2015年11月11日水曜日

小説、新書

 <筒井康隆 『東海道戦争』(中公文庫、1978年)>:初刊はほぼ40年前となる短編集。40年間ほどの間に読んだ著者の本は2冊だけ(『富豪刑事』・『魚籃観音記』)。新聞か週刊誌かの記事でこの文庫本が最近読まれているらしいと知り、手元に置いていた。「東海道戦争」にはあまり興味が惹かれず、「うるさがた」「お紺昇天」「堕地獄仏法」が楽しめた。

 <北野武 『新しい道徳』(幻冬舎、2015年)>:サブタイトルは「『いいことをすると気持ちがいい』のはなぜか」で、朝日新聞日曜版の読書コーナーで高評価されており、目を通したくなった。北野武の道徳観を簡単にまとめてしまうと、「道徳がどうのこうのという人間は、信用しちゃいけない」のであって、「自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則」であり、「自分なりの決め事を作って、それを守ることだ」ということ。自分もそう思う。
 秩序という名の下に「管理したがり屋」がすることは物事を枠で囲いたくなるものである。しかし、枠を作るとその枠の中に価値が押し込まれ、枠以外に価値はあたかも存在しなくなってしまう。この本の中で言及されている「電車の優先席」を考えれば自明である。「優先席」という枠を決めた途端に「優先席」という価値は車両の端の場所だけに押し込められ、「優先席」でない席では席を譲らなくとも良いとなってしまう。そして「優先席」では眠ったふりをし、座ってしまうことへの抵抗感を生じせしめ、老人あるいは弱者は「優先席」以外では身を小さくすることに繋がる。
 脱線してしまうが、会社勤めをしていたとき、暇な管理グループがあって、例えば設計図面ミスをなくすために何を発想するかというと、図面チェックを厳しくするルール作り、設計担当者別のミス発生頻度データ作成提案だったりしていた。設計するとはどういうことなのか、そこから発生する設計図面ミスはどう分類されるのか、設計責任を負うべき階層はどう位置づけられるのか、設計ミスはどこまで無くせばよいのか、だからどこに手をつけるべきなのかなどという論理的思考は全くなく、すぐにルールを作ろうとしていた。担当していた人が知っている先輩であることを知らずに、その先輩の前で「すぐにルールを作ろうとするその発想の貧弱さよ」と口に出してしまったら、批判の中身を問うこともなく「ルールを作るのが何で悪いんだ」と彼は怒ってしまった。道徳にしても、管理したがる側にいる人間がこうしなさい、ああしなさい、あんなことはしてはいけない、とルールあるいはガイドを作ってもおそらく何のためにもならない。

 <池井戸潤 『下町ロケット2 ガウディ計画』(小学館、2015年)>:現在テレビでドラマ化されている『下町ロケット』の続編。楽しめたのだが、その反面では飽きてきている。それは「倍返し」のドラマから「臨店」のドラマも、「ルーズベルトゲーム」のドラマも、そしてこの「下町ロケット」も、基調は筋を通してキチンと仕事をする主人公たちの周りに保身的で策をめぐらす不実な人びとと、その不実な人が属する組織(企業)があって、その組織の中にも誠実な人間がいて、最後は不実な人びとや組織はやっつけられる(自ら窮地に陥る)というステレオタイプのストーリーが展開される。人物の設定や物語の描写には惹かれるのであるが、読み終えてしまえばいつもと同じパターンと受け取ってしまう。
 メーカーで働いていた頃は開発部門にいたし、部品調達の品質やコスト交渉にも何度もでていたし、部品受け入れ管理部門の人間が外注の中小企業にエラソーに品質管理などの指導を行う場にも同席しことも何度もある。だから、小説に描かれる場面は強調されてはいるけれど実感として伝わってくるところはある。しかし、部品のデータ取りや手作業での品質作り込み場面は物足りない。それはオレが実際の開発現場、もの造りの現場を経験してきたから感じることであろう。