2021年12月6日月曜日

まとめて6冊のメモ

 読書後のメモ作成が遅くなっていた。簡単にメモを付して履歴を残しておく。順番は日にちの経過順。

 <保阪正康 『昭和史の深層』(平凡社新書、2010年)>:昭和史に15のテーマを設定し、史実に基づいて問題点の本質を明示する。戦前の軍部、特に東条英機への批判は鋭く厳しい。より本質的な,問題はなぜ戦前の軍事体制が敷かれ、東条をはじめとする愚かな首相が誕生したのであろう,と言うこと。問題点への距離の取り方が、改めて勉強させられる。

 <奥泉光 『東京自叙伝』(集英社、2014年)>:早い段階で放り棄てた。

 <保阪正康 『昭和史のかたち』(岩波新書、2015年)>:昭和の時代を図形で表す。判りやすい。「昭和史の○○」が10章にわたって概説される。○○は、「三角錐-底面を成すアメリカと昭和天皇」「正方形-日本型ファシズムの原型」「直線-軍事主導体制と高度経済成長」「三角形の重心-天皇と統治権・統帥権」「三段跳び-テロリズムと暴力」「球、その内部-制御なき軍事独裁国家」「二つのS字曲線-オモテの言論、ウラの言論」「座標軸-軍人・兵士たちの戦史」「自然数-他国との友好関係」「平面座標-昭和天皇の戦争責任」。全てとは言えないが、イメージとして記憶され、著者の分析力に深く頷く。
 最後にフェルマーの最終定理<xのn乗+yのn乗≠zのn乗>が示され、x=国民、y=天皇、z=政治体制と置き、n=象徴と当てはめると「平時体制」という天皇と国民の(良好な)関係が生まれる、と解説する。nに「主権者」とか「大元帥」「現人神」をあてはめると、左辺≠右辺となり、ファシズム体制や軍事主導体制が生れるのではないかとする。このような思考がとても面白い。

 <成田龍一 『「戦争経験」の戦後史 語られた体験/証言/記憶』(岩波書店、2010年)>:「戦争の経験を問う」シリーズの一冊。体験/証言/記憶は三位一体をなし、1945年からは「体験」の時代であり、1965年からは「証言」の時代、1990年からは「記憶」の時代と区分される。副題の「語られた体験/証言/記憶」にあるように、年代を追って「語られた-出版された-」経過を軸に戦争経験を論じる。しかし、「経験」は個人的なものであり、「経験」から個人の枠の外への拡がりがあまり観られない。例えば加害者としての向き合い方や、戦争そのものへの本質的な問題提起が薄く感じられる。乱暴な言い方をすれば、こういう人たちが自ら体験した戦争をこう語り、こう証言し記憶している、といった表層的な分析という感じがしてしまった。

 <福間良明 『「戦争体験」の戦後史 世代・教養・イデオロギー』(中公新書、2009年)>:戦没学徒遺稿集である『きけわだつみのこえ』と「わだつみの会」(日本戦没学生記念会)の活動経過を軸として「戦争体験」を描く。「わだつみのこえ」を知った時期はすでに活動のピークが過ぎたときのことであり、高校時代に手に取ったことがある。理由はよく記憶していないが、興味を持つことはなかった。今でもそうだが、ある特定の位置に座している人たちが語る戦争回顧のようなものには興味が持てない。

 <吉田裕 『兵士たちの戦後史』(岩波書店、2011年)>:アジア太平洋戦争から復員した(元)兵士たちの戦後の生活史ではなく、戦友会・遺族会・旧軍人会などの活動記録をもとにして、この国の戦争に対する意識変遷をたどっている。思うことはなぜ人は自分の過去を振り返るときに群がってしまい、事実から目を背けて正視しようとせず、自己正当化を図り、他を陥れようとするのだろうか、これはもう日本だけではなく人間一般の性癖なのだろうとも思う。もちろん元兵士たちの中には戦友会への参加を拒む人や、旧軍人の発言に抗っている人たちもいる。問題は抗っている人たち、あるいは沈黙している人たちの声は表に出にくいという状況にこそ本質的な問題があるように思える。日本はあの戦争から何を学び、何を繋げようとしているのか甚だ疑問である。
 大学に入ったころ、上野公園の近くで傷痍元軍人たちの白衣の姿を目にしたことがある。戦争は終わっていたとの認識が崩された思いをした。
 戦死者の慰霊碑として愛知県三ヶ根山頂の慰霊碑群が有名であるらしい。山頂から望む三河湾の風景がフィリピンの激戦地であったレンガエン湾に似ているということもあってか84基の慰霊碑が存在しているとのことで、「英霊」を「顕彰」するという内容が多い。日本人のみならずフィリピン人や中国人の戦死者も追討されているが、日本人戦死者の「聖地」の感が強いと著者は書く(154頁)。慰霊・忠魂・顕彰・追悼・散華・英霊・・・等々、戦争がなければ、そして戦死者がいなければ生れていな言葉である。これらの言葉は戦争用語、戦死者用語ともいえ、往々にして美しく飾られる。これらの言葉の持つ意味や歴史をもっと深く考えられてもいいのではなかろうか。

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