。慶応のフェーズを重ねる攻撃には良くディフェンスしていたと思う。雨のせいであろうハンドリング・エラーが気になった。慶応はこれで大学選手権出場は実質的に消滅した。21年振りらしい。1年生が多いので来季以降のチームであろう、栗原ヘッドコーチは終わりかな。
 高校ラグビー/花園の出場校が出そろった。東北では青森山田が初出場でフレッシュ。関東では浦和高校が3回目。埼玉県の決勝が浦和vs川越東と両校進学校であるのが興味深い。早実は決勝で零敗。学院は最近上位に出てこない。地方予選決勝で、石見智翠館と出雲が130-0、佐賀工業と鳥栖工業が209-0。決勝といっても参加校は2校しかないので寂しい限り-参加校が少ないのは両県だけではないが-。花園開幕までJSportsオンデマンドで主な地方予選決勝を観戦するのが楽しみとなる。

 <誉田哲也 『背中の蜘蛛』(双葉社、2019年)>ある雑誌を買いに行き、ついでに久しぶりに書店内をぶらつき衝動買い。
 ネット監視システムでの防諜、平たく言えば国家警察による盗聴監視システム構築のなかで起きた犯罪解明。捩れた捜査と、それに翻弄されながらも警察内部のタレコミをあばき犯人逮捕へと結びつけていく。

 <ベルンハルト・シュリンク 『朗読者』(新潮社クレストブックス、2000年)>:15歳の少年ミヒャエルが経験した初めての恋愛、少年に寄り添い奔放とも思える21歳年長のハンナ。愛を交わし、ベッドで少年は本を朗読する。ハンナは朗読してくれる少年を「坊や」と呼ぶが、突然に失踪してしまう。ミヒャエルがハンナに再会するのは、ハンナがナチ強制収容所の戦犯として法廷に立つ裁判所であった。ハンナが突然に失踪したのは、電車の車掌から昇進になるときであり、ジーメンスに転職してからさらに強制収容所に移ったのも彼女は読み書きができなかったからであった。要は、自分の名をサインする以外の読み書きを求められる立場に押し上げられることを忌避するがためであった。文盲であるが故にハンナは裁判の事前書類を読んで準備するることもできなかった。彼女は頑に文盲であることを隠し続ける。「彼女は裁判で闘っていただけでなく常に闘ってきた」、「何ができるかを見せるためでなく、何ができないかを隠すために」。
 重い量刑を科せられ、刑務所にいるハンナにミヒャエルはカセットテープを介して朗読を続ける。そして彼女はテープに録音されたものと同じ本を対照させながら読み書きを覚え始める。字を読む能力を身につけた彼女はミヒャエルからの手紙を待ち続けるが、ミヒャエルはカセットテープだけを送り続ける。ミヒャエルは、老いた彼女が出所後に住むべきアパートも仕事も準備するも、ハンナは出所直前に自殺してしまう。
 ミヒャエルは結婚するも離婚し、数々の女性と関係を持つも続かない。その後背にはハンナの存在がある。彼女との交わり、匂い、柔らかさ、肌などと対照してしまう。文盲であることのハンナの苦悩と彼女の世界。歴史の中での長い年月。15歳の少年が包み込まれる、二人の柔らかな恋愛。一人称で緻密な内面描写。ハンナが文盲である原因は一切書かれないが、恐らくは貧しさからであろう。想像するしかない彼女の辛苦と、隠すことで辛うじて守れる彼女の自立的生活、朗読してもらうことで得る世界への広がりと、刑務所で開こうとする希望への扉。その彼女の人生に対するミヒャエルの戸惑いと葛藤。・・・一度しかなく、振り返っても取り返すことのできない人生、抗うことのできない社会と個々の営み、これらを含めて運命とでもいうしかないのであろうか。
 映画「愛を読む人」(なんと安易なタイトルか)をかつてテレビで観たときは大きな感動の記憶はなかったが、小説を読んだとき、文章は映像を超え、感動した。終盤のハンナの刑務所内の描写では涙が出てきた。素晴らしい小説。もう一度映画を観てみようと思いDVDを発注した。どのように鑑賞する自分がいるのか、それも興味あることである。

 <クッツェー 『恥辱』(ハヤカワepi文庫、2007年、初刊2000年)>:1999年ブッカー賞。舞台は南アフリカ。「恥辱」は、大学での生徒と関係を持った大学教授が味わっている恥辱であり、彼の最初の妻との間の娘が襲われ妊娠して味わっている(と彼が考えている)恥辱である。
 南アフリカを舞台とする小説は初めて。大学教授が大学を去って娘のところに居を移してからの情景は初めて感じるものであった。町から遠く離れた住居と農園、アフリカ人との微妙な関係、暴力性云々。

2019年11月22日金曜日

本2冊

 <鹿島茂 『SとM』(幻冬舎新書、2008年)>:風俗的世界のSMを描いたものではない。(西欧的)SMの起源をキリスト教に求め、SMを文化的側面で論じる。西欧のSMと日本のSMの相異-鞭と縄、苦痛と恥など、なるほどと頷かされることも多い。少なくとも「ほんとうのSMには挿入は必要がな」く、「SMはセックスの中の一ジャンルではない」そうである。著者の見解がなんとも的を射ているような気がする、即ち、パラドックス的にいえば、「日本人にとって、最大の苦痛は、自由を与えられること」で、「日本人というのは、西洋人と違って、苦痛を介して神に出会うということはなくて、自由の拘束を介して共同幻想に至る、そう結論していいのかもしれませんね」と。

 <永野護 『敗戦真相記』(パジリコ、2012年、初刊2002年)>:「予告されていた平成日本の没落」とあるがこれをサブに付す意味が分からない。
 著者は有名な「政商」として戦前の番町会に名を連ねており、戦後は公職追放となり、出所後の岸信介を会長とする東洋パルプを設立し、1956年には参議院議員に当選。戦前戦後に衆議院議員を2期務めたこととなる。戦前は翼賛政治会・翼壮議員同志会に、戦後は自由党・自由民主党に所属し、岸信介の指南役ともいわれ第2次岸内閣の運輸大臣に就任した。大臣就任早々、日本社会党から不信任案を突き付けられたという逸話も残る。以上はwikipediaより引用してまとめた。
 2002年になってこの本を出す意味が分からない。結果に接して過去をあるいはその原因を解説・評論するのはいいでしょうけれど、あなたはその時は何を目的に何をしていたのでしょうか、そして敗戦の原因に「人物がいなかった」「江戸の武士道を踏まえない、明治の教育が悪かった」「情報に疎かった」「海軍と陸軍が連携していない」「自己本位の自給自足」「マネージメントの差」などなどと表層的な事象を解説しているが、真に考えねばならないのは何故にそうなったのか、だからそれをどう改めて日本というシステムを見直さねばならぬのか、というような事だと思うが、それらにはまず言及していない。
 本書の価値は、戦前戦後に政治に参画し、戦前は政商とも言われた、要は政財界の中枢にあった人物が敗戦直後の昭和20年9月に広島で講演し、自省のない己を高みに置いて評論家風に戦争の開始原因や敗戦自由を述べているという事実だけである。

直近の2週間

 ここ2週間の経過を備忘録的に記しておく。

 8日に成田を発って、総勢6名でホーチミンへ向かう。4年前の6月に次いでベトナムは2回目。ハノイの時ほどには高温ではないが蒸していることには変わりない。機中で新書を一冊読了。翌9日はホーチミン市内観光。何もかもが雑然とこぢんまりとしている感がある。この日の昼食で既に春巻きとフォーに倦きてくる。物価の安さに驚くが、それだけ人々の収入も低いということにほかならない。10日はカンザー国立公園にてマングローブ林観光。展望台から眺める景観は壮観であるが、かつては米軍の攻撃によって裸同然に枯れていた。その記録写真を見ると複雑な思いがする。サイゴン川のディナークルーズ、料理は横に措いて夜景は奇麗であった。
 ホテルに帰ってから早稲田vs帝京の結果を確認。辛勝ではあるが早稲田が9年ぶりに帝京に勝利。ベッドの上で小さくガッツポーズ。帰国後に早く録画を見たくなる。
 11日はクチの観光。生憎の雨ではあるが然程強い雨ではなく助かる。地下道は狭く、南ベトナム解放民族戦線、よくぞ戦えり、という思いもある。20代と思しきベトナムのガイドの男性が「ベトコン」と口に出していたことに違和感を覚えた。「ベトコン」って、自由主義陣営からみた蔑称だと思っていたが、いまはそんなことではなくなったのか。あるいは誤解だったのか。昼食兼夕食で日本のチェーン店である寿司店にはいる。美味この上なし。30歳の長身の店員さんが素敵だった。もう一度写真を見るとやはりカワイイ。今後どのような人生を刻んでいくのであろうか。12日帰国。

 12日、夜より体調がおかしい。風邪を引いたようだ。この日より殆ど寝込んでしまう。病院に行こうと動けるようになったのが15日になってから。車に乗るのを避ける。連れ合いはタクシーを呼ぼうとするも外で拾えばいいやと家を出る。しかし、タクシー数台には無視され、結局ふらふら歩きながら市立医療センターまで歩く。歩くのがこんなに辛いとは予想していなかった。春の人間ドックの結果も持っていき、風邪薬と他の治療薬を処方してもらい、タクシーで帰宅。この日も早めにベッドに入る。
 16日、今度は連れ合いも風邪で寝込んでしまう。動かずに食事も細くなり、ホーチミンに行く前より2kg体重が減っている。喜ばしいことではあるが、風邪がなかなか治らない。『朗読者』を読了。傑作。ついつい映画の『愛を読むひと』を発注。
 17日、二人とも風邪であることは変化なく、連れ合いはほぼベッドに横になっている。自分はといえば何もする気力がなく、録画してある映画三昧。好きな笛木優子さん(当時は夕子)『新・雪国』を観るも、駄作も駄作。笛木さんの演技も良くなければ、映画の構成もひどいし、ストーリーそのものも最低のレベル。よくぞこんなできの悪い映画を公開したものではある。
 18日、高校同窓会の新年会案内を発信。よくなったと思った咳の状態が前日より悪化。久しぶりにTSUTAYAに雑誌を買いに行く。ミステリーを衝動買い。
 19・20日と録画を見たり、衝動買いしたミステリーを読んだりでその日が終わる。何日になったら体調が回復するのだろう。
 21日、久しぶりにちょいと歩数を重ねる。駅前の銀行までの往復。疲れはしないから少しは動いた方がいいのかもしれない。帰国した日の夕方にビール500cc飲んだ以降、アルコールを全く飲んでいない。今年になって2番目の長期断酒。

2019年11月6日水曜日

「酒」と「酔」の文庫・新書

 <重金敦之 『ほろ酔い文学事典』(朝日新書、2014年)>:作家が描いた酒の情景。ビール・ウィスキー・ワイン・スピリッツ(ハードリカー)・カクテルとリキュール・紹興酒・日本酒と章が立てられているが、ワインに最も多くの頁が割かれている(94頁で全章の37%)。ワインはそれだけ多くの人に飲まれ、よって多くの作家が飲み、呑まれ、文学と化したのであろう。本書を読んで諸処に書かれ、初めて知る薀蓄やエピソードにはその都度頷く。この手の本の楽しみはそこにある。例えば、「多くの人は年数の多いほどシングル・モルトはうまいと思いがちだ。でもそんなことはない。年月が得るものもあり、年月が失うものもある。エヴァポレーション(蒸発)が加えるものもあり、引くものもある。それはただ個性の違いに過ぎない」(ラフロイグの蒸留所のマネージャーが村上春樹にそういった。『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』)。「年月が得るものもあり、年月が失うものもある」、いい言葉だ。
 知らないカクテルや酒のつまみを試してみよう。薄切りした大根orラディッシュに塩を振ってビールのつまみ、ビールには生味噌も合うらしい。「レッドアイ」(トマトジュースにビール)や「スプリッツァー」(またの名を「貧乏人のシャンパン」)、「Death in the Afternoon」(午後の死、ヘミングウェイ・カクテル)もやってみたい。
 最後にもう一つ。「生きることは、滅びに近づいていることだ。美酒への欲望も女性への欲望も、同じ延長線上をたどっていく」(そのままの引用ではない)。開高健は短編小説「ロマネ・コンティ・一九三五年」で描いた。己の人生は、少なくとも、幸か不幸か、「美酒」や「女性」について滅びの延長線上をたどっていない。

 <飯野亮一 『居酒屋の誕生』(ちくま学芸文庫、2014年)>:表紙には「江戸の呑みだおれ文化」。江戸にタイムスリップし、床几に腰掛け、街並みと人の行き交いを眺めながら、尻の橫に置かれた角盆の上の肴をつまみながら酒を飲んでみたいものだ。
 居酒屋でテーブルor食卓に置かれた肴に箸を向け、徳利の首を摘まんで酒を飲むという、時代劇でのこのあり得ないシーンがいつか改められるのを待ってテレビを眺めるのもまた一興であろう。

2019年11月5日火曜日

ラグビー、筑波と慶応の敗戦

 RWCが閉幕し大学ラグビーが再開。

 帝京が最後の最後にスクラムからサインプレイを華麗に展開し、14番が同点トライ。筑波は帝京の左から右へのパス展開に追いつけずに14番をフリーにしてしまった。コンバージョンで逆転しノーサイド(24-22)。筑波がもうちょっとスクラムで圧力をかけられれば、と思うと全く惜しい敗戦であった。
 同時刻に試合をしていた慶応vs日体大。慶応が前半35分ほどまで17-0までリードし、後半になっても一時は27-12まで差を広げ、残り5分ほどまでは27-18。まさか慶応が負けるとは思いもしなかった。しかし残り5分ほどの間に日体大の2T1Gで逆転され27-30で敗戦し2敗目となった。慶応は筑波戦でも最後の最後に逆転されてノーサイド、今回も逆転されてコンバージョン・キックでノーサイド。今回は相手陣内10m付近からフェーズを重ねられての逆転トライ。ありきたりの言葉で言えば、慶応は勝利に向かっているときに詰めが甘い、集中力がなくなる、だからディフェンスが甘くなる、といったところであろう。慶応初の留学生の効果もなかったのか。試合全般を通して両校とも雑な攻防と感じた。
 筑波(現在1勝3敗)の残り試合の対戦相手は青学・日体・成蹊で、一方慶応(現在2勝2敗)は帝京・早稲田・明治。慶応の大学選手権出場はまずあり得ないと思う。栗原HCの来季継続はあるのかな。

 一方、我が早稲田は成蹊大相手に120(18T15G)-0。久しぶりの100点超えは措いて零封が嬉しい。トライを決められそうになったのは1回のみで、それもインゴールでの防禦であったがグラウンディングさせずに凌いだ。SH小西、FB松下、吉村(左CTBと交替)のプレイを初めて観たが、時間が短く吉村の動きはよく確認できない。Man Of the Matchは6番の1年相良。梅津がFBに入り、久しぶりに動く姿を追いかけた。同じく東北出身の三浦はメンバーから外れた。SH斎藤、SO岸岡はうまい。桑山の故障は大したことがなければいいが。成蹊大キックオフのキャッチングがうまくいっておらず課題。

 法政は、残っている対戦が東海・大東文化・流経で大学選手権出場の可能性は殆どない。

 RWC、南アの優勝で閉幕。イングランドとの決勝は終始南アのペースで、南アのFWの強さがイングランドを圧倒した。プレース・キックの精度の高さ、FWの強さの重要性がまざまざと見せつけられた。決勝を見る限り日本はイングランドとも互角に戦えるであろうと思う。