2019年11月6日水曜日

「酒」と「酔」の文庫・新書

 <重金敦之 『ほろ酔い文学事典』(朝日新書、2014年)>:作家が描いた酒の情景。ビール・ウィスキー・ワイン・スピリッツ(ハードリカー)・カクテルとリキュール・紹興酒・日本酒と章が立てられているが、ワインに最も多くの頁が割かれている(94頁で全章の37%)。ワインはそれだけ多くの人に飲まれ、よって多くの作家が飲み、呑まれ、文学と化したのであろう。本書を読んで諸処に書かれ、初めて知る薀蓄やエピソードにはその都度頷く。この手の本の楽しみはそこにある。例えば、「多くの人は年数の多いほどシングル・モルトはうまいと思いがちだ。でもそんなことはない。年月が得るものもあり、年月が失うものもある。エヴァポレーション(蒸発)が加えるものもあり、引くものもある。それはただ個性の違いに過ぎない」(ラフロイグの蒸留所のマネージャーが村上春樹にそういった。『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』)。「年月が得るものもあり、年月が失うものもある」、いい言葉だ。
 知らないカクテルや酒のつまみを試してみよう。薄切りした大根orラディッシュに塩を振ってビールのつまみ、ビールには生味噌も合うらしい。「レッドアイ」(トマトジュースにビール)や「スプリッツァー」(またの名を「貧乏人のシャンパン」)、「Death in the Afternoon」(午後の死、ヘミングウェイ・カクテル)もやってみたい。
 最後にもう一つ。「生きることは、滅びに近づいていることだ。美酒への欲望も女性への欲望も、同じ延長線上をたどっていく」(そのままの引用ではない)。開高健は短編小説「ロマネ・コンティ・一九三五年」で描いた。己の人生は、少なくとも、幸か不幸か、「美酒」や「女性」について滅びの延長線上をたどっていない。

 <飯野亮一 『居酒屋の誕生』(ちくま学芸文庫、2014年)>:表紙には「江戸の呑みだおれ文化」。江戸にタイムスリップし、床几に腰掛け、街並みと人の行き交いを眺めながら、尻の橫に置かれた角盆の上の肴をつまみながら酒を飲んでみたいものだ。
 居酒屋でテーブルor食卓に置かれた肴に箸を向け、徳利の首を摘まんで酒を飲むという、時代劇でのこのあり得ないシーンがいつか改められるのを待ってテレビを眺めるのもまた一興であろう。

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