2017年11月26日日曜日

早慶戦、本1冊

 23日は早慶戦。KO1時間前にバックスタンドに席を取りTYとともに観戦。最近3年間は25-25、32-31、25-23と接戦が続いて負けはしていないが、今季は敗戦もあると思っていた。対帝京戦の両校のスコアを見れば慶応の強さが感じられ、早稲田にはハンドリング・ミスや、時に見せるデフェンスの穴が印象にあって、勝利の確率は四分六ほどかと予想。しかし、その上でも早慶戦・早明戦はこれまでの戦績はあまり関係なくどう転ぶか分からないので勝つかもと期待もしていた。
 さて、前半は6-7と拮抗であるが、早稲田はノックオンのミスが目立ち、2PGだけ。後半に入り、距離のある3度目のPGが決まり、9-7とするもその後トライ&ゴールを重ねて決められて9-21となったときはこれは勝てないと確信した。しかし、ここからが素晴らしかった。FL佐藤が右隅にやっとトライを決め、ライン際からの大事なゴールをSH斎藤が鮮やかに決め、もう1T1Gで逆転の可能性が強くなった。そして、LO加藤主将の勝利へのトライで斎藤がきちんとゴールを入れて2点差のリードとなる。慶応の反逆はフェーズを重ね、早稲田は頼むから反則をしないでくれ、トライはされるなと念じ、それが伝わったわけでもあるまいが、早稲田は耐え、1分のインジュアリータイム後に斎藤のタッチラインへのキックで勝利をものにした。
 トライ数では負けていたので、最初のトライの難しいコンバージョンを決めたのがとても価値あるプレース・キックだった。最後ダメ押しのトライはスロー・フォワードで認められず、臨席のおじさん(CTB中野の高校の先輩)があれはミスジャッジと歎き、スタンドからも判定に抗する声があったが、帰宅後に録画で、芝生の刈り込みラインを基準に見ると、あれは確かにスローフォワードだった。これで2位確定と思ったが、明治戦に負けると2-4位のどれでもあり得る。12/3の早明戦ぜひとも勝ってほしい。(もし負けるならば接戦で4位の方が有り難い。なぜなら大学選手権の最初の試合を秩父宮で観戦できるから。)

 <アンベール/高橋邦太郎訳 『続・絵で見る幕末日本』(講談社学術文庫、2006年)>:「続」とうたれているが、こちらは全訳版である雄松堂出版刊(1969-70年)を底本としている。前回と同じく、庶民の生活の様子を軸として読んだ。挿画を眺めるだけでも楽しめるし、幕末期の江戸の家並みの中に身を置きたくなる。幕末期というとすぐに討幕派と佐幕派の戦い、そこに躍動する武士たちの姿、外国との交渉等々のパターン化した情景が浮かぶし、歴史の教科書も多くのテキストがそれら、いわば政治史的な描写が中心になっている。もっとも、そのような本だけに自分の目が向いていたのも事実である。
 著者は深い知識を有し、物事を見る眼が鋭く、冷静で人間味濫れる人だったと感じる。それを集約させる言葉が最後に記されている。引用しておく。「芸術作品を模写し、生産品の贋物をつくることは可能であるが、しかし、自由を真似ることはとうていできない。自由を把握しようとすれば、自由の高さまでみずからも高めなければならない。そのためには、多少の知識を身につけただけでは十分ではなく、完全な教育を受け、本当に内的に生まれ変わり、精神も魂も新しく生きることが肝要なのである。(改行)日本人は、現在、海洋と全世界の商業を支配するヨーロッパ諸国民の、手強い競争相手となりたい高邁な野心を抱いている。日本はヨーロッパ諸国民を打って一丸としたものと同等の力量を具えさえしたならば、必ずやその野心を達成することは確実である」。原著は1870年パリで刊行されたものであって、従ってこの文章は明治を迎えてからの日本をも意識していると思われる。その後の歴史を見れば、著者は慧眼の人だった。そして150年後の現在の政治の体たらく、というより政治家たちの低レベルさを思えば、著者の文章は何かしら皮肉っぽく感じられる。「明治」にとりつかれた人たちは、著者の文章に描かれたレベルであり、多分に著者の主張を理解できまい。

 慶応元年(1865)5月、家茂が長州征伐に進発してまだ半月もしないなか、19-20歳の男女を交えて進発の仮装で馬鹿騒ぎをした者たちがいた。このような庶民の動きが面白い。慶応2年には江戸には洋風が起こり、渡米した芸人がおり、慶応3年には町人のなかにも蝙蝠傘を開く者がでるようになり、築地にホテルが建ってええじゃないかの狂譟が生じる。以上『江戸編年事典』(稲垣史生)よりピックアップしたが、江戸庶民の生活史に触れるには、アカデミックな歴史書よりも三田村鳶魚の著作に触れる方が早道なのかもしれない。でも、そっちに走らないようにぐっとブレーキをかけている。

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