2019年11月22日金曜日

本2冊

 <鹿島茂 『SとM』(幻冬舎新書、2008年)>:風俗的世界のSMを描いたものではない。(西欧的)SMの起源をキリスト教に求め、SMを文化的側面で論じる。西欧のSMと日本のSMの相異-鞭と縄、苦痛と恥など、なるほどと頷かされることも多い。少なくとも「ほんとうのSMには挿入は必要がな」く、「SMはセックスの中の一ジャンルではない」そうである。著者の見解がなんとも的を射ているような気がする、即ち、パラドックス的にいえば、「日本人にとって、最大の苦痛は、自由を与えられること」で、「日本人というのは、西洋人と違って、苦痛を介して神に出会うということはなくて、自由の拘束を介して共同幻想に至る、そう結論していいのかもしれませんね」と。

 <永野護 『敗戦真相記』(パジリコ、2012年、初刊2002年)>:「予告されていた平成日本の没落」とあるがこれをサブに付す意味が分からない。
 著者は有名な「政商」として戦前の番町会に名を連ねており、戦後は公職追放となり、出所後の岸信介を会長とする東洋パルプを設立し、1956年には参議院議員に当選。戦前戦後に衆議院議員を2期務めたこととなる。戦前は翼賛政治会・翼壮議員同志会に、戦後は自由党・自由民主党に所属し、岸信介の指南役ともいわれ第2次岸内閣の運輸大臣に就任した。大臣就任早々、日本社会党から不信任案を突き付けられたという逸話も残る。以上はwikipediaより引用してまとめた。
 2002年になってこの本を出す意味が分からない。結果に接して過去をあるいはその原因を解説・評論するのはいいでしょうけれど、あなたはその時は何を目的に何をしていたのでしょうか、そして敗戦の原因に「人物がいなかった」「江戸の武士道を踏まえない、明治の教育が悪かった」「情報に疎かった」「海軍と陸軍が連携していない」「自己本位の自給自足」「マネージメントの差」などなどと表層的な事象を解説しているが、真に考えねばならないのは何故にそうなったのか、だからそれをどう改めて日本というシステムを見直さねばならぬのか、というような事だと思うが、それらにはまず言及していない。
 本書の価値は、戦前戦後に政治に参画し、戦前は政商とも言われた、要は政財界の中枢にあった人物が敗戦直後の昭和20年9月に広島で講演し、自省のない己を高みに置いて評論家風に戦争の開始原因や敗戦自由を述べているという事実だけである。

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