2017年10月6日金曜日

ノーベル文学賞、小説2冊

 今年度のノーベル文学賞にカズオ・イシグロが決定。村上春樹はまたもや逃したとの報道がなされている。カズオ・イシグロの小説を最初に読んだのは「わたしを離さないで」であり、続けて時代を遡るように「日の名残り」(名作!と思っている)、「浮世の画家」、「遠い山なみの光」、「夜想曲集」と続けて読み、その後3冊が未読のままになっている。氏は「村上春樹氏やSalman Rushdie、Margaret Atwoodのような作家らより先に受賞が決まり、「ある意味で気まずい」とも述べている」らしい。
 新刊がでると必ず話題になる村上春樹については、氏の小説は一冊も読んでいない。数十年前に友人が薦めて貸してくれた一冊を読み始めたが、どうにもつまらなくて途中で投げ出してしまった。以来、結局は村上春樹の本は読んでいない。いま読めば異なる思いを抱くかもしれない。

 <乙川優三郎 『R.S.ヴィラセニョール』(新潮社、2017年)>:ブックカバーで蓋って、本のカバーや帯に要約されている短文も予め見ることなく読み始めた。従ってまっさらの状態で予断もなく、この小説に入り込むことができた。小説を楽しむときはこれが最適なのであろうと改めて思った。種々の賞に応募された原稿を手にし、何の情報もない状態で小説に目を通す選考者たちはある意味贅沢な読者なのかもしれない。一般読者が小説を読むときは既に何らかの宣伝文句-フィルター-を通しているわけで、真に小説を楽しむときはそのフィルターは余計な邪魔ものなのであろう。この小説は、書名だけを見ればどのような内容を描いているのか判らない。単に著者の小説を楽しんでいる自分からすれば、ただ乙川さんの小説であるというだけで手にしているだけである。そして、その動機だけで-つまりフィルターなしで-読んで良かったと思う。
 著者がよく舞台にする房総で、独り染色工房を営むのがレイ・市東・ヴィラセニョール。フィリピン人の父を持ち、母の国であるこの日本で伝統工芸の染色に打ち込む。絵画や工芸を題材にするのは著者の小説によくあるのだが、その伝統美や色、造形などを表現する文章にはいつも感服される。登場するのはレイの父と母、友人である現代琳派の画家、主人公と同じメスティソで草木染を生業とし且つ探求するロベルト(日本人の母とメキシコ人とのメスティソ)、父の弟、などがメイン。読み進めるうちにマルコス時代のフィリピンが重要な背景にあることを知る。この小説の書名には、R.S.VILLASEÑOR The People with a PASSION for Living、とサブタイトルが付されている。レイの情熱は染色にあり、ロベルトのそれは草木染で、父のPASSIONはマルコスの圧政時代から消えずに続いている。
 ピックアップした文章を幾つかメモしておく。「あれは色に対するある種の逃げではないかと思う。金よりもプラチナを好む国民性、目立たないことを優先する習性、優れたデザインよりも保証書を信じる堅実さ、迷うと中間をとる決断力のなさ、そいうものから醜い衣装や建物も生まれる。伝統文化のうちに多くの優美なものを持ちながら、遠くに眺めて生活の中に置こうとしない、色や形状の美に淡泊な人たち。渋好みの裏には華麗で繊細で工夫に満ちたかつての華やかな文化を捨てた日本人が見え隠れする」(16頁。“あれ”とは渋好みを指す)。「しかし、虚栄心が強く、野望と蓄財の才はあるものの、軍人としては無能な男にできたのはマニラホテルのペントハウスに暮らして黴臭い軍事計画に寄りかかり、兵隊の訓練も装備の点検も怠り、惨敗した揚句の「アイ・シャル・リターン」でしかなかった」(159頁)。(羽田を飛びだった機中で、2、30代の若い男たちに対して)「一様に微笑を浮かべ、そこそこ行儀よく、声は小さく、贅沢な旅行のはじまりに自足している。そこが不気味でもあった。人との深い関わりや尊い目的のための労苦を面倒がって、本当の友人や恋人を作らない。自分のうちにすべてがあると信じて、他者に無用のレッテルを貼り続ける。立ち向かえば手に入る大きな可能性や美しい世界を夢見ない。たぶんそんな人種であろう。無理に自分を追い立てずとも、出すものを出せばジェット機がたちまち別世界へ運んでくれる」(218頁)。著者の筆先がいつもより鋭く感じる。

 <沼田真佑 『影裏』(文藝春秋、2017年)>:第157回芥川賞受賞作。小説の読み方は人それぞれで、その人のなかでも読み方は変わる。物語の構成の巧みさ、場面の切り返しと連続性の接合方法、あるいは紙の上でおどる人の時々の状況の嵌め込みや繋ぎ、こういったようなものは多分に小説技法とでも呼ばれるものであろう。他方、小説から作者は何を伝えたかったのか、何を提起したかったのか、あるいはどのようにこちら側の胸を突き刺したかったのか、等々、作者の内面をうかがうような読み方もある。この小説、結局は上手く構成し、時と人をつなぐのであるが、何を伝えたかったのか読めなかった。芥川賞受賞なので高い評価であろうが、読んでみて、関心の向かない主人公に「あっ、そう」と思って通り過ぎただけ、そんな小説だった。

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