2020年11月25日水曜日

雑記、本2冊

 床下のエアー取り入れ口開閉ワイヤーを支えるブロックがウッド・デッキに取付けられている。そのブロックが割れていたために2箇所とも修復。破損の根本原因は施工した大工さんの設計ミスと言える。16年間近くもよく保たれたものではある。 
 ホームセンターで角材を1本買ってき、物置にある端材も利用し修復。電動鋸とインパクトドライバドリルを久しぶりに活躍の場に出した。床に横になったり、中腰で道具を操作したりして大工仕事で腰が痛くなる。ついでにドリル・ドライバーも動かなくなってしまった。年齢を重ねると、自分の身体ばかりではなく、身の回りの物も古くなりガタがきている。

 23日の大学ラグビー関東対抗早慶戦は22(3T2G1PG)-11(1T2PG)で早稲田の勝利。早慶ともに攻め込んでは反則を犯す。接点への仕掛けが早く且つフォロワーが遅れるというパターン。早稲田の12個の反則は多いがそれだけ慶応のタックルが早くて正確ということであろう。反則をするよりはボールを渡してしまう方がいいとは思うのだ、そう簡単なことではなかろう。慶応もゴール・ライン間近で反則をしてチャンスを逃す場面が多かった。早慶戦はやはりいい試合になる。12/6の早明戦、是非とも勝って大学選手権では組合せの左端(あるいは最上段)に位置して欲しい。
 伊藤を初めて見た。期待大。相良と村田の両FLがいい働きをしている。特にルーキー村田は強くてゲインを重ね、素晴らしい。 

 <白石一文 『ここは私たちのいない場所』(新潮文庫、2019年/初刊2015年)>:「白石さんの小説には、いつも、ひとを気づかせ、救う力が、光があります」(中瀬ゆかり、白川道のパートナー)とまでは言い切れなくとも、引き込まれて読んだ。別に大きなストーリーがあるわけでもなく、比較的淡淡と日常的とも言える日々が進んで行くのだけれど、生きると言うこととは、死ぬと言うことととは、己が存在する場所とは、などと考えさせられる。否、考えることを気づかせてくれる。著者の小説を読むのはこの文庫本で26冊目となった。 

 <マーティン・ファクラー 『吠えない犬 安倍政権7年8カ月とメディア・コントロール』(双葉社、2020年)>:日本政府の圧力はアメリカよりはまだ緩いと思うが、どんどん中国化している気がしてしようがない。安倍・菅はこの国の有り様を大きく劣化させた。 
 日本の社会はあらゆる場面で“仲良しクラブ”をつくって“個”をその中に埋没させ、そのクラブの中で縮こまって“個”の小さな価値を求める。絶対的な善たる価値を求めるのではなく、集団組織の中で波風立てずに安穏な生きる様を求める。だからこそ「出る杭は打たれる」とばかりに世間の空気をうかがうが、出ない杭は土中で腐ることも心しておかねばならない。 
 本書で批判的に視線を向けられているのは新聞。アメリカの主要紙との比較もなされ、産経・読売ははなから期待していないせいか余り語られなく、逆に朝日・毎日に向けられる批判は厳しい。

2020年11月16日月曜日

文庫本2冊

 <連城三紀彦 『運命の八分休符』(創元推理文庫、2020年/初刊1983年)>:『幻影城』でデビューした頃から知っており、15冊ほどは読んでいて、最近の新聞での宣伝に懐かしさを覚えた。『戻り川心中』や『恋文』などの初期作品が記憶にあり、本書はそれらの「恋愛もの」とは異にするミステリーである。5編の連作短編に途中で倦きてきた。冴えない男に美女たち、彼女等に頼まれ謎を解くというパターンがつまらなくなってしまった。幾重にも張られた伏線、トリッキーな謎を鮮やかに解明する、という流れにも全く惹かれなくなっている。 

 <木皿泉 『さざなみのよる』(文春文庫、2020年/初刊2018年)>:43歳でナスミは癌で死んでしまった。ナスミを知る人たちは、彼女の死を知ってそれぞれに彼女を思い、彼等彼女等自身を振り返る。短い物語が幾重にも重ねられる。ナスミの人物像が今ひとつ腑に落ちてこない。第13話から違和感を覚える。ナスミの夫が再婚し、子供が出来て、その子が中心になり、第14話ではその子が63歳になっている。 
 文庫本の帯には「書店員が選ぶ、泣ける本第1位」とあるが、なぜ泣けるのか分からない。「私が死んだとき、私の姉やおばさんや友だちは私を思い出して優しく私の人生を包み込んで欲しい」、そう思うことで「なんだ、私、けっこういい人生だったじゃん」(本の帯の惹句)と感じ入ることができる、そう思っている人たちにはきっといい小説なのであろう。

2020年11月11日水曜日

3回目の大掃除、初めてのGo To Eat、東北弁の小説

 今日(10日)も前日に続いて大掃除。エリアは自室を除く2F全て。これで残すは1F(浴室内は済み)と2Fへの階段のみ。以前より少し手を抜きはじめているのは重ねてきた年齢からであろう。今の家は建て替えてから16年経過したが、多分その年数を感じさせないほどのキレイさはあると自賛している。 
 掃除終了後、水道が流しっぱなしになっている、2ヵ所の窓が開けっぱなしで閉じられていないと家人に警告を受けたのも年齢のせいであろう、多分。 

 Go To Eatを初めて利用。前記の掃除完了後、すぐ近くのくら寿司に予約して行ったら丁度昼時のせいか、とても混んでいた。カウンター近くで待っている間は所謂「密状態」。帰宅後ポイントの獲得もできたが、スマホになれていない人は面倒くささを覚えるであろう。 
 高頻度で同じ飲食店を訪れる人にとってはこのキャンペーンは便利で有効であろうが、頻繁に利用しない人にとってはさほど便利ではあるまい。 

 <若竹千佐子 『おらおらでひとりでいぐも』(河出文庫、2020年/初刊2017年)>:東北は広いので、そこで交わされる言葉を一把からげて東北弁と括ってしまうのには抵抗がある。秋田弁にしても北と南では似て非なるところもあるし、著者の生地である遠野にしても他の東北の地とは同じではない。それは橫に措いてもこの小説は「東北弁」であるからこそ小説として成功しており、これが所謂標準語で描写されたら小難しい、さっぱり魅力のないものになってしまう。そして東北弁を解せない読者にとってはこの小説の魅力は感じ入れられないであろう。独り身になって自分と会話し、過去を振り返り、今を生きることに共感を持てた。幾つか読んだ最近の芥川賞の中では、東北弁を解せるが故に魅力ある小説と思った。

2020年11月9日月曜日

大掃除、ラグビー、本、漫画

 物置に放っておいた故障した掃除機や、入れ替えて不要となったブラインドなどを廃棄するために、規定の長さまで切断。これも大掃除の一環。電動鋸のカッターの切れ具合が劣化してきた。切断音が近所の迷惑になることが気になるが、これはしようがない。
 浴室、3F小屋裏に続いて自室を大掃除。ごちゃごちゃとした物が多く、いつものことだが、物を捨てようとしてもほんの僅かしか廃棄できない。そのうちそのうちと言ってもなかなか進められず、本当にそのうち捨てていかねばならない。

 関東大学ラグビー対抗戦、7日の早稲田の対戦相手は筑波大学。SOのポジションに河瀬は驚いた。筑波は慶応に勝っているし、侮れない相手。結果的に50(8T5G)-22(3T2G)で勝利したが後半の後半はもたついていて不満。それに帝京戦でもそうだったがL/Oに課題がある。 
 早実が國學院久我山を30-7で下して花園出場を決めた。花園にアカクロが2年ぶりに動き回る。楽しみである。それに早実や学院のラグビーが強くなると大学も強くなる。 

 <金子文子 『何が私をこうさせたか』(岩波文庫、2017年)>:朝日新聞(2019年7月)の書評(斎藤美奈子)「『女たちのテロル』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 ブレイディみかこ〈著〉」のなかで、本書について次のように触れている。「ヤバイ女性は日本にもいた。1923年9月、関東大震災の2日後、金子文子は同棲相手の朝鮮人・朴烈とともに警察に検束された。彼女は絶望的な貧困と虐待の中で育ち、朴と不逞社なる結社を立ち上げた。3年後、獄中で謎の死をとげた。23歳だった」。この文章で金子ふみ子に関心を持ち「読みたい本」にメモしておいた。 
 本書は、ふみ子が栗原一男に手記の添削を依頼し、死後5年たって春秋社から出版された『何が私をかうさせたか-獄中手記』を底本にし、同社から1998年に刊行された新版を参照して2017年に出版された。韓国で2017年に劇場公開されたことを契機として出版されたものかもしれない。韓国で多くの賞を受賞した映画は日本国内で、例えばテレビなどで一般放送されることはまずないであろう。 
 金子文子(金子ふみ・金子ふみ子)、1903(明治36)年に横浜で生まれ、1926(大正15)年7月に宇都宮刑務所栃木支所にて縊死-縊死は刑務所側から発表されたもので真相は謎-。生から死までの記録ではなく、朴烈と同棲を始める前まで、即ちふみ子19歳までの記録である。従って、ふみ子が朴烈と共に「行動」を始めるようになった経緯は本書では知ることは出来ない。ただただ、無籍者として生まれ、学校に通って勉強をしたい意欲も実現することが困難で、想像を絶する貧困と虐待に言葉に言い表せない絶望を覚える。虐待というと日本人による朝鮮人へのそれが思い出させるが、ふみ子になされたのは実の父親であり、愚かな母親であり、騙されて引き取られた先の祖母であり、または傭われた先の主人の妻であり、学校の教師による差別もあった。劣悪な環境はもちろん人間そのものがつくっているものであり、所詮人間はそのようなものさ、と言いたくもなる。その悲惨な状況下で底辺の労働をしながらもふみ子の学習意欲の高さには驚嘆する、尊敬もする。 
 「何が彼女をそうさせたのか」をキチンと認識するには、朴烈と共に行動し、天皇の恩赦を拒否し、縊死するまでの約4年間にも触れねばならない。また、ふみ子と朴烈のアナキズムについても知識を得る必要がある。 

 <斎藤宣彦(編) 『現代マンガ選集 破壊せよ、と笑いは言った』(ちくま文庫、2020年)>:なつかしい漫画家がたくさんいるも、赤塚不二夫・山上たつひこ・いしいひさいちを除いて、前に読んだ同シリーズの「悪の愉しみ」と同様に惹かれた作品は殆どない。

2020年11月4日水曜日

3日の一日、本2冊

 3日、瓶類を廃棄する日で、1ヶ月分+αの酒精の瓶を捨てる。集積場に置いてある瓶廃棄用のバスケットには栄養ドリンク剤の硝子瓶が沢山あって、ご近所さんは年齢を重ねて疲労回復を頻繁にやっているんだと想像する。その上に重ねて瓶を棄てる。遅れて捨てに来る人は10年12年もののウィスキー瓶や、飛露喜の瓶を見て、美味い酒を飲んでいるなあと感じるか、否、そんなことはなくて沢山よく飲んでいると呆れるのか、多分後者であろう。

 米国大統領選挙のニュースが多く流れている。民主主義がどういうものなのかはアメリカを見れば良く分かるだろう、と誰かが言っていた(書いていた)。むべなるかな。

 ウォーキングを休んで毎年恒例の浴室大掃除。バスタブのパネルも外して汚れを取り、室内の隅々の小さな黒黴も落とし、約2時間半。終わったのが昼時で、ビールと日本酒を飲んで、そして寝不足もあって爆睡2時間。夜眠れなくなるのでまた少しの寝酒。 

 <森博嗣 『馬鹿と嘘の弓』(講談社ノベルズ、2020年)>:父親が誰かが分からず、母親は出奔し、祖母から僅かな金を毎月振り込んでもらっている、若いホームレス柚原典之の動向をただただ監察し、依頼者に報告する女性探偵二人。父親と思しき二人の男性が登場するがどちらが父親なのかは判明しない。 
 柚原はこう考える。即ち、雁字搦の束縛の社会の、そのなかで自由を奪われて人間は生活していて、瞬時の幸せを感じるよう仕組まれている。馬鹿な社会の中で、嘘っぱちの自由を喜んでいる馬鹿たちは、解き放されても自身は飛ぶことのない弓であって、解き放された時に一瞬の自由を感じるが自分では飛べない。 
 偉い奴らが定めた日に仮装し、酔って自由になっているつもりの人たちに柚原は鉈を振り落とす。刑務所で確実に衣食住が確約されるために、柚原は殺人であることを確認して自首する。 
 ストーリーは淡々とすすみ、探偵加部谷と柚原の交流がさらっと流れていくのは好ましく、また所長の小川と加部谷との関係もさらりとしていて二人に好感を抱かせられる。 
 もちろん名前は知っているし、小説の書名も何冊かは知っている。しかし、いままで手は伸びずにいて、作者の本は初めて読んだ。多分これが最初で最後となろう。 

 <滝口康彦 『異聞浪人記』(文春文庫、2020年)>:書店の新刊コーナーに立てられていて、解説が白石一文とあって購入。解説を読むと著者は父白石一郎の親友であり、「究極の才能に一歩でも近づきたくて作家を目指した」白石一文は(滝を瀧に変えて)「瀧口」の姓をつけた名前が最初のペンネームであった。ここまでは本書と無関係で単に白石一文が好きな作家であることの独り言。
 本書は6編の短編で構成され、それぞれに上位からの理不尽な-江戸期の武士社会にあっては当たり前かもしれない-命に刃向かって、死を賭して生きる武士あるいは妻(母)の物語である。その社会に生きる人々のやるせない生き方には悲哀というよりも馬鹿らしさ、解決策のない不条理さを思うしかない。政府トップが感情的な指示や言を発し、それに対して官僚トップが追従・忖度をして部下たちに無理難題を強い、下位の者たちは抗いながらも従う。パターンとしては現代と何も変わらない。詭弁を述べ、強弁を張り、虚偽を図り、隠蔽する。人間の業とでもいうしかないだろう。 
 「拝領妻始末」は、実在の会津藩3代藩主松平正容、4代藩主となった八男容貞、容貞の生母の伊知(本書ではいち)/市/美崎、いちが拝領された先の与五右衛門とその父たちが、意地と体面と役得を巡って物語が繰り広げられる。wikipediaで「本妙院 (松平正容側室)」を見るとこの史実が解説されている。また同じく「拝領妻始末」にはこの小説が詳述されている。映画や舞台やテレビドラマにもなっているから、この類いの物語が一般受けされているのが分かる。皮肉っぽく言うならば、この武士道を礼賛する、あるいは、「会津魂」や「会津藩松平家」を崇める人たちは、藩主(たち)の愚行と武士社会組織の実体を知ったならばどう応えるのだろうか。

2020年11月1日日曜日

ラグビー、帝京に勝利

 関東大学対抗戦ラグビー、今日から上位チーム同士の試合が始まり、まずは早稲田-帝京、明治-慶応の戦い。予想では早稲田は帝京に完敗し、明治も慶応に完勝するとしていた。理由は簡単で早稲田は青学に47-21、日体大に70-5と勝利となっていたが、帝京はそれぞれ122-0、98-10と圧勝しており、どこかのラグビー記事にても対抗戦グループ優勝候補の帝京と書いてあるし、昨年の接戦だった早稲田戦に出場した15人中12人は現役である。一方、早稲田は多くの人数が入れ替わっているし、試合ごとにスタメンもリザーブもかなり変化を続けており、まだまだチーム作りの途上であると感じている。 
 だから試合をライブで見ずに、結果が分かってから録画観戦としていた。負けたならその録画も見ないで破棄することとなる。要は負けるであろう事を前提としていて、そのためにキックオフ時間も失念し、気づいたのはもう前半の終了間際であった。全日本大学駅伝の7区間目が流れていたテレビのチャンネルを変えたら12-19で、あれっ善戦していると思った。そしたらすぐに同点となり、前半終了。それでもライブで見る気持ちにはなれず、というよりやきもきしながら観戦するのは嫌なので、駅伝を眺めていた。駅伝は8区に入ってから実に楽しめる展開であった。 
 ラグビーが気になり、速報をPCで確認したら、早稲田がリードしている。暫く時間が経過して45-24を確認したときはもう確実に勝利を確信し、録画を見るのが待ち遠しくなった。でも駅伝を見続け、早稲田の5位を期待以上でも期待以下でもないと思い、最後の大学がフィニッシュするのを確認し、おもむろに早稲田ラグビーの勝利を観戦することとした。勝利を知っている早稲田ラグーを観るのは、過去の試合でもそうだが実に気持ちに余裕があってリラックスして試合を楽しめる。 
 前半ではスクラムで押し込まれることが目立ったが後半は修正されていたし、接点ではキレイに展開されることはなかった。帝京敗戦の原因はペナルティの多さにあるだろう(早稲田7に対し帝京14)。早稲田は自分たちのラグビーを着実に実践している。結果は45(7T5G)-29(5T2G)と快勝。トライは7人(FWで3T、BKで4T)とトライ・パターンの広がりがいい。 
 Man of the matchに選ばれたのは大学に入ってからラグビーを始めた小柄のFL坪郷。河瀬が今季はじめて出場した。相良は出ていない。1年の伊藤を早く見たいものである。同じく1年のFL村田はすっかりスタメンに定着したようである。 
 兎にも角にも早稲田の完敗を予想していたことはゴメンです。深謝です。 

 続いて明治-慶応戦は明治の圧勝であろうと思っていて後半の後半から見たら、スコアが12-10で拮抗した戦いで、最後の最後に慶応が明治陣で攻める。このままペナルティをせずに攻め続けてフェーズを重ねれば明治は反則をするだろうからPGで逆転出来るぞ、と慶応を応援していたら、その通りになった。入れれば勝利、外せば負けというPGを1年FBがキレイに決めて慶応の勝利。慶応は1T1G2PG、明治は2T1Gとロースコア。サンスポでは「明大、まさかの敗戦」と慶応ファンからすればむっとするような表現の記事。たしかに筑波戦を見れば、慶応は19-30で負けているし、明治は33-17で勝っている。明治が負けるはずはないと思うのは普通の予想だろう。明治の完勝(慶応の完敗)と予想していたことはゴメンである。

 全勝は早稲田だけとなった。早稲田の次戦は筑波、そして慶応、明治と続く。緊張してテレビ観戦する試合が続く。もちろん全試合の勝利を期待していて楽しみである。