2015年11月27日金曜日

早慶戦

 23日は秩父宮での早慶戦。アルコール度数約15%の自家製ハイボール600ccを入れたボトルを2本バッグに入れ、家を出たのは9時45分頃。秩父宮での待ち合わせ時間は13時であるから随分と早い出発であるが、これは、23日は亭主がラグビー観戦で家にいないということで家人が友人を家に招いており、彼女らに気兼ねない時間を過ごしてもらいたために自分が早く出ただけに過ぎない-と言うと聞こえはいいが、要は家人が早く家を発つように強制、否要望したに過ぎない。

 秋葉原ヨドバシカメラにある有隣堂とタワーレコードに寄れば時間が潰せるので、先ずは久しぶりにCD売場に行った。以前よりクラシックのエリアが狭くなった気がしたがこれは誤解だろうか。結局はそこに居続け3セットのCDを購入。CDを探しているうちに時間が経ってしまい、慌ててJRのホームに向かったのはいいけれどホームを間違ってしまった。秋葉原の駅および駅周辺はいつも戸惑ってしまう。方向音痴ではないのだけれど苦手である。新橋方面のホームに出たら電車が出たばかりでこれで遅刻はは確実となった。遅れることをTYにメールして快速に乗った。しかし、この電車は新橋を通過して浜松町に停車した。快速が新橋には停まらないことを知らなかった。逆戻りして新橋に向かい、銀座線に乗り換えて外苑前で降りたらいつもの通路が不通となっており凄い混雑。どうもこの日は出だしが良くなかった。

 TYが先に入っているバックスタンドに向かい、雨はごく弱いので気にならず10番ゲート付近に席を取った。キックオフまでの約45分はハイボールを飲みながら雑談。晴れ以外の早慶戦は自分にとっては多分初めての経験。この日の早慶戦の試合予想は判らない。勝つことをもちろん望むのだが今季の早稲田の弱さからいえば均衡するか、あるいは負けることもあるかもしれない、でももしかしたら大差をつけるかもとの期待or妄想も入り混じる。

 前半はミスからいきなり40秒ほどでノーホイッスルトライを取られる。しかし、その後、早稲田は慶応陳内で戦っており早稲田が勝利すると確信していた。しかし、後半に慶応の連続3トライで逆転され、残り10分で9点ビハインドとなった時点ではもう負けると思い、気持が落ち着かなくなり、ため息も出るし、冷静さを失う自分がいた。しかし、ロスタイムに入ったときには2点差を追う展開となり、千葉の突進によって大きくゲインし、ここで慶応がペナルティ。ゴール真っ正面で距離も適度。PGが入れば1点差で勝利となる。このとき、ふと、昔のある試合で安藤栄次が、あるいは高橋銀太郎が真っ正面のショットを外したシーンが脳裏をよぎった。横山よ入れてくれと希い、そして大歓声で早稲田が勝利した。この喜びは大きく、正直早稲田の卒業であること、某国立大学の入試に不合格となって早稲田に入ったことに感謝。大歓声の中で喜んで、昂る気持はここでしか味わえないものである。たまらなかった。

 TYと別れ、浅草に着き、浅草地下街の時々立ち寄っている店でタンとハツの味噌漬けで飲もうと思ったが、前回に続いてシャッターが閉まっていた。外に出てどうしようか、家に帰って飲もうかとふらついていたら駒形どぜうの方に足が自然と向いてしまった。どこか天上の何かが自分を操っているようである。
 帰宅後、とりあえず千葉の突進から始まって横山の逆転PGを何回か見ながらまた飲んで・・・・寝た。幸せな一日だった。

2015年11月18日水曜日

1枚のLPの想い出

 静かな夜、LP・EPを引っ張り出して音楽を聴き、ついでにmp3化していると、そのレコードから昔の出来事がふと思い出されることがある。今夜は平山三紀のベストアルバム(JDX-7204)をターンテーブルにのせた。ジャケットには”73.8.18 ○○ko”と記されている。○○koは家人の名前で、このレコードは確か、銀座付近のレコード屋さんで彼女が購入しプレゼントしてくれたもの。当時、自分は給料を手にしてから月に一度、金曜日に夜行列車に乗って富山市から上京し、日曜日に帰るまで彼女といわゆるデートなるものをしていた。1973年8月18日はお盆休みを利用して東京に出てきたときである。いきさつははっきりとは覚えていないが、歌手の話にでもなって、自分は平山三紀が好きでEP盤を持っているとでも口にしたことから彼女が買ってくれたものだと記憶している。

 富山市では不二越という会社で工作機械の機械設計をしており、独身寮に住んでいた。ある日、一年先輩が-顔は思い出すのだが名前は出てこない-レコードを貸してくれと自室にきて何枚かのLPを物色した後にこの平山三紀のLPを持って行った。
 数日が経ってその先輩がLPを返しに来たとき、中身を新品にしたと言った。新品にした理由について彼が言ったことは、「酒を飲みながら麻雀をしていて、針が飛んだりしたので傷をつけたかもしれない。ジャケットを見たら女性の名前を書いてあるので、これはまずいことをした。大事なものだと思うので新品を買って中身だけ交換した。申し訳なかった」ということだった。傷が付いたのか否かははっきりしなかったようであるが、念のために交換したようだった。こっちはその律儀さに恐縮したのだが、先輩の気遣いが嬉しく、有り難かった。

 このLPに書かれた日付から1年と2ヶ月弱が経って結婚したのだが、このレコードはその頃に購入した他のレコードとともにほぼ新品の状態を保って今も棚に置かれている。それからは自分も家人も42年という年齢を重ねた。

2015年11月16日月曜日

ポップスとポップスの事典

 古いポップスが沢山ある。CD、数は少ないがアナログのLPやEPもあり、YouTubeから採取したものもある。年代は1950年代から1900年代まであるが、圧倒的に多いのは1960年代から70年代前半まで。海外のものと国内のものもほぼ同じような年代になっている。要は自分の10代から20代前半までに当たる。PCおよびバックアップのHDDに全てmp3にて格納しており、その数は合計すると7,000曲を超える。自分でもよく集めたものと思うが、自室ではPCから曲を流したりし、また何枚かに分類してSDカードにコピーしており、車を運転するときはいつもスピーカーから音を出している。好きな歌手/グループはアルバムで購入することが多いので、ヒット曲ばかりとは限らないが、それでもいわゆるOldies but Goodiesの響きは楽しめる。すべてエクセルでデータベース化しており、海外のポップスは判る範囲で邦題も併記し、mp3にするときは複数の音源があっても極力音質の良いものを選んでいる。消失してしまうともうそれで終わりなので二重にバックアップもしている。自分にとっては宝物でもあるし自慢のライブラリーでもある。

 20代のころより友人に借りたレコードやテープはよくコピーしていた(最初はオープンリールのデッキ)し、カセットデッキが出てきてからはFMからのコピーもやっていた。LPやEP盤も時々買ってはいたが、それらをデジタル化したのは20年ほど前頃からであろうか。テープでコピーしていた頃も全てノートに記録しており、デジタル化する際も役立った。データベース化する性癖は昔から続いている。

 以上のように、好きな歌手やグループを中心にして海外ポップスを集めたが、まだ自分の記憶からもれているものがあるのではないか、ヒット曲には自分の知らない曲もあるのではないかと、ビルボード・ランキングやポップスに詳しい人のHPにアクセスすることもあったが、中途半端になってしまうのは否めない。
 そんなとき、かまち潤さんのポップスの事典2冊を知った。一つは『永久保存版 20世紀のポップス名曲事典 1955~1999年不滅のヒットソング550』でもう一冊は『日本人が愛した懐かしの洋楽ポップス事典』である。この2冊をテキストとして、自分の持っているものと、著者の好みが強く自分には興味がないものを除き、関心のある曲を暇にまかせてYouTubeで探した。基本は全て原題で検索し、国内でアップされているものは除外した。加えて、既に持ってはいるが音質が劣る曲は取り直し、合計すると約140曲をPCに追加した。ヒットした曲は沢山アップされており、その中から音質のいいものをセレクトするのであるが、音質のいいものは聴かなければわからないので結構な時間がかかった。また、事典に書かれている記事から興味をもった曲もDLした。例えばジョーン・バエズの妹の素敵な曲とか、昔々に日本でヒットした曲の原曲などに手を広げるので結局4ヶ月ほど要した。

 ダウンロードの基本は以下の流れ。<PC → YAMAHA AG03でAD変換 → Sound Forge audiostudioで録音/不要部カットオフ/ノーマライズ → Super Tag EditorでTag編集/自分の定めた一定形式にてファイル名をつける → 格納時に重複確認> 単純作業の繰り返しである。
 あるときはハイボールのグラスを片手に、あるときは泡盛を飲みながら、あるときは焼酎の入ったグラスを傾けながら、同時に、あるときはテレビを見ながら、飽きもせずにやった。でも、聴いたことのなかった古いポップスにはいいものが沢山ある。かまちさんの「事典」には、えっこれは載ってないの、と思うものや、いや~これはマイナーな曲で一般的にはヒットした部類には入らないのではないかと思うものもあるのだけれど、ジャケットの写真付きでこれらの事典を編んだことにただただ敬服するばかり。

2015年11月15日日曜日

レコード・プレーヤー

 持っているアナログ・レコード/LPはクラシックを中心に250から300セットほどでしかなく、CDを聴く方がはるかに多い。しかし、レコードを鳴らす装置だけはいつも準備OKにしておきたく、レコードプレーヤーは手放せない。それに年に1回程度は市内の中古レコード屋さんに足を運んでポップスのEP盤(いわゆるドーナツ盤)を購入し、デジタル化して楽しんでいる。ついこの前も8枚購入してきた。

 フォノ端子のあるアンプは物置に放置してしまい、現在はフォノイコライザー経由でオーディオ機器に接続しスピーカーやヘッドホンから聴いている。フォノイコライザーはADL GT40αで、これはフォノイコライザー内蔵USB DACで24bit/192kHzのDAC & ADCおよびヘッドホン・アンプの機能を有し、コストパフォーマンスの良い優れもの。カセット・デッキなどの外部アナログ・ソースからの入力も可能で重宝している。これを購入した大きな理由は将来レコードプレーヤーを新規購入する場合にフォノイコライザー内蔵のものに限定したくなかったことが大きい。購入する際はレコードを回すとという機能に特化し、フォノイコライザー内蔵に要するコストを省いたものが欲しくなるのは目に見えているからである。それと、このGT40αはPCにUSB接続するだけでハイレゾでのデジタル化ができることも大きかった。

 PCの近くには、接続せずにオープン状態にしたオーディオ関連のUSBケーブル4本を雑に並べており、都度PCに接続してハードウェア設定を確認しながら音楽を聴いているのだが、時々PC設定を忘れてしまい(年齢のせいか)、音が出ないときは設定を確認するという煩雑さはあるにしても、それはそれでボケ防止にはなっているのかもしれない。

 レコードプレーヤーは44年前に購入したPioneerのPL-25E(当時のリスト・プライス-L/Pは30,000円)を使用していたのだが、ベルト・ドライブであるが故に使用勝手が悪い。ベルトが伸びてしまうので普段はベルトを外しており、使用するときにはターンテーブルを外してベルトを掛けるという面倒さがある。それにストックしているベルトは長い間には劣化(硬化)してしまう。回転部分が(ダイレクト・ドライブよりは)多いので注油メンテナンスも必要。最近もベルトの伸びにより回転が不安定になった。また、モーターのドラッグ・トルク増加に伴う回転不良に陥り、注油して復帰したことがあった。
 新品を買おうといろいろ当たってはいたのだが、安価で性能がそこそこあるものはベルト・ドライブが主流で、ベルトの消耗を考えると二の足を踏んでしまっていた。修理覚悟の中古品を探してハードオフにも何度も通っているのだがいいものがでない。

 親しい友人と飲んでいるときに、ダイレクト・ドライブで性能の良い中古品が欲しい、トーンアームのリフトアップができないような補助機能は動作不良でも構わない、カートリッジも要らない、などと話していたら、その友人が使っていない古いレコードプレーヤーがあるからあげるよと言ってくれた。明年に会津に行ったときに譲り受けようと思い嬉しくなった。
 ところが、なんとその友人は2週間程前にそれを送ってくれた。しかもあて板とエアキャップで丁寧に梱包した状態で送ってくれた。しかも、綺麗で汚れていない。自分が使っていたPL-25Eは外観は傷だらけで、カバーやそのヒンジは原形をとどめていないが、届いたものは新品同様であった。

 頂戴したプレーヤーはPioneer PL-1400でカートリッジも付いている。1974年発売の商品でL/Pは当時の自分の手取りの月給をも上回る67,000円。回転させてストロボ・スコープを確認しても全くブレがなく安定している。兎にも角にも42年前の発売とは信じられない美品である。それでも自分の性格からトーンアームは分解して磨き、カートリッジからの配線はすべて半田付けし直した。カートリッジはそのままとし、針を新品にし、最初の音出しをしたら一発で何の歪みもないいい音が出た。PL-1400およびカートリッジの性能はそれまで使用していたPL-25Eをすべて上回っており、PL-25Eに替わって主役の座に置いた。使用している他のオーディオ機器はすべて小サイズであるのだが、このPL-1400は11kgの重さでドシンとした存在感をもって自分のいつもの位置の左側に鎮座している。44年間一緒に暮らしてきたPL-25Eは部屋の隅に置いてスペア機器の如く存在と化した。
 ・・・・それからはLPを聴く機会が多くなっている。何せ操作性が良い。長く聴くことのなかったLPを時々引っ張り出しては聴いている。

2015年11月11日水曜日

ラグビー

 香港で行われた7人制ラグビー。男女ともに前試合の録画を見た。日本と他国との差が大きすぎる。男子決勝の香港戦は一時0-10とリードされ、もしかしたらと不安も感じたが結局は逆転して優勝。中国のコンタクトが強く、今後日本のライバルになると感じた。松井・後藤の早さに魅了される。自分の好みでは7人制よりも15人制のほうがはるかに楽しめる。

 9日に前橋で行われた早稲田vs日体大戦。早稲田が勝ちはしたがぴりっとしない戦いぶりで不満だらけ。つまらないペナルティやハンドリング・エラーが目立つ。佐藤穣司の働きがいい。本来スタメンの筈の横山・桑山・勝浦・本田・吉岡・黒木はどうしたのか。それに福島の星/滝澤も怪我なのか。
 早稲田の残る戦いは慶応と明治。慶応との勝敗は五分五分か。明治には苦戦の予想。慶応に勝たなければ対抗戦5位になってしまう可能性が高い。ラグビーに入れ込むようになってからこれほどに下位にいる早稲田は初めてのこと。法政も低迷しているし、両大学を卒業した我が身としてはサビシイ限りである。

 高校ラグビーの逸材中野将伍(東筑高校)がAOで2016年度に早稲田に入学。17歳でU20代表。サイズもあるし藤田以来の注目を集める筈。

 高校ラグビー、今回も秋田工業は花園に出られない。埼玉県は深谷vs浦和の決勝。浦和の勝利を期待。早稲田にOBが2名いる函館ラサールが初めての代表。福島県では磐城と福島が準決勝で敗退している。國學院久我山と東京は抽選になって前者が花園に。東京高校は口惜しいであろうに。

小説、新書

 <筒井康隆 『東海道戦争』(中公文庫、1978年)>:初刊はほぼ40年前となる短編集。40年間ほどの間に読んだ著者の本は2冊だけ(『富豪刑事』・『魚籃観音記』)。新聞か週刊誌かの記事でこの文庫本が最近読まれているらしいと知り、手元に置いていた。「東海道戦争」にはあまり興味が惹かれず、「うるさがた」「お紺昇天」「堕地獄仏法」が楽しめた。

 <北野武 『新しい道徳』(幻冬舎、2015年)>:サブタイトルは「『いいことをすると気持ちがいい』のはなぜか」で、朝日新聞日曜版の読書コーナーで高評価されており、目を通したくなった。北野武の道徳観を簡単にまとめてしまうと、「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」のであって、「自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則」であり、「自分なりの決め事を作って、それを守ることだ」ということ。自分もそう思う。
 秩序という名の下に「管理したがり屋」がすることは物事を枠で囲いたくなるものである。しかし、枠を作るとその枠の中に価値が押し込まれ、枠以外に価値はあたかも存在しなくなってしまう。この本の中で言及されている「電車の優先席」を考えれば自明である。「優先席」という枠を決めた途端に「優先席」という価値は車両の端の場所だけに押し込められ、「優先席」でない席では席を譲らなくとも良いとなってしまう。そして「優先席」では眠ったふりをし、座ってしまうことへの抵抗感を生じせしめ、老人あるいは弱者は「優先席」以外では身を小さくすることに繋がる。
 脱線してしまうが、会社勤めをしていたとき、暇な管理グループがあって、例えば設計図面ミスをなくすために何を発想するかというと、図面チェックを厳しくするルール作り、設計担当者別のミス発生頻度データ作成提案だったりしていた。設計するとはどういうことなのか、そこから発生する設計図面ミスはどう分類されるのか、設計責任を負うべき階層はどう位置づけられるのか、設計ミスはどこまで無くせばよいのか、だからどこに手をつけるべきなのかなどという論理的思考は全くなく、すぐにルールを作ろうとしていた。担当していた人が知っている先輩であることを知らずに、その先輩の前で「すぐにルールを作ろうとするその発想の貧弱さよ」と口に出してしまったら、批判の中身を問うこともなく「ルールを作るのが何で悪いんだ」と彼は怒ってしまった。道徳にしても、管理したがる側にいる人間がこうしなさい、ああしなさい、あんなことはしてはいけない、とルールあるいはガイドを作ってもおそらく何のためにもならない。

 <池井戸潤 『下町ロケット2 ガウディ計画』(小学館、2015年)>:現在テレビでドラマ化されている『下町ロケット』の続編。楽しめたのだが、その反面では飽きてきている。それは「倍返し」のドラマから「臨店」のドラマも、「ルーズベルトゲーム」のドラマも、そしてこの「下町ロケット」も、基調は筋を通してキチンと仕事をする主人公たちの周りに保身的で策をめぐらす不実な人びとと、その不実な人が属する組織(企業)があって、その組織の中にも誠実な人間がいて、最後は不実な人びとや組織はやっつけられる(自ら窮地に陥る)というステレオタイプのストーリーが展開される。人物の設定や物語の描写には惹かれるのであるが、読み終えてしまえばいつもと同じパターンと受け取ってしまう。
 メーカーで働いていた頃は開発部門にいたし、部品調達の品質やコスト交渉にも何度もでていたし、部品受け入れ管理部門の人間が外注の中小企業にエラソーに品質管理などの指導を行う場にも同席しことも何度もある。だから、小説に描かれる場面は強調されてはいるけれど実感として伝わってくるところはある。しかし、部品のデータ取りや手作業での品質作り込み場面は物足りない。それはオレが実際の開発現場、もの造りの現場を経験してきたから感じることであろう。

2015年11月2日月曜日

ラグビー、野球、駅伝

 例年なら11月最初の日曜日は秩父宮ラグビー場にいるのだが、リピートクーポンを購入済みであるにも拘らず今年は家にいた。今季の早稲田ラグビーのレベルは低い。1999(平成11)年の対抗戦4位、あるいは1983(昭和58)年の同5位以来の弱さと言っていいだろう。そして強すぎる帝京に向かっては勝てるはずもなく、前の筑波戦での酷い敗戦を目にしてから試合観戦に足を運ぶ気にもならなかった。自宅ではテレビもつけなかった。
 結果は大学選手権・対抗戦を通じて最大の点数を取られて惨敗。惨敗なんて言葉はまだ甘いかもしれないほどの負け。寂しいし辛い。残るは慶応戦と明治戦。これまでの各校の得点を見る限りでは、2校との試合はネガティブな予想をしてしまう。対抗戦での順位は4位か5位となるであろう。

 テレビでは伊勢路への駅伝、そして野球の早慶戦を見ていた。関東地区予選を経て参加資格を得た駅伝では早稲田はシード権獲得の4位。主力を欠いた中での4位は予想よりも良かったと言えるのではなかろうか。
 野球、シーズン序盤で優勝はほぼないものと思っていたが、慶応に連勝しての8年ぶりの春夏連覇。そして優勝45回目は単独トップ(2位は法政)。

 RWC2015のドリームチームに五郎丸が選出された。凄い。また今回から新設された「最高の瞬間」賞にあの南ア戦が選ばれた。 南アによっては屈辱であろうし、じゃぱんにとっては誉れ高い最高の試合となり、今後も世界レベルで記憶される。「最高の瞬間」賞はあの南ア戦があったからこそ-2014年までじゃぱんはRWCでは1勝しかなく、また、NZ戦でじゃぱんが取られた145点はRWC史上最多失点、そのじゃぱんが南ア戦に勝ったからこそ-新設されたのではなかろうかと勝手に想像している。
 RWCのHPを見ると、最優秀コーチにエディーさんがノミネートされており、そして何と最優秀チーム候補にはNZ・アルゼンチン・オーストラリアと並んでじゃぱんが選ばれていた(じゃぱんだけが決勝ラウンドに進んでいない)。また、最優秀トライ候補には南ア戦での五郎丸のトライが6候補の中に選ばれていた。いずれも最優秀とはならなかったが、RWCのHPでは動画が流れており、全世界で見られている。スコットランド戦での五郎丸のトライも動画の筆頭でアップされている。

 駅伝・東京六大学野球・RWCの嬉しいニュースがあるなかで、早稲田のラグビーの残酷な結果は落ち込んでしまうほどに残念だが、残り試合では少しでも早稲田らしい試合をしてほしい。RWC効果もあり、明治が復活してきたこともあり、また国立競技場ではなく狭い秩父宮での試合ということもあり早明戦のチケットは売り切れ状態にあって当日券は販売されない。そのような早明戦であるからこそ-早明戦は、それまでの他校との試合結果は参考にならないとはよく言われていることであり、だからこそ-早稲田にはいい試合をしてほしい。もちろん慶応戦も同じである。藤田が早慶戦より参加できることを願う。