2017年6月4日日曜日

ミステリー2冊、島の焼酎

 <東野圭吾 『虚ろな十字架』(光文社文庫、2017年)>:帯に、死刑は無力だ、罪は贖えるのか、東野圭吾最大の問題作、とあるが、死刑という制度を重々しく取上げたものではなく、死刑廃止反対を道具の一つに立てたミステリー。死刑制度に真っ正面に対峙したものではない。
 中学の少年が1年下の中学生との間に子を作り、その子を殺し、その後二人は別れ、男は小児科医の医師になり、妊娠していた女と結婚をし、女は風俗で働き・・・・、そこに現れたのが娘を殺されてから離婚、その後死刑廃止反対を訴える女。彼女が殺され元夫が謎を追う。碌でもない親が贖罪のような形で安易に殺人者となり、、、、、ストーリー構成に無理を感じる、人ってそう簡単に過去に向き合えるのだろうか。初刊は2014年。

 <早見和真 『イノセント・デイズ』(新潮文庫、2017年)>:これも初刊2014年の文庫版。意図したのではないが又もや死刑が出てくる。中心になるのは女性死刑囚。彼女は生きるために死刑を望む。必要とされるのを求めるが、必要とされなくなるのが死よりも恐怖である彼女は刑を執行される。
 母が死に、義理の父から疎んじられ、唯一の血縁者である祖母に引き取られ、祖母に男がいれば無視される。同級生の罪を言い訳もなく受け入れて施設に送られ、つきあう男の暴力受け入れる。いじめ、あるいは強迫をする、される中学生男女が登場する。死刑を待つ彼女のかつての同級生は弁護士になり、彼女に面会を求めるも一度だけであとは拒まれる。刑務官も裁判の頃から死刑囚を見つめる。世の中に喧伝される死刑囚像と現実の違いが後半語られる。
 うまく物語を構成していると思うが、どうもそれぞれの人たちが薄っぺらく描かれている気がしてならない。すべての人が、である。そして人に頼り、その人に抗い、やがて少しだけ自分をみつめ、安寧の生活に入っていく。上手い小説なのだが物足りなさも感じる。それは多分、オレが年齢を重ね、小説世界を一過性の娯楽、時間潰しとしか捉えなくなっているが、その一方では何かしら気持の片隅に新しい何かを期待しているからであろう。

 先月東京都の島を巡ったとき、島の人たちに評価の高い焼酎「盛若」を買ってきた。以前、四谷の店で飲んだ八丈島の「情け嶋」が運良くあればと思ったが、さすがにそれはなかった。今日(4日)、ウォーキング歩数を稼ぐために駅前の本屋に行き-自室には積んでいる本が沢山あるのにまた2冊買ってしまった-、帰宅する途中でもしかしたら「情け嶋」があるかもと淡い期待で”やまや”に寄った。目当ての焼酎はなかったが、まったく期待していなかった青酎があるではないか、置いてあったのは「青酎麦」。迷わず35度の方を1本買った。盛若もまだ飲んでいない。ゆったりとした時間にこれら島の焼酎を飲んでみよう。機会を作って新宿にある青ケ島屋に行って色々な青酎も飲んでみたい。

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