2022年11月26日土曜日

渡辺京二さんの本ニ冊

 積ん読状態の本を引っ張り出し、在庫処理といった感もあるが、古いものから順に読んだ。

 <渡辺京二 『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』(洋泉社、2010年)>:交易を求めるロシア、アイヌやロシアとの接触で立ち回る松前藩、松前島(北海道)に向き合いのらりくらりとも思われる幕府の対応、ロシア人と融通無碍に接する日本の商人やアイヌ、民族国家建設を意識しないアイヌ人。文献に裏打ちされるエピソードによってそれぞれの人たちの思いや生き方が活写され、小説を読むような面白さがある。そして現在にも通じる中央政府の決断の遅さや事なかれ的処理などを認識する-これはもう日本人固有の性質なのであろうヵ。
 アイヌ社会の基本単位がコタンであり、国家形成の意志がなかったアイヌは、日本商人がアイヌの地に入り込むにつれ江戸後期には人口が激減し、ついには日本という国家に飲み込まれてしまう。なれど、幕末の日本経済を支えた中には「アイヌ民族の苦難と衰亡があった」。一方、「どうもアイヌは日本国民の顔をしながら、あくまでアイヌとしていまでも生き続けているようなのである」。アイヌを語るとき、日本人一般には蔑みの視線があると思う。それは沖縄の人々へも同様である。差別や蔑みの意識を覚えたらそれがどこから染み出てくるのか、どうしてなのかを考えねばならない。考えることによって己の存在や生き方を見直すことにもなる。
 幕末史に触れるときページを開き確認しなおすために、あちらこちらに線を引き、付箋を挟んだ。
 読み終わってから12年前に目を通した『オホーツクの古代史』(菊池俊彦)を引っ張りだし、赤線を引いた箇所を斜め読みしてみた。だが無味乾燥のように文献が紹介され、流鬼国や夜叉国の位置などが論じられるばかりで、そこには人々の生活文化がさほど浮かんでこない。

 <渡辺京二 『女子学生、渡辺京二に 会いに行く』(亜紀書房、2011年)>:渡辺京二さんの生の声(会話)を初めて活字で見た。「~の。」で終る口調が気になったがYouTubeで講演を視聴したら違和感はなくなった。それはさて置き、やはり共感する。津田塾大学の学生たちとの対話は著者80歳のときであり、その80年間に積み重ねられた彼の思想というか生活観というか、社会への向き合い方に、不遜な言い方ではあるが同調する。
 父親が家庭を顧みない人で、母親は甘やかしていたらしいし、長男は重度の自閉症で施設に入っているということは初めて知った。妻とのやりとり、男と女の関係性(情愛)なども語られて面白く読んだ、というよりは共感の強さをより強く意識した。

2022年11月15日火曜日

読書するということ、娘の息子の大学合格

 本を読むということは、ありとあらゆるすべてを包含するこの世の中において、自分の立つ位置を探り、確かめるということを円環の如く繰り返すためのツールなのではなかろうか。・・・表現がすっきりとしない。渡辺京二の次の言葉が腑に落ちる。「読むというのは他者の生命のリズムを自分のからだに刻印されることなのだ。だからそこには受容と同時に拒否も生じ、自分の魂のなかを他人の魂が通過して行った痕跡、つまり抗体のごときものが形成され、多かれ少なかれ、その後の生はその抗体の働きに左右されることになる」。

 娘の長男が11/1に早々と大学合格を決めた。高校は進学校に向けて実績を伸ばしている中位の私立高校。高校入学後は本人も言う通り勉強はあまりせず成績も下の方。2年になってから自分の進みたい学部を決め、首都圏の大学についてかなり調べていたようである。勉強をあまりしていなかったので高校1-2年の成績は振るわず、本人が言うには学校推薦や指定校推薦は早くに諦め、受験すべき希望大学を絞っていたようである。少し高望みではないかと感じていた。AO(専願)入試の受験科目を高校2年時には選択しておらず、高校の教員もその大学受験は諦めろと主張していたようである。しかし受験科目は3年になってから集中的に2-3年分を独習し、解らなければその科目の教師に何度も教えを受け、その教師もクラス担任の主張には反して受験してもいいのではないかとサポートしてくれたらしく、勉強を続けたようである。
 高校では希望学部のある大学2校について指定校推薦を進めてきたらしいが、本人はその大学については国家試験合格率などが低いと端から拒否し、あくまでも希望大学1本に絞って受験を繰り返すつもりでいた。安全圏内を進めても本人が納得しないと碌なことにならないと、娘は勉強のための金銭的サポートは惜しまなかったようで、私立高校であるがために受験のための夏期講習があるのだが、それを拒否し、高校と交渉し(担任教師もサポートしてくれたらしく)受講料を返金してもらい、自分で探して春頃から通っていた受験塾に通い続け、娘が言うにはあんなにちゃんと勉強しているのは生まれて初めてのことと感慨深く話していた。
 そして希望大学のまずはAO(専願)入試が10/22。筆記試験はまぁまぁだったらしいが、面接や小論文は思っていた通りに終えたらしい。特にこの子は人と接する姿勢が良く、性格が素直で主張もはっきりしている。合格の可能性は半信半疑で、何か受かるような気がすると口にしていたのは連れ合い一人だけ。
 「受かったよ-!!」とLINEに入ったのは合格発表当日の13:30頃。本人より先に合否を知るのはまずかろうと息子からの連絡を待ってから合格を知り、我が家に立ち寄って玄関を開けたときから嬉しさに涙ぐんでいた。受験者本人は受験校を1本に絞り、AOが不合格なら、その後も3回続く一般選抜を受験するつもりだったらしい。そうなれば次第に合格のハードルは高くなるし、娘が言うのは受験料もバカにならないとのことである。娘は話しながら何度も涙ぐんでいた。
 早々に大学受験合格を決め、この後は遊びほうけるのかとも思ったが、今の時代は合格後に大学から課題が送られてくるし、受験塾も勉強を続けさせるようである。
 数日が経ってから我が家に寄ったその子から受験期の話を聞いた。一般論文や面接については彼の一歳年長で大学1年のガールフレンド(恋人ヵ)がかなりサポートしてくれたらしい。一般論文ではこういうことが出るのではないかと予想し的中させたのも彼女らしい。合格のお祝いと、大学進学入学のプレゼントをするから欲しいものを考えておいてと宿題を出し、何を希望してくるのかが楽しみである。サポートしてくれた彼女にも何かプレゼントするから伝えておいてと言った。娘も母親として心配もしていたことだし、駅までの車での送り迎えも頻繁にしていたので、現金でお祝いをあげた-たまには自分の好きな服でも買ったらとの言葉も添えて。

2022年11月8日火曜日

西村賢太、渡辺京二

 <渡辺京二 『アーリイモダンの夢』(弦書房、2008年)>:個人を軸とした評論には関心がなく、斜め読み、流し読みあるいは読み飛ばす。それは横井小楠やイリイチ、石牟礼道子、宮崎滔天や漱石などである。しかし、網野善彦批判は鋭く(表面的にならざるを得ないが)勉強になる。
 「カオスとしての維新」を通してやはり近代日本の画期となった維新へ関心は深いことを自覚する。気になること言葉は別記し、「カオスとしての維新」の章は全文をコピーしていつでも振り返られるようにした。

 <『文学界7月号 特集西村賢太』(文藝春秋、2022年)>:「特集 西村賢太 私小説になった男」だけを読むために購入し、摘まみ食いしながら、幾つかは読み返したりして5ヶ月。今更ながらではあるが西村賢太の死はあまりにも突然で、生き続けていたら「文学界」という世界でこの作家は今後どう息をしていくのだろうかと漠然とした思いが淀んでいた。特集は以下の4編からなる。
 ①田中慎弥と阿部公彦の対談、②古書店「朝日書林」店主・荒川義雄氏による「西村君との30有余年」、③遺作『雨滴は続く』の中で北町貫多が好意を寄せる新聞記者・葛山久子が匿名で載せた「親愛なる西村さんへ」、④木村綾子による「北町貫多 罵倒アンソロジー」。
 荒川さんのことは西村賢太の著作の中で知っていて、彼は最後までこの人に気持ちを寄せていて且つ随分と迷惑をかけていた。その様子がよく分かる。荒川さんの助言通りに病院に行っていれば、もしかしたら西村賢太は死なずに、病院のベッドで看護婦さんを相手に新しい物語が創られていたかもしれない。北町貫多の罵倒の言葉はもう「罵倒」の域を超えている。でも、小説を読んでいてどこか哀しくて面白く、だから読者に愛されたのであろう。
 この作家はこれからどう残るのだろうか、かつての多くの作家のように著作は書店から消え、忘れられ読まれなくなるのだろうか。遺作となった『雨滴は続く』を最後として読みたいと思う。

2022年11月2日水曜日

PC不調、NZ戦

 サブマシンとしていたPC、一度立ち上がったが再起動すると結局はFixing状況となりもう駄目かと諦めかけたが、電源オフしてPCのカバーを開けてDドライブのHDDを取り外し、結局はこのHDDが故障していた。それだけで全不具合を説明できる訳ではないので、HDDなしの状態でリセットをかけて初期状態にし、次に丸ごとバックアップしていた外付けHDDからCドライブを復元したら一ヶ月前の状態に戻った。各種ドライバーを更新させてまずはOKとなった。余っていた外付けHDDをDドライブとして取付け、NASに常時保存しているデータをコピーしてすべて復活させた。
 ・・・と思っていたら今度は昨年夏に購入しメインPCとしていたPCがおかしくなった。ドラバーを更新させたらおかしな動きを示すようになった。ライセンス制限の為にこのPCだけはバックアップソフトが異なり、これで復元しようとしたら、ソフトが悪いのか、自分のミスなのか、リブートするとエラーメッセージが出続けてからwindowsが何とか立ち上がる。立ち上がってもアプリが動作するか否かは分からない。そのうちリブートしても立ち上がらなくなってしまった。修復モードにも入れない。ネットでいろいろ調べるともう素人には手をつけられない状況だった。修理に出す費用は4~5万円はかかるだろうと書かれており、それでも直るとは断言できないらしい。もうこのマシンは廃棄するしかないと断じた。1年と少しの寿命だった。このPCは購入して数日後に不調になり、販売元からの電話サポートを受けて修復したことがあったもので、そのときから基礎疾患に罹っていたのかもしれない。
 サブマシンをメインに格上げしてもやはり自室にはもう一台音楽再生を中心に使うPCは欲しい。ということで、2万円もしないミニPCを購入。CHUWI HEROBOXでDドライブにはまだ余っているHDDを取付け、通常はテレビにHDMI接続する。FHDではなく24”HDのテレビなのだが、このPCの使用目的には支障ない。マウスとキーボードはそれぞれ2,000円もしない安価なワイアレス。初めてのWindows11で、この安価なミニPCはなかなかに快適である。不安は耐久性だがこればっかりは使ってみるしかない。
 ついていないことは連続するもので、ネット購入したワイアレス・キーボードが全く機能しない。交換の要求をしたら翌日に交換品が到着し、それで正常に機能した。まったく、と愚痴も言いたいところだが、ま、PCの不具合に関していい経験をし、多少なりとも知識も増えたかもしれないので良しとしよう。何かを得ようとしたら何かを差し出さなければならない、これは自分の信条でもあるのだから。

 NZ戦、友人からのメールで惜敗だったことを知った。1995年ワールドカップでは17-145と記録に残る屈辱的大差で負け(大会史上の最大失点で今後も破られないであろう)、それを思うと今回の31-38(4T4G1PG-5T5G1PG)は驚くばかりのスコアである。ただ、日本のトライはラッキーというものがあり、フェーズを重ねてのトライではなくそれが少し物足りない。