米国大統領選挙のニュースが多く流れている。民主主義がどういうものなのかはアメリカを見れば良く分かるだろう、と誰かが言っていた(書いていた)。むべなるかな。
ウォーキングを休んで毎年恒例の浴室大掃除。バスタブのパネルも外して汚れを取り、室内の隅々の小さな黒黴も落とし、約2時間半。終わったのが昼時で、ビールと日本酒を飲んで、そして寝不足もあって爆睡2時間。夜眠れなくなるのでまた少しの寝酒。
<森博嗣 『馬鹿と嘘の弓』(講談社ノベルズ、2020年)>:父親が誰かが分からず、母親は出奔し、祖母から僅かな金を毎月振り込んでもらっている、若いホームレス柚原典之の動向をただただ監察し、依頼者に報告する女性探偵二人。父親と思しき二人の男性が登場するがどちらが父親なのかは判明しない。
柚原はこう考える。即ち、雁字搦の束縛の社会の、そのなかで自由を奪われて人間は生活していて、瞬時の幸せを感じるよう仕組まれている。馬鹿な社会の中で、嘘っぱちの自由を喜んでいる馬鹿たちは、解き放されても自身は飛ぶことのない弓であって、解き放された時に一瞬の自由を感じるが自分では飛べない。
偉い奴らが定めた日に仮装し、酔って自由になっているつもりの人たちに柚原は鉈を振り落とす。刑務所で確実に衣食住が確約されるために、柚原は殺人であることを確認して自首する。
ストーリーは淡々とすすみ、探偵加部谷と柚原の交流がさらっと流れていくのは好ましく、また所長の小川と加部谷との関係もさらりとしていて二人に好感を抱かせられる。
もちろん名前は知っているし、小説の書名も何冊かは知っている。しかし、いままで手は伸びずにいて、作者の本は初めて読んだ。多分これが最初で最後となろう。
<滝口康彦 『異聞浪人記』(文春文庫、2020年)>:書店の新刊コーナーに立てられていて、解説が白石一文とあって購入。解説を読むと著者は父白石一郎の親友であり、「究極の才能に一歩でも近づきたくて作家を目指した」白石一文は(滝を瀧に変えて)「瀧口」の姓をつけた名前が最初のペンネームであった。ここまでは本書と無関係で単に白石一文が好きな作家であることの独り言。
本書は6編の短編で構成され、それぞれに上位からの理不尽な-江戸期の武士社会にあっては当たり前かもしれない-命に刃向かって、死を賭して生きる武士あるいは妻(母)の物語である。その社会に生きる人々のやるせない生き方には悲哀というよりも馬鹿らしさ、解決策のない不条理さを思うしかない。政府トップが感情的な指示や言を発し、それに対して官僚トップが追従・忖度をして部下たちに無理難題を強い、下位の者たちは抗いながらも従う。パターンとしては現代と何も変わらない。詭弁を述べ、強弁を張り、虚偽を図り、隠蔽する。人間の業とでもいうしかないだろう。
「拝領妻始末」は、実在の会津藩3代藩主松平正容、4代藩主となった八男容貞、容貞の生母の伊知(本書ではいち)/市/美崎、いちが拝領された先の与五右衛門とその父たちが、意地と体面と役得を巡って物語が繰り広げられる。wikipediaで「本妙院 (松平正容側室)」を見るとこの史実が解説されている。また同じく「拝領妻始末」にはこの小説が詳述されている。映画や舞台やテレビドラマにもなっているから、この類いの物語が一般受けされているのが分かる。皮肉っぽく言うならば、この武士道を礼賛する、あるいは、「会津魂」や「会津藩松平家」を崇める人たちは、藩主(たち)の愚行と武士社会組織の実体を知ったならばどう応えるのだろうか。
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