2017年11月4日土曜日

BDプレーヤー・プリンター、漫画・小説

 12年程前に購入したDVDプレイヤーを破棄し、Sonyの4K対応BD プレイヤーを購入。あわせてHDMIケーブルもハイスペックのものを購入し、その設置に数時間。これで心置きなくカメラで4K撮影ができる。BDレコーダーや前のDVDプレイヤーでは再生できなくなってきた古いDVDも受け付けてくれるのでピックアップ精度はかなりいいのであろう。
 自室のプリンターと、共有しているスキャナー/プリンターが同時期にヘッド目詰まりを起こし、エタノールなどを用いて前者は直したが、後者は何度トライしても回復せず、修理-確認を繰り返すとインクが無駄に消費し続けるし、もう限界と思い買い換えた。2台のプリンターは同じインクカートリッジを使用していたがもうそれは無理であり、初めてCANONのものを購入。以前のサイズより随分と小型化している。家電量販店の店員さんに相談をしているときに現有のプリンターを話したら、随分と長く使われていますね、といわれ、ある意味感心していた。そう、概して我が家の電気製品は長持ちする。

 <桝田道也 『日本全国波瀾万城』(新人物往来社、2012年)>:11の城を可愛い女性に擬人化して、城にまつわる歴史を描く。城が好きでこの漫画を手に取ったのではなく、『朝倉家騒動記』で好きになった著者に惹かれて購入。まま面白かった。

 <近藤ようこ/坂口安吾 『桜の森の満開の下』(岩波現代文庫、2017年)>、<近藤ようこ/坂口安吾 『夜長姫と耳男』(岩波現代文庫、2017年)>:20歳頃のある期間、坂口安吾の小説やエッセイを読み続けていた。『堕落論』からはじまって『白痴』などに入る普通のパターンに陥り、『黒谷村』に魅了され、『クラクラ日記』(坂口三千代)まで手を伸ばし、もちろん『不連続殺人事件』も楽しんだ。今となってはもう殆ど記憶に残っていない。ただ単に50年近く前のいっときに坂口安吾や織田作之助や、第三の新人たちの小説に惹かれていたことがあったというだけである。21歳の時に新井薬師駅(?)の小さな書店で織田作之助の文庫を買ったら、書店のオヤジに「若いのに渋い本を読みますね」と言われたことがあった。
 坂口安吾をいくつか再読してみようと数ヶ月前に何冊か本を買ってきたが、まだ頁を開かないでいる。手軽に漫画でもと思い最新刊の2冊を読んだ。これらから何を感じればいいのかよく判らないままでいる。

 <白石一文 『愛なんて嘘』(新潮文庫、2017年)>:6編の短編集。「愛なんて嘘」は全体を括ったタイトルであって、その名の短編はない。最後の「星と泥棒」以外はすべて今の男(女)と別れて前の男(女)のもとに向かうところで終わる。その男女の結びつき-別れ-再びの出会いは解るような解らないようなものであって、もしそれが「愛」ならば、「愛なんて」そんなものかと突き放してしまいたくなる。でも、突き放すも放さないも、「愛なんて」ものは大層なものではなくて自分を見つめるための媒介でしかなかろう。あるいは、「愛なんて」ものは自分の愚かさや、もしかしたら少しは輝いているかもしれない自分の内面を見つめ直す切掛となっているものであろう。人は、人どうしの「愛」をあまりにも美しく飾り立ててしまい、「愛」と「性愛」をややもすると混同しているのではなかろうか。

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