2021年1月17日日曜日

ラグビー・シーズン終了、『近代日本の陽明学』から

 高校・大学ラグビーの今季シーズンが終了した。これで昨年10月02日からの“J SPORTSオンデマンド”の契約を解約した。次の契約は(コロナ禍が沈静化していればの前提に立つが)来季秋になる。
 天理大の初優勝が素晴らしいものだから決勝戦終了後のシーンをBDに落とし込んだ。早稲田が敗戦したのにBDを作成したのはこれで3度目。最初は2006.02.19の東芝府中戦(佐々木主将0-43のスコアだが早稲田のThe Best Matchと思っている)、2度目は2009.02.15のサントリー戦(豊田主将20-59で監督は中竹さんと清宮さん)。
 次季の主将は長田、副将 or FWリーダーは小林と予想する。1ヶ月もせずに発表されるであろう。

 <小島毅 『近代日本の陽明学』(講談社選書メチエ、2006年)>:「陽明学」の呼称は明治になって日本で作られ定着した(『日本思想史辞典』)。明治期の陽明学派の論の核は「日本の誇る道徳修養の教えでもあり」、「彼らの陽明学は、王陽明の陽明学ではな」かった。
 “朱子学の教義に疑問を感じる→煩悶する→自分独自の考えを練っていく→陽明学について知る→「これだ!」と思う”。そして“他称「陽明学者」は、自称「聖学の徒」となる”。“陽明学には党派意識があまりない。学閥を作らない。自分の門人たち以外とは群れない。すなわち、逆に言って、はたから見ると内部分裂が激しい”---この中の幾つかの言葉を違う言葉に置き換えればある思想や感情に当て嵌まる。ぴったりと。
 本書に登場する主要人物を羅列する-大塩中斎・藤田幽谷・藤田東湖・(自己陶酔する)吉田松陰・三島中州・三宅雪嶺・内村鑑三・西郷隆盛・井上哲次郎・高畠素之・大川周明・安岡正篤・山川菊栄・三島由紀夫。
 山川菊栄と三島はともに水戸学ゆかりの血を引くことに著者は「深い衝撃を覚えた」と書くが、この「深い衝撃」がよく理解できない。すなわち、その水戸学が二人の思想にどう繋がっているのか、本書からはうかがえない。
 面白いと思った分析を続けて幾つかを羅列する。
 Enlightenmentの本来の意味は「神が与えてくれた各自の理性(reason, Vernunft)を自らの努力で光り輝かせる意味」であるが、『易』の文言を利用して「啓蒙」と訳された。しかし、儒教での「啓蒙」は蒙を啓く、i.e.,「愚か者を教え導くこと」で以降「啓蒙」となっている。
 「日清戦争」と「支那事変」の歴史用語における「清」と「支那」の国名の使い分け、及びそこにおける靖国神社の「支那」呼称との符合性、また宣戦布告せずに「事変」と呼称する不遜さ。
 「白い陽明学」-「自分の頭で考えた末の国体護持主義」、「赤い陽明学」-「幕末以来の伝統をある意味正しくうけついで、革命の理想に燃える人士も陽明学に惹かれていた」。日本に基層の如く沈殿する思想性とでも言えばいいのだろうか。
 藤田東湖を敬愛しその後継者たらんとした西郷隆盛。西郷を敬愛する山形庄内地方の人びと。その地に生まれた大川周明は西郷を終生尊敬していた。しかし、庄内地方でなぜに西郷を敬愛するのか、それは庄内地方での官軍の余りの暴虐を西郷が計算づくで止めさせただけではないかという解釈もできるし、自分はそう考えている。庄内ではそれを慈悲深き西郷と感じただけで、官軍のもともとの暴虐の指揮は誰だったのかを横に措いている。大川はそれをどう思っていたのだろうか。
 三島と石原慎太郎をさして、「日本刀を愛するか、ヨットを愛するかの趣味の違い」。これが最も面白い。

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