2018年7月19日木曜日

維新史のテキスト

 <三谷博 『維新史再考』(NHK出版、2017年)>:副題は「公議・王政から集権・脱未分化へ」。グローバル化の波がどのようであったのか概観し、近世東アジアと日本の世界秩序像を描き、近世日本の国家形態、社会構造・動態と社会結合、東アジア国際環境と日本の世界認識へとすすみ、幕末の対外政策の変転へとすすんで幕末の政治秩序が崩壊し、公議・尊攘・強兵運動が活発化して維新へと展開する。「すべての始まりは「公議」の追求だった」との視座のもと、「王政」・「公議」が明治の政体変革に続く歴史が詳説される。幕末・維新史が詳述されたテキストであり、その動乱の時期を振り返るときに頁を再度開くこととなろう。
 「幕末=前近代的」から「維新=近代の覚醒」と捉えがちで、感覚的にはちょんまげから洋装へとデジタル的に急変したと思いがちであるがその感覚は払拭せねばなるまい。
 「西洋産の秩序規範に従うことへの不快感は世界中で語られている。しかし、彼らが社会の公正・平等・安寧・自由を実現する代替モデルを提示しているわけではない。「近代」の西洋が創り出したモデルを上回り、人類に普遍的に歓迎されるような秩序規範ははたしてどこに生まれるのであろうか」(406頁)と終章は結ばれている。思うに、普遍的なモノは生まれない、生まれるはずもない。集団システム・組織の基層にある個々の人間が各々の感情・欲望を極度に抑制しない限り普遍的な状態は生まれないだろうし、逆に感情・欲望を棄てた個々人は生きていると言えなくなってしまうだろう。
 ふと思い出す。犯罪のない統制のとれた秩序ある人間世界よりも、欲望がぶつかり合う犯罪が存在する状態の方に人間の生を感じる、そのようなことを言ったのは市ケ谷の高みから檄を飛ばしながらも見上げる人たちから嘲笑も受けた作家だったっけ。

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