2017年7月29日土曜日

ミステリーと官能小説

 今週の読書は小説に特化している。

 <真保裕一 『暗闇のアリア』(角川書店、2017年)>:書名と物語の内容が合わない。あえて解釈すれば、「暗闇」は殺人者が育った環境、あるいは事件を闇の中に封じ込めようとする警察・外務省官僚を意味し、「アリア」は殺人者たちの抱く怒りや復讐の詠歌なのか、はたまた物語の発端となる官僚の妻の執念の声なのか。
 警察庁、警視庁、県警、外務省、ODA、暴力団、被害者の妻、被害者の愛人、等々が登場し、場所は東京、神奈川、栃木、アフリカ、パリと行き来する。時代も10年以上を行きつ戻りつする。自殺を装った殺人。一気に読んでしまわないとストーリーについて行けなくなる。
 作者の文章が読みにくくなった気がする。期待したほどには楽しめなかった。

 <花房観音 『花びらめぐり』(新潮文庫、2016年)>:著者の名前からしても、また書名からしても直ぐに官能小説であることはわかる。「近代文学を代表する文豪たちが書いた名作を元に」、作家「の妄想をくわえて官能小説にしたものを集めた」短編集で、「藪の中の情事」「片腕の恋人」「卍の女」「それからのこと」「仮面の記憶」から成る。男と女だけではなく、当然のごとく「卍・・」では女と女であり、「仮面・・」では男と男である。「妄想」もここまで徹底されればもう敬服する。著者のTwitterを初めて見たら、「源氏物語官能シリーズ」や「半乳捕物帖」もあるらしい、後者は笑える。バスガイドでもある彼女の案内で京都巡りをやってみたいが、普通のガイドでしかないかな。

2017年7月25日火曜日

小説2冊

 春日部のショッピングモール内の本屋である雑誌を探したが、なかった。そしてここには岩波書店の刊行物はまったくおいていない。返品がきかないからであろうと確認したらそうです、注文されると取り寄せますと言う。注文して届くまで日にちを要し、またその書店まで受け取りに行かねばならない。そんなことはするわけがない、ネットで買えばすぐに配送してくれる。これでまたネットで買う比率が高くなってしまう。それに比較的大きな書店でもいわゆる売れ筋のものしか置かなくなってきている。つまらない、文化の衰退ではなかろうかと思う。
 この書店の新書コーナーにいたらうるさい声が聞こえてきた。「だからお前はバカなんだよ」「だからそんなことしか言えないからバカなんだよ」と、新書の新刊棚で本を探しながら男性がスマホで何度も大きな声で「バカ」を繰り返している。でかい声で「バカ」と繰り返すお前がバカなんだよと思いながらチラリと目を向けたら、60代と思しき人だった。最近、政界だけでなく全般的にバカが増えてきている気がする。

 <長谷川卓 『雪のこし屋橋 新・戻り舟同心②』(祥伝社文庫、2017年>:連作短編集という趣であるが、やはり通しで読むべきであろう。レギュラーで登場する皆の会話が楽しめる。女性陣(隼に真夏)をもう少し前に出してほしいが、代わりに(?)伊都の軽やかさが好ましい。
 鈴木英治は読まなくなって久しく、佐伯泰英は「居眠り磐音」シリーズだけで卒業し、葉室麟には手を出さなくなり(作風に倦きた)、藤沢周平も全く読まなくなった。いま、時代小説ではほぼ長谷川卓・志水辰夫だけとなった。永井義男の新刊が出ればすぐに読むのだが小説が発刊されない。まあ、馬齢を重ねれば倦きも生じてくる。

 <チャールズ・ブコウスキー 『町でいちばんの美女』(新潮文庫、1998年)>:30編の短編集。酒、女(男も)、自堕落、破天荒、放蕩、ギャンブル、卑猥、下品、・・どう表現していいのかわからないが、すべてが当てはまる。既設のレールの上に乗っからない人たちは共感を得て魅力的であろうし、そのレールに乗っている人たちには脱線願望を膨らましてくれる。オリジナルからの翻訳は相当に難しいであろうと想像できるし、一方ではオリジナルにある世界が日本語でどれくらい表現できているのか疑問も湧く。アメリカ人が味わうことを日本語ではかなり不足してしまっているであろうと思う。翻訳している青野聰のあと書きからもそれがうかがえる。
 日本でのタイトルは本書の最初にある短編のタイトルからきていて、『町でいちばんの美女』(「The Most Beautiful Woman in Town & Other Stories」)であるが、アメリカでのオリジナルの書名は『Erections, Ejaculations, Exhibitions, and General Tales of Ordinary Madness』である。このオリジナル書名の方が適切である。

2017年7月23日日曜日

雑記

 会津高校は(やはり)聖光学院に負けた、しかも7回0-8のコールド。その聖光学院は11連覇。息子の出た高校は東東京ベスト16で敗退し、娘の高校は2回戦で姿を消している。
 富山県の不二越工は準決勝に進んでいる。富山県生まれを極力採用しないと会長が言った不二越の、不二越工のほとんどは富山県出身者であろう。この学校のすぐ近くの社宅に4年ほど住んでいた。
 今月初めにすぐ近くをバスで通った早稲田佐賀が初優勝。早稲田実業にも甲子園に出てきてほしい。

 19日(水)は梅島で痛飲。久々に電車を乗り越してしまい東武動物公園からタクシーで帰宅。翌20日はどこにも出かけずに友人から依頼されたミュージック・プレイヤーの修理。破壊してしまうことを恐れたが無事に修復できた。自分のものを直すより緊張する。

 21日は8月で閉店するアピタの小さな書店まで、翌22日は春日部駅前の書店までウォーキングを兼ねて往復。結局2日で新刊を合計5冊購入してしまった。
 22日、書店のレジで並んでいたら斜め前の小学5-6年生の女の子がこちらの手元の本に視線が動き、こっちの顔を見たりしていた。何だろうと思っていたら、オレの手元にある1冊は週刊現代別冊『鷲尾老人コレクション』があり、その裏表紙には女性の裸の上半身が載っている。その如何わしい雰囲気の雑誌に気をとられたらしい。これから世界が拡がるだろう、正しい道を歩んでくれ。

 <原泰久 『キングダム47』(集英社、2017年)>:秦が趙に大規模な攻撃。李牧が守る邯鄲が陥落するまでの前段の物語。紀元前229年、嬴政(趙政/趙正)31歳の時代である。

2017年7月17日月曜日

読書メモ

 <黒川みどり・藤野豊 『差別の日本近現代史 包摂と排除のはざまで』(岩波現代全書、2015年)>:差別に関して雑多の本を読んできたが、「差別という観点からその時代、その社会をとらえなおそうとしてみるという」本書で一旦しめ括っておこうと思い、手に取った。
 差別がこの世から消え去ることはない。それは、人間は自らの立つ位置を相対性のなかでしか確認できないからであり、差別することは本質的な心情であると思っているからである。人種・貧富・居住地・容貌・学力・地域・疾病・障害・性差・職業・・・と差別する側の視点はいつでもどこにでも設定される。そしてまた、差別される側にも差別する視点はある。それは被差別A集団が被差別B集団に対して同じ「差別」と捉えることに異を唱え、中央から差別される地域の中でも本島側が離島側を差別するなどに見られる。一つの集落でも上・下、高い・低いで差別される。
 差別はいけないことです、差別をなくしましょう、などという抽象的スローガンを打ち出すのではなく、誰しもが差別してしまうことを教え、そして差別された際の対応の術などを明示することが必要なのではないかと思う。差別をいじめと置き換えてもいい。あってはいけないと心情的に思っていることが実際に起きてしまうと、それを認めたくないものだからないものと覆い隠そうとしてしまう。あるということを前提にすれば差別の実態に目を向け、制度的対応やアジ-ルのあり方などにもより近づくのではないかと思う。
 「内と外の論理=思考形式というものが、日本人の相手同士にある。閥とか閉鎖的集団とか、内の人間と外の人間」を「断ち切らねば連帯の生まれようがない」、この丸山真男の指摘がストンと腑に落ちる。そして自分なりに考えれば、自分自身が依存先(内なる共同対)を求めるのではなく、「個」としての自立を求め、自律を意識する。誰しもが持っている差別への抵抗は「個」として自立するなかで自律を求めるしかないのではと思っている。ネットでの安易な「イイネ」も短絡的「同調」「攻撃」も、心に「内なる共同対」(依存するムラ)を求めているだけではないかと思っている。

 <原泰久 『キングダム46』(集英社、2017年)>:王翦・楊端和・羌瘣、それに飛信隊が斜陽の趙を守る李牧への攻撃準備に入る。

 <井上勝生 『シリーズ日本近現代史① 幕末・維新』(岩波新書、2006年)>
 <井上勝生 『日本の歴史18 開国と幕末変革』(講談社学術文庫、2009年初刊2002年)>:少しはテーマを絞り込んで積んである本を読んでいこう。集中連続してそのテーマに関する本を読むのではなく、横道に入って小説や漫画を手にしても、戻るべきメイン通りには名前をつけておくことである。つい最近では「差別」に関する本を読んでいた。次は「幕末・明治維新」におこうと思った。それらの本を10冊ばかり引っ張り出して積んで書名を眺めていたら、まずはその時期の歴史全般をよく知っていないと感じた。なんとか事件とか事変とかの名称は知っているが、それがその時代の連続性あるイメージとして鮮やかに浮かんでこない。復習の意味も込めて一旦は通史としての「幕末・維新」史に目を通しておこう思った。2冊とも大学通教をやっていたときにテキストとしていたもので、両者ともあちらこちらに線を入れてある。しかし、その線を引いた箇所・ページを見ても自分の記憶力と知識が呆れるほどに浅いものであることを痛感する。しかも2冊の著者が同一であったことも覚えていなかった。
 世にいわれるほど明治を有り難がってはいないし、ある意味明治維新から明治20年代でこの日本がミスリードされたとも思っている。明治維新という画期がなく、徳川がまだ続いていたらどうなっていただろうか徳川政権で近代化がなされたらどうなっていただろうか、なんてつい思ってしまう。

サンウルブズ勝つ

 スーパーラグビーでサンウルブズがNZブルースに勝った。テレビ観戦はじまりでは、どうせ負けるだろう、大敗かなんて思っていた。どれくらいいい試合ができるかと期待はすれども勝つとは思っていなかった。攻め込まれてばっかりで0-14で矢張りと思い、7-14でおおやるではないかと思い、インターセプトされて21-7と突き放されてガクッとなり、14-21の時点では後半は差を広げられるかと悪い方ばかり思っていた。
 この日は暑い。午前中1時間のウォーキングでも汗まみれになった。秩父宮でプレーしている選手たちは大変だと思いながら、クーラーをつけて快適な環境に身を置いてのテレビ観戦はちょっと猾いという気持ちも少しはある。後半、ディフェンスのパフォーマンスが落ちない、NZは動きが悪くなってくる、あれよあれよというまにトライを重ね、テレビの前で歓声をあげていた。今季2勝目でどちらも秩父宮での勝利というのがちょいと気にくわないが、8T48-3T21はすごい。

 甲子園福島県予選、我が母校会津高校が3回戦を勝ってベスト16まで進んだ。次は優勝候補筆頭の聖光学院。接戦だろうが何だろうが勝ってほしい。まだ春1回しか行っていない甲子園にオレが生きている間に行ってほしい。

2017年7月14日金曜日

またも奥会津行を諦める

 7月下旬に奥会津金山町と会津若松を訪れる予定でいた。目的は金山町滝沢の甌穴群を眺め、大塩の宇奈多理神社境内に入り、あわよくば行けるものならば田代鉱山跡の地から横田鉱山跡を眺望すること。また土倉から田代地区に足を踏み入れることができるのかも確認したい。そして三つの記念碑を写真に撮り、明治期の田代鉱山があった沢の出口に立ち、はたまた住んでいた頃は気にもとめなかった中丸城跡に思いを馳せ、何度も訪れている横田鉱山跡に再び立って過ぎた時に思いを巡らす。そんな事を予定していた。
 横田周辺を離れれば、林道本名室谷線(会越街道)を走り新潟県阿賀町に抜けようと思っていた。この林道、2年前の4月にはまだ雪があって通行不可、昨年は橋が陥落したために諦めた。そして今年はと金山町のHPを見たら土砂崩れで通行止めとあり復旧も未定となっている。もう諦めた。行くものとして宿泊をどこにしようか、一泊は若松のいつものホテルに予約してKYと飲もう、もう一泊は玉梨温泉にでも泊まって静かに酒を飲もうか、なんて思っていたがすべてやめた。

 交通状況を確認していたら偶然に「只見線のうた」なる曲を知った。六角精児バンドの演奏で今年になって発売されている。DLで購入すれば300円以下だが、送料も含めてその5倍以上を支払ってCDを購入した。12日に只見町から届いた。
 現在只見線は小出から只見までしか通っておらず、只見から会津川口までは不通であり恐らく今後も復旧することはなかろう。海老名に勤務していた頃、入広瀬出身の良子ちゃん(だったかな)というパート勤務の人柄のよい女性がいた。そんなことを思い出したら、小出から只見までディーゼルに乗って、只見から会津川口までは代行バスに乗り、会津川口から会津若松までは再び只見線に乗って・・・・、何もしないでただ風景を見ながら、というのも(時間の組み立てが難しいが)楽しそう。

2017年7月13日木曜日

佐賀県を2泊3日

 7月6日から8日までの3日間は佐賀県のみのパックツアーに参加。昨年4月にも旅行会社に申し込んでいたのだが熊本地震があって急遽キャンセルした。その時、ツアーそのものは予定通り催行されたのであるが、隣県の大災害のニュースが流れる中、旅行を楽しむことには気が乗らなかった。状況を鑑みてキャンセル料は一切不要とされた。今回はそのリカバリーといったところである。佐賀県内のみの旅行ではあるが昨年と同じ内容なのか否かはわからない。しかし、今回は記録的な集中豪雨が朝倉市や日田市に襲いかかっていて、3日間は雨の中での移動かともある程度は覚悟していた。

 自宅を朝早く出て始発のバスで駅に向かい、羽田到着は7:51の予定であったが春日部駅で間違って各駅停車の電車に乗ってしまい、しかも新聞を読んでいたために間違いに気付くまでに電車は西新井まで進んでおり、結局当初の予定より15分ほど遅れてしまった。でも余裕ある予定を組んでいたので集合時間には30分以上早く着き、朝食を摂り昼食の弁当も買い、羽田空港の地を離れたのは10時頃。
 佐賀空港に11:40頃到着。空港の通称は九州佐賀国際空港。なんで国際なのと思ったが韓国のLCCであるティーウェイ航空や中国の春秋航空が発着しているからであろう。
 総勢33名のパックツアーで添乗員さんは福岡から来ており、バスガイドさんは長崎県生まれの40-50歳の女性。
 空港に着いてから暫くすると車窓に雨滴が付き、この日はホテルに着くまで一日中雨。吉野ケ里歴史公園に入って傘を差しながら30分だけ歩き、近代的技術で復元された観光的古代に違和感も覚えた。次は祐徳稲荷神社。京都清水寺に模している本殿には上がらなかった。朱色の袴に上半身白い装いで歩いている若い巫女さんたちが初々しい。彼女らはアルバイトなのかななんて思っていると、お守りを売っている建屋の中の巫女さんは少々年齢が上で容姿も少し落ち目で、理由もなくその格差(?)に得心する。朱の袴を少し持ち上げて脹脛をのぞかせ、水溜を避ける姿が若さに弾けて妙に艶かしいというか羨ましいというか..。神社を訪れてそんなことを想っている自分が不埒であることはもちろん承知している。嬉野温泉のホテルについてすぐに風呂に入り、ビールと焼酎を少々飲んで食事をし、部屋に帰ってからはまたも焼酎を飲みながらウィンブルドンのテニスを観戦。

 2日目からは雨の中を歩くことはなかったが蒸し暑い。バスに乗って唐津市に向かう。唐津は2010年6月に高校同窓の友人たち11人で壱岐などを回って以来のこと。呼子の七ツ釜クルージング後に烏賊活造りの昼食。烏賊は透明で新鮮なのだが堅く、歯の治療中の家人は一切食べられなかった。美味かったのは烏賊の天婦羅。名護屋城跡を歩き町と海を眺めた後は、岬と言うほどの岬でもない波戸岬。ハートのモニュメントに桂由美のブライダル広告。浜野浦の棚田はこぢんまりとしていて既に稲ではなく雑草になっている棚田もある。そこにも桂由美の宣伝。伊万里市の鍋島焼大川内山で町並みを歩くが我々以外の観光客もほとんどなく、どこの店も入りにくい。旅行するときは必ずといっていいほどぐい飲みやお猪口、グラスを買うのだがここでは何も手に取ることがなかった。帰りのバスに乗ったら韓国か中国からの女性(オバサン)だけを乗せた大型バスが2台。バスの目の前をよけるでもなく集団で動く情景は異様で、時間がずれたことにほっとする。ホテルにも団体客がいて、ガイドさんが話すには佐賀は長崎にも福岡にも近く、多勢の人が彼の地よりやってくるという。前日と同じく嬉野温泉のホテルに入って宿泊。テニスを見るが錦織はいいところがなくて完敗。今年はダメ。好きな大坂なおみさんも負けてしまった。こっちはヴィーナスを対手にいい試合だった。

 最後の3日目は見帰りの滝と大興善寺。前者は紫陽花が有名だがもう萎れているしし、後者は躑躅と紅葉だが躑躅の時期はとっくに終わっている。要は今の時期にここを訪れるのは完全に時期外れ。しかし、行楽シーズンでは多勢の観光客が来るというので正直それも嫌である。寺では住職が教えを説いているが、こっちには聞く耳がない。そばに寄ってきた猫をかまって遊んでいた。昼食は神埼で麺懐石。ソーメンが有名だからと冷たいソーメン、ソーメンを巻いた刺身、熱いソーメンとソーメン尽くし。蒸し暑く、壁際に座ったために頭上にあるクーラーの風はこっちには流れて来ないし、最後のソーメンは熱いし早く店を出たが外は暑かった。
 佐賀空港では娘の長女に約束していたご当地ベアを第一に購入。これで彼女が持っているベアは20匹。大半は我々がプレゼントしたもの。地域に偏りがあり、関西・中国・四国はゼロ。佐賀空港にはもう来ないだろうし、彼女も家族で来ることはなかろう。よって佐賀のバルーンベアは貴重なはずである。
 九州の南の方の食事は甘い。佐賀はさほどでもなかろうと思っていたがやはり甘かった。刺身は美いのだが醤油はこれでもかと言うほどの濃さであり口に合わない。ソーメンの汁も甘い。全体的に美味い(!)と感じるものはなかった。食べ物はやはり北海道が一番ヵ。甘さの反動があって家人共々辛いカレーライスを食べたくなっていた。
 羽田ではよく入るカレー店の場所を見つけられず、諦めて他の店で軽食を摂り、帰宅したのは21時少し前。年齢のせいなのか少しは疲れを感じた。