2022年11月8日火曜日

西村賢太、渡辺京二

 <渡辺京二 『アーリイモダンの夢』(弦書房、2008年)>:個人を軸とした評論には関心がなく、斜め読み、流し読みあるいは読み飛ばす。それは横井小楠やイリイチ、石牟礼道子、宮崎滔天や漱石などである。しかし、網野善彦批判は鋭く(表面的にならざるを得ないが)勉強になる。
 「カオスとしての維新」を通してやはり近代日本の画期となった維新へ関心は深いことを自覚する。気になること言葉は別記し、「カオスとしての維新」の章は全文をコピーしていつでも振り返られるようにした。

 <『文学界7月号 特集西村賢太』(文藝春秋、2022年)>:「特集 西村賢太 私小説になった男」だけを読むために購入し、摘まみ食いしながら、幾つかは読み返したりして5ヶ月。今更ながらではあるが西村賢太の死はあまりにも突然で、生き続けていたら「文学界」という世界でこの作家は今後どう息をしていくのだろうかと漠然とした思いが淀んでいた。特集は以下の4編からなる。
 ①田中慎弥と阿部公彦の対談、②古書店「朝日書林」店主・荒川義雄氏による「西村君との30有余年」、③遺作『雨滴は続く』の中で北町貫多が好意を寄せる新聞記者・葛山久子が匿名で載せた「親愛なる西村さんへ」、④木村綾子による「北町貫多 罵倒アンソロジー」。
 荒川さんのことは西村賢太の著作の中で知っていて、彼は最後までこの人に気持ちを寄せていて且つ随分と迷惑をかけていた。その様子がよく分かる。荒川さんの助言通りに病院に行っていれば、もしかしたら西村賢太は死なずに、病院のベッドで看護婦さんを相手に新しい物語が創られていたかもしれない。北町貫多の罵倒の言葉はもう「罵倒」の域を超えている。でも、小説を読んでいてどこか哀しくて面白く、だから読者に愛されたのであろう。
 この作家はこれからどう残るのだろうか、かつての多くの作家のように著作は書店から消え、忘れられ読まれなくなるのだろうか。遺作となった『雨滴は続く』を最後として読みたいと思う。

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