2017年9月26日火曜日

また幕末・明治の本

 <原田伊織 『明治維新という過ち』(講談社文庫、2017年)>:サブタイトルは「日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」。単行本の”改訂増補版”を購入していたが本文庫が”完全増補版”となって出版されたので追加購入し、前のものは古本屋に送った。
 著者の思いの丈を、文献を引用しながら、また現在状況にも言及しながら、作り上げられた「明治維新」の虚偽を暴く。指摘は鋭く、言葉は激しい。
 明治新政府を作った新政府指導者たちはそもそも新政府のビジョンを持ち合わせていなかったのでなかろうか。敵を倒して新たな体制の中心に座するとまずは「自己の正当化」=「旧体制の否定」からはじまるのは世の常である。例えば、企業でも上に立つ者が地位を高め、或いは新たな部署の上に立つと、最初に組織改編の謳い文句で前組織の欠点をあげつらい、新たな体制を組もうとすることはよくあることである。そして自画自賛をチラチラ出しながら、正当化への論理を重ねる。明治のリーダーたちに批判的なのは、その正当を構築するために江戸時代のあらゆる文化などを消滅し、いわゆる「官軍教育」を築き、それが今も続いていること。
 繰り返すが、歴史は連続性の上に築き上げられていくものと思っている。しかし、いわゆる明治維新では、それまで培われてきた江戸期の文化やあらゆるものが、スパッと切り落とされてしまった。そんな思いへの裏付けを本書は示してくれる。しかし、吉田松陰のテロリストぶりや、徳川斉昭のバカさ加減、阿部正弘ののらりくらりぶり、光圀の本来のダメ姿、等々を真に自分の頭に溶け込ますにはもっと文献や資料に当たらなければならない。でも、そこまでの余裕はない。例えば、徳川慶喜を評価する研究者もいれば、まったく駄目な将軍と断じる研究者もいる。さて、オレはどうなのかと言えば、浅い知識しかないので、印象で、慶喜はだらしない、と語るしかない。悲劇の容保に対しても批判的な思いはあるが、それは歴史的事実を摘まみ食いした、いたって表層的な感情でしかない。

 <『歴史読本』編集部編 『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君たち』(角川新書、2016年)>:「菊が栄えて葵が枯れ」た御一新後のお姫様と殿様の写真集。
 印象ある女性は三人。まずは陸奥宗光の妻亮子、この人は「鹿鳴館の華」と呼ばれただけあって左から撮られた写真の彼女の美しさに惹かれる。亮子は籏本の妾の子で芸妓、17歳で陸奥の後妻となっている。故に殿様の子でもないのでこの新書の書名には相応しくないのだが、ただただその美貌から、明治の美女たちからは外せないのであろう。美人薄命の言葉に合うように44歳で亡くなっている(当時は44歳では薄明とはいわないヵ)。
 伊達保子(亘理伊達の流れ)の写真は他の女性と違って華やいだ服装ではなく、普通の和服を着て物憂げな表情でぽつんと椅子に座っている。この人、北海道は有珠の萱葺の開拓小屋に起居し、開拓事業を支えた。現在の伊達市に繋がっているのであろう。他のお姫様の写真は着飾った和装や、鹿鳴館時代に相応しい華やかな洋装であったりするのであるが、保子の写真はそれとは異なり、うら寂しい明治の一面をうかがわせる。
 着飾った姫たちの写真を見ると、彼女たちは所謂名家に生まれたのであるが、彼女たち自身は何を努力して名家に生まれたのであろうか、生を受けた後、気持ちを何に向かわせたのであろうか、その豪華な装いの費用はどこから出ていたのであろうか、そのことに思いを馳せたことがあるのだろうか。生まれた環境に応じた苦労はあったのであろうが、ふとそんなことを想う。
 三人目は岩倉具視二女の戸田極子。美貌であるが故に伊藤博文が懸想し、スキャンダルにもなっている。印象に残るのはその美貌ではなく、ウィーンの公使館で琴を演奏し、ブラームスが直接に極子に演奏を依頼し採譜したと書かれていたこと。ブラームスは54歳頃で極子は30歳頃のことである。もしかしたら、クララを献身的に支えたとされるブラームスは、エスニックな琴の演奏を聴き、遠い異国の極子の美しさに惹かれ、一時クララを忘れたのではないかと妄想を抱く。否、そんなことはなく、ブラームスは純粋に音楽に魅了されたのであろう。極子の夫、戸田氏共(うじたか)の弓を持った、狩りの装いの写真は滑稽さを感じる。
 最後に徳川慶喜の子女の系図を見て、この将軍すごいな、正室に一人、二人の側室に22人と合計23人の子をなしている(死産・夭逝を含む)。激動の時代の激務(?)の合間に、ストレスがいっぱいたまっていたのかと勘ぐる。二人の側室で22人か、年から年中孕んでいた。今の何と違って後嗣問題は起こるはずもない。

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