2017年10月16日月曜日

本3冊

 <中村彰彦 『脱藩大名の戊辰戦争』(中公新書、2000年)>:サブタイトルは「上総請西藩主・林忠崇の生涯」。『明治維新という過ち』(原田伊織)のあとがき(中村)で、「自ら家臣とともに脱藩した上総請西藩林家当主林忠崇」を知り、絶版となっているため中古本をAmazonに発注。
 脱藩後の経由は省略。あちらこちらを経由し会津若松にも滞在している。会津藩開城降伏の2日後、仙台にて「降伏謝罪」を勧められて受け容れた。簡単にいえば、忠敬の脱藩は徳川家を守ることであったが、徳川家の絶家は免れた。この時点で忠崇の戦う大義は失せたようだ。その後はどうなったか、要略する。
 2年4ヶ月の謹慎(他家預り)→明治4年に赦免→実家預り→請西村に帰農/元請西藩大名が自分の陣屋跡にて野良着股引姿で鋤をふるう→明治6年東京府に10等属(最下級)の官員として任用され学務課に勤務→明治8年中属にまで昇進→辞職(知事とそりが合わなかったヵ)→函館に下り豪商の番頭となり各地の取引所へ出張し商業を学ぶ→2ヶ年で閉店となる→植木屋の親方とか寺男の名目で龍源院に住み込む→大阪府属官となる→旧大名諸侯は藩知事となると同時に公卿ともども「華族」という新しい身分を与えられた。唯一の例外が請西林家。慶応4年5月の時点で領土を没収されていたため林家は諸侯の身分を失っていた。従って林家は華族ではなく士族の身分 →→→ 明治27年従5位(47歳のとき)/宮内省の一部局へ出仕し庶務課に勤務→病で離職/旧領地にて病を養う→明治32年日光東照宮に神職拝殿詰めとして勤務→大正4年68歳にて岡山県下に転居/次女の嫁ぎ先に同居→昭和5年次女離婚し83歳の忠崇はその次女と共に東京に戻る→昭和16年1月、次女の経営するアパートにて死去、享年94歳。
 次の二句に強く惹かれる。
   琴となり 下駄となるのも 桐の運
   真心の あるかなきかはほふり出す 腹の血しをの色にこそ知れ
後者は昭和16年に満92歳でなくなった真の「最後の大名」である忠崇の、明治元年に詠んだ辞世の句である。つまり、満19歳で詠んだ句に籠められたものを73年間変わらずに抱き続けたのである。

 <小谷野敦 『文豪の女遍歴』(幻冬舎新書、2017年)>:著名作家62人の女(男)遍歴を記す。不倫だとか下半身事情とか、異性愛とか同性愛とか、秘めたるものに興味を示すのは世の習い、人の習いであって、作家とかインテリのそれはなおさらにスキャンダラスで面白い。紹介された女を美しくないので気持ちが傾かないとか、屁理屈をたてて女性編集者にせまるとか、心中してくれるか否かで相手を選ぶとか、まぁいろいろとある。
 平塚らいてうが若い燕とした奥村との間にできた長男敦史は早稲田大学理工学部機械工学科の教授で、48年ほど前に自分は弾性学の講義を受けていた。宇野千代に一方的に思いを寄せていたらしい梶井基次郎は醜男だったので宇野は相手にしなかったらしい。20歳前後の若い頃、『檸檬』を読んでその瑞々しさというか、まあ魅惑されたのであるが、梶井の醜男ぶりに小説と現実の大きな乖離を感じたものである。己惚と嫉妬心の強い林芙美子は、その容姿からさもありなんと思ったものである。そんなかんなで多少は知っている作家たちへの勝手な思いを頭の隅において彼ら彼女らの女(男)遍歴をさっさと読むのは時間潰しに最適。

 <木内昇 『ある男』(朝日文庫、2015年)>:幕末から明治19年頃までの時代を舞台に、時代に翻弄された7人の「ある男」たちの生き方、生き様を描く。世に埋もれた人生ではあるが、それぞれに自分の「大義」を持っているがゆえに各短編に清々しさを感じる。
「蝉」:尾去沢鉱山から東京に出て井上馨に訴えを図るが果たせるわけもなく銅を掘り続ける。「喰違坂」:岩倉具視を斬った男と上司に媚び諂うことしか能のない警視庁官吏のやりとり。「一両札」:紙幣贋作を依頼された老人の矜持。「女の面」:民の声を聞くという意味が分からない旧弊な地役人の戸惑い。「猿芝居」:ノルマントン事件で中央の指示に翻弄される地兵庫の官吏。「道理」:東京から会津に逃れ農民相手に塾を営む元佐幕派の男。会津三方道路建設で負担を強いられる住民の相談にのる。「フレーヘードル」:自分の思いをぶつけられる相手を見つけた寡黙な農民の戦い。どの短編も読んだあとには喉越しの良い清涼飲用水を飲み込んだようになる。いい小説である。
 刈部直の解説で、「蝉」の主人公が銅山で働くことをさして、その生活は「シベリアの虜囚ほどに過酷な生活」に近いとするが、「同じ話に出てくる東京の車夫や飯盛女に比べれば、まだ恵まれた環境だろう」という。ちょっと待て、この学者は果して鉱山労働に知悉したうえでそう述べているのだろうか。このように形態の異なる労働を唐突に引き出して「過酷な生活」の比較を安易にすべきではなかろう。「車夫」は「俥夫」がいい。

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