2020年9月10日木曜日

戦前の日本に関するテキスト

 <筒井清忠 『戦前日本のポピュリズム』(中公新書、2018年)>:近代日本においてポピュリズム現象が日本に初めて登場したのは日露戦争後の日比谷焼き討ち事件(1905年9月)で、加藤高明政権(1924~1926年)と普通選挙実現(1925年)で本格化し、近衛文麿が空前の人気をとって内閣を成立させ、最後は日米戦争に繋がった。マスメディア(ラジオと新聞)でポピュリズムは展開され、支えたのは天皇シンボル(の利用)であった。結局のところ天皇というシンボルが利用され、何もかもが「天皇」というシンボルのもとで束ねられた。自分はそう解釈している。

 <荻野富士夫 『特高警察』(岩波新書、2012年)>:1911年に特高警察が創設され、敗戦の1945年まで存続し、特高警察の中枢にいた多くは敗戦後の公職追放が解除されてからは主に自民党の衆議院となって政治の側面において治安政策をリードした。身近な存在としては余り認識されないが現代の公安警察はその役割から言えば特高警察の流れの上にある。
 特高警察の大きな役割は「国体護持」であり、活動を支えたのは「治安維持法」。「労働運動死刑法」と呼ばれた治安警察法第十七条も警察にとっては大きな効力を発揮した。単純に戦前の日本を括っているのは「国体護持」であり、それはもちろん「天皇」あってのことだし、戦争での成果に大衆が歓喜したのも基底には「天皇」の存在があった。
 「特高警察」や「治安維持法」には、現在の香港(香港だけではないが)を取り締まる中国の「国家安全維持法」に同じ匂いを感じる。

 <纐纈厚 『侵略戦争 -歴史事実と歴史認識』(ちくま新書、1999年)>:書名からは中国・朝鮮などを対象とした侵略戦争をイメージさせられるが、本書の内容はサブタイトルの「歴史事実と歴史認識」がメインである。まずは「侵略思想の源流を探」り、続けて日本軍の「作戦・用兵の特徴」を論じ、ポツダム宣言受諾をめぐる支配層の思惑は何であったのかと続き、「天皇制軍隊の特質と戦争の実態」を明らかにし、戦前から現在まで続くその連続性と課題を述べている。内容が濃く、改めて勉強させられた。
 8月になると戦争での犠牲が語られることが多い。そして加害者としての行為は殆ど沈黙の中にある。これはよく言われるよう「歴史の「忘却」と「記憶」の問題」であって、すなわち「広島・長崎への原爆投下、シベリア抑留」は記憶するが、「バターン死の行進、南京虐殺事件、シンガポール虐殺事件、マニラ掠奪事件、ベトナム1945年の飢饉・・」は忘却してしまう。そして忘却した深層に入ろうとすると、「米英同罪史観、自衛戦争史観、アジア解放戦争史観、殉国史観、英霊史観」が表に出てくる。

 <辻田真佐憲 『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎文庫、2016年)>:虚偽の報告は虚偽を幾重にも重ねることになり、実態を隠す言葉をも発明し(玉砕・転進)、捏造、沈黙も増える。都合の悪いことは隠し、なき物としてしまい、曖昧な状況を継続させ、そして沈黙する。これは現在の政治・官僚でも繰り返されている。最終的には国民は離れていき、どうにかしたいという意識(戦意や真相追究)は低下する。
 「玉砕」という言葉は戦争中に長い間使われていたと思っていたが、大本営発表ではアッツ島から始ってタラワ・マキンの戦いまでの1年に満たないことであった。「皇軍の神髄」と美談化された「玉砕」をいつ頃から国民は「全滅」と認識するようになったのであろうか。現在でも「玉砕」を美しき散華のように捉えている人は少なくないであろう。その意味では大本営発表の「玉砕」発明の狙いは成功して現在に繋がっているということでもある。

0 件のコメント: