2017年9月13日水曜日

幕末・明治維新の本2冊

 <町田明広 『攘夷の幕末史』(講談社現代新書、2010年)>:本書で主に扱う時代は文久期(1861~1864)で、この時代は日本人すべてが尊皇であり、攘夷であったし、討幕を唱えていたのはごく一部の尊皇志士激派のみに過ぎない、と断じる。
 では、幕末期のあの対立はなんのかといえば、「大攘夷」と「小攘夷」の対立である。それらの基底には天皇を中心に据えた東アジア的華夷思想があった-後々のアジア侵攻、世界での中心である日本、といったような思想に繋がっている。
 「「大攘夷」とは、現状の武備では、西欧列強と戦えば必ず負けるとの認識に立ち、無謀な攘夷を否定する考え」のもと、「現行の通商条約を容認し、その利益によってじゅうぶんな武備を調えた暁に、海外侵出をおこなうと主張」するもの。一方、「「小攘夷」とは、勅許を得ずに締結された現行の通商条約を、即時に、しかも一方的に破棄して、それによる対外戦争も辞さないとする破約条約を主張するもの」。なれど、龍馬たちが思う「大攘夷」にはチラチラと金儲けしようとする意図が見え隠れするのはオレの思いすぎか。
 本書では、歴史上あまり重きを置かれていない「朝陽丸事件」(長州藩と弱小小倉藩の対立)を「歴史的大事件」ととらえている。それは、奇兵隊が起こした朝陽丸事件は、朝幕間の直接的な軍事的紛争の発端と位置づけているからである。
 第三章に坂本龍馬の対外認識が論じられているが、龍馬には興味がない。そもそも坂本龍馬は歴史上大きく取上げられる対象ではないと感じている(勉強不足かもしれないが)。

 <坂野潤治 『未完の明治維新』(ちくま新書、2007年)>:『明治維新 1858-1881』に記載されていた明治維新の各指導者たちの構図を再掲する。
   大久保利通(殖産興業)--<富国強兵>----西郷隆盛(外征)
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   <内治優先>                <海外雄飛>
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   木戸孝允(憲法制定)---<公議輿論>----板垣退助(議会設立)
本書『未完の明治維新』では<海外雄飛>が<征韓論>になっている(前書で改められた)。この2冊の新書は同一の著者が著しているので共通点も多い。
幕末の政局では「憲法制定」路線はなく、下図がとても分かりやすい。そしてここではどの路線も強力可能な関係にあった。
         富国論                横井小楠
      /   \     (思想家→)     /    \
      議会論  — 強兵論        大久保忠寛 — 佐久間象山
 横井も佐久間も暗殺されている。有能な多くの人間が幕末/維新期に暗殺されている。生かされていれば明治は、日本はどう変わっていたであろうか。タラレバは意味ないがふと思ってしまう。
 冒頭の構図に戻ると、「富国」・「強兵」・「立憲制」・「議会制」は、各指導者の挫折の後に、「実務官僚と実益政党」の手によって熟された。そしてそれは、1881年天皇詔勅では「9年後」に議会を開設し、それ以前に憲法を制定するという、じっくりとした時間をかけて実現していった。大久保・西郷・木戸・板垣の明治維新は「未完の革命」であったが、成果だけを見れば、1894年の第一次日中戦争の前にはすべて実現していた。
 戦火のなかで叫ぶ「平和」と安寧の時代に主張する「平和」は異なる。つまり、「スローガンの持つ意味とその重さとは時代毎に違うのである。その意味で西郷と木戸と大久保と板垣の「明治維新」は、彼らにとっては永遠に「未完」のものだったのである」と著者は言う。「降る雪や 明治は遠く なりにけり」のような情緒的表現ではある。
 巻末に記される文が重い、すなわち、「戦後歴史学の暗黒の日本近代史像も間違っていれば、それを単に裏返したにすぎない、体制派知識人の美しき天皇制日本像も事実に反する」

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